『命こそ宝』(6)
日本の政治は、結局「金」と「ポスト(地位)」なのでしょうか?
そんなことで、本当にいい政治など、できるわけがありません。
特に、沖縄のような「基地の島」は、まるで、お金で、人を頬を叩(はた)く
ような野蛮が横行しています。
この状況は、今日の沖縄県知事選においても、同様でしょう。
端的に言って、この状態は、阿波根さんが活躍なさった戦争直後も今も、
何一つ変わっていません。
まさに、政府が「アメ」と「ムチ」で、抵抗する国民・市民を縛り上げる。―
そんな”傍若無人”が支配的な日本の政治は、まさに有史以来、殆ど
変わっていません。
そして、このようなイヤラシイ現状を、我々は、次の阿波根氏の「告発」の
中に、はっきりと見出すのです。
今日の文章は、短文ですが、区切りが良かったので、次のようなお言葉
を、お伝えしたいと思います。
復帰直後におきたこと
復帰直前の「予約」とりつけのやり方を見て、日本政府は基地確保の
ために様々なずるい手段を使うだろうと予想はしていました。しかし、
そのやり方は想像以上にひどいものでした。
復帰して先ずおきた大きな変化は、異常な物価高と生活苦ですが、
これは日本政府に責任がある。
たとえば、それまで沖縄で適用されていたドルを円に切り換えるとき、
で切り換えました。
復帰したとたん、一ドルについて五五円分損をしたことになる。一方で
そういうことをしておいて、軍用地の地代をいっぺんに六倍も上げた。
沖縄の経済を混乱させて、生活を苦しくさせた上で、契約する地主に
対しては、地代を上げ、また基地周辺整備費という名目でどんどん金を
出す。
もともと沖縄の犠牲の上に、戦後日本の経済発展があったのだから、
沖縄の経済を健全にするというのは国の責任である。
それなのに生活を苦しくさせておいて、基地に土地を提供すれば暮ら
せるというふうに誘導する。その上、本土から土地買占めがやってきまし
たから、いままでの常識では考えられない物価高になったのでした。
わしらは、何よりも反戦平和を願っているから基地反対である。だが
それにしても、基地に頼ってどんどんお金をもらうとか、土地を売ればも
うかるとかいうのは、経済としてもおかしい。
当座はよくても、決して伊江島島民また沖縄県民のためにはならない。
わしらはそう思いましたから、契約拒否を貫き、軍用地として契約すること
の危険を訴えてきたのでした。
「土地強奪法」でしめつける
日本政府は一方で、経済混乱をもたらした上で、金の力で軍用地契約を
しかし、金では動かない反戦地主たちが当時三○○○人近くもいた。
そこで、政府は法律によって、土地を取り上げたのです。
沖縄返還にあたって、沖縄関連四法というのが国会で強行採決されて
いますが、 そのひとつが「公用地法」(沖縄における公用地等の暫定使用
に関する法律)といわれる法律で、これで土地の強制使用を「正当化」した
のです。わしらは、これを「土地強奪法」といっておりました。
復帰前に「公用地等」として使用されてきた土地、これはつまり軍用地の
ことをいうのでありますが、これは所有者の同意をえることなく、復帰後
五年間は継続使用できるというのです。
五年にもわたって他人の土地を強制使用するというのですから、とんでも
ない悪法であります。
当時の琉球政府は強く反対しましたし、国会でも革新政党は反対した。
法律家も憲法違反の疑いがあるといって批判しているのに、日本政府は
かまわずに法律を成立させました。そして復帰と同時に施行したのであり
ます。
米軍は銃剣でわしらの土地を取り上げましたが、日本政府は法の力で
強奪したのです。日本政府はいまにいたるまで、様々な悪法のムチを
ふるうことになるのですが、その経過をお話しする前に、基地があることで、
沖縄・伊江島でどんなことがおきていたのかをお話ししましょう。 【つづく】
(追記:皆さん、お元気ですか?
沖縄県知事選だけでなく、衆議院の「解散・総選挙」まで
云々される今日、まさに、国内は、風雲急を告げる状況です。
しかし、自然に目をやりますと、既に山茶花やボケが咲き
始め、水仙が愛らしい芽を出しています。
植物は、すでに、厳しい冬の支度をしつつ、密かに春の準備
を始めています。
私事ですが、母が、来年90歳を迎えます。頭脳は明晰ですが、
足腰が、だいぶ弱りました。その母のcare に、しばらく専念した
いと存じます。
そのため、当分の間、拙ブログを休筆いたします。
渡邉良明 拝 )
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