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2020年5月

2020年5月31日 (日)

【読者の皆さんへ】

        私の正直な思い

 

 私が、「私の平野貞夫論」と名づけつつ、平野氏の言動

について云々(「でんでん」では、ありません)せず、

同氏の講演録を書き起こしていることには、一つの大きな

理由があります。

 端的に申し上げて、平野氏の御言葉が、まさに、「金言」

そのものだからです。

 

 言葉とは、実に不思議なものです。

どれほど、歯の浮くような美辞麗句を重ねようと、全く

魂に響かないものがあります。

 それこそ、ゴミ箱のゴミの様に、聴くことさえ

避けたくなるような不快な言葉さえあります。

 そんな言葉を性懲りもなく発する人物を、総理大臣に

擁する、われわれ日本国民の愚昧さは、まさに、

天をも貫くほどの悲劇であり、かつ喜劇です。

 

     Photo_20200531184001

 

 それと、全く正反対の言葉を発する平野氏の話は、

各所に、「金言」がちりばめられています。

 皆さんは、お感じになりませんか?

 平野氏ご自身が、”宝の山”であることを。ー

また、巨大な”図書館”であることを!

 それこそ、同氏は、日本の政界だけでなく、日本国

そのものにとって、非常に貴重な存在です。

 

  Photo_20200531185001

 

 でも、こんなことを書きますと、平野氏は、「(『私の平野

貞夫論』が)刊行されれば、人様の前に出れない『外出禁止』

状況になるのではないかと感じました(笑・・・)」と記される

ほどの、たいへんなユーモアの持ち主なのです。

 

 とにかく、より多くの方々に、平野先生の「金言」、

換言しますなら、同氏の発する、日本国民への警句・警鐘に

耳を傾けて頂きたいというのが、私の正直な願いです。

 その点、拙ブログを御愛読して下さいます方々に、

心より感謝申し上げます。

 読者数が多かろうと、少なかろうと、そのようなことは、

問題ではありません。

 たとえ、読者が御一人になりましても、自分で書きたいと

思ったことを、ひたすら書き続けたいと願う、今日この頃です。

 これが、最近の、私の正直な思いです。

 

 尚、明日より、安倍総理「内乱予備罪」告発報告街宣に

ついて、掲載させて戴きます。

 

   Photo_20200531190201

                              【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月30日 (土)

私の平野貞夫論(43)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【7】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 それは、どういう考え方かと言いますとね。

日本が明治時代に、憲法を創る時に、どこの憲法を参考に

したかと言うと、プロシア(今のドイツ)の憲法なんですよね。

平野氏は、こう語りながら、目前の紙に、「公定力の理論」

という言葉を記します。

 あそこには、皇帝がいたからね。(下の写真は、ビスマルク:

彼は、「鉄血宰相」と呼ばれ、伊藤博文の模範となりました。)

 

    Photo_20200528190501

 

 まあ、日本は、天皇制。

イギリスの国王は、ちょっと違うし、ヨーロッパのよその

皇帝とも違います。

 

 そこで、「公定力理論」とは、どういうことかと言うと、

政府(=「行政権」)のやることは、間違いない、誤りは

ない、というものなんです。

 もし、誤りがあれば、つまり不都合が起これば、裁判とか、

そういうもので、きちっと決着して、その時に変更すれば

いいのだ、というものです。

 だから、「公定」という行政の活動には、”文句を言わず、

従え!”と言うんです。

 日本人は、これに、気が付いていないわけです。

 

 20世紀から21世紀になって、まあ、古い国も新しい国も

あります。 

 でも、先進国で、「公定力理論」という、”政府が一番”と

いうことで、国家運営をしている国は、殆ど無いですよ。

 日本ぐらいなもんです。

 

 ここが、やっぱり、「自立」、有権者が自立していない、

あるいは、官僚が、自立させない元なんですよ。

 どういうことかと言いますとね。

知事選挙で、仲井真さん(下の写真)みたいな裏切りは良くない

けど、はっきりと民意が出ているわけでしょう。

 しかも、大差でね。

 

    Photo_20200528192101

 

 ですから、橋本・小沢合意事項の「沖縄基地の使用に関わる

問題は、県民の意思を生かし」という、ここで、「公定力理論」は、

訂正しなければ駄目なんです。変更しなければ、駄目なんですよ。

 

 だから、翁長知事は、測量とか許認可で、裁判を、ずっとやって

来ているわけだけど、今、日本で、裁判を牛耳っているのは、安倍

政権だからね(笑)。

 それで、安倍政権は、相手がくたびれるのを待っているわけでしょう。

 

 辺野古問題を正常に解決しようと思ったら、沖縄の実際の施行法の

裁判も勿論、やらなければならないけど、やっぱり、東京でね、明治から

続く官僚支配、この「公定力理論」を是正、改正しなければ駄目だという

国民運動をやらなければいかんのです。

 

    Photo_20200528194901

 

    Photo_20200528194902

 

 これを言うけど、なかなかやらないんだな。

それがね、対米従属、戦前の天皇制従属の、日本人の意識を

変えなければいけない問題なんですよ。        【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

2020年5月29日 (金)

私の平野貞夫論(42)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【6】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 実は、翁長知事の兄さんは、法政大学(下の写真)で、

私の一年後輩なんです。

 「デートを邪魔する警職法」というキャッチフレーズは、

彼とわれわれが創ったんです。

 結構、学生運動をやってましてね。

私が、彼の指導役でね(笑)。

 それがねー、この年の前かな、亡くなってね。

それでね、新進党の国会議員に出たいという希望があってね。

 それで、小沢さんと、選考に行ったんですよ。

 

    Photo_20200527142001

                  (今日の市ヶ谷キャンパス)

 

 それで、その時に、翁長知事の側近の県会議員4~5名の方と、

辺野古をどういう風にすべきか?という議論をしました。

 その後、2~3回、沖縄を多くの人に知って貰おうと、彼らと

議論をしたんです。

「大体、内地の人は冷たい」とか、「どこも、沖縄の基地を引き

取ってくれない」と言うもんだから、「いや、違うよ。小沢さんを

中心に、努力したことがある」と申しました。

 今年の春に、一回、「話に来てくれ」という話があったぐらい

です。

 

    Photo_20200527143601

 

     Photo_20200527143701

 

 結局、行かなかったですけどね。

 どうやって、辺野古を作らせないようにしようかということで、

翁長知事が、色々苦労されてね。

 それで、何とか、それを実現させるべきだと考えています。

一応、それが、「構想」に関する経緯なんです。

 

  普天間を辺野古に移すという閣議決定は、確か、18、19年前

にあったんじゃないですかな。

 だから、安倍政権は、閣議で、国策として決定して、県も了承

したと理解しているわけです。

 ところが、その後、色んな議論が起こって、実行されていない

でしょう。

 

 実は、麻生内閣の時に、工事に入ろうとしたんです。

しかし、それも、政権交代したから、できなかった。

しかも、民主党が迷走したわけでしょう。

 時間を掛けてもいいから、鳩山さんの方針を貫いとけばいいん

だけど、鳩山さんが辞めたら、民主党政権で、「辺野古」(下の

写真)を決定したわけです。

 ものすごく、混迷しているわけです。

 

    Photo_20200527201101

 

 しかも、その間、辺野古をどうするかということを巡って、

知事選を、事実上、三回ぐらいやっているわけよね。

 それで、翁長さんの前の仲井真知事(下の写真)は、「反対です」

と言って、当選して、ひっくり返したわけよ。

 これは、県民の選挙という意思に反しているわけです。

それも、はっきりと大差で、県民の意思は、”辺野古は駄目だ!”と

いうことで、それで、知事に就任したわけでしょう。

 

   Photo_20200527203201

 

 そこで、私の理論から言えば、何で20年近く、

政府が手を付けないかと言えば、そこには、手を

付けない理由があるんですよね。

 事実、この問題の底には、日本の”官僚政治”という、

それこそ明治時代から続く「行政権」、つまり、”政府が、

絶対的に偉いんだ、強いんだ”という考え方があります。

 

 それで、「政府のやることに文句を言うな!」という

国家運営というか憲法運営というか、この考えを、

憲法の上に置いて、日本の人々の間に、様々な問題を

引き起こしているわけです。

 日本が戦争に負けたのも、この考えのせいだと思います

がね。

 日本は、敗戦で、軍隊は無くなって、自衛隊の形になり

ましたが、官僚は、変わっていないわけです。   【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

                 

         

 

   

2020年5月28日 (木)

私の平野貞夫論(41)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【5】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 でも、この合意の後、色々な事がありました。

 例えば、女子小学生(12歳)が、米兵たちに、

拉致後、暴行されるという事件がありました。

 これを謝罪したモンデール大使(下の写真)が、

橋本総理に、「普天間(基地)を返す」と言ったことが、

すべての始まりです。

 

      Photo_20200526150501

 

   Photo_20200526150601

 

 その頃、辺野古の話が、沖縄の中で出てるんです。

私と小沢さんは、これは、この「構想」の話を取り戻す絶好の

チャンスだと考えました。

 ということで、ちょっと動こうとしましたけれど、実は、

地元(沖縄)の方で、”(基地を)外に出さない”という考えで

まとまってしまいました。

 

 あの頃、沖縄県民は、今のように、観光とか特殊な物の生産

で繁栄するという時代と違って、未だ”基地依存”というのが

強かったですからね。20年ぐらい前はね。

 これで、復元がならなかったんです。

 

 次に、問題になったのが、平成21年(2009年)、民主党が

政権を獲って、鳩山さん(下の写真)が、「基地は海外、悪く

ても県外」と言った時です。

 

    Photo_20200526151901

 

 ひじょうにいいポイントだったんですが、結果的に、

防衛庁や外務省の官僚の妨害で失敗しましたね。

 まあ、問題の出し方、処理の仕方という点で、

鳩山さんにも、反省すべき点はあると思います。

 

 この時、私は、この「構想」の話を出そうと思ったん

ですよ。

 けど、私、すでに引退して、国会議員ではないわけ

です。

 それで、小沢さんと相談して、話題にしたこともあり

ます。

 その時、民主党政権の中が、どうだったかと言うと、

結局、麻生自民党政権から始まった、小沢さんの冤罪

ですね、「陸山会問題」がありました。

 

 あれで、小沢さんが代表を辞めて、鳩山さんにして、

小沢さん自身は、選挙の責任者として仕切って、選挙に

勝って、政権交代しました。

 しかし、民主党政権の中の、”内ゲバの好きな人たち”が、

小沢さんを干すわけです。

  それで、新しい党の役員と閣僚を一体化するという考え方

があって、小沢さんが幹事長になったものの、”政策に口を

出すな!”と、民主党政権が決めたもんだから、ちょっと、

この「構想」を出すことができなかったんです。

 これが、最後の話ですかね。

 

 それで、結局、この「月刊タイムズ」を書いた翌年です、

辺野古問題裁判が続いて、翁長さんが益々、窮地に陥った

頃、玉城デニーさん(下の写真)が登場するんです。

 

   Photo_20200526195401

 

    Photo_20200526195501

 

 私は、彼と親しいからね。

 実は、私の血には、沖縄の血も入っているからね。

私の生まれた頃(1935年前後)は、(沖縄)糸満の漁師が、

船に乗って、土佐清水まで来ていたんだから。

 それも、普通の船でですよ。

 

