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2020年1月

2020年1月31日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(103)

(第二話)自民党をぶっ壊さずに、国民生活をぶっ壊した

     稀代の悪辣政治家【1】

 

 今日の審問は、大王の意外な言葉から始まりました。大王が言います。

「キリスト教の『新約聖書』とやらに、”白く塗りたる墓”(下の写真は、

イメージ)という言葉があるが、ジュンは、この言葉を知っておるか?」

と。

 

    Photo_20200127191401

 

 この問いに対して、純ちゃんが答えます。

「勿論です。表面は、うまくとり繕っていても、その内実は、

不正や虚偽、それに偽善や悪徳で満ちている有り様のことを

言うのではありませんか」と。

 この純ちゃんの、思いがけなくも見事な返答に対して、

大王が答えます。「ジュン、よくぞ申した。まさに、その通り

じゃ」と。

 

 そして、大王は、こう続けます。

「2001年から同6年まで続いたオヌシの政権も、ワシは、

この”白く塗りたる墓”だったと思うのじゃ」と。

 この突然の言葉に対して、純ちゃんが、ムキになって反駁します。

そこで、彼は、こう抗弁します。

「大王サマ、これは、異な事を仰います。

私の政権は、多くの国民に、ずいぶんと親しまれましたよ。

 それに、私が退陣する時にも、たいへん惜しまれたものです」と。

 

 この純ちゃんの反論に対して、大王が、冷静に語ります。

「それは、きっと、”目くらまし”を受けていたからではないか。

それとも、国民が、”催眠術にかかっていた”と言ってもよいかな」

と。

 この大王の言葉を聞いて、純ちゃんは、思わず苦笑してしまいました。

そして、内心、彼は、こう思ったのです。

”「目くらまし」や「催眠術」? 一体、誰が、そんなのをかけたと

言うんだい?

 第一、オレなんかに、そんな芸当なんて、出来やしない。

それとも、オレも国民と一緒に、その「目くらまし」や「催眠術」に

かかっていたのかな? いや、分からない。・・・

 

 しかし、待てよ。オレも、あの総理在任中、時々、魂が体から

抜けていくような瞬間があったな。

 あんな時は、このオレも、本来の自分じゃなくなっていたんだ。

 すると、オレに、「目くらまし」や「催眠術」をかけていた存在が

いたのか?

 それは、一体、どこの誰なんだ?

 もしかして、あの『アメリカ様』だったというわけか?

そして、あのタケナカ・ヘイゾーが、そのメッセンジャーだったという

わけか”と。

 

 すると、突然、大王が言います。

「ジュン、その通りだよ!」と。そして、大王が、こう続けます。

「無論、オヌシの選挙地盤が、『横須賀』という特殊な事情もあった

だろう。

 だが、『安保男』という異名を持ったオヌシのオヤジさん(下の写真)

同様、いやそれ以上に、オヌシのご主人様は、あくまでもアメリカ様だった

ようだな」と。

 

       Photo_20200127200301

 

 これには、流石の雄弁な純ちゃんも、容易には反論でき

ませんでした。

 そこで、大王は、こう続けました。        【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月30日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(102)

(第一話)純ちゃん、閻魔大王との初対面に感動!【2】

 

 そこで、純ちゃんが答えます。

 

「さて、何百人だったでしょうか? いちいち、その数は覚えて

おりません。

 しかし、それは、ともかくとしまして、私は、人間とは、

”感動する生き物”だと考えています。

 実は、政治にも、この感動がなければなりません。

 

 しかし、今の日本の政治は、自己保身や忖度はあっても、どこにも、

”感動”が無いので、全く面白くありません。

 ただ、唯一の例外は、山本太郎君(下の写真)の果敢な政治活動

ぐらいです。

 彼の行動は、実に面白い。正直、私も、”感動”しています。

 息子の進次郎も、『育休』がなんだらこうだらと言ってる暇が

あったら、太郎、とはいえ麻生じゃありません。そう、山本太郎君

の、無私無欲な行動をこそ、先ず、見習うべきです。

 

         Photo_20200127173401

 

 人生は、『ゲーム』です。政治も、面白くなくっちゃ、人は付いて

来ません。

 私は生前、色々と批判を受けましたが、日本の政治を、”面白くした”

という点では、なかなかの功労者だったと自負しています。

 それが出来ましたのは、私が、常日頃から、”感動すること”を

念頭に置いていたからです。

 色んな事に関心を持ち、好奇心旺盛に生き、そして、あらゆることに、

心から感動できる、それが、人間にとって、一番大事なことでは

ないでしょうか」と。

 

 閻魔大王の面前が、いつの間にか、純ちゃんの演説会場になって

いました。

 でも、大王は、それを決して制止せず、ただ黙って聞いておりました。

純ちゃんも、久し振りに、自分の思いの丈を開陳できて嬉しそうです。

 今まで、いくぶん緊張気味だった彼の顔が、少しほころんで来ました。

総理時代の、あの、聴く人の心を奮い立たせた感動を思い出していたの

かもしれません。

 

         Photo_20200127173701

 

  すると、そこに、純ちゃんの性格に関する報告書が届きました。

それには、こうありました。

「目立ちたがり屋、ナルシスト、自意識過剰、経済オンチ、

シスター・コンプレックス、エピキュリアン(快楽主義者)、

『口だけ』男、好奇心旺盛、好色、感動家、織田信長好み、

冷酷、狡猾、多重人格、いくぶんサイコパス、無思想、軽薄、

異常に潔癖、そして、天下の無責任男」と。

 

 これを読んだ大王は、暫く、目をパチクリとしました。純ちゃんの

全体的な性格が、なかなか掴めない感じです。

 でも、これは、当の本人も全く同様で、彼自身、この”分散型の多重

人格”に、生前、したたかに振り回されたようです。

 しかし、これは、彼の研究者や追っかけも、全く同じです。

彼に関する数々の探究の結果、”何も残らなかった”というのが、

偽らざる実態のようです。

 

 そこで、大王が言います。

「それでは、これより、ジュンの審問に入るとしよう」と。

 閻魔庁の周りは、暗い中にも、少し温かい陽が射しておりました。

                                            【つづく】

 

2020年1月29日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(101)

            第七章  純ちゃんの巻

 

        Photo_20200126212201

   

(第一話)純ちゃん、閻魔大王との初対面に感動!

(第二話)自民党をぶっ壊さずに、国民生活をぶっ壊した

     稀代の悪辣政治家

(第三話)全くの出鱈目だった「構造改革」

(第四話)「規制改革」という名の巨大なペテン

(第五話)非情な暴政で幕を開けた21世紀

(第六話)小泉政権で失われた、政治の”真面目さ”

 

(第一話)純ちゃん、閻魔大王との初対面に感動!

 

 康(やっ)ちゃんが去った後の純ちゃんは、心なしか淋しそうです。

生前、あれ程、反目し合った仲でしたのに、この淋しさは、一体どこから

来るのでしょう?

 そこへ、青鬼と赤鬼が、やって来ました。

両鬼が言います。「コイズミ・ジュンイチロー、これより、閻魔庁へ

出頭するがよい」と。

 閻魔庁へ到着した純ちゃんは、面前の巨大な閻魔大王を見て、思わず

叫びます。

「スッゲェー、何て大きいんだ!」と。

 

   Photo_20200126202601

 

 彼にとっては、まるで、アヌンナキを初めて見た時の人類のような

驚きだったことでしょう。

 因みに、アヌンナキとは、シュメールやアッカドの神話に出てくる「神」

のことです。

 たいへん巨大だったことで知られています。

 

 純ちゃんの反応を見ながら、大王が、こう語りかけます。

「ジュンイチロー、よく来たな。オヌシとの出会いを、

心待ちにしていたぞ。

 これより、オヌシを、『ジュン』と呼ぶが、それでもよいか?」と。

 これを聞いた純ちゃんが、即座に答えます。

「勿論です。『ジュン』、とてもカッコいいじゃないですか。

 娑婆では、そんな呼ばれ方はしていなかったなぁー。

 でも、そう呼ばれて、最高! とても、いい気分です」と。

 

 純ちゃん、たいへんご機嫌です。そこで、大王が言います。

「ジュン、オヌシは、今までの者たちと比べ、ずいぶんと毛色が

違うな。それに、なかなかの感動家のようだ。

 生前、オヌシは、きっと多くの者たちに慕われたことじゃろう」と。

 この言葉に対して、純ちゃんが、こう応じます。

「大王サマの仰る通りです。人間、感動が一番!

今の日本人は、心から感動することを、忘れています。

 

 私なんか、今までも、”エルビス・プレスリー(下の写真)に感動、

貴乃花に感動、Xジャパンに感動、オペラに感動、大谷翔平に感動、

大阪なおみに感動、引退したイチローに感動、ブッシュ・ジュニアの

アホさ加減に感動、初孫の誕生に感動、しまいには、今日のハチャメチャ

アベ政治にも感動!といったところです」と。

 

      Photo_20200126212601

 

 それから、純ちゃんは、こう付け加えました。

「そして今、私はここで、閻魔大王サマにお会いできましたことに、

心から感動しています」と。

 

 これを聞いた大王は、苦笑しながら、こう応えます。

「ジュン、オナシは、なかなかの口達者じゃのう~。

生前、これで、一体、どれ程の女性たちを泣かせたのじゃ?」と。

                                       【つづく】

 

 

 

 

 

2020年1月28日 (火)

《補遺》ー「JAL123便墜落事件」に関してー

《補遺》ー佐々木祐(ゆたか)先輩の思い出ー

 

    Photo_20200126102601                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 

 これは、すでに一部の方々にはお伝えしたことですが、

実際に、JAL123便で操縦桿を握っていた副操縦士の

佐々木祐(ゆたか)氏は、実は、私が卒業した小学校

(熊本市立白坪小学校)時代の、憧れの先輩でした。

 

 佐々木家は、熊本市内有数の名家です。

先輩の御祖父様は、かつて、熊本市の助役(今で言う副市長)を

していらっしゃいました。

 たいへん人望の厚い方だったと伺っています。

 

 私の幼少年時代、実家近くの神社の境内で遊んでいますと、

夕方頃、羽織を着た立派なご老人が、実に丁寧に参拝している姿を、

見掛けました。それも、ほぼ毎日なのです。

 白く、長い髭をたくわえた、何とも威厳のある雰囲気でした。

そのご老人こそ、佐々木先輩のおじい様でした。

 

 先輩のお父様は、隣町で果樹園を営む資産家でしたが、

母の言によりますと、たいへん深い精神性を備えた方だった

とのことでした。

  例えば、終戦直前、日本は、徹底抗戦(いわゆる「本土決戦」)を

選ばず、無条件降伏の道を選択しました。

 しかし、当時の陸軍の一部には、まだ、「本土決戦」を主唱する

将校たちがいました。

 そんな中、昭和天皇は、「無条件降伏」を受諾されたのでした。

このことについて、佐々木氏は、周囲の人々に、こう語っておられた

そうです。「天皇陛下が、私たちを救って下さいました」と。

 今の時代感覚では、なかなか理解しずらい内容の話ですが、母は

晩年、そのことを度々、とても懐かしそうに語ってくれました。

 

 今考えますと、佐々木家と我が家は、とても深い繋がりがありました。

つまり、お互いに助け合うような間柄でした。

 5歳年長の先輩とは、親しく話したことこそありませんでしたが、

同氏は、周囲の人々を包み込むような優しさがあり、何とも言えぬ

”カリスマ性”を備えていました。

 

 中学・高校時代の同氏は、とても色白で、少しふっくらとした感じ

でした。それこそ、平安時代の若き公達を見るような風情でした。

 人の顔というものは、時と共に、また環境の変化で、ずいぶんと変わる

ものです。

 日航パイロット時代の同氏は、日々、充実こそされていたのでしょうが、

たいへん緊張の多い日常ではなかったかと拝察いたします。

 

