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2014年10月

2014年10月28日 (火)

(完) むすびにかえて― 遠い日の思い出

   むすびにかえて― 遠い日の思い出

  昨春より、T養護学校で、週二日」お仕事をさせて戴く

ようになって、私の生活は、とても明るくなった。 

  本校の生徒たちのことで、妻と話す機会も増えたし、

身体を動かすことも多くなり、とてもいい気分転換がで

きた。 

  これもすべて、ここの生徒たちや先生方のお蔭で

ある。



  アメリカでは「障害は、ひとつの個性である」という

考えがあるが、日本では、まだそこまでいっていない

ような気がする。 

  でも、T養護の子供たちの、何と天真爛漫なことか!

  彼らの笑顔によって、どれほど慰められたか知れ

ない。左半身マヒのジュン君の笑顔など、最高である。 

  健常者と言われる若者の中に、あれほど素晴らしい

笑顔を見ることはできない(*写真は、イメージ)

     Photo


 みんなの屈託のない笑顔を見ながら、私は、遠い日の

ことを思い出していた。

  あれは、三十五年前(当時からみて)のことである。

母方の従兄夫婦が、第一子の誕生を心待ちにして

いた。

  しかし、彼は、障害を背負って生まれてきた。言葉

も思うように出ず、普通の子と遊ぶこともできなかった。

 

  だが、彼の瞳の何と美しかったことか。それに、笑顔

がとても可愛かった。彼は、まさに天使だった。 

  彼は時々、私の家へ遊びに来ては、仏壇の前に座

り、思いのままに木魚を叩いた。 

そして、「ナムミョ、ホケキョ、ナムミョ、ホケキョ」と唱え

るのである。私の実家は、日蓮宗(「身延」系)である。


  彼のお父さんは、この三年ほど、熊本市内の花岡山

(日本山妙法寺:下の写真は、同寺の仏舎利塔)に、

毎朝勤行に参っている。

  父親と同行した彼が、夜が白む前の月を見て言う。

「お父さん、お月さんには、兎さんがいるのかな―?」

と。

  それに対して、父が答える。「そうだね。いるかも知れ

んね。・・・・」と。

 父親にとって、彼は「生き甲斐であり、宝である」と

いう。

     Photo_2

       Photo_3



  もう一人、私が学生時代に、家庭教師として知り合っ

たK君は、出産の際に、臍の緒が首に巻きついて仮死

状態で生まれてきた。

  彼は、成長後、言葉は普通だったが、知能の程度は

低かった。K君は幼児期に、近くに住む華僑の車、

クラウンのボンネットの上に乗り、その上部を凹ませて

しまった。

  彼の両親は、その中国人に、「コノコ、オマエノコカ

!?」とねじ込まれた。それで、お父さんも、ついK君

を殴ってしまった。

  すると彼は、交番へ行き、おまわりさんを呼んでき

て、父親を指さして「コノヒトが、僕をぶった!」と訴えた

という。


  そのK君も、今はもう三十七歳(当時)。今、江古田

の焼き鳥屋さんで働いている。

 最近、偶然に会った彼の頭にも、だいぶ白いものが

目立つようになった。

  私にとって、この二人は、単なる「知的障害者」とい

うより、「天使」だったのかも知れない。

  私は、T養護でも、多くの天使たちと出会った。

彼らは、誰よりも「内気な天使たち」だった。 【了】    

                            

( 後記:ご愛読、まことに有難うございました。

      今、新しいものを準備中です。

       来月の3日まで、私用のため、休筆いた

      します。 皆さま、どうか、お元気で!  

                      渡邉良明 拝 )

 

 

2014年10月27日 (月)

『内気な天使たち』(36 )

  本校、最後の日


 T養護での最終日は、二十五日の終了日だった。当日の朝も、昇降口

で、スクールバスを迎えたけれど、当然のことだが、すでに卒業したみん

なの顔はなかった。 

  今にも、ジュン君が「アセ、カキマシタ」と言って、登校してくるような錯覚

に陥った。また晴男とおでこをゴッツンとやって挨拶し合うことや、ゆりの、

あのほっそりとした冷たい手を握ることもなくなった。自然と彼らのことが

思い出され、何か胸にジーンとくるものがあった。

         Photo

 職員室でのお別れの挨拶で、私は「全国の学校が、本校のような

温かい学校であるなら、きっとナイフで人を殺傷するような事件は起

こらないと思います」と言った。 

 私は本心から、そう思った。それほどT養護は、常に清潔かつ明るい

学校だった。



  今日の終了式は、体育館で行われた。小、中の各学年を代表して、

生徒が一人ずつ校長先生のところまで進み出る。意味を理解せず、辺りを

うろうろする子もいた。 

  その後、退任する私たちに、先生やみんなが花束を贈呈してくれた。

私は、御礼に紙の花を出す手品をした。すると、意外だったのか、みんな

喜んでくれた。 

  終了式に手品が許されるなど、養護学校ならではのことだと思う。校長

先生始め諸先生方の寛大さに、心から感謝した。



  現代日本の教育は、「知育」のみが偏重され、単に知識の伝授のみに

意が注がれるが、養護学校の教育は、しつけ、知恵、言語、運動、芸術、

情操など、「全人格」的な教育が要求される。 

  勿論、その十全な伝達や理解は不可能かも知れない。だが、「知識」の

伝達のみに偏しない養護学校の在り方は、普通教育でも見習うべきでは

なかろうか。

 

  小、中、高の先生だけでなく、大学の先生方も、一年くらい養護学校で

勤めてみると、たいへん有益だと思う。単に教育の在り方を振り返るだけ

でなく、人間としての生き方を反省するいい機会が与えられるからだ。 

  それが、その後の人生や大学での講義に、きっとプラスになることだろう。

 

  本校での生徒や先生方との出会いは、私にとって、本当にかけがえの

ない素晴らしいものだった。先述したように、養護学校の先生方(特に、

女性の先生方)ほど忍耐強く献身的な教育者を、私は、他に知らない。

  また、学校を常に清潔かつ綺麗に保つ用務員の方々の「縁の下の

力持ち」的な献身にも、たいへん心を打たれた。

 

  彼らは、誰に見られるからでなく、唯、それが自分の勤めであるからと

いう理由で、黙々と働いておられる。 

  確かに、人間は、単に頭だけでなく、体全体、よく言えば全身全霊を

使って働く方が、はるかに当人の幸せに寄与し、社会にも貢献できるの

である。 

  T養護学校での体験は、そのような「真実」を遺憾なく私に教えてくれた。





 T養護での喜び





  昨年春、本校に初めて参った頃、桜の花が満開だった。今、蕾がだいぶ

膨らんでいる。ここでの一年の歳月が、あっと言う間に過ぎてしまった。 

  この一年間、先生方、並びに事務室の皆さん、それに生徒たちに、本当

にお世話になった。


         Photo_4


      

  本校での一年は、私にとって、かけがえのない年月だった。それは、

とても密度の濃い一年だった。一年で、今までの十年分ぐらいの体験を

したような気がする。 

  T養護は、とても明るく温かい学校だ。校舎の隅々に、花が生けられるか、

ペーパーフラワーが飾ってあった。この学校ほど、花の似合う学校はない

のではなかろうか。それに、ひじょうにクリーンで清潔な学校だ。

        Photo_2


  私は、生徒たち(特に中三の子たち)に、何かを教えられるかなと思って

本校に参上したけれど、何も教えられるものはなかった。却って彼らや

先生方から教わることの方が多かった。 

  とりわけ「教育の原点は、愛と忍耐である」ということを

教わった。

 忍耐心において、養護学校の先生方ほど強い人々はいないのでは

なかろうか。

 

  また、障害児の保護者ほど、愛と忍耐の人々はいないのではなかろうか。

障害を背負った子供たちと身近に接してみて、私は、心からそう思う。

  生徒を鋳型にはめるのが、日本の教育の特徴であるけれど、養護学校

には、その「鋳型」というものが存在しないように思う。 

  実際、無理に彼らを鋳型にはめようとすると、彼らの行動はストップして

しまい、人間性まで崩壊しかねない。


  加えて私は、スマイルとスキンシップの大切さを、ここで学んだ。教育に

携わる者は、明るい心や態度を保たなければならない。そこでは、

「不機嫌は、最大の悪」なのである。生徒や先生たちが心から笑い合え

る学校こそ「いい学校」なのである。

 

  T養護の生徒たちは、私にとって、先生であり、かつ「天使」だった。

確かに、中には、人にかみついたり、おもらしをしたり、コンピューターの

スイッチを勝手に消して廻ったりする天使もいたけれど、それでも、やはり

「天使」だった。ということは、ここは、私にとって、まさに「天国」だった。 

  この「天国」だった本校での喜びは、生徒や先生方との交流の中にあっ

た。それは、理屈抜きの純粋な喜びであり「至福」だった。

          Tenn


  ここには、現代のわれわれが見失いつつある笑いや他者への思いやり

といったものが溢れていた。そして、そこには、“無上の喜び”があった。 

  その喜びを与えてくれたT養護学校に、私は心から感謝している。

                                       【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

2014年10月25日 (土)

『内気な天使たち』(35)

