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2019年11月

2019年11月30日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(51)

(第六話)「権力」という名の魔物を、弄んだ男【1】

 

 今日の審問では、大王が、次のように切り出します。

「タロー、娑婆世界では、『麻生太郎』なる人物が、オマエの他に、

もう一人、いたようだな」と。

 これに対して、太坊が、明るく答えます。

「そうだよ!」と。

 

 そこで、大王が、こう続けます。

「オマエにとって、父方の祖父の名前が、確か、『太郎』というのだな。

 つまり、その者は、かなりの事業家だった麻生太吉の長男であり、

かつ、オマエの父・太賀吉の父親に当たるわけだ。

 オマエは、その者の”生まれ変わり”のようなものだな。

麻生家の者たちは、きっとオマエに期待したことだろう」と。

 

「さあ、それは、どうかな?」と、太坊も、少しリラックスしたのか、

いささかタメ口で答えました。

 そこで、太坊が、こう語ります。

「ボク、小学3年生の時に、九州の飯塚市から上京したんだ。

編入した学習院の初等科では、ボクの九州弁、最初は、同級生たちから

馬鹿にされてね。

 でも、このひょうきんなキャラだから、次第に、みんなから認められる

ようになったんだ。

 正直、今のツクリ笑いは、その頃の名残かな」と。

 太坊は、サラリと、実に意味深なことを言ってのけました。

 

 そこで、大王が、太坊に尋ねます。

「タローは、豪放磊落な雰囲気で、『権力』などには、余り拘らない

感じだが、実際は、どうだったかな?」と。

 これに対して、太坊が答えます。

「ボク、生まれが生まれだったから、いつも、みんなから、チヤホヤ

されていたよ。

 それで、自分でも、ちょっといい気になっちゃってね。

『権力』なんて、当時は、別にこちらから求めなくても、自然と手に

入ると考えていたような気がする。

 

 しかし、1979年に、政界に入ると、やはり違ったね。

周りは、誰もが、『いつかは、総理になってみせる』と息巻いている

ような連中ばかりだったから、正直、数々の修羅場があったよ」と。

 

 そこで、大王が言います。

「タローも存外、権力欲の強い男だったようだな。

その修羅場だったかどうかは知らぬが、2006年の自民党総裁選挙では、

次のようなことがあったようだな。

 

 実際、2006年9月、オマエは、自民党総裁選挙に立候補するも、

当時の内閣官房長官だったアベ・シンゾーに敗れた。

 その結果は、安倍:464票、麻生:136票、谷垣禎一(下の写真):

102票というものだった。

 

     Photo_20191123211301

 

 この時、当時の財務大臣・谷垣との密談で、オマエは、こう語った

そうだな。

『アベ・シンゾーに刃向かっても、勝てっこない。だから、オレと組め。

その代わり、オレに総理を先にやらせろ!』と。

 

 確かに、二位と三位の者が結びついて、一位の者に勝利することは、

時々あるな。石橋湛山が岸信介に勝った時が、まさにそうだった。

 だが、オマエたちの場合は、たとえ結びついても、シンゾーには、

勝てなかったわけだ。

 

 しかし、ここで、興味深いのは、この密談から窺える、オマエの

『権力』に対する、飽くなき執念じゃ。

 何か、シゲルを彷彿とさせるものがあるな」と。

 太坊は、その曲がった口を、ポカンと開けたまま、大王の言葉を

聞いていました。

 そこで、大王が、次のように語ります。        【つづく】

 

(追記:昨日〔29日〕、中曽根康弘氏が、逝去されました。

   彼は、田中角栄氏と同年でした。実は、私の父も同様です。

   因みに、中曽根氏と父の命日は、ちょうど一週間違いです。            

          紅葉(あるいは、黄葉)の美しい中での瞑目でした。   

   謹んで、ご冥福を、お祈りいたします。

     尚、明日は、休筆いたします。)

 

 

2019年11月29日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(50)

(第五話)「無恥の時代」の申し子たち【3】

 

 その時の太坊の言葉です。

 

「首相の家庭なんて、決して幸せなものじゃないよ。

 今度、生まれ変わる機会があったら、もう、あんな家になんか、

生まれたくない !」と。

 

 これを聞いた大王が、しみじみと語ります。

「幼少期のタローは、今で言う、『ネグレクト(育児放棄)』という

ものだったのだな。

 オマエは、いわゆる、『愛情欠乏症』だったと思われる。

 心の奥深いところでは、今でも、オマエは、人の『愛情』を求めて

いるのかもしれんな。

 オマエが、79歳の坊やというのも、何か納得のゆくものがあるな。

それに、オマエは、幼少期の境遇が、シゲルと、余りにも、よく

似ておる」と。

 これを聞いた太坊も、少し目がウルウルとした感じで、心から頷く

風情でした。

 

「しかし、・・・」と、大王が、語調を改めます。

そして彼は、こう続けました。

「生前、オマエは、シンゾーの暴政を、近くで等閑視しておった。

そればかりか、一緒に連んで、不善を為す有り様だった」と。

 

 少し間を置いて、大王は、こう繋ぎました。

「タロー、オマエは、齢79にもなって、14歳も年下の暴君を、命懸けで

諫めることもできなかったのか!?

 むしろ、オマエは、その暴君と連んで、暴虐を貪った。

オマエは、それでも、九州男児(飯塚市出身)か!

また、どこが、学習院で言うところの神州男児か!」と。

 

 この大王の怒りの言葉は、太坊の心臓の中心を射貫きました。

正直、これらの言葉は、太坊が、最も聞きたくないものでした。

 なぜなら、彼は、自分は最も代表的な九州男児であり、かつ

神州男児だと思っていたからです。

 

    Photo_20191122144301

       (航空機上から見た九州は、

            まさに、森と山の大地です。)

          

     Photo_20191122144601

        (九州の代表的な名勝地の一つ、高千穂郷・・・

                                                             ネットから拝借)

 

 そこで、大王は、こう続けます。

「それに、人間、どれほど年をとっても、尊敬できない人物は、

尊敬できないものだ。

 実際、タローも、そんな人間だったのではないか!

 

 オマエとシンゾーは、『権力(とりわけ、人事権)』とやらを手中に

収めていたがゆえに、周りの者たちは、オマエらの命じる無理難題に

応えただけなのじゃ。

 その『権力』が無ければ、オマエらは、単なる木偶の坊だ。

人は、見向きなどせん」と(*なぜか、この時、大王の口から、

思わず、『九州弁』が出てしまいました)。

 

 この激しい怒りの言葉に、少し臆した面持ちで、太坊は、

次のように述べました。

「大王サマの仰ること、重々、ご最もです」と。

 そこで、大王が、こう続けます。

「タロー、オマエらの『厚顔無恥』は、オマエらにとっては、

ごく当たり前のことだったかも知れん。

 だが、国民は、ちゃんと見ておるぞ!

 

 人間、得意の絶頂で、思わず、足許を掬われるものだ。

『本能寺の信長』を見れば、分かるだろう。

努々、それを忘れるな!」と。

 

 太坊は、耳元で、冷や汗が二本、滴り落ちるのを感じました。

閻魔庁の周りは、いつの間にか、不思議なほどの静寂に包まれて

おりました。                     【つづく】

 

 

2019年11月28日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(49)

(第五話)「無恥の時代」の申し子たち【2】

 

 昨日の続きです。

 

 トーマス・カーライル(1795~1881)の言葉に、「羞恥心は、

あらゆる徳の源泉である」というものがあります。

 その意味で申しますと、「羞恥心」など、微塵も感じられない

太坊と晋ちゃんは、人間の『徳』から最も遠い世界にいるようです。

 それゆえ、われわれ日本国民の心が、彼らから離れてしまったのです。

 

 また、古代ギリシャの哲学者、プラトン(BC427~347:下の

肖像画)は、次のような言葉を遺しています。

「己自身の力量によらず、先祖の名声によりて、尊敬をあえて甘受する

以上に、恥ずべきことなし」と(プラトン『メネクセノス』より)。

 

       Photo_20191122103401

            (ラファエロの描いたプラトン)

 

 その意味では、先祖(とりわけ、祖父)の名声のみで、

その存在価値をひけらかす両者は、プラトン流に言えば、

『最も恥ずべき人間』だと言えます。

 多分、そんなことさえ認識していない、この両人は、まさに、

『恥の上塗り』とさえ申せましょう。

 

 それでは、舞台を、また閻魔庁に戻します。

 

 太坊を前に、大王が言います。

「タロー、生前、オマエとシンゾーは、『厚顔無恥』を絵に画いた

ような者たちだったな」と。

 これに対して、太坊が、例の如く口を微妙に曲げながら、少し照れ

くさそうに答えます。

「大王サマに、ズバリ言われちゃいましたね」と。

 

 この言葉を聞いた大王が、次のように語ります。

「タロー、確かにオマエは、周囲からは、『明るく気さくな人柄で、

親しく付き合えば、直ぐに魅力が伝わる人物だ』と認識されておった

ようだな。

 オマエの人柄を評して、『半径2メートルの男』と呼ぶ者もいたようだ。

なかなか、言い得て妙だな。

 それゆえ、オマエに直に接すれば、結構、面白い人物なのだろう。

 

 だがタロー、問題なのは、その人間の持つ、『本心』なのじゃ。

それは、見掛けなどでは、容易には分からぬ。

 つまり、その『真心』が、大事なのだ」と。

それを聞いた太坊が、珍しく神妙に応じます。

そして、彼は、次のように述べました。

「大王サマの仰る通りだと思います」と。

 

 そこで、改めて、大王が、太坊に尋ねます。

「『三つ子の魂、百まで』と言うが、タローの子供の頃は、

一体、どんな生活ぶりだったのじゃ?」と。

 

 この問いに対して、太坊が、至って正直に答えます。

「すごく、淋しかったよ。ボク、いつも、一人ぼっちだった

んだ・・・」と。

 そこで、大王が問います。

「しかし、両親は、健在だったのではないか?」と。

 

 この言葉に対して、太坊が、ちょっぴり淋しそうに答えます。

「いたにはいたけど、いつも、ボクの目の前にはいなかったよ。

パパは、お仕事で忙しかったし、ママはママで、グランパの秘書と

やらで、いつも、お家を留守にしていたんだ」と。

 そして、太坊は、強い口調で、こう付け加えました。 【つづく】

2019年11月27日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(48)

