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2020年8月 3日 (月)

私の平野貞夫論(71)

 『わが輩は保守本流である』を

               読んで【4】

 

 平野氏の「坂本龍馬」考〔1〕

 

  まことに唐突で恐縮だが、ペギー葉山(1933~2017:

下の写真)なる女性歌手の存在を知る人も、次第に少なく

なっているように思う。

 私の拙ブログを愛読してくださる方々は、30歳代が圧倒的

なようで、そのような方々からすると、”誰、それ?”といった

感じかもしれない。

 

   Photo_20200801204001  

 

 しかし、本年の元旦、古稀を迎えた私の小学生時代、彼女が、

朗々と歌う「南国土佐を後にして、都へ出てから、幾とせぞ・・・」

の歌詞は、今も、耳に残っている。

 そうだ、土佐(高知県)は、南国なのだ。

 その他の「南国」と言えば、鹿児島や沖縄、それに宮崎が考えられ

よう。南国の人々には、その土地柄に合った明るさと剛毅さ、加えて

豪快さや天真爛漫さがある。

 

 例えば、坂本龍馬などは、その典型ではあるまいか。

日本において、彼ほど人々に愛される歴史上の偉人もいない。

 彼の一途な生き方や無私の精神、それに、その悲劇的な最期が、

人々の共感と同情を呼ぶのかもしれない。

 ところで、龍馬は、江戸の千葉周作(1793~1856:下の写真)

の道場で修練し、北辰一刀流の免許を皆伝したと言われている。

 私も、そんな理解者の一人だ。

 

      Photo_20200801205601

 だが、平野氏に言わせると、龍馬は、決して、「剣豪」では

なかったのだ。

 実は、北辰千葉道場で、彼が授かった免許皆伝は、「薙刀

(なぎなた)」だったという。

「薙刀」って、女性がやるアレ?!という感じだ。

 

 確か、龍馬と勝海舟(1823~99:下の写真)との最初の出会い

は、龍馬が、海舟を暗殺するための邂逅だったと記憶している。

 だが、これでは、相当な剣の使い手だった海舟を、龍馬が斬れる

わけがない。

 

      Photo_20200801210801

 

 その意味で、司馬遼太郎の筆力は、相当なものだ。

しかし、それ以上に、彼のロマンに満ちた想像力を賞賛すべきなの

かもしれない。

 その点、平野氏の「龍馬」考は、広く、かつ深い。

同氏によれば、龍馬は、決して剣術家ではない。

むしろ、実に深い思想の持ち主だった。

 そして、その思想の原点は、彼の許嫁(いいなずけ)だった

千葉佐那から学んだ、妙見星信仰に基づく「妙見法力」という

物の考え方だった。

  因みに、当時の道場主は、千葉定吉だった。

 では、それは、一体、どのような考え方なのだろうか。  【つづく】

 

 

 

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