  卒業式

 今日(三月二十四日)は、卒業式の日だ。小六と中三の生徒たちが、

制服姿で登校した。 

 普段、ジャージ姿のワタルも、今日は制服を着ている。私は、彼の制服

姿を、本校に来て、初めて見た。 

  彼は、A組の教室内で、学習発表会の悪代官役で使った剣を、なつかし

そうに振り回していた。 

  晴男は、いつものようにマットを敷いて、その上に座り、前後左右に体を

揺すっていた。時には、腹ばいになったりもしていた。

  すると、そこへ、二年生のツヨシが入って来た。開口一番、彼は言った。

「アケマシテ、オメデトウゴザイマス!」と。 

  教室内にいた教員は、一瞬ハッとした。すると、加藤先生が言った。

「はい、おめでとう!」と。そこには、何か温かいものがあった。



  卒業式会場の体育館に至る渡り廊下には、黄色のリボンが所狭しと

下がっていた。 

 愛ちゃんが、それらを笑いながら触って歩く。彼女には、それらが余程

可愛く見えたのだろう。何にでも興味を示す好奇心旺盛な女生徒だ。

  式場には、在校生がすでに椅子に腰を下ろして、卒業生の入室を

待っていた。さあ、卒業生の入場だ。在校生が拍手で迎えた。小六と中三

の生徒たちが向かい合う形で座った(*下の写真は、イメージ)

         Photo


  いよいよ、卒業証書の授与である。小六は、小野寺光明君(仮名)から、

中三は、清水恒君からである。二人は、学年代表だけあり、とても堂々と

していた。 

  卒業式と言えば、みんなが緊張した中に整然と証書を授受するという

思いがあるが、養護学校のそれは、明らかに違っていた。

 

  先ず、生徒たちが校長先生の前まで進み出るのが、一苦労である。 

違った方向に行ったり、行くのをむずがったり、奇声を上げたり、実に

個性的だ。 

  証書を受ける前に、手でそれを握ってしまったり、全く横を向いてしまっ

たり、頭を振りながら他の方へ行ったり、校長先生もたいへんだったと

思う。 

  今日は、小六の加藤さんが興奮して、式の途中から立ち上がり、辺り

をうろうろと徘徊し始めた。 

  数人の先生が彼女を制止し、どうにか席につかせた。彼らには、

「卒業」という認識が全く無いのかも知れない。


  ワタルが、本校の思い出について、色々な体験を語ってくれた。

その後、みんなで「TOMORROW」を合唱して、両学年の卒業を祝った。 

  先生方と在校生が花道を作り、その間を卒業生が歩く。在校生は

紙吹雪をまき、卒業生を見送った。方々で拍手が起こり、歓声が湧き

上がった。手作りの温かい卒業式だった。 

  実に素晴らしいと思いつつ、私は会場を後にした。これで、みんなとも

お別れである。彼らの卒業は、私の「卒業」でもあった。 

  そこには、一つの区切りと同時に、内心、寂しいものがあった。

 

 

 

  お別れ会

 

 

 今日(三月十九日)は、卒業生の「お別れ会」があった。大学で言えば

「謝恩会」である。午後二時、生徒や先生方、それにご父兄が食堂に

集った。今日は、諸先生方も、スーツにネクタイという出で立ちである。

その姿が、とても新鮮だった。 

  テーブルには、各所に花が生けられ、それぞれにシュートケーキと

缶ジュース(お茶も含めて)が置かれている。所々に、その他のお菓子

が山積みにされていた。


           Photo_2


  保護者と生徒が並んで座った。私は、今日初めてお会いするという

保護者が殆どだ。 

 私の隣りは田中先生、正面は加藤先生である。斜め前が富田明で、

お母さんが彼の右横にいらした。すでに、アキラの目は、ショートケーキ

に注がれていた。



  会の最初は、生徒たちへの花束だったが、それを保護者が各々自分

の子供たちに上げる形をとった。ところが、清水恒の親御さんが見えて

いないということで、私が彼に花束を渡す役目を負った。 

  渡す際、「清水君、卒業おめでとう!」と言うと、彼は少し照れていた。

会の進行係は、本田先生である。ユーモアを交えながら、温かい雰囲気

で会が進んだ。校長先生のご挨拶から、保護者の挨拶へと会が進む。

 

  ところで、アキラは、まるで憑かれたようにケーキをパクついていた。

口の周りを、白いクリームが覆っている。 

  お母さんが、もっとゆっくり食べるようにと注意されるのだが、アキラは、

その声を、全く無視している。そこには、彼だけの世界しかなかった。

ジュースも、まるで競争でもあるかのように、素早く飲み干した。

  確かに、今日の食事だけでなく、アキラは、すべてにおいて、人よりも

早く行動した。

 

 教室移動の際も、みんなと離れ、廊下をスキップして走る彼の行動を

何度か目撃した。 

  余りの先走りに、時々、加藤先生から、軽くゴツンとやられていた。

だから、食事の時だけ早いわけではなかった。

 

  会の中ほどで、保護者からのお話があった。とても正直な思いが語ら

れていた。 

 晴男のお母さんが語られた後、晴男は彼女のマイクを取り、それを

口許に運び、歌い出した。 

  「サイタ、サイタ、チューリップノハナガ、ナランダ、ナランダ、アカ、

シロ、キイロ、ドノハナミテモ、キレイダナァー」。思わず、みんなで拍手

した。

      Photo_3



  この後、ジュン君のお母さんがお話をしておられる時、アキラの表情が

急変した。 

 彼は、上半身を前に傾け、戻す(吐く)ような形をとった。お母さんが制止

なさろうとしたが、すでに遅かった。 

  彼の前は、彼の胃袋の前まで旅して来た食物が、形を変え、元の所に

戻ってきた。私は、パーティで、こんな場面に遭遇したのは初めてだった。 

  だが、彼のお母さんの言では、これはしょっちゅうあるとのこと。親御さん

たちのご苦労を思わずにはいられなかった。          【つづく】

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

2014年10月24日 (金)

『内気な天使たち』(34)

    “性の目覚め”?


  二月のある日、一年生の太郎が、通用門から入って来た。彼は、残雪の

塊を摘むと、それを口に運んだ。彼にも、少しずつ意識の変化、端的に言

えば“性の目覚め”があるようだ。 

  今朝も、女子更衣室に入っていたところを、女教諭の中沢先生に見とが

められていた。 

 廊下の隅で、「今度、女の子の更衣室に入ったら駄目だからね!」と、

先生に注意されていた。 

  太郎は、怒られながら、恐縮したのか、自分の手で自分の頭をゴツンと

やっている。 

 アキラなどもそうだが、障害児たちは、悪い事やいけない事をしたなと

思うと、自分で自分の頭をゴツンとやる。それがまた、可愛くもある。



  ある時、男子更衣室で、みんなが着替えている時、太郎がパンツの中に

手を入れていた。すると、間髪入れず、加藤先生の叱咤が飛んだ。「太郎、

オチンチン、いじるな!」と。 

  太郎は、今度も自分の頭をゴツンとやった。自分でも変なことをやってい

るという意識があるのだろう。でも、自然とパンツの中に手を入れたいと

いう心理(あるいは、欲求)が働くのだろう。これも、一種の“性の目覚め”

(?)というものだろうか(*下の写真は、イメージ)


                        Photo_3


  今朝、昇降口の靴箱の前に立っていると、ゆりと目が合った。思わず

彼女は、私の方を目指して左手を大きく挙げた。 

  初めてのことで、びっくりしていると、彼女の側にいらした女教諭の中村

先生が、「あら、妬けちゃうわね~」と、冗談っぽく仰る。 

  私も、些か面映ゆい気持ちだった。だが同時に、嬉しくもあった。ある時

は、こんなこともあった。

  その日、私が愛ちゃんの手をとって階段を昇っていくところを、ゆりに見

られた。 

 昇り終えて、次にゆりの手を握った時、掌に強い痛みが走った。それは、

ゆりがきつく爪をかけたせいだった。あれは、なぜだったのだろう? 

  状況的には、まるで焼き餅のような、独占欲の発露のようなものとも感

じたけれども、一体、この子たちにも、そのような思いが生じるのだろうか? 