 先輩は、中学卒業後、市内の名門、済々黌高校に進学されました。

その当時、同高校は、質実剛健を旨として、男子生徒は丸刈りで、

黄色い線の入った帽子を被っていました(今は、そうではありません)。

 私事で恐縮ですが、私が小学6年生の頃でしたか、その帽子を

被られた先輩が、青空の中で(つまり、中空で)、ニコニコと微笑んで

おられる姿が、急に目に飛び込んで来たのです。

 

 それこそ、まさに、”天空に浮かぶ巨大なイメージ”でした。

空の青と帽子の黄色の線が、余りにも鮮明でしたので、今も、

強く目に焼き付いています。

 でも、何故、そのような”白昼夢”を見たのか、当時は、全く

理解できませんでした。(正直、それは、今も全く同じ状況です。)

 実は、拙ブログ中の”天空に浮かぶ巨大なイメージ”というのは、

60年近く前の、その時の印象を思い出したものなのです。(内容は、

全く異なりますが。)

 

 ところで、佐々木邸の裏庭には、とても美しいガクアジサイが

咲いています。

 毎年毎年、まるで、佐々木先輩の御霊(みたま)のご帰宅を、

待ち続けているかのような風情です。

 今年の梅雨時にも、きっと美しく咲いてくれることでしょう。

 

    Photo_20200127205901

               (実際のものではありませんが、

                それでも、よく似ています。)

 

 また、正直申しまして、私が昨日、ナカソネ氏に関して、

あのような激烈な文章を書きましたのには、一つのワケがあります。

 それは、佐々木先輩始め、同機で犠牲となられた方々のご無念を、

少しでも晴らしたいという思いがあったからなのです。 

 

 佐々木家と我が家(すでに、熊本地震で被災して、駐車場になって

いますが)は、200メートルと離れていません。

 1985年、先輩のご葬儀が、ご実家で営まれました。

母も参列いたしましたが、気丈な先輩のお母様は、母に、

こう語られたとのことです。「息子は、戦死しました」と。

 これは、生前の母から、直に聞いた言葉です。

 この平和な世の中で、亡き愛息の墓前で、こう語る母親の言葉は、

一体、何を物語るのでしょうか?

 

 私たち日本国民は、次の言葉を、今一度、心に深く刻むべきだと

思うのです。

 ある墓碑銘には、こうあります。

日航123便で死亡した520名の犠牲者1人1人がどうして

死ななければならなかったか、関係するあらゆる事実を解明し、

将来の安全に役立てることこそ、真の供養である」と。

(2004年8月12日 航空安全国際ラリー組織委員会)

 

    Jal123_20200126163201

 

                                             合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月27日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(100)

(第七話)JAL123便墜落事件の真実【3】

 

 大王の最終審問は、康(やっ)ちゃんの人生の総括、

とりわけ、「JAL123便墜落事件」に関してでした。

 しばらくの沈黙の後、大王は、おもむろに、こう

切り出しました。

「ここに、日本の或る識者がいる。その者に言わせると、

『JAL123便墜落事件は、決して、たまたま起こった、

偶発的な出来事ではない。むしろ、中曽根総理の時だから

こそ起こり得た、必然的な事件である。

 つまり、これは、初めから仕組まれた大謀略である』」と。

 

 これを聞いた康ちゃんは、突然、顔を赤らめ、こう訴えます。

「誰が、そんな有りもしない世迷い言を言うのですか?!」

と。そして、彼は、こう続けました。

「事と次第によっては、即刻、その者を、名誉毀損で、訴える

つもりです」と。

 康ちゃん、いささか興奮したせいでしょうか、

自分が、すでに地獄にいることを、全く忘れているようです。

 余程、頭に血が上った風情です。

 

              Photo_20200125191201

                                 (90歳代の中曽根康弘氏)

 

 そこで、大王が、こういう話題も取り上げます。

「ヤス、聞くところによると、毎週、このJAL123便と同時刻の

便に乗っていた、ある著名な経済人が、この日(8月12日)に

限って、電話で、こう忠告されたそうだ。

『○○さん、決して、12日の同機に乗ってはいけません!』と。

 この忠告に従って、同氏は、難を逃れたという」と。

 すると、康ちゃんは、その大王の言葉を遮り、こう強く

語りました。

「それも、後世の人々による、興味本位の作り話です。

そんな戯れ言を、大王サマともあろう御方が、真に受けられるの

でしょうか? まことに笑止千万な話です」と。

 

 いつも、人を食ったような康ちゃんが、この日に限って、

妙に興奮気味です。

 でも、大王は、決して深追いをせず、少し、話題を変えました。

そして、彼は、康ちゃんに、こう問い掛けます。

「ヤスは先程、今まで、自らの良心について意識したことなど無いと

申したが、その思いは、今でも変わらぬか?」と。

 すると、康ちゃんが、正直に答えます。

「ハイ、今でも、変わりません!」と。

 

 これに対して、大王が、こう語ります。

「ところで、ワシの前に、『閻魔帳』がある。

これには、オヌシたちに関して、あらゆることが、

書かれておる。

 ヤスに関しては、ここに、具体的な人名が記されておる」と。

 そこで、閻魔大王が、そこに記された人物名を、

一つ一つ読み始めます。

「田中角栄、児玉誉志夫、JAL123・・・」。

 

         Photo_20200126153901    

 

 これらの名前を聞くと、康ちゃんの顔は、みるみるうちに

蒼くなり、冷や汗が、急に流れ始めました。

 そこで、大王が問います。

「ヤス、どうしたのじゃ? これらの名前は、お前が、罪に

陥れたり、殺害の対象にした者たちではないか!?」と。

 

 これに対して、康ちゃんが答えます。

「大王サマ、とんでもありません。ただ、懐かしい名前だった

だけです」と。

 これに対して、大王が、粛然として言います。

「ただ、懐かしいだけで、オヌシは何故、そんなにも蒼くなる

のじゃ? 可笑しいではないか!」と。

 でも、康ちゃんは、即座に返答ができません。

そこで、大王が、こう、畳みかけます。

「きっと今、オヌシの良心が、慌てふためいているのであろう」と。

 

「ところで、この、JAL123便について、オヌシは、まだ隠して

いることが有るのではないか!?」と、大王が言います。

「いや、決して、そんなことはございません」と、康ちゃんは、

即座に、シラを切ります。

 そこで、大王が、威厳を持って、こう語ります。

「では、何で、この閻魔帳に、『JAL123便』の名前が記されて

いるのじゃ? 変ではないか!」と。

 そして、大王は、こう続けます。

「オヌシは、あの時、520名もの尊い命に対して、重大なる犯罪を

犯したのではないか!」と。

 

 これに対して、康ちゃんが、こう抗弁します。

「滅相もありません。私は、当時の総理大臣として、果たすべき責務を、

じゅうぶん果たしました」と。

「ではあの時、何故、事故機を発見するまで、11時間も掛かった

のじゃ?!」と、大王が、難じます。

 これに対して、康ちゃん、「それは、余りにも突然の出来事であり、

それに、漆黒の闇の中での作業でしたので、どうしても手間取ったの

です」と、苦しい弁明をします。

 

 すると、閻魔帳に、突然、次のような一連の言葉が、浮かび上がって

きたのです。それらは、「まつゆき」、「ファイヤー・ビー」、

「オレンジエアー」、「チャカ2」、「ファントム2機」、

「空対空ミサイル」、「二度焼き」、「携帯用VXガス」、

そして、何と、「火炎放射器」という文字でした。

 

 そればかりか、急に天空が開け、これらの言葉に沿った情景が、

突然、空中で大展開しました。

 それは、まさに、”天空に浮かぶ巨大なイメージ”でした。

それはまた、見たこともないような巨大なスクリーンでした。

その情景を、康ちゃんは、まざまざと見せつけられました。

すると、どうしたことでしょう?

 そのスクリーンの中から発した1本の強烈なビームが、康ちゃんの

心臓の中心を射貫きました。

 

 その瞬間、康ちゃんは、急に、その場にひれ伏し、「ウォー!」

という、何とも言えぬ唸り声を上げました。

 その声は、到底、人間の声とは、思えぬものでした。

古今東西、このような凄まじい怒声を発した人間はいないこと

でしょう。

 それは、まさに、魂の奥の奥から湧き起こったような唸り声

だったのです。

 

 そして、その唸り声は、いつの間にか、周囲を憚らぬ泣き声に

変わっていました。

 そして、人目を憚らず泣きじゃくる康ちゃんの体全体が、

いつの間にか、一つの、大きな大きな”涙の塊”になっておりました。

 それは、 名作『変身』で有名なフランツ・カフカ(1883~1924)でさえも、

びっくりする程の、実に不思議な光景でした。

 

 そこで、大王が、冷厳に語ります。

「ヤスも、少しは、自分のしたことが理解できたようだな」と。

 そして、彼は、こう宣言します。

「ヤスも、皆と同様、無間地獄にて、この世にて犯した罪を償うがよい。

その期間は、2000億年とする。

 それでは、これにて、ヤスの審問を終了する」と。

                          【第六章 了】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月25日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(99)

(第七話)JAL123便墜落事件の真実【2】

 

 生存者の一人、落合由美さんの言によれば、それは、

「パーン」という、かなり大きな、乾いた音でした。

 他方、事故調査委員会の報告によれば、ボーイング社による

不適切なリベット修理が原因で、後部圧力隔壁が破損したとの

ことでした。

 そのため、同機は、その垂直尾翼と補助動力装置が破壊された

と言われます。

 その結果、油圧操縦システムがダウンし、同機は、迷走飛行の

末、群馬県の高天原(通称:御巣鷹の尾根)に墜落したと言うのです。

 

 しかし、色々な事実を勘案しますと、これは、全くの誤りだということが

明らかになります。

 例えば、圧力隔壁が破壊されれば、機内は、急激な減圧に見舞われる

はずなのですが、そのような現象は、全く見られませんでした。

 

 事実、航空整備の専門家によれば、同機の圧力隔壁は、二次的に破壊

されたのであって、あくまでも、垂直尾翼の破壊が先だったと言うのです。

 つまり、機体後部の圧力隔壁の破壊は、決して急減圧の結果ではあり

ませんでした。

 

 しかし、不幸なことに、同機が破壊された初期破壊の原因を最も

分かりやすい形で示す部品は、何と、1985年11月に、「事故調」が

相模湾での海底捜索を打ち切った機体構造部品だったのです。

 もし、海底を徹底的に捜索し、厳密に機体の尾翼部分を検証すれば、

当時の「事故調」の報告が、完全に覆ったはずでした。

 

  つまり、これは、決して事故などではなく、全くの事件であり、

あくまで外的な圧力が加えられた結果でした。

 事実、この突然の衝突音の直後、高濱雅己機長(当時、49歳)は、

「何か、爆発したぞ!」と語っています。

 「爆発した」と言うより、彼は、むしろ「衝突した」と言いたかった

のかも知れません。

 でも、それ程に、大きな音だったゆえに、「爆発した」と理解し、

そう述べたのではないでしょうか。

 

 そして、彼は、右側に落下していくファイヤー・ビーを確認したと

思われます。

 と言いますのも、その日は、佐々木副操縦士の機長昇格訓練の日

でしたので、高濱機長は、コックピット左側の機長席ではなく、右側の

副操縦士の席に座していました。

 それゆえ、彼は、右側に落ち行くフアィヤー・ビーを認知できたのです。

 

