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2020年8月 5日 (水)

私の平野貞夫論(73)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで【6】

 

 平野氏の「坂本龍馬」考〔3〕

 

 これは、ある意味、龍馬暗殺の”背景”になるかもしれないが、

彼の思想と行動は、当時の倒幕派の志士たちの思惑や政治思想を、

はるかに超えていたと感じる。

 つまり、私は両者に、明らかな思想的”齟齬”があったように思う。

 

 端的に言って、幕末期は、”過激主義”の時代だった。

加えて、極端な「二元論」によって支配された時代でもあった。

 例えば、「開国」か「攘夷」か、あるいは、「倒幕」か「佐幕」か

といった具合である。

 

 しかし、龍馬は、この「過激主義」や「二元論」とは、全く無縁

だった。

 換言すれば、彼は両者を、はるかに超えていたと思う。

より平たく言えば、彼は、もっと”遠くを見ていた”と言えるのでは

あるまいか。

 

 腹蔵なく表現すれば、彼は、当時の同志たちには、到底理解できない

天の思想”を持っていたように感じる。

 この”天の思想”が、前述した妙見信仰、あるいは、「妙見法力」と

不可分の関係にあるように思えるのだ。

 

 ところで、龍馬の「認識論」に関して、平野氏は、ひじょうに興味深い

分析をしている。

 同氏によれば、龍馬の思想と行動の原点とも言える、彼の「認識論」は、

「習合主義ー四観三元論」によって、成り立っていると言う。

 「四観」とは、物や現象などを正確に認識する「四つの方法」のことだ。

つまり、 ①高観 高い位置から観よ。

      ②離観 離れて観よ。

      ③影観 影の部分を観よ。

      ④光観 光の当たっている部分を観よ、ということである。

 

 言われてみれば、その通りだが、正直なところ、これほど多面的、かつ

客観的に「対象」を観察することは、決して容易ではない。

 しかし、この絶妙の”距離感”は、心情的には、龍馬独自の”無心・無欲・

無私”の精神から発しているように感じる。

 つまり、一貫して、徒に「我」を張ることなく、すべてに囚われない、

龍馬本来の”自由”、”自立”の精神に基づいているように思えるのだ。

 

 加えて、「影」の部分への関心は、普通なら”見えない部分”をも重視す

るという考えだ。

 これは、即物的なモノの見方を超えて、より直感的、かつ”精神性”

重視した視点だとも言える。

 そこでは、ただ表面的に「見る」だけでなく、無心に”感じる”ことの大切さ

が含意されているように思う。

 

 さらに、「三元」とは、平野氏によると、物事や現象を正確に判断して、

その「特性」を知ることである。

 同氏の言に従えば、西洋では「弁証法」、東洋では「陰陽術」という認識

が知られている。

 しかし、「弁証法」も「陰陽術」も、対立するものを否定・闘争させること

で、新しい価値をつくるというものである。

 これに対して、龍馬の「妙見法力」という発想は、”矛盾の全てに対立が

あるわけではない”という考えだ。

 

 これに関して、平野氏は、ひじょうに分かり易い例を紹介する。

例えば、「熱い」と「冷たい」は、一見、対立矛盾関係に見える。

 しかし、これを「四観」で、よく観察すると、両者は、決して対立関係

ではなく、単なる「熱源」との関係で、「熱く」なったり、「冷たく」なる

相関関係なのである。

 

 また、「黒」と「白」との関係で見ると、その対立状況をつくるのは、

「光」の強さである。

 つまり、「光」が強ければ「白」に近づき、反対に弱ければ「黒」に

近くなる。

 平野氏の言では、この「熱源」や「光源」に当たるものを、”律”もしく

”中庸”と呼ぶ。

 この”律”は、様々な困難な問題を解決するために絶対必要な

元点”ことである。

 

 矛盾の要素(つまり、二つの対立点)と、この”律”を、平野氏は、「三元」

と名づける。

 そして、この”律”を見出すために、「四観」が必要なのである。

それで、この「四観三元論」を、平野氏は、龍馬の「習合主義」と定義

づけている。

 

 つまり、既存の弁証法や陰陽術は、「矛盾」を対立概念として”衝突”さ

せる。

 だが、これでは、”自分が正しく、相手は誤っている”という争いしか

起こらない。

 しかし、本来、両者は対立関係にはなく、”律”によってコントロールされ

いるものであるから、矛盾(あるいは対立)の要素を”習合”させること

で、両者の対立関係を解決することができる。

 

  平野氏によれば、「習合」の「習」とは、「学び」なのである。

語源論で言えば、古来、神への祝詞(のりと)を入れるサイ(*下の写真

は、象形文字「サイ」のほぼ左半分です。)の進化したのが「白」で

ある。

 

    Photo_20200803222001

 それを、鳥の「羽」で刺激して効果を上げるのが、「習」の語源

だ。

 加えて、「合」とは、人々の出会いのことであると言う。

 

 平野氏は語る。「私が、龍馬の『四観三元論』を「習合主義」として

まとめたいのは、”矛盾”という現象を対立とせず、難問を”神の力”を

得て、解決しようとする謙虚さを大事にしたいからです」と。

 

 そして、同氏は、龍馬の最大の功績は、「尊皇攘夷」を英国の支援で

強行する長州・薩摩派が、「佐幕開国」を仏国の支援で断行する幕府と

厳しい対立を続けていけば、日本は植民地となることを見抜いていた

ことだ、と断言する。

 

 そこで、龍馬は、「非植民地化」、つまり「国家の独立」という”律”に

気づき、「尊皇開国」という解決策に気づいて、薩摩や長州を説得した

のである。

 その龍馬を指導し、バックアップしたのが、妙見星信仰で知られる

勝海舟であり、かつ越前藩主・松平春嶽(下の写真)だったと、平野氏は、

結論づけるのである。

 

       Photo_20200803225401

                                【つづく】

 

 

 

 

             

 

              

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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