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2020年5月26日 (火)

私の平野貞夫論(39)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【3】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 当時、社会党も、公明党も、民社党も、この動きに、

ひじょうに賛成しましてね。

 実は、宮沢政権の時に、予算委員会で、公明党の市川

雄一書記長(1935~2017:下の写真)と社会党の伊藤

忠治議員が、渡辺美智雄財務大臣と宮沢総理に、日本の

資金で、アジアにPKO訓練センターを作ったらどうかと

提案しました。

 

      Photo_20200524141101

 

 そこで、アジアの安全というものを、つまり、

人々の災害とか紛争を無くしていく基地にしたら

どうかという視点から考えていたわけです。

 社会党も、同じ考えでしてね。民社党も勿論。ー

それで、自民党政権側も、”やりましょう!”という

話になって、ずいぶんと盛り上がったんです。

 地元でも、中谷元、山本有二さん、それから、

社会党の(亡くなった)後藤議員が協力的でした。

まあ、共産党は、反対でした。

 それでも、ひじょうに盛り上がったんですよ。

 

 それで、この調査ができたところで、高知新聞が、

その、飛行場、米軍の基地、自衛隊を持ってくるという

構想について、こういう特ダネを出したんです。

「PKO災害援助施設 国際貢献センター誘致へ」と。

 この記事は、自衛隊とは、”別組織にする”というのが

ポイントだったんです。

 それで、「4000メートル空港の建設」と。ー

 そのため、三原村が、誘致決議をして、続いて、

土佐清水市議会が誘致決議をして、大きな流れになった

わけです。

 

 この誘致決議をやった時には、宮沢政権から細川政権に

代わってましてね。

 それで、宮沢さんは、自民党の総裁をやって、次の細川

総理(下の写真)の相談に、すごく乗ってくれていました。

 

    Photo_20200524143001

 

  実は、細川政権も、国連中心主義の考え方で、当時、

国連の事務次長に、明石さん(明石康〔やすし〕氏:

下の写真)が、いました。

 その明石さんが、細川さんに、日本に、PKOの訓練基地

を作ってほしい、と陳情しました。

 

   Photo_20200524195401

 

 細川政権が続いていれば、これが、上手く行ったわけ

だけど、8ヶ月で倒れ、続く羽田政権も、短命でした。

 それで、中央の、国策としての政策としては、細川・羽田

政権が潰れたので駄目になったわけですけど、地元にも、

やっぱり問題がありました。

 

 実は、細川政権が成立する前後、まあ固有名詞は言えません

けれど、高知県出身の自民党衆議院議員と愛媛県出身の自民党

衆議院議員との間に確執がありました。

 つまり、両県の間に、住友林業の広大な林野があるんです。

 それで、昔から、高知県と愛媛県の間のその辺りは、不便な

所ですから、第三種空港という、小さな空港を開く誓願運動を

やっていたんです。

 それで、この「構想」計画をやるのなら、こっちの方でやれ!

という話になりました。

 つまり、自民党の方から、足を引っ張る動きがありました。

 

 私も、ひじょうに困ったんですが、そのうち、政権が、すっかり

変わってしまい、この「構想」が幻となったわけです。

 実は、高知新聞の特ダネの中には、ここでも、「沖縄の基地」に

ついて書くことは、躊躇していました。

 

 それで、どういう書き方をしていたかと言いますと、「首都圏に、

米軍基地が集中し過ぎている」ので、これは、何かあった時に、

非常に危険ですから、この米軍基地を分散させることを意図した

ものだ、と書いているわけです。

 つまり、内地の基地の整理もやろうというのです。

 

 それから、ボクが、よく言ったのは、政府専用機というのが

あるでしょう。

 あれを、札幌(千歳)に置いているんです。

 あれは、冬、使えませんからね。

ですから、そういう「置き場」にも成る、と言ったわけです。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

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