 それで、この「構想」の話を、私は、彼にしたんです。

つまり、小沢さんのものの考え方や歴史を説明した時に、

彼が、「(そこへ)どうしても行きたい、見たい」と言うん

です。

 もう、見たって、あるわけじゃないしね。

もう、ほったらかしにしているんですから。

 

 でも、彼は、意志強いんだね。

「行くんだったら、ボクが時間つくって、ゆっくり案内するよ」と

言ったけどね。 まあ、何かあったんでしょうね。

「是非、行きたい」と言って、高知一泊で、高知から遠いからね。

 まあ、ボクの友達の協力で、玉城さんは、現地に行って、見て

来たんです。

 

 あの頃は、辺野古以外の県外に持って行くという可能性が、

残ってましたからね。

 だから、そのために、どうしても勉強のために行く、と

言ったんでしょうね。

 その点、玉城さんは、普通の人と違ったね、あの情熱は。ー

 やっぱり、辺野古問題については、命を賭けて、取り組んで

いるな、と思いましたね。                 【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月27日 (水)

私の平野貞夫論(40)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【4】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 それから、ここ(土佐清水市)の足摺岬(下の写真)は、

黒潮が直接、着岸している、東アジアにおける”海のポイント”

なんです。

 

   Photo_20200526210701

 

 ここの近くに「今ノ山」という800メートルぐらいの山が

あるんですが、今、航空自衛隊のレーダーがあります。

 これが、地勢的に良くてね。

シベリアの真ん中からフィリピンまで見えるんです。

 だから、空の拠点でもあるんですよね。

 弘法大師・空海(下の写真)と言いますからね。

空海さんが、見つけてくれた土地なんです。

 私にとって、これが、一つのライフワークだったんです。

 

   Photo_20200525211501

 

 それで、この下には、宿毛(すくも)湾というのが

ありましてね。

 ここは、陸地から海に掘り込んでいる深い所です。

戦時中、戦艦・大和のテストをやった所なんです。

 それから、日本の海軍の練習基地でした。

 まあ、将来、国連が警察機構なんかを作った場合、東洋で、

最もいい所だったと思います。

 いわば、国連による、平和を維持する大きな場所だったと

思うんです。

 そういうことが、小沢さんの頭の中にあったんですよね。

 

 まあ、これが、”幻”になって、沖縄の辺野古が、翁長知事の

情熱で、ああいう議論になりました。

 実は、その間に、二つの大きな問題がありました。

 一つは、平成9年(1997年)、自・社・さ政権の時に、

つまり、橋本総理(下の写真)、梶山官房長官の時に、

普天間飛行場の或る部分の土地の貸借期限が切れたんです。

 

    Photo_20200525212601  

 

 それを延ばさなければ、日米関係は、とんでもない事に

なるということで、土地に関する特別措置法という法案が

出たんです。

 しかし、自・社・さ政権で、社民党が反対でね。

その頃、社民党は多くて、参議院で反対したら、否決なん

ですよ。

 そこで、自・社・さ政権の中で分裂し、野中さんも絡んで、

もめたんですよ。

 その時、梶山さんが官房長官で、橋本総理と小沢新進党

代表間で、党首会談をやったんです。

 そこで、基地問題について、合意事項を作って、そこで

合意をして、特措法を成立させたんです。

 この時の官房副長官が、与謝野馨さん(1938~2017:

下の写真)でした。

 彼は、梶山さんといいコンビでしたが、ボクと、非常に

親しい人物でしてね。

 

   Photo_20200525220701

 

 実は、この「合意事項」を、梶山さんの方から、私を指名

してきてね。

 「与謝野、平野で、合意事項の案を作れ」と言うんです。

 しかし、これも、変な話なんですよ。

 党首会談の合意事項というのは、党の政調会長とか総務会長

通すんですが、自・社・さ政権では、それが、できないわけです。

 それで、この時の党首会談で、沖縄の基地の基本的な取り扱い

方針が、初めて合意されているんです。

 

 それを、紹介します。

 すなわち、二つありましてね、

在沖縄米軍基地問題は、日米関係を円滑にし、絆を強化すると

ともに、沖縄県民の負担を全国民が担うという考え方に基づいて、

解決すべきである。

 要するに、沖縄県民の負担が過剰だから、負担を、全国民に分担

しなければ駄目だという考え方を確立すべきだというものです。

 

 そして、二つ目は、

沖縄の使用にかかわる問題は、県民の意思を生かしながら、基地の

整理・縮小・移転等を含め、我が国が最終的に責任を負うという仕組み

を誠意をもって整備するものとする。

 要するに、整理・縮小・移転、これを、県民の意思でやれ、ということ

ですよね。

 こういう合意事項を、当時の小沢新進党党首と橋本龍太郎総理が

しているんですよ。

 でも、自民党が、全く守っていないでしょう。

 これを、また、国会議員が知らないのよ。              【つづく】                                                                                                                     

 

 

 

2020年5月26日 (火)

私の平野貞夫論(39)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【3】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 当時、社会党も、公明党も、民社党も、この動きに、

ひじょうに賛成しましてね。

 実は、宮沢政権の時に、予算委員会で、公明党の市川

雄一書記長(1935~2017:下の写真)と社会党の伊藤

忠治議員が、渡辺美智雄財務大臣と宮沢総理に、日本の

資金で、アジアにPKO訓練センターを作ったらどうかと

提案しました。

 

      Photo_20200524141101

 

 そこで、アジアの安全というものを、つまり、

人々の災害とか紛争を無くしていく基地にしたら

どうかという視点から考えていたわけです。

 社会党も、同じ考えでしてね。民社党も勿論。ー

それで、自民党政権側も、”やりましょう!”という

話になって、ずいぶんと盛り上がったんです。

 地元でも、中谷元、山本有二さん、それから、

社会党の(亡くなった)後藤議員が協力的でした。

まあ、共産党は、反対でした。

 それでも、ひじょうに盛り上がったんですよ。

 

 それで、この調査ができたところで、高知新聞が、

その、飛行場、米軍の基地、自衛隊を持ってくるという

構想について、こういう特ダネを出したんです。

「PKO災害援助施設 国際貢献センター誘致へ」と。

 この記事は、自衛隊とは、”別組織にする”というのが

ポイントだったんです。

 それで、「4000メートル空港の建設」と。ー

 そのため、三原村が、誘致決議をして、続いて、

土佐清水市議会が誘致決議をして、大きな流れになった

わけです。

 

 この誘致決議をやった時には、宮沢政権から細川政権に

代わってましてね。

 それで、宮沢さんは、自民党の総裁をやって、次の細川

総理(下の写真)の相談に、すごく乗ってくれていました。

 

    Photo_20200524143001

 

  実は、細川政権も、国連中心主義の考え方で、当時、

国連の事務次長に、明石さん(明石康〔やすし〕氏:

下の写真)が、いました。

 その明石さんが、細川さんに、日本に、PKOの訓練基地

を作ってほしい、と陳情しました。

 

   Photo_20200524195401

 

 細川政権が続いていれば、これが、上手く行ったわけ

だけど、8ヶ月で倒れ、続く羽田政権も、短命でした。

 それで、中央の、国策としての政策としては、細川・羽田

政権が潰れたので駄目になったわけですけど、地元にも、

やっぱり問題がありました。

 

 実は、細川政権が成立する前後、まあ固有名詞は言えません

けれど、高知県出身の自民党衆議院議員と愛媛県出身の自民党

衆議院議員との間に確執がありました。

 つまり、両県の間に、住友林業の広大な林野があるんです。

 それで、昔から、高知県と愛媛県の間のその辺りは、不便な

所ですから、第三種空港という、小さな空港を開く誓願運動を

やっていたんです。

 それで、この「構想」計画をやるのなら、こっちの方でやれ!

という話になりました。

 つまり、自民党の方から、足を引っ張る動きがありました。

 

 私も、ひじょうに困ったんですが、そのうち、政権が、すっかり

変わってしまい、この「構想」が幻となったわけです。

 実は、高知新聞の特ダネの中には、ここでも、「沖縄の基地」に

ついて書くことは、躊躇していました。

 

 それで、どういう書き方をしていたかと言いますと、「首都圏に、

米軍基地が集中し過ぎている」ので、これは、何かあった時に、

非常に危険ですから、この米軍基地を分散させることを意図した

ものだ、と書いているわけです。

 つまり、内地の基地の整理もやろうというのです。

 

 それから、ボクが、よく言ったのは、政府専用機というのが

あるでしょう。

 あれを、札幌(千歳)に置いているんです。

 あれは、冬、使えませんからね。

ですから、そういう「置き場」にも成る、と言ったわけです。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月25日 (月)

私の平野貞夫論(38)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【2】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 ちょっと説明しますと、平成元年(1989年)の12月に、

パパブッシュとソ連のゴルバチョフ書記長が会って、米ソ冷戦が

終わりますね。

 

   Photo_20200523152101

 

 そこで、もう、米ソ間の戦争は無いということになります。

そうしますと、日本の安全保障とか政治とか経済の在り方を、

根本的に新しい体制にせないかんということを、自民党を中心に

考えたわけです。

 ちょうど、海部政権の真っ只中です。

海部総理、小沢幹事長という体制でした。

 

 その頃、私は、衆議院事務局の委員部長という役職で、各省が、

法案を出したり、国会で色々審議する時の、国会運営の責任者でした。

 或る日、防衛庁の、これは、固有名詞を言ってもいいと思いますが、

萩さんという幹部の方が見えました。

 そこで、実は、海部政権で、米ソ冷戦が終わった後だから、沖縄の

基地を積極的に縮小するとか、それを、本土に持って来るという政策

を推進しようということになったのです。

 

   Photo_20200523153701

 

  そこで、取り敢えず、最初の話として、瀬戸内海の岩国、あそこに、

沖縄の基地の一部を持ってくるという計画が出ました。

 そしたら、岩国基地(下の写真)というのは、滑走路が短くて、

海を埋め立てなければいけないということでした。

 そこで、埋め立てと漁業補償費を入れた総工費が、1兆2~3千億

円掛かると言うんですよ。

 それで、なんぼなんぼでも、これは、税金の無駄遣いだというわけ

です。

 

     Photo_20200523205401

                                 (ネットより、拝借)

 

 そこで、私が生まれた所に国有地が有り、私自身、中内さんと

親しかったもんですから、この話を持って行ったら、喜んでくれ

ました。

 そこで、はっきり言って、冷戦が終わったとはいえ、米軍の基地

を、足摺岬と宿毛湾の間に持ってくるということを、ストレートに

言うと、(米軍も)喜んでくれないと考えました。

 

 それで、沖縄も良くなる、高知も良くなる、国も良くなる、

あるいは、国際的な評価の点でも良くなるということを考えよう、

という話になりました。

 当時の小沢幹事長は、ちょうど、この地域出身のジョン万次郎

生き方(日本とアメリカの架け橋になったという生涯)を参考に

しなければいかんということで、「ジョン万次郎の会」を創ったばかり

でした。

 彼は、「オレが、会長になる。こればかりは、自分が、会長を

したい」と言って、会長になったばかりでした。

 

 それで、私が、彼に相談しましたら、ジョン万次郎は、アメリカ

の世話にもなったし、帰国した時、沖縄にも世話になっています

から、是非、”ここに、何かを作ろう!”ということになり、二人で、

色々と議論してできたのが、この「構想」なんです。

 