 それで、彼は、即座に、”オレンジエアー”という言葉を発します。

「オレンジエアー」(下の写真)というのは、海上自衛隊内で使われる

隠語で、演習用の「無人標的機」のことを意味します。

 端的に言えば、それは、ファイヤー・ビーそのものなのです。

実際、その機の色は、オレンジ色です。

 高濱機長は、海上自衛隊の出身です。長年培った経験と勘で、瞬時に、

何が起こったかを理解したと思われます。

 

    Photo_20200123195201

    (上の写真は、ブログ「日本航空機123便墜落事故を検証する」

                               より、拝借)

 

 それゆえ、彼は、すぐさま、「スコーク77」と発信したのです。

これは、何か、軍事的なトラブルに巻き込まれたことを、管制塔に

知らせるものでした。

 この急変は、彼にとって、ただならぬ出来事でした。

しかし、すでに、垂直尾翼が吹き飛んだ同機は、まさにミサイルの

ような形態になっていました。(*下の写真は、その垂直尾翼を

無くした同機の姿です。)

 

    Jal123

 

 この大事件の後、多くのベテランパイロットが、これと全く同じ

状態で操縦できるかどうか、シュミレーションしましたが、

誰一人、上首尾に着陸させることができませんでした。

 つまり、高濱機長も、実際に操縦桿を握っていた佐々木祐(ゆたか)

副操縦士(当時、39歳)も、さらには、福田博航空機関士(当時、

46歳)や波多野純チーフパーサー(当時、39歳)、それに11名の

女性乗務員全員は、自分でできる限りの努力をしたのです。

それは、まさに超人的とさえ言えたでしょう。

 実際に、「乗務員は、冷静でした」という、乗客による渾身の遺書

が残っています。

 

    Jal123_20200123155601

 

 ところで、舞台を、閻魔庁に移します。

丁度、康(やっ)ちゃんに対する最終審問が始まったところです。

                                【つづく】

 

 

 

 

 

  

2020年1月24日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(98)

(第七話)JAL123便墜落事件の真実【1】

 

 大王が、康(やっ)ちゃんに問います。

「ヤス、オヌシは生前、1985年8月12日(月)の日航機墜落事件

に際して、『真実は、墓場まで持って行く』と公言したそうだな。

 実際に墓場まで持って来て、今の気分はどうじゃ?

自分に納得のゆくものとなっておるか?

 かつて、自分のした事に、全く悔いは残っておらぬか?」と。

 

 大王の矢継ぎ早の質問に、流石の頭脳明晰な康ちゃんも、いささか、

戸惑い気味です。

「別に、悔いなど残っておりません」と言うのが、関の山でした。

 そこで、大王が、毅然として答えます。

「『悔いがない』と言うのなら、それは、それでよろしい。

だが、今、オヌシの内なる”良心”は、少し違った反応を示して

おるぞ」と。

 

 この大王の言葉に反発するかのように、康ちゃんは、少し

声高に答えます。

「私は、今の今まで、『良心』なるものを意識したことはござい

ません」と。

 

 そこで、大王が、次のように応じます。

「確かに、そうかも知れんな。オヌシら、『政治家』という人種は、

人間の”良心”から、最も遠い所にいるようじゃ。

 死後も、それを認識できない政治家が、殆どじゃ!」と。

 

 この言葉に気分を損ねた康ちゃんは、まるで居直ったかのような

風情で、こう答えます。

「私も、そんな者の一人かも知れません」と。

 そこで、大王が言います。

「いや、ワシには、そうは思えぬ。

 というのも、今、ワシには、オヌシの良心が、大きな声で叫んで

いるのが、聞こえるからじゃよ」と。

 

 この大王の言葉に興味を示した康ちゃんが、こう問います。

「大王サマ、その、私の良心とやらは、一体、何と叫んでいる

のですか?」と。

 そこで、大王が言います。

「『私は、大きな過ちを犯しました』と叫んでおる」と。

 その瞬間、康ちゃんの大きな額に、一筋の冷や汗が流れました。

 

 そして、彼は、あの1985年8月12日(月)に起こった出来事について、

はっきりと思い出したのです。

 あの日は、お盆を前にした暑い日でした。

まさに、大きな船を思わせるジャンボ機(ボーイング747・SR46)

内では、500名以上の乗客が、出発予定時刻18時の離陸を、今か

今かと待っていました。(下の写真は、JAL123便の同型機です。)

 

    747

 

 同機は、12分遅れで離陸し、一路、大阪の伊丹空港へと向かい

ました。

 しかし、離陸後12分が経った18時24分35秒、同機が、伊豆半島

(下の写真)右に見ながら、高度7200メートルの水平飛行へ移ろうと

した途端、大きな衝突音が起こりました。

 

     Photo_20200122202001  

                          【つづく】

2020年1月23日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(97)

第六話)プラザ合意・・・日本経済転落の原点【4】

 

 大王の言葉です。

 

「当時は、急激な円高になったため、日本政府は、通貨量を増大

させた。

 それによって、円安にこそできなかったが、円高を食い止める

ことはできた。

 しかし、通貨量が、急に増えたことで、市場でのカネが行き場を

失った」と。

 

 そこで、康ちゃんが言います。

「それが、当時のゼロ金利政策や国鉄の民営化などと重なり合った

わけですね。

 実際、国鉄の他、電々公社、専売公社、それに日本航空の民営化

などを、私は、達成しました」と。

 

 そこで、大王が言います。

「まさに、その通りじゃ。むしろ、そういった民営化は、互いに共鳴

し合ったと言えるかも知れんな。

 この一連の動きがバブル経済を生み、日本全国で、マネーゲームが

湧き起こった。多くの日本人が、カネに狂ったわけじゃ。

 その淵源となったのは、オヌシの下で書かれた『前川レポート』では

なかったか。

 あれを通して、金融緩和、財政出動、規制緩和、民活などが強調

された。

 あの『前川レポート』こそが、日本経済転落の口火とも言えた。

と。

 

     Photo_20200120144901

 

      Photo_20200120145001

                          (バブル下の情景)

 

 そこで、康(やっ)ちゃんが、正直な思いを述べます。

「しかし、あのバブルの頃は、日本に、史上稀なる活気が

ありました」と。

 これに対して、大王を言います。

「あれは、見せかけの活気だったのじゃ。

しかし同時に、現代日本の”最後の輝きだった”と言えるかも

知れんな。

 だが、日本人がカネに狂っていたあの頃、アメリカは、

地道にITを中心とした国内産業を育成し、着々と国力の回復を

目指していたのだ。

 まるで、『ウサギとカメ』の話だな」と。

 

 康(やっ)ちゃんは、この言葉を聞きながら、ふと当時を振り返り、

こうつぶやきました。

「当時、私は、ロンとの個人的な友人関係のことだけに目が行き、

『裏のアメリカ』の思惑のことなど、全く眼中にありませんでした」

と。

 

 そこで、大王が言います。

「確かに、オヌシの内閣は、戦後の自民党政権の中で、最も新保守主義・

新自由主義色の濃い内閣だったな。

 例えば、オヌシの内閣では、防衛費1%枠を撤廃した。

この復古主義的な軍備拡張政策は、戦争を商売にする者たちにとって

は、願ってもないボーナスだった。

 だが、平和を愛する国民にとっては、まさに戦争の再来を思わせ、将来

への不安を、弥(いや)が上にもかき立てた。

 

 また、オヌシは、教育に関して、内閣主導による『学習指導要領改訂

を成し遂げた。それが、日教組の歴史的分裂の契機ともなった。

 それは同時に、今日の教育の荒廃の淵源とも言えよう。

さらには、行き過ぎた国鉄民営化によって、日本各地で、”安全性の

軽視”が進み、旧国鉄の安全神話が崩壊した。

 実際、国鉄民営化の主目的は、当時の社会党の支持母体である

”国労潰し”だった。それは、オヌシ自身が、後年、告白した事実だ。

 

 まさに自民党の発展のために、ひいては、野党の弱体化のために、

オヌシは、当時の新政策を、悪辣に利用した。

 その後の小泉・竹中政治や今日のアベ独裁政治のレールを敷いたの

は、他ならぬ、ヤス、オヌシだぞ。努々(ゆめゆめ)、それを忘れて

はならぬ。

 かつて、オヌシは、大型間接税(今日の消費税)を導入する際、

『この顔が、嘘をつく顔に見えますか?』と、聴衆に訴えたそうだな。

オヌシは、相当な自信家だったな。

 このような傲慢さは、生涯、少しも変わらなかったようだ。

 

    11

 

 正直、ワシには、オヌシは、”嘘しかつかぬ男”にしか

見えぬ。その点では、今日のアベも、全く同じだ」と。

 この言葉に対して、康ちゃんには、何一つ抗弁の

仕様が有りませんでした。

 いつの間にか、日も沈み、閻魔庁の外は、すっかり暗く

なっておりました。               【つづく】

 

 

     

 

2020年1月22日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(96)

第六話)プラザ合意・・・日本経済転落の原点【3】

 

 大王の言葉です。

 

「すでに、そのアメリカさえも支配している国際金融資本にとって、

あくまで日本は、もっと徹底的に支配下に置くべき”敵”なのじゃよ。

 その彼らが目下、世界を席巻するグローバリストとして、その本性を

露骨に顕わしているのじゃ」と。

 

 でも、そんなことを言われても、康(やっ)ちゃんには、何が何やら

さっぱり分かりませんでした。

 そこで、その思いを、彼は、正直に吐露しました。

それで、康ちゃんは、次のように述べます。

「どうも、二種類のアメリカがあるようですね」と。

 

 そこで、大王が、こう答えます。

「まさに、その通りじゃ。

つまり、3億2千万人以上の人口を擁し、50州にまたがる連邦共和国の

アメリカという表の顔と、ウォール街の国際金融資本家たちが中核と

なって、CIA(中央情報局)やNSA(アメリカ国家安全保障局:

下の写真は、その本部)などを手足として使いながら、国際的な陰謀を

企てる裏の顔のディープ・ステイト、アメリカの二つじゃ。

 オヌシを体よく利用したのは勿論、この『裏の顔のアメリカ』じゃ。

 

     Jb180407komori01700x547

 

 ヤスが1953年(昭和28年)に渡米した際に、極めて親密

になったヘンリー・キッシンジャー(下の写真)などは、

その『裏のアメリカ』の主要なメンバーだよ」と。

 

        Photo_20200120140301

 

 これを聞いた康ちゃんは、それに関する正直な感想を、

次のように述べます。

「正直申しまして、私は、この二つの顔を持つアメリカという

考えは生前、持っていませんでした。

 言うなれば、今日のアメリカは、1%の『裏のアメリカ』が、

99%の『表のアメリカ』を支配している構図なのですね」と。

 

 これに対して、大王が答えます。

「流石、ヤスじゃ。物事の理解が早い」と。

 この大王の言葉に気を良くしたのか、康ちゃんは、次のように

続けます。

「今日のグローバリズムなるものは、この1%、あるいは0,1%の

超権力者たちによる世界支配のことなのですね。

 その動きに、私は、まんまと乗せられたわけですね」と。

 

 これを聞いた大王は、間髪入れず、こう述べました。

「”乗せられた”というより、むしろ、自ら進んで、”乗っかった”の

かもしれんな」と。

 

 これを聞いた康ちゃんの顔が、心なしか引き攣りました。

そして、彼は内心、こう思ったのです。

”大王サマは、何もかもお見通しなのだ”と。

 そこで、彼は、大王に尋ねます。

「では、あのプラザ合意後の日本は、その後、どうなったの

でしょうか?」と。

 そこで、大王は、それについて、次のように語り始めました。

                                    【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月21日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(95)

(第六話)プラザ合意・・・日本経済転落の原点【2】

 