  あるいは、これも、一種の“性の目覚め”(?)というものだろうか。正直な

ところ、それは分からない。



  その点、やはり男子の方が扱いやすい。特に晴男などは、挨拶のしるし

のゴッツンをやった後、興が乗ると、両足を私の腰にかけ、そのまま上体

を揺すって戯れる。 

 その姿は、まるでチンパンジーが遊んでいるような格好なのだ。だが、

その方が、ずっと気楽でいい。 

  よくよく考えてみると、男子の方が、よほど単純に出来ていると思う。

女性の方が、やはり色々と複雑だ。 

  だが、両者が異なるところが、またいいのかも知れない。太郎やゆり、

それに晴男や愛ちゃんのことを思いながら、私は、男女間の違いや共通

性、それに“性の目覚め”ということについて、色々と考えていた。



 

  卒業式を前にして





  今日(三月十八日)、昇降口でいつものようにスクールバスを待ってい

ると、中から百キロの巨漢であるツヨシが降りてきた。彼は、ちゃんと手

を腰に当てて、「オハヨー・ゴザマス」と言ってくれた。その後、「ゲンキ」と

続けてくれた。 

  唯、この言葉を発しただけだったが、暗に”ボクは、元気だよ!”と言い

たかったのかも知れない。

 

  今朝は、勇太が少しハイテンションだった。彼は、自分の靴箱の扉を、

素手で力強くドンドンと叩き始めた。それは、周りに響くほど激しい音だ

った。 

  それを見た本田先生は、勇太の首根っ子を掴まれ、「そんな事をする

子は、この学校には要りません。家に帰って下さい」と厳しく注意された。 

  出鼻をくじかれた勇太は、「ゴメンナサイ・・・・」と小声で言いつつ、扉を

叩く手を止めた。



  今日は、体育館で、卒業式の予行があった。館内では、在校生が、

手持ちの椅子に腰を下ろして待ってくれていた。 

  卒業学年である小六と中三の生徒が入場すると、拍手で迎えてくれた。

今日は、卒業証書授受の練習だ。小学部の浅井先生(仮名)が、校長

先生の役である。(*下の写真は、イメージ)

        Photo_2

  先生の前まで行くのに走り込む生徒、スキップする子、場所を間違えて

しまう生徒など、様々だ。 

  先生が証書を読まれる際にも、すでに証書に手をかけている生徒、

横を向いて知らんぷりをする子、奇声を上げる生徒など、これまた

たいへん個性的だ。 

  小六の加藤美穂ちゃん(仮名)などは、終始首を振り、上半身を揺らし

ながら、持場を離れていた。そこには、今何をすべきかという意識は、

全くなかった。 

  私は、見ていて、とても印象深い卒業式になるのでは、と思った。



  証書授受の練習が一通り済むと、卒業生一人ひとりの足跡がスライド

してあり、それをスクリーンで観た。 

  中三のみんなも、中一や中二時代の思い出深いシーンや顔写真が

あり、みんなの成長の跡が偲ばれた。 

  学習発表会、聖山(ひじりやま)、運動会、修学旅行など、様々な行事

の中での、みんなの屈託のない笑顔が、たいへん印象的だった。 

  ワタル、アキラ、ひとし、マコト、晴男やジュン君、それに陽介、ヒデキ、

マナブ、のぞみ、愛ちゃん、加えてゆりやすみこまでが、それぞれ成長の

跡を残していた。

             Photo


  私は、みんなとの付き合いは、一年足らずの短いものだったが、彼ら

から、色んなことを学んだ。 

  正直、彼らに「何か」を与えようと思いつつ、反対に与えられ、教えようと

思いつつ、却って、多くのことを教わった。私が先生ではなく、むしろ生徒

の方が、私にとって先生だった。 

   三年生は、言葉のしゃべれない子が殆どだ。でも、彼らには、彼らなり

の“言葉”が存在する。それは、信号とでも言うべきものだ。 

  その「言葉」をキャッチし対応するのが、教師の努めなのかも知れない。 

しかし、そのためには、やはり豊富な体験が必要なようだ。  【つづく】

 

2014年10月23日 (木)

『内気な天使たち』(33)

  学習発表会




 今日(二月八日)は、学習発表会の日だ。私は、午後から出席した。

会場は体育館。そこに至る渡り廊下に、たくさんの赤、黄、ピンクのリボン

が下がっている。 

  私は、それを初めて見て驚いた。とても可愛いと思った。養護学校らし

い、温かい飾りつけだ。

 

  午後の部は、小六の「スターをめざして」、中一の「ももたろう」、中二

の「イスタンブール夢一話」、中三の「たつこひめ伝説」などの劇が演じら

れた。 

  この両学年では、先生が「ももたろう」に扮したり、盗賊に扮したりして、

生徒と行動を共にされた。 

  中三の劇では、生徒が台詞をしゃべることに重点を置かれたためか、

「黒衣」に徹する先生が多かった。

 

  「たつこ姫伝説」は、彼らが修学旅行で行った田沢湖(*下の写真:たつ

こ姫の像)因んだ物語だった。それは、次の通りだ。

          Photo


  江戸時代、のどかな村に、突如、悪代官が就任して来た。彼は村人に

命令し、田沢湖の埋め立てを強要する。 

  村人は、懸命に働くが、その使役には際限がなかった。この村人の窮状

を見かねた庄屋の娘たつこは、代官の屋敷に行き、苦役の減免を求める。

  だが代官は、彼女の願いを撥ねのける。悲観したたつこは、神に、自分

の命を捨てる代わりに村人を助けてくれるよう哀願する。そして、単身、

田沢湖に身を投げる。

 

  その後、田沢湖の水が溢れ出し、代官屋敷を押し流し、その激流の中で、

代官は死んでしまうという物語だ。 

  竜になったたつこは、その後、八郎潟(*下の写真)の八郎と恋仲に

なり、「二人」は、年に一度会うことになった。それが竜神踊りとなって、

後世に伝えられたという。

             Photo_2


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  このストーリーを、「たつこ」役ののぞみ、彼女の「母親」役の愛ちゃん、

「神様」役のジュン君、そして「悪代官」役のワタルと、それぞれが、懸命

に演じた。 

  無論、先生方が黒衣として、彼らの台詞を補助された。だが、ワタルな

どは、殆ど覚えていて、なかなか憎々しい悪代官役を好演していた。 

  確かにワタルは、この劇の要だった。剣を振り回して村人を脅しつける

ところや激流に流されるところなどは、たいへんサマになっていた。

 

  みんなの写真を撮ることに専念していた私は、劇そのものに、それほど

感情移入をすることはできなかったが、入水したたつこを母親が探し回る

場面や、たつこがもはや人間に戻れないことを母親に告げる場面などは、

なかなかの圧巻だった。 

  生徒と先生が一丸となった、実にいい劇だった。最後、赤と緑の竜の

神輿を、みんなで担ぎ廻り、フィナーレとなった。みんなの顔が、それぞれ

に輝いていた。



 

   親が死んでも平気?




  二月十八日、男子更衣室に入ると、翔太が、ランニングシャツを前後

反対に着ている。本田先生が、「あれ、翔太、シャツが反対だよ」と仰る。 

  翔太が脱ぎ始める。すると、でっぷりした大きなお腹が、顔をのぞかせる。 

「おい、翔太、布袋様のお腹みたいだな」とは、側にいた堀部先生の言。 

確かに、それは中年のお腹だった。

           Photo_4



  室内のいつもの場所で、仁(ひとし)が、ズボンを脱いだまま立ちつくして

いる。加藤先生の顔が見えない。ひとしは、先生を待っている風情で、

アンダーシャツとブリーフの恰好で、立ち続けたままである。 

  彼は、外の景色に見とれている。しばらくして、加藤先生が入室なさり、

その指示と共に、ひとしは、着替えを済ませた。 

  室内では、先日、晴男とひとしが、それぞれ間違って相手のズボンを履

き、下校したことが、話題になった。色々なことがあるものだと思った。

 

  しばらくして、A組の教室に入ると、加藤先生が、鉢植えのパンジーに、

水をかけておられた。室内の清水ワタル君に目を止められた先生、曰く。 

   「清水君、パンジーに、水やってくれる?」と。 

すると、清水君が言う。「いや! そんなために学校に来たんじゃねぇ。

このメロメロジジイー」と、かなり興奮気味に答える。 

  これに対して、加藤先生、「花、綺麗だと思わない?」と冷静に対応な

さる。 「思わねぇ。汚れるし、きたねぇー」と、ワタル。 

  「卒業するまでに、一回ぐらいやってほしいなぁ」と、加藤先生。 

それに対して、ワタルは、すげなく言い放った、「いや!」と。


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  この後、C組に行き、陽介の相手をしていると、土屋先生が、しみじみと

仰る。 

 「この子たちの行動基準は、『快』か『不快』かなんだよね」と。そして、

続けられる。 

  「それが、十五歳頃までに、固定化するわけ。それに、この子たちには、

自分の世界しかないから、他者を認識できない。今のわれわれだって、

そんなことがあるけどね。 

  例えば、三歳以下の知能程度しかない脳性マヒ自閉症児の場合、親が

死んでも、平気なわけ。第一、その『現実』を認識できないんだもの」と。 

  正直言って、この言葉は、ショックだった。それまで(あるいは、今でも)、

「親の死を悲しむのは、人間の当然の心情」と考えていた私は、そういっ

た場面に遭遇した知的障害児の“現実”にまで、思い至らなかった。

 

  しかし、「親が死んでも平気(「認識できない」という意味で)」という現実

は、知的障害児の場合、決して誇張ではないようだ。 

  日頃、“天使のようだ”と思っている知的障害児たちの「深層」を垣間見

る思いだった。                             【つづく】                                     

 

 

2014年10月21日 (火)

『内気な天使たち』(32)

  思春期のアキラ  ?


