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2018年4月

2018年4月 8日 (日)

「母の旅立ち」

 母が亡くなりました。

 私事ですが、母・渡邉エイ(92) が亡くなりました。丁度、一年前の今日 

(4月8日)のことです。 

 母は、昨年の同日、午前零時13分に、瞑目いたしました。

この時刻は、お医者様から、公式に告げられた時刻です。

 厳密に申しますなら、その前日の午後11時55分に、母の心臓は、

すでに最後の動きを止めていました。

 病院のナースからの急の報せを受けて、病室に駆け込みました時、

母の心停止を伝えるモニターの警報音が、悲しく鳴り響いておりました。 

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 実は、その日(4月7日)は、母の父・永田作太郎(83)が亡くなりまして、

丁度54年目にあたります。

 まさに、前世から約束されていた感じです。共に信仰心の篤かった母と

祖父との、深い絆を感じずにはいられません。

 因みに、平安末期に活躍しました西行法師が、美しい和歌を残しています。

それは、「願わくは、花の下(もと)にて春死なん、

その如月の望月のころ」というものです。

 できれば、桜が咲き、潔く散る頃に亡くなりたいものだ、と彼は願いました。

西行は、自らの希望通りに亡くなりましたが、母も祖父も、実にいい季節に

”旅立った”と思います。

   Photo


 母の92年の生涯を、一言で申しますなら、それは、「よく働き、よく読み、

そして、よく祈った人生」でした。

 母は少女時代、零落した実家の苦境を救うために、高等小学校を卒業して、

専門教育を、たった1年受けたばかりの満13歳で、「福助(フクスケ)」という

繊維会社の経理として、働き始めました。

 90歳になりましても、思わず新聞の求人広告に目をやるほどの、仕事熱心な

人でした。

 また母は、たいへんな読書家でした。重度の脳梗塞で倒れる前日まで、

難解な政治、及び歴史関係の書物を読むことを、たいへん楽しみにして

いました。

 さらに、母は、よく祈った人でした。

日蓮宗徒(身延山・久遠寺派)としての、毎朝夕1時間ずつの勤行は、

母の唯一の喜びであり、生き甲斐でした。

 加えて、母は、祖国日本を、深く愛した人でした。

「今度、また人間に生まれ変われるならば、ぜひ日本に生まれたいね」と、

常日頃申しておりました。

 母が生涯、決して忘れなかったものがあります。

それは、すべての人々に”感謝する心”です。

感謝・報恩の思いこそ、母が最も大切にした心の在り方だったと思います。

 

 そんな母が、最も尊敬し、かつその活躍を希望した政治指導者がいます。

小沢一郎、その人です。

 「小沢さんに、一度、総理になってもらいたいね」と、時折、申していました。

”この母の夢が、いつか叶えばいいな”というのが、私の正直な思いでした。

 散りゆく桜を見る度に、私は死ぬ日まで毎年、母を思い出すことに

なります。

 まさに、桜の花のように、潔い一人の日本人でありたいものです。 【了】

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