 この大王の言葉を聞いた康(やっ)ちゃんは、憮然とした面持ちで、

次のように反論します。

「後世の人々は、どのようにでも申しましょう。

 しかし、当時の私には、他に選択の余地は有りませんでした。

それに、ロン(レーガン大統領)との交友関係において、当時、世界

最大の債務国に転落したアメリカの苦境を、私は、少しでも助けて

上げたかったのです。

 そんな個人の友情や同情心まで、『悪』と断罪なさるのでしょうか?」と。

 

    12

 

 これに対して、大王が言います。

「ヤス、ワシは、そんなことまでは言っておらんぞ。

 だが、あの出来事を契機として、長い間、日本が経済的に低迷したこと

事実ではないか?!」と。

 

 この言葉を聞いた康ちゃんが、次のように語ります。

「勿論、その事実を、一概に否定するつもりはございません。

 しかし、当時の政治判断を、たとえ最終的に私がしたとは申せ、

その全責任を、私だけに求められても困ります。

 当時の竹下登大蔵大臣や安倍晋太郎外務大臣たちも、私の政治決断

賛意を示してくれたのですから」と。

 

 この言葉を聞いた大王の言葉です。

「ヤス、ワシは、何もここで、オヌシだけを吊し上げようなどとは思って

おらんよ。

 唯、ワシは、オヌシが為した政治決断や政治行動の”重み”について、

深く認識して欲しいのだ」と。

 

 この言葉に対して、康ちゃんが、少し怪訝そうに尋ねます。

「大王サマ、それは、一体どんな意味でしょうか?」と。

 これに対して、大王が、腹蔵なく答えます。

「先程、オヌシは、”国際協調のために”、プラザ合意を受け入れたと

述べたが、主要国間の関係は、"協調”などという生易しいものでは

ないのではないか。

 あの出来事には、もっとリアルで厳しい政治力学が働いたと思うぞ」と。

 康ちゃんが、また尋ねます。

「それは、具体的には、どういうことなのでしょうか?」と。

 

 これに対して、大王が、端的に答えます。

「つまり、プラザ合意は、アメリカのウォール街の連中が、日本の経済力

を、弱めるために、日本を”狙い撃ちにした”ということだよ」と。

 

    Photo_20200118135001

 

 しかし、康ちゃんには、その言葉の意味が、判然とは理解でき

ませんでした。

 その気配を察した大王は、次のように続けます。

「世界支配を目論むアメリカの国際金融資本にとって、当時の

目の上の瘤は、軍事的にはソ連、経済的には日本だった。

 それで、日本の資金力を利用して、軍事的にソ連の優位に立った

アメリカにとって、次の敵国は、”経済大国・日本”だった」と。

 

 この言葉に、康ちゃんが、即座に反論します。

「日本は、あくまで、アメリカの同盟国です」と。

 これに対して、大王が、こう続けます。         【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月20日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(94)

(第六話)プラザ合意・・・日本経済転落の原点【1】

 

 大王が、康(やっ)ちゃんに問います。

「日本は今日、『失われた30年』と言われて久しいが、ヤスは、

その原点となった出来事は、一体何だったと思うか?」と。

 この問い掛けに対して、康ちゃんが、至って正直に答えます。

「さあ、それは、一体何でしょう?

私には、よく分かりません」と。

 

 そこで、大王が、おもむろに、こう語ります。

「それは、『プラザ合意(1985年)』ではないか。

これこそ、日本経済転落の原点とも言えよう。

これについて、ヤスは、一体、どう考えるか?」と。

 

    Ny

         (その舞台となったNYプラザホテル)

 

 この問い掛けに対して、康ちゃんは、当時を振り返りつつ、

次のように語ります。

「正直申しまして、私は、あの時の”国際協調”が、そのような

重大な意味を持っていたとは、思いもしませんでした」と。

  これに対して、大王が、「それは、一体、どういう意味か?」と、

康ちゃんに尋ねます。

 

 それについて、康ちゃんが、こう答えます。

「今でこそ、アベ君は、円安誘導をして、貿易拡大を目指すことで、

企業の株を上げることに躍起となっております。

 しかし、1985年当時、わが国は、今以上の円安状況で、日本の

貿易量の拡大が、欧米諸国にとって、かなりの驚異となっておりました。

 それゆえ、主要先進国は、日本が円高に舵を切ることを熱望していた

のです。

 とりわけ、当時のアメリカの経済状況は、極めて厳しく、自らドルの

切り下げで、『ドル防衛策』に出ました。

 これは、ニクソン・ショック(下の写真)に継ぐものでした。

 

     Photo_20200117195901

 

 そのため、世界貿易の公正・公平を期すためにも、日本が

円高を容認することは、まさに、”国際協調”そのものだった

わけです。

 もし、この主要先進国、とりわけアメリカの要望を拒否すれば、

日本は、世界的に孤立しかねない状況でした」と。

 

 この言葉を冷静に聞きながら、大王が、次のように語ります。

「つまり、当時の総理大臣だったオヌシの政治決断には、全く

瑕疵(かし)が無かったというわけだな」と。

 これに対する康ちゃんの言葉です。

「全く過失が無かったとまでは申しません。

しかし、大体におきまして、当時の私の政治決断に間違いは無かった

考えております」と。

 

 これに対して、大王が、腹蔵なく、こう切り返します。

「しかし、ヤス、今日のエコノミストの中には、プラザ合意のことを、

『日本に対する集団リンチ(森永卓郎』とか、『プラザ合意は、第二の

敗戦〔1985年の無条件降伏〕(岡本勉)』とまで呼ぶ者たちもおるぞ。

 これらの言葉は、実に、言い得て妙だと思うが、オヌシは、どう思う?」

と。                                           【つづく】

                 

2020年1月18日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(93)

(第五話)天才的な逃げの名人【3】

 

  この秘めたる場面を見せながら、大王が、康ちゃんに、

こう問い掛けます。

「ヤス、オヌシは、『ロッキード事件』に関して、何も後ろめたいことは

無かったと申すか?

 当時の政治家では、佐藤孝行やカクエイ、並びに彼の取り巻き

(例えば、当時の運輸大臣、橋本登美三郎)だけが関わったと

主張するか?!」と。

 

 そして、大王は、こう続けました。

「第一、当時、世界的な規模の大疑獄事件となった同事件の本筋は、

決して、トライスターという、民間・旅客機の問題ではなかった。

 むしろ、P-3Cオライオン(下の写真)という軍用・対潜哨戒機の

大量購入を巡る巨額の汚職事件だったのだ。

 

      P3c

 

 そして、その主役は、誰あろう、児玉誉志夫とヤス、オヌシだったのじゃ。

 カクエイは、その事実を隠すための、体のいい、アテ馬だったに過ぎぬ。

 つまり、カクエイは、オヌシにとって、実に都合のいい”隠れ蓑”だった

わけじゃな。

 無論、カクエイも、すべてが、オヌシとキッシンジャーを中心に、CIA、

「文藝春秋社(田中正五と立花隆ほか)」、それに東京地検特捜部などが

連んだ”謀略”だったということを、じゅうぶん知っておった。

 

 とりわけ、最大のキーパーソンは、児玉誉志夫じゃ。

その児玉が、冥土の土産に、何を言い出すか、分かったものじゃない。

  あの者も、自分を、一流の国士だと、内心、自負していただろうからな。

当時のオヌシは、相当、胃が痛かったことじゃろう。

 つまり、オヌシは、どうしても、児玉を、白日の下に出すことはでき

なかった。

 その結果が、あの喜多村による謀殺じゃよ」と。

 

 これには、流石の康ちゃんも、二の句が継げませんでした。

でも、大王の言葉は、これに留まりませんでした。彼は言います。

「ヤス、オヌシは、ロッキード事件だけでなく、その後の

リクルート事件(1989年)でも、オヌシの政権の官房長官だった

藤波孝生(1932~2007:下の写真)を『壁』にして、自分だけは、

首尾よく逃げ切ったな。

 そればかりか、国会での証人喚問を求められても、形ばかりの

静止画像による(下の写真)喚問で、実に巧妙に逃げ通した」と。

 

        Photo_20200115150201

 

                  10

                  

 この言葉に対して、康ちゃんが言います。

「実は、あの時、藤波君は、自ら矢面に立つことを、

私に直に申し出てくれました。

 それゆえ、私は、彼の意志を尊重して、敢えて表には

出ませんでした。

 折角の彼の熱き思いを無にはしたくなかったからです」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「ヤス、オヌシも、ずいぶんと見え透いたことを言うのう~。

実際は、藤波に対して、『オレを、全斗煥(下の写真)にするのか!』

息巻いたというではないか。(佐高信氏の言葉、参照)

(*参考:全斗煥は、1980~1988年、軍人出身の韓国大統領。

退任後、光州事件や不正蓄財疑惑で訴追され、死刑判決を受ける。

 しかし、金大中の計らいにより、減刑の後、特赦)

 

    Photo_20200115151701

 

 しかし、様々な事情はともかくとして、結局、オヌシが、

藤波を犠牲にしたことに、何ら変わりはないぞ」と。

 この言葉に、康ちゃんは、何一つ反論ができませんでした。

なぜなら、彼は、自ら”逃げた”ことを、百も承知していたからです。

 

 そこで、大王は、こう続けます。

「ヤス、オヌシの場合、ロッキード事件やリクルート事件で

逃げ切っただけではないぞ。

 もっと古い九頭竜川ダムを巡る落札偽計事件(九頭竜川ダム

汚職事件:1965年)でも、全く同じだったのではないか。

 この事件では、オヌシは、すでに児玉誉志夫やナベツネ(渡邉恒雄)

などの"悪徳連合"と連んでいたではないか! 

 

 そればかりか、オヌシの行政管理庁長官時代(1980年)に、

総選挙に際して、富士通や日本製作所から違法献金を受け取った

時にも、共産党から、その違法性を厳しく糾弾されつつも、オヌシは、

首尾よく逃げおおせたな。

 

 確かに、オヌシは、かつて、『風見鶏』と渾名された。

あれ程、佐藤栄作に対して批判的だったオヌシが、第二次佐藤内閣

運輸大臣に初入閣した途端(1967年)、一切の佐藤批判を止めた。

 オヌシの、余りの変わり身の早さに、周囲の者たちは、

オヌシのことを、『風見鶏』と呼ぶようになった。

 ヤス、そのことに、相違ないか?」と。

 

 康ちゃんが即答します。「その事実に、相違ありません」と。

「だが、・・・」と、大王が語ります。

そして、彼は、こう続けます。

「ヤス、オヌシの政治行動を概観すると、ワシは、単なる

変わり身の早さだけでは無いと思う。

 むしろ、オヌシは、今まで、人一倍、ずる賢く振る舞ってきたな。

 言うなれば、オヌシは、『天才的な逃げの名人』だったと

思うのだ」と。

 

 康ちゃんは、しばし虚空の一点を凝視したまま、この大王の

言葉を、黙って聞いていました。

 いつの間にか、閻魔庁の辺りは、次第に暗くなっておりました。

                                    【つづく】

(追記:植草一秀先生について、一つ、書き忘れていたことがありました。

 前文と、多少重なるかも知れませんが、それは、次の通りです。

「同氏ほど、心が美しく、真に日本国、および日本国民を愛する

行動的知識人を、小生は、他に知りません。)

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

2020年1月17日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(92)

(第五話)天才的な逃げの名人【2】

 

 この言葉に対して、康(やっ)ちゃんは、思わず顔を赤らめながら、

こう抗弁します。

「大王サマ、それは、当時の国民による無責任な戯れ言です。

第一、彼らは、事件の真実など、何も知らないのですから」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「そうかな? 娑婆世界では、『民の声は、神の声』と申すでは

ないか。オヌシが考えているほど、民は馬鹿ではないぞ。

 それに、あの時、オヌシは、佐藤孝行(1928~2011:下の写真)を

身代わりにして、まんまと逃げ切ったではないか」と。

 

      Photo_20200115131001

 

 そこで、康ちゃんが、苦し紛れに言います。

「彼は、私の忠実な部下でしたが、自ら収賄に関与したの

ですから、逮捕も、仕方がありませんでした」と。

 そこで、大王が、こう切り返します。

「ヤス、あの事件の際は、佐藤孝行だけでなく、オヌシは、

カクエイさえも犠牲にしたのではないか?!