 その頃、国連が、有効に機能していましてね。

東アジア地域で、紛争とか災害が起こった時に、救助活動ができる

組織(=PKO)、また、怪我人が出た時に、そこで治療ができる

場所、または、何かあった時の、資材の置き場にするというような

もので、そこは、米軍も使える、日本の自衛隊も使える、国連の

PKO関係の語学とか教養とかいったものもやる、と。

 

 そういう機関にすればいいではないかというのが、小沢さんには

有りました。

 そこで、ボクが、「民間航空も入れてくれ」と頼んだわけです。

まあ、そんなことで、笑われながらも、中内知事に対して、小沢

幹事長に会って、高知県の陳情としてお願いをして進めてみようと

いうことで、この調査が始まったわけです。

 

 しかし、海部政権が、政治改革で失敗して、小沢さんは、その前に、

東京都知事選挙で負けた責任をとって辞めて、秋に、宮沢内閣になり

ますね。

 宮沢さん(1919~2007:下の写真)も、保守としては穏健で、

国連を中心に、日本の安全保障、東アジアの安全保障を確保しようと

いう考えだったんです。 

 

       Photo_20200523214001   

 

                             【つづく】

 

    

 

 

 

 

 

2020年5月23日 (土)

私の平野貞夫論(37)

  沖縄基地問題の歴史を学ぶ【1】

 

 今回は、「寺子屋ルネッサンス勉強会」の三人の

女性たちが、平野氏の自宅を訪ねたことから始まる。

 彼女たちは、近々、沖縄を訪ねる予定だと言う。

 

      Photo_20200522224201

 

 その一人が、かつて、平野氏が、「沖縄基地問題

の原点を振り返る ”民意の尊重こそ第一義に”」を、

月刊タイムズ(2015年6月号)に寄稿したことに言及した。

 因みに、本稿の副題には、「辺野古の基地移設にみる

自民党政治の堕落」とある。

 

 まるで、今日の辺野古基地工事の頓挫を予知したかの

ような鋭い視点である。

 しかし、かつて、日本政府は、沖縄の負担を軽減すべく、

本土内に、「飛行場」を建設しようと模索していた。

 まさに、非公式の、極秘の計画である。 

 実は、平野は、その計画の一翼を担っていたのである。

 

 来客者の一人が、こう切り出す。

「今日は、是非、基地とか沖縄のことで、平野さんに、色々と

教えて頂きたいと思い、伺いました」と。

 これに対して、平野が、穏やかに語り始める。

「よく、この記事、見つけましたね。

 実は、この時、亡くなられた翁長知事(雄志〔たけし〕氏:

1950~2018:下の写真)が、辺野古問題で、政府と戦って、

クライマックスの頃でしたね。

 それで、翁長知事の活動を、バックアップするために書いたもの

なんです。

 

    Photo_20200521142001

 

 私は、昭和41年、つまり50年以上前、当時の佐藤内閣が

沖縄返還を言い始めた頃から、国会内で、沖縄問題の裏工作

みたいなことに使われていました。

 それで、沖縄とは、とても縁が深かったんです」と。

そう語りつつ、平野は、彼女たちに、一つの「図面」を

見せる。それは、巨大な「飛行場」の図面だった。

 

  そして、彼は、こう続ける。

「これは、『完成予想図』です。

 これ(全長)、何メートルぐらいあると思います?」と。

 彼女たちが答える。「かなり長いですよね」と。

 これに対して、平野が、こう語る。

「3500メートルです(因みに、辺野古新基地は、1800

メートル)。

 それで、場所はですね、高知県の西南地区。ー

足摺岬と宿毛(すくも)湾付近に在る国有地なんです。

 それで、この図面には、『マル秘・高知県西南地区に

おける空港設置に関わる構想調査』という極秘書類が

添付されています。

 

 これを依頼したのは、高知県庁、当時の中内力(つとむ)

という知事です。

 経費は、勿論、県の費用なんですが、中身は、防衛庁

(当時)が主導して作った資料なんです。

 総工費は、3280億円でできるという報告書です。

 

 当時の中内知事が、こういう飛行場を、一体、誰と相談して、

誰の指導でつくったかというと、この報告書が出たのが、

平成3年10月ですから、自民党幹事長は、小沢さんから

小渕さんに代わっていましたけど、この報告書を作るのに、

1年ぐらいかかりますから、その人物というのは、小沢一郎さん

なんです。

 

 では、何のために、これを作るかというと、実は、これが、

沖縄の米軍基地を、本土内に、一番最初に移して行くという

計画案だったんですね。

 今日、これを承知している人は、殆どいませんわね。   【つづく】

 

 

 

 

2020年5月22日 (金)

私の平野貞夫論(36)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                  抜粋【9】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 当面、政治というのは、「安全保障政策」を、どうするかという

ことで、一つの現実的な考え方を持って臨まなければなりません。

 それが、やれるかどうか、適当かどうかは、議論をすればいいと

思います。

 今、一番の問題は、(野党の)六党が一緒になろうが、四党が一緒

になろうが、問題は、安全保障政策の問題なんですよね。

 ボクは、去年(2017年)、選挙に負けたのも、やっぱり、野党が、

安全保障政策を共有していないからだと思います。       

 

    Photo_20200520195501

 

 私は、これは、世界に絶対に発信すべきだという理論として、

こういう考えを持っています。

 国連中心主義が原則なんですけど、これは、共産党も、よく説明

すれば、納得してくれると思います。

 それは、アメリカとは、喧嘩することはないですよ。

友好条約でいいですよ。

 「安保条約」は、漸進的に無くしていけばいい。

 

 先ず、国連に、日本から、「東アジア非戦構想」という

構想を出すんですよ。 

 そして、各国に、”ここを、非戦を目的にした地域に

しよう”と、国連にカバーしてもらって、協議を進めるん

ですよ。

 韓国、日本、ロシア、北朝鮮、中国の五ヶ国で。ー

 

  その間は、先ず、攻めてくることはないと思いますよ。

協議をやっているところに、核のボタンを押すようなことは

ないと思うんです。

 勿論、協議は、長期に亘ると思います。

しかし、先程、言いましたように、ボクは、米朝会談が、

長い時間掛かっても、一方(アメリカ)は、金儲けの確信で、

もう一方(北朝鮮)は、核ミサイルを隠すかどうかはともかく

として、それを無くす方向で推移することを願っています。

 まあ、戦後補償は、多少、多めにやってもいいではありませんか。

 

 それで、もし、やっていければ、自衛隊のようなものは要りませ

んよ。

 まあ、災害対策とか、警察を、ちょっと大きくしたものは、要る

かもしれません。  

  

 あるいは、国連警察機構に入ってもいいんですよ。

その時点に至るまでは、「専守防衛」という形の自衛隊を、

まあ整理してもいいけど、一応、残すべきだと考えます。

 確かに、自衛隊を違憲だという政党もあります。

多少、柔らかくはなっていますが。ー

 やはり、憲法上の”根拠”が要るんですね。

 

 それは、九条は、その根拠にはなりませんよ。

 私の意見では、憲法13条の「すべて国民は、個人として

尊重される。

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、

公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の

尊重を必要とする」の中の”生命”、これが、根拠になると

思うんですよ。

 生命を守ろうとするわけですからね。

 

    Photo_20200520201701

 

     Photo_20200520201901

 

 まあ、自衛隊の規模を、もっと小さくして、変な航空母艦みたい

なものは止めて、それから、ミサイルを落とすのも止めて、純粋に

専守防衛のものにすべきですね。

 そして、この13条が、自衛隊の存在の根拠規定になると思って

います(拍手)。   

 

    Photo_20200520202001                   

                                  【了】

 

 

2020年5月21日 (木)

私の平野貞夫論(35)

「FB九条の会での講演」からの

              抜粋【8】

 

 平野氏は、次のように語ります。

 

 それから、もう一つ、去年、森友が、「教育勅語」の合唱を

やりましたね。

 (私自身)これを、ひじょうに怒って、小沢さんに、治安維持

法(=「共謀罪」)を潰すいい材料になると言ったら、

「シナリオを書いてみろ」と言うんです。

 

 国会(衆・参両議院)で、「教育勅語」の廃止決議をしている

でしょう(1948年6月19日)。

 しかも、旧・民進党の初鹿(明博)君(下の写真)が、

質問趣意書を出して、「憲法と教育勅語」に差し障りのない所は

使っていいと、オーソライズ(権威づけ)したでしょう。

 

    Photo_20200519200501

    

 それで、桜井よし子(下の写真)なんかは、大喜びしたん

ですからね。

 「怪我の功名だ」と言って。-

 

   Photo_20200519193101

 

 それで、私は、「共謀罪」と「教育勅語」の関連性の理屈は、

直ぐつきます。

 要するに、「教育勅語」の復活が、共謀罪を悪用する元に

なるから、「教育勅語」を衆・参両院で潰した決議を再確認

しようと主張しました。

 それで、野党でまとまって、国会に決議(=再決議)案を

出せと主張したわけです。

 

 それで、自民党のみんなにも、「(教育勅語に)賛成する

か、反対するか?」と問うてみろ、と提案しました。

 そして、これに関して、衆・参両議員で、署名運動をしよう!

と主張しました。

 その結果、結構集まったら、これが、四野党の選挙協力の

環境づくりにもなるしね。

 「教育勅語」とは、こんなものだったのか、という解説にも

なるわけだから、国民も勉強するし、これ、共謀罪を、場合

よっては潰せるよ、と小沢さんに申しました。

 

 すると、小沢さんが、「よし、分かった」と。

「しかし、ワシが、これを言うと、上から目線になって、みんな

困るから、アンタが、党を廻って、しかるべき人に話してごらん」

ということになりました。

 

 それで、だいぶ盛り上がっていたけどね。・・・

分かるでしょう?

 もたもたしている、ワケの分からん、四つに分かれたグループ、

あの辺に問題があったみたいですね。

 いやー、賛成の人も居ますからな。

 あれで、まとまっていたら、まあ、あそこが賛成しなくても、

署名運動みたいなことをやって行けば、相当、面白かったはずです。

 

 しかし、残念ながら、ボクらの世代の人も、ほとんど、「教育

勅語」を覚えてないしね。なかなか大変でした。

 しかし、実際、「教育勅語」が、それまであった日本人の

自立心や独立心を滅ぼしたと思います。

 結局、”天皇陛下のために、死ね! 国のために、死ね!”という

ことを合唱されたら、堪りませんわな。

 こんなことでは、どうにもならん、と思うわけです。     【つづく】

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月20日 (水)

私の平野貞夫論(34)

「FB九条の会」での講演からの

               抜粋【7】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 それで、問題はですね、今世紀になって、根底的に、世界の

構造が変わっているんですよ。

 つまり、資本主義が、実体経済から離れて、マネーゲームに

なって、そのマネーゲームに限界が来て、ミリタリーゲームに

なったんですな。

 

 ミリタリーゲームは、いつ、戦争になるか分からん。

そして、ここんところ、北朝鮮問題というのは、完全に、

アメリカと日本でですね、「新軍事資本主義」になってるん

ですよ。

 日本は、アメリカに脅されて、いくら買いますか?

