フォト
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 私の平野貞夫論(47) | トップページ | 私の平野貞夫論(49) »

2020年6月 5日 (金)

私の平野貞夫論(48)

 安倍総理「内乱予備罪」

        告発報告街宣【3】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 私共は、日本のデモクラシーというのは、この程度かという

腹立たしさもあります。

 しかし、それよりも、告発した立場で考えますと、尖った

法律の理屈ばっかり言って、訳の分からんことを、アイツら

言っていると思われてはなりません。

 むしろ、もっと知恵のある、心のある、例えば、”これが、

本当に、今の日本において大事なものなのか”という事を

分かってもらう知恵を出して、自分たちが告発したことが、

何故、社会的に広がらないのかということを反省しなければ

駄目だと、思い至りました。

 

 そこで、ちょっと、話が変わりますが、3月26日で

ございます。

 私は、出身が高知でございまして、高知で、この告発活動を

積極的にやってくれる人物に、私の又従兄弟がいます。

 実は、この又従兄弟が亡くなりまして、3月26日に、葬式が

あったわけでございます。

 彼が入院したのが、2月の中頃でした。

それで、3月に入って、この、私を子供の頃から可愛がってくれて、

育ててくれた88歳の又従兄弟から電話がありまして、「自分は、

平成の時代一杯、よう生きない」と言うのです。

 大体、分かっていたんですね、死ぬことが。

 

 従って、「オマエ、葬式には、親族代表として来い」と、そして、

「告発の活動を活発にするために、一回ぐらい、幸德秋水の墓参り

ぐらいしろ」と申しました。

 又従兄弟の葬式の場所は、四万十市(旧、中村市)で、ここは、

幸德秋水が生まれ、彼の墓がある所でもございます。

 成程と思って、色々、選挙の始まる時期でございましたが、日程を

調整して、私は、25、26、27日と、高知に行っていたわけでござい

ます。

 

 幸德秋水(下の写真の上)というのは、説明するまでもないと

思いますが、明治の自由民権運動時代に、土佐自由党に入って活躍した

男です。

 彼は、中江兆民の弟子になって、明治時代に、社会主義運動をやって、

最後は、無政府主義になります。

 この幸德秋水が、おそらく、明治の有識者では、日清戦争、日露戦争を

含めて、”戦争は、絶対やってはいけない!”という主張の指導(下の写真

の下)をやっていた方でございます。

 

       Photo_20200603182001

 

  Photo_20200603200701

                (「非戦」を唱えた、『平民新聞』創刊の辞)

 

 で、この方は、不幸にも、明治天皇を殺害しようと

したという、日本の近代史の冤罪の最大のものの

首謀者として、明治44年に、死刑に処せられます。

 

   Photo_20200603201201

                   (「判決」を報じた、当時の新聞)

               

 たいへん立派な方で、この人は、明治天皇を殺害する

などという考えなど無くて、仁徳天皇を、ひじょうに尊敬

していました。

 「民の竈(かまど)も、賑わいにけり」という、国民の

生活が第一というのが、政治の根本だという人物でござい

ました。

 私は、葬儀の前に、告発しました関係資料を、(秋水の)

お墓の前に供えまして、”これが、国民の皆さんに知られるように、

よろしくお願いします”と、念じた次第です。        【つづく】

« 私の平野貞夫論(47) | トップページ | 私の平野貞夫論(49) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

Links