今朝(一月二十一日)、昇降口に降りていくと、すでにジュン君が、

靴箱の間にある椅子に腰を下ろしていた。 

  彼は、いつものように、「アセ、カキマシタ」と言う。帽子を横っちょに被り、

ニコニコしている。このジュン君の笑顔は最高だ。 

 「後から行くから、先に行っててね」と言うと、ジュン君は、「ハイ!」と言っ

て、左足を引き摺りながら歩き始めた。



  山田先生と一緒に更衣室まで行こうとすると、誰かが、何と更衣室前の

廊下で、パンツ一枚になり、着替えをしている。 

  初め、遠目に誰か分からなかったが、少しずつ近づいてみると、一年生

の山下太郎(仮名)である。 

  太郎は、「ヒラヒラヒッヒ、ヒー」と意味不明な言葉を発しながら、裸の

まま、更衣室に駆け込んだ。

 

  部屋の中では、五人ほどの生徒が着替えていた。そこには、先生の姿

がなかった。 

 太郎はきっと、みんなに遠慮したか、気後れして出ていたのかと思った

が、その理由は、結局分からなかった。 

  間もなく、先生方や生徒たちが入ってきて、更衣室も生徒で一杯になっ

た。ユウジ(仮名)が、ニヤニヤしながら「人間っていいな、人間っていい

な」と言う。 

  すかさず、加藤先生曰く。「そう、お前たち、疲れないから、いいよ」と。

その言葉に、私は、何気ないユーモアを感じた。



  A組の教室に入ると、アキラの連絡帳のことが話題になっていた。
 

昨日、お母さんは、次のように書かれた。「昨日は、摘み食いをしている

か、女性下着のカタログを見ているかして、忙しそうにしていました」と。 

 これに対して、担任の小山先生は、次のようにコメントされた。「下着の

カタログを見て、ニヤニヤしている明君が、目に浮かびます」と。 

  すると、今日のお母さんからの伝言には、次のようにあった。「昨日は、

少しイライラしていました。外人モデルがよいようです」と。 

  そのフランクな言葉のやり取りに、私は、思わず頬が緩んだ。アキラ

始め、みんな十五歳。―   やはり、年頃なのだ。思春期と言ってもよい。

 

  そういえば、中学部合同のマラソン練習の時にも、準備運動の際、

アキラはよく、一年生の藤山清美ちゃん(仮名)の側へ行き、そこから

動こうとしなかったことがある。 

  先生方の間でも、「アキラは、清美みたいな小柄な女の子が好みだ」など

と話題になった。



  ある時は、やはり同じ体育の時間、石橋女教諭の間際で、ニヤニヤして

いたことがあった。 

  その時は、石橋先生に、「エッチ、しないの!」と言われた。「他の女の

人にしたら駄目だからね」と、先生から、釘を刺されていたこともあった。 

  アキラだけの問題ではなく、この時期の生徒たちにとって、決して軽い

ものではないように思われる。







  ケーキ屋さんになりたい





  今朝(一月二十三日)の冷え込みは厳しかった。朝から、小雨混じり

の天気である。 

今日は、ホカロンを腰に巻き、出勤だ。やはり、年は争えない。 

  昇降口で、スクールバスの到着を待つ間、何気なく小学部の靴箱に、

目がいった。 

 一年生だろうか、てつや、だいすけ、りょう、すすむ、まさしと、名前だけ

が平仮名で大書されている。 

  そして、ドラえもん、バイキンマン、りんご、バスなどの大きなワッペン

が貼ってある。自分の靴箱ということが、はっきりと分かるためでもあろう。


           Photo



           Photo_2



  一台目のバスがやって来た。こちらからも、思わずバスに手を振る。

すると、愛ちゃんが、早速気づいてくれた。彼女の口許が微笑んでいる。 

  バスから、晴男が降りてきた。挨拶のゴッツンをやる。今朝のは、ちょっ

と強烈だ。今日は三回、晴男と抱擁し合い、ゴッツンをやった。 

  三回目には、彼は、「キッチュ」と言って軽く私の頬にキスをしてくれた。

男子のキスでも、やはり少し照れくさいものだ。

 

  ゆりとも、目が合う。思わず、彼女は、ニカーッと笑ってくれた。彼女の

手をとっておられた中村先生の言では、ゆりは最近、投薬の量が増えた

とのこと。 

  それで、癲癇発作の回数は減ったけれど、動作が緩慢になったとのこと。 

そういえば、最近、彼女の動きが少々鈍くなっていると感じたが、あれは、

薬のせいだったのか。毎日、多量の薬が必要な生徒たちを可哀想に思う。



  今日は、屋上でマラソン練習だ。愛ちゃんが近づいてきて、「ワタナベ 

センセイ」と言ってくれた。 

  それまでは、「メガネの先生」だったので、やっと覚えて貰えたと思った。

彼女に、「先生、一緒に走って」と求められた。 二人が走っている(厳密

には、歩いている)と、雨が少しバラツキ始めた。


                         Photo_3


  アキラがフェンスに手をあてながら歩いている。それを見た愛が

「アキラ、走れ!」と叱咤する。 

  私が「愛ちゃんは、いい先生になるね」と言うと、彼女は、「アタシは、

ケーキ屋さんになりたいの」と彼女。

 「いちごのケーキ(ショートケーキのことか)とチョコレート・ケーキ

好きなの」と彼女。 

       
             Photo_4

  「先生は、どんなケーキが好き?」と問うので、「チーズ・ケーキかな」

と言うと、「チーズは、家で食べるけど、余り好きじゃないの」と彼女。 

  好き嫌いが、たいへんはっきりしている。



  今日の作業の時間は、一年の太郎のことが話題になった。

彼の検尿(?)という話題である。 

  この頃、太郎はオシッコをする際、それを右手で掬って見ているという。 

それを聞いていた山田先生、「太郎は、そればかりか、道端に転がった

犬のフンを、お手玉みたいに遊んでいるんですから」と仰る。 

  「じゃ、太郎とは、握手なんか出来ないわね」と、石橋先生。 

子供たちの生態は、本当に不可思議で奥が深い(?)と思った【つづく】

 

 

 

 

 

2014年10月20日 (月)

『内気な天使たち』(31)

   第三章   天使たちの旅立ち 

 

    天国(T養護学校)での生活を終えて  

 

      ―  祈りと感謝  ― (三学期) 

 

     陽介君のこと

  
 今日(一月九日)は、昨夜来の大雪で、関東地方は、大童となった。 

私も、長靴を履き、厚手のコートを着込んで出勤した。学校に到着すると、 

事務室の方々や一部の先生方が、雪掻き作業をしておられた。スクール

バスが入れるようにとの配慮からである。


           Photo



  スクールバスを待つ間、小山先生が上手に雪を捏ねながら雪ダルマを
 

作られる。先生は、秋田のご出身と聞いている。そのせいか、雪の扱いが、 

ひじょうに手際よい。いつの間にか、大きな雪ダルマが二つも出来てしま

った(*下の写真は、イメージ)

             Photo_2

 
  さあ、スクールバスの到着だ。だが今朝は、愛ちゃんや晴男、それに

勇太の顔が見えない。二年A組は、全員欠席とのこと。総じて、半分ほど

の出席だった。 

  久し振りに会ったゆりが、私と目が合うと、ニカーッと笑ってくれた。

嬉しかった。

 

  今日は、C組の陽介の用便(小用)に付き添った。ズボンを脱がせ、

ンツの下のオムツのテープを外す。彼は、頭を左右に振りながら、

私の髪の毛を掴む。 

  定位置に立たせるまでが、ひと苦労だ。今日は、オシッコが出なかった。

オムツも濡れていないので、不思議に思ったが、それほど水を摂取して

いないのではないかと考えた。



  その後、彼が大きな方の用を足しているところを見かけた。トイレの前で、

土屋先生が、彼を待ちながら、何か書き物をしておられる。暫くの間、

先生と陽介のことで語り合った。 

  それによると、陽介は、昨年の二学期頃から、やっと自然とウンチが出る

ようになったとのことだ。それまでは、座薬を用いて、用便を促していたと

いう。 

  「ウンチが出るなんて、我々は、当たり前だと考えているけれど、そうじゃ

ない子もいるんだよね~」と、土屋先生が、感慨深げに仰る。

確かに、その通りだなぁと思った。 

  陽介は、先生にお尻を拭いてもらって気持ち良さそうだった。


 
  今日のマラソン練習では、みんなで廊下を走り廻った。私たちは、昔から

「廊下は、走らないもの」と教育されてきたので、廊下を走ることに、最初は

戸惑いもあったが、今では何とも言えない解放感と、それに伴う快感が

ある。

              

Photo_3


  今朝は、陽介の手をとって、早足に歩いた。彼も、上体を前に傾けながら、

懸命に走る(いや、歩く)。 

  私は、彼を見やりながら、これが、小六まで、車椅子で生活していた子だ

などとは思えなかった。 

  人間は、トレーニングや努力次第で、どのようにでも変わるものだと思

った。かつて、ウンチやオシッコも、ましてや歩くことさえできなかった子が、

今、そのすべてができるのだ。そのことに、私は、言い知れぬ感動と喜び

を感じていた。 

  外では、積もった雪に、太陽の光が当たり、一瞬キラリと光った。

 

 

   伊藤英樹





  今日(一月十四日)、晴れ時々曇りといった天気だった。先日来の残雪

が、まだところどころ氷雪している。 

  本校の昇降口前には、小山先生が作られた雪ダルマの頭部が転げ落

ち、胴体だけになっていた。

 

  スクールバスが着くと、勇太がカバンとコートを放り投げ、残雪の方へと

走り出した。 

 そして、彼の手ほどの氷を二つ両手に持って、遊び始める。暫く、その

ままにさせていた。 

 すると彼は、その氷を、本田先生のところまで持って行き、”ハイ、

プレゼント”といった仕草をする。 

  本田先生は、「はい、ありがとう」と言って、それを受け取られた。



  更衣室の中で、本田先生の大きな声が響く。「マモル、耳はどうしたの?

