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2020年8月

2020年8月31日 (月)

私の平野貞夫論(95)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【14】

 

  「東大信仰」を超えて

 

  前尾氏が、外国に行く際、彼のために最も多く通訳を担当した

のは、宮沢喜一氏(1919~2007:下の写真)である。

 同氏は、かつての大蔵省きっての英語通で、その語学力は、

他者の追随を許さなかった。

 だが彼は、財務(当時は、大蔵)官僚上がりの、超エリート

こそあったが、肝腎の政治や選挙などに関しては、全くの素人

だった。

 

    Photo_20200828161201

 

 そんな彼が、ある時、平野氏に、こう尋ねたという。

「政治に関わっていく上で、最も大事なことは何ですか?」と。

 この問いに対して、平野氏は、冷静に、こう答えた。

「政治の現象は、人間の体と同じであり、病気に見えても生理現象

の時もあるし、病気でも、生理的に異常でない時もあります。

 この時に診断を間違えてしまい、生理の時に変な薬を飲ませたら、

とんでもないことになります」と。

 

 そして、平野氏は、こう付言したという。

「政治家は、そんなに勉強しなくてもいいが、何が生理で何が病理

かが正しく分かり、それを取り違えないことです」と。

 すると、宮沢氏は、こう語ったという。

「ついては、あなたの学歴を聞きたい」と。

 平野氏も、これには、困惑したことだろう。そこで、同氏は、「私は、

あなたに告げるような学歴はない。ただ、私が他の人と違っていること

は、医学関係の学校に、二年ほど行きまして、それから社会学部に行き、

その関係で、衆議院の事務局で働いています」と、正直に答えた

 これに対して、宮沢氏は、「東京大学の医学部中退ですね」と語ったと

いう。彼は、それを信じたまま、亡くなったとのことだ。

 

 この言葉を聞いた藤原氏が、毅然として、次のように語った。

「東京大学(下の写真)の法学部だけが日本の代表で、それで日本を動か

せるという明治以来の発想が、今の日本を、これだけダメにしてしまった

のです」と。 この言葉は重い。

 

    Photo_20200828182901

 

    Photo_20200828182902

 

   私たち日本人は、大なり小なり、”東大病”なるものに罹っているので

はあるまいか。

 「東大」というと、何か、それだけで畏敬の対象になる。

だが、私の、外国での体験から語ると、東大といえども、外国では、

”ローカル大学”のようなものだ。

 それに、国内で羽振りを利かしている分、外国では、殆ど通用しない

感じだ。むしろ、東大出身でない人の方が、多方面で活躍している。

 つまり、国内で賞賛の対象になる東大出身者も、外国では、全くの

「井の中の蛙」なのである。

 ある意味、宮沢氏も、そんな、「井の中の蛙」の一人だったのでは

あるまいか。

 

 日本人が、総じて”東大病”、あるいは、「東大信仰」に囚われている

限り、世界に通用する競争力は持てないのではなかろうか。

 斬新な創造性は、むしろ、東大以外の学問分野から生じている感じだ。

例えば、「ノーベル賞」の受賞を例にとってみても、京大系の受賞者が

圧倒的に多く、東大出身者は、極めて少ない。

 これは、基本的に、発想の柔軟性や想像力の差だと感じる。

 

 因みに、東大信仰の権化とも言える宮沢氏と平野氏との間における

政治の本質」論争というのが、また興味深い。

 ある日、平野氏は、自民党総務会長時代の宮沢氏に呼ばれて、

政治の本質は何か」という論争を挑まれた。

 

 宮沢氏は、「政治の本質は、政策と理論だ」と主張する。

これに対して、平野氏は、「政治は、国民と野党を説得する力だ」

と言う。

 平野氏が、「いかに優れた政策や理論であろうとも、有権者を

納得させる力がなければ、政治にならない」と述べると、宮沢氏

は、「政治は感情ではない。理性だ」と主張した。

 

 これでは平行線だと思い、平野氏が、「あなたは、田中角栄や金丸

信の政治活動を理解できますか?」と尋ねると、当然のごとく、

宮沢氏は、「二人の政治発想は理解できない」と答えた。

 平野氏は、宮沢氏は結局、政治は国民の感情が原点にあることを

理解できないんだと判断したので、彼に、こう語ったという。

つまり、「二人の政治発想は、日本人の民衆の矛盾を代表するもの

だから理性的なものではない。

 しかし、それを理解しないと、あなたは総理にはなれませんよ」

と。

 

 つまり、宮沢氏の政治発想は、本質的に、"机上の空論”なのだ。

だが、国内のすべての官僚が、この点では、大差ないと思う。

 それゆえ、前近代的な官僚国家・日本の政治が、国民生活から、

酷く遊離してしまうのは、必定なのだ。

 その姿は、まるで崩壊直前のソ連の姿を、彷彿とさせる。

 宮沢氏の政治発想は、これと、さほど違いはなかったのでは

あるまいか。

 知的ではあっても、頑迷なほどの教条主義や想像力の無さが、

それを、端的に物語っているように思えるのだ。      【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月29日 (土)

私の平野貞夫論(94)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【13】

 

  政治を見る目に必要な医学の素養

 

 民主党政権時代、「マニフェスト」という言葉が流行った。

だが、今考えてみれば、”あれは、名ばかりだったのではある

まいか”という思いが強い。

 しかし、この問題についての藤原氏の考察は鋭い。

彼は、次のように語る。

「民主党のマニフェストの内容や予算の使い方は、病気に対し

ての治療法や処方箋の議論に属するものばかりだ。

 より重要なのは病気の正しい判断であり、それが今の日本

で最も欠けているのに、奇妙だが誰もそれを言わないのです」と。

 

 この言葉には、平野氏も共感できたようだ。実は、平野氏も、

常々、そう考えていたのではあるまいか。そこで、同氏は、こう

答える。

「それは、実に鋭い指摘です。生理から病理に至っている日本の

病状について、正確に認識することから始めるべきで、私は藤原

さんのご意見に大賛成です。

 『さらば暴政(下の写真:既出)の読後感で申し上げた通り、

生理と病理で社会判断するというのは、仕分けの仕方として最高の

やり方です。

 それは親父が開業医だった影響のお蔭で、健康維持が何より大切

だと私は考えており、社会でも個人でも健康を損なえば病気だし、

その予防健康管理が何にも増して重要です」と。

 

      Photo_20200827145701

 

 これに対する藤原氏の次の言葉が、実に洒脱である。

同氏は、こう語る。

「その通りです。昔から『命あっての物種』と言うし、生まれた

死ぬときも裸なのであり、世俗の欲望に翻弄されれば阿修羅地獄で、

閻魔大王に舌を抜かれて終わるだけのことです」と。

 

 この正直な発言に、平野氏も内心、共感を覚えたかもしれない。

平野氏も、打ち解けた気分で、次のように語る。

「だから、先生が社会の健康について取り上げて、自民体制による

暴政が日本を破滅に追いやったのだから、健康な社会に戻そうと

いう意見に接し、わが意を得たりという気持ちを強く持ちました。

 また、世の中にこんな発想をする人がいて、世界中で資源開発の

体験をした後で、アメリカで石油会社を経営したという体験が、

こういう視座をもたせたというのならば、発想を持つに至った経過

を知りたいものです」と。

 

 ここで、藤原氏は、若き日の自らの思想形成について、正直な

思いを述べる。

 彼の人となりを知る上では、短いものとはいえ、ひじょうに貴重な

発言だ。彼は、こう語る。

「私は文学少年で、中学時代からフランス語をやり、ファシズムや

ナチズムの研究をしたかったが、日本では歴史学科は文学部に属して、

数学が苦手の学生が圧倒的だったから、幾何学が好きな私には抵抗が

あった。

 そこで、医学部に行って医者になることも考えたが、死体の解剖を

しないと免状が取れないし、私は肉や血を扱うのがとても嫌だったので、

地球の医者として地質学をやったのです」と。

 

 ”地球の医者”という言葉は、藤原氏以外、誰も語っていないと思う。

平野氏も、この意外な言葉に、たいへん興味を覚えたようだ。

 そこで、彼は、こう語る。

「地球の医者という発想は面白いですね。実は、私の父親は京都の

府立医専を出まして、爺さんの遺言で開業医になりましたが、大山

郁夫などと一緒に、京都で医師としてセッツルメント運動をやりました。

 その頃は、まだアナキズムの方が強かったこともあり、生まれ故郷が

幸德秋水の出身地と同じなので、故郷に帰って医者として開業した次第

です」と。

 

 この平野氏の言葉は、同氏の思想的背景を物語る上で、ひじょうに

具体的なものだった。

 そこで、藤原氏は、確信を持って、こう語る。

「じゃあ、平野さんは、生粋の土佐自由党の後継者ですね」と。

 

 これは、ある意味、平野氏のアイデンティティを語る上で、

最も的確な言葉かもしれない。

 また、ここで、両者の波長が、ぴったりと合った感じだ。

お互いに、何か共有できるものを知り得たのではあるまいか。

 打ち解け合った思いの中で、平野氏が、若き日の思想の遍歴

について、次のような語る。

「そういうことです。私は高校生の頃に先生の影響を受けて、

政治活動に関心を持ち社会科学の本を読み漁りました。

 親兄弟は皆で、私に医者になれと言いましたが、医学関係の

学校に二年ほど行ったけれど、医者になるという気持ちになれ

なかった。

 

 それで大学では社会問題について勉強し、せいぜい武力革命

を起こして30歳で死に、社会さえ良くなれば満足だと考えて

いました。

 私は、毛沢東の『実践論』と『矛盾論』を愛読し、多くの仲間

が、私を共産党に入れようとしたが、あの教条主義と官僚主義

は嫌でした」と。

 

 最後の所の「あの教条主義と官僚主義は嫌でした」という言葉

が重い。今日、その思いは解消できたのだろうか?

 たいへん興味深いところだ。この言葉に対して、藤原氏も、正直

な思いを述べる。

「毛沢東主義者だと聞いて、成程と思ったが、私は、マルクスでは

なくてエンゲルスが好きであり、高校時代に、『自然弁証法』を

愛読したお蔭で、自然科学者としての道を選ぶことになりました」

と。

 

 これは、今まで、度々記述してきたことだが、平野氏は、彼の

前半生での偉人たちとの出会いについて、次のように語る。

「土佐は、自由民権運動の本拠地であるし、吉田茂の影響が、

至る所に広がっており、親父が開業医として吉田茂や林譲治と

親しく、その関係で地道な政治活動に転じました。

 

 学生運動に一時のめり込んでいましたが、私は、吉田と林の

両先生に説教と指導を受けて、衆議院の事務局に勤めるように

なりました。

 また、園田直衆議院副議長だけではなくて、前尾繁三郎衆議院

議長の秘書官もやり、特に戦後政治史の三賢人だった前尾さんの

議会運営は、生理学の原則に合う素晴らしいものでした」と。

 

 ここで、両者の記憶に、共通する人物が登場する。それは、

前尾繁三郎氏である。

 彼については、藤原氏も、ある程度知っていた。彼の言葉は、

こうだ。

「前尾さんは、昔の大蔵官僚の風格と見識を持ち、戦後の復旧期の

日本の財政について貢献し、彼に育てられた大蔵官僚の話では、

外国人に尊敬され、賢者の名にふさわしい人のようです。

 私の知人に、大蔵の官房長から国税庁長官を経て、博報堂の

社長になった近藤道生さんがいました。

 彼は、前尾さんの通訳として戦後の欧米を訪れ、前尾さんの

人柄を絶賛していましたよ」と。

 

 今日の日本の政界で、前尾氏のような政治家はいないようだ。

最近の政治に、厚みと深みがないのも、そのような事実に由来

しているように思われる。                                          【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

2020年8月28日 (金)

私の平野貞夫論(93)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【12】

 

  連綿と続く”反省なき政治”

 

 私は、平和な日本に生まれたことに、心から感謝する者

の一人である。

 だが、これからの日本は、決して、今までのような平和が

享受できるようには思えない。 

 しかし、戦争無き「平和」こそ、何よりも尊く、また、これ

こそ、日本の真面目だと思う。

 

          Photo_20200826201401

 

 ところで、今日の日本人は、昔に比べて、だいぶ変わってきた

感じだ。

 物質的に貧しくなったという社会問題も、勿論あるが、それ

以上に、心が貧しくなったように感じる。

 そんな日本人の主要な欠点に、”過去の失敗から学ばない”という

ものがあるのではなかろうか。

 

 その意味では、平野氏が常々、力説されるように、われわれ日本

人は、歴史意識、あるいは歴史に学ぶ姿勢が希薄なのだと思う。

 だが、歴史に学ばずして、未来への考察はあり得ないし、現在も、

実に不確かなものとなる。

 ここは、じっくり歴史に学ぶ姿勢が、われわれ一人ひとりに求め

られるような気がする。

 しかし、残念なことに、日本人は、なかなか”反省しない”民族だ。

とりわけ、政治の世界には、この”反省心”が、殆ど皆無だ。

まさに、連綿と続く”反省なき政治”とでも言えよう。

 

 また、人間、自らを病気だと思うのであれば、その病気の原因と

実態を知る必要がある。それは、国家も全く同じである。

 この点に関して、平野氏と藤原氏の対談は、次のように展開する。

 先ず、藤原氏の分析によれば、自民主導のゾンビ政権による暴政

実態は、診断能力がないのに応急手当や痛み止めを飲ませ、病気を

悪化させ、日本の生命力を損なったというものである。

 しかし、これは、ほぼ10年前の民主党政権でも、全く大差はなか

った。

 

 ところで、今日の政治・社会状況について、平野氏が、次のように

述べる。

「所得格差の拡大で貧富の差が広がり、弱い者が犠牲になって仕事が

なくなってしまい、人々が前途に希望を失うような状態は、社会不安

の原因として実に由々しい問題です。

 そのために、政治への無関心やシラケ層が増え、国民の連帯感が

急激に減少したことは、社会の健康という意味で深刻な事態ですよ」

と。

 

