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2014年11月13日 (木)

『命こそ宝』(5)

  戦後、アメリカの統治下にあった沖縄の人々は、どれほど「本土復帰」

待ち望んでいたか知れません。

  “本土並み返還”という言葉を、当時、大学生だった私は、よく耳にしま

した。

 しかし、実際の「沖縄返還」は、決して現地の方々が期待したものでは

ありませんでした。

  むしろ、戦後の、アジアにおける「反共(あるいは、防共)」体制のため、

沖縄を最重要の軍事基地として拡大・強化する内容でした。

  そこには、後のベトナム戦争に際して、実質的な前線基地としての沖縄の

実態がありました。

  当時の日本政府も、アメリカの軍事戦略に組み込まれ、その実現のため、

沖縄を犠牲にしました。

 これは、今日も、全く変わりません。むしろ、益々強化されていると言えま

しょう。

  その実態が、阿波根氏の次の言葉に、よく表現されています。

 

   Ⅰ  復帰後の沖縄、そして伊江島




  
一  基地確保のための「アメ」と「ムチ」
 

 

 

   「安保」条約による基地提供


  沖縄が本土復帰したのは、一九七二年五月一五日であります。 

わしらが本土復帰を念願し、六二年から毎年四月二八日に行われていた

復帰をめざす海上大会に欠かさず参加していたのは、何より平和憲法の

下に復帰することを願っていたからでありました。 

  財産も権利も生命も無視され、踏みにじられていた米軍の占領下から

解放され、基地もなくなって、沖縄人の沖縄になる、そして平和に暮らす

ことができる、そう信じておりましたし、そうでなければいかないと思って

おりました。


                 Photo




  だが、そうはなりませんでした。日米安全保障条約(安保条約)という

ものがあったからです。

  安保条約があるかぎり基地があるというのは、最初はわしらにはよく

わかりませんでした。 

  「安全保障」というのだから、かえって沖縄県民のためになるものでは

ないか、と思うくらい無知でありました。


                   Photo_2

  しかし「沖縄返還」協議が行われている中で、わしらも勉強して、安保

条約は実は「危険条約」であることがわかってきました。 

  復帰しても基地はなくならない、それどころかますます軍事的に強化

され、自衛隊もくる。そういうことがわかってきたのであります。

 

  復帰して沖縄が沖縄県になったことで自動的に適用されたのは、平和

憲法ではなく安保条約でありました。 

  そして日本政府が、アメリカに対して沖縄の基地を守る義務と責任を

負ったのです。

 

 復帰直後、基地があることからくる被害について、那覇に設置された

日本政府の防衛施設局に抗議すると、職員は日本は安保条約を守る

約束をしているから、基地を返してもらうことも演習をやめさせることも

できないと、はっきりいった。




  沖縄県の面積は日本の国土の○・六%だそうでありますが、日本に

ある基地の大部分が沖縄にあります。復帰後のいまもほとんど変化して

いない。 

  沖縄にいると、「安保」がよくみえます。本土から伊江島にくる人たちに

聞くと、本土では「安保」への関心は先ぼそりになっているという。これで

はいかない。 

  わしらの闘いは、すべて安保反対に結びついておる。そのことはまず

知っておいてほしいと思っています。





  説明なしの軍用地の契約「予約」




  沖縄が本土復帰をすると、安保条約にもとづいて、日本政府が米軍に

対して基地を提供する役目となります。 

  それで復帰直前の三月、那覇に設置された防衛施設局が「賃貸借契約

のしおり」というビラをまいて、契約の「予約」をさせようとしていました。 

  復帰当時の沖縄の軍用地主の数は二万七○○○人で、このうち

三○○○人がはっきりと軍用地契約拒否を表明しておりました。 

  復帰の前年、七一年一二月に「権利と財産を守る軍用地主会」

(「反戦地主会」)を結成した人たちです。わしももちろん、その一人で

ある。

 

  この「しおり」には、協力に報いる意味で「見舞金」を払うとか、返還の

ときには「復原補償」をするとか、いいことばかり書いてあります。 

  しかし、かんじんの地料や契約期間、黙認耕作(基地内であっても演習

に使っていないときに、耕作したり草刈りをしたりすること。長い闘いの

すえ慣行として米軍に認めさせてきた)のことなどの具体的な説明は

いっさいなしです。

 

  しかも正式の「土地建物等賃貸借契約書」を、地主には見せません。

契約書を見るのは地権者として当然の権利なのに、要求しても見せない。

代表者に印鑑を預けさせて、まとめて捺印させようとするのです。どうも

おかしい。 

  あとで、何とかこの「契約書」を手に入れて、内容を見ると、金額・期間

などは空欄のままでした。捺印させたあと、どうにでもできるわけです。

  防衛施設局の役人がわしらに対して「説明会」をしたときには、こんな

カラクリがわかっていたので、最後には叱りとばして帰しました。 

  こういう詐欺まがいの契約「予約」がどんどんすすめられていましたから、

「伊江島土地を守る会」として、すぐに次のようなよびかけをだしました。



 
    契約はしない方が得です

 