耳は?」と。マモルは、困惑した顔で、彼の左耳の補聴器を探し始めた。 

  だが、なかなか見つからない。彼は突然、自らの頬を殴るという自損

行為をし始めた。

          Photo_4

 

 本田先生は、彼の着替えを入れた風呂敷包みを開けさせた。すると、

衣類の間から、ポロリと補聴器がこぼれ落ちた。 

  「あったじゃないか」と本田先生。マモルは、フーッと口許を尖らせて、

それを左の耳に嵌め込んだ。



  今日は、避難訓練、廊下を走ってのマラソン練習、身体測定、それに

劇の練習と作業だった。 

  避難訓練では、生徒は全員、お母さん手作りの防空頭巾を被り、先生

方は、ヘルメットを被られる。 

  非常階段を使っての訓練だ。伊藤英樹が私の手を求め、一緒に行こう!

という素振りをする。彼と一緒に体育館に入ると、すでに小学部のみんな

が坐って待っていてくれた。

 

  身体測定では、マコトがまた、入室を怖がり始めた。だが、加藤先生の

「マコト!」というひと声で、彼はすごすごと入って行く。 

  膝が真っ直ぐに伸びない子や腰が定まらない子、それに顎を出して計測

できない子など、実に様々で、計測そのものがひと仕事である。 

  私は、ジュン君の着替えを手伝い、靴下を脱いだり履かせたりした。

 

  二学期に登校を拒否し、家庭内で荒れていたヒデキの顔を見れたのが

嬉しかった。 

 彼は、紙工作業の時間が始まると、決まって「ウンチ」と言って、私に

トイレへの同行をせがむ。 

  だが彼は、便座に腰をおろすと、なかなか出てこようとしない。そのため、

トイレの出入り口のところで、十分近く待つこともある。 

  それで、「ヒデキ、もう、い~いかい?」と、まるでかくれんぼでもしている

ような声を掛ける。ヒデキは、水の流れる音を聞くのが快感のようだ。



  作業が済んで後片づけの際、石橋先生の言いつけで、ヒデキがゴミ捨

てに行った。 

 その時、彼はまた“一緒に行こう!”と私の手を引いたが、私は、一人で

行かせることが必要と考え、あえて一緒に行かなかった。 

  ところが、彼が一向に帰って来ない。気になって迎えに行くと、彼は、

未だ行く途中の階段上で、じっと私を待っている風情だった。

私は、そのヒデキの姿にびっくりしてしまった。

 その後、彼と一緒にゴミを捨て、教室へと帰った。     【つづく】                      

 

 

 

 

 

2014年10月18日 (土)

『内気な天使たち』(30)

  オトコハ、ミンナ、オオカミ?

 

  今日は、十二月二十四日、クリスマス・イヴの日である。実は、この日

は、私の妹の誕生日でもある。彼女は、私の生まれ故郷・熊本で保母を

している(当時)が、三人の子の母親でもある。


          Photo_4

  その長男が、本校の生徒たちと同じ中学三年生(当時)で、来年、高校

受験を控えている。

  今朝、いつものようにスクールバスを待っていると、停車する前のバス

の中で、愛ちゃんが、私に気づいてくれた。 

  彼女は、バスから降りると、不自由な足で、私のところまで歩いて来た。

だが、何を思ったか、彼女は、私を無視して、昇降口に立っている本田

先生のところへ走って行った。 

 

  これを見た本田先生曰く。「それ、失礼だよ。さあ、この先生のお名前

は?」と、私の方を指して、彼女に問われた。 愛ちゃんが答える、「メガネ

の先生」と。彼女は、いつの間にか、私の名前を忘れてしまっていた。 

  すると、今度は、小学部時代、彼女の担任だった真田先生(仮名)が、

ご自分の方を指さして、彼女に問われる。「私は、誰?」と。 

 だが、彼女は、「えーと」と言ったきり、答えられない。すかさず、真田

先生が言われる。  「元担任の名前を忘れちゃ、駄目じゃないか」と。 

  それを、横で聞いていた加藤先生、曰く、「現担任(=加藤先生)の名前

を忘れるんだから、元担任の名前なんて」と。まさに、養護学校ならでは

の、一風景である。



  愛ちゃんの不自由な右手を支えながら、階段を昇ろうとすると、彼女が

言う。「オトコハ、ミンナ、オオカミダヨ!」と。

 私は、余りの唐突さに、思わず吹き出してしまった。 

  私の笑い声に気づかれた女教諭の石橋先生が、問われる。「どうしまし

たか?」と。私は、愛ちゃんが言った言葉を繰り返した。 

  すると、石橋先生は、口を顔全体にまで拡げ、笑い出された。

先生、曰く。「愛、そんなこと言ったら、渡邉先生、立ち直れないわよ」と。 

  すると、それを側で聞いておられた加藤先生が、続けられる。

「そう、渡邉先生は、オオカミだよ。知らなかったの?」と。

 愛の一言が、とんだ方向にまで発展してしまった。

 

  更衣室での手伝いを済ませて、B、C組合同の教室に入ると、そこで

は、「オトコは、オオカミナノカ、ドウカ?」という論争(?)が起こっていた。 

  愛ちゃん曰く。「うちのフミコサン(彼女のお母さん)が、ソウイッテタ」と。 

すると、加藤先生が、彼女に問う。「じゃ、愛。サンタさんは、オトコかオンナ

か?」と。愛が答える。「オトコ」と。

              Photo

  「じゃ、サンタさんもオオカミだね。お前、そのオオカミから、プレゼント貰

うわけ?」と、加藤先生が反論。愛は、窮した。 

  私は、何故か「援助交際」のことなどを想像しながら、二人のやり取りを

側で聞いていた。

 

  この深遠な(?)問題は、一日で結論の出る類いのものではない。だが、

生徒たちの発言は、時に極めて突飛である。だが、その突飛さゆえに、

ひじょうに楽しいものがあった。



 

  劇「たつこ姫」の練習





  今日(十二月二十四日)のA組の日直は、伊藤英樹だった。彼は、

二週間ほど、登校拒否をしていたが、この二、三日、学校に来ていた。 

  日直の彼は、「出席」を取りながら、みんなと軽く握手をする。小山

先生が、彼にみんなの名前を呼ぶように促される。彼は、小声で「アキラ、

マナブ、ムカイさん」と続けて、晴男の前まで来る。 

  すると、晴男は何を思ったか、自分から「ハ・ル・オ」と答えた。小山

先生が、「自分で言わない!」と、晴男を注意される。

 

  今日は、プレイ・ルームで、劇の練習だ。だが、「悪徳代官役」のワタル

の顔が見えない。すると、みんなが練習を始めようとしていた矢先、

ワタルが息咳きって部屋に入って来た。 

  彼は初め、ちょっとバツの悪そうな顔をしていたが、田中先生から、

手作りの刀を受け取ると、思わず嬉しそうな顔に変わった。

  劇の舞台は、田沢湖。―  時代は、江戸時代である。彼らの修学旅行

の話から始まり、急に江戸時代にタイムスリップするような設定である。 

  その間、「風になりたい」という歌が流され、雰囲気を盛り上げる。



  物語は、名主の家から始まる。そこには、機織り機が置かれ、お母さん

役の愛ちゃんが機を織っている。 

  だが、なかなか思うように機が織れない。そこで、機織りの上手な娘の 

たつこが呼ばれる。たつこは、のぞみが扮する。 

  彼女には、「ハーイ」という台詞だけが必要なのだが、この言葉が、なか

なか出て来ない。だが、発表日の二月八日までは、まだ間があるので、

だんだん慣れていけばよいと思う。


             Photo_2


 台詞をしっかりと言えそうなのは、ワタルと愛ちゃんとジュン君ぐらい

だろうか。だが、面白い味を出していたのは、「たつこの父親役」の晴男

である。 

  彼は、監督の土屋先生の指示に従い、極めて素直に口真似をする。 

たつこの機織りの腕前を褒める時の「上手だね」という言葉や「たつこ!」

と絶叫するところ、それに「ええっ!」と驚くところなど、なかなかのもので

ある。

 

  土屋先生が「チカレタビー」という台詞を覚えさせようとした時、彼は

ただ「ビー」と言ったまでだったが、その他は、ひじょうに従順に土屋先生

の指示に従っていた。

  何よりの役者は、やはり悪代官役のワタルである。彼は、憎々しそうな

代官役を、実に見事にこなしている。彼は、扇の要のような存在だ。

 彼がこけると、多分この劇は成り立たないだろう。そのことを、ワタルも

よく心得ているので、熱心に参加している。


                          Photo_3


  今何をしているのか分かる生徒もいるが、その意味づけの出来ない

生徒が殆どである。だが私は、この劇は、きっと成功するだろうという

確信を抱いた。 

  それは、先生方の指導の確かさと、それに対する生徒たちの、何かを

やろうとする目の輝きを感じたからである。          【つづく】                     

 

 

 

 

 

2014年10月17日 (金)

『内気な天使たち』(29)

    ゆりの変化

  今日(十二月十二日)は、久し振りの青空だった。家の部屋から見た

富士山の白銀が、朝日に紅く映えていた。今朝も、学校への道を急いだ。

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  スクールバスを待っていると、マナブやアキラが、喜び勇んで降りて来た。

「お早う!」と声を掛けると、マナブが走りながら、ちょこんとお辞儀をして

くれた。 

  二年生のツヨシも、百キロの巨体を軽く傾け、「オハヨーゴザマス」と言っ

てくれる。彼の挨拶は、たいへん気持ちがいい。 

  ジュン君も、「アセ、カキマシタ」と言って、ニコニコしている。着替えをす

ると、確かに彼の肌着は、びっしょり濡れている。それで、それを、部屋に

渡した針金に掛けることになる。



  今朝は、晴男の行為が、とても印象的だった。彼は、バスから降りると、

私に向かって、右手で”オイデ、オイデ”をするのである。私は、彼の単な

る仲間というより、どうも弟分らしい? 