 これについては、藤原氏も、全く同感だと思う。

この点に関して、彼は、次のように切り出す。

「スピノザ(1632~77:下の肖像画)は、『悪とは何か』を定義して

連帯意識の消失である』と言っています。

 これは、社会学的には、アノミーの蔓延だが、この虚脱感を逆手に

とって、国粋主義が台頭し、安倍や麻生による『靖国カルト』が横行

しました」と。

 

             Photo_20200826201501

 

  特に、21世紀になって今日まで、そういう実態が

あった。

 これについて、戦後政治史の一断面を、平野氏は、

次のように表現する。

「出発点での自民党の寄って立つ理念は、自由と

デモクラシーに基づく自由社会の建設だった。

 この自民党が政権交代せずに半世紀も君臨し、独裁的

な政治をして、社会の健康を損なったために、自由は

放縦に、民主は愚民主義に変質しました」と。

 

 この現実を認めつつ、藤原氏は、民主主義や自由主義

の母体は、あくまで”健康な社会”であることを強調する。

 だが、現実の政治に深く関わってきた平野氏にとっては、

一口に”健康な社会”と言っても、その定義づけはおろか、

その実現は、かなり厳しいものだという認識がある。

 

 しかし、この度(10年前)、藤原氏が、『さらば暴政』

を物した背景には、次のような認識があった。

 つまり、今日の日本で最も重要な政治課題は、自公体制で、

デモクラシーと議会主義が酷く損なわれたこと。ー

 とりわけ、暴政を放置した怠慢を反省する必要がある、と

いうことだ。

 そこでは、きちんと過去の過ちを摘出して総括し、法治国家

の枠内で、徹底的な批判を加えて、責任追及をきちんとする

ことである。

 

 しかし、この藤原氏の指摘は、単に10年前にとどまらず、

今日においても、強く求められるべきことではあるまいか。

 このことへの深い反省がない限り、この10年以上も続く、

自民党(特に清和会)による”暴政”の本質は、何ら変わること

はないと思うのだ。 【つづく】

 

 

 

 

 

2020年8月27日 (木)

私の平野貞夫論(92)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【11】

 

   フランス革命の教訓と「民守革命」の展望

 

 フランス革命は、「自由・平等・博愛」を標榜し、近代

民主主義の基礎を築いたと理解されている。

  だが反面、これは、国際金融資本の策謀を成就させ、彼らの

経済力を補強しただけのことだと理解する識者も、決して

少なくない。

 

 とりわけ、同革命を、”失敗の例”として描くことは、

ひじょうにユニークであり、かつ有益だと思う。

 また、この両者の対談で、たいへん興味深いのは、両者共、

今日の日本の惨状を、革命前のフランスの状況と、全く

同じだと分析していることである。

 

 藤原氏によれば、当時のフランスは、王室の乱費で財政破綻し、

国庫は空で、民衆は重税と搾取で、生活に苦しんでいた。

 また、英国の産業革命に立ち遅れた同国の経済は、輸出難と

インフレのために絶望状態だった。

 フランスは、産業革命で活況を呈した英国に圧倒されており、

王政の砦のハプスブルグ家から王妃を迎えたが、領土的には神聖

同盟に包囲され、辛うじてエカテリーナのロシアだけは敵対しな

かったが、実質的に孤立状態に陥っていた。

 

        Photo_20200825222501

                                              (ヴェルサイユ宮殿 鏡の間)

 

 この状況は、平野氏の指摘にもある通り、今日の日本の立場と、

よく似ている。

 平野氏の同意を得た上で、藤原氏が考察するところによれば、

アジアにおける現在の中国は、産業革命ではなく、外貨と技術の

導入の成果によって貿易を伸ばし、昔の英国に似た経済的な繁栄を

謳歌している。

 

           Photo_20200825221401

                                                            (かつての上海)

 

    Photo_20200825221501

                                        (今日の上海)

 

 それに対して、自公体制の暴政によって行き詰まった日本は、

工場の海外移転で国内産業が空洞化し、デフレ・スパイラルで経済

活動は低下してしまい、地方の商店や地場産業は壊滅状態である。

 これは、フランスの貴族が国外に逃亡して、エミグレとして富を

持ち出したのに酷似しており、昔の英国に相当するのがバブルの

中国だとすれば、”昨日の友が今日の敵”という意味では、神聖

同盟の役は、(日本にとって)アメリカや国際金融資本ということ

になる。

 

 この辺りの藤原氏の歴史分析は、ひじょうに有益、かつ示唆的だ。

この点に関する平野氏の分析も、たいへん説得力がある。

同氏は、言う。

 国内産業の空洞化で、経済活動が衰退し、若い人はパートの

仕事しかなくなってしまい、ニート族やホームレスが増加している。

 その上に、30歳過ぎても低収入で、結婚や家庭が営めなくて、

日本人の間で貧富の差が拡大している。

 

 格差問題は革命期には必ず発生するし、その解決は福祉政策に

よって試みられ、フランス革命は産業革命に伴っていたし、現在

は情報革命が進行しています」と。

 そこで、平野氏は、次のように結び、こう問い掛ける。

「これらの問題の解決が無血民主革命の課題だが、フランス革命

の教訓を、どう活用しますか?」と。

 

 これに対する藤原氏の回答が、ある意味、とてもユーモラスで、

興味深い。同氏は、毅然として、次のように述べる。

「絶対に必要なのは、ギロチンを登場させずに、日本を食い荒らした

犯罪者を法的に裁いて、私物化された公的資産の回復をする。

 また、法治国家としての司法制度をきちんと機能させ、国民の信頼

を政治に取り戻すと共に、民主的な議会制度を確立することです」と。

 

 まことに、その通りであるが、確かに、ギロチンこそ登場しなかっ

ものの、民主党政権の崩壊後、再登場したアベ氏の暴政は、日本国民に

とって、ギロチン以上に苛酷なものだった。

 それゆえ、藤原氏の提案による”歴史的再検討”は、アべ氏退陣後、

大いになされるべきものだと思う。

 とりわけ、この際の主要なキーパーソンが、かつての法務官僚の

黒川弘務氏であることは、まことに明白なことだと思うのだ。

 

 ところで、この対談で、平野氏が、危惧していたことは、高度情報化

社会の中で生きるのには、大変な準備が必要だと分かっているのに、

日本は、それに対する取り組みが、全く不足していることだった。

 事実、同氏は、当時、このように述べていた。

「しかも、今の日本人には危機感が足りないが、自らの力で意識を高め

ようとしない限りは、世界の動きから取り残されるばかりで、せっかく

の『無血民主革命』のチャンスなのだから、この機会を最大限に生かし

たいものです」と。

 

 この訴えに対して、藤原氏は、次のように提言する。

「有能な人材を育てて確保するには、国内の産業の空洞化は避ける必要

あります。

 それには、経済の活性化と新産業を育成し、新しい国づくり議論

することです」と。

 この重要な視点は、単に10年前のことではなく、むしろ、これからも

求められるものだ思う。

 

 加えてこの国民の覚醒の必要性を強調する平野氏の政治姿勢は、

この対談がなされた10年前と今日で、全く変わっていない。

 惜しむらくは、国民の意識に、何ら実質的な変化が無いことだ。

 だが、それで諦めていては、何の進展も望めない。むしろ、「民主」と

言うより「民守」の思想こそが、今後、益々必要となろう。

 その点、平野氏と藤原氏のガチンコの対談は、歴史の闇に埋もらせては

いけない、極めて貴重で有益なものだと思うのだ。        【つづく】

 

 

 

 

 

2020年8月26日 (水)

私の平野貞夫論(91)

 

 

 平野氏と藤原肇氏の対談より【10】

 

  失敗例としてのフランス革命

 

 フリーメーソン国家・アメリカを、「民主制を実践する理想的

な国家」と字義通りに賞賛することはできないと思うが、藤原氏

の経験に基づく正直な思いは、尊重すべきである。

 これに対して、平野氏は、こう語る。

「問題は、日本や世界の政治を見た場合に、21世紀まで続いた

議会制民主政治の原理が、19世紀の思想と哲学に基づいていた点

です。

 だが、高度情報化した民主社会における議会政治は、とてもでは

ないが、今の程度の代表民主制ではいけないので、根っこから考え

直さなければならず、新しい政治体制を作らなければならないの

です」と。

 

 この平野氏の言を聞きながら、藤原氏は、地球の医者らしく、

たいへん長い歴史的観点、および自然科学的な見地から、次のよう

に語る。

「それが、無血民主革命の新しい課題であり、孔子の昔から『温故

知新』と言うように、新しいものを作るためには古きを訪ねて、

歴史の教訓から徹底的に学ぶ必要がある。

 それは、近代に始まった自然認識として、サイエンスの発達プロ

セスと共通したものであり、観察したものを分析して総合すること

で、そこに普遍法則と帰納原理を見出すのです」と。

 

 この、ある意味、学問的、かつ科学的な藤原氏の意見を聞きなが

ら、平野氏は、次のように総括する。

「そうなると、歴史の中に革命の実例を求めて、色んな形で記録

されたモデルを分類して並べ直し、新しいモデルとして使えるものを

組み立て、それを足場に使って何かを構築するわけですな。

 そこまでのことをやれるだけの人が、今の日本の政治家にいるか

どうかは疑問だが、それをやらない限り革命などできません」と。

 

 平野氏と藤原氏は共に、"医学的”とでも言える分析手法で、問題に

対処する姿勢では共通しているが、その立脚点が、明らかに異なると

感じる。その視点の差は、次の藤原氏の言葉にも窺える。彼は、言う。

「それほど深刻に考える必要はないでしょう。過去の経過を観察して

変化のパターンを知り、現状を正しく位置づけて異常性を捉え、

将来の方向を見定めるのは、診断学の基礎です。

 だから、革命学は未だ認知されていませんが、歴史学、生理学、

病理学、政治学などを統合して、新しい社会医学とでも呼ぶものを

作るために、作業仮説としての革命のシュミレーションを試みます。

 そして、どの革命のどの段階を構成する場の構造が、どうなって

いるかについて調べることで、作業を始めたらどうかと思いますが、

どうでしょうか?」と。

 

 このユニークな藤原氏のアイデアに対して、平野氏が、こう問い

掛ける。

「革命には、色んな時代とタイプがありますが、差し当たり、どの革命

から手をつけたら、最も手つ取り早く成果が得られるでしょうか?」と。

 

  この平野氏の問い掛けに対して、藤原氏が、一つの有益な提案をする。

彼の言葉は、こうだ。

「成功例より失敗例が教訓的という意味で、アメリカ革命よりもフランス

革命の経過の方が、われわれの無血革命を成功させるのに、参考にする

シュミレーションとして活用できると思います。

 特に、初期の段階の数年間の動きは、今の日本の置かれた状況によく

対応しており、参考になるものが数多く読み取れます。

 1793年以降の情況(ジャコバン派の独裁と、それに対するテルミ

ドールの反動など)を回避するためにも、大革命の歴史を深く学ぶ

必要があります」と。(下の絵は、「パンよこせデモ」と、ジロンド派

とジャコバン派による武力闘争)

 

            Photo_20200824201701

    

            Photo_20200824201901

   

 この言葉は、平野氏にとっても、決して予想外のことではなく、薄々

共感できることだったようだ。それが、次の言葉に顕れる。

やはり、そうですか。革命と言えばフランス革命だと思っていたが、

失敗例としてフランス革命を登場させるのは面白い。

 そういえば、失敗したフランス革命には、破綻モデルとしてのギロチンが

登場するし、ナポレオンのクーデターもあって、波瀾万丈だ。

 また、それを回避する予防医学という観点は、無血民主革命の生命力

活性化する意味において、新鮮で画期的であると思います」と。

                                                      【つづく】

 

 

 

 

 

 

2020年8月25日 (火)

私の平野貞夫論(90)

 平野氏と藤原肇氏の対談【9】

 

 民主主義から「民守主義」への道

 

 平野氏が、田中正造について語った時、藤原氏も、”わが意

を得たり”という思いだったのではあるまいか。

 その思いが、次の言葉に、よく表われていると思う。彼は、言う。

「環境問題に生涯を捧げた点では、日本の政治家として田中正造

(1841~1913:下の写真)の存在が、いかに偉大だったかを、

日本人は忘れている。

 また、明治という時代性の中で、彼の貢献を考えてみると、今の

政治家で匹敵する者は皆無であり、民主政治の原点に立っていると

いう点で、明治の日本には、素晴らしい政治家がいた。

 

 なぜならば、当時の日本は列強と肩を並べるために、国産の銅と絹

を輸出して外貨を稼ぎ、それで軍艦や兵器を買って兵備を整えて、

近隣諸国を侵略し、領土を拡大していた。

 しかも、足尾銅山は、日本の銅の半分を産出しており、懸命に富国

強兵を推進する日本政府にとっては、田中代議士が鉱毒事件に全力を

注入しており、住居を災害地に移して取り組んだので、実に扱いにくい

存在に違いなかったと思います」と。

 

    Photo_20200822135801

 

    Photo_20200822135802

 

 この藤原氏の言葉に、心から共感する形で、平野氏が、次のように

語る。

「彼は、第一回の衆議院議員選挙で当選し、10年間ほど議員として

鉱毒事件に取り組みましたが、命を賭けて直訴するために議員を

辞職しました。

 そして、全財産を鉱毒事件の活動に使い果たしたために、死んだ時

には無一文だったそうです。

 今どきの浮ついた気分でいる国会議員たちに、「墓掃除に行ったら

どうだ」と言いたいほど、彼は、民権運動に殉じた立派な政治家

でした」と。

 

 ここで、両者の波長が重なった感じの中で、藤原氏が、ユニークな

論を展開する。

「こうした立派な政治家が明治にいたから、大逆事件などの弾圧が

あったにも拘わらず、続いて、大正には民権運動の成果として、

大正デモクラシーが花開くことになったのです。

 きっかけは1917年のロシア革命であり、シベリア出兵のために

米の買い占めや売り惜しみで、米価が急騰して、富山県で米騒動

(下の写真)が起き、それが、護憲運動や普通選挙運動として、

新しい形の民権運動に発展したのです。

 

    Photo_20200822143501

    (右側の表示には、午後4時に、米の販売が終了した旨、

                     書かれている。)

 