そして、これはもう、戦争するしかないでしょう。

 

   Photo_20200518101001

 

   Photo_20200518101201

 

 ですから、どんなことがあっても、戦争させちゃ駄目ですよ。

 それは、幣原さんが言う通りですよ。

 まあ、ここんところ、米朝会談やるようになって、その

推移は分かりません。

 

 これは、中東の問題と不可分ですからね。

多少のいざこざはあったとしても、どんなことがあっても、

この九条だけは護もらなくちゃ駄目なんです。

 私は、どんなことがあっても、世界に、もっともっと

発信しなくちゃ駄目だと思います。

 唯、発信する方法が、たいへん難物です。

 

 私は、今の国際情勢から言いましてね、先進国で、まともな

国は、一つもありませんよ(笑)。

 それは、デモクラシーの劣化ですよね。

まあ、日本を先進国にするか否か、まあ、してもいいと思いますよ。

 先ず、日米が劣化でしょう。

それから、フランスも、そうでしょう。

イギリスも、そうでしょう。

 それから、他の国も、皆、そうですよ。

 

 それで、デモクラシーが劣化した原因は、日本以外は、共通して

るんですよ。

 何かと言いますとね、デモクラシーが盛んになり過ぎて、その

腐敗に伴う劣化ですね。

 

 その原因は、ポピュリズムとか、色々ありますが、やはり、

歴史のペナルティーを食らっているんですよ。

 つまり、植民地時代、収奪時代、それが、難民の問題など、

各国とも、多かれ少なかれ、そういう歴史のペナルティー

(あるいは、代償)を払っているんです。

 

   Photo_20200518115701

 

 ロシアは、はっきり言って、全体主義の国ですよ。

アメリカはねー、ある意味で、小さな"世界”ですからね。

 しかし、難民問題にせよ、何にせよ、ヨーロッパと同じような

もんです。

 でも、あそこは、一部とはいえ、マスメディアが、しっかり

していますからね。

 

 いずれにせよ、やはり、デモクラシーの再編をやらなければ

駄目ですよ。

 これについては、柄谷行人が、よく言っています。

でも、柄谷さんは、今まで、柳田国男(1875~1962:下の写真)

を批判していたんです。

 だから、縄文のことが分からなかったんです。

 

    Photo_20200518120501

 

 しかし、私との話を通して、柳田国男と縄文時代を

評価するようになりました。

 その結果、彼は、『憲法の無意識』という本を書きました。

 ですから、すでに述べましたが、憲法九条の本源という

のが、縄文時代から、日本人のDNAの中にあるということを、

今一度、力説したいのです。              【つづく】

 

 

 

 

 

 

2020年5月19日 (火)

私の平野貞夫論(33)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                 抜粋【6】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 さて、私は、憲法の他の条文については、問題があって、

いずれ、適切なものにせないかんと、思っています。

 それは、憲法を発展させることですからね。

 しかし、憲法九条というのは、絶対に変えてはならないし、

世界に発信するために、どうしたらいいかということを考えて

おります。

 また、そのことを勉強したのは、「安保法制」の騒ぎから

です。

 

 一つは、あの「安保法制」で、立憲主義ということを、今まで、

何も言わなかった憲法学者が、色々と言い出したことは、たいへん

良かったと思っています。

 しかし、ボクに言わせれば、われわれが、憲法違反を自民党が

やるのを、さんざん悩んだ時に、逃げて逃げて逃げまくってね、

何も言わなかったのに、何で、「安保法制」だけで騒ぐのか?と

いう思いなんです。

 正直、ボクにしてみれば、”何で、今さら、憲法学者が?!”と

いう思いがあるわけです。

 

 しかし、木村草太さん(現、東京都立大学教授:下の写真)なんか

は、いずれ東大教授になるんでしょうから、立派なもんですよ。

 それから、東大の石川健治さんなんかも、いいことを言っていますね。

 

     Photo_20200516205901

 

 私は、(東大法学部も)、少し、「天皇機関説」コンプレックス

から離れたと思っています。

 ケルゼン法学、解釈法学で、「九条」を解釈して、分離的に、

こうだから、護らないかんということを、憲法学者は、やった

わけでしょう。

 しかし、「九条」の護憲運動の本筋が、それだけではいけ

ませんわな。

 何で、「九条」を具体的に護っていくか、護っていく日本人の

深層心理に、一体、何を訴えるのかということを、これから、相談

して行かなければなりません。

 

 しかし、この度の「安保法制」の時に、保守本流の政治家こそ

いなかったけれど、元の法制局長官とか最高裁の判事とか学者が、

初めて、それこそ、”保守本流”の形で、正論を言い出したわけです

よね。

 

  ところで、ボクは、憲法問題も含めて、国会デモにも行きましたが、

この前までは、参議院の議員でしたし、その前は、衆議院の事務局に

いました。

 

 まあ、土井さんじゃないけど、「国民のための知恵を、あなたは、

どうして出さないのか? 自民党のための知恵ばっかり出して」と

怒られましたが、懐かしかったけど、ある意味では、悲しかったけどね。

(この言葉に、土井さんに、自らの深意、あるいは真意を汲んでもらえ

なかったという、平野氏の無念さが感じられる。 

 私感だが、些か教条主義的な土井さんにとって、平野氏の柔軟な

発想は、なかなか理解できなかったのではなかろうか。)

 

 ちょうど、浅沼さん(浅沼稲次郎:1898~1960:下の写真)が、

デモ隊で、攻め込んだでしょう。

 私は、あの頃、衆議院事務局に入ったんですよ。

上から見てたんですけどね。

 「浅沼懲罰」という大騒ぎがあったんです。

 

    Photo_20200517081401  

 

 そこで、あの時、ずいぶんと盛り上がったけど、当時の

安保法制に反対する人々(=市民)に、”土着性”が

足りないと思いましたね。

 

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 理論的に、安保法制の何条の、ここがこうだから、こうだと

いう、いわゆる民進党的ペースのやり方ですね。

 あくまで、理論的なもので、感性的なものが足りないわけ

です。

 

 あぁ、これは、ちょっと、この市民運動じゃ限界が来ると

思いまして、いわゆる、市民運動の土着的感性、例えば、

自由民権運動とか、江戸時代の一揆とか、結構、江戸時代には、

民衆が蜂起してるんですよ。

 歴史が改竄されて、公文書に残っていないだけの話で、

あるいは、少ないだけの話で。ー

 

 そのために、私は、坂本龍馬や、龍馬を支えていた妙見信仰に

ついて調べてみました。

「妙見菩薩陀羅尼経」というお経は、革命の本ですからね。

 悪い総理が出たら、天は、そいつを、総理から降ろせという

教えなんです。

 つまり、民衆と民衆のために尽くす人々を大事にしない王は、

排除するというお経ですからね。

 

 これ、本当に、草の根デモクラシーですよね。

だから、江戸時代の妙見(北辰)信仰を、龍馬の業績をたどって

勉強しているうちに、家康とお万さんに行き着いたというわけ

です。                             【つづく】

 

 

 

 

2020年5月18日 (月)

私の平野貞夫論(32)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                抜粋【5】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 しかし、今後、東アジアの情勢が良くなるか、悪くなるか、

分かりません。

 けどね、スキッと良くなるとは思えません。

 一回や二回の米朝会議で、話がつくとは思いません。

また、「北」が、核を放棄するとも思えません。

 しかし、私は、何回か重ねて、何回かトラブルがあって、

最終的には、決着が付くと思います。

 

   Photo_20200515090001

 

 というのは、アメリカのトランプは、商売人ですからね。

まあ、軍備を拡充して、金儲けをやるでしょうけど、何と

言ったって、北朝鮮と中国の間には、ダイヤモンド、金属、

レアメタルなどが、一杯ありますからね。

 これにも目を付けて、トランプは、やってるんです。

だから、一番困って、座敷(つまり、交渉の場)に入れない日本

は、何で、そうなっているかと言うと、「戦後補償」ですよ。

 

 韓国とは、やっているでしょう。

北朝鮮には、戦後の補償をしなければ、駄目ですよ。

 だから、「平壌宣言」(下の写真)には、ミサイルと核を止めたら、

また、拉致問題が解決したら、財政援助と戦後補償を協議すると、

小泉、書いてますからね。

 これ、いくらになると思います?

 アメリカ議会のロビイストが、数字、出してますよ。

 しかし、今、ここで言うと、大問題になるから、言いませんけどね

(笑)。

 

             Photo_20200515092401

 

  おそらく、もういい所で、自国の開発をするのに、北朝鮮、

金を払わないかんでしょう。

 ロシアにも、中国にも、アメリカにも。ー

 日本から、「戦後補償」で貰った金を使うじゃないですか?

シャブリ取られますよ。

 よっぽど、しっかりした総理を創らなきゃ!

アメリカべったりの人じゃ、駄目ですよ。

 

 私は、残念なのは、石破と中谷元(下の写真)、あれはね、

私が、憲法、教えたんですよ。

 役人の時から、自民党の議員の時も。

あんなんじゃなかった。「憲法改正論者」じゃないですよ。

 

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「集団的自衛権」をやるならば、憲法改正せないかんと、

中谷元は、防衛大臣になる一年前に書いているじゃないですか。

 今でも、中谷は、私が、「(自分の)憲法の先生だ」と

言いながら、大臣になると、コロッと変わってしまった。

 

 石破はね、まあ、私を先生とは思ってませんけど、私の影響

を受けていますが、彼らは、小沢調査会で、土井さんの論を、

ちょっと拡大したような、九条で国際貢献するという論だった

んですが、いつの間にか、飛び越えてしまいまして、一番、

過激になっちゃった。

 だから、彼らが、おそらく、「九条改正」のイニシアチブを

執ると思います。

 

 唯、ボクらの世代の幕僚長、陸幕長とか海幕長とかをやった、

防衛大学校を出た連中は、今でも、「憲法九条を変えてくれる

な!」と言いますよ。

 「自衛隊というのは、そのため(他国との戦争のため)に創った

んじゃない」とも言います。

 しかし、今の制服組も、そうでない組も、相当混乱してますね。

 

    Photo_20200515100201

 

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 唯、これからどうするかということは、野党の政権を創るため

の選挙に協力するにせよ、「安全保障」については、今までの

ようには行きませんから、具体的な案を出して行かねばなりません。

                                       【つづく】

                                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月16日 (土)

私の平野貞夫論(31)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                抜粋【4】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 それで、全く別のサイドから、私の所へ電話がありました。

「オマエ、引退して、遊んでちゃ駄目だぞ。

こういう時に、シャンとせえ!」と、言うんですよ。

 「すでに、一回やったけど、駄目だったから、イヤだ!」と

申しますと、まあ、特別な人から、特別なお叱りがありましてね。

 

 ”これは、困ったなあ、中曽根さんにでも頼まないといかん”と

思って、村上正邦(下の写真)の所へ行ったら、何にも言わんのに、

あの人、やっぱり刑務所に何年間か入っていたら、頭、冴えるん

ですな(笑)。

「平野、オマエ、中曽根に会いたいんだろう!?」と、何にも言わん

のに、そう言ったんです。

 

    Photo_20200514191901

 

 「そうだ!」というわけで、まあ、その時の構想が、

亀井(静香)さん(下の写真)を入れて、官房長官の

仙谷を説得して、「非常事態対策院」という「院」を

国会決議でつくって、要するに、臨時の超党派の緊急

組織を考えたわけです。

 

    Photo_20200514195701

 