  彼は、私を抱擁しながら、”ヨシ、ヨシ"といった感じで、私の背中を軽く

ポンポンと叩いてくれる。それは、まるで親が子供(それも、幼児)に対す

る仕草なのだ。どうも、私は、晴男の"父性本能(?)”をくすぐるみたいだ。

 

  確かに、晴男は心優しい男の子だ。今日、体育館で荒馬の練習があっ

たが、井田先生が説明をなさっている間、晴男は、陽介のよだれ掛けを

手に持って、陽介のよだれを拭く仕草をした。 

  陽介は、それを意識することなく、頭を前後左右に振りながら、体を動か

していたが、晴男には、陽介がまるで弟か赤ちゃんのように見えるのかも

知れない。



  本校では、日々新しい発見がある。今日の紙工作業で、久し振りにゆり

の相手をした。彼女は、ミキサーのスイッチも押せない程に非力なのだが、

今日初めて、自分の力で、スイッチを押すことができた。また消すこともで

きた。 

  半年以上、そのような事が出来なかったので、半ば諦めかけていた私は、

本当にびっくりした。 

  中三の女生徒が、ミキサーのスイッチぐらい押せないなんて考えられな

い、と思われるかも知れない。ゆりと会う前は、私もそのように考えていた。

だが、知的障害児の中には、そういう生徒が実際に居るのである。

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  だが、今日のユリは、少し違っていた。何となく力(エネルギー)が漲って

いる感じなのだ。スイッチを点けたり消したりするだけでなく、水を張った

ミキサーを運ぶ時も、私の介添えなしで、彼女一人で出来た。私は、それ

を見ながら、心なしか感動していた。 

  普段、何気なくできる行為や行動が容易にできない時がある。そういっ

た時、何かができるというのは、たいへんな驚きとなる。 

  今日のゆりは、それを私に教えてくれた。ゆりの変化は、私の知的障害

児に対する認識の変化を促した。








  陽介君のお世話





  今日(十二月十九日)は、自分の着替えを済ませ、廊下を歩いていると、

偶然、日野先生とお会いした。お互いに、「お早うございます」と挨拶を

する。 

  すると、日野先生が、微笑みを浮かべながら、「もう、梅の花が咲いてい

るんですよ」と仰る。「えぇっ! 梅の花がですか?」と私。


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  「そうなんですよ。早いですね。教室が温かいせいでしょうかね」と

日野先生。 

 「先生、たまには、私たちの教室にも、お茶を飲みにいらして下さい」と、

優しく言い添えて下さった。突然、心が明るく、そして温かくなった。



  今日は、土屋先生が、朝一時間遅れのご出勤だったので、初めて

陽介のお世話をした。 

  着替えの際、腰がなかなか定まらないので、脱がせ難い。彼は、頭を

前後左右に振りながら、特製の靴をギシギシと軋ませている。どうやら

こうやら、着替えを済ませると、今度は、トイレでオシッコの番だ。 

  便器の前に彼を立たせ、ファスナーを下ろす。中は、紙製のオムつで

ある。テープを外して、用を足させようと試みる。だが、なかなか出て来

ない。 

  暫くして、少しずつ出てきた。妙に嬉しい気がした。少し方角がずれた

ので、彼の身体を正面に向き直した。 

  そして、彼の大切なものに少し手を触れると、大量のオシッコが急に

溢れ出し、私の手の甲にかかってしまった。


 
  後で、水で流せばよいと考え、そのまま、彼の小用を見守った。オムツ

が、かなり濡れていたので、スクールバスの中でやったのかも知れない。 

  古いオムツを外し、新しいものと取り替えた。だが、私は育児の体験も

なく、オムツ替えなどしたこともなかったので、どちらが前やら後ろやら分

からなかった。 

  後で土屋先生に聞いたところでは、学校内では、オムツ無しでいいと

のこと。普通のパンツに着替えるとのことだった。確かに、その方が、

はるかに気持ちいいと思った。



  私は、土屋先生から、陽介は小学部時代、ずっと車椅子だったことを

聞いて、驚いた。彼は、あのように歩けるようになったのだ。車椅子の

頃は、オシッコが前に飛ばなかったという。腹圧がないためらしい。 

  男の子で、そのようなことがあるなどとは、夢にも思わなかった。

陽介は、体を「く」の字にして歩き、用便する。この行為は、決して彼の

退行現象ではなく、むしろ前進した行為であり、活動だったのだ。

  私は、いつの間にか、人間の健康や健全な身体は当たり前だと考え

ていた。だが、決してそうではなかったのだ。 

  世の中には、むしろそうでない人の方が多く、それぞれの人々が、

色々なハンディに耐えながら、雄々しく生き抜いているのだ。 

  本校の生徒たちも、きっとそうなのだ。頭を振り続ける陽介の世話を

しながら、私は、そんな事を考えていた           【つづく】  

 

 

 

 

 

2014年10月16日 (木)

『内気な天使たち』(28)

  学(マナブ)の異変



  十一月二十八日、A公園の銀杏並木の下を通り過ぎる時、私は思わず、

青空に映える黄葉の美しさに見とれてしまった。黄葉って、何て美しいの

だろう!

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  私は、男子更衣室で、ジュン君の介助を済ませ、ゆりを女子更衣室の前

まで連れて行った後、C組に行き、陽介の相手をした。 

  彼が教室の床に、まるでダルマさんのように座り込んでいたので、私も

座った。 

 すると、側にいた愛ちゃんが、座っている私の肩に手をやり、ひっくり返す

ような素振りをする。それで、わざとひっくり返る仕草をすると、彼女は、

キャッ、キャッと言って喜んだ。 

 私自身、教室の床で寝転ぶなどという行為は、まったく初めての体験だ

った。それは、妙に気持ちのよいものだった。

            
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  屋上でのマラソン練習の際、私は、愛ちゃんの手をとって走った(実際に

は、歩いた)。三年生だけでなく、時間差を設けて、一、二年生も一緒に

走る。 

  本田先生が、歩いている愛を見て、「愛は、歩いているんだもんな」と

仰る。「アタシ、走るのヤダもん」と愛。「生意気な小娘!」と、本田先生が

返す。 

  それを聞いた彼女、「牛、豚!」と、苛烈な人身攻撃(?) 

だが、本田先生も馴れたもので、笑いながら、彼女の元を離れられた。 

  「愛ちゃん、本田先生に、どうしてあんなことを言うの?」と問うと、

「だって、太っているんだもん」と、あっさりと答える。私は、二の句がつげ

なかった。



  今日の集会は、荒馬踊りの練習である。太鼓が三つ並んでいる。伊藤

英樹がいなかったので、江藤先生が見事なばちさばきを披露。中原先生

のピアノも、たいへん素晴らしい。とても難しい曲を見事に演奏なさる。 

  井田先生が前に出て、パート練習の説明をされる。ロープを持つ生徒と

馬になる生徒の二つに分かれて、跳ねたり走ったりした。 

  先生の説明の前、のぞみが両手を挙げて、「キャトウチェンチェイ!」

コールをする。加藤先生は、「場所を弁えて」と、静かに注意される。

                       (*下の写真は、イメージ)

         

Photo_4

  

 生徒が二つに分かれた時である。何を思ったか、馬に扮したマナブが、

ロープを持つ沢口友也の右肩を噛んだ。

  それに気づかれた加藤先生が、とっさにマナブを離し、彼の顔を押さえ

つけられる。 

 「今日のマナブは変なんだ。さっきも、太鼓を運ぶ時、イヤダ!と言って、

私を噛んだんだよ」と加藤先生。 

  確かに、今日のマナブは落ち着きが無く、いくぶん目の色が違っていた。

家で何かあったのだろうか?