 この藤原氏の観点は、歴史のダイナミズムを語る上で、非常に

示唆的だ。これに対して、平野氏が、より詳しい田中像を語る。

「その基盤まで田中正造は残していまして、彼は、『人民あって、

国家は存在する』と主張し、『地方自治は、国家運営の基礎だ』と

論じ、戦争は犯罪だから、軍備全廃を訴え続けました。

 彼は、日本の憲政史上で無双の議員で、民権論者として国民が

誇るべき偉人として、国会議事堂の正門の前に銅像を建てたい人

です。

 こうして挫折したとはいえ、自由民権運動のお蔭で、民衆の立場

で議会政治を実践したから、大正時代に民主主義への自覚が高まっ

のです」と。

 

 事実、これは、私のおぼろげな記憶だが、田中正造の死後、彼の

ような人格者こそが、”将来の日本国の総理大臣”に相応しいと絶賛

した思想家がいる。内村鑑三である。

 ところで、先の平野氏の言について、藤原氏は、こう付言する。

「当時の日本は、君主制に基づく憲法だったので、民主は君主に

対立すると危惧したために、吉野作造は、民本主義という言葉を

使った。

 だが、政治の基礎はデモクラシーにある自覚して、

日本人は、議会制の重要性を普通選挙の形で、大正デモクラシー

の旗印に使ったのだと思います」と。

 

 ここで、平野氏が、「誤訳」という観点から、福沢諭吉に鋭い

突っ込みを入れる。彼の言は、こうである。

「デモクラシーを民主主義と訳したのは誤訳で、確か福沢諭吉が、

そう訳したと記憶しますが、民主を『広辞苑』で引けば、『主の

ための民』と書いてある。

 この重要な間違いを訂正するためには、民主の『主』を『守』と

書き換えて『民守主義』という新しい言葉を作れば、人間一人

一人を大事にするという意味になるのです」と。

 

 この言葉には、藤原氏も、敬服したようだ。彼は、自らの正直な

思いを、次のように述べる。

 「興味深い提案ですね。また、歴史的には英国の自由主義とフラ

ンスの民主主義があり、フランス型より米国型の民主主義の方が、

草の根民主主義(下の写真)と結びついていて、本来のデモクラシー

精神を体現しています。

 だから、少なくとも、20世紀の半ば頃までのアメリカ合衆国は、

民主制を実践する、理想的な国として、世界から尊敬された民主

国家でした」と。

 

    Photo_20200822153201

                                【つづく】

                   

 

             

 

 

2020年8月24日 (月)

私の平野貞夫論(89)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【8】

 

 明治の歴史の深層と「共和制」への嫌悪

 

 藤原氏は、次のように語る。

「果たして、そうでしょうか? たとえ学校で教えていなくても、

児童向けの『15少年漂流記』を読めば、無人島の少年たちは、議論

して重要問題を決めたし、選挙でリーダーを選び、年間計画を打ち

合わせており、自治の意義を子供たちは学んでいます。

 ところが、日本の国会は、民主的な運営で無人島以下だし、15

少年に比べて、責任感や名誉心においても、今の国会議員たちは、

はるかに劣っているのです。

 

  15_20200821100801      152  

 

  この言葉に対して、平野氏も、次のような正直な感想を述べる。

「国会議員の中には、立派な人もいるので、15少年以下だと決めつけ

るのには賛成できませんが、人気で当選した人や世襲議員の中には、

議論の能力や政策を考える素養の無い人が多いのも事実です。

 百年以上も昔の明治初期に比べた時に、国政に携わるという政治家

たちの意識や理解力が劣等だというのは、容易ならざることです」と。

 

 この平野氏の指摘に対して、藤原氏が、次のように述べる。

「安倍の野垂れ死に後に、政権がたらい回しになり、福田や麻生による

無能な政権が続いたために、世襲代議士を首相にした致命的な誤りが、

日本の政治を徹底的に損なってしまった。

 ところが、民主党を支配する鳩山や小沢も世襲代議士で、自公体制の

政治パターンと大差がないし、革命ではなく政権交代で終わりかねない

ので、暴政の徹底的な批判が、絶対に必要になります」と。

 

  この言葉に対して、平野氏が、次のような考えを披瀝する。

「民主党のトップが世襲議員であることは、確かに仰る通りで、問題

です。

 だが、今回の選挙結果を無血革命として成功させる上で、今ここで

重要なのは、民主的な議会政治を確立することです。

 なに分にも、明治時代の政治家たちの資質に比べて、現在の国会

議員の意識が低い理由は、歴史感覚が非常に劣っているからです」

と。

 

 平野氏の場合、この「民主的な議会政治の確立」という悲願は、

終始、一貫している。

 そのための在るべき姿として、藤原氏は、次のような歴史的事実を

紹介する。

「それは、タブーや嘘に支配されたために、日本では、明治の歴史を

きちんと教えないし、幕末から文明開化に至る歴史が歪められ、小説

として書き換えられているせいです。

 汚職による利権政治を改革しようとした動きが、権力による徹底的な

弾圧で潰されてしまい、明治6年の政変が、征韓論の形で歪められ、外交

問題にすり替えられて教えられている。

 

 山縣有朋や井上馨による利権政治に挑み、その糾弾を試みた江藤新平

司法卿を葬らない限り、近代国家への道が共和制になると怖れて、国権

が民権派を制圧するための工作が、明治6年の政変の真相だった。

 江藤新平は、フランス的な共和思想の持ち主で、自由、民権、博愛を

信奉していた。

 それがゆえに、国家主義で専制政治家の大久保利通の手で、反逆者と

して葬られて晒し首になっている。

 しかも、大久保は、遣欧使節としてパリコミューン(下の写真)を目撃

し、政権崩壊恐怖体験と共和思想への嫌悪感が、彼の心理の

深層を支配していたです」と。

 

    Photo_20200823194201

 

    Photo_20200823194301

 

 この言葉に共感を覚えつつ、平野氏が「自由民権運動」について、

自説を展開する。彼は、言う。

「それに、明治6年の政変に、自由民権運動の出発点があり、途中に西南

戦争という西郷と大久保の対決を挟んで、国権派による支配体制が固

まって行く。

 次に、明治14年の政変に発展したことで、大隈重信(1838~1922:

下の写真)の英国流の議会制度が否定され、プロシア型の絶対主義への

傾斜を強めてから、明治23年の憲法の制定となって、日本流の議会制度

の発足になるのです」と。

 

             Photo_20200821215401

     

 この平野氏の言葉に対して、藤原氏は、明治時代から昭和時代に至る

大日本帝国の否定的側面について、次のように言及する。

「でも、明治憲法も国会も上から与えられたが、立憲君主制の枠の中で

機能したのであり、その点は、それなりに評価していい。

 だが、長州閥を率いた伊藤博文や山縣有朋によって、藩閥政治と軍国

主義が推進されると共に、日本の国策は、帝国主義の路線を邁進した

で、最終的には、大日本帝国は滅亡しました」と。

 

 確かに、近代日本の大きな流れは、この通りであるが、平野氏は、

「自由民権」の立場からの政治論を展開する。彼は、次のように述べる。

「しかし、明治前半における自由民権への情熱は、欧米の議会制民主

主義を手本にして、それを日本で実現しようとした努力の点で、民衆の

力が働いていたことは確かです。

 だから、今の日本人に欠けている国造りの意欲に満ち、真剣で誠実な

政治への関心と参加への意思があり、真の無血革命への期待が生きて

いた。

 現に自由民権運動に命をかけた代議士として、足尾銅山の鉱毒問題に

政治生命を捧げ、明治天皇に直訴を試みた田中正造がいます」と。

                                                                                          【つづく】

 

 

 

 

2020年8月22日 (土)

私の平野貞夫論(88)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【7】

 

 議会政治の基本精神について

 

 この平野氏の言葉に対して、藤原氏が、次のような

鋭い突っ込みを入れる。

それは、メディアが堕落したせいです。

 小泉劇場を煽って、成功したことに陶酔して、その夢から

脱却できない状態が続いている。

 福沢諭吉が書いた『文明論の概略』(下の写真)を読めば、

『病理の診断は学者の職分だが、治療は政治家の仕事だ

とあって、これはプラトンやアリストテレスの時代からの原則

です。

 

    Photo_20200820143501

 

 本当は、学者の代わりに、知識人と言うべきであるし、その中には

学者、ジャーナリスト、評論家だけでなく、公的領域に関心を持つ

市民も含まれる。

 だが、それらが御用化して弱くなったために、御用学者や御用

評論家ばかりが増えています。

 

 しかも、民主党内閣が革命を遂行する意欲に欠け、政権交代

レベルでの現状認識しかなく、政権を維持することに汲々としている

ために、徹底的な批判が行われない状態が続いている。

 自民中心の体制が議会民主主義を踏みにじり、パブリックである公的

政治を軽視し続けて、私的な利権漁りをした結果、暴政が支配したのに、

未だに総括もなしです。

 

 この藤原氏の透徹した分析に対して、平野氏は、「議会政治の問題」

について、問題提起する。そこで、彼は、言う。

「それは、今までの日本の政治のやり方が、政権交代させないし、

行ってはいけなかったので、議会政治として機能しなかったせいです。

 だから、野党は国民のためにあるという原点に立ち戻って、議会を

議論の場にすることが必要なのです」と。

 

  この「議会政治の基本精神」について、藤原氏が、こう切り出す。

「議会政治は、話し合いが基本であり、異論を出し合って接点を

見つけて合意し、より多くの人が納得できる形でまとめて、「最大

多数の最大幸福」を求めるための場です。

 平野さんの前では「釈迦に説法」になるが、議会政治の基本は、

議論を戦わせて、何に優先順位を重要度があるかを決め、もし、

話し合いで合意に至らない時には、多数決原理で決断を下すことに

なります。

 だが、多数を取れば良いというのではなくて、少数意見も尊重し

なくてはならない。強行採決は、その手続きを無視した暴挙です。

 この民主主義の精神に反し強行採決(下の写真)に明け暮れ、

国民に愛想をつかされた(第一回目の)安倍政権は、敵前逃亡に

等しい形で政権を投げ出しました」と。

 

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   Photo_20200820154901

 

 この言葉に対して、平野氏が、次のように答える。

「政治プロセスの中では、採決を急ぐ時もある。だが、現在は、強行

採決をやっている時代とは違うし、そんなことは無責任で、国民への

裏切りであり、無血革命を行う目的に反している。

 だから、当面の課題は、自公体制のやり方を改めて、議会で徹底的

討論する原点に立ち戻り、真の民主政治の議論を実行すべ

ですと。

 

 この平野氏の正論に対して、藤原氏も、全く異論は無かったと思う。

だが、同氏は、当時の民主党政権の現状に鑑みて、次のように確言する。

「ところが、予算を通過させるために強行採決を辞さないと、民主党は、

無責任なことを主張し始めており、これでは、前の自民中心のゾンビ

政治と同じです。

 日本の政治家が議論や討論が下手な理由は、問題をじっくり観察した

上で分類して、二項対立の形で捉えて分析することにより、パターン化

するのが苦手なせいです」と。

 

 この言葉に、十分な共感を覚えつつ、平野氏は、次のような視点から、

自論を展開する。彼は、言う。

「その議論は別の機会に譲ることにして、私がここで強調したいのは、

政権交代の問題で、それをさせない制度と運用が続いたが、それをぶち

壊すチャンスが訪れたということです。

 先生が指摘されたように、民主主義の原点と、議会制度の本質を理解

する政治家が、殆ど存在しないところに、今の日本の悲劇がある。

 

 そこで私は、雑誌のインタビューやコメントなどで、明治の初めに

議会主義を導入した時に、日本人が如何に苦労したかを知る

べきだと強調してきました。

 

          Photo_20200820161401

                     (大日本国憲法の発布)

 

         Photo_20200820161501

                             (帝国議会)

 

 帝国議会は民主主義の点においては、十分であるとは言えないもので

たが、それでも明治人たちは今の国会議員たちよりも、議会の

本質をはるかに良く理解していたのであり、その点、今の

政治家は、議会主義への感性がない。

 これは、教育の問題に関わっており、議会主義が何たるかを、学校で

教えないからです」と。

 この平野氏の言に対して、藤原氏は、次のような疑問を呈する。

                                                                                      【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月21日 (金)

私の平野貞夫論(87)

  平野氏と藤原肇氏の対談より【6】

 

 病理診断がないまま迷走する日本の政治

 

 十年一日の如く、日本の政治は、全く変わらない感じだ。

腹蔵なく言って、旧民主党の政治家たちは、11年前の政権

運営の失敗に対する反省を、殆どしていないと感じる。

 

 言うまでもなく、人間は、失敗する生き物だ。

だが、人は、その失敗の中から、多くのことを学ぶのでは

なかろうか。

 また、99の「失敗」が、最後に一つの「成功」を生み、

それが、大事業の達成につながることもある。

 日本の戦後復興を牽引したパナソニックやHONDAの創業者

たち(下の写真)も、多くの失敗や挫折を通じて、大業を成し

たのだ。

 

       Photo_20200819145501

 

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   Photo_20200819150001

 

 だが、経済に比べて政治の方は、戦時中の"大本営発表”と同じく、

全く国民無視の、政策にも価しない政治行為を連発している。

 あれは、1970年代のことだった。

確か、『政治家の終わり』という著書があった。

 当時は、まだ実感できなかったが、今日、それが、現実のものと

なった感じだ。

 

 ところで、藤原氏は、まさに、"地球の医者”であり、平野氏は、

実際に、篤実な医者の息子だ。

 それゆえ、両者の学問的、かつ政治的視点は、実に"医学的”である。

その藤原氏が、平野氏に、こう語る。

「平野さんが仰るように、新政権の責任は、日本を民主国家として

再生させることによって、国民の幸せを実現する民主革命の遂行です。

 そのためには、日本の治療に取り組むための前段階として、どの

ように健康を損なって生命力が衰え、病気に蝕まれている状態を理解

するために、正確な診断をすることが先決問題です」と。

 この中の”正確な診断”というのが、一つのキーワードである。

 