(第五話)「無恥の時代」の申し子たち【1】

 

 『申し子』とは本来、「神仏に祈願することで授かった子供」とか、

「神仏など、霊力を持つ者から生まれた子供」のことを言うようです。

 でも同時に、「社会的背景や特殊な状況を反映させて生まれた者」と

いう意味もあります。

 つまり、その時代の『産物』とでも申せましょう。

 

 太坊も晋ちゃんも、まさに、現代日本が生み出した『産物』だと

言えます。

 換言すれば、彼らの出現は、悲しいことに、現代日本の必然であり、

かつ、同時代人である私たちの『責任』でもあると思います。

 それゆえ、彼らの問題は、同時に、私たちの問題でもあると

思うのです。

 

 実際、アベ政治の何たるかも知らない数多くの国民が、さしたる

考えもなく、今まで、自民党に一票を投じてきました。

 これは、言うまでもなく、現在進行形であり、かつ未来進行形でも

あります。正直、非常におぞましいことです。

 

 ところで、アメリカの女性文化人類学者、ルース・ベネディクトは、

その著『菊と刀』(下の写真)で、日本の文化を、『恥の文化』と規定

しました。これは、欧米の『罪の文化』に対峙するものです。

 

  

      Photo_20191121144501       Photo_20191121144601  

 

 確かに、かつての日本人は、『恥を知る』民族でした。

しかし、今は、どうも様相が異なります。

 『恥』を、恥とも思わない、無恥な人々が、急激に増えました。

その意味で、まさに、現代日本は、『無恥の時代』です。

  太坊と晋ちゃんは、その申し子たちと申せましょう。

 

  つまり、この両人は、人としての情や矜持が、余りにも

なさ過ぎるのです。

 この二人は、もし恥を知る人間ならば、決してやらないであろう

ようなことを、臆面も無くやってのけます。

 それも、まるで、堂々と自信を持ってやっているような風情です。

 

 でも、じっくり観察しますと、それは、決して、両者の『自信』から

発する行為ではないことが分かります。

 むしろ、周りの反応を見ながらの、実におずおずとした行動なのです。

では、この、ほぼ同じ波長を持つ両人に共通した性格は何かと言えば、

それは、『虚勢』なのではないでしょうか。

 

 言うなれば、彼らが外に発現するものは、決して、『本物』

ではないと思います。

 それらは、あくまでもイミテーション、要するに、『偽物』です。

 勢い、その本質が、周囲の人々に気付かれないように振る舞おうと

するために、その行動は、実に不自然で、行き当たりばったりに

なります。

 そして、そこに漂うものは、異常に肩をいからせ、人一倍、

『虚勢』を張った姿なのではないかと思うのです。  【つづく】

 

 

2019年11月26日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(47)

(第四話)権力濫用は、隔世遺伝?【2】

 

 太坊が、次のように語ります。

 

「でも、アレは、ボクの発案じゃなかったんだよ」と。―

 そこで、大王が、詰問します。

「では、一体、誰の発案だったと言うのじゃ?」と。

 これに対して、太坊が答えます。

「実は、アレは、『アメリカ様(=ジャパン・ハンドラーズ)』からの

指令だったんだよ。

 それに、実際に、悪知恵を働かせたのは、当時の内閣官房副長官

だった漆間巌だよ」と。

 

 これを聞いた大王が、苦笑しながら、こう語ります。

「タロー、オマエは、生前だけでなく、ここでも、部下に責任を押し付ける

気か!?」と。

 そして、大王は、こう続けます。

「確かに、当時の漆間の悪知恵は、相当なものだったな。

かつての警察庁長官だっただけに、裏では、かなり悪辣な事をして

出世したようだ。自らの金銭上の問題も、体よくもみ消しておるな。

 だが、アノ者は、あの時の『指揮権発動』の件を、出身高校(都立

日比谷高校)の同窓会で、一部の親しい同級生たちに、自慢げに、

吹聴したようだな。全くの俗物よのう~」と。

 

 これは、当時の法相として、実際に指揮権を発動した森英介(下の

写真)も、全く同様じゃ。

 森も、あの一件を、自民党政治家たちとの私的な会合で、さも自慢げに

語ったようだ。

 

      Photo_20191121133901

 

 それだけに、あの二人は、自分たちのした事が、まるで大きな手柄

だったかのように誤解しておるようじゃ。

 

 しかし、実際は、むしろ健全に推移すべき日本政治の自然な流れを、

無理に押し留めて、全く違った方向に変えたのじゃ。

 その罪は、決して小さなものではない。

 だが、その最大の責任者、それは、タロー、オマエだぞ!」と。

これを聞いた太坊は、珍しく、眉間をピクピクさせるだけでした。

 

 そこで、大王が言います。

「オマエは、すべての悪事は、『アメリカ様』の命令に由るものと言い、

やったことは、全て、部下の責任だと言うが、それでは、本当の『オマエ

自身』は、一体、どこにいるのじゃ!

 そうやって、今まで、79年もの星霜を経てきたわけか!

オマエは、まことに、恥知らずの無責任な人間じゃのう。~

 

 それに、オマエの権力濫用は、まことに、『隔世遺伝』のようじゃ。

加えて、『先代が築いた身代も、これを潰すは、ほんとに阿呆な三代目』、

といったところか。

 これは、シンゾーも、全く同様じゃ」と。

 これを聞いた太坊は、生前、この種のパンチを食らったことは、一度も

ありませんでした。

 そこで、ここでは、唯、目をパチクリさせるだけでした。

 

     Photo_20191125123901

 

 そして彼は、あの時の、不当な『指揮権発動』に、しばし思いを

馳せました。

 閻魔庁の外では、昇り始めた太陽が、すでに中天にさしかかって

おりました。                     【つづく】

2019年11月25日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(46)

(第四話)権力濫用は、隔世遺伝?【1】

 

 今回の太坊の審問は、夜明けと共に始まりました。

先ず、大王が、口火を切ります。

「政治家という者は、一度、強大な権力を握ると、なかなか、

それを手放せなくなるものだ。

 タロー、オマエのグランパ(祖父)のシゲルなどは、その典型だと

言えよう。

 

 だが実は、全く同じ思いが、オマエにもあったな。

 タローの政権担当時(2008年9月~2009年8月)、オマエを最も

脅かす存在は、当時の民主党代表の小沢一郎だった。

 タロー、それに、相違ないか!?」と。

 虚を突かれた感じの太坊は、渋々と答えます。

「大王サマ、全く、その通りです」と。

 

 そこで、大王が、こう続けます。

「それゆえ、オマエの権力欲からして、何よりも、この小沢を追い落とす

ことが、至上命令だった。

 それも、如何なる汚い手段を使ってでも、オマエは、それを、成し遂げ

たかった。

 また、そのことに、オマエは、実に一方的な『使命感』さえも、

抱いておった。

 そのために仕組まれた罠が、『西松事件』と『陸山会事件』じゃ。

 

 だが、これらは元々、無理筋のデッチ上げ事件だった。

東京地検特捜部が、その重要な手先となった。

 よくもまあ、あんなハレンチな事を、真顔でやれたものだ。

あの事件の発覚当時、地獄の者どもも、オマエらの所業に、

ほとほと呆れ果てておったぞ。

 そして、みんなが、口々に言ったものだ。

『あれは、地獄以上の《地獄》だ!』と。

 小沢(下の写真)は、あの三年余り、いや、それ以上の期間、よくぞ

耐え抜いたものだ。まことに、感服に価する。

 

     Photo_20191109131701

 

 そして、大王の言葉が、次のように続きます。

「これに対して、あの事件に関わり、無実の小沢を陥れようとした者

どもは、自らの死後、それ相当の裁きを受けることになろう。

 ワシも、その者どもとの出会いを、心から楽しみにしておるぞ。

タロー、オマエも、相応の覚悟が出来ておろうな」と。

 

 この大王の言葉を聞いた太坊は、思わず、生唾を、ごくりと飲み

込みました。

 そして、いつものように、口許を少し斜めに曲げながら、

例のダミ声で、こう言ったのです。

「大王サマ、すでに覚悟はできております。

ワタシも九州男児です。どうか、よろしく、お裁きください」と。

 

 その覚悟の程に感じ入った大王が、こう言います。

「タロー、なかなか見上げた性根じゃ。

これより、じっくりと、オマエの生前の行状について、

吟味するとしよう」と。

 そこで、大王が、こう切り出します。

「かつて、シゲルは、造船疑獄事件で、逮捕寸前だった佐藤栄作を、

無理筋の『指揮権発動』によって救った。

 

 今度は、その目的こそ違え、政権交代を前に、それをどうしても

阻止したかったオマエは、同様の理不尽な『指揮権発動』によって、

最大の政敵・小沢一郎を、完璧に潰しにかかった」と。

 これに対して、太坊が、あの濁ったダミ声で、異議を唱えます。

                             【つづく】

 

2019年11月23日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(45)

(第三話)太坊は、『名ばかりのカトリック』?【3】

 

 大王の言葉が、続きます。

 

「しかし、オマエの場合、カトリックとして生きているとは言えないのでは

ないか。オマエのようなのを、『名ばかりのカトリック』というのじゃ。

 日本には、そのような者が、多いよのう~。

カトリックやプロテスタントという名称は、単なるアクセサリーでは

ないぞ。

 

 オマエが、自分を本物のカトリック、あるいはクリスチャンだと

自負するのなら、多分、その普段の行動は、明らかに変わると思うぞ。

 だが、それが変わらぬ限り、『自分は、カトリックだ』などと、

吹聴しない方が賢明だ。

 他のカトリックの者たちが、恥ずかしくて、おちおち道も歩けぬわ」と。

太坊は、この言葉を聞いて、しばし絶句したまま、二の句が継げません

でした。

 

 ところが、大王の言葉は、もう少し続きます。

それは、次のようなものでした。

「タローは、洗礼名が、『フランシスコ』とのことだが、それは多分、

『アッシジのフランシスコ』(1182~1226:清貧と貞潔を重んじた

『フランシスコ会』の創立者)のことではなく、むしろ、16世紀、

日本に初めてキリスト教を伝えた『フランシスコ・ザビエル:1506~

52:下の絵』のことではないか。

 