 

  学校内のスイッチを消して廻り、ある時、コンピューターの作動に支障を

きたしてしまったマナブではあったが、普段は大人しい生徒である。 

  その突然の異変は、何が原因なのだろうか? 障害児教育の難しさを

垣間見る思いだった。

 

 

 歓び 

 

  今日(十二月五日)、私は、いつものようにスクールバスの到着を待つ

ために昇降口の前に立った。 

  すると丁度、小学四年生の竹内よしえちゃん(仮名)が、おじい様と

一緒に通用門の扉を開けたところだった。 

  彼女は、おぼつかない足取りで、ニコニコしながら、こちらに突進して

くる。そこには、まだ私一人しかいなかったので、私は、彼女を受け止め、

抱きかかえるかたちとなった。 

  彼女は、私の名前さえ知らないだろうに、嬉々として甘えてくれる。

私には、その無垢な精神が、とてもいとおしく感じられた。

  着替え室に行くと、すでにジュン君が、上着を脱ごうとしているところだ

った。私は、「ああー、ジュン君、遅れてゴメン!」と言いながら、部屋に

入った。 

  彼は、ニコニコしながら立っている。彼の着替えを済ませた頃、やはり

着替えを終えた晴男が、手を広げて、私のところに近づいて来る。

 例のゴッツンの挨拶である。抱擁し合うと、晴男は、右手でポンポンと

私の背中を叩いてくれる。自分が、いつもそうされているのだろうか。

 

  時には、私の頭を“いい子、いい子”とばかりに、軽く撫ぜてくれる。

どちらが生徒か先生か分からなくなる時がある。まるで「メダカの学校」だ。

  今日、晴男は、別れ際に、私の頬に軽くキスをしてくれた、頬とはいえ、

私は、男の子からキスされたのは、生まれて初めてだった。余程、ショック

だったのか、それとも嬉しかったのだろうか、その数日後、私は、晴男の

夢を見ることになる。



  A組の教室に入ると、小山先生が、キザラか何かの砂糖を瓶に詰めて

おられた。先生が、明に「アキラ、この瓶に、”さとう(砂糖)”って、ラベルを

書いて!」と仰ると、明は、熱心にラベルに字を書いている。 

  だが、そこには、”さとう”ではなく、”あきら”と書いてあった。小山先生

も笑いながら曰く、「アレ、アキラ、”さとう”じゃなくて、これは、”あきら”じゃ

ないか。でも、まあこれでいいか」と。


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  今日のA組の日直はジュン君だった。彼は、田中先生のご指導で、みん

なの出席をとる。

  みんなの点呼が済んだところで、田中先生が私の方を指差して、「では、

そこに立っている先生は、何先生?」と、ジュン君に尋ねられた。

  ちょっと間があったが、ジュン君は答えた、「ワタナベチェンチェイ」と。

私は、ジュン君に名前を覚えて貰っていないと思ったので、この時の

ジュン君の答えは、たいへん嬉しかった。

 

  今日は『荒馬』の練習の前に、屋上で、十分ほど走った。後で気づいた

のだが、早目に到着していたB組の愛ちゃんが、入口の前で、ずっと私を

待ってくれていたとのことだった。その日は、風も冷たく、その寒気の中で、

彼女は立ちつくしていたという。 

  私は、晴男やジュン君、それに愛ちゃんのくれる”歓び”の中に居る

自分を感じていた。                       【つづく】                                      

 

 

 

 

2014年10月14日 (火)

『内気な天使たち』(27)

  荒馬踊りの練習

 

  今日(十一月二十一日)は、マラソン大会も無事終了し、一段落ついた日

となった。 

 昨夜以来の雨で、黄葉した葉が落ち、それぞれ重なりながら雨露に濡れ

ていた。しっとりとした一日である。

 だが、本校での生活は活気に満ちたものだった。

 

  今日は、集会と作業である。先ず、屋上に集合し、準備体操をする。そし

て、十分間の駆け足。今朝は、愛ちゃんの顔が見えない。具合が悪くて、

保健室で休んでいるとのこと。そう言えば、今朝出会った時、いつになく

元気がなかった。



  一通り走り、整理運動をして、体育館に集合する。今日の集会は、荒馬

踊りの練習である。映写機がセットされ、和太鼓が三つ並んでいた。

           
             Photo_2


  三学年が揃ったところで、みんなで「まっかな秋」を歌うことになった。

江藤女教諭が前に出られ、「では、みんなで歌いましょうね」と、優しく声

を掛けられる。 

  その瞬間、機材のセットを済ませた土屋先生が、冗談で「あ!、まっか

なお尻か」と仰る。江藤先生がずっこけながら、「あー、溜め息が出そう

と返される。  そのやり取りが、何となく微笑ましい。



            Photo_3



  歌が済んだ後、井田先生の指導で、青森県の民舞『荒馬』の説明がな

される。 

 この発表は、お隣りの都立T高校から依頼されたとのことだ。今日は、

そのための練習である。 

  先ず、ビデオを視て、その後、パート練習である。和太鼓を叩くのは、

天才的なドラマー、中山勇太と、二年生の山本道子ちゃん、それに、

三年生の伊藤英樹である。 

  江藤先生と土屋先生が、太鼓の指導をなさる。ドン、ドン、ドン、ドドツク、

ドン、ドン。軽快かつ豪壮な音が、体育館内にこだます。     

  今日は、馬が跳ねて踊る前の、イントロの練習である。生徒の半分が

選ばれ、大きな紐を持ち、「ラッセー、ラッセー、ラッセーセー」と跳ねる

練習をする。 (*下の写真は、イメージ)


           Photo_4


  右足を前に出して跳ねるシンプルな動きなのだが、できる子、じっとし

ている子など、様々である。ゆりやすみこは、棒立ちの状態だ。 

  私は、青森県のねぶたやねぷたを思い出した。それに、太鼓の音は、

やはりいつ聞いてもいい。私は、この音が大好きだ。 

  すでに夏祭りは過ぎたけれど、“祭りの楽しさって、こんなものかな”と

思いつつ、みんなと一緒に跳ねていた。 

  こんな思いがけない楽しさに浸れるのも、本校やみんなのお蔭である。

  

 

 

   突然の雨





  今日(十一月二十六日)は、朝から曇り空、時折、小雨がパラついて

いた。今朝は、事務室で本山先生とお話をする機会があった。

  先生のお孫さん(初孫)の話を、興味深く聴いた。立花さんが、中国の

健康茶を入れて下さった。熱いけれど、なかなか美味しい。

 

  スクールバスでの一番乗りは、マナブだった。彼は、言葉は殆ど出ない

けれど、深々とお辞儀をしてくれた。次に、愛ちゃんであるが、彼女は、

何を思ったか、突然、本田先生の鼻を、指で押し上げ始めた。 

  本田先生、曰く。「オイ、何これ? 三歩下がって、師の影を踏まず、

と言うぞ」と仰る。

 愛ちゃんは、唯、キャッ、キャッと笑ってばかりである。T養護は、

まさにハプニングの連続である。



  今日のマラソン練習の相手は、翔太だった。小山先生の「ヨーイ、

ドン!」の合図と共に、全員が一斉にスタートする。 

  最初の頃は、翔太も、少しは走ってくれた。だが、一周目も後半になると、 

「アー、クルス(苦しい)」と言って、私の手を握ったり、肩に手をかけたりし

て、歩き始める。その姿は、まさに二人三脚である。 

  私がどれ程「オイチ、ニー、サン、シー」と言って走ろうと促しても、彼は、

「アー、クルス、アー、クルス」と言ったりして、全く歩く体勢である。そのう

ち、「スース(ジュース)、ビール、ピーチ、カッテコイ(買って来い)」と言い

ながら、歩き始める。

 

  二周目を廻り始めた頃、雨がパラパラと降り始めた。それを四分の三、

走ったところで、雨が本降りとなった。翔太や私たちだけでなく、みんな

がびしょ濡れである。日野先生が、「翔太、頑張れ!  これが最後だか

らね」と仰る。

  そうこうするうちに、小山先生が逆回りに走ってこられ、「このまま、

ゴールして下さい」と、連絡して下さった。

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   三周の予定を二周で切り上げると、タイムは、22分14秒だった。決し

て悪い数字ではない、と思った。 

  唯、今日の突然の雨、このまま走り続けるのは酷である。先に着いた

仲間たちは、大きな欅の木の下で、休息をとっていた。私たちもゴール

した後、その木陰に身を潜めた。




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  私は、手持ちのタオルで翔太の濡れた髪を拭いた。翔太は、されるま

まにしてくれた。その後は、晴男、ジュン君、軽部君と、目についた生徒

の濡れた頭を拭いて上げた。 

  今日のように、びっしょりと濡れたのは、私にとって初めてのことだった。

生徒たちが風邪を引かなければよいが、と思った。 

  学校に戻る頃には、だいぶ小降りになり、殆ど雨も上がっていた。いつ

ものマラソン練習であっても、屋外でのことなので、様々な天気に見舞わ

れる。 

  でも、こういった突然の雨といった体験も、意義深いものである。

それに、雨の中、生徒たちに決して無理をさせない本校の教育方針に、

何か“温かいもの”を感じた。                   【つづく】



 

 

 

 

 

 

 

2014年10月13日 (月)

『内気な天使たち』(26)

  『トマトが咲いた』




  十一月十五日(土)、私は、T養護学校の体育館で、山田火砂子さん

(下の写真)作のアニメ映画『エンジェルがとんだ日』を観た。『トマトが咲

いた』は、この映画の原作とも言える作品である。


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  山田火砂子さんは、映画『太陽の詩』、『はだしのゲン』、『春男の翔んだ

空』、『裸の大将放浪記』などの名作を、ご主人の典吾氏と一緒に手掛けて

こられた映画人(プロデューサー)だ。 

  彼女の長女、みきさんは、重度の知的障害児として誕生する。今から

三四年前のことだ。彼女は現在、中野の愛成学園(女子だけの養護施設

:最近は、「メープル・ガーデン」と改称)にいらっしゃる。



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  『トマトが咲いた』は、山田さんの、愛娘みきちゃんとの涙ぐましい奮戦記

である。 

  アニメの内容も、ユーモアとペーソスに満ちた、たいへん感動的なものだ

った。市原悦子さんのナレーションと母親役も、とても素晴らしかった。 

  みきちゃんは一歳半頃、慶大の精神科で「知恵遅れ」の診断を受ける。 

山田さんは、みきちゃんを憐れに思い、入水自殺を計るが失敗。

  彼女のために逞しく生きていこうと決心する。このシーンを観て、私は、

目頭が熱くなった。

 