 政権は、菅にして、でも、何も出来ないから、モラトリ

アム化して、何をするかという実行だけ、菅にさせて、

それで、非常事態対策院をつくる構想を立ち上げたんです。

 菅さんは、一旦、乗ったんです、仙谷に説得されて。

 仙谷が、「平野が、よう、こんなのをつくる? 小沢が、

反対するだろう!?」と言うから、「絶対、大丈夫!」と

言いました。

 

 しかし、これを蹴ったのは、財務省。ー

 その時に、財務省は、被害総額25兆円と出してました

からね。まだ、被害が有るのに。

 われわれは、100兆円ぐらいの、様々財源で、5年ぐらいで、

国全体の防災設備を作ろうと考えたわけです。

 でも、菅さんが、財務省に説得されて、自分が、これを

やられたら、「非常事態」でなくなったら、辞めないかんと

いうことで、菅さんと財務省が反対して、つくれなかったん

です。

 だから、「非常事態」というのは、なんぼでもやりようが

あるんです。

 

 しかし、今度、アベ抜きの自民党体制になった時に、「自衛隊」

追加するとか、九条を改正する問題が、どうなるかということ

は、私は、余計、厳しくなると思います。

 私は、むしろ、石破(下の写真)を、政権内に取り込むために、

石破の憲法案を採用する可能性があると思います。

 これは、先のことですから、勘で言うわけですよ。

しかし、憲法九条改悪を止めようと思ったら、多少、

想定しとかないといかんですからね。

 

   Photo_20200514200201

 

 そこで、石破の改正案が、一番悪いんですよ。

実際、「国防軍」にするわけですから。

 しかも、彼は、核武装論者ですよ、まあ、戦術核とは、

言いながら。

 アメリカの核の中に明記しろ、というわけでしょう。

石破の言うことは、アメリカだって、迷惑しますよ。

 一番、危険です。                   【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月15日 (金)

私の平野貞夫論(30)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                 抜粋【3】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 自由民主党で、憲法を、どういう風に改正するかということに

ついて、はっきりした意見を言う人と言わない人がいます。

 しかし、いずれにしても、平成24年(2012年)に出された、

谷垣・憲法改正草案(下の写真)というのは、怪文書ですよ。

 あれは、非近代国家の憲法です。

 弁護士やっている人が、何で、あんなもの、つくるんですかね?

(谷垣氏は、政治家になる前は、弁護士、兼税理士でした。)

 

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 今回、あれ(同憲法草案)があるのに、

自衛隊を入れる(=明記する)とか、非常事態

の条項を挿入するとかね。

 それから、参議院の合区や教育問題などが

ありますね。

 

 しかし、憲法論として言えるのは、自衛隊の問題

だけなんですよ。

 「合区」は、先程言いましたように、他の所を変えな

ければ、駄目なんです。

 

 それから、「非常事態」というのはね、憲法に書かなく

たってできるんですよ。

 その法律を作ればいいし、どんな非常事態が起こるか、

想定できないでしょう。

 それに、「災害対策基本法」もありますしね。

 

 実は、「3.11」の時は、菅内閣(下の写真の上)でした。

笹森さん(笹森清:元連合会長:下の写真の下)が、菅総理の

顧問で、その対応(フクシマ原発事故問題、その他)を、

どう構想したらよいか、相談を受けたとのことです。

 しかし、「自分は、電力の労働組合は知っているけれど、

国の仕組みを作ることは知らんから、何か案を作ってくれ」と

言うんです。

 

    Photo_20200513155101

 

     Photo_20200513155301

 

 それで、「そんなことは、アンタが言う話じゃない」と、

そして、「菅さんが、どういう人たちと話して、どういう

人たちの意見を聞くかという段取りで行くんだ」と申し

ました。

 あの時、小沢さんは、党員資格停止されていましたからね。

 

 それで、私が言ったのは、「先ず、民主党の代表経験者を

呼んで、『過去の事を、水に流してくれ』と、頭を下げて、

全力を挙げて、皆、協力してくれ!」と、そこからじゃ

ないか!」という話をしたら、それを、笹森さんから、

菅さんに言ったら、「小沢さんが来てくれるかどうか、分からない

じゃないか」と言われたらしいんです。

 レベルが低いね。

 それ、笹森さんは、私に、電話するんですよ。

「何、言ってるんだ。もし、行かなかったら、ワシが、首に

縄付けてでも引っ張って行くから大丈夫だ!」と申しました。

 

 まあ、それで、行ったけど、あの頃は、前原、鳩山、小沢の

三人が行ったけど、何も話はついてないんですよね。

 それで、「今、水をかけている(原発に)」という事態報告

をして、20分ほど居て、帰りましたら、その後、菅さんが、急に

谷垣さんに、「入閣してくれ!」という話をしたものですから、

混乱したんですよ。

 

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                                 【つづく】

 

    

 

 

    

 

 

 

2020年5月14日 (木)

私の平野貞夫論(29)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                抜粋【2】

 

 平野氏の話は、続きます。

 

  それから、郵政解散(2005年)は、参議院が否決したから、

衆議院を解散するというんでしょう。

 しかし、これは、「両院制」に対する違反ですよね。

 衆議院が、オレの気に食わんから、政権を解散するのなら

いいんですけど、こんなことをしたら、参議院の「否決権」が

無いじゃないですか。これも、憲法違反です。

 

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 この時、私は、引退してましたけど、小沢一郎さんが、

あの人、憲法キツイ(「ひじょうに詳しい」の意)です

からね。

 「これ、違反だから、訴訟を起こすような理屈を書いて

くれ」と言うわけです。

 私も、それを、やろうと思っていたんですよ。

それで、用意しましたらね、何と、民主党が、ぎりぎりで、

「内閣不信任案」を出したんです。

 内閣不信任案を出されれば、堂々と審議しなくて解決できる

先例がありますからね。

 それで、訴訟を起こせなかった。

(平野氏からすれば、あの時、小泉政権の憲法違反を、

国民の前に提示し、憲法を重視しようという国民の公正さに

訴えようとしたのではあるまいか。

 しかし、野党は、その深意を理解する機縁もなく、形式的、

かつ慣例的に「内閣不信任案」を出すことで、小泉政権に、

逃げ道を与え、かえって、彼らの憲法違反行為に、手を貸す

形となった。

 言うなれば、同政権の思う壺だったのである。)

 

 それから、もう一つは、昨年(2017年12月)の「憲法

53条」違反ですよ。

 直ちに解散になったら、直ちに訴訟を起こせばいいんですよ。

”月給(歳費)を、くれなくなった”と言って。

 まあ、憲法訴訟は起こせませんから。

起こせないことはないけど、受け付けませんから。

 ”損害賠償要求”をすればいいんですよ。

 

 ところが、どの政党もしない。

あの時に、4野党が要求して、7、8、9、の3ヶ月が過ぎて、

召集して、憲法で保障された「要求権」を無視して、安倍政権は、

120秒で解散しましたからね。

 

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 国会は、あれで、壊れているんですよ。

だから、総選挙が終わったら、総選挙の無効訴訟も起こせますよ。

 しかし、そんなのは、最高裁は、取り扱わんから、少なくとも、

”これからは、そういう事はしません、させません”という国会

決議をやって、修復をして進めなくっちゃ、駄目ですよ。

 その「修復」ができていないから、今のような与野党のザマに

なっていると、ボクは、見ています。

 ですから、憲法に違反するということは、もの凄く”厳しい

ことだ”と思っております。                  【つづく】

 

(参考)憲法53条:「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することが

   できる。

    いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、

   内閣は、その召集を決定しなければならない。」

 

 

 

 

 

 

 

    

 

2020年5月13日 (水)

私の平野貞夫論(28)

「FB憲法九条の会」での講演からの

                 抜粋【1】

 

 「facebook 九条の会」という集まりがあります。

 同会は、「この国は、二度と戦争をしないと誓った」

という素晴らしいスローガンを掲げています。

 (正直、「わが国は」と、強調してもいいのではないか

と思うのですが。)

 

 Facebook  

 

 一昨年の4月14日(土)、平野氏は、同会にて、

”改憲を急ぐアベ政治の行方を語る”という題目で、

講演を行いました。

 次の文章は、その中から、抜粋したものです。

平野氏は、こう語ります。

 

 正直に言いまして、私の経験で、33年間、国会事務局に

いて、思いましたのは、自由民主党という政党は、本当に、

「憲法違反」をするのが大好きなんです。

 ここん所が、日本の国民は、よく分かっていないんです。

 

 衆議院なり、参議院事務局の一番大事な仕事は、憲法の

81条でしたか、最高裁(下の写真)に、「違憲立法審査権」、

つまり、法律や規則や色々の政令などが、”憲法に違反しているか

どうか、ということを決めるのは、最高裁判所だ”と書いている

でしょう。

 それを、やってくれると、我々の仕事は、本当に楽ですよ。

地方議会では、そうなんですよ。

 地方事情で、(最終的に)最高裁が来ます。

 

  Photo_20200511151601

 

 ところが、国会の中の事に就いては、”統治行為論”というのが

ございましてね。

 いわゆる、英語では、political  problem( 政治問題)と言って、

決めないんですよ、最高裁が。ー

 でも、憲法では、”決めろ!”と、書いてあるんですよ。

 それを、慣例で、”最高裁は、政治に関わっちゃいかん”という

ことで、決めないんです。

 

 本当はね、政党は、後ろでは、ちゃんと悪い事、してるんです。

ボクは、知ってるんですけどね。

 だからと言って、憲法に素人の人ばっかりですからね、議長

だって、副議長だって、委員長だって。

 ですから、事務局が、よっぽどしっかりしないと、批判される

わけです。

 政党からは、「違反じゃない!」と、多数で押しつけられるのです。

時には、「全会一致で憲法違反しよう!」ということだってあるん

です(笑)。

 

 大体、「政党」とい政治権力は、本能的に、国家権力を縛る憲法に

反対しようとする性向があるんです。

 ですから、自民党の人が、綺麗事を言っていますが、何かあったら、

憲法を、簡単にひっくり返すわけです。

 

 私は、経験的に言って、憲法に違反するというものを、直接、

私が関わって、二回、止めました(これこそ、真の「憲法の番人」

では)。

 これは、その頃は、まだ自民党が、まともだったからです。

それから、大体、(自民党が)駄目になってから、一回、失敗

しました。それは、事務局にいる時です。

 それから、国会議員になってからは、これは、酷いですね。

森首相を創った「派閥談合政権」、あれは、憲法70条に、確実に

違反していますよ。

 もっとも、議会制民主主義の原理にも違反していますよね。

あれから、自民党の政治がおかしくなったんですよ、明らかに。

                                  【つづく】

 

(参考)憲法70条:「内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員

総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職

しなければならない。」

 

 

 

 

 

2020年5月12日 (火)

私の平野貞夫論(27)

憲法九条の霊性について(9)

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 だいたい、今の九条というのは、パリの不戦条約

(1919年のヴェルサイユ条約)から来ているわけでしょう。

 それで、「不戦条約」の時に、当時の日本は、「帝国議会」

ですから、国会の承認は要らないわけです。

 とはいえ、外務省が了解していたのです。

 

 その時の総理大臣は、田中義一(1864~1929:下の

写真)です。

 これは、悪い男ですね、陸軍大将でね。

彼は、兼外務大臣でもあったんです。

 田中義一が、よく、あのパリ不戦条約を承認したのは、

不思議だと思ったら、もう一人、変わったのがいたの

ですね。

 

    Photo_20200509131801

 

 要するに、総理大臣で、外務大臣兼任ですから、

外務省の仕事なんか、外務大臣は、してませんわね。

 つまり、外務事務次官がしているわけです。

 その当時の外務事務次官は、誰だと思われます?