 これに対して、平野氏が、次のように応じる。

「それは、当たり前のことです。治療を始める前に診断するという

のは、医学の世界では当然なされている手続きであり、診断なしに

治療するなんてヤブ医者ですよ。

 (しかし、まさに、当時の民主党政権は、この"ヤブ医者”だった

ではあるまいか。)

 藤原氏は、この言葉に共感しつつ、次のように続ける。

 

「そうでしょう。症状から病気の原因を正しく読み取って、それから

治療を始めるのが医学上の手続きだったのに、日本の政治には、この

診断行為が不在です。

 病院の建物はあっても医者がいないのが、衆参両院で構成する日本

病院の実態であり、箱物作りに熱中した財政投融資型の政治で、人材

作りを怠ってきた欠陥に由来します。

 だから、診断書として、私は『さらば暴政』を書いたが、肝心な診断を

正確にやることを置き去りにして、今の日本では、如何にマニフェストを

実行するかとか、予算案の枠を決めたり削ったりするという、

治療や処方箋に関しての議論ばかりが盛んです。

 

 平野氏は、この言葉を聴きながら、その本質的な部分について、次の

ように語る。

「診断より、手術や処方する方が金になり、医術が算術になってしまっ

たのと同じ現象が、日本の政治の世界を支配していますな。

 政治家が役人化し、官僚が政治家化したからだと思うが、役人も政治

家も、診断の意義が分かっていません」と。          【つづく】

 

 

 

 

 

 

2020年8月20日 (木)

私の平野貞夫論(86)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【5】

 

 官僚化した政治家にできるか、官僚支配打破

 

 すると、藤原氏が、「ところが・・・」と、話し始める。

そこで、彼は、こう続ける。

「今の日本人は漢文は読まないし、中国の古典を理解しない。

世界の古典ももちろん、読めない。

 教育水準も、そういうレベルに達していない。

だから、文明から逸脱した文化レベルでの議論として、文明の

議論が行われていないのです」と。

 

 ものの本によると、「文化」とは、人間の生活様式の全体を

意味する。

 そして、各々の民族・地域・社会に、固有の文化が存在する。

それらは、学習によって伝承されると共に、相互の交流によって、

発展してきた。

 これに対して、「文明」とは、特に、哲学・芸術・科学・宗教

などの精神的活動であり、その所産でもある。

 

 要するに、「文化」とは、技術や道具、それに様々な所産として、

表に表出されるものであり、「文明」とは、それらを生み出す基盤や

基礎と考えていいのではなかろうか。

 私は、ごく単純に、それを植物に喩えるなら、地表に出た花や

果実が「文化」であり、それを生み出し、かつ育む土地や肥料が、

「文明」なのではないかと理解している。

 

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 ところが、今日では、単に効率や効果だけが重視され、

技術論だけがもてはやされる傾向がある。

 これは、学問の世界だけでなく、政治の世界でも、

全く同じようだ。

 これについて、平野氏が、次のように語る。

「要するに、明治人には人間の在り方とか、国や社会の在り方

の根っこの部分を、平民でも指導者でも誰でもが考えなければ

いけないという意識があった。

 ところが、私の体験から言うと、大正生まれの人たちが政治を

やるようになって、結局、技術論だけ。ー

 根っこというか思想の部分、方向性とか理念や目的というもの

を、明治生まれの人たちは学歴がなくても、それなりに考えて

官僚に示した。

 また、昭和50年代の中頃までは、官僚がそれを理解して制度を

つくった。

 

 ところが、昭和50年代の後半になると、政治家は、官僚の係長

クラスが知っている政策や数字を知ることが専門的だと思い、立派

な政治家だという風潮が出てくるんです。

 そうなると、制度の方向性とか目的、理念を、政治家が考えなく

なる。

 これは資本主義の大きな流れというか、日本のバブル経済の流れ

の中で、そういう現象が起きたのかもしれない。

 これに対して、現状を何とか考えなければいけないということで、

官僚が考えざるを得なくなるわけです。

 そこで、官僚が政治家化し、政治家が役人化してくる」と。

 

 この最後の箇所の「官僚が政治家化し、政治家が役人化してくる」

という言葉が、まさに、真実を穿っていると思う。

 そして、この実態は、単に昭和50年代(1970年代)だけでなく、

今日でも続いているように感じる。

 正直、民主党政権時代でも、このような自分の領分や持ち分を、

大きく踏み外したことがあったのではなかろうか。

 

 つまり、「事業仕分け」とか、正当な「予算配分」のために

などと言って、当時の民主党政治家たちが、自らの政治力や指導力

を、果断に振るっているように振る舞った。

 結局は、官僚たちの掌の上で踊っていただけに過ぎなかったのに

・・・。

 当時の蓮舫氏の「二位じゃ、駄目なんでしょうか?!」という

言葉が、その象徴的なものだったように思うのだ。

 

   Photo_20200818160101

 

 この「官僚の政治家化」という点で、平野氏は、次のように

続ける。

「衆院事務局時代の私は、最も政治家化した役人の一人でしたね。

仕事は毎日、自民党や共産党、各省庁も含めて、国会の運営の制度

あるいは前例の問い合わせでした。

 だから、毎日のように、国家公務員法違反をしていた。

そうしなければ、国会が動かない。

 官僚側にももちろん、族議員をつくったりする者もいて、民主党が

敵としている官僚政治の打破は大事なことではあるが、現状、実現は

大変なことだ」と。

 

 確かに、「政治家が、真に政治家らしく、また官僚が、真に官僚らし

く、その分限を弁える」ということは、決して容易なことではないかも

しれない。

 しかし、このような当たり前のことを述べなければならないという

のは、日本人は、あの聖徳太子の時代から、それほど進歩していない

のではないかと感じるのは、私だけだろうか?

 

    Photo_20200818162301

                             【つづく】

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月19日 (水)

私の平野貞夫論(85)

 平野氏と藤原肇氏の対談より〔4〕

 

「文明」を知ることの大切さ

 

 当時の民主党政権は、”脱官僚支配”を打ち出した。

そこでは、概して、官僚を「悪」と捉え、それを、自分たち

政治家の指導力で正さなければならない、という自負があった

ように思う。

 これに対して、官僚側は、民主党政権を、徹底的に警戒した。

そして、陰に陽に、彼らに抵抗したように感じる。

彼らの中には、”早く、自民党が復権してくれまいか”と考えた

官僚も、決して少なくなかったように思うのだ。

 

 因みに、当時の民主党政治家の平均年齢は、自民党に比べて

十歳近く若かった。

 そして、その多くが弁護士や労組関係者、それに、各省の

官僚出身者だった。

 だが、彼らには、出身に伴う専門性こそあれ、現実政治に関

する分析能力や想像力などは、極めて希薄だったような気が

する。

 その点では、当時、野党だった自公の政治家たちと大差は

無かったように感じる。

 何より、当時の民主党の偉業を、「無血の平成維新」などと

表現した鳩山氏のアナクロニズム(時代錯誤)と、歴史に対する

無知は、致命的だったように思える。

 

           Photo_20200817211301

 

 しかし、これは、一人鳩山氏だけの責任ではない。

私を含め、団塊世代などの、いわゆる戦無派世代は、余りにも、

歴史を知らなさ過ぎるのではないかと思うのだ。

 

 ところで、「日本人(とりわけ、政治家や学者)には、歴史認識

が無い」ということに関して、平野氏は、この傾向は、1980年代

から顕著になったと述べる。

 つまり、その頃から、明治生まれの政治家たちが、政治の一線から

退いたからだ。

 

 これに対して、「いや、明治からではないですか」と言う藤原氏の

見解が興味深い。

 多分、明治の「文明開化」(下の絵)に懐疑的だった藤原氏にとって、

明治維新は、決して光の部分だけでなく、むしろ、高度な江戸時代の

庶民文化を、木っ端微塵に粉砕したという過ちを犯したように思えるので

はあるまいか。

 つまり、日本の江戸時代は、当時の世界に劣らぬ高度な文明を築いて

いたと考えられ得る。

 

    Photo_20200817211601

 

 両者は、この問題について、次のように語り合っている。

 平野氏が、正直に語る。

私のように政治の中にいる人間の立場で言うと、明治生まれ政治家

には限界はあったが、それらしきもの(=しっかりとした歴史認識)

はありました」と。

 これに対して、藤原氏が、相づちを打つ。

「そうですね、『四書五経』を、きちんと読んでましたから」と。

(『四書五経』の『四書』とは、『論語』、『大学』、『中庸』、

『孟氏』のことをいい、『五経』とは、『易経』、『書経』、

『詩経』、『礼記』、『春秋』をいう。)

 

 そこで、平野氏が言う。

文明が分かっていた」と。

 これに対して、藤原氏が、こう答える。

「そう、日本人が西欧文明と繋がる必要があった時に、明治の人は、

大陸文明(=中国文明)を知っていたから、文明社会に乗り出すこと

ができたのです」と。

 これに対して、平野氏が応じます。

その通りです」と。

 

 西欧文明を理解する学問的な基礎として、江戸時代の庶民の「読み・

書き・そろばん」能力と、知識人や志士たちの、中国文明に対する

造詣の深さが考えられる。

 当時の西洋の様々な概念を、例えば、漢字の「哲学」、「自由」、

「平等」、「功利」、「権利」などと翻訳するためには、相当な

漢字力、言うなれば中国文明に対するかなりの知識や理解力が

なければならない。

 それらが、西周(1829~97:下の写真の上)や福沢諭吉

(1835~1901:下の写真の下)だけでなく、数多くの武士階級

の中にも見られた。

 

     Photo_20200817211901

 

     Photo_20200817212001

 

 それらが、明治維新後の社会発展の原動力となった。

つまり、そこに生きる人々の「文明」を知る認識力や理解力が、時代を

見る洞察力となり、当時の日本社会を動かして行ったのだと思う。

 そこに、歴史の底流に流れる「文明」を知ることの大切さがある

と思うのだ。                             【つづく】

 

 

 

2020年8月18日 (火)

私の平野貞夫論(84)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【3】

 

  日本人に欠落した「歴史認識」

 

 鳩山由紀夫氏が民主党の代表になった時、正直、私は、

失望を禁じ得なかった。

”彼は、将の器ではない”と思ったからだ。

 極めて正直なところ、”小沢氏が代表でない民主党は、

民主党ではない!”とさえ感じた。

 

 私は今まで、真に民主的で理想的な「政治指導者像」を、

学問的に追い求めてきた。

 例えば、ジョン・F・ケネディ(下の写真)、ミハイル・S・

ゴルバチョフ、それに、マハトマ・ガンディーといった具合に。ー

 

   Photo_20200816215401

 

 少し話が逸れるが、宝石を鑑定する方々は、まず本物を、徹底的

に観ると、言われている。

 その修練を、かなりの期間積むと、偽物が容易に見出せるように

なるという。

 

 だが、「人物」も、これと全く同様で、たとえ少なくても、”本物”

と言えるような方々に出逢えることは、まことに幸いなことだ。

 正直、今まで、ケネディやゴルバチョフ、それに、マハトマ・

ガンディーについて、自分なりにアプローチしてきた立場からすると、

そのような人物を、日本の政界に見出すことは、甚だ困難だ。

 

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                                (筆者の、人生最初の著書)

 

 とりわけ、今日のアベ氏やアソー氏を観ていると、私には、質(たち)

の悪い冗談にしか思えない。

 それを喩えるなら、一人の宝石鑑定士の前に、二束三文のガラクタを

並べられて、「この、お値打ちは、如何ほど?」と問われている感じで

ある。

 それこそ、高校時代の冗談言葉ではないが、「五言絶句」の状態だ。

 

 正直、人の値打ちは、見かけや肩書きだけでは分からない。

むしろ、人の本当の値打ちは、目で見たり、経歴を問うて分かるもの

ではなく、心、とりわけ魂で感じるものではなかろうか。

 ガンディーを訪ねて、遠路、英国からインドへ渡った一人の女性が、

初めて彼を見た時、彼女には、強烈な光だけが見えたという。

 私は、この何気ないエピソードの中に、ガンディーの人格

(あるいは、霊性)の高さと同時に、この英国女性自身の高潔さも

感じる。

 人々の目には、ガンディーの姿は、貧弱な小男にしか見えない。

 しかし、この事例は、人間の本質は、肉体などではないという証左

のように思える。

 

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               (筆者の「政治博士論文」

                                        〔母校の学習院大学に提出〕

                                             を、著書にしたもの)

 

 だいぶ、話が飛躍したけれど、藤原肇氏が、鳩山首相の所信表明

演説について、次のように語った。

「ところが、鳩山首相は所信表明演説で、『無血の平成維新』などと

とぼけたことを言っていた。

 ”維新”というのは、ファシストの言葉です。権力内で、イニシアチブ

を、どっちが奪ったかという時に使われる。英・仏語に訳すとクーデター。

 鳩山首相は、所信表明で、『無血クーデター』と発言したことになり、

これでは、ナポレオン三世と同じですよ。

 だから困ったな・・・と。この人たちは、意味論が全く分かってない。

 要するに、理念がしっかりしていないから、所信演説で、前半に、折角

いいことを言ったのに、最後の所で、「画竜点睛を欠いた」のであり、

まとめとしていい加減なことを言ってしまった。

 しかも、メディアも学者も誰も、それを指摘して批判できなかったのが

情けない」と。

 

 この藤原氏の率直な感想に対して、平野氏も、彼なりの思いを述べつ

つ、こう、まとめて語る。

 「私が一番気にしたのは、革命という言葉を使う限り、私個人の意見と

しては、国家を指導する人間の意識の変化、向上が果たしてできる

どうか、これをやらなければ、本当の革命にならないということです」

と。

 

 この平野氏の言葉に対して、藤原氏も、全く異存はないようだ。

同氏は、より具体的な視点から、次のように述べる。

 そして、当時、一世を風靡した「マニフェスト」などについても、軽く

言及する。実際、彼の言葉は、こうだ。

 「今、民主党のマニフェストがどうとか、予算をこうやるとか言っている

が、それは処方箋や処置である。

 まず第一に、現在の日本が病気だと診断して、これまでの政治が、

つまり自公体制が、いかに暴政だったかを明確に指摘しなければ

いけない。

 しかも、それを民主党の国家議員が理解して疾患に取り組むためには、

一番大事な作業が、正確な診断をすることです。

 