       Photo_20191107152201

 

 すると、太坊が、素直に答えます。

「大王サマ、その通りだよ」と。

 これに対して、大王が言います。

「タローも知っての通り、今のローマ法王の名前も、

フランシスコだな」と。

 そして、大王が、こう続けます。

「実は、このローマ法王庁(バチカン)が、なかなかの曲者

じゃ。決して、良いことばかりではないぞ。

 タローも生前、実は、彼らと深く繋がっていたのでは

ないか」と。

 

 すると、この言葉を聞いた太坊が、ムキになって答えます。

「ボク、そんな大物じゃないよ」と。

 これに対して、大王が答えます。

「さぁ、それは、どうかな? 日本国民の知らないところで、

オマエには、国際的なネットワークと、強力な権力基盤が

あったのではないか。

 それは、特にシゲル以来、脈々と受け継がれたものじゃ。

勿論、それは同時に、国際権力のロスチャイルドとも、

深く繋がっておる。

 

 そう考えると、オマエのカトリックというのは、一つの『隠れ蓑』

だったかも知れんな。

 事実、生前、オマエは、このカトリックという”ネットワーク”を

最大限に活用して、世界の権力者たちと深く、かつ緊密に繋がって

いたのであろう。

 

 そこには、日本の庶民の痛みや苦しみなどを理解しようとする

視点などは、全く見られない。

 それに、キリストの愛からも、遠く隔たっている。

その意味でも、オマエのことを、『名ばかりのカトリック』と言うのは、

あながち間違ってはいないようだ」と。

 

 太坊には、反論の余地が、全くありませんでした。

閻魔庁の外では、地獄で見られる太陽が、中天に昇った後、静かに、

沈みかけておりました。                 【つづく】

 

(追記:明日、日曜日は、通常通り、休筆いたします。)

2019年11月22日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(44)

(第三話)太坊は、『名ばかりのカトリック』?【2】

 

 大王の言葉です。

 

「その自殺した近畿財務局の男性職員(当時:54)に、公文書の

改竄を強要したのが、佐川宣寿(のぶひさ:下の写真)じゃ。

 その佐川は、国会ばかりか、国民をも欺いた。

そんな国家犯罪に手を染めた佐川に対して、タロー、オマエは、

『極めて有能だった』と述べたな。

 何が有能だったのじゃ?

 シンゾーやオマエの犯罪行為を、ひたすら隠し、庇うのに有能だった

だけではないか!

  

      Photo_20191107130001

 

 何より、この公文書改竄事件の最高責任者だったオマエが、

あの森友事件の責任をとって、辞任することもなかった。

 国民を舐めていたとしか思えぬ。

 

 自殺した者のかつての同僚たちは、こう語っておったぞ。

『麻生大臣が、あんな態度で大臣であり続けるのは、自殺した

職員を知っている周りの人や職員は、本当に耐えられない』と。

 タロー、オマエには、この彼らの怒りや、その心の痛みを、

少しでも感じることができるか!?」と。

 

 太坊は、この種の言葉を直接聞くことは、生前、一度もありません

でした。

 今までの、些かひょうきんだった太坊は、しばらく影を潜め、

彼は唯、中空の一点を見つめたままでした。

 彼の両目には、何やら光るものがありました。

 

 そこで、大王が、改めて太坊に尋ねます。

「ところで、タローは、カトリックだったということだが、それは、

まことか?」と。

 太坊が、気を取り直したように、明るく答えます。

「うん、そうだよ!」と。

 

 そこで、大王が問います。

「ということは、オマエは、イエス・キリストが、『父と子と聖霊』の

三位一体であることを、心から信じているのだな?」と。

 この大王の問い掛けに対して、太坊が、勇んで答えます。

「勿論だよ!」と。

 

 そこで、大王が、改めて尋ねます。

「それでは、オマエは、イエスの説く神の愛(アガペー)と隣人愛の

真義が理解できているわけだな。

 それに、イエス・キリストの生き方に恥じない生き方ができている

わけだな」と。

 それを聞いた太坊が、びっくりしたように答えます。

「それは、無理だよ! だって、イエスさまとボクじゃ、月と

スッポン、神さまと単なる人間(それも、今は亡者)、それに、

天と地ほどの違いがあるよ」と。

 

     Photo_20191107141601

             (イエス・キリスト)

 

 これを聞いた大王の言葉です。

「それは、おかしいのう。

なぜなら、信仰とは、単に、『何か』を信じるだけでは

ないぞ。

 カトリックであるオマエの場合、イエスの愛の精神を、

生涯の模範として、それを少しでも実践しなければ、

まことの信者とは言えぬのではないか。

 『単に、カトリックである』ということと、『カトリック

として生きる』ということは、明らかに違うと思うぞ。

                       【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月21日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(43)

(第三話)太坊は、『名ばかりのカトリック』?【1】

 

 太坊の審問が始まりました。大王が、太坊に問います。

「タローは今まで、『自分』に、正直に生きてきたか?」と。

 そこで、太坊が、いつものように、口を独特に曲げながら答えます。

「大王サマ、その『自分』というのが、ボクには、よく分からないんです」

と。そこで、大王が尋ねます。

「タロー、それは、具体的には、どういうことか?」と。

 

 この問い掛けに対して、太坊が答えます。

「ボクは今まで、吉田茂の孫として生まれ、かつての麻生セメントの社長、

同じく日本青年会議所の会頭、衆議院議員、そして財務大臣として生きて

来ました。

 

 でも、それらは、単なる『お面』にしかすぎません。

ボクは、それらのお面を被って、その場その場で、自分に与えられた役割

を演じてきたに過ぎないのです。

 それで、どこにも、本当の『自分』というものがありませんでした。

それに、79年という歳月も、まるで、一瞬の瞬きのように過ぎてゆき

ました」と。

 

 これを、じっくりと聞いていた大王が、言います。

「タロー、よく自分の正直な思いを語ってくれたな。

だが、惜しむらくは、オマエが生前、そのような思いに至らなかった

ことだ。

 しかし、早い遅いの差こそあれ、一人の人間として、そのような

疑念を抱けたことはよかったと思うぞ」と。

 

 それに続けて、大王が、次のように語ります。

「それでは、卒爾だが、オマエが財務大臣だった頃の話をしよう。

シンゾーの、あの心にもない言葉、『私や妻が関係していたなら、

首相も議員も辞める』というのは、当時の財務省の職員たちにとって、

まさに、”狼煙”のようなものだったな。

 あのひと言を機に、財務省内での隠蔽、改竄、捏造、廃棄が本格化

した。その結果、不幸にも、一人の自殺者まで出た」と。

 

     Photo_20191106142701

                   (財務省庁舎)

 

 この言葉を聞いた太坊が、思わず言います。

「確かに、『彼』は、可哀想だったね」と。

 この言葉を耳にした大王が、すかさず尋ねます。

「タロー、オマエは、心から、そう思っているのか?」と。

 これに対して、太坊が、正直に述べます。

「うん、今は、心から、そう思っているよ。

だって、『良心』の存在を知ったからね。

 あの頃は、何が何やら分からず、唯、自分を守ることで、

精一杯だったよ」と。

 

 この言葉を聞いた大王が、言います。

「タローの、今の気持ちは、よく分かった。

だが、ここでは、当時のことを、今一度振り返ってみると

しよう」と。

 そこで、大王が、次のよう続けます。      【つづく】

 

 

 

2019年11月20日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(42)

(第二話)太坊、閻魔大王の前に立つ【2】

 

 大王が、珍しく笑顔で語ります。

「タロー、オマエも、存外、鋭いオトコだな。その通り、

シゲルも、ここにいるよ。先ほど、審問を終えたところだ」と。

 

 この大王の言葉に気を良くしたのか、太坊は、少し甘えるような

口調で、大王に尋ねます。

「ねぇ、大王サマ、ボクのおじいちゃんは、やっぱり、無間地獄

行き?」と。

「そうだよ」と、大王が、正直に答えます。

 そこで、太坊が、問います。

「じゃ、その期間は、どのくらい?」と。

 大王が、重ねて有り体に答えます。

「五百億年だよ」と。

 そこで、太坊が、大王に願います。

「大王サマ、ボクも、おじいちゃんの傍で、同じ期間、

住まわせて下さい」と。

 

 そこで、大王が言います。

「おぉ、タロー、ずいぶんと殊勝なことを言うな」と。

 そして、彼は、太坊の年齢を尋ねます。

「ところで、タローは、幾つになった?」と。

 太坊が、即座に答えます。「79歳だよ。今年の9月に、79に

なったばかりだよ」と。

 これを聞いた大王が、いささか呆れ気味に言います。

「齢79の坊やがいるとは、最近の娑婆も、ずいぶんと変わった

ものよのう~」と。

 

 そして、大王は、太坊を見つめつつ、こう続けます。

「この地獄から、娑婆のオマエを見ていたが、オマエは、

周囲からバカにされつつも、なかなか『意思堅固』な人物だった

ようだな。

  しかし、かなりおっちょこちょいでもあったようだ」と。

 

 これを聞いた太坊が言います。

「当たり! 大王サマの言う通りだよ。

ボク、生まれは良かったけど、育ちが悪かったんでね。

 でも、それって、至って人間的じゃない?」と、大王にまで、

相変わらず、口を微妙に曲げて、タメ口を叩きます。

 その生来の粗忽さは、なかなか直らないようです。

そこへ、太坊の性格その他についての報告書が届きました、

 

 それには、次のようにありました。

「女性差別主義者、過度の『オレ様意識』、ヒトラー主義者、

生来の無神経、権威主義、自己保身、選民意識、コンプレッ

クス・アグレッション(劣等感からくる、強い攻撃性)、

『ミスター・下品』、上から目線、冷血、『想像力・皆無』、

IQ30(但し、悪知恵のみ、異常発達)、唯我独尊、

『他者への尊敬心、まるでゼロ』、稀代の粗忽者、遊び好き、

趣味は、『部下への責任転嫁』、傲慢の塊、学習院の面汚し、

暴言家(最近、流行〔はやり〕の職業?もはや彼の場合、

『暴言』が、家業の域にまで達しています)」と。

 

       Photo_20191105202701

       (アドルフ・ヒトラー・・・

        もしかして、太坊の「お手本」?)

