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2014年11月11日 (火)

『命こそ宝』(4)

 人が真実に目覚め、自ら運動を開始した時、他者(あるいは周囲)の

無理解や反発を招くことがあります。

 しかし、中には、心から理解する人も現れます。

今回、阿波根氏が紹介されるアメリカの人権論者ロジャー・ボールド

ウィン氏が、彼にとってのよき理解者、協力者でした。

  ボールドウィン氏の言葉はシンプルですが、まさに  一面の“真理”

だと思います。



  今日、最大の社会的矛盾は、世界の「1%の人間」が、「99%の人々」の

富を簒奪し、占有し、かつそれらを固定化していることにあります。

  「1%の人間」は、時に、村上春樹氏の言う「高くて硬い壁」となり、

「99%の人々」が「卵」となります。阿波根氏は終生、一つの「卵」であり

続けました。



  しかし、「ベルリンの壁」が崩壊して25年を経た今日、それと同様に、

「高くて硬い壁」といえども、永遠に聳え立つことはできません。

  大昔、ジェリコの壁が、人々の叫び声で壊れたように、「99%の人々」の

「No!」いう声によって、いつかは崩壊することでしょう。

  「1%」といっても、相手も、ただの人間、完全でもなければ、”永遠の存在”

でもありません。

  そこでは”おかしいことは、おかしい!”という正直な生き方こそ大切で

しょう。

 阿波根氏の生き方は、まさにそのような正直、かつ誠実な”まことの

生き方”だったように思います。

  今日の沖縄県民に、同氏のような”まことの生き方”が出来る人が、

一体、どのくらいいるでしょうか?

  多くの方々は、金や名誉、それに目先の利害に、余りにも囚われすぎて

いるのではないでしょうか?

  阿波根氏は、次のように記します。




 みんなが反対すればやめさせられる




 
土地をとり返すための闘いを続ける中で、わしらはいろいろなことを学び、

考えました。 

 米軍の中にはいい人もおる。赤ちゃんにミルクを飲ますやさしい人もおる。 

  それなのに、なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。

これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。 

  そして基地は、その戦争を準備するためのものだ。基地が撤去されるま

では、戦争のことを忘れてしまうことはできない。 

  わしらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくることにつながる、

またつながらなければいか(け)ない。そう確信するようになった。



                  Photo_3


  土地闘争がはじまった頃、わしらは小禄村(現在は那覇市小禄)の具志

部落を訪ねたことがあります。闘いの経験を聞き、闘い方を学ぶためで

ありました。 

  このとき具志部落の上原昭男さんは、わしらのために「平和のためという

ならば、平和のためになおさらに、土地は離すな村人よ」と歌い「武器に

亡びる国あれど、武器に栄える国はなしと語った。わしは心から共感した。 

  土地闘争を闘っている沖縄の各地の人たちとの交流の中で、わしはいっ

そう確信を強め、勇気づけられたのでした。

 

  だが、どんなに闘ってもなかなか基地はなくならない。戦争の準備を

やめさせられない。しかも、今度は核戦争の準備をしておる。核について

の本をたくさん買ってきて読んでみたが、もし核戦争がおきたら、この地球

にもう住めないという。これは大変なことだ。 

  それなのにこの戦争準備はとめられないのか。闘いを続けながらも、

無力感をもち、悩みました。



  そうしたらですね、一九五九年のことでしたが、世界人権連盟議長の

ロジャー・ボールドウィンさん(*下の写真)、実に立派な方であると聞い

たが、この人が那覇にきた。沖縄の土地闘争のことを知って、人権侵害

があるのではないかと調査に来られたわけです。

                  Photo
      

   那覇の教職員会館で講演するということを新聞で知って、わしらはさっ

そく陳情書をつくり、「ボールドウィンさん歓迎」という横断幕をもって、

那覇に会いに行った。 

  陳情書に、「日米両政府はわしらの家を焼き、農民を縛り上げ、土地を

取り上げて、核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありま

したら教えて下さい」と書いて、質問したのです。

  どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの

答えは簡単でした「みんなが反対すればやめさせられる」

こういわれたのです。

 

  わしらは考えました。みんなが反対すれば戦争はもうできないんだ、

「ああ、これはそのとおりだ」とわしは納得しました。 

  わしが自分の土地を基地に使わせないための闘いを続け、そして反戦

平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったの

であります。

 

 

   わしが語り伝えたいこと




  伊江島の基地は、島全体の六三%を占めていたが、わしらは闘いを

つづけて少しずつ解放させ、復帰直前には、半分の三二%まで縮小させ

て、残りも全部解放させるという約束までさせていました。だがそれはいま

も実現していません。

 

  わしの土地もある島の西北部、真樹(まじゃ)という地区には射爆場が

あります。 

 「伊江島補助飛行場」といっていますが、あれは紛れもない射爆場です。 

  模擬原爆の演習場であり、あらゆる実弾を使っての射爆場なのです。 

  戦争は過去の話ではない。いまも平和になっているとはいえない。

沖縄の基地では演習が続けられている。湾岸戦争(一九九一年)のとき

には、伊江島の基地の米軍の演習はいっそう活発になって、ハリアー

(垂直離着陸機)が実戦さながらの訓練をしていました。

                       Photo_2


  かつてわしは『米軍と農民』のはじめにこう書きました。―伊江島の人は

誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地取り上げでアメリカ軍が

襲いかかった当時のことも、語りたがらない。 

  思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛も

ふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません―。 

  その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。

命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、

つらくても語り伝えなければならない。

 

  「みんなが反対すれば戦争をやめさせられる」そのためには一人に

なっても訴えつづけなければいかない。平和を創る闘い、実践がいまこそ

必要である。

  沖縄が本土復帰して二○年、伊江島の状況は大きく変わりました。

復帰後、沖縄そして伊江島に何がおきたのか、今どうなっているのか、

そして、なぜ「反戦平和資料館」(ヌチドゥタカラの家)づくりを考えたのか、

また資料館活動の中で何を考えてきたのか、そのことをこれからお話し

たい。

  ところで、わしはいつも断わってから話しますがね。これは、農民の、

小学校しかでていない、明治生まれのものの体験談。

  だから間違いもあると思うから、あなたたちも聞いて、これは間違って

おる、ここはもっとこうした方がいい、ここはこうでなければいけない、

と思ったらいってほしい。

  そういうつもりで聞いてほしいといって(ママ)おります。  【つづく】

 

 

 

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