「吉田茂」なんです。

 だから、彼が、「九条」を創る時に、スッと来る

わけです。

 ”自分が、不戦条約を推進した人物だ”というわけで。ー

 それで、吉田さんは、ちょっとフザケた所があるけど、

幣原喜重郎さん(当時の総理大臣:1872~1951:

下の写真)が偉かったね。

 幣原さんが、頑固に「九条」を言ったのは、もう一つ

あるんですよ。つまり、”原爆”ですよ。

 これから、戦争を始めるとすれば、原爆を使い、人類の

破滅だと。

 それで、彼は、「九条」を、強く主張したわけです。

 

    Photo_20200509133401

 

 また、吉田さんは、「九条」に関して、何と言ったかと

いいますと、「九条」と「天皇制」が取引なんですよ。

 それから、もう一つは、吉田さんは、こんなことを

言っているんです。

 実は、「九条」は、(日本)降伏の条件だって。

 ですから、幣原さんや吉田さんの考え方が、「保守本流」

なんですよ。

 

 それで、何で、憲法九条が、こんなに混乱したかと

いうことを、最後に、申し上げます。

 一番責任があるのは、保守本流の政治家だと思うんですよ。

 例えば、池田勇人、前尾繁三郎、それから、宮沢喜一、

大平正芳。ー 彼らは、”九条改正反対”なんですよ。

 擁護派なんですよ。

 しかし、彼らは、保守本流としての、「九条」擁護の理論を

創っていない。

 

 それは、何故か?

 自由民主党は、かつての「民主党」と「自由党」が、一緒に

なったもんです。

 「自由党」の人たちの大半は、九条の擁護派ですよ。

 しかし、「民主党」、まあ鳩山一郎とか中曽根康弘とかは、

改憲論者です。

 

 それが、一緒になって、総裁選挙で、自分たちだけでは、

政権が獲れんわけだ。

 それで、ハト派(=擁護派)が政権を獲る時には、多少、

タカ派(=改憲派)の機嫌も取らなければいけないから、

そういう、明確な保守本流の護憲理論を創らないわけです。

 逆に、タカ派がなった時には、自分らも少数派じゃいかん

から、ハト派の意見も聞かなくてはいかん。

 それで、余り無茶なことは言えないというのが、過去70年

のバランスだったわけです。

 

 それが、やっぱり、今日の自民党の「九条遊び」とか、

「怪文書」になっちやうんですよね。

 だから、そこで、ボクは、吉田さんから、自分が共産党

に入る時に怒られてね、色々あったんですけど、保守本流と

しての「九条」の護憲論を、「バカだ!」とか、「ホラ吹きだ」

と言われようが、「聖徳太子」と「縄文時代」を使って、広めよう

と思っております。

 以上で、ございます(拍手)。                【了】

 

 

 

 

 

2020年5月11日 (月)

私の平野貞夫論(26)

憲法九条の霊性について(8)

 

 平野氏の話は、次のように続きます。

 

 ところで、聖徳太子は、「法華義疏(ほっけぎしょ)」と

いうものを書いています。

 十七条憲法の後なんですけど、「法華義疏」というのは、

法華経を解説したものなんです。

 それが、かつて、上野の博物館で展示されました。

私は、終戦直後の進駐軍の命令で、「漢文」を習っていない

ものですから、充分ではないかもしれませんが、十回ぐらい

読み直しましたら、"大乗仏教じゃないと、いかん”という

ことと、やっぱり、”生命(いのち)が大事だ!”ということ

の二つが分かりましたね。

 ですから、私は、「聖徳太子」という方がいなくとも、

日本に、そいういうものを考える力があったと思うのです。

 

 そこで、最後に紹介したい人が、日野原重明さん(1911~

2017: 下の写真)です。

 去年でしたか、105歳で亡くなられました。

この方は、「憲法改正論者」(?!)だったんです。

 日野原さんは、聖路加病院の院長さんで、クリスチャンでした

ね。改革派のクリスチャンです。

 

     Photo_20200508202601

 

 それで、私は、自分の故郷(土佐清水市)出身の偉人・

ジョン万次郎(1827~98:下の写真)がお世話になった

アメリカ人船長の家がボロボロになったので、それを修復し

ようと、財団を作って、金集めをしたんです。

 それで、私が、ジョン万次郎の本を書いたもんですから、

日野原さんは、それを読んで、過剰に評価してくれました。

 

    Photo_20200508203301

 

  それで、彼の相談相手になって、彼が、「政治家から、

金を集めたら、悪いか?」と、問われるので、「いや、

そんなことはありません。やりましょう!」と言って、

政治家から、金を集めることにしたんです。

 「では、誰から集めるか?」と問われるので、小沢一郎

は、民主党の代表(当時)でしたので、私の方から依頼す

ることにしました。

 後は、不破哲三(下の写真)と土井たか子と、それから、

与謝野馨などです。

 「土井たか子と不破哲三は、来ないだろう?」と、日野原

先生が仰るもんですから、「いや、日野原先生、あなたの

名前を出してごらんなさい」と申しましたら、来ましてね。

 金を集める財団にですよ。

 

       Photo_20200508212701

 

 不破さんは、設立総会に出席しなくて、手紙が来ていたん

ですが、彼も、ジョン万次郎と同じ、土佐清水市の出身なんです。

 それで、「小沢と平野が、ジョン万次郎の顕彰の会を創ったの

は、けしからん」と、言ったんです。

 「あれ(ジョン万次郎)は、プロレタリアートだから、われわれ

が、顕彰すべきだった」と言うんですよ。

 でも、まあ、日野原さんの時は、喜んで名前を貸してくれました。

 

 土井さんは、何とね、発会式に来たんです。

(彼女の卒業校)同志社大学(下の写真)を創ることに、ジョン

万次郎は、貢献していますからね。

 

    Photo_20200508210001

 

 それで、日野原さんは、「憲法改正論者」なんですが、

どういう改正論かと言えば、彼は、「不戦だから、駄目だ!」と

言うんです。

 「不戦」は、軍隊を認めている、と言うんです。

これを改正して、「非戦」、とにかく、戦争というものがあっちゃ

いかん、軍隊というものがあっちゃいかんと言うんです。

 ですから、「非戦に改正しろ!」ということを、彼は、衆議院

の憲法調査会で語っているんです。

 でも、これは、報道されてはいませんね。        【つづく】

 

(追記:先日、拙稿の〔23〕の文中、「法元」と記しましたが、

   正しくは、「法源」でした。

   謹んで、訂正いたします。    

    また、平野先生に、心より、お詫び申し上げます。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

2020年5月 9日 (土)

私の平野貞夫論(25)

憲法九条の霊性について【7】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 それから、聖徳太子(下の写真)の「十七条の憲法」と

いうのがございます。

 聖徳太子は、最近の学説では、”実在しなかった”という論

が多いんですが、「実在する」、「しない」は、関係ないんです。

 ”聖徳太子という文化”があったことは事実ですから。

 

    Photo_20200507201801

 

 そこで、「十七条憲法」で一番有名な一項目目の

「和を以て、貴しとなす」ですが、これを、大方の人は、

「仲良くしろ」とか、「議論せずに、仲良くしろ」とか、

それから、自民党の人なんかは、「談合しろ」という具合

に解釈しています(笑)。

 カルト集団の「日本会議」などは、「『教育勅語』は、

『十七条憲法』から出ている」などと、バカなことを

言うんです。

 それで、十七条憲法の中には、”権力をくくる”ということ

を書いているんです。

 つまり、”役人が、どうあるべき”とかね。

 

 そこで、ボクは、人から、変わってると言われるし、自分でも、

変わっていると思うんですが、「和を以て、貴となす」という

のは、私は、直感的に、”戦争放棄”を宣言していると思うんです。

 ところが、理屈をくっつけるのが、なかなか大変なんですよ。

そこで、やっと理屈をつけて、それを説明するために、今日は、

ホワイトボードを買ってきました(笑)。

 この「和」という字を、「語源論」で、説明したいんです。

 

 「語源論」というのは、漢字が、何から、あるいは、どういう形

から、意味を持って来たのかを、説明するものです。

 実は、私の師匠の前尾繁三郎(衆議院議長)が、「語源論」の

大家でしてね。

 それの手伝いばかりやらされたものですから、私には、その

”クセ”が付いてましてね。

 

 「語源論」というのは、物事の本質を突くんです。

そこで、「和」という言葉の語源を調べたんです。

 白川静(1910~2006:下の写真)という有名な語源学者

がいます。

 

    Photo_20200507204101

 

 この方の説明によると、「和」のヘンの方は、古代の

中国で、戦争する時に、基地の入り口に、「木」を置いて、

あるいは、立てて、ここが、”基地だ”ということを示すもの

らしいんです。

 ですから、これは、”戦争する”ということですね。

 

   Photo_20200507204701

 

 他方、「口」の語源は、神に、自分たちの暮らしとか、

自分の国が平和でありますようにと祈る祝詞(のりと)

を置く道具らしいのです。

 「和」というのは、安らぎとか和みとかいう風に、

上品に言っていますが、要するに、語源的には、この

戦争する基地の入り口に、神に、「平和でありますように」

という祝詞を祈るものとが一緒になったものなんです。

 

 ですから、私は、「和を以て、貴となす」というのは、

あの5世紀から7世紀の時代、国内的には、大和朝廷が

成立する以前の、一番荒れた時代ですからね。

 それから、国際的には、もの凄く、朝鮮半島とのトラブル

があった時代ですね。

 それも、二百年くらい続いた動乱があったわけです。

 

 そんなわけで、聖徳太子の言う「和を以て、貴となす」は、

戦争放棄”の宣言だという風に断言しているんです。

 小沢一郎さんに、これを言ったら、「ちょっと、そこまでは、

言い過ぎではないか」ということでした。

 まあ、これから、彼を説得しようと思っています(笑)。

                               【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月 8日 (金)

私の平野貞夫論(24)

憲法九条の霊性について【6】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 ところで、「環境問題」で、”自然を支配する”という

欧米の考えたかは止めなければ駄目だ。

 むしろ、自然と共生する、自然に生かされているという

”縄文の考え方”を採るべきだということを、小沢さんは、

『日本改造計画』(下の写真)で、ちゃんと書いております。

 そういうことは、ちっとも表に出ませんからね。

私も、余り出さなかったのは、悪かったけど(笑)。

 初めて出すお話です。

 

     Photo_20200506143101

 

 縄文時代の日本人は、太陽と月と星の三つを、

「三位一体」として信仰していたんです。

 太陽を中心とする、つまり、アマテラス(下の写真)

の信仰」になってから、それから、アダムとイブが、

蛇に騙されて、リンゴを食ってから、「太陽神」と

いうのは、”繁栄”ですからね、欲望ですからね、無論、

欲望も大事ですよ。

 

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 しかし、日本の縄文人というのは、その「欲望」を、

月の変化、つまり、暗くなったり明るくなったりする月の

変化、それから、星の和み、星の和らぎと言いますか、

それから、星は、「平等」ですな。

 つまり、こういうもので、”精神の安定”を図っていたわけです。

 資本主義というのは、太陽信仰から出てくるわけです。

その成れの果てが、トランプですけどね(笑)。

 だから、私は、そういう形で、憲法九条を大事にして行かなけれ

ば駄目だと思う次第です。

 