 

一、  契約はしないでも使用料はもらえます。日本政府は契約はしない

     でも補償金として支払うとはっきり言っています。 

    アメリカ軍との契約の時も契約しないと地料がもらえないと言って

      おりましたが、それは真赤なウソで、私たちは契約しませんでしたが

      契約書同様に地料を取り、権利を主張することもできました。

 

二、  時は進み発展し、土地の価格は年々あがり、本土の資本家は沖縄

     本島、宮古、八重山でもたくさんの土地を買いこんでいます。今後、

      土地は予想以上に大切なものになると思います。

 

三、  契約をしなかったら、補償金(地料)の値上げを要求できます。

     又自分の土地が必要になったら返還要求できます。

 

四、  契約をしたら、自分(地主)の使用権は無くなります。土地をどう

     使おうが、石を入れようが穴を掘ろうが相手の自由で、地主はもんくが

     言えません。

 

五、  契約しても今まで通り黙認耕作ができるなどと思ってはまちがい。

     今度の 契約書第十条に、次の通りはっきり書きこまれています。 

   「土地の形を地主が変えてはいけない、軍の使用に支障があっては

     いけない」

 

六、  私たちは今まで他人(資本家とその手下)の利益のために利用され、

      だまされ、たくさんの損をし、犠牲になってきました。 

       今からでも自分の利益を守り、財産と権利を守り、生活をより豊かに

      していきましょう。

 

七、 軍備(戦前より上まわる軍事力、五兆八千億円の四次防予算)、

     基地(大事な土地)、演習(人殺しの練習)、自衛隊(戦争につながる

     軍隊)。 

         契約することは戦争につながり、戦争を認め、戦争に協力するもの

      であります。ですから契約に強く反対しましょう。

 

八、  契約を拒否し土地を守ることは、我々の財産と生命を守ることであり、

      又世界全人類の真の平和と繁栄の道であることをかたく信じております。

 

九、  地球は動き、時代は変わり、世界は正しい者の力によって正しい方向

      に急テンポで進んでいます。今後農民は素晴らしく発展することが

      予想されます。 

        土地はいよいよ必要になってきます。すべての宝は土地から生まれ

      ることを忘れないようにしましょう。

 

十、  大日本帝国、日清、日露、第一次、第二次世界大戦。国を守る、

      国民を繁栄させる聖戦といって真珠湾を攻撃して、絞首刑台の露と

   消えた職業軍人。戦争のナマの悲劇を忘れないようにしましょう。


      国ぬたみともて咲ちゃる花ちらち   (国のためと思って咲いた花が散っ

  てしまった) 

      あとみうしなたる親のくりさ  (跡継ぎを失った親の苦しさ)


十一、  残酷非道な戦争、我々を犠牲にし不幸にした戦争。我々は二度と

    だまされない、二度と戦争をしない、させない、このあやまちを二度

    と起こさせない。 

         それは生き残った我々の使命であり、人間としてとるべき道であり

    ます。

 

十二、  我々は以上の歴史の教訓に学び、恐るべき悲惨な戦争につなが

   る土地 契約を拒否するようにしましょう。そして平和憲法を守りまし

   ょう。

 

       一九七二年三月

 

                                     伊江島土地を守る会




   「伊江島土地を守る会」というのは、復帰前の六一年につくったもので、

わしが代表をしております。

  この会をつくる糸口となったのは、五六年に教職員会や土地連合会、

沖縄社会大衆党、沖縄人民党など一六団体が集まって結成された

「全沖縄土地を守る協議会」でした。

 

  この協議会の会長には復帰後最初の県知事となった屋良朝苗

(やら・ちょうびょう:下の写真)さん、そして事務局長にわしが推された

のですが、米軍に同調する人たちの動きによって、たった八か月で解散

してしまいました。

          Photo_3
 

  わしはこの協議会の正しい意思をうけつぐ組織が、伊江島で必要だと

思っておりました。基地があるかぎり、土地問題はつづくと思ったから

でした。 

  それ以来、土地を守るのは、自分たちの命を守り、島を守り、日本の国

を守ることである、ひいては世界平和のためであり、結局はアメリカの人

たちのためにもなる、だからずっと基地反対と土地を守る会はつづけなけ

ればいかない、そういう考え方でやっておるわけです。規約とか会則とか

いうものはありません。専門部というものもおきません。 会計だけはおいた。

 

  基地内に自分の土地をもっていて、基地に反対する人が正会員でありま

すが、復帰時で三○○人ぐらいだったですかね。 

  伊江島に住んでいて、わしらの考え方に賛成し、運動に加わってくれる人

は準会員ということにしましたから、実際は一○○○人以上の会員がいた

ようなものでありました。                        【つづく】                                        

 

 

 

 

 

 

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