 今まではどうだったか、今までの日本が前近代だったことをはっきり

させない限り、これからの日本の社会が近代社会として世界に通用する

国としての方針も理念もでてこない。

 その理由は、今までの自公体制は、宗教と政治が一体化し政教非分離

あって、日本は世界から立ち遅れていた。

 要するに、文明の歴史は、近代が政教分離で始まったことを教えてお

り、日本は近代にしなければならない、という人が、民主党の指導者と

して出て欲しかった」と。

 

 この藤原氏の鋭い指摘と訴えを、平野氏は、彼なりに解釈しつつ、こう

語った。

 「今のお話を私流に解釈すると、政治家だけじゃなく学者も含めて

日本人には歴史認識が基本的に無いのです。

 だから、現代という時代が、どういう歴史的段階にあるのか、その中で

人間を、人間がどういうふうに捉えていくのか。

 これが無いと私は、政治の議論は始まらないと思う。

これが全く欠けているのです」と。

 この平野氏の言葉に対して、藤原氏は、「その通りですね」と語った。

                                      【つづく】

 

 

2020年8月17日 (月)

私の平野貞夫論(83)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【2】

 

 実は、”無血革命”だった、2009年の政権交代

 

 正直、日本の政治は、”コップの中の嵐”といった感じだ。

この度の立憲民主党と国民民主党間での合同、および分党騒動

でも、党利党略、個利個略といった感じで、大局的な政治観が、

全く感じられない。

 正直なところ、枝野氏も玉木氏も共に、一生懸命にやっている

のだろうが、結局、「井の中の蛙」といった感が否めない。

 

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 ごく個人的には、むしろ今、中共との対応に苦しむ香港市民の

現在と将来のことの方が、はるかに気懸かりだ。

 先日、官憲に捕えられて、身柄を拘束された周庭さん(23歳:

英名 Agnes  Chow:下の写真)の、あの不安そうな横顔が、

この一老人の胸を突き刺した。

 

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 だが、それだけに、彼女が無事、釈放された時は、本当に

嬉しかった。

 しかし、これは、決して、私一人の思いではないと思うのだ。

 

 このコロナ禍の中、日本の若者の中には、突然の失業その他で、

路頭に迷っている方々もいよう。

 だが、”政治的圧力”に伴う不安という点では、香港や台湾の

若者たちの方が、わが国の若者たちに比べて、はるかに切実だ。

 それだけに、彼らの、自らを取り巻く政治環境や国内外情勢を

見る目も鋭く、かつ深い。

 周庭さんなども、英語や日本語を流暢に操り、自らの主義・主張

を堂々と話せるところなど、今日までのたいへんな努力を感じる。

今後も、彼女の活躍が楽しみだ。

 

 ところで、このアジアの人々と日本人との間での政治認識のズレや、

その”認識力”の差は、2009年の民主党による政権掌握の時も、全く

同じだったようだ。

 その点で、政権交代時での、藤原氏の体験談が、実に興味深い。

実は、同氏が、選挙(民主党の圧勝)の結果を見たのは、ヨーロッパ

に行く途中のシンガポールの空港でだった。

 直ぐに、彼が、キオスクで新聞を手にすると、中国語の新聞は、

”「回天」”と書いていた。

 また、英字新聞には、revolution、つまり革命だと書かれていた

のだ。

 

 言うなれば、当時の日本国民より、むしろ一部とはいえ、アジア

の人々の方が、はるかに、歴史的に意義深いものと考え、かつ強い

期待を抱いていた。

 ところが、日本の新聞の見出しは、その殆どが、「政権交代」だった。

私を含め、今でさえ、多くの国民が、全く同様だ。

 

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 革命は、revolutionで、交代は、rotation ー。

  藤原氏は、政権を奪取した民主党が、選挙に勝って、

”政権交代レベル”でしか、政治を捉えていないことを、

まことにお粗末だと思った、と言う。

 

 同氏によれば、revolutionは、天文学用語の「公転」が

語源だ。これに対して、rotationは、「自転」である。

 公転の”公”は、いわゆるパブリックである。

このパブリックの問題が日本でダメだったのは、党利党略・

個利個略の自公政権だったからだ。

 つまり、彼らは、公人としての政治家というより、むしろ、

一部の人々の利害を代弁し、かつ彼らのために利権を生み出す

だけの、単なる政治ブローカーにすぎない。

 

 要するに、彼らは、パブリック(つまり、国民)のためにでは

なく、”プライベートなことばかり”、やっているのだ。

 今日のアベ政治は、その絶頂と言えよう。

 これと同様に、民主党の政治家たちも、”公(つまり、国民)”

のレベルの考えに基づくのではなく、”私”、つまり”自”のレベル

で考えて、自分の利益のためだけに政治を考えるなら、実に困った

ものだ、と藤原氏は考えた。

 この藤原氏の考察に対して、平野氏が、次のように答えた。

 

 「選挙での自民党の壊滅的敗北、そして民主党の歴史的圧勝。

308(獲得議席)は、奇跡的数字と言える。

 私が最初に感じたのは”無血革命が実行された”という

言葉だった。

 だが、その革命を成功させる、定着させることは、具体的な

ことを言えば政権のつくり方、そして新しい政権の政治をどう

世界に示すかということであり、無血革命を成功させるのは大変

なことだと思った。

 一般のマスコミ、それから負けた自民党、なんとか勝った民主党

の側も、余りにも自民党の政治が悪かったのでお灸をすえたと論評

した。学者も、そう言っていた。

 政治家の中でも、”無血革命”と言ったのは、小沢一郎だけ

だった」と。

 より厳密に言えば、2009年の政権交代を、正しく”無血革命”と

捉え得たのは、小沢一郎氏と平野貞夫氏だったのである。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月15日 (土)

私の平野貞夫論(82)

 平野氏と藤原肇氏の対談より【1】

 

 藤原氏の、日本国民への警鐘

 

 藤原肇氏(1938~)は、世界的な視点を持つ、著名な

国際ジャーナリストだ。

 世界における石油などの資源問題に通じ、その思想的該博さは、

比類なきものがある。

 生前、「知の巨人」と言われた加藤周一氏(1919~2008 )を、

彷彿とさせる。

  ”ガイアドクター(地球を診察する医者)”の観点で、まるで宇宙

から地球を俯瞰するような、広大無辺な展望と考察を得意とする。

 

 また、アメリカから日本を観察し、日本政治の問題点に関する、

その考察の鋭さは、他者の追随を許さない。

 とりわけ、同氏は、「日本政治の病理」の観点から、独特の政治論

を展開する。

 

 その所産と言えるものが、『さらば、暴政 自民党政権ー負の系譜

(下の写真の上)であり、かつ『小泉純一郎と日本の病理 改革者か

独裁者か』(下の写真の下)である。

 

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     Photo_20200812201301

 

 私も、拙著『J・F・ケネディ vs  二つの操り人形 小泉

純一郎と中曽根康弘』(下の写真)の執筆の際は、後者より、

大変な刺激を受け、大いに参考にさせて頂いた。

 

     Photo_20200812201701

 

 この拙著でも書いたが、この藤原氏の『小泉本』の題名は、

藤原氏自身が付けたものではない。

 同氏によれば、最初は、『小泉ゾンビ政治の解体新書』という

ものだった。

 だが彼は、編集者から「解体新書」は抽象的で難しすぎるし、

読者にアピールしないと言われた。

 それで彼は、『狂乱政治と日本の病理』と改めた。

しかし、営業の影響らしいと藤原氏は言うが、最後の段階で、

『小泉純一郎と日本の病理』と変更する旨、出版社から連絡が

あった。

 だが、同氏は、『こんな精神異常者の名前を、自分の本に

使うのは嫌だ』と言って、かなり揉めたという。

 最初に、『小泉ゾンビ政治』という語句もあったので、藤原氏の言に、

多少の矛盾を感じるが、本書の公刊の経緯について、ここで、具体的

に述べた理由は、私が同氏の真の祖国愛と彼の慧眼に、心から感動した

からである。

 自然科学者らしい、その論証の精緻さや、博識と豊富な体験に基づく

具体的な説得力など、諸説の群を抜いている。

 まさに、「目から鱗が落ちる」という思いである。

 

 私は、なぜ藤原氏が、「小泉純一郎」の名前を、本の題名に冠する

ことを嫌ったかについて考えた。

 読者も感じられると思うが、具体的な名前を出した方が焦点が定まり、

読者心理へのインパクトが大きいと思える。

 だが、同氏は、そんな作為は労さず、敢えてそれをしなかった。

一つ考えられることは、彼がそれほど強く、”小泉を嫌悪している”という

ことである。

 

 それに加えて、藤原氏が問題にしているのは、”贋の改革者=独裁

者”である小泉の振りかざすタクトに、思いのままに操られている国民や

マスコミに、”君たち、これでいいいのか!”と、問い掛けているので

ある。

 つまり、彼が危惧を抱いているのは、小泉個人の問題ばかりではない。

むしろ、それ以上に国民の在り方、考え方、そして生き方なので

ある。

 それゆえ、彼は、『狂乱政治と日本の病理』という、より客観的な題名を

考えたのだと思うのだ。

 

 この藤原氏と平野貞夫氏の対談は、まさに当代一級の対談と言える。

 この両者の対談は、まず2009年の自民党から民主党への政権交代の

から始まる。                                【つづく】

 

 

 

 

 

    

 

 

2020年8月14日 (金)

私の平野貞夫論(81)

 『わが輩は保守本流である』を

            読んで〔14〕

 

 『野党協力問題』について

 

 「保守本流からの警鐘」の第3点目は、『野党協力問題』に

ついてである。

 あの”悪夢”から、すでに3年が経とうとしている。

あの悪夢とは、小池百合子氏と前原誠司氏との実質的共謀で、

当時の野党第一党だった民進党が四分五裂し、自民党に惨敗を

喫した出来事である。

 

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 この年、野党側は、臨時国会を要求した。

だが、安倍内閣は、森友・加計問題で追い込まれており、三ヶ月間

逃げ回った挙句、開会冒頭での抜き内解散という暴挙に打って出た。

 この解散前後に、国政に野心満々だった小池都知事が登場し、

民進党からの資金提供をあてにして、希望の党を立ち上げた。

 しかし、敏腕記者の横田一(はじめ)氏の(誘導?)質問に対して、

「(意見の異なる議員を)排除します」と答えてしまい、野党は、選挙

を戦う前に、すでに敗北していた。

 

 あれから、ほぼ三年。ー 築地から豊洲市場への移転など、主要な問題

存在したが、あの一件以来、小池氏は、何となく社会から見捨てられた

があった。

 しかし、この度のコロナ問題を機に、彼女は、息を吹き返した感がある。

久々に、マスメディアに囲まれ、急に元気になったと感じるのは、私の

錯覚だろうか?

 

 この間の経緯について、平野氏は、とても分かり易く解説している。

同氏は、語る。

 安倍自公政権による憲法違反の審議なき120秒の衆院本会議で解散が

強行され、平成29年10月22日総選挙が行われました。

 国民が期待した民進・共産・自由・社民の四野党による政権交代は、

空想として消え去り、絶望の淵に投げ出されました。

 総選挙の結果は、憲法改正を可能とする衆院での3分の2の議席を、

安倍政治勢力は継続させました。

 そして、小池百合子東京都知事が灯したアラジンの魔法のランプは、

希望から失望へと激変。

 魔法のランプで大火傷した「前原民進党」は、希望の党・立憲民主党・

無所属の会そして本家民進党と四分裂します。

 

 安倍首相による「違憲解散」は、単に「森友・加計隠し」だけでは

ありません。

  11月5日のトランプ大統領が来日する時期に、安倍晋三という政治家が

日本国の内閣総理大臣であることを絶対条件とすることでした。

 日本の議会民主主義を崩壊させても、野党に絶対に政権交代させては

ならないという「日米の暗黙の合意」があったのです。

 「魔法のランプを見抜けなかった前原氏」の幼児性といい、「突然の

バーチャル性ポリティカル・スター枝野氏(下の写真)」の変化性といい、

すべて「安倍自公政権継続」のドラマに結果として一役を果たしたの

です。

 これが日本の政治の現実です、と。

 

   Photo_20200811151301

   

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 あれから、すでに3年も経つと言うのに、立憲民主党と

国民民主党の間では、まだ、納得のゆく合意は得られていない。

 それが、党名の問題であれ、「消費税の減税」を巡る問題で

あれ、両党は、まだ”水と油”のような状態だ。

 だが正直、私は、それ以前に、菅氏や野田氏の議員辞職と、

旧”民主党全体”での国民への謝罪が先ではないかと思うのだ。

 

 この「野党再編」問題に対して、平野氏は、一つの変わらない

考えを持っている。それは、次のようなものだ。彼は、言う。

 最優先すべきことは、安倍政権に代わり国民から信頼される

政治結集、すなわち政党の結成や野党による選挙協力体制です。

 この野党協力は『議会民主政治の確立による、生命と

暮らしを護る』これを基本理念とすれば十分です。

 政治や政策は、分析的議論をすれば、多数の意見が生じます。

差異を差異として認め合い、何を優先すべきかという普遍的視点

に立って、共存・融合させていくことで、大きな力となる生き物です。

 

 激動する内外の情況のなかで旧民主党にあった頭デッカチで自己満足

の偏差値競争、私の目には小児性生活習慣病情況と見えますが、これ

から卒業して、野党協力の核になることを国民は待ち望んでいます、と。    

 

 確かに、自らの主義・主張の正当性を訴える前に、今、国民に必要な

ものは何か、また国民は、一体何を望んでいるのか、さらに、今後、

日本はどうあるべきかについての基本的な問い掛けと、それを少しずつ

でも解決しようという行動力が求められていると思う。

 この”知るべきこと”を、私は、全く知らないのだ、という真の謙虚さと、

一人は、すべてのために、すべては、一人のために」という

視点が、何より大切だと思うのだ。                     【了】

 

 

 

 

 

 

2020年8月13日 (木)

私の平野貞夫論(80)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで〔13〕

 