 それから、私が、「霊性」という言葉を、どこから拾ってきたかと

申しますと、実は、日蓮宗ではなく、臨済宗の鈴木大拙さん(1870~

1966:下の写真の上)が、戦争中の昭和19年に書かれたものに、

『日本的霊性』(下の写真の下)があります。

 

    Photo_20200506145001

 

    Photo_20200506145101

 

 これが、凄いんですよ。

私は、学生時代から、この本が好きだったんですが、

彼は当時、すでに、日本の敗北が分かっていたんですね。

一流の国際人ですから。

 

 この本で、彼は、こう言うんです。

「日本は、世界に覇権を求めては駄目だ。

むしろ、世界の精神文化に貢献し、それを使命とすべきだ、と。

それが、日本的、霊性的自覚として、それを、世界に広げる

べきだ」と。

 

 私は、鈴木さんは、直感的に、戦争に負けて、”戦争放棄”の

国にしなければならないという気持ちを、昭和19年に持って

いたと思います。

 ”あぁ、これだ!”と思いましてね。

 それが、「憲法九条の霊性」というものを考えてみようと思った

わけなんです。                              【つづく】 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

2020年5月 7日 (木)

私の平野貞夫論(23)

(23)憲法九条の霊性について【5】

 

 平野氏の言葉です。

 

 実は、柄谷さんは、非常に面白い哲学者で、世界的に

有名な方です。

 『哲学の起源』(下の写真)という有名な本を書いて

おられます。

 その中で、「デモクラシーは、駄目だ!」と、

言うんですよね。

 

     Photo_20200505135601

 

 デモクラシーというのは、アテネでできて、今でも、

そのデモクラシーをやっているわけです。

 わが国でもやっています。

 

    Photo_20200505135801

                  (アテネのパルテノン神殿)

 

 しかし、デモクラシーは、アテネで創った時に、「自由と平等」

を活用(=享受)できたのは、市民だけですよね。

 ですから、同氏によると、デモクラシーには、奴隷的なものが

要ると言うんです。

 アメリカでも日本でも、何処でだって、みんな、「平等」だと

言っているけれど、機会が平等なだけで、実際は、金持ちたちに

搾取されているわけです。

 ですから、そのデモクラシーでは駄目だと言われるんです。

 

 その点、実は、「自由と平等」を分かち合える時代が、かつて、

より古いギリシャにあったと仰るのです。

 つまり、昔、ヒポクラテス(「医聖」と呼ばれた賢人:下の写真)

の時代にあったというわけです。

 それで、より古いギリシャ(つまり、「哲学以前」の同地)を

勉強しなければならない、と説かれているんです。

 

     Photo_20200505141401

 

 そこで、私が、或る人に、「別に、古代ギリシャまで

行かなくたって、3~4千年以前の日本の縄文時代は、

まさに、そうだった」と申しましたところ、誰かが、

それを、柄谷さんに伝えたんですね。 

 その結果、「国際縄文学協会(私は、そこで、理事を

やっていますが)」で、彼と対談することになりました。

 その時、柄谷さんは、縄文時代のことについて、目覚めて

くれました。

 

 日本の縄文時代というのは、今から、3千年ぐらい昔から

一万年前ぐらいの時代ですね。

 これが、のちの弥生時代になると、戦争ばかり起こるわけ

です。

 しかし、縄文時代には、大量虐殺などは無かったのです。

他方、この縄文と同時代のヨーロッパでも中国でも、大量虐殺

をやっています。

 

 しかし、縄文の一万年もの間、日本では、戦争が無かったの

です。これは、”世界の奇跡”だと言われています。

 私は、日本人の思想の原点には、この縄文時代の心があると

思うわけです。

 

 それで、私は、憲法九条の「法元」は、日本では、縄文時代から

ある、と考えます。

 まあ、それを言うと、またホラを吹いていると言われるんですが、

私自身、話も下手だし、これを、有名な人が言って下さるといいん

ですがね(笑)。

 

 でも、小沢一郎さんは、分かっているんです。

彼の半分(父方)の「岩手」は、”縄文の”アテルイの地ですからね。

 それから、もう半分の彼のお母さんは、フランス人の血、つまり、

幕末期のモンブラン伯爵(1833~94:下の写真)の系統なんです。

    Photo_20200505143501

 ですから、あの人(小沢氏)は、縄文精神と、

フランスのデモクラシーの両方が、ミックスされて

いるんです。

 これじゃ、自民党では、やってられませんわな。

                           【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

    

2020年5月 6日 (水)

私の平野貞夫論(22)

(22)憲法九条の霊性について【4】

 

 平野氏の言葉は、続きます。

 

 実は、お万さん(徳川家康の側室・お万の方〔養殊院

:1577~1653:下の写真)の活躍というのは、家康に、

命の大切さを教えたことにあります。

 それから、彼女は、民衆を中心に政治をやらなければ駄目に

なるということを、「妙見信仰」から教えていますね。

 

            Photo_20200504131301

        (千葉県勝浦市八幡岬公園〔勝浦城跡〕

         にある養殊院像・・・お万の方は、

         勝浦城主・正木頼忠の娘でした。)

 

 ちょうど、その頃、天台宗の天海和尚が、家康に影響を

与えています。

 天台宗の「天台」というのは、北極星という意味なんですね。

いわゆる、「星信仰」なんです。

 

 そこで、徳川時代というのを、もう一回見直さなければいかん

と思っていたところに、哲学者の柄谷行人さん(下の写真の

上)が、岩波新書で、『憲法の無意識』と言う本を出されたん

です(下の写真の下)。

 

    Photo_20200504132601  

 

     Photo_20200504132701

 

 この中に、「憲法九条は、徳川時代に、その先行形態が

あった」と書いてあります。

 つまり、徳川家康が、幕府を整備した時に、(秀吉が

始めた)刀狩りを、より厳しくやって、武士に戦いをさせ

なかった。

 ですから、憲法九条の精神を先行させたのは、徳川時代と

いうわけです。

 この点を、哲学者の柄谷氏が検証しています。

 

 それから、柄谷さんは、もう一つ、天皇の「象徴性」に

ついてですが、徳川時代に、天皇さんは、実体権力を無くして、

まつりごと(=祭祀)だけをやるようになりました。

 つまり、憲法九条と憲法一条の先行形態は、徳川時代に

あったという本が出てきました。

 

 唯、柄谷さんの考え方では、家康に、誰が、どうやって、

どういう風に影響を与えたのか?ということを検証していない。

 ところが、私たちは、この「寺子屋ルネッサンス」で、

お万さんが、”一つの要因”だということを勉強しました。

 

 特に、慶長の乱と言いまして、家康が、関ヶ原で勝って、

大阪・夏の陣までの間、どういう政治をやるかということで、

ものすごく悩むわけです。

 そして、彼自身、かなり乱暴な事をします。

 アレは、狸オヤジですからな。

 

 そこで、日蓮宗のお万さんの師匠(当時の身延山法主・

日遠上人)を、家康は、ある事件で殺そうとします。

 その時に、お万さんが、法華経の真髄を説いて、家康を

説得しました。

 そして、「星信仰(妙見信仰)」の”民を大事にすることが

大切だ”と説いたわけです。

 

 私は、お万さんの考え方が、家康の政治に影響を与えたと

考えております。

 そこで、私は、千葉県には、偉い女性がいたと思いましたね。

 ところが、千葉県の人々は、余りそのようなことを感じて

いない。

 また、日蓮さんのお母さんが、鎌ケ谷のお生まれだなど、

これは、大変なことなんですよね。

 

 やっぱり、そういう話を、憲法の”戦争はしない”ということ

と、”民は大事だ”という話を、そういう形で、一般に広げないと

いけませんね。

 こういった歴史的な事跡は、千葉県だけでなく、国内の各地に

あると思うのです。                        【つづく】 

 

           

 

 

2020年5月 5日 (火)

私の平野貞夫論(21)

(21)憲法九条の霊性について【3】

 

 次も、平野氏の言葉です。

 

 そこで、実は、「法華経」と言うと、直ぐ、私なんか、

創価学会を連想して、イヤーな感じがするんですが(笑)、

しかし、原始仏教として、最初の教えというのは、やっぱり

法華経らしいですね。

 

 私は、子供の頃、オヤジに、般若心経を教えられました。

般若心経は、それなりに、”有難い”と思ったんですが、

しかし、色々な人の教えを聞いてみると、やはり、

法華経に、”生命の尊厳”の元があると、言われます。

 ここが、日本人の心の入り口になっているという話を

知ったわけです。

 

 そこで、私が、法華経に興味を抱いた時に、ちょうど

いいタイミングで、日本の法華経について、宗教としての

法華経ではなく、むしろ、『思想としての法華経』という本を

書かれた植木雅俊さんという方を知りました(下の写真)。

 

      Photo_20200503135101

 

   

      Photo_20200503135201

 

 この方は、九州大学で、物理学を研究していらっしゃいます。

まあ、物理学に限界をお感じになって、法華経について、

調べられたわけです。

 この方は、「サンスクリット語」を勉強して、原文の

サンスクリット語文献(法華経の)を見出され、それを、

直接、日本語に翻訳なさったのです。

 

 この方の本を読みますと、今まで、法華経のサンスクリット語

文献が、幾つかあるんですが、それは、サンスクリット語を、

インド語(ヒンディー語)にして、それを中国語にして、

日本語にしたわけです。

 そういう風に、訳を重ねているうちに、誤謬とか誤りとか、

色んなものが出て来ました。

 日本の法華経の体制には、日蓮宗の宗派が色々ありますが、

(伝えられた内容に)”誤謬が多い”と主張されています。

 本当の法華経の精神が伝わっていない、と説かれているわけ

です。

 

 植木氏によると、法華経の思想の根本は、生命の尊厳平等

二つだと言われます。

”これは、面白い!”と思いまして、読み進みました。

 そこで、同氏は、日本人でも、本当のサンスクリット語の

法華経の精神(=釈尊の語った法華経)を”実感”している人が

いると書いています。

 その代表的なのが、聖徳太子、それから日蓮さん、道元さん、

それから、西行、芭蕉(下の写真の上)、それから、近松門左衛門

(下の写真の下)、要するに、必ずしも、日蓮宗の信仰者でもない

人もおります。

 

         Photo_20200503142001

 

     Photo_20200503142101

 

 こういう人々の中に、”生命の尊厳”と(民衆の)

平等”というものが入っているわけです。

 つまり、日本人の心の中には、この”生命の尊厳”と

平等”思想が、根っこにあると言われるわけです。

 それが、憲法九条に関して、中曽根さんが、いくら

再軍備しろ!と言ったって、それをさせなかった、戦後の

70年の伝統があったのです。

 

 まあ、「九条の会」も、憲法を守るために頑張りました。

 しかし、私が、今までのやり方では、限界があると感じ

ましたのは、安保法制で、あれだけ盛り上がったのに、

平成28年の参議院選挙で、改憲勢力が、3分の2を取って、

国会で、憲法を改正できる体制ができました。

 この現状を見て、われわれの運動の仕方を、もう少し工夫

しなければいけないと考えた次第です。       【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月 4日 (月)