 

 これを見た大王が、少し苦笑しながら、おもむろに

言います。

「それでは、そろそろ、タローの審問を始めるとしよう」と。 

                          【つづく】

2019年11月19日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(41)

(第二話)太坊、閻魔大王の前に立つ【1】

 

 さて、今日は、太(タ-)坊が、閻魔庁までやって来ました。

そこで、太坊が、いつものトレードマークである、口を独特に

曲げながら、あの特異なダミ声で、なにやらブツブツと、

独り言をつぶやきます。

「一応、ボクは、敬虔なカトリックだから、当然、天国へ行ける

ものと思っていたよ(*因みに、彼の洗礼名は、『フランシスコ』

です)。

 天国で、ボクは、和子ママや雪子おばあちゃんにも会えると思って

いたんだ。でも結局、会えなかった。

 じゃ、ここは、キリスト教で言う『煉獄』かな?と思ったけど、

どうも、そうでもなさそうだ」と。

 

 これを、傍で聞いていた赤鬼が、言います。

「オマエ、何を、ブツブツ言っておる。ここは、閻魔庁だ。

地名・地番は、地獄の一丁目・一番地だぞ!」と。

 これを聞いた太坊が、口を曲げながら言います。

「あぁ、いつかのおじちゃんだ!」と。

「おじちゃん?・・・ ここで、『おじちゃん』などと言われた

のは、生まれて初めてだ!」と、赤鬼も、いささか呆れ顔です。

「これより、閻魔大王サマが、ご登壇なさるから、オマエは、

そこで、大人しく待っておれ!」と、赤鬼が、峻厳に命じます。

 

 すると、そこへ、巨大な閻魔大王が、威厳を持って登場します。

うやうやしく着席後、大王は、威厳に満ちた声で、こう語ります。

 

    Photo_20191105152401

 

アソウ・タローとは、オマエか?」と。

「そう! ボク、アソウ・フランシスコ・タローだよ」と、

太坊が、いささかタメ口で答えます。

「タロー、オマエは、なぜ、ここに居るのか分からないよう

だな」と、大王が、先ほどの太坊の独り言を踏まえながら、

優しく語りかけます。

「ウン、そうだよ!」と、太坊は、いつものように、活発に

答えます。

 

 これに対して、大王が、こう語ります。

「それは、オマエの心の奥にある『良心』というものが、オマエを、

ここに導いたのだよ」と。

「『良心?』、良心って、一体、何?」と、太坊。ー

「良心とは、人間一人ひとりが持つ、自分を偽ることのない『真心

のことだよ。それを、『』と言ってもいいかな」と、大王が、

諄諄と説きます。

 

「『良心』なんて、ボクには無いと思っていたよ。

でも、それが、ボクを、ここまで連れて来たのか。・・・

 ボクは、ママやおばあちゃんたちのような、『天国行き』では

なかったんだね。

 でも、ここには、きっと、シゲルおじいちゃんも来ているのかな?」

と、太坊、なかなか鋭い突っ込みを見せました。    【つづく】

 

2019年11月18日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(40)

(第一話)太(ター)坊も晋ちゃんも、

     地獄の鬼には、食えない代物?【3】

 

 そこで、青鬼が言います。

「では、これは、どうだ?」と。

 それには、「背後」とありました。

晋ちゃんが、勇んで答えます。「せご」と。

 いささか呆れ顔の青鬼が、もう一枚の紙切れを出します。

それには、余りにも有名な伝説的言葉、「云々」とありました。

 晋ちゃんが、嬉々として答えます。「でんでん」と。ー

 

 この光景を見ていた赤鬼が、思わず怒りを爆発させて、大声で、

こう叫びました。「オマエは、本当にニッポンジンか!?」と。

 続けて、赤鬼が問います。「オマエは、本当に大学を卒業した

のか?」と。

 実は、激した赤鬼は、怒りの余り、こうも問いました。

「オマエは、本当に、小学校を卒業できたのか!?」と。

 

 この光景を、ニヤニヤ顔で見ていた、ひょっとこ顔の太(ター)坊

は、あの口を独特に曲げながら、こう言い放ちました。

「ボクは、晋ちゃんよりは、漢字ができるよ」と。

そして、彼は、こう続けました。

「だって、僕は、セイケイ(成蹊)じゃなくて、天下のガクシュウイン

(学習院)卒なんだもーん!」と。

    Photo_20191114063301 

                 (学習院大学の正門:ネットより拝借)

 

 それで今度は、赤鬼が、太坊の前に、同じような紙切れを見せて、

こう詰問しました。「これを、オマエは、何と読む?」と。

 それには、「怪我」という字が書いてありました。

太坊は、”そんなの、簡単だい!”と言わんばかりに、自信を持って答え

ました。「かいが」と。

 次に、赤鬼は、別の紙切れを見せました。

それには、こうありました。「頻繁」と。

 太坊は、これまた、”そんなの、分かってらー”とばかり、思わず顔を紅潮

させて答えます。「はんざつ」と。

 

 さらに、赤鬼が見せた紙片には、こうありました。「詳細」と。

これに対して、太坊が、嬉々として答えます。「ようさい」と。

 堪忍袋の緒が切れたのか、赤鬼が、思わず言い放ちました。

「もう、いい!」と。

 

 この後、両鬼は、互いに顔を見合わせながら、語り合いました。

 青鬼が、大きな声で言います。

「オレタチ、ずいぶんと長い間、地獄に居るが、こんな新種というか、

珍種は、初めてだな」と。

 これに対して、赤鬼が、ため息混じりに応じます。

「こんなのが、娑婆世界・日本の、総理大臣と財務大臣なのかい。

日本人って、ずいぶんと不幸な国民だな。

 それに、こんなのを食っても、ちっとも美味しくはないだろうな」と。

 

 両鬼を余りにも呆れさせたお蔭で、二人共、無事、食われずに済み

ました。

 人間(いや、すでに亡者ですが)、何が幸いするか知れません。

 何事も、最後まで諦めないことが、肝心なようです。

何が起こるか、分からないのですから。

 私は思わず、平櫛田中の『転生(てんしょう:下の写真)』を、

思い出しておりました。             

 

     Photo_20191105143301  

                               【つづく】

2019年11月17日 (日)

地獄をさ迷う亡者たち(39)

第一話)太(ター)坊も晋ちゃんも、地獄の鬼には、

     食えない代物【2】

 

 生前、二人連んで「暴政」を極めた、このデコボコ・コンビは、実は、

その誕生日が、一日違いなのです。

 つまり、太坊が、9月20日(1940年)で、晋ちゃんが、9月21日

(1954年)です。

 それに、二人共、『乙女座』といいますから、これほど気味の悪い

ことはありません。

 

 といいますのも、「乙女座の基本的な性格は?」というブログの一文に、

次のようにあります。

「乙女座の人は、社会通念や道徳心を重んじていて、気遣いができて、

責任感があります。また、周りの人に迷惑をかけることを嫌がります。

 几帳面なところがあり、神経質と言われることもあるでしょう」と。

 この文章を読んでいて、このデコボコ・コンビに関しては、「一体、

どこが?」と、心の中で、思わず、突っ込みを入れていました。

 

 しかし、よく見てみますと、この二人共、乙女座といっても、かなり

終わりの方なので、極めて、『天秤座』に近いことが分かります。

 それで、『天秤座』の箇所を読んでみますと、それには、こうあり

ました。

「天秤座の人は、調和を大事にし、衝突や矛盾のない関係を望みます。

 バランスを表わす天秤は、性格にも現れていて、争いを好まず、感情を

表情や態度に出さない平和主義者です。

 穏やかで安全な生活を望みます」と。

 これを読んで、思わず、「ウッソー!」と叫びたくなりましたが、

みっともないので止めました。

 

 私事ですが、私には、数人の乙女座や天秤座の友人・知人がおります。

確かに、彼らの場合は、「そうだなぁ~」と納得できます。

 でも、このデコボコ・コンビは、まったく間尺に合わないのです。

両人共、たいへんな大物(?)ゆえ、あるいは、「星占い」自体を、

遙かに超越しているのかもしれません。

 

 さて、この二人は今、地獄に到着したばかりで、中の様子が、全く

つかめないようです。

 その二人のところに、地獄の青鬼と赤鬼が近づいて来ました。

彼らは各々、東大寺南大門の「阿行像」と「吽(うん)行像」を

思わせるような屈強な大男たちです。

 両鬼は、この新しい二人の亡者が、殊の外、美味しそうに見えた

ので、いっそのこと、食べてしまおうと考えていました。

 

    Photo_20191103191001

    (阿行像:ライフスタイルマガジン『趣味時間』さん

                       より拝借)

 

 唯、単に食べるだけでは、余り面白くありませんので、

娑婆世界(とりわけ、日本)で、あの”もっぱらの噂”を

確かめたくなって、この二人の新米亡者に近づいて来たの

でした。

 この”もっぱらの噂”というのは、直ぐに判明します。

両鬼は、暇で退屈なせいでしょうか、少しばかりの

からかい心がありました。

 

 それで、地獄の中でも、とりわけ冷酷さで定評のある青鬼が、

晋ちゃんの前に、一枚の紙切れを見せて、こう問いました。

「この字を、オマエは、一体、何と読む?」と。

それには、「画一的」と書いてありました。

 カピバラ顔の晋ちゃんが、”そんなの知っているよ!”といった

風情で、こう即答しました。「がいちてき」と。  【つづく】

 

(追記: 皆さん、今日は。ー

    昨日は、告知なしに休筆してしまい、まことに申し訳

    ございませんでした。

     実は、一昨日夜、詐欺を伴うネット荒しに遭遇しました。

    それで、先程まで、その対応と問題解決に終始していた

    次第です。

     たいへんご心配をお掛けいたしました。

    尚、本日の拙稿を、昨日の分に、充当させて頂きます。

     今後共、どうか、よろしくご高読を賜りますよう、

    心より御願い申し上げます。     渡邉良明 拝) 

 

2019年11月15日 (金)

これより、太(ター)坊の巻【前に同じ(38)】

 第四章 太(ター)坊の巻

 

       Photo_20191103125801

(第一話)太(ター)坊も晋ちゃんも、地獄の鬼には、

     食えない代物?