 そればかりか、オヌシは、同事件の重要参考人、児玉誉志夫

(1911~1984:下の写真)を、彼の主治医に命じて、

実質的に亡き者にしたな」と。

 

    Photo_20200115132201

 

 この言葉を聞いた康ちゃんは、耳まで、真っ赤にさせながら、

こう抗弁します。

「しかしながら、角さんには、確かに、五億円の受託収賄が

ございました。

 それに、児玉さんにつきましては、何の証拠もございません」と。

 

 この言葉を耳にした大王が、こう言います。

「娑婆世界では、よく、『そこまで言うのなら、その証拠を出せ!』と

言うな。実に、マンネリ化した逃げ口上だ。

 だが、死後の世界では、すべてが、あからさまになるのだぞ。何一つ、

隠し事など出来ないのじゃ」と。

 

 すると、康ちゃんの前に、突如、大型のスクリーンが出現しました。

そこに、病床の児玉誉志夫の腕に、極度の昏睡状態を招くフェノバールと

セルシンを注射している喜多村孝一医師(当時、東京女子医大教授)の

姿が映し出されました。

 

 この数時間後、国会医師団が児玉邸を査問のために訪れましたが、

家主は、全くの昏睡状態だったため、それを諦めざるを得ませんでした。

 その後、喜多村医師の報告に基づき、児玉の証人喚問は無理との政治

判断がなされました。これで、康ちゃんは、九死に一生を得たのです。

 

 児玉の死後、喜多村医師は、康ちゃんの主治医になったという後日談

まであるのです。まさに、政治の裏世界は、魑魅魍魎たる世界です。 

                                                                              【つづく】

 

 

 

2020年1月16日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(91)

(第五話)天才的な逃げの名人【1】

 

 康(やっ)ちゃんを前にして、大王が、単刀直入に、

こう切り出しました。

「ヤスにとって、シゲルは、超克すべき”目標”だったわけだが、

オヌシの”政治的なライバル”とは、一体、誰だったのか?

 それは、やはり、田中角栄か?」と。

 

 これに対して、康ちゃんが、至って正直に答えます。

「確かに、その通りです。角さんと私とは、同年(1918年)の

生まれですし、アメリカに対するスタンスは、全く逆でした」と。

 これを聞いた大王が、腹蔵なく語ります。

「つまり、カクエイの『愛国』に対して、オヌシの『売国』という

ことか?!」と。

 

 この余りにも明快な割り切り方に、康ちゃんも、思わず苦笑して

しまいました。そして、彼は、こう続けました。

「勿論、国内で、そう考える人は多いようです。

しかし、政治の世界は、それ程、単純に割り切れるものでは

ございません」と。

 

 これに対して、大王が続けます。

「しかし、ワシの目から見ると、オヌシとカクエイほど、

その政治信条や政治的な価値観、それに人間観や人生観に至るまで

対照的な政治家も珍しいように思うぞ」と。

 康ちゃんは、この大王の言葉を、黙して聞いていました。

 

    Photo_20200114133101

 

 そこで、大王が、こう続けます。

「とりわけ、日本の政治を支配しているアメリカの国際資本が、

オヌシとカクエイを、全く対照的な形で処遇したことも事実だ。

 つまり、オヌシは、全面的に保護され、反対にカクエイは、

完膚なきまでに潰された」と。

 

 しかし、この言葉に対して、康ちゃんは、いささか不満げです。

そこで、彼は、こう切り返しました。

「大王サマのお言葉ですが、さて、それは、どうでしょうか?

 角さんは、私と違って、たいへんな金権政治家でした。

それだけに、多くの不正にも、手を染めていました。

 その過ちゆえに、彼は、社会によって裁かれたのではないで

しょうか?」と。

 

 大王が、これに対して、こう反論します。

「さあ、それこそ、どうかな?

 例えば、あの有名なロッキード事件(1976年)では、オヌシらは、

当時の人々に、『(刑務所の)塀の上を歩いて、内側に落ちたのが

田中角栄、外側に落ちて、勲章までもらったのが中曽根康弘』と

揶揄されたようじゃな」と。

 

    Photo_20200114134401

                              (つづく)

 

 

 

 

 

 

2020年1月15日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(90)

(第四話)何のための原子力開発?【2】

 

 大王の言葉です。

 

「オヌシは、その当時、正力が、CIAのエージェントだったと

いうことを知っておったのか?」と。

 この問いに対して、康(やっ)ちゃんが、至って正直に

答えます。

「それは、薄々知っておりました。でもそれは、私にとりまして、

大した問題ではございませんでした。

 と申しますのも、われわれの自民党そのものが、CIAによって

創られたようなものですから」と。

 

 この康ちゃんの言葉に、大王も、いささか呆れた様子です。

そこで、彼は、こう言いました。

「オヌシともあろう者が、ずいぶんと投げやりな物言いじゃのう」

と。

 この言葉を聞いた康ちゃんが、ふと我に返ったような風情で

申します。

「これは、失礼しました。唯、正力さんだけでなく、岸さんや

児玉さん、それに笹川さんなど、そのすべてが、CIAの掌の上で

活動していたわけです。

 それで、そのような捨て鉢な言い方になってしまいました。

しかし、その点では、私も、全く同類なのかもしれません。

まさに、『現代版・五人組』とでもいったところでしょうか」と、

いくぶん自虐的になっていました。

 

            Photo_20200113095401  

                            (その当時の中曽根康弘氏)

 

 そこで、大王が言います。

「だが、極めて残念なことに、オヌシたちが推進した科学技術

(=とりわけ、原子力開発)が結局、あのフクシマの悲劇へと

繋がった。

 

  Photo_20200112161601

                          (福島原発事故)

 

   Photo_20200112161801

                        (増え続ける汚染水)

 

 それに対して、オヌシは、全く責任を感じていないのか?

聞くところによると、あの事故(あるいは、事件)以来、

オヌシは、ずいぶんと寡黙になったと言うではないか。

 決して、それは、年のせいだけではなかろう。

『責任』という点では、一体、どうなのじゃ?!」と。

 

 この大王の問い掛けに対して、康ちゃんが、恭しく語ります。

「勿論、それなりの責任は、感じております。

まさに、フクシマでの出来事は、チェリノブイリ事故に勝るとも

劣らない悲惨な事故でした。

 しかし、同時に、すべての科学の発展には、失敗や悲劇は

付きものです。

 私たちは、そういった悲劇を乗り越えて生きてゆかねば

なりません」と。

 

 そこで、大王が言います。

「つまりは、9年前のフクシマでの出来事は、仕方がなかった、

とでも言いたそうな口ぶりだな」と。

 そこで、康ちゃんが、苦し紛れに、こう抗弁します。

「いえ、決して、そんなことは申しておりません。

唯、あらゆるチャレンジには、常に、それなりのリスクが伴います。

その当たり前の事を、申したまでのことなのです」と。

 

「では、それは、一体、何のためのチャレンジだったのじゃ?

つまり、何のための原子力開発だったのじゃ?!」と、

大王が、厳しく問い質します。

 これに対して、康ちゃんが答えます。

「それは、エネルギー問題解決のための、唯一貴重な手段だから

です」と。

 そこで、大王が、重ねて問い直します。

「単なるエネルギー問題解決のためだけだったのか?」と。

 その大王の余りの気迫に圧倒され、康ちゃんは、思わず

口走ってしまいました。

「それは、将来の核武装のためです」と。

 これを聞いた大王が、呆れ気味に問います。

「何! 将来の核武装のためとな?」と。

 

      Photo_20200112165201

 

  これに対して、康(やっ)ちゃんが、自らの思いを、

次のように述べます。

「今日、日米同盟は、実に堅固です。まさに、両国は、

『水魚之交(すいぎょのまじわり)』とも言うべき関係に

あります。

 しかし、将来、アメリカにどのような事態が起こるか

知れません。

 もし万が一、日米同盟が破棄され、日本が世界で孤立する

ようなことがあれば、今日、核武装なしに、国家を守ること

などできません。

 

 すでに、中国には、日本を容易に滅ぼせる程の核兵器が

あります。北朝鮮も同様です。

 そんな中、日本だけが丸裸の状態では、国家の存立など、

できるわけがありません。

『力には、力で』、『核には、核をもって』、臨むべきです。

 そのため、わが国も、核兵器を保有し、不測の事態に備える

べきです」と。

 

 これを黙って聞いていた大王が言います。

「だが、すべての国民が、オヌシのような考えでは、早晩、日本だけ

でなく、世界が滅びるな。

 先の大戦での犠牲者の『死』の意味は、一体何だったのじゃ?」と。

 

     Photo_20200112191101

                (長崎への原爆投下)

 

 康ちゃんの目は、一点を見据え、この大王の

言葉を、静かに聞いていました。

 閻魔庁の辺りは、すでに、だいぶ日が暮れ始めて

おりました。                【つづく】

 

 

 

 

 

 

2020年1月14日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(89)

(第四話)何のための原子力開発【1】

 

大王が、おもむろに、康(やっ)ちゃんに問い掛けます。

「そもそも、ヤスが政治に志したキッカケは、一体、

何だったのじゃ?」と。

 この問いに対して、康ちゃんが丁重に答えます。

「私の政治の原点は、終戦直後、東京の焼け野原を見たことに

ありました」と。

 

    Photo_20200111102401

 

 大王が言います。「その時のオヌシの『体験』が、政治の原点

だと言うのだな」と。

 康ちゃんが答えます。

「ハイ、その通りです。私の戦後は、外地から復員して、海軍の

軍服を脱ぎ、首都東京の荒涼たる焼け野原を見た時から始まりました」

と。

「その光景を見て、オヌシは、相当ショックだったことだろう」と、

大王が、彼に同情を寄せます。

 

 これに対する康ちゃんの言葉です。

「ハイ、大王サマの仰る通りです。

 その時は、敗戦により、わが大日本帝国の歴史に汚辱を残し、

まことに申し訳ないと思いました。

 そのため、一日も早く独立を回復し、米英に追いつくことを、

心に誓いました」と。

 

 そこで、大王が言います。

「まさに、オヌシの一大決心だったわけじゃな」と。

 大王から、一定の理解を得たと確信した康ちゃんは、いくぶん気を

強くしたのか、こう続けました。

「それで、私は政治に志し、かつて科学技術で米英に破れたのを

取り返すため、原子力予算を取り、科学技術庁を創った次第です」と。

 

 そこで、大王が言います。

「まさに、ヤスは、科学技術の力を信じ、その力を、積極的に推進

しようとしたわけだな」と。

 これに対して、康ちゃんが言います。

「まことに、仰せの通りです。

しかし、実は、それだけではございません。

 さらに、日本国の自主防衛力を回復して、私は、できるだけ早く

米軍を帰して、国内の基地を取り戻したいと考えました」と。

 そこで、大王が、忌憚なく言います。

「それは、当時としては、ずいぶんと思い切った考えじゃのう」と。

 

 元々話し好きの康ちゃんの言葉は、次のように続きます。

「その上で、新しい日米同盟条約を結び、米軍と対等な形で協力する

体制を作り直します。

 それで、憲法を改正して、国の基本体系を整えたいと考えました。

 そのような事を、自分の生涯の中(うち)に実現しようと、私は、

必死に念願して政治家になり、今まで純粋に、生身で行動してきた

つもりです」と。

 

