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2014年10月27日 (月)

『内気な天使たち』(36 )

  本校、最後の日


 T養護での最終日は、二十五日の終了日だった。当日の朝も、昇降口

で、スクールバスを迎えたけれど、当然のことだが、すでに卒業したみん

なの顔はなかった。 

  今にも、ジュン君が「アセ、カキマシタ」と言って、登校してくるような錯覚

に陥った。また晴男とおでこをゴッツンとやって挨拶し合うことや、ゆりの、

あのほっそりとした冷たい手を握ることもなくなった。自然と彼らのことが

思い出され、何か胸にジーンとくるものがあった。

         Photo

 職員室でのお別れの挨拶で、私は「全国の学校が、本校のような

温かい学校であるなら、きっとナイフで人を殺傷するような事件は起

こらないと思います」と言った。 

 私は本心から、そう思った。それほどT養護は、常に清潔かつ明るい

学校だった。



  今日の終了式は、体育館で行われた。小、中の各学年を代表して、

生徒が一人ずつ校長先生のところまで進み出る。意味を理解せず、辺りを

うろうろする子もいた。 

  その後、退任する私たちに、先生やみんなが花束を贈呈してくれた。

私は、御礼に紙の花を出す手品をした。すると、意外だったのか、みんな

喜んでくれた。 

  終了式に手品が許されるなど、養護学校ならではのことだと思う。校長

先生始め諸先生方の寛大さに、心から感謝した。



  現代日本の教育は、「知育」のみが偏重され、単に知識の伝授のみに

意が注がれるが、養護学校の教育は、しつけ、知恵、言語、運動、芸術、

情操など、「全人格」的な教育が要求される。 

  勿論、その十全な伝達や理解は不可能かも知れない。だが、「知識」の

伝達のみに偏しない養護学校の在り方は、普通教育でも見習うべきでは

なかろうか。

 

  小、中、高の先生だけでなく、大学の先生方も、一年くらい養護学校で

勤めてみると、たいへん有益だと思う。単に教育の在り方を振り返るだけ

でなく、人間としての生き方を反省するいい機会が与えられるからだ。 

  それが、その後の人生や大学での講義に、きっとプラスになることだろう。

 

  本校での生徒や先生方との出会いは、私にとって、本当にかけがえの

ない素晴らしいものだった。先述したように、養護学校の先生方(特に、

女性の先生方)ほど忍耐強く献身的な教育者を、私は、他に知らない。

  また、学校を常に清潔かつ綺麗に保つ用務員の方々の「縁の下の

力持ち」的な献身にも、たいへん心を打たれた。

 

  彼らは、誰に見られるからでなく、唯、それが自分の勤めであるからと

いう理由で、黙々と働いておられる。 

  確かに、人間は、単に頭だけでなく、体全体、よく言えば全身全霊を

使って働く方が、はるかに当人の幸せに寄与し、社会にも貢献できるの

である。 

  T養護学校での体験は、そのような「真実」を遺憾なく私に教えてくれた。





 T養護での喜び





  昨年春、本校に初めて参った頃、桜の花が満開だった。今、蕾がだいぶ

膨らんでいる。ここでの一年の歳月が、あっと言う間に過ぎてしまった。 

  この一年間、先生方、並びに事務室の皆さん、それに生徒たちに、本当

にお世話になった。


         Photo_4


      

  本校での一年は、私にとって、かけがえのない年月だった。それは、

とても密度の濃い一年だった。一年で、今までの十年分ぐらいの体験を

したような気がする。 

  T養護は、とても明るく温かい学校だ。校舎の隅々に、花が生けられるか、

ペーパーフラワーが飾ってあった。この学校ほど、花の似合う学校はない

のではなかろうか。それに、ひじょうにクリーンで清潔な学校だ。

        Photo_2


  私は、生徒たち(特に中三の子たち)に、何かを教えられるかなと思って

本校に参上したけれど、何も教えられるものはなかった。却って彼らや

先生方から教わることの方が多かった。 

  とりわけ「教育の原点は、愛と忍耐である」ということを

教わった。

 忍耐心において、養護学校の先生方ほど強い人々はいないのでは

なかろうか。

 

  また、障害児の保護者ほど、愛と忍耐の人々はいないのではなかろうか。

障害を背負った子供たちと身近に接してみて、私は、心からそう思う。

  生徒を鋳型にはめるのが、日本の教育の特徴であるけれど、養護学校

には、その「鋳型」というものが存在しないように思う。 

  実際、無理に彼らを鋳型にはめようとすると、彼らの行動はストップして

しまい、人間性まで崩壊しかねない。


  加えて私は、スマイルとスキンシップの大切さを、ここで学んだ。教育に

携わる者は、明るい心や態度を保たなければならない。そこでは、

「不機嫌は、最大の悪」なのである。生徒や先生たちが心から笑い合え

る学校こそ「いい学校」なのである。

 

  T養護の生徒たちは、私にとって、先生であり、かつ「天使」だった。

確かに、中には、人にかみついたり、おもらしをしたり、コンピューターの

スイッチを勝手に消して廻ったりする天使もいたけれど、それでも、やはり

「天使」だった。ということは、ここは、私にとって、まさに「天国」だった。 

  この「天国」だった本校での喜びは、生徒や先生方との交流の中にあっ

た。それは、理屈抜きの純粋な喜びであり「至福」だった。

          Tenn


  ここには、現代のわれわれが見失いつつある笑いや他者への思いやり

といったものが溢れていた。そして、そこには、“無上の喜び”があった。 

  その喜びを与えてくれたT養護学校に、私は心から感謝している。

                                       【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

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