(第二話)太坊、閻魔大王の前に立つ

(第三話)太坊は、『名ばかりのカトリック』?

(第四話)権力濫用は、隔世遺伝?

(第五話)「無恥の時代」の申し子たち

(第六話)「権力」という名の魔物を、弄んだ男

(第七話)日本の「水」を、外資に売り飛ばす売国奴

 

(第一話)太(ター)坊も晋ちゃんも、

     地獄の鬼には、食えない代物?【1】

 

 日本の誇る彫刻家に、平櫛田中(ひたくしでんちゅう・1872~1979:

下の写真:*本名は、平櫛倬〔たく〕太郎:尚、「田中」は、彼の本名です)

がいます。

 彼は、107歳で死を迎えるまで、精力的に創作活動を続けた、天才的な

稀代の彫刻家です。

 

      Photo_20191103204701

     

 彼の有名な言葉が残っています。「六十七十は、はなたれ小僧。

男ざかりは、百から百から」というものです。

 これからの超高齢化社会におきまして、きっと高齢者への偉大なる

応援歌になるかもしれません。

 

 田中の作品には、代表的な「鏡獅子」があります。同作品の完成

には、22年間の歳月を要したといいます。

 この他、「岡倉天心胸像」、「良寛和尚燈下万葉」、「楠公」、

「上宮聖徳太子尊像」など、数多くの名作があります。

 その一つひとつが、まるで国宝級の傑作揃いです。

 

 そんな名作の中に、『転生(てんしょう)』という作品があります。

 これは、生ぬるい人間を食べた地獄の鬼が、その余りのまずさに、

思わず吐き出した様を表現したものです。

 とてもリアルで、たいへんな傑作だと思います。

 

 東京都下の小平市内にあります平櫛田中の美術館の解説には、

田中自身が、「自らの生ぬるい仕事を戒める思いを込めて制作した

ものと考えられる」とあります。

 しかし、直に同作品を見た私には、まるで、地獄の鬼が、食えない

「亡者」を吐き出している姿のように見えました。

 

 さて、本章で紹介します二人も、まだ存命です。

存命どころか、二人共、今日の日本政治で、最も重要な地位を占めて

います。

 一人は、総理大臣、もう一人は、財務大臣、兼副総理として。ー

 

 唯、私が今、最も関心を寄せていますのは、この二人の没後の行き末

なのです。正直、ただでは済まないと思います。

 腹蔵なく申しますなら、両人共、死後、「無間地獄行き」間違いなし

思うのです。

 なぜなら、二人共、生前の行いが、余りにも悪すぎるからです。

 

 実は、私は幼い頃から、そのような人々を、何人も見て来ました。

そのような方々の死後は、実に哀れでした。本当に、冥界で、”迷う”の

です。

 事実、彼らは、今でも迷っています。その霊障が、様々な形で顕れる

のです。それほどに、「生も死」も、決して軽んじられないのです。

 この「生死」の重みを、この世の、多くの人々が知りません。

 むしろ、彼らは、目に見えるものしか信じず、(時には、それさえも

信じられず)、他者への感謝と報恩、それに慈悲心が、全くありません。

 そのような人々の死後は、実に”悲惨”です。

 

 今日の日本には、そのような人々が、ウヨウヨしているように思うの

です。

 本章、並びに次章で取り扱う二人も、まさに、そのような人々だと感じ

ます。

 その一人は、ひょっとこ顔の太(ター)坊です。また、もう一人が、

カピバラ顔(カピバラに悪いかな?)の晋ちゃんです。

   

      Photo_20191103135601

               (カピバラ:ネットより拝借)

                               【つづく】 

 

     

 

 

 

    

 

 

2019年11月14日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(37)

(第七話)二人の信(のぶ)ちゃんは、共にサイコパス【2】

 

 大王が、話を続けます。

 

「ノブは、その笑顔や親しみ安さで、一見、オブラートに包み隠しては

おるが、それは、きっと、『内なるサイコパス』を、人に悟られないが

ためのカモフラージュだったのではないか。

 オヌシの、あの孫などは、まるで、『サイコパスの申し子』のような人物

ではないか。

 事実、サイコパスは、8割方、遺伝すると言われておる。

シゲルの孫も、そうじゃ。先代が持つ、”根源的な邪悪さ”は、子孫にまで、

脈々と生き続け、受け継がれるもんじゃ」と。

 

 信(のぶ)ちゃんは、正直、開いた口がふさがりませんでした。

そこで、大王が続けます。

「サイコパスとは、罪を犯しても、自らの罪を認識できないものじゃ。

 それと同様に、自ら『売国』行為を犯していても、その行為を、

『売国』などとは理解できないものじゃ。

 

 オヌシが、CIAの工作員になった後も、オヌシは、それを嫌々やって

いたのではなく、むしろ、嬉々としてやっておったことだろう。

 実際、自分の裏切り行為に、誇りや使命感さえ感じていたのでは

ないか。

 ノブは、CIAからの巨額の資金援助の見返りに、数多くの国家機密とか

政敵の弱みやスキャンダルを、先方に、つぶさに密告していたようだな。

 

     Photo_20191102153001

 

    Photo_20191102153201

 

 オヌシにとっては、『権力(=カネ)』が、すべてだったからな。

CIAへの情報提供などは、そのための、単なる手段に過ぎなかった

のじゃ。

 まさに、『売国』とは、自らの利得だけのために、国家・国民を

裏切り、両者に多大の損害を与えることだ。

 

 これに対して、『愛国』とは、そこに住む一人ひとりの同胞を、

心から慈しむことだ。

 だが、ノブの、その官僚主義的な『上から目線』では、そのような

慈愛は、殆ど感じられぬ。

 それは、あの、オヌシの孫を見ても分かることじゃ。

 あの者は、本来、国民が主権者であるべき『政治』を、

自分と自分の仲間だけのためのオモチャにしておる。

 まさに、幼児以下じゃ。

 その売国を、『売国』とも思わないDNAが、オヌシの孫にも、

脈々と流れておるのじゃ」と。

 

 そして、ひと息入れて、大王は、次のように続けます。

「ノブ、オヌシは結局、政治家というよりも、あくまで『官僚』

だったな。

 官僚というのは結局、上から言われるがまま、『ご無理、

ご最も』じゃ。

 それゆえ、人生において、ちゃぶ台返しをするような勇気も

無ければ、自分の生き様を、根源的に問い直すこともできない。

 第一、オヌシのような、民衆への同情心も共感も無き者に、

元々、政治家になる資格などなかったのじゃ」と。

 

 信ちゃんの胸中には、生前犯した様々な売国行為が、まるで、

走馬燈のように映し出されておりました。

 そこで、大王は、峻厳に、次のように宣告します。

「ノブ、オヌシには、無間地獄での修練を命ずる。

その期間は、6百億年とする。

 これをもって、ノブスケの審問を終了する」と。【第三章 了】

 

 

 

2019年11月13日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(36)

(第七話)二人の信(のぶ)ちゃんは、共にサイコパス【1】

 

 「さて、・・・」と、大王が、次のように切り出します。

「ノブは、織田信長(1534~82)が好きなようだな」と。

「ハイ、その通りです」と、信ちゃんが、身を乗り出して答えます。

 そして、彼は、こう続けました。

「戦国の世に、誰よりも早く、国家統一の旗頭を掲げたのは彼ですし、

それを実践したのも、信長公です。(下の肖像画)

 

   Photo_20191101194601

 

 私は、彼の決断力、果敢な行動力、指導力、情報収集能力、

先見力、統率力、構想力、それに、あの無上のカリスマが好きです。

 私も、彼のようでありたいと願いました。

 私自身、平和で安定した世の中で生きるよりも、むしろ

乱世の中で生きる方が、自分の性に合っています」と。

 

 そこで、大王が、答えます。

「ノブの思いは、よく分かった。だがオヌシは、信長なる者の長所

しか見ていないようだな。

 あの者にも、多くの欠点や過ちがあったぞ。決して、いい面ばかり

ではなかったはずだ。

 例えば、今、娑婆世界では、サイコパス(精神病質の人間)のことが

云々(*うんぬん 決して「でんでん」ではないぞ)されているが、

あの者にも、そのような傾向が多々見られたようじゃ」と。

 

「それは、意外でした。私自身、そんなことまで考えられませんでした」

と、信(のぶ)ちゃんが、至って正直な感想を述べます。

 そこで、大王が、次のように付言しました。

「周知のように、サイコパスには、次のような特徴があるようじゃ。

例えば、『良心が欠落している』、『他者への共感力がない』、

『嘘をつくことに抵抗がない』、『責任感がない』、『罪悪を感じない』、

『利己的・自己中心的である』、『自分の非を認めない』、『他人を

操ろうとする』などじゃ。

 確かに、戦国時代においては、単に信長だけでなく、他にも、

このような人物が多かっただろうな」と。

 

 ところで、信ちゃんには、少し気になることがありました。

そこで、彼は、そのことを、思い切って、大王に尋ねました。

「大王サマ、信長公は今、どこにおられますか?」と。

 大王が、即座に答えます。

「無間地獄じゃ。あの者は、自ら好んで、無間地獄へ落ちたのじゃ。

『無間地獄が、自分の性に合っている』と、申しておった。

なかなか面白い男じゃ。それに、実に正直な男よのう~」と。

 

 信ちゃんの額に、少し冷や汗が、したたり落ちました。

 そこで、おもむろに、大王が、こう語ります。

「ノブ、オヌシも、実際のところ、この『サイコパス』なのでは

ないか!」と。                   【つづく】

 

2019年11月12日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(35)

(第六話)飽くなき権力欲【2】

 

 信(のぶ)ちゃんが語ります。

 

「私は、人生の後半期においてだけでなく、特に満州時代あたり

から、権力を得るためには、何よりも、『カネ』が必要だと

考えておりました。

 正直申しまして、満州時代に、『阿片王』と呼ばれた里見甫

(さとみ はじめ:1896~1965:下の写真)と結託して、

数多くのアヘン密売に関わり、巨万の富を築きましたのも、

そのような思いからでした。

   