 そこで、大王が言います。

「ところで、先ほどの原子力予算を提出し、それを成立させたり、科学

技術庁を創った頃に、オヌシは、正力松太郎と出会い、互いに協力し

合ったわけだな」と。

 

    Photo_20200111130601

      (二人が推進した原子力政策・・・伊方原子力発電所)

 

 康ちゃんが答えます。

「ハイ、仰る通りです。正力さんには、たいへんお世話になりました」

と。

 そこで、大王が、康ちゃんに、こう尋ねました。   【つづく】

          

 

 

 

2020年1月13日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(88)

《心より、感謝》

 この度、植草先生の貴メルマガにて、

拙ブログを採り上げて戴き、過分の賛辞を

賜りました。

 ここに、厚く御礼を申し上げます。

 

 植草先生には、日頃より、身に余る

ご厚誼をいただいております。

 小生、本年の元旦に、古希を迎えました。

70年の生涯で、植草先生にお会いできました

ことが、最高の幸せです。

 また、この日本国におきまして、私は、

植草先生以上に大切な人を、他に知りません。

 

 国内の心ある皆さま方、どうか、

植草先生の「政策連合=オールジャパン 平和と

共生」に、益々のご理解とご賛同を賜りますよう、

一市民として、心より御願い申し上げます。

                     渡邉良明 拝

 

(第三話)茂ちゃんへの対抗意識【2】

 

 そこで、大王が言います。

 

「ヤスは、シゲルとは違う、というわけだな」と。

 これに対して、康(やっ)ちゃんが即答します。

「正直申し上げまして、まことに、その通りです」と。

 そして、彼は、こう続けました。

「ヨシダさんは実際、国家の前途とか日本国の運命よりは、

むしろ、その場その場の政争に勝てばいいという官僚主義的な

現実主義者だったと思います。

 そんなわけで、彼は、戦後政治家の中で、まさに、『官僚政治家

の元祖』となりました。

 しかし、問題は、そればかりではありません」と。

 

 そこで、大王が問います。

「ヤス、その他に、何があると言うのじゃ?」と。

 この問い掛けに対して、康ちゃんが、恭しく答えます。

「それは、終戦直後の、昭和天皇のご退位についての見解の相違

です」と。

「見解の相違とな?」と、大王が問います。

 

 そこで、康ちゃんが、自らの考えを、次のように述べます。

「昭和天皇が、過去の戦争について、人間的苦悩(=戦争責任)を

感じておられるのなら(*事実、その通りだったのですが)、講和

条約の批准、ないしは発効の日にご退位なさることは、天皇の

『人間的苦悩』に対する『外からの束縛』が解かれることになります。

 

 しかも、そうしてこそ、『古くて新しい天皇制にふさわしい』と、

当時、私は主張いたしました。

 これに対して、ヨシダさんは、こう言われたのです。

『日本国民が心から敬愛しておる陛下がご退位というようなことが

あれば、それは、国の安定を害することである』と。

 そして、彼は、こう付け加えました。

『天皇退位を希望するがごとき者は、非国民である!』と。

 

    X

          (昭和天皇と、学習院中等科時代の平成天皇)

 

 しかし、私は、たとえ、『非国民』と呼ばれましても、

決して怖れませんでした。

 正直、私は、こう思っていたのです。

 当時の心ある者が真剣に考えていたのは、天皇制の『道義性』に

ついてです。

 天皇制の一番の値打ちである”道徳性”を守る意味において、

昭和天皇がご退位なされば、天皇制は、益々強くなるだろう、と

私は考えておりました(原彬久氏によるインタビューより)」と。

 

   Photo_20200110130101

                          (晩年の昭和天皇)

 

 この言葉を黙って聞いていた大王が言います。

「いつの時代でも、絶対的な権力者という者は、彼らを正当に

批判したり、正論を述べる者たちを、『非国民』呼ばわりする

ものじゃ。

 今の時代でも、それは、全く同じではないか。

いや、この傾向は今後、益々大きなものとなろう。

 それにしても、ヤスの、シゲルに対する対抗意識は、なかなか

根の深いものじゃのう。~

 しかし、人間、自分に正直に生きることは、なかなかいいことじゃ。

具体的な審問は、次の機会に譲ることにしよう。

 今日は、これにて閉廷する」と。             【つづく】

 

     

 

 

   

2020年1月11日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(87)

(第三話)茂ちゃんへの対抗意識【1】

 

  大王が、康(やっ)ちゃんに対して、こう切り出します。

「ヤスは自ら、『私の体の中には、国家がある』と自負していた

わけだが、オヌシの立場からして、シゲルが果たした政治を、

一体、どのように思うか?」と。

 

 この問いに対して、康ちゃんが、自らの思いを、次のように

述べます。

「ヨシダさんが、日本の戦後政治で果たした業績は、たいへん

大きかったと思います。

 また、GHQに対しても、とても巧妙に対応されたと思うのです。

 

    Ghq

                         (GHQ本部)

 

         Photo_20200110094701

 

 唯、私自身の至って正直な思いを述べますならば、私は、

ヨシダさんとは、どうも肌が合いません。

 彼は、私のオヤジ(松五郎)より、11歳も年長の方なのですが、

やはり、私などとは、生きた時代が違うように思います。

 

 私共、大正生まれの人間は、それこそ、明治と昭和にはさまれて、

余りパッとしない世代なのかも知れません。

 しかし、単に世代間の相違と言いますよりも、むしろ、本来の

『政治哲学』とでも申しますか、政治に対する価値観そのものが、

ヨシダさんと私とでは、全く違っていたように思うのです」と。

 

 そこで、大王が問います。

「それは、一体、どういう意味か?」と。

 これに対して、康ちゃんが、決然として答えます。

「端的に申し上げまして、ヨシダさんには元々、『政治哲学』などと

いったものは無かったと思います!」と。

 大王が、些か呆れ気味に言います。

「それはまた、ものの見事に、シゲルを切り捨てたものだな」と。

 

 康ちゃんは、いくぶん、言い過ぎたかと思いつつ、もはや後戻りは

できない、という思いで、次のよう続けました。

「無論、ヨシダさんのお心の最深奥の思いにつきましては、

わたくしごときには分かりません。

 

 しかし、彼の眼中には、戦後日本の経済発展と、昭和天皇(下の写真)

のご安泰のことしかなかったと思います」と。

 

      Photo_20200110101801

 

 大王は、康ちゃんの言葉に、静かに耳を傾けていました。

そこで、康ちゃんは、こう続けます。

「勿論、当時の敗戦国日本にとりまして、経済発展は大事でした。

 

 しかし、『人は、パンのみに生きるにあらず』という聖言もあります。

 ヨシダさんは、経済の問題だけに目を向けすぎて、今後、日本を、一体

どういう国家として再建するのか?という、根本的な視座が欠落して

いました。

 つまり、日本の基軸となる長期的、かつ基本的な国家観を示せません

でした。

 その意味では、彼は、単なるオプチュニスト(便宜主義者)だったと

思うのです」と。                       【つづく】

 

  

2020年1月10日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(86)

(第二話)康(やっ)ちゃん、閻魔大王の前に登場【2】

 

  大王の言葉です。

 

「今日の日本では、このヤスの言葉を、真に理解できる者は、極めて

稀かもしれんな。時代も、大きく変わってしまった。

 しかし、だからといって、このヤスの思いが、決して無意味だとは

思えぬ。

 国民も国家も、等しく大事じゃ。一方のみを重視して、決して、

他方を軽視するようなことがあってはならぬ。

 

 この相互のバランスこそが、政治の『妙』というものではないか。

しかし、実際は、その一方のみを重視する余り、他方を軽視、あるいは

無視してしまうのが、世の常じゃ。そこに、人間の不幸も生じる。

 

 その点、ヤスの前半生は、余りにも、『国家』のみにこだわり過ぎた

のではないか。

 無論、ワシは、オヌシの『愛国心』を、一概に否定するつもりはない。

しかし、オヌシの後半生も、『国家主義』だけが優先された感じじゃ。

 そこでは、真に『国民』を思う気持ちが、極めて希薄だったのでは

ないか」と。

 

  この大王の言葉を聞いた康ちゃんが、こう反論します。

「大王サマのお言葉ですが、私は、決して、『国民』を軽視したつもりは

ございません。

 彼らと共に歩いてきたかどうかは分かりませんが、私なりに、人々の

ために尽くしてきたつもりです」と。

 

 しかし、この言葉に対して、大王が、一つの疑問を呈します。

「ヤスの心情は、じゅうぶん理解できる。だが、オヌシの国家(=日本国)

への思いの質が、時と共に、少し変化したのではないか?」と。

 この言葉に対して、康ちゃんが、怪訝な思いで尋ねます。

「それは、一体、どういう意味でしょうか?」と。

 

 そこで、大王が、答えます。

「つまり、オヌシの言う『国家』の実体が、いつの間にか、日本から

アメリカに変わってしまったとは思わないか?」と。

 

     Photo_20200109131401

         (今は昔の、「ロン・ヤス」関係)

 

 この言葉に対して、康ちゃんが、即座に反論します。

「滅相もありません。私が、心底愛しているのは、日本国

そのものであって、断じてアメリカなどではありません !」と。

 

 これに対する、大王の言葉です。

「確かに、オヌシの祖国愛は、不変であろう。

だが同時に、『言行不一致』ということもある。

 つまり、普段、声高に、『愛国』とか『日本を愛する』などと

言いながら、その実、日本に仇し、結果的に日本国民を裏切る

こともある」と。

 これに対して、康ちゃんが言います。

「確かに、そういうことも、否定はできません」と。

 

 そこで、大王が続けます。

「勿論、言葉は大事だ。だが、より大切なのは、それを、真に

実行できるかどうかなのだ。

 言葉などは、それを、安易に使う者によっては、どれほど空虚な

ものか!

 それは、今のシンゾーを見れば、火を見るより明らかであろう。

 

 確かに、ヤスの前半世は、日本のためにあったかも知れん。

だが、その後半生は、決して、『国民』のためではなく、むしろ、

『オヌシ自身』と『アメリカ様』のためにあったのではないか!」と。

 

    Photo_20200109133801

  (日本は、アメリカの、単なる「不沈空母」か?)