  小沢氏の変わらぬ国家・国民愛

 

「保守したければ、改革せよ!」と、平野氏は言う。

半世紀以上、この言葉に従って、「政治改革」に邁進する政治家

がいる。小沢一郎氏(78)である。

 1989年8月、小沢氏は、47歳で、自民党幹事長に就任した。

これは、当時、破格の出世で、多くの自民党議員の羨望嫉視の的

なった。

 

 この話題から始まる平野、小沢両氏の対話が、非常に興味深い。

 小沢氏が言う。

「私が幹事長になったのは、ポストを求めたのではない。

竹下さんは反対したが、金丸さん(下の写真)から強く言われた

からだ。

 国際情勢も変化し、自社55年体制で政治をやれなくなった。

大変化の時代だから、よろしく頼む」と。

 

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 これに対して、平野氏が、答える。

「これまで吉田首相やお父さん(小沢佐重喜氏)の関係で、

個人的に意見を言ってきたが、これからは与党の幹事長だ。

 衆院事務局職員としての限界がある」と。

 これを聞いた小沢氏(下の写真)の言葉だ。

「自民党には、僕の考えをわかる人は少ない。

なんとしても自民党を改革したい。

 言いたいことがあれば、言ってくれ。」

 

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 そこで、平野氏が、こう語る。

「政治改革が大事だといって『政治改革大綱』をつくっても

放りっぱなし、解党的改革をしないと、国民から見捨てられ

ます」と。

 この、歯に衣着せぬ平野氏の言葉は、さぞかし、小沢氏の

胸を射貫いたことだろう。

 それに対する、小沢氏の答えは、こうだ。

「このままなら、2年に一度、派閥のボスは捕まるだろう。

 僕は総理になるためのカネ集めをする能力はない。

総理になるつもりもない。

 自民党の解党的出直しをしたいのだ。

もしそれができないなら、自民党(下の写真)を潰す。

 国家国民のために必要なのだ。

ぜひこれからも相談にのってくれ」と。

 

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 このエピソードの中に、小沢氏が、どれ程、平野氏を

信頼し、かつ頼りにしていたかが分かる。

 また、小沢氏の視点は一貫して、単に自民党だけの

ためにあったのではなく、むしろ、国家・国民の為だった。

 この彼の熱情は、今も、全く変わらない。

 

 今日の日本の悲劇は、このような素晴らしい政治家を

誤解し、時には曲解して、小沢氏に活躍の機会を与えな

かったことだ。

 それも、単に自民党議員だけでなく、民主党議員も、

全く同じだった。いや、むしろ、より悪質だった。

 そのことが、日本にとって、どれほどマイナスに作用して

いるのか、心ある日本人以外、多くの国民は知らない。

 その点、小沢氏の政治的熱意や国家・国民愛を最も深く

知悉しているのが、まさに、平野貞夫氏なのである。

                               【つづく】

 

 

    

 

 

  

 

 

2020年8月12日 (水)

私の平野貞夫論(79)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで〔12〕

 

  現代日本の悲劇「陸山会謀略事件」ー。

 

 このような題名を付けると、読者は、思われるかもしれない、

”大袈裟だ”と。

 しかし、本来なら、右へ流れるべき川の流れが、もし、人為的な

力によって、無理に塞き止められ、左へ流されたとしたら、川下に

住む人々の生活は一変する。

 普段なら得られる水が得られず、享受されるべき生活ができなく

なる。

 

 ものの喩えが、余りにも稚拙かもしれないが、私は、「陸山会

謀略事件」は、われわれが想像する以上に、歴史的な事件であり、

悲劇でさえあったと思う。

 もし、この事件が無かったとしたら、状況は、一体、どうなって

いただろうか?

 先ず、小沢一郎氏は、民主党代表のままであっただろうし、衆院選

に大勝後、政権を担当し、総理大臣になっていたはずだ。

 

 そうすれば、たとえ、3.11に遭遇し、福島原発爆破の大惨事に

見舞われようと、彼の指導の下に、全国民的な対応ができていたの

ではないかと思うのだ。しかし、事実は、そうはならなかった。

 私は、すべては、早くから仕組まれていたと感じる。

 事実、小沢氏は、自民党からだけでなく、民主党内部からも熾烈な

攻撃を受けたのである。

 

 それに、マスメディアまでが加担し、まさに挟撃どころか、

小沢氏は、絶体絶命の包囲網の中に身を置いていたと言える。

 同氏ほど、不当・不条理な攻撃や排斥を受けた政治家は、日本の

憲政史上、他にいなかったのではあるまいか。

 

 事実、平野氏は、次のように記す。

 小沢さんの「陸山会謀略事件」は、政権交代を阻止せんと麻生自公

政権が”国策捜査”として始めたことです。

 麻生政権は検察の総力を挙げ、小沢さんを攻めましたが、逆に噂の

不正行為はなかったことを証明する結果となりました。

 本当の悪は、菅民主党政権幹部の弁護士政治家たちです、と。

 

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           (その頭目的存在、仙谷由人・・敬称略)

 

 そして、彼らは、小沢氏が「不起訴」となったことを不満とし、

小沢氏の政治活動を妨害するため「検察審査会」に、市民団体が

不起訴処分への不服申し立てを行っていました、と続ける。

 

 平野氏の解説によれば、同事件の背景は、大体、次のような

ものだ。

 鳩山政権は、予算の適正な使用の「仕分け」で、国民の支持を

得ようとした。

 

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 同政権の良い評判が続いていた平成22年4月頃、衆議院法務

委員会で問題になったのが、法務省所管の公益法人のK理事への

金銭疑惑問題だった。

 

 K理事長は、元最高裁判事で、法務省官房長・民事局長を歴任

した人物で、刑事事件の可能性があった。

 もし事件化すれば、最高裁も法務省(下の写真)も著しく権威と

信頼を失うことになる大問題だった。

 最高裁と法務省は、民主党政権幹部の弁護士政治家たちに、

「揉み消し」を要請した。

 

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 そこで、法務委員会での追及を止め、直ちに公益法人を解散し、

新聞報道した読売社会部記者を地方局に左遷させた。

 このことは、民主党政権が、最高裁と法務省に重大な「貸し」

を与えたことになった。

 この時、両者の間で暗躍したのが、黒川弘務である。

 そして、菅と仙谷の悪徳コンビ(下の写真)が、

この黒川を大いに利用して、小沢氏追い落としを画策し、

かつ実行したのである。

 

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                                【つづく】

2020年8月11日 (火)

私の平野貞夫論(78)

 『わが輩は保守本流である』を

            読んで〔11〕

 

  第一期、および第二期「劣化」とは?

 

 平野氏は、「過去」から学ぶことの重要性を訴える。

そのために、人は、「歴史」を学ばなければならない。

 平野氏の博識の背景には、同氏が、様々な「歴史」について、

徹底的に学んだ事実があると思うのだ。

 

 真実の「過去」を知らない人に、未来への展望は開けない。

ましてや、現在の諸問題への対応も、甚だおぼつかないものとなる。

 私を含め、現代人の知的弱点の第一は、余りにも、過去の”真実”

や歴史を知らないことなのではあるまいか。

 

 「私が、国家だ」と豪語した安倍首相が、野党の議員に、

「まるで、(フランスの)ルイ14世(下の人物画)のようだ」と

批判された時、彼は、何を取り違えたか、「私は、ルイ16世(下の、

下方の人物画)ではない!」と語ったと聞く。

 「朕は、国家なり」と語ったルイ14世と、断頭台の露と消えた

ルイ16世を混同するとは、余りにも歴史を知らなさすぎると言える。

 だが、もしかして、安倍氏が、フランス革命に散ったルイ16世の

ことを熟知していて、ギロチンなどに掛かりたくないという意味で、

そう語ったのならば、彼は案外、歴史通なのかもしれない。

 しかし、残念なことに、”真実”は、それほどのことではなさそうだ。

 

   14_20200808142001

                          (ルイ14世)

 

    16_20200808142101  

          (ルイ16世と、マリー・アントワネット王妃)

 

 ところで、平野氏の語る「第一期劣化」の時期に関して言えば、

明治生まれの政治家には、与野党の対立を超える共通の思想が

あったという。

 同氏によれば、それは、「人間平等論による公正な分配要求

だった。

 

 例えば、中小企業や農家の支援を受けた自民党衆院議員が、質疑の

冒頭に、「天は貧きを憂わず、等しからざるを憂う」と始めると、

野党席から拍手が起こったと言う。

 まことに、今日では考えられない、政治家のレベルの高い時代だ。

 中でも、貧しさの苦労や社会へ感謝する気持ちを持っていたのが

明治生まれの政治家で、その代表に、前尾繁三郎氏や保利茂氏

(1901~79:下の写真)などがいた。

 

    Photo_20200808143601

 

 そういった明治生まれの政治家たちが、こう語っていたと

言う。

「これからは、大正生まれの中曽根・宮沢・竹下たちの時代

となる。本流の発想がなく心配だ。

 君(平野氏)たちがしっかり支えないと、日本の国会は、

どうなるかわからなくなる」と。

 事実、彼らが去った後の国会は、彼らの予言通りとなった。

 

 ここで、平野氏は、ひじょうに意義深いことを語っている。

 それは、次の言葉だ。

「政治家は、『自分の知らないことを自覚すれば、早く成長する』

といわれています。

 一人の人間が世の中の全部を知ることは不可能です。

知らないことを知ること』が、政治にとっても大切です。

教えてもらえば、知ることができますから」と。

 

 まさに、ソクラテス(下の写真)の「無知の知」を彷彿と

させる言葉だ。

 単に、政治家だけでなく、人間全体について言える名言では

なかろうか。

 

     Photo_20200808144901

 

 ”自分の知らないことは、元々、存在しないのだ”と

考えるような無知・狭隘な政治家が圧倒的な今日、

彼らに、”自分のこと”として、肝に銘じてほしいと願う

のは、決して、私だけではないと思う。

 

 次に、「第二期劣化」と言われるのは、先述した、「異常

バブル経済時代に発覚した金権政治」のことである。

 この異常バブル経済のきっかけとなったのは、周知のように、

プラザ合意(1985年9月)である。

 この時期、最も責任の重い政治家は、中曽根康弘氏(首相)と

竹下登氏(大蔵大臣)だった。

 この両者が、当時、世間を騒がした「リクルート事件」に、

深く関与するのである。

 そして、金権腐敗政治そのものに、最も責めを負うべき政治家

も、この両者だった。

 

 だが、この二人は共に、自らの腹心である藤波孝生議員や青木

伊平氏(竹下氏の金庫番)を犠牲にして、自らは、官憲の手から

逃げ切った。

 まさに、今日の安倍政権の先例のような事象が、すでに30年

以上も前に存在した。

 小沢一郎氏や平野貞夫氏による「政治改革」は、このような

政治腐敗を少しでも解決すべく、試みられたのである。 【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

 

 

2020年8月10日 (月)

私の平野貞夫論(77)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで〔11〕

 

  政治、および国会の劣化について

 

 平野氏は、本書の中で、「保守本流からの警鐘」というサブ

タイトルで、これを、三つの視点から論じています。

 第一は、政治・国会劣化の原因について。ー

また第二は、憲法9条の問題についてです。

 さらに、第三は、野党協力問題についてです。

 それぞれが、たいへん重要、かつ深刻な問題です。

 

 本ブログでは、すでに、憲法9条の問題については、主に、

憲法9条の霊性”に関する平野氏の考察について言及しています

ので、ここでは、第一と第三の論点について述べたいと思います。

 

 言うまでもなく、政治・国会の劣化の前に、今日、政治家の劣化

が止まりません。

 それは、現総理と現財務大臣を一瞥するだけで、容易に納得が

いきます。

 あの、カッコだけで、まるで人間もどきのご両人(下の写真)に、

われわれは、一体、いつまで付き合わされるのでしょうか?

 

 「地獄でもいい、二人が居ない所なら・・・」という思いになるの

は、私だけでしょうか?

 フランスの作家カミュを持ち出すまでもなく、「人生とは、まことに

不条理なもの」です。

 しかし、誠に残念なことに、今日、この政治劣化の根は深く、われわれ

の想像以上に深刻です。

 

    Photo_20200807163001

 

  平野氏は、とりわけ、「日本の議会政治の段階的劣化」について、

それを、三期に分けています。

 第一期は、”世代交代”を原因とするもので、昭和30年代に入り、

政治のイニシアチブが、明治生まれの政治家から、大正・昭和初期

生まれの政治家に移行した時期でした。

 

 また、第二期は、昭和60年代から平成初期にかけて問題となった

「リクルート事件」(下の写真)など、異常バブル経済時代に発覚

した「金権腐敗政治」と言われた時代です。

 

      Photo_20200807201101

 

 さらに、第三期は、実は、菅直人政権が、最高裁や法務省

などを利用して、小沢一郎氏を、「罪人」にしよう画策した

時期です。

 まさに、そこでは、権力による犯罪行為が、闇の中で行われ

ました。

 事実、平野氏はこれを、「第三期の議会政治の究極の劣化

表現しています。

 

 しかし、この時、菅直人首相(当時)が、黒川弘務氏(当時、

法務省官房長:下の写真)を使って、小沢氏、追い落としを図った

犯罪行為は、未だ、公にされていません。

 

   Photo_20200807202101

 

 このような菅氏や、その後の野田佳彦氏が、まだのうのうと、

”国会議員でござい”と言っている限り、日本の野党の未来は、無いと

思います。

 同時に、黒川氏の様々な悪事が、白日の下にさらされ、それこそ、

彼が”お白州”に引っ張り出されない限り、日本の未来は、暗い

でしょう。

 

 事実、これらの悪業が、すべて、国民の知るところとなり、

菅氏や野田氏、それに黒川氏が、自らの所業を国民に謝罪して、

初めて、野党の再編が可能なものとなりましょう。 

 それが、ひいては、日本の政治に光明をもたらすものだと

感じます。

 とりわけ、真の”精算”なきところに、野党の復活や、野党の

新生など、あり得ません。

 

 旧「民主党」の、かつての首脳陣は、日本国民に対して、

どれほど酷いことをしたのか、全く自覚が無いようです。

 しかし、この”自覚”が無い限り、彼らが、政党名を何に

変えようと、国民の理解と信頼を受けることなどできないと

思うのです。

 この「日本の議会政治の段階的劣化」についての具体的な

考察は、次の機会に譲りたいと思います。      【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月 8日 (土)

私の平野貞夫論(76)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで〔9〕

 

 真の「自由」と「平等」を求めて

 

 本書の「帯」に、こうある。

「戦争をなくし、暮らしを護る」と。

 そして、「これこそが、政治の果たすべき役割である」と。

そのために、「保守したければ、改革せよ!」と。

 これらの言葉こそ、平野氏が、われわれに伝えたい、政治の要諦

だと思う。

 

 この「非戦・平和」、それに人々の「生活の安寧と幸福」こそが、

政治を志し、かつそれに関わる人々の求めるべきものではなかろうか。

 実は、幕末期、坂本龍馬が求めたものも、これであったし、平野氏が

今日、希求し続けているものも、これと、ほぼ同じものだと思う。

 この思いこそが、政治の基本であり、かつ政治のあるべき姿でさえ

あると思うのだ。

 

 平野氏は、かつて前尾繁三郎氏から学んだ言葉として、次の言葉を、

終生、大事にしている。

 それは、「政治はあくまでも現実と権力の上に立たなければならない。

しかし、理想と正義を忘れた政治は、もはや政治とはいえない」という

ものである。

 

 果たして、今日の日本の政治家の中で、この至言を、自らのものとして

理解し、かつ咀嚼できる人が、一体、何人いるであろうか?