        Photo_20191101102401

 

 事実、東条英機(1884~1948)を首相の座に就けましたのも、

当時、私が生み出しました巨額の資金力によるものでした。

             (下は、岸信介と東条英機)

 

 Photo_20191101103001

 

 戦時中はアヘン、戦後は、アメリカのCIAからの資金供与

(15年間で、150億円)というのは、紛れもない事実です。

 しかし、これも偏に、自らの権力を、より強固にするため、

そして、それによって、日本の自民党を盤石にして、ゆくゆくは、

戦後の『憲法改正』を実現するためでした」と。

 

 ここで、信ちゃんの思わぬ本音が出て来ました。

 これも、一種の誘導尋問という、大王の高等戦術だったのかも

しれません。

 おもむろに、大王が語ります。

「ノブ、オヌシが実践してきた行為を、『清濁併せ飲む』と言えば、

聞こえは良いが、結局、オヌシは、権力を握るためなら、全く手段を

選ばなかったのではないか。

 つまり、オヌシは終生、『飽くなき権力欲』を堅持していたと見える。

 

 例えば、ノブは生前、長男(信和)の嫁(伸子)に対して、こう語って

いたそうだな。

 つまり、『どんなによい人物でも、何もしないのでは仕方がない。

ワルでも使い道によっては役に立つ』と(原彬久氏のインタビューより)。

 言うなれば、オヌシの言う『政治』には結局、人間の徳や道義など要らぬ

のではないか。むしろ、それは、邪魔でさえある。

 それは、今日の日本の政治状況と、全く同じではないか。

むしろ、オヌシの孫が、その思いを、遺憾なく発揮している」と。

 

 これに対して、信(のぶ)ちゃんが、次のように反論します。

「大王サマ、お言葉ですが、正直、私は、次のように考えます。

人間は誰しも、欲の皮が突っ張っております。

 権力欲、名誉欲、金銭欲、支配欲、色欲など、われわれは、

様々な欲望の虜(とりこ)になっております。

 

 それゆえ、そのような人間の弱みにつけこみ、それを最大限に

利用して、権力を奪取し、それを維持し続けることは、私には、

決して悪い事とは思えません。

 むしろ、娑婆では、誰もが、大なり小なり、そうしているのです。

それが、『現実の政治』というものです。

 私は、人間の善意や理想などで、他の者どもが動くなどとは考えて

おりません。人を動かすのは、結局、『カネ』なのです」と。

 

 これを静かに聞いていた大王が、語ります。

「ノブ、オヌシの真意は、よく分かった。

その正直な思いを、ワシは、無碍に否定はしない。

 だが、その考えによって、オヌシは生前、どれ程の者たちを傷つけ、

踏み台にし、時には、実に隠微な形で殺害してきたか、考えたことは

あるか?」と。

 この言葉に対して、信ちゃんは、次のように述べました。

「いーえ、そんなことを自省したことは、今まで、一度も、ございません

でした」と。

 

 そこで、大王が、改めて、信ちゃんに語ります。

「ノブ、オヌシは終生、権力を求め続けたが、それは唯、自らの我欲を

求め続けただけではなかったのか。

 オヌシは、権力を操りながら、結局、反対に、権力に操られたのでは

ないか。

 政治とは、万民の幸せのためにあるものであって、決して、オヌシ一人

の欲望を満足させるためにあるものではないぞ」と。

 

 それは、余りにも素朴な言葉でした。

しかし、それだけに、何か心に迫る「力」を宿していました。

 信(のぶ)ちゃんは、その言葉を、唯、うなだれながら聞いて

おりました。

 そこには、不思議なほどの静寂がありました。     【つづく】

2019年11月11日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(34)

(第六話)飽くなき権力欲【1】

 

 次の審問が、始まりました。

大王が言います。

「ノブ、オヌシは生前、『それでですよ』とか『ナンだな』と言う

口癖があったそうだな」と。

 信ちゃんが言います。

「大王サマ、よくご存知ですね。全く、仰る通りです」と。

 これに対して、大王が続けます。

「聞くところによると、オヌシが満州にいた頃は、料亭で軍部や

アヘン業者と気さくに付き合える剛胆さがあったそうだな」と。

 

 信(のぶ)ちゃんが、いささか呆れたような口ぶりで答えます。

「大王サマは、そんな事までご存知なのですか?」と。

 これを聞いた大王が言います。

「だが、当時、オヌシに接した者に言わせると、ノブには、

明るい感じで人付き合いの良い面があった反面、同時に、

得も言われぬ『怖さ』があったようだ」と。

「さあ、それは一体、どうだったか、私には、分かり兼ねます」と、

信ちゃんが、至って正直に答えます。

 

 それに続く、大王の言葉は、こうでした。

それは、「その怖さ、あるいは、ある種の『冷たさ』の元は、

一体何だったのだろうな?」という問い掛けでした。

 しかし、信ちゃんも、その答えには窮したようです。

 正直なところ、彼は、「さあ、それは、一体何でしょうか?

私にも、よく分かりませんが」と言うのが、関の山でした。

 

 これに対して、大王が答えます。

「きっと、オヌシに接した者たちは、ノブの中に、ふつふつと

湧き上がる『権力欲』を見たのではないか。

 言い換えるなら、オヌシは常に、『権力者』としての自信と

傲慢さで、他者(ひと)を、心理的に圧倒していたのでは

あるまいか」と(*下の写真は、満州時代の岸信介と、

彼の腹心だった椎名悦三郎:1898~1979 です)。

 

      Photo_20191022211601      Kisi

 

 そこで、信ちゃんが突然、その大王の言葉を遮ります。

そして彼は、次のように語りました。

「大王サマのお言葉ですが、私は、決して、そのような思いで、

人生を生きてきたわけではございません。

 むしろ、出会う人々に対して、平等に接してきたと確信いたして

おります」と。

 

 そこで、大王が言います。

「ノブ、ワシは、オヌシの表面的な行動についてのみ言っている

のではないのだ。

 むしろ、その心の奥深くに存する”本音の部分”について語って

いるのだよ」と。

 この言葉に対して、信ちゃんが、正直に答えます。

「その深い部分につきましては、私にも、よく分かりません」と。

 

 そこで、大王は、ひと息ついて、こう続けました。

「ノブ、オヌシに接した者たちが、なぜ、オヌシに『怖さ』を

感じたのかと言えば、それは、オヌシが、どんなに気安く接して

いても、常に、『権力者』としての片鱗を見せていたからだと

思うのだ。

 そして、オヌシ自身が、いつ如何なる場合でも、常に『権力』を

求めていたからだと思うのだよ」と。

 これに対して、信ちゃんが言います。

「強く意識したことはございませんが、確かに、そうだったかも

知れません」と。

 そして、彼は、こう続けました。         【つづく】

2019年11月 9日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(33)

(第五話)明治維新の後継者として【3】

 

 信ちゃんの言葉が続きます。

 

「高杉晋作は、訪問先の上海で、中国民衆の惨状をつぶさに見て、

『維新』の必要性を痛感したわけです。

 維新の推進者たちは、日本の民衆に、中国の人々と同じ苦しみを

与えてはいけないと考えました。

 ですから、初めから、膨張主義だったわけではないのです」と。

 流石、戦前・戦中・戦後における最高頭脳の一人、信ちゃんの

言葉には、なかなかの説得力がありました。

 

 そこで、大王が言います。

「とはいえ、オヌシらの言う大日本帝国も結局、アジアの民衆に対して、

欧米列強と全く同じことをしたではないか。

 つまり、その武力によって制圧・支配した異民族を、劣等民族として

差別し、かつ苛酷に扱いはしなかったか?」と。

 

 この言葉に対して、信ちゃんが言います。

「大王サマのお言葉ですが、例えば、私共が満州国の建国に際して

唱えました『五族協和』の精神は、欧米列強の不当な侵略行為に対して、

アジア諸国が、互いに協力し合おうというものでした(この場合の

『五族』とは、漢人、朝鮮人、満州人、蒙古人、日本人を指します。)」

と。

 

 これに対して、大王が言います。

「しかし、それは同時に、決して五民族が対等ということではなく、

あくまで日本民族を最高位に置き、昭和天皇の下にまとまろうという

ことではなかったか」と。

 

 これに対する信ちゃんの言葉です。

「確かに、五族協和と同時に唱えました『王道楽土』は、武力による

覇道政治ではなく、むしろ、皇帝(日本の場合は、『天皇』)による

仁政によって、異なる民族の人々を共に幸せにするという理念です。

 

 しかしながら、それは、現実的には、決して相互に平等なものでは

なく、むしろ、上下的な階層性を伴っていたことは、決して否めません。

 しかし、そうでもしなければ、互いに異なる民族の者たちを、新国家の

草創期において、それなりにまとめ上げることなどできませんでした。

 そのジレンマは、異民族との戦いや和合に腐心した中国の歴代王朝の

歴史が、雄弁に物語っております」と。

 

 それを聞いた大王が言います。

「ノブは、若き日に、大川周明(1886~1957)や北一輝(1883~1937

:下の写真)らと出会い、アジアの統合と『国家社会主義』に目覚めたわけ

だ。だが、そこには、確かに思想的な一貫性があったかも知れんな。

 

      Photo_20191021150201

 

 とりわけ、若き日のノブは、北一輝の国家社会主義に、強く

共鳴したようだな。

 北は、明治維新の歴史的な意義は認めつつも、思想的には、

財閥や官僚制、それに皇族・華族制度に対しては否定的だった。

 それゆえ、彼は、皇族・華族制度を廃止し、財閥と地主を

解体して、富を平等に国民に分け与える必要性を強調した。

 加えて、男女差別のない国家を、まさに天皇の権力によって

実現すべきだということを、その著『日本改造法案大綱』で

書いたわけじゃ。

 

 彼は、実に思い切った思想の持ち主だった。それゆえ、北は、

当時の権力者たちによって、極度に危険視され、一民間人に

過ぎないのに、何と秘密裡に軍法会議にかけられて、銃殺刑に

処せられた。

 それは、北自身の”革命性”の証しでもあった。

若き日のノブは、その北に、傾倒していたわけだな」と。

 