 

 この言葉は、康ちゃんも、日頃考えたことのない思いでした。

そこへ、康ちゃんの性格や行状に関する報告書が届きました。

 それには、こうありました。

 「唯我独尊、自信家、独善的、せっかち、放言家、

不人情、上から目線、虚言癖、吝嗇、冷血、自意識過剰、

粗忽者、独り善がり、厚顔無恥、自己中心主義、変節漢、

男色、女装趣味 等々」と。

 

 これを見た大王が、一瞬、目を丸くしました。そして、彼は、

こう語り始めます。

「おぉ、ヤス、オヌシには、ずいぶんと特殊な趣味があるようじゃな。

しかし、これは、本日の審問とは、余り関係が無いので、不問としよう」と。

 そこで、康ちゃんが言います。「ご高配、まことに痛み入ります」と。

 そして、大王が、おもむろに言います。

「それでは、これより、ナカソネ・ヤスヒロの審問を始めるとしよう」と。

                                  【つづく】

 

 

 

 

2020年1月 9日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(85)

(第二話)康(やっ)ちゃん、閻魔大王の前に登場【1】

 

 今日の審問は、明るい陽射しの下で始まりました。

閻魔庁に到着した康(やっ)ちゃんが、大王の前で、かつての

海軍軍人らしく、丁重に一礼します。

 閻魔大王が、いつもの大きな声で言います。

「おぉ、ヤス、待ちかねたぞ !」と。

 康(やっ)ちゃんが、恭しく答えます。

「たいへんお待たせいたしました」と。

 

       Photo_20200108221401

 

 そこで、大王が、こう語ります。

「オヌシの人生は、信(のぶ)と同様、いやそれ以上に、

波瀾万丈だったのう。

 それに、101歳の寿命というのは、なかなか成し難いものじゃ。

それを、オヌシは、よくぞ成し遂げた。

 やはり、戦争体験者というのは、一本筋が通っているようじゃのう」

と。これに対して、康ちゃんが、謹んで答えます。

「恐れ入ります」と。

 

 そこで、大王が、康ちゃんに、こう問い掛けます。

「ところで、生涯を通して、オヌシが、シゲルやノブスケと異なるもの

があるとするなら、それは、一体、何だったと思うか?」と。

 すると、康ちゃんが、こう即答します。

「それは、先の大戦での、”実体験”の違いではないでしょうか。

 両先輩は、同じ戦争を体験なさったとはいえ、そこは、実際の

『戦場』ではありませんでした。

 しかし、私の場合、あくまで一海軍士官でしたので、実際の戦場を

くぐり抜けて参りました。

 勿論、多くの修羅場にも遭遇しました」と。

 

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          (大日本帝国海軍士官たちの集合写真)

 

 そこで、大王が言います。「確かに、それは、言えよう。

まさに、ヤスは、『死線を越えてきた』わけだな」と。

 これに対して、康ちゃんが、こう確言します。

「ハイ、大王サマの仰せの通りです。

 戦時中の私の部下には、それこそ、様々な者たちがおりました。

事実、ヤクザもいれば、前科八犯の者までいました。

 私が関わりました二千人の戦友たちは、まさに、社会の前線で

最も苦労している庶民でした。

 

 しかし、彼らは、その死の間際、人間としての尊厳と輝きを放ちながら、

雄々しく死んで逝きました。

 その時、私は、彼らの愛国心は、混じり気のない本物だと感じました。

 かつて、私は、『私の体の中には国家がある』と書きましたが、

それは、こうした戦争中の実体験があったからです。

 その庶民の愛国心が、その後、私に政治家の道を歩ませたのです」

と。

 

 大王は、深く息を吸いながら、静かに、康ちゃんの言葉に耳を

傾けていました。

 そして、大王は、おもむろに、次のように語ります。

「確かに、ヤスの生涯の思想と行動の原点には、『私の体の中には

国家がある』という思いがあったようだな」と。

 康ちゃんが、勇んで答えます。「ハイ、その通りです」と。

そこで、大王が、こう語ります。         【つづく】

 

 

 

2020年1月 8日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(84)

(第一話)康(やっ)ちゃんも純ちゃんも、

     地獄の閻魔大王がお待ちかね【2】

 

 康(やっ)ちゃんは生前、178センチの偉丈夫でしたので、どことなく

仁王立ちした秋田犬(下の写真)を思わせるような堂々とした風格が

ありました。

 

    Photo_20200105181001

 

 これに対して、晩年の純ちゃんは、何せ地獄谷の老猿ですから、

両者は、まさに、「犬猿の仲」だと言えなくもありません。

 

 ところで、「あの一件」とは、2003年10月23日、純ちゃんが、

康ちゃんの高齢(当時、85歳)を理由に、彼に、政界からの引退を

勧告した事でした。

 康ちゃんは、この行為を、「政治的テロ」と言って、激しく反発

しました。まさに、この日をもって、康ちゃんは、政界から追放された

のでした。

 ですから、この日は、彼にとって、人生最大の屈辱の日だったのです。

 この怒りのさめやらぬ康ちゃんにとって、純ちゃんとの再会は、

耐え難い苦痛以外の何物でもありませんでした。

 

 しかし、この二人は、互いに反発しつつも、実によく似た性格と

価値観を持っていました。それは、まさに、政治的な「父子」のようでした。

 例えば、アメリカ大統領に対する、あの異常なほどの親密さと従順さ。

パフォーマンス外交。「民営化」という名の外資への国富の投げ売り。

マスメディア(特に、テレビ)の私物化。国民の人気取り。国会の軽視。

日本の”大統領気取り”。公安官僚の重用。貧しい人々への無関心。

 それに、あの、人を見下したような薄ら笑いまで。・・・

 これらの傾向は、彼らの後継者たちにも受け継がれ、その度合いは、

益々酷薄なものとなりました。

 

 しかし、何事も、「ケ・セラ・セラ(なるようになる)」の純ちゃん、

未だ強面(こわもて)の康ちゃんに対して、至って明るく語りかけます。

彼は、言います。

「まあ、生前は、お互いに、色々とありました。とりわけ、ナカソネ先生に、

多大のご不快やご迷惑をお掛けしましたことは、今も、まことに申し訳なく

思っております。先生、どうか、平にお許しください。

 でも、ここは、もう別世界です。

これからは、共に協力して行きましょう!」と。

 

 この純ちゃんの素直な謝罪によって、康ちゃんの勘気も、少しは溶けた

ようです。

 康ちゃんも、いくぶん気分を新たにしたような風情で答えます。

「よし、ワシも、日本男児だ。今までの事はすべて、水に流そう。

 これからは、キミの言う通り、お互いに助け合って行こうじゃ

ないか!」と。

 

 二人は、久し振りに、固い握手を交わしました。

まさか、こんな所で握手をするとは思わなかったようです。

両者は、少し照れくさそうに笑い合いました。

 この二人が仲直りできた、その瞬間です。向こうの方から、

青鬼と赤鬼がやって来ました。

 両鬼は、ほぼ同時に、威厳を持って、彼らに告げます。

「ナカソネヤスヒロ、閻魔大王様がお呼びだ。

直ぐに閻魔庁まで参るがよい」と。

 康ちゃんは、暫く目を閉じた後、覚悟ができたのか、

その余りに多くもない髪の毛に櫛を入れ、かつての大日本帝国

海軍の軍人よろしく、身だしなみを整えて、閻魔庁へと足を

運んだのでした。               【つづく】

2020年1月 7日 (火)

これより、康(やっ)ちゃんの巻【前に同じ(83)】

   第六章  康(やっ)ちゃんの巻

 

     Photo_20200103193301

 

(第一話)康(やっ)ちゃんも純ちゃんも、

     地獄の閻魔大王がお待ちかね

(第二話)康(やっ)ちゃん、閻魔大王の前に登場

(第三話)茂ちゃんへの対抗意識

(第四話)何のための原子力開発?

(第五話)天才的な逃げの名人

(第六話)プラザ合意・・・日本経済転落の原点

(第七話)JAL123便墜落事件の真実

 

(第一話)康(やっ)ちゃんも純ちゃんも、

     地獄の閻魔大王がお待ちかね

 

 地獄も、茂ちゃんや信ちゃんの顔が久しく見えなくなって、

ずいぶんと淋しくなりました。でも、決して心配には及びません。

 この二人の後を、バーコード頭の康(やっ)ちゃんが追いかけ

ました(昨年、11月29日に逝去)

 それに、まだ存命中ではありますが、きっと死後、無間地獄行き

間違いなし、と太鼓判が押せる御仁が、少なくとも四人はいます。

  その内、二人(太坊と晋ちゃん)は、既述した通りです。

 

 ところで、昨年、鬼籍に入った康(やっ)ちゃんには、茂ちゃんと

信ちゃん同様、彼に似合った相方がいました。

 それは、かつて凜々しいライオンヘアーで、国内の女性たちを魅了

した純ちゃんです。

 でも、純ちゃんは、総理在職中に、全精力を使い果たしたのか、

今はもう、地獄谷野猿公苑で、雪降る露天風呂に泰然と浸かる

老猿の趣です。

 

     Photo_20200103201401

              (どことなく純ちゃんを思わせる風情を

              感じるのは、私だけでしょうか?・・・)

 

 ところで、信ちゃんが、「昭和の妖怪」と呼ばれたのに対して、

康ちゃんは、「平成の妖怪」と呼ばれました。

 101年にも及ぶ彼の生涯は、まさに、その面目躍如でした。

 すでに、瞑目した康ちゃんは目下、無間地獄に向けて、

スタンバイしています。

 唯、人一倍せっかちな康ちゃんのこと、彼は、無間地獄まで、

自由落下で二千年もかかると聞き、正直、がっかりしています。

 

 彼は、そんなに時間をかけられない、と考えました。

そこで、康ちゃんは、妙案を思い付きました。

 何と、彼は、日本の航空自衛隊の最新鋭戦闘機F35Bで、

無間地獄まで、真っ逆様に落下する方法を、考案したのです。

 おー、何と雄々しいことでしょう!

 

 流石、防衛庁長官時代、航空自衛隊の戦闘機に同乗した康ちゃん、

肝がすわっています。

 この最新鋭機の猛スピードで落下すれば、あるいは、二千年を

二百年ぐらいに短縮できるかもしれません。

(*唯、この最新鋭機は、ポンコツとの噂もありますので、無事に

無間地獄まで行けるかどうかは疑問です。)

 

 でも、どうか、ご安心ください。この二千年という「時間」は、

まことに言葉の綾でして、無間地獄に相応しい人たちは、瞬時に、

そこへ行けるのです。

 まさに、霊界のテレポーテーション(瞬間移動)といったところです。

 その点、康ちゃんも純ちゃんも、この場所に、じゅうぶん相応しい

人たちでしたので、瞬時に、無間地獄に到着できました。

 実は、先着した茂ちゃんも信ちゃんも、さらには、太坊も晋ちゃんも、

全く同様だったのです。

 

 ところで、この無間地獄で再会した康ちゃんと純ちゃんは生前、

決して、いい仲ではありませんでした。

 特に、「あの一件」以来、この二人は、まさに犬猿の仲だった

のです。                        【つづく】

 

 

 

 

 

2020年1月 6日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(82)

(第七話)暴虐の限りを尽くした阿呆政権【4】

 

 そこで、晋ちゃんが反論します。

「国民の思いなど、そんなもの、どうでもいいんです。

唯、私共が信じる『大義』こそが、第一です」と。

 

 この言葉に対して、大王が問います。

「オマエが言う『大義』とは、一体何だ!?」と。

 そこで、晋ちゃんが、平然として、こう答えます。

「それは、日本国の破壊と、グローバリズムの勝利です」と。

 

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 この言葉を聞いた大王が、問います。

「それでは、日本国民は、一体、どうなるのじゃ?」と。

 これに対して、晋ちゃんが、明言します。

「今後、塗炭の苦しみを味わうことになりましょう」と。

 この言葉に対して、大王が、重ねて問います。

「シンゾー、オマエの同胞が、そうなっても構わないのか?」と。

 

 そこで、晋ちゃんが、冷ややかな表情で、こう答えます。

「大王サマ、『彼ら』は、私の同胞などではありません」と。

 そこで、大王が、問います。「何とな?」と。

 

 すると、晋ちゃんは、表情一つ変えずに、こう続けました。

「厳密には、私が、『彼ら』の同胞ではない、と言うべきなのかも

知れません。

 でも、そんなことは、一部の日本国民は、とうの昔から、熟知

していたことです」と。

 

 そこで、大王が、こう切り返します。

「シンゾー、ワシも、そのことは、『とうの昔から』、知っておったぞ。

別段、新しいことでも何でもない。

 それほど、江戸末期以来、いや厳密には、フランシスコ・ザビエルの

来朝以来、日本に対する西欧勢力、とりわけ”国際金融資本家の魔の手”

は、実に巧妙だったということだ。

 

 今日の日本の悲劇は、一朝一夕に起こったことではない。

国家建設に700年をかけたローマほどではないとしても、長年月を

かけて、日本国の土台が蝕まれてきたのじゃ。

 シンゾーは、その最後の『ダメ押し』だったな」と。

 晋ちゃんは唯、頷くだけでした。

 