私の平野貞夫論(20)

(20)憲法九条の霊性について【2】

 

 「寺子屋ルネッサンス」での平野氏の話は、続きます。

彼の言葉です。

 

  憲法九条に、「霊性」などという言葉を付けたのは、おそらく、

日本でも、私が初めてではないでしょうか。

 今までも、ずいぶんと笑われましたよ。

 私自身、中曽根さんとか、土井たか子さん(1928~2014:

下の写真)とかも絡んで、勿論、小沢さんとかも絡んで、それこそ、

モミクチャになりました。

 

       Photo_20200502202601

 

 そこで、私は、憲法九条について、誤った考え方を持っていたと

いうことを、反省しているわけです。

 

 それは、一体、どういうことかと言いますと、私は、最初から、

憲法九条は、護るべきで、変えるべきではないという理由づけが、

非常に単純でした。

 

 と言いますのが、第二次世界大戦、いわゆる、太平洋戦争で、

日本の軍人、軍属、それから一般の人々を入れて、310万人の

日本人が亡くなりました。私の叔父も、戦死しています。

 この方々の御霊が、憲法九条として結実しているのだと考えて

いたわけです。

 アメリカから強制されてとか、日本の誰が、どうのこうのという

ことではないのです。

 ですから、それ(国民の犠牲)に対して、敬意を払わなければ

いけないと考えていたわけです。

 つまり、日本人の犠牲に対して、憲法九条があるんだと考えて

おりました。

 でも、これは、とんでもない間違いだということが分かりました。

 

 それで、安保法制の大騒ぎの中で、根本的に安保法制の歴史と状況を

分析しましたら、先の大戦で、東南アジアの人々が、3000万人亡くなって

います。

 確かに、日本が直接、被害を与えたというわけではないですけれども、

第二次世界大戦の総死者数が、6000万人もいるわけです。

 

 それから、第二次世界大戦後も、色んな所で、戦争がありました。

そういうものを、全部合わせますと、20世紀に、一億人以上の人々

が、戦争で亡くなっています。

 これは、人類として、あっちゃならんことだと思うんですよ。

しかも、今の状況は、核戦争直前でしょう。

それも、人類の危機、人類の破滅に向かっているわけです。

 

    Photo_20200502211601

 

  Photo_20200502210501

 

 まあ、トランプさんと金さん(金正恩)は、少しよくなったけど、

うちの安さん(笑)は、相当オカシイですからね。

 これは、まさに、人類の危機ですよ。

 ですから、日本人が、世界の中で一番、”生命の尊厳”を、

大事にしようという民族なんですね。

 私は、やはり、そういう、日本の長い歴史の中で培った日本人の

戦争は、やってはいけない”という霊性で、憲法九条を結実させ、

以後70年、「解釈改憲」されるまで、持って来たのだと思うのです。

 

 だから、日本人の心の中にある、”戦争は、駄目だ!というものが、

いつ、誰が、どういう風な形で継承してきているのか、あるいは、

切られようとしているのかということを、よく勉強しなければいけない

思います。

 それが、この「寺子屋ルネッサンスの目的」だと思うのです。

                                    【つづく】

(追記)このところ、拙ブログにて、平野貞夫氏の言説を、書かせて頂いて

おります。

 正直、これは、本ブログ名の「私の平野貞夫論」の名に値しないものか

知れません。

 しかし、現代日本の真の警鐘家・平野氏の語る言葉は、まことに、より

多くの日本国民が傾聴すべき「金言」です。

 それゆえ、当分の間、この作業をさせて頂きたいと存じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

2020年5月 2日 (土)

私の平野貞夫論(19)

(19)憲法九条の霊性について【1】

 

 一昨年の4月1日、平野は、千葉県鎌ケ谷市内にある

妙蓮寺(下の写真)という名刹で、「憲法九条の霊性」と

題する、ミニ講演を行った。

 因みに、妙蓮寺は、日蓮聖人のご母堂の出生地に建立された、

由緒正しい日蓮宗寺院である。

 

   Photo_20200430135301

 

 以下は、その講演の内容である。

平野は、次のように語る。

「憲法九条の霊性」といいますのは、憲法九条の言葉(あるいは、

字句の解釈)に頼らない、憲法九条の本当の「心」とは、一体、

何か?という、一風変わった切り口で、お話したいと思います。

 

 最初に申し上げたいのは、「憲法九条とは、一体何か?」という

ことなんです。

 憲法九条というものを、多くの政治家や学者は、日本の安全保障に

ついて規定したものだ、と理解しています。

 つまり、「戦争放棄」という理念は、日本国憲法の三大理念の

一つ、「平和主義」の拠点だという風に考えています。

 言うなれば、自民党員も、他の政党の方々も、今まで、

日本は、「安全保障」をどうするかという技術的、政策的な面で、

色々と議論をしてきました。

 しかし、現在の自民党の「憲法改正論」は、メチャクチャだと

思っています。

 

 確か、平成24年頃、民主党政権でしたが、谷垣自民党総裁の

時に、自民党は、「憲法改正草案」というのを出しました。

 しかし、私は、あの憲法草案について、「あれは、”怪文書”だ!」

と申しました。

 あれは、明治憲法よりも、もっとレベルが低い。

”何で、自民党は、こんなに堕落したのか!?”と思いました。

どう仕様もないな、と思った次第です。

 私も、ある時期、自民党の国会議員でしたからね。

 

       Photo_20200430144701

 

 それから、今日まで、同党は、「九条の3項をつくる」とか、

「2項を外す」とか言って、全くまとまっていません。

 結局、自民党のやっていることは、”憲法九条遊び!”

なんですよ。

 真面目な憲法論じゃないんです。

 しかし、そうかと言って、野党のやっている憲法論も、一生懸命、

文章を解釈したり、いじくったりしてはいますが、ある程度、

「集団的自衛権」を認めて、歯止めをかけた方がいいとかいう、

技術論ばかり言っている現状です。

 

 私の考えでは、103条ある日本国憲法の中で、一番、大事な条文

は何か?と言えば、ボクは、「憲法九条」だと思います。

 ですから、日本国憲法というのは、結局、「九条」ですよ。

 「戦争放棄」というのは、技術的に、どうやって安全保障を維持

するかということも大事ですけど、何よりも、「戦争放棄」という

のは、わが国の基本方針ですよね。

 

 しかし、「戦争放棄」を貫くためには、議会制民主主義も、立派に

やらなければなりません。

 また、行政も、公正にやらなければいかんわけです。

 

   Photo_20200430143201

 

 ですから、私は、九条が、”日本国憲法の根っこである”、

という認識が大事だと思うんです。

 それで、安保法制という技術的、かつ政策的にだけ理解すべき

ではないというのが、私の、憲法に対する基本的な考え方なんです。

 

 では、何で、憲法九条に、「霊性」という、とんでもない

名前を付けたこと言いますと、九条というのは、日本人のものの

考え方の原点から見つめ直すべきだと考えたからなんです。

                                     【つづく】 

 

2020年5月 1日 (金)

私の平野貞夫論(18)

(18)平野による、「小沢一郎・

   悪評の責任、3分の1論」に

   ついて

 

 平野によると、「小沢一郎」(下の写真)が余りにも悪評を

受けるのには、三つの理由があるという。

 彼は、それを、「悪評(の責任)、3分の1論」という、

実にユニークな持論で、興味深く語っている。

 

   Photo_20200429143501

 

 先ず第一に、「本人が悪いですよ」と、平野は言う。

というのは、小沢氏は、絶対に、”言い訳をしないから”

である。

 それに、同氏は、決して、相手を非難したり、攻撃したり

しない。

 無論、公の立場なら、相手に対して、文句は言う。

だが、彼は、私的に相手を責めたりは、一切しないのだ。

 

 それで、ある時、平野が、「相手を攻撃しない、弁解も

しないで、政治ができるか!?」と、小沢に、強く迫った。

 すると、小沢は、「家訓なのだ」と言う。

弁解をしないのは、”両親の教え”だというのである。

 しかし、平野によれば、”これが、誤解に誤解を呼んでいる”

一因でもある。

 それゆえ、「この点は、もう少し喧嘩してほしい」と、彼は、

正直に述べている。

 

 次に、平野は、「悪評の責任の3分の1は、私、平野貞夫に

ございます」と語る。

 例えば、先述した、「総理は、軽くて、頭が悪い方が、担ぐのに

は楽なんだ」という言葉が、その一つである。

 また、初耳だが、平野が、「カジノ議連を作る」と言った時にも、

小沢は、「アンタは、また、ボクの評判を悪くするのか!」と、

語ったという。

 これが、小沢氏が、「カジノ議連」に名を連ねていることの真相

である。

 

 ところで、小沢氏の悪評の極めつけは、”小沢は、金に汚い”という

ものであろう。

 例えば、かつて自由党が、真っ二つに分裂した際、当時の小沢党首と

藤井裕久幹事長は、党を去る野田毅氏や扇千景氏に、相応の資金を

分けるつもりでいた。

 それで、どの割合で分けるのか?という点について、平野に相談した。

そこで、平野が、「どの金を分けるのか?」と問うた。

 小沢たちは、「政党助成金だ」と答える。

 

 これに対して、平野が、正直に答えた。

「それは、憲法に抵触しますよ」と。

 その理由は、「あれ(政党助成金)は、直近の参議院選挙の自由党

という政党の比例票に対して与えられたもので、自由党の政策や主張

に対するお金(税金)ですよ」と。

 それで、勝手に分裂して、創価学会や自民党に手を突っ込まれて、

(自由党から)出て行った人たちに、それを分けるのは、国民主権に

対する違反になるのじゃないですか?」と、明確に述べた。

  これを聞いた小沢は、自ら法律に明るいこともあり、「分かった!」

と、直ぐに了解した。

 

 それで、団体企業献金その他を、離党する人々に分けようとした。

 しかし、ここでまた、平野の至って正直な思いが表に出た。

実は、彼は、小沢に対して、こう言い放った。

「どこの民主主義の国家に、野党から与党に寄付する国があるか!?

そういう政党があるか!?」と。

 

  すると、小沢氏も怒った。そして、彼は、こう言った。

「アンタは、これで、何度目だ?

また、ボクの評判を悪くするのか!?」と。

(つまり、また、”金に汚い小沢”という風評が立つのである。)

 それで、平野も、小沢を気の毒に思い、こう提案した。

「分かった。それでは、(自由党に)残っている人々に聞きなさい。

それで、大半が、『いい』と言ったら、ボクも、文句を言わない

から」と。

 それで、達増拓也氏が、みんなに聞くと、全員が、平野と同意見

だった。

 

 それで、当時、自由党を去った人々からすると、思いの他、

少ない額で、手を打たざるを得なかった。

 離党者たちの前で、平野は、理路整然と説明した。

それを聞いた野田毅氏(下の写真)が、憤懣やるかたない風情で、

平野を激しく責めた。

「アンタは、書生論を言って、どれだけ、われわれの邪魔を

したか!」と。

 

   Photo_20200429183501

 

 実は、この経緯が、”小沢は、金に汚い”という悪評の真相

なのである。

 因みに、小沢氏の悪評・責任の最後の3分の1は、

下の人に原因があった。

 しかし、この方については、割愛させて頂きます。

                 (2016年6月13日の講演、参照)

 

   Photo_20200429184001

                                【つづく】

 

 

 

 

 

 

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