 これに対して、信ちゃんが、正直に答えます。

「誠に、大王サマの仰せの通りです」と。

 この言葉を聞いた大王が、悠然と語ります。

「かつてのノブが、北の影響を多分に受けたことは、

察するに余りある。

 だが、そのことは、同時に、明治維新の現実の姿を

否定することになるのではないか!」と。

 

 そこで、信(のぶ)ちゃんが言います。

「大王サマ、確かに、その点が、私自身の思想的な矛盾点

かと存じます。

 しかし、私は同時に、政治的には、全くのリアリスト

(現実主義者)でもありました。

 それゆえ、あくまで、現実に見合った生き方や思想を

心がけて参りました」と。

 

 そう語りつつ、信ちゃんは、北一輝を尊敬しつつも、

人生での、一つの”確信”が芽生えました。

 それは、自分の生涯の枢要な部分が、『明治維新の

後継者』としての生き様だったということでした。

 いつの間にか、閻魔庁の辺りは、すっかり暗くなって

おりました。             【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、彼によれば、天皇は、国民にとって、決して雲の上の存在

ではなく、むしろ、国民と共に生きる対等な存在で、天皇と国民との

互いの協力で形成される「公民国家」が建設されるべきだ、と説いた。

 

 無論、これは、一種の観念論なのかも知れぬ。だが、当時としては、

極めて大胆不敵な思想だった。

 

 

 

 

2019年11月 8日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(32)

(第五話)明治維新の後継者として【2】

 

 大王の言葉が続きます。

 

「つまり、欧米列強に対抗する独立自尊の精神を持った秀逸な人材が、

明治の前半、次々と倒されていったわけじゃ。

 残ったのは、腑抜けの石ころばかり。

今日の政治状況と、全く同じではないか。

 言うなれば、長州人は、長い間、そのような世界権力の策謀に、

まんまと乗せられて、上手く利用されてきたのじゃ」と。

 

 この言葉を聞いた信(のぶ)ちゃん、血相を変えて反論します。

「いいえ、大王サマ、決してそんなことはありません。

 なぜなら、長州人は、薩摩の人々を、手厚く遇してきたからです。

『陸軍の長州、海軍の薩摩』と言われたように、薩摩とわれわれは、

ほどよく棲み分けをしてきました。

 

 また、吉田松陰先生(下の肖像画)の『一君万民論』に従い、

日本全国の官民が一体となって、日清・日露の戦役を戦い抜いた

のでございます。

 

        Photo_20191020150601  

          Photo_20191020150801

 

 私共は、決して、世界権力などのためにではなく、あくまで、天皇陛下と

大日本帝国のために戦ってきたのであります」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「松陰なる者の『一君万民論』は、皇帝(日本の場合は、「天皇」)にのみ、

権利、権力を認め、既存の特権的な身分制を否定することで、国民を平等

とみなす革命的な思想だったな。

 この考えは、確かに国民や国家をまとめるのには、甚だ効果的だった

だろうが、それは結局、『強者の論理』ではなかったか。

 

 なぜなら、松陰の他の著『幽囚録』には、次のように書かれているという。

つまり、『北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、

琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有

すべきだ』というものだ(Wikipedia  参照)。

 

 無論、幕末期の松陰は、日本を防衛する観点から、このように論じた

のであろう。だが、他国からすると、これは、明らかな侵略行為だ。

 日本が、彼らの立場になれば、彼らの気持ちが分かろうというものだ。

 事実、この松陰の考えに沿って、その後、大日本帝国による無謀な

大陸侵略がなされたのではないか!」と。

 

 これに対して、信ちゃんが、こう反論します。

「確かに、大筋は、大王サマの仰せの通りです。

しかし、松陰先生の時代は、まさに帝国主義の時代でした。

 欧米列強によるアジア侵略は、たいへん苛酷なものでした。

まさに食うか、食われるかの厳しい時代だったのです。

 アヘン戦争(1840~42)が、その好例です。

この戦争によって、大英帝国に敗北した清国の民衆は、

長きに亘って、塗炭の苦しみを味わいました。 【つづく】

 

 

 

 

 

2019年11月 7日 (木)

地獄をさ迷う亡者たち(31)

(第五話)明治維新の後継者として【1】

 

 次の審問が始まります。大王が、こう切り出します。

「ノブ、オヌシの名前は、曾祖父の佐藤信寛(さとう のぶひろ:1816~

1900)が命名したというが、それは、まことか?」と。

「ハイ、その通りです」と、信ちゃんが、素直に答えます。

 続く大王の言葉です。

「信寛(のぶひろ)の一字をとって、『信介(のぶすけ)』と、

なったわけだな」と。

 

「ハイ、仰る通りです」と、信ちゃんが言います。

 大王の言葉が続きます。

「オヌシは、後に島根県令となった佐藤信寛を、たいそう敬愛していた

ようだな。

 信寛は、木戸孝允(1833~77)とも親しかったと聞く。

彼はまた、吉田松陰(1830~59)に、『兵要録』を授けたとも

言われておる。

 オヌシの胸中には、明治維新の精神が、脈々と流れているように

感じるが、どうだ?」と。

 

 これに対して、信ちゃんが答えます。「まことに、仰る通りです」と。

信ちゃんは、自分の”心の原点”を認めてもらったようで、

心なしか嬉しく感じました。

 そこで、大王が、こう語ります。

「ノブには、自らが、明治維新の後継者である、という強い自負心が

あったのではないか?」と。

 信ちゃんが、勇んで答えます。

「全く、その通りです」と。

 

 これに対して、大王が言います。

「つまり、ノブの場合、オヌシの政治思想とその行動には、”長州人

としての独自性”があったようだな。

 言うなれば、日本の近代をリードしてきたのは、長州の先達や、

それに続く自分たちだという自負や誇りがあったように思うのだ。

違うか?」と。

 

 まさに、我が意を得たりという思いで、信ちゃんが頷きます。

そして、彼は、こう申しました。

「まさに、大王サマの仰せの通りです。そのようなお言葉を、ここで、

耳にできるとは、思いもよりませんでした」と。

 信ちゃんは心底、嬉しいようでした。

 

 「だが、しかし・・・」と、大王が、言います。

そして、大王は、こう続けます。

「確かに、長州人脈が、近代日本政治の”覇者”だったわけだが、同時に、

彼らは、多くの裏切りやライバル潰しをやって来なかったか?

 徳川幕府や会津藩を始めとする奥州雄藩は言うに及ばず、真に

日本の行く末を案じた愛国の士・肥前(佐賀)の江藤新平(1834~

74:下の写真)や薩摩の西郷南州(1828~74)なども結局、

世界権力の手先となった長州人脈による陰謀と策動によって倒されて

いった。

 

         Photo_20191020081001

                        【つづく】                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

                                             

2019年11月 6日 (水)

地獄をさ迷う亡者たち(30)

(第四話)信ちゃんの弁明【3】

 

 そこで、大王が答えます。

「大いに、あり得ることじゃ。何事にも周到なアメリカ(=ユダヤ)

らしい所業というものじゃ」と。

 

 そこで、信ちゃんは、意を決したように、次のように語り始めました。

「実は、当時の私には、どうしても、生きて巣鴨を出る必要がありました。

 それゆえ、あそこで、死ぬわけには参りませんでした。

もし、死んだとしましても、きっと死に切れなかったことでしょう。

 

  と申しますのも、先の大戦は、戦後教育では、『太平洋戦争』と言われ

ますが、私共にとりましては、あくまでも、『大東亜戦争』でした。

 そして、後世の人々は、あの戦争を、侵略戦争だったと言いましょうが

(また、そのように教育されていましょうが)、私共にとりましては、

あくまで、当時の米国に追い詰められて、やむなく戦わざるを得なかった

のです。

 

 そのことを私は、後世に、はっきりと言い残しておく必要があると考え

ました。

 そのためには、むざむざ、巣鴨で死ぬわけには参りません。

獄中、私は常々、そう考えておりました。

 

 それに、戦後、日本を、こんな混乱にまで追いやった責任者の一人と

して、もう一度、政治家として立ち、日本の政治を立て直したいと考え

ました。

 そして、残りの生涯をかけて、せめてこれならいいと見極めがつく

ようなことを、やってみたいと考えていたわけです」と。

 

 その信ちゃんの言葉を静かに聞いていた大王が、言います。

「ノブ(大王も、いつの間にか、信ちゃんに親しみを覚えたのでしょうか、

呼び名が、今までよりも短縮されました)、オヌシの高邁な思想は、よく

分かった。

 だが、同時に、オヌシは、こんな言葉も残しているそうだな。

つまり、『政治は力であり、金だ』というものだ。

 

 田中角栄(1918~93:下の写真)の前に、すでに、オヌシが言っていた

わけだ。

 

         Photo_20191019175701  

 

 またオヌシは、こうも語っていた。『金は、濾過器を通せ!』と。

つまり、オヌシにとっては、宗教団体や慈善団体などを通して上手く、

かつ巧妙に”マネーロンダリング”すれば、どんな不浄な金でも、政治に

使えるわけだ。

 

 ノブ、オヌシの高邁な思想とやらが泣くというものではないか。

 言うなれば、『政治は結局、カネが全てだ』という今の風潮の淵源の

一つは、オヌシの考えの中にあったとは思わないか?!

 また、それに、責任を感じないか?!