 そこで、大王が、こう宣言します。

「今までの様々な陳述により、シンゾーの『売国の罪』が、極めて

確信犯的であることが判明した。

 よって、シンゾーに、無間地獄での、千五百億年の刑期を申し

渡す。これにて、アベ・シンゾーの審問を終了する」と。

 閻魔庁の周りを見渡しますと、いつの間にか、太陽が中天に

達しておりました。              【第五章 了】

 

2020年1月 4日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(81)

(第七話)暴虐の限りを尽くした阿呆政権【3】

 

 大王の言葉です。

 

「シンゾーは、ワシの言葉に対して、ずいぶんと不満そうだな。

 だが実は、オマエに対して、憤りを感じている者は、決して

少なくはないぞ。

 事実、先ほども述べたように、オマエを、『内乱予備罪』で訴えた者

までいるではないか。その理由は、次のようなものだ。

 

 第一は、公文書の改竄(とりわけ、森友問題に関して)による国会審議

妨害。

 第二は、2017年、野党側が求めていた臨時国会の召集に対して、冒頭

解散に踏み切ったことだ。

 これは、憲法第53条が規定する、少数者の権利を抹殺する”解釈改憲

によるクーデター”とも言える。

 第三は、憲法第九条の解釈改憲による、『集団的自衛権の行使』に

対してじゃ。

  聞くところによると、内乱罪が成立するには、暴動が不可欠だが、

そこに、『不正な行為』も含まれるという。

 オマエの政権は、まさに、この『不正な行為』のオンパレードじゃ」と。

(『小沢一郎の知恵袋・平野貞夫氏:安倍首相を内乱予備罪で刑事

告発』、参照)

 

 この言葉を聞いて、晋ちゃんは、顔を真っ赤にして、憮然とした面持ち

です。そこで、大王が、こう切り出します。

「ところで、ノブスケとオマエの間には、尋常では理解できぬ深い絆が

あるな。

 つまり、生前、ノブが果たし得なかった『憲法改正』を、オマエは、

自分の終生の大願望とした。

 オマエの暴政の数々は、それを達成するための前提条件だった。

しかし、そのことが、日本国民の幸せに繋がるとは、到底思えぬ」と。

 

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      (『憲法改正』を訴える岸信介)

 

 そこで、晋ちゃんが、敢然と目を見開いて、こう語り

始めました。

「確かに、私の全生涯は、祖父が果たし得なかった夢

(=憲法改正)を実現すためにありました。

 祖父は、志半ばにして、総理の職を辞しました。

 

 しかし、本当は、もう一度、返り咲きたかったと思います。

いや、むしろ、それが出来ると、確信していたと思うのです。

 でも、それが果たせなかったという無念の思いが、祖父から

母へ、そして母から私へと受け継がれました。

 そのため、私の幼い頃からの一挙手一投足が、祖父を手本として、

その夢を叶えるためにありました。

 まさに、『憲法改正』こそが、安倍家の至上命題でした」と。

 

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        (岸信介と、幼少年期の安倍晋三)

 

 そこで、大王が、口を挟みます。

「だが、シンゾー、そのような私憤や私情でもって政治を

されても、国民は、たまったものではないぞ。

 むしろ、甚だ迷惑な話だ」と。         【つづく】 

     

 

 

 

2020年1月 3日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(80)

(第七話)暴虐の限りを尽くした阿呆政権【2】

 

 大王の言葉です。

 

「しかし、これらの法案はすべて、それに反対する意見の方が、

はるかに多かった。

 つまり、国民の意思を、全く踏みにじったゴリ押し法案だった」と。

 

 そこで、晋ちゃんが、こう反論します。

「大王サマ、お言葉ですが、私共は、選挙を通じて、多くの国民から、

全面的な負託を受けております」と。

 この言葉に対して、大王が、こう冷静に語ります。

「選挙の結果とはいえ、国民の4分の1足らずしか、支持しておらぬでは

ないか。

 それが、小選挙区制の限界で、たまたま、名ばかりの『多数派』を形作っ

いるに過ぎぬ。

 つまりオマエたちは、真に国民の代表などとは言えない者たちなのじゃ」

と。

 

 この言葉を耳にした晋ちゃんが、眉間にシワを寄せて、次のように語り

ます。

 「それを申されましたなら、日本の政治は、一日足りと、機能できません。

 良かれと思って小選挙区制に移行したわけですから、もし、ご不満が

お有りでしたら、どうか、小沢一郎さんにでも仰って下さい。

 ボクなんかには、これに関しましては、何の責任もございませんから」と。

 晋ちゃん、いささかヤケになった感じです。

 

 そこで、大王が言います。「シンゾー、問題は、まだ他にも有るぞ」と。

「と、申しますと?」と、晋ちゃんが、興味を示します。

 そこで、大王が、あっさりと答えます。

「それは、オマエの政権の本質に関するものだ」と。

 そこで、晋ちゃんが、問います。

「大王サマ、『政権の本質』と申しますと?」と。

 

 この問い掛けに対する、大王の答えは、次のようなものでした。

「『本質』とは申せ、決して大袈裟なものではない。

唯、オマエの内閣は、要するに、『日本国民の、日本国民による、

日本国民のための政権ではなかったということじゃ。

 むしろ、『アメリカ様の、アメリカ様による、アメリカ様のための政権』

だったということだ」と。

 

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     ハゲタカの巣窟「ウォール街」(ブログ『かるかるの

               世界単独放浪記』より、拝借)

 

  Photo_20191230141701

      (1%の超権力者たちに対する、市民の反対運動)

 

 この言葉を聞いた晋ちゃんの顔が、見る見るうちに、赤味を

帯びてきました。そして、彼は唯、こう言うのみでした。

「そう思われるのは、甚だ心外です」と。

 

 しかし、大王が言います。

「しかし、事実、そう規定してしまえば、オマエの政権の数々の

暴虐さについても、おおよそ察しがつくというものじゃ。

 先方(=『ハゲタカ』)の立場からすれば、オマエの政権ほど、

従順な下僕はいないよのう~」と。

 それを聞いた晋ちゃん、まるで幼児のように、口許でブツブツと

つぶやきながら、不満の意を表します。

 そこで、大王が、こう続けます。           【つづく】

 

    

    

 

2020年1月 2日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(79)

(第七話)暴虐の限りを尽くした阿呆政権【1】

 

 今回の審問は、夜が明けると同時に始まりました。

 

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 大王が、こう語り始めます。

「シンゾー、オマエの政権担当期間中、まさに、オマエたちは、

やりたい放題だったな。

 ワシも、この地獄から、よく見ておったが、戦後日本の自民党

政権の中でも、オマエたちほど、ハチャメチャな政権を見たことは

なかったぞ」と。

 

 これを聞いた晋ちゃん、何食わぬ顔で、こう語ります。

「いえ、大王サマ、決して、そんなことはありません。

ボク自身、まるで、『針のムシロ』の上にいるような緊張の日々が、

多々ございました」と。

 これに対して、大王が言います。

「『針のムシロ』とは、よくぞ申した。

だが、むしろ、日本国民の方こそ、そんな思いではなかったか?!」と。

 

 晋ちゃんも、この地獄での生活に、だいぶ慣れてきたせいでしょうか、

初めの頃の緊張は、どこへやら、今は、たいへんリラックスしています。

 彼も、いつの間にか、閻魔大王と、対等に渡り合えるようになりました。

そんな晋ちゃんが、次のように語ります。

「大王サマ、お言葉ですが、ボクのアベノミクスで、株価も高値安定し、

ずいぶんと儲けた企業も多かったと思います。

 それに、個人投資家として、株に関わった多くの人々も、それなりの

利殖ができたのではないでしょうか」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「シンゾーの話は、いつも、株とカネの話だけじゃな。

『今だけ、カネ(金)だけ、自分だけ』のアベ精神の面目躍如たるもの

があるな。

 ところで、今日は、オマエの政権を、大まかに総括してみたいと

思うのじゃ」と。

 これを聞いた晋ちゃん、ひと息入れて、「望むところです」と

答えました。

 

 そこで、大王が、こう語ります。

「オマエの政権期間中、多くの法案が成立した。例えば、『特定機密

保護法』、『平和安全法制』、『TPP関連法』、『共謀罪法』、

『働き方改革法』、それに、『種子法』を廃止して、『農業競争力

強化支援法』や『カジノ法案』などじゃ。

 

 とりわけ、名ばかりの『平和安全法制』は、実に酷いものじゃ。

 オマエたちは、理不尽にも、平成28年(2016年)に、集団的自衛権

の行使容認を”閣議決定”した。

 その後、この『平和・安全法制』という名の、実質『戦争法制』を

強行採決して、アメリカの戦争に追随する体制を築き上げた。

 これなどは、憲法第九条を破壊するクーデターで、『内乱予備罪』に

該当すると言われておる」と(平野貞夫氏〔下の写真〕の言葉より)。

  

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 そして、大王は、言葉を、こう繋ぎます。  【つづく】

     

2020年1月 1日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(78)

       新年のお慶びを、申し上げます。

 

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    尚、拙ブログは、通常通り、掲載させて戴きます。

                            渡邉良明 拝

 

 (第六話)われらの年金を、外資に貢いだ売国政権【4】

 

 大王の言葉が、続きます。

 

「最初の話題だった14兆8039億円の話は、ニュースとして報じられ

なかったというではないか。

 きっと、オマエたちが、マスコミ関係者に、箝口令を敷いたのであろう。

もし、このニュースが、普通に報じられたら、国民は怒り、オマエの内閣

支持率は、大きく下がったことだろう!」と。

 そこで、晋ちゃんが、口を挟みます。

「私の内閣支持率は、それ程、下がっておりません!」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「それは、そのように、オマエたちが工作しているからではないか!

それも、あの電通(下の写真)とやらの、悪辣な会社を通してな」と。

 それを聞いた晋ちゃんの顔が、一瞬、引きつりました。

 

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 大王は、そのまま話を続けます。

「第一、国民の了解を得ていないGPIFの株投資は、全くの

違法行為だ。

 それを、国民からの同意も取らずに、政府が、勝手にやっておる。

或る心ある識者の言にもある通り、この問題は、本来、国民投票に

かけてしかるべき重大な問題だ。

 

 その者の言うところによれば、GPIFは、ハゲタカ外資のカモに

されているという。まさに、その通りじゃ。

 それに、株で損をした者がいれば、必ず、それで儲けた者がいる。

まさに、シーソーゲームのようなものじゃ。

 ハゲタカ外資が、日米の株式市場で大儲けする手口は、彼らの都合で、

株価を上げたり、下げたりして大儲けするというものだ。

 

 つまり、彼らは、日米の株式市場で、定期的に株価を急騰させて、

GPIFや日銀などのカモを呼び込み、スキを見て株価暴落を仕掛けて、

オプション取引で、また大儲けをする。

 まさに、マッチポンプそのものだ。初めから、八百長なのだ」と。

 

    Gpif6

                     (GPIF)

    

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                   (日銀)

 

 大王の言葉が、続きます。

「オプション取引では、株価が暴落することを、事前に知っている

ハゲタカ外資は、株が暴落しても、暴落前の価格で売り抜けできる

わけだ。

 つまり、彼らが、損をすることはない。

無論、余程のヘマをしない限りだがな。

 

 その結果、彼らのカモであるGPIFも日銀も、日本国民の年金基金や

納税金などの国民資産を、その内情を知りつつ、ハゲタカ外資に献上

しているわけだ。

 言うなれば、オマエの内閣は、国民の年金を、外資に貢いだ売国政権

だということだ」と。(ブログ『新ベンチャー革命』参照)

 

 頭が、全くカラッポ状態だった晋ちゃんは、これまた、二の句が継げ

ませんでした。

 閻魔庁の辺りは、いつの間にか、日が暮れ始めておりました。【つづく】

 

     

 

   

  

 

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