 皆無ではないとしても、極めて少数のような気がする。

なぜなら、今日、彼らの行っていることは、もはや「政治」ではなく、

単なる自己本位な”演技”、言うなれば”政治ゴッコ”に過ぎないからだ。

 

 本書の中で、平野氏は、政治の問題がクローズアップされた「近代」

について、次のように語る。

「近代になって、『社会構成員の自由と平等・法の下の平等』を実現

することが政治における正義だ、という啓蒙思想が出現します。

 近代国家の政治が目指す『正義』をまとめていえば、『人間の平等

が、正義の究極』となります。

 

        9

 

         Photo_20200806205101

 

 では、何故、人間の平等が究極の正義となるのか、これも大事な

問題ですが、それは、人間の自由を促進させるからである、という

仮説が出来上がったからです。

 そして、『真の自由に基づく機会の平等、能力に応じた平等を、

人間社会の原理とすべき』という近代政治理念が成立していきます。

 これが21世紀に至る近代国家の政治原理で、大事な考え方です」

と。

 

 しかし、21世紀の魔物化した資本主義を、龍馬の「四観三元論」で

観察すると、自由と平等が、人類の普遍的現実になっているかどうか、

疑問である。

 

 というのも、「自由」や「平等」を謳歌しているのは、特定の富裕者や

権力者に限られているのが現実だ。 

 これでは、古代ギリシャの民主政治の現実(つまり、一部の自由人と、

圧倒的多数の奴隷たちの存在)と、何ら差はない。

 この状況では、自由を放任すれば、平等は実現できない。

両概念は、まさに、二律背反的で、実質的に両立できないのだ。

 

           Photo_20200806205501

 

           Photo_20200806205601

 

 つまり、平等であれば、自由は得られず、反対に、闇雲に自由で

あれば、平等は達成できない、という思いになる。

 しかし、むしろ、「四観三元論」的に考えて、「真に自由であるから、

平等である」という視点もあり得る。

 

 平野氏によれば、一万年に及ぶ縄文時代が、まさにその”両立”を

実践していた。

 そこにこそ、今後の「自由」と「平等」を考えるヒントがあるよう

思う。

 そして、そこには、金銭や物質だけに囚われない、真の精神的

「自由」観や、「自・他の差別観」を超越した、真の平等意識が

あるように思える。

 しかし、そうなるためには、人々の意識革命(あるいは、変革)

が、是非とも必要だと思うのだ。               【つづく】

 

 

2020年8月 7日 (金)

私の平野貞夫論(75)

 『わが輩は保守本流である』を

               読んで〔8〕

 

 平野氏の貴重な提言

   ー「新しい生活様式」より

            「新しい文明」を!

 

 龍馬の「四観三元論」について書きながら、私は、この認識論

を実践している、もう一人の人物について、思い至った。

 それは、平野貞夫氏その人である。

思うに、同氏の「認識」は高く、広く、かつ深い。

 

 しかし、「高い」とはいえ、同氏は、世事にも詳しく、かつ人情

にも厚い。

 また、「広い」とはいえ、ただ意味のない広漠なだけの似非知識

ではなく、万事が、非常に丁寧で、常に理路整然としている。

 さらに、「深い」とはいえ、まるで、タコ壺のタコのような、単なる

専門バカではない。

 この認識の「高さ・広さ・深さ」が、時に、彼独自の「文明観」や

「文明論」にまで及ぶ。これについては、後述したい。

 

 とりわけ、彼の認識の「深さ」の内実は、同氏が、常に”Something

Great(偉大なる存在)”を意識する点にあると思う。

 実は、坂本龍馬も、そうだったのではあるまいか。

 彼の同時代人としては、「敬天愛人」を説いた西郷南州がそうであるし、

妙見星信仰を理解していた勝海舟などが挙げられる。

 龍馬は、よく部屋の床柱の前で、座禅を組んで、瞑想したと言われて

いる。

 

 そこでは、単に目に見える人間界(=娑婆世界)だけでなく、むしろ、

時空を超えた世界に、彼の魂は誘われていたのではあるまいか。

 そして、龍馬は、そのSomething Great の導きに、常に従った

のではないかと思うのだ。 

 

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            (どことなく穏やかな龍馬の面影)

 

    Photo_20200805203101

           (彼が創設した、日本最初の「商社」跡)

 

 ところで、平野氏の『わが輩は保守本流である』から、少し

話がずれて恐縮だが、先月4日、『日刊ゲンダイ』の紙面に、

平野氏の「特別寄稿」として、「新型コロナウィルスが解体する

限界の資本主義」、並びに「新しい生活様式」より「新しい文明」

と題する記事が掲載された。

 実は、私の無二の親友が、その記事を送信してくれたし、また、

ブロガーの「94288421ca」さんが、この記事について、非常に

有益な論を展開しておられる。    

 

 平野氏によれば、

「新型コロナウィルスの出現は、歴史の教訓から考えれば、資本主義

を解体すると認識すべきだ。

 安倍首相が唱える『新しい生活様式』で対応できるものではない。

『Something Great』が『人と自然の共生』を迫り、新しい文明

をつくるよう警告しているのだ。」

 

 この記事は、東京理科大学の「科学文化概論講義」(オンライン授業)

の「ジョン万次郎に学ぶ」の中で説かれたものだ。

 そこで、平野氏は、その「結び」で、「万次郎なら、新型コロナ

ウィルス禍と21世紀現代をどう考えたか?」と問題提起をし、万次郎は、

「中世を解体したペスト禍に学べ」と言うであろう、と語る。

 

 ここで、注目すべき人物が、アイザック・ニュートン(下の人物画)で

ある。

 平野氏は、記す。

「ニュートンはこのペスト禍で、万有引力・光の分析・微分積分を着想した

のだ。

 この時期のペスト禍が、ヨーロッパの中世を解体し、ニュートンの3大

発見は、近代科学技術の礎となる」と。

 

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                  (若き日のニュートン)

 

 そして、同氏によれば、「ニュートンは、人間キリストを

神とする正統派教会の不合理さを納得しない思想を持っていた

『Something Great(偉大なる存在)』としての神は、

信じていた。」

 

 そして、彼の言に従えば、確かに、その(あるいは、ニュートンの)

合理主義精神が、近代科学を発展させた。

 (しかし、ニュートンは)同時に、合理主義の”危険さ”も理解し、

晩年は、神学研究者となり、万有引力の発見を、神からの授かり物

した。

 西欧で発展した近代科学技術は、自然の脅威との闘いから自然の

征服手段となる。

 それは、人間の『Something Great』に対する感性を失わしめ

たのだ。

 

 この着想が、「新型コロナウィルスが解体する限界の資本主義」と

なり、それゆえに、資本主義の在り方を根本的に問い直す、「新しい

文明」の創造が必要となる。

 平野氏の認識の高さ、広さ、そして深さが、まさに、その「新しい

文明」の創造につながり、そこでは、古来の東洋文明、とりわけ、

日本の縄文文明の存在が、その創造のための大きなヒントになると

思えるのだ。                              【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月 6日 (木)

私の平野貞夫論(74)

 『わが輩は保守本流である』を

                読んで〔7〕

 

 歴史変化の原動力としての「妙見星信仰」

 

 私事だが、私は二年間、ホノルルで、ハワイ州立大学マツナガ平和研究

(スパーク・マツナガ元上院議員の名を冠した研究所)の客員研究員と

て過ごした。すでに、四半世紀前のことである。

 

 だが、実は、最初に足を踏み入れた外国は、今、注目の、中国だった。

それも、今から40年も前のことだ。丁度、毛沢東が鬼籍に入って、4年後

のことだった。

 当時の北京は、多くの乗用車ではなく、まだ、驚くほど多数の銀輪

(自転車)が、人々の貴重な「足」だった。

 まさに、今日とは、隔世の感がある。

 広大な天安門広場や万里の長城に立った時、私は、中国の人々の

おおらかさや懐の深さと同時に、彼らの粘り腰や健(したた)かさを

感じた。

 

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   Photo_20200804151001

 

 当時の中国の印象について、私は、こう記した。

「中国は、まさに『肉と石の文化』だと思った。

『米と木の文化』である日本とは、似て非なるものを感じた。

同じ東洋や東アジアとはいえ、日本と中国は、やはり違うと思う。

 彼らはむしろ、同じ『肉と石の文化』である欧米とこそ近しい

のではないかというのが、私の正直な感想だった。

 この思いは、今も変わらない」と。

 

  日本の文化や文明は、中国文明の一部、あるいは亜流、若しくは

亜種と考える人は、案外、多いかもしれない。

 だが、両者は、明らかに異なると思う。

事実、日本人はともかく、欧米の研究者などには、「一衣帯水」と

言われる日中の歴史や文明に異を唱え、『日本文明』の独自性を

強調する人は、決して少なくない。

 評価の分かれるサミュエル・ハンチントン(1927~2008:

『文明の衝突』の著者:下の写真)でさえ、明らかに、日本文明

の独自性、あるいは特殊性を強調している。

 

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 では、日本文明の独自性や特殊性は、一体、どこに存在する

のだろうか?

 私は、それは、1万年以上に及ぶ縄文の文化、文明にあると思う。

 

 平野氏は、この縄文文明に、人一倍、強い関心を抱いている。

同氏によれば、縄文人を含め人類は古代、太陽と月と星を、

”三位一体”として信仰していた。

 それぞれに差は無く、総じて”一体”だったと言えよう。

 

 「太陽」は、繁栄を祈るシンボルで、「月」は、変化と無情という

人間の心情のシンボルだと言う。

 その点、「星」は、平等と安らぎのシンボルだと言える。

 平野氏の考察によれば、古代の人々は、この「太陽」と「月」と

「星」をバランスよく宇宙観とする信仰で、自然と、うまく"共生”

していたのである。

 

 日本は弥生時代に移る頃、「太陽信仰」による政治支配が強まる

が、人類の長い「星信仰」の伝統は、現在の皇室行事にも生かされて

いると、平野氏は解説する。

 彼によれば、わが国で時代を区分する歴史変化の原動力となったの

が、実は、「妙見星信仰」だった。

 

 例えば、鎌倉幕府による武家政治の確立には、平将門の血を受け継ぐ

妙見星信仰の集団の力が欠かせなかった。

 つまり、それは、貴族政治の”不平等を改革するために”と、

平野氏は力説する。

それに、戦国時代の幕を閉めた徳川家康の思想は、天台宗の天海僧正

(1536?~1643:下の人物画)と側室・お万の方の法華経の影響があった

ことは、既述した通りだ。

 因みに、「天台」とは、北極星の別称だ。

 とりわけ、法華経は、「人間の生命」を最上とする戦争放棄の思想

あると、平野氏は強調する。

 

    1

 

 同氏の考えでは、江戸文化とは、太陽も月も、「星」の

一つだという宇宙観で構成されていた。

 明らかに、崩壊しかけた幕藩体制を改革した思想的基層は、

人間の平等と民衆の幸せを願う「妙見信仰」だった。

 

 しかし、明治維新以後、薩長両藩の藩閥官僚は、廃仏毀釈で、

「星信仰」を否定し、天皇を利用して、軍事独裁国家を創った。

 だが、その結果が、敗戦による亡国である。

この認識は、まさに、衆目の一致するところだ。

 

 平野氏によれば、小沢一郎氏が、「縄文の心に立ち返る」と

叫んでいる意味は、小沢氏にとって、「太陽」と「月」と「星」の

三位一体の信仰心に立ち返り、「星」の平等と安らぎを、人類社会の

本流だとする考えに戻る意味だと理解される。

 言うなれば、坂本龍馬の革命の原動力だった「妙見星信仰」は、

今も健在なのである。                       【つづく】

 

 

 

 

    

2020年8月 5日 (水)

私の平野貞夫論(73)

 『わが輩は保守本流である』を

             読んで【6】

 

 平野氏の「坂本龍馬」考〔3〕

 

 これは、ある意味、龍馬暗殺の”背景”になるかもしれないが、

彼の思想と行動は、当時の倒幕派の志士たちの思惑や政治思想を、

はるかに超えていたと感じる。

 つまり、私は両者に、明らかな思想的”齟齬”があったように思う。

 

 端的に言って、幕末期は、”過激主義”の時代だった。

加えて、極端な「二元論」によって支配された時代でもあった。

 例えば、「開国」か「攘夷」か、あるいは、「倒幕」か「佐幕」か

といった具合である。

 

 しかし、龍馬は、この「過激主義」や「二元論」とは、全く無縁

だった。

 換言すれば、彼は両者を、はるかに超えていたと思う。

より平たく言えば、彼は、もっと”遠くを見ていた”と言えるのでは

あるまいか。

 