 それこそ、今日の、『今だけ、カネ(金)だけ、自分だけ』という考えの

源を、オヌシの思想と行動が、すでに形作っていたわけだ」と。

 

 信ちゃんは、深く嘆息し、しばらく、頭(こうべ)を垂れていました。

閻魔庁の周りは、いつの間にか、暗くなっておりました。  【つづく】

2019年11月 5日 (火)

地獄をさ迷う亡者たち(29)

(第四話)信ちゃんの弁明【2】

 

 大王は、信(のぶ)ちゃんの言葉を、静かに聞いていました。

そして、彼は、厳粛に語ります。

「オヌシの人生には、色々なことがあったな」と。

 そして、大王は、こう付け加えます。

「ノブスケ、オヌシは、90年という長い生涯を全うしたな。

その人生に、悔いは無いか?」と。

 

 この問いに対して、信ちゃんが、毅然として答えます。

「全くございません」と。

 これに対して、大王が、こう畳みかけます。

「さすれば、戦後、オヌシが、『日本を、米国の思い通りにします』

と誓い、CIAのエージェント(工作員)になったことにも、悔いは

ないわけだな?」と。

 

 これに対して、信ちゃんは、次のように答えます。

「後世の者たちは、色々と厳しいことを申しましょう。

 しかし、あの時(昭和23年12月24日の釈放当時)の私が生き残る

ためには、あの道しかございませんでした。

 つまり、あれ(GHQへの宣誓)は、自分から選んだ道でもあるのです」

と。そこで、大王が問います。

「そのために、多くの仲間や日本国民を裏切ることになっても、

オヌシには、後悔の念は、なかったのか?」と。

「全く、ございませんでした」と、信ちゃんが、明言します。

「確信犯だったということだな」と、大王が言います。

 

 これに対する、信ちゃんの言葉です。

「そうお取りになられても、仕方がありません。それに、・・・」。

 大王が問います。

「それに、・・・何じゃ?」と。

 これに対して、信ちゃんが答えます。

「あの日の釈放は、ご存知のように、私ひとりではございませんでした。

私の他に、児玉誉志夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、

それに、正力松太郎(1885~1969:下の写真)などもいました。

 

      Photo_20191019141401

 

 つまり、私共は、一つの塊のようなもので、まさに、一蓮托生

でした。

 それゆえ、ある意味、この四人が、相互に監視し合う感じで、

その後、米国を裏切るような自分勝手な行動はできませんでした。

まさに、敗残者の弱みというものです」と、信ちゃん、少し自嘲気味

です。

 

 そこで、大王が言います。

「確かに、それは言えよう。だが、それで、同胞を裏切ってもいいと

いうわけではないぞ」と。

 信(のぶ)ちゃんが、即座に抗弁します。

「無論、私は、そのようなことは申しておりません。

唯、同時に釈放された四人が、相互に監視役になっていたと

いうことを申し上げたかっただけです」と。   【つづく】

 

 

 

 

2019年11月 4日 (月)

地獄をさ迷う亡者たち(28)

(第四話)信ちゃんの弁明【1】

 

 大王が、信(のぶ)ちゃんに対して、こう切り出しました。

「ノブスケ、オヌシは、なかなか気骨のある政治家だったようだな」

と。信ちゃんが、素直に応じます。「それは、光栄です」と。

 大王が、続けます。

「オヌシの人生は、骨太の人生だったと言っていいようだな」と。

 信ちゃんは、いささかびっくりです。

そのような表現で、彼の人生を語った人は、かつて、一人も

いなかったのですから。・・・

 

 大王の言葉が、続きます。

「ところで、オヌシのことを、『高杉晋作(1839~67)に知性を足した

人物』と語った者がおるが、確かに、言い得て妙だな」と。

「あぁ、福家俊一(ふけ としいち:1912~87)の言葉ですね。

 アイツは、かつて、『政界の寝業師』と呼ばれた男です。

実に面白い男でした」と、信ちゃんも、いささか懐かしそうな風情です。

 

 さらに、大王が言います。

「ナカソネは、オヌシのことを、『直入正直型の長州人』と語って

おったぞ」と。

 信ちゃんが言います。「それは、全く知りませんでした。

実に、有難い言葉です」と。

 そこで、大王が言います。

「ノブスケ、オヌシの90年の人生は、まさに山あり、谷ありの、波瀾万丈の

生涯だったな」と。

 信ちゃんが言います。「仰る通りです」と。

 

 そこで、大王が語ります。「ところで、オヌシは生前、死を覚悟したことが

三回あったというが、それは、まことか?」と。

 信ちゃんが、正直に答えます。「本当です」と。

 そこで、大王が問います。「それは、一体、どんな時だったのじゃ?」と。

 

 この大王の問い掛けに対して、信ちゃんが、次のように答えます。

「一度目は、戦時中の東条内閣時代に、閣僚として首相と対立して、『閣僚

辞表提出』を拒否した時です。

 私が拒否したことで、内閣が瓦解する結果となりました。

あの時、東条首相は、相当、激怒したようです。

 正直、私は、彼の性格からして、当然殺されるものと覚悟しました。

 

 二度目は、戦争直後の昭和20年9月に、A級戦犯の容疑で、GHQに

捕まった時です。彼らの取り調べは、実に苛酷なものでした。

 巣鴨で、私は当然、死ぬことになるだろうと覚悟しました。

 

 三度目は、昭和35年(1960年)の『安保改定』の際に、首相官邸で、

デモ隊に取り囲まれた時(下の写真)です。

 あの時は、デモ隊だけでなく、その反対勢力も、実に殺気だっていました。

当時、私は、弟の栄作と、『ここで、一緒に死のう』と語り合いました」と。

  

     Photo_20191019121901

        (デモ隊に取り囲まれた国会議事堂)

                           【つづく】

 

 

2019年11月 2日 (土)

地獄をさ迷う亡者たち(27)

(第三話)「満州国」は、信(のぶ)ちゃんの作品?【2】

 

 大王の言葉です。

 

 ここに、一人の少年がいる。彼は、当時6歳。ー

まさに終戦間際で、満州に突然、ソ連軍が侵攻してきた。

 

     Photo_20191018085601

 

 その窮状から逃げ延びようとする、軍用列車上での出来事じゃ。

少年の母親は、関東軍に掛け合って、どうにか軍用列車の一隅に、

彼と母と、それに彼の姉の三人が、身を潜めることができた。

 ところが、汽車が河を渡った時、その汽車に、開拓民が押し

寄せてきた。

 

 しかし、軍人たちは、軍刀を振りかざしながら、決して彼らを

乗せようとはしなかった。

 そして、少年たちに、その開拓民たちの指を、引き剥がすことを

強要した。齢(よわい)、6歳の少年にだよ。

 少年も、それをしなければ、自分が、軍刀で殺される。

やむなく、開拓民たちの指を、引き剥がしていた。

 

 当然、ここで、指を剥がしてしまえば、彼らは死ぬ。

少なくとも餓死するか、歩いて疲労して死ぬか、中国人の暴動などに

遭って死ぬかの運命だった。

 少年は、彼らが、そういう状態になることを知っていながら、その指を

引き剥がしたのだ。

 

 これは、無論、少年たちの意思というより、日本軍の命令だった。

だが、その少年にとって、その時、見殺しに加担したという思いが、

彼の少年期における初めての『罪の意識』となった。

 元少年は、今でも、指を剥がす時の感触を覚えている。

彼はまた、その時の人々の顔も覚えている。

 彼は、まさに、しなくてもいい経験をさせられたという思いだった。

(なかにし礼〔本名 中西禮三氏〕の終戦記念インタビュー 

『国に棄てられて』2017年8月より)

 

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 ノブスケ、オヌシには、この時の少年の苦しみや悲しみ、それに怒りや

絶望感を理解できるか?」と。

 信ちゃんは、二の句が継げず、ひたすら、下を向いたままでした。

 大王は続けます。

「これを、元少年の口を借りて言えば、『棄民』と言うのじゃ。

 今、オヌシの孫が、福島原発事故(厳密には、事件)の後の福島県民に

対して、全く同じことをしている。

 

 これが、オヌシらの言う『政治』というものなのか!」と。

いつの間にか、大王の語気が上がっていました。

 しかし、閻魔庁の周りは、至って静かなたたずまいを呈していたのです。

                              【つづく】

2019年11月 1日 (金)

地獄をさ迷う亡者たち(26)

(第三話)「満州国」は、信(のぶ)ちゃんの作品?【1】

 

 大王が、再度、辺りに轟く大きな声で、威厳を持って、こう語ります。

「ノブスケ、オヌシは、かつて満州という実験国家を、自らの『作品』と

呼んだそうだな」と。

「確かに、その通りです」と、信(のぶ)ちゃんが、至って神妙に答えます。

 

 これに対して、大王が、腹蔵のない思いを述べます。

「オヌシは、なかなかの自信家だな。

まるで、自ら、神にでもなったような口ぶりだな。

 その、オヌシの言う『作品』の中で、戦中、戦後、多くの民衆が、

塗炭の苦しみを味わった。

 それを、オヌシは、全く歯牙にもかけていないようだな」と。

 

 これに対して、信ちゃんが、こう抗弁します。

「満州国建国(1932年:下の写真)の頃、大日本帝国臣民は、自ら

こぞって、当地に渡ったのです。

 

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 唯、終戦時は、ソ連の国際法違反によって、一方的な戦闘状態になった

ものですから、確かに、そこでは、多大の犠牲が生じました。

 しかし、その責任を、私に問われましても。・・・」と、頭脳明晰な

信(のぶ)ちゃんにしては、歯切れの悪い答弁です。

 これに対して、大王が、畳みかけます。

「だが、オヌシが、満州国を、自らの『作品だ』と自負するのなら、その

創作者として、その結末に責任を感じるのは、当然であろう」と。

 

 これに対して、信ちゃんが言います。

「戦争の事後処理は、あくまで、当時の内閣の指示で、軍部が、直接に

担当すべき問題です。その点、私は、一高級官僚に過ぎません。

 勿論、開戦当時、商工相として関わった責任はございますが、私一人で、

戦争責任を負うことなどできません」と。

 

 大王が言います。「無論、ワシは、オヌシに、戦争の全責任を負わせる

つもりはない。

 だが、オヌシは戦後、満州の地を追われ、命からがら逃げのびてきた、

国民(とりわけ開拓民)一人ひとりの苦しみや悲しみに、思いを致すことは

ないようだな。

 ワシは、そのオヌシの薄情さ、酷薄さを、問うているのだよ」と。

信ちゃんは、この大王の言葉に、正直、二の句が継げませんでした。

 

 いささか困惑気味の信ちゃんに対して、大王が、こう語りかけます。

「ノブスケ、何も、ワシは、オヌシを苛めようとしているわけではない。

 だが、人間として、もっと深く認識すべきことを、全く看過してきた

過ちを問うているのだ。

 例えば、オヌシは、こんな話を知っているか?      【つづく】

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