 腹蔵なく表現すれば、彼は、当時の同志たちには、到底理解できない

天の思想”を持っていたように感じる。

 この”天の思想”が、前述した妙見信仰、あるいは、「妙見法力」と

不可分の関係にあるように思えるのだ。

 

 ところで、龍馬の「認識論」に関して、平野氏は、ひじょうに興味深い

分析をしている。

 同氏によれば、龍馬の思想と行動の原点とも言える、彼の「認識論」は、

「習合主義ー四観三元論」によって、成り立っていると言う。

 「四観」とは、物や現象などを正確に認識する「四つの方法」のことだ。

つまり、 ①高観 高い位置から観よ。

      ②離観 離れて観よ。

      ③影観 影の部分を観よ。

      ④光観 光の当たっている部分を観よ、ということである。

 

 言われてみれば、その通りだが、正直なところ、これほど多面的、かつ

客観的に「対象」を観察することは、決して容易ではない。

 しかし、この絶妙の”距離感”は、心情的には、龍馬独自の”無心・無欲・

無私”の精神から発しているように感じる。

 つまり、一貫して、徒に「我」を張ることなく、すべてに囚われない、

龍馬本来の”自由”、”自立”の精神に基づいているように思えるのだ。

 

 加えて、「影」の部分への関心は、普通なら”見えない部分”をも重視す

るという考えだ。

 これは、即物的なモノの見方を超えて、より直感的、かつ”精神性”

重視した視点だとも言える。

 そこでは、ただ表面的に「見る」だけでなく、無心に”感じる”ことの大切さ

が含意されているように思う。

 

 さらに、「三元」とは、平野氏によると、物事や現象を正確に判断して、

その「特性」を知ることである。

 同氏の言に従えば、西洋では「弁証法」、東洋では「陰陽術」という認識

が知られている。

 しかし、「弁証法」も「陰陽術」も、対立するものを否定・闘争させること

で、新しい価値をつくるというものである。

 これに対して、龍馬の「妙見法力」という発想は、”矛盾の全てに対立が

あるわけではない”という考えだ。

 

 これに関して、平野氏は、ひじょうに分かり易い例を紹介する。

例えば、「熱い」と「冷たい」は、一見、対立矛盾関係に見える。

 しかし、これを「四観」で、よく観察すると、両者は、決して対立関係

ではなく、単なる「熱源」との関係で、「熱く」なったり、「冷たく」なる

相関関係なのである。

 

 また、「黒」と「白」との関係で見ると、その対立状況をつくるのは、

「光」の強さである。

 つまり、「光」が強ければ「白」に近づき、反対に弱ければ「黒」に

近くなる。

 平野氏の言では、この「熱源」や「光源」に当たるものを、”律”もしく

”中庸”と呼ぶ。

 この”律”は、様々な困難な問題を解決するために絶対必要な

元点”ことである。

 

 矛盾の要素(つまり、二つの対立点)と、この”律”を、平野氏は、「三元」

と名づける。

 そして、この”律”を見出すために、「四観」が必要なのである。

それで、この「四観三元論」を、平野氏は、龍馬の「習合主義」と定義

づけている。

 

 つまり、既存の弁証法や陰陽術は、「矛盾」を対立概念として”衝突”さ

せる。

 だが、これでは、”自分が正しく、相手は誤っている”という争いしか

起こらない。

 しかし、本来、両者は対立関係にはなく、”律”によってコントロールされ

いるものであるから、矛盾(あるいは対立)の要素を”習合”させること

で、両者の対立関係を解決することができる。

 

  平野氏によれば、「習合」の「習」とは、「学び」なのである。

語源論で言えば、古来、神への祝詞(のりと)を入れるサイ(*下の写真

は、象形文字「サイ」のほぼ左半分です。)の進化したのが「白」で

ある。

 

    Photo_20200803222001

 それを、鳥の「羽」で刺激して効果を上げるのが、「習」の語源

だ。

 加えて、「合」とは、人々の出会いのことであると言う。

 

 平野氏は語る。「私が、龍馬の『四観三元論』を「習合主義」として

まとめたいのは、”矛盾”という現象を対立とせず、難問を”神の力”を

得て、解決しようとする謙虚さを大事にしたいからです」と。

 

 そして、同氏は、龍馬の最大の功績は、「尊皇攘夷」を英国の支援で

強行する長州・薩摩派が、「佐幕開国」を仏国の支援で断行する幕府と

厳しい対立を続けていけば、日本は植民地となることを見抜いていた

ことだ、と断言する。

 

 そこで、龍馬は、「非植民地化」、つまり「国家の独立」という”律”に

気づき、「尊皇開国」という解決策に気づいて、薩摩や長州を説得した

のである。

 その龍馬を指導し、バックアップしたのが、妙見星信仰で知られる

勝海舟であり、かつ越前藩主・松平春嶽(下の写真)だったと、平野氏は、

結論づけるのである。

 

       Photo_20200803225401

                                【つづく】

 

 

 

 

             

 

              

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月 4日 (火)

私の平野貞夫論(72)

 

 『わが輩は保守本流である』を

                   読んで【5】

 

 平野氏の「坂本龍馬」考〔2〕

 

 平野氏によれば、龍馬は、佐那から伝授された「妙見法力」

から、その時代の認識や人間への対応を見出したという。

  ところで、龍馬が修業した千葉道場は、北辰一刀流で有名だ。

「北辰」とは、北極星、あるいは北斗七星(下の写真)のこと

で、それは、”妙見信仰”の象徴とされる。

 これは、明らかに「星信仰」だ。

 

    Photo_20200802225401

 

 そして、この妙見信仰に基づく妙見法力は、千葉家に

とって、門外不出の秘伝だった。

 だが、佐那は、龍馬への愛と信頼ゆえに、この秘伝を、

龍馬に伝えたと言われる

 

 しかし、果たして、もし龍馬に、一片の信仰心や理解力など

無かったとしても、この伝授は、可能だっただろうか?

 私には、決してそうは思えない。

むしろ、龍馬に、非凡なまでの理解力と信仰心や想像力が

あったがゆえに、この「妙見法力」を理解できたと思うのだ。

 

 それに、彼は元々、この”妙見信仰”と、決して無縁ではなかった。

平野氏の考察によれば、土佐には、妙見神社と言われるものが、

140ヶ所もあったという。

 事実、龍馬の生家に近い潮江(うしおえ)天満宮(下の写真)は、

思想を全く同じくする”星信仰”の神社でもあった。

 

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 この妙見信仰は、黒潮の力で、日本国内に広く伝わっている。

実は、私の母方の祖父母(若い頃、熊本県八代市に在住)も、同様の

信仰を抱いていた。

 八代市自体が、妙見信仰で有名である。

 

 このような次第で、龍馬は、千葉佐那から、極秘に伝えられた「妙見

法力」を、思いの外、容易に理解、かつ咀嚼できたと思う。

 これに加えて、この時代に、龍馬に多大な影響を与えたのが、帰郷

したジョン万次郎(下の写真)との出会いである。

 この万次郎との邂逅と、龍馬独特の時代認識によって、龍馬にとって、

国家を鎮護するために是非とも必要だったのが、「開国と大政奉還」

だったのである。

 

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                  (侍姿のジョン万次郎)

                                【つづく】

 

 

 

 

 

 

2020年8月 3日 (月)

私の平野貞夫論(71)

 『わが輩は保守本流である』を

               読んで【4】

 

 平野氏の「坂本龍馬」考〔1〕

 

  まことに唐突で恐縮だが、ペギー葉山(1933~2017:

下の写真)なる女性歌手の存在を知る人も、次第に少なく

なっているように思う。

 私の拙ブログを愛読してくださる方々は、30歳代が圧倒的

なようで、そのような方々からすると、”誰、それ?”といった

感じかもしれない。

 

   Photo_20200801204001  

 

 しかし、本年の元旦、古稀を迎えた私の小学生時代、彼女が、

朗々と歌う「南国土佐を後にして、都へ出てから、幾とせぞ・・・」

の歌詞は、今も、耳に残っている。

 そうだ、土佐(高知県)は、南国なのだ。

 その他の「南国」と言えば、鹿児島や沖縄、それに宮崎が考えられ

よう。南国の人々には、その土地柄に合った明るさと剛毅さ、加えて

豪快さや天真爛漫さがある。

 

 例えば、坂本龍馬などは、その典型ではあるまいか。

日本において、彼ほど人々に愛される歴史上の偉人もいない。

 彼の一途な生き方や無私の精神、それに、その悲劇的な最期が、

人々の共感と同情を呼ぶのかもしれない。

 ところで、龍馬は、江戸の千葉周作(1793~1856:下の写真)

の道場で修練し、北辰一刀流の免許を皆伝したと言われている。

 私も、そんな理解者の一人だ。

 

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 だが、平野氏に言わせると、龍馬は、決して、「剣豪」では

なかったのだ。

 実は、北辰千葉道場で、彼が授かった免許皆伝は、「薙刀

(なぎなた)」だったという。

「薙刀」って、女性がやるアレ?!という感じだ。

 

 確か、龍馬と勝海舟(1823~99:下の写真)との最初の出会い

は、龍馬が、海舟を暗殺するための邂逅だったと記憶している。

 だが、これでは、相当な剣の使い手だった海舟を、龍馬が斬れる

わけがない。

 

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 その意味で、司馬遼太郎の筆力は、相当なものだ。

しかし、それ以上に、彼のロマンに満ちた想像力を賞賛すべきなの

かもしれない。

 その点、平野氏の「龍馬」考は、広く、かつ深い。

同氏によれば、龍馬は、決して剣術家ではない。

むしろ、実に深い思想の持ち主だった。

 そして、その思想の原点は、彼の許嫁(いいなずけ)だった

千葉佐那から学んだ、妙見星信仰に基づく「妙見法力」という

物の考え方だった。

  因みに、当時の道場主は、千葉定吉だった。

 では、それは、一体、どのような考え方なのだろうか。  【つづく】

 

 

 

2020年8月 1日 (土)

私の平野貞夫論(70)

 『わが輩は保守本流である』を

            読んで【3】

 

  このコロナ禍の中、人は、思うかもしれない、「今、日本は、

政治どころではない。

 森友問題など、すでに過去の問題だ」と。

 だが、果たして、そうだろうか?

むしろ、今日のコロナ問題の深刻化は、旧態依然たる安倍政権の

無為・無策に起因しているのではあるまいか。

 加えて、多くの国民による政治的無関心や社会的モラルの喪失

に基づいているのではなかろうか。

 

 平野氏は、本書の中の”「森友公文書改竄事件」の反省”という

項目で、次のような、実に有益な論を展開している。

 彼は、記す。

「安倍首相や麻生財務相の謀略による『佐川前理財局長のスケープ

ゴート化』は、事態を闇に葬るどころか、日本の非近代国家性を

世界に露呈することになりました。

 自民党がいかに堕落と劣化の政党かを証明するものです。

 

 かつて保守本流が仕切っていた時代と異なり、国家や国民に

誠実に対応する気持ちも能力もありません。

 自民党は保守本流の政治家がいなくなり、利権政治マフィア集団

となりました。

 四半世紀(25年)前、小沢一郎という政治家が私に語った

自民党を改革しないと、日本が危うくなる』ことが、

現実になりました。

 

 『憲政の常道』という議会民主政治の原理、すなわち保守本流の

原理からいえば、安倍首相は虚言を重ねることをやめ、総辞職をして、

野党と政権交代すべきです。

 安倍首相夫妻が、仮にこの事件に直接関係がないとしても、

国会に虚偽言動を続け、行政行為の正当性を失った憲政上の責任は

重大です。

 

 各野党は、連立政権の協議を始めるべきです。

その動きが見えないことが問題といえます。

 これが我が国の議会民主政治に機能障害がある証拠です。

この事件への反省は野党もなすべきです。

 問題が発覚してから3月24日までに、野党の党首会談が開かれて

いません。

 事態の重大さを国民に表明すべきではなかったでしょうか。

直ちに政権交代できる野党が存在していれば、このような議会政治

を否定し国家の権威を冒涜する政治は行えなかったと思います」と。

 

 まことに、その通りだと思う。

安倍の暴政の最大の原因は、野党の体たらくと、国民の無関心である。

 これが改善されない限り、早晩、日本は滅びると思う。

識者の中には、”すでに滅んでいる”と言う方もいる(例:適菜収氏)。

 正直、亡国の度合いが、どの程度のものかは分からないが、今日の

日本は、敗戦直後の日本の様相になりつつあるのは確かなようだ。

 

 ところで、私事だが、この名著『わが輩は保守本流である』の存在を、

私は、今年になるまで知らなかった。

 ということは、その「書評」についても、知る由もない。

 というのも、本書が出版された一昨年の4月、私は、熊本市から、

伊豆(伊東市)への引っ越しの準備で、まさに大童だった。

 

 それゆえ、今年、この本の存在を知った時は、実に新鮮な感動が

あった。

 同様の感動を、私は、本書に対する、或る一つの「書評」にも

見出した。

 その「書評」は、植草一秀氏(下の写真)の手によるものだった。

 

    Photo_20200731141201

 

 すでに、植草氏も言及しておられるが、平野氏は、「保守主義」

を論じる際に、エドマンド・バーク(1729~97:下の写真)に

注目する。

 

    Photo_20200731223101

 

 バークによれば、「人間とは矛盾した存在である。

人間とは、変化を嫌う自然的保守性を持つ半面で、新奇な

ものを求め、変化を好み、古いものに飽きる自然的進歩性

を持っている。」

 それゆえ、「保守したければ、革新せよ」ということに

なる。

 

 しかし、保守本流と言われるに値するのは、前尾氏の言に

あるように、「嘘をつかず、事実を大事にする」政治姿勢だ。

 今日、これに値する政治家は、殆ど皆無と言える。

しかし、平野氏にとって、一人の例外的な人物がいるのでは

なかろうか。

 それが、「小沢一郎氏」である。

 私は、日本政治の刷新の緒(いとぐち)は、この小沢氏を、どう

再認識し、彼に教えを請うつもりで、日本国民の安寧と幸福に、

どう寄与するかにあると思うのだ。             【つづく】

 

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