  みきちゃんが初めて口にした言葉は、保育園で覚えた「てんてい、タヨウ

ナラ(先生、さようなら)」だった。 

  或る日、みきちゃんは、「花が咲く」という言葉を習ったのだろう。それで、

すべての植物は「咲く」と考えて、テレビを観ながら「トマトが咲いてるよ」

と言ったのだ。 

  その他、彼女は「ボートが泳いでいる」とも言った。そこには、学校や普

通の世界とは異なる「純な精神世界」が広がっている。



  すでに書いたことだが、私は、中三の愛ちゃんと公園を一緒に歩いてい

た時、彼女が「あっ、あそこにオトコとオンナがいる」と言うので目をやると、

それは、鳩の番いだったことがあるのを思い出した。 

  また、「川(かわ)」という言葉を覚えたての妻の甥が、三歳頃、コップの

水さえも、「川、川」と言っていたのを聞いた。

 

  今の学校教育は、「競争」によって成り立っている。でも、競争からは、

決して愛は生まれない。 

  「障害児」と言われ、差別や偏見の目で見られる生徒たちの中には、

排他的な競争心はない。”すべて、みんなと一緒に”の世界である。 

  勿論、障害児とひと言で言っても、個性や資質、それに能力は異なる。

だが、彼らに共通して言えることは、純な「愛の心」を持っていることだ。 

  その意味で、彼らは、我々に「愛」を伝える天使なのではないだろうか。

山田さんのお話を聞きながら、私は、ふと「T養護の天使たち」のことを

思い出していた。

 

 

  マラソン大会
 

 

  今日(十一月十九日)は、マラソン大会である。黄色く色づいた銀杏の

葉が、青空によく映えている。空気は、少しひんやりとしている。みんな、

ジャージの格好で登校した。 

  九時三十五分までに、通用門前の桜の木の下に集合である。今日は、

A組の、あののぞみが、珍しいことに、私の手を求めてきた。 

  手を繋いだままの状態で、A公園の向かい側を歩いていると、のぞみは、

加藤先生に冷やかされてしまった。 

  「アレ、のぞみ、おまえ、渡邉先生と、いつから、そんな関係になっちゃっ

たの?」と。― 

 のぞみは、その言葉を聞くでもなく、唯、頭を軽く左右に振りながら

歩いた。


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  のぞみの受難(?)は続く。出発前、みんなでくつろいでいると、

女教諭の石橋先生がのぞみに向かって、「のぞみ、ワ・タ・ナ・ベ・セン

セイって、言ってごらん」と仰る。

  ところが、のぞみの口をついて出て来た言葉は、「カトウチェンチェイ」

である。 

 「カトウセンセイじゃないの、ワ・タ・ナ・べ・センセイ!」と石橋先生。 

  だが、二度目の言葉も「カトウチェンチェイ」だった。「あら、トーン(語調)

を変えてる」という石橋先生の言葉が、周囲の笑いを誘った。 

  のぞみは、三回目にやっと、「ワタナベチェンチェイ」と、囁いてくれた。

”有難う”という思いだった。

  今日のマラソンは、二年生の翔太の伴走である。校長先生がピストル

で、出発の合図をなさると、翔太は耳を塞いだ。彼は、ピストルの音が、

大の苦手である。 

  「ヨーイ、ドン!」、一斉にみんなが飛び出した。翔太は、すでに歩く態勢

である。他のみんなが、だんだんと先を走って行く。 

  手を組んで走ろうとするが、翔太は、なかなか前に進まない。裕治以上

の重たさだ。汗が少しずつ滲み出てくる。

 

  そのうち、翔太は「スース、カテコイ」と言う。多分、「ジュース、買って

来い!」と言っているのである。 

  彼は、「スース、コラ、カヒ、ティー」と続ける。これは、ジュース、コーラ、

コーヒー、紅茶の意味だと思う。 

  そして、翔太は、路肩に積もった木の葉を掻き集め、それをばらまき

ながら、木の葉に向かって「バーカ!」と言う。たいへんなマラソン大会で

ある。



  ところが、三周目だったろうか。途中、バキュームで枯れ葉の清掃なさ

っている所に近づくと、翔太は、その大きな音に恐れをなし、急に走り出

した。 

  いつかの、ハトが嫌いで逃げ出したのと同じである。その軽快な足取り

は、それまでの翔太には、想像だに出来なかった。私も、思わず彼と

一緒に走っていた。 

  二人して、ゴールまで走り込む。時間は、三周、37分38秒。決して早い

速度ではないが、先回の41分の最低記録は更新した。無事、全員が

完走し、整理運動の後、公園を後にした。          【つづく】                                 

 

 

 

 

 

2014年10月11日 (土)

『内気な天使たち』(25)

  裕治君とのマラソン練習

 今日(十一月十二日)も、みんなのスクールバスを待った。バスの入り口

のところで、愛ちゃんの顔が見える。私は、彼女を出迎えにバスに近づい

た。 

  降りて来た彼女が言う。「アレ、田中先生は?」と。 

私は答えた、「今日は、田中先生はお休みだよ」と。 

 愛ちゃんが言う。「そうか・・・」と。彼女は、心なしか淋しそうだった。

今日、田中先生と、何か約束でもあったのだろうか? 淋しげな彼女の

後姿を見ながら、少し可哀想な気がした。



  ジュン君の着替えの手伝いを済ませた私は、例の「のぞみ」に見つから

ないように、A組に入り、教室の後方に立っていた。 

  今日の日直は、清水君である。彼は、前に出ると、「はい、起立! 気を

付け!礼!」と、たいへん堂に入っている。 

  彼は、「出席をとります」と言いながら、彼はみんなと握手して廻った。

私は、その手際の良さに心から感心した。 

  “この子と普通児との間に、一体どんな違いがあるのだろうか?”と、

内心考え込んでしまった。

 

  今日のマラソン練習は、二年生の内田裕治君と沢口友也君の伴走で

ある。ユウヤは、どうにか自分で走れるが、裕治は、走ることが苦手な

ようだ。それで、今日は、裕治の伴走である。 

  彼は、不思議な感じの子だ。肥満体で、時折、独り言を言っている。

それも、軽妙な落語家のような口ぶりなので、興味を覚えながら耳を傾け

るが、言葉自体に意味は感じられない。



       
         Photo



  その日も、スタート後、彼がしきりに話しかけてくる。「サンシュウ、サン

シュウ?」と問うので、「そう、三周。今日、裕治は三周走るんだよ」と答え

る。 

  まもなくすると、「エースコックのソース焼きそば!」などと聞き取れる

言葉を発する。 

  そのうちに、段々と独り言の世界に入って行き、全く理解不能な言葉を

発するようになる。



  一周目、二周目とどうにか一緒に走れたが、二周目の後半にきて、

ガクンとペースが落ちた。彼は歩き、私は走るような格好になるので、

どうしても彼を引っ張るような形となる。 

  「オイチ、ニー! オイチ、ニー!」と声を上げて走ろうとするが、彼は

思うようについてきてくれない。まるで、イヤイヤをする子牛か何かを引っ

張るような形となる。 

  あるいは、浜辺で大きなタイヤを引っ張るトレーニングをしているような

感じになる。急に汗が流れ出し、私の息遣いも荒くなる。

 

  それで私は、彼と離れ、前方三十メートルの所をマイペースで走ること

にした。時々、足踏みをしながら、彼を待つ。 

  三周目、かなり離れたので、些か心配になり、私は後方に目をやった。

すると裕治が、二人の差、三十メートルを少しでも縮めようと、こちらへ

猛進してくるではないか。 

  「裕治、エライよ!」と言いながら、私は彼と手を繋ぎ、ゴールを目指して

走った。今日は、前半を走り込んだので、記録を更新できた。久し振りに

いい汗をかいた。

 

 

  ワタナベチェンチェイ 

 

  街のメイン・ストリートに並ぶ高い欅の木が、大分色づいている。今日は、

久し振りの雨である。 

  このところカラカラ天気だったので、これで草木もひと息つけたかも知れ

ない。学校に近づくと、加藤先生が自転車の上から、「お早うございます」

と声を掛けて下さった。私も、「お早うございます」と応えた。



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  更衣室で、ジュン君の着替えを手伝っていると、二年生の軽部君が、

どこで見つけたのか、節分の鬼の面を被って入って来た。 「軽部、節分は

まだ早い」と、加藤先生が一喝される。

 

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  そこへ土屋先生が、「いやー、参った、参った。陽介のオシッコ、二秒

遅れちゃって、手で受け止めちゃった。おむつのテープを外す音を聞いた

途端、やっちゃうんだもの。間に合わなかったよ」と、陽介を伴い入室され

た。陽介は、そんなことは知らないよといった感じで、頭を前後左右に振っ

ている。

 

  今日のA組の日直は、青山学である。彼は、教卓の前に立ち、思い切っ

両手を挙げる。これが、彼流の「起立!」である。 

  彼は声を出せないと思っていたが、かすかな声で、みんなの名前を呼ん

だ。いつも鏡に映った自分に向かってお辞儀をしているマナブが、今朝は、

みんなの中心にいる。 

  B組のマコトまで特別参加だ。今日の天気のところで、ワタルが「くもり

のち雨」と書いた。事実、その通りの天気となった。
 

 
  今日は、体重測定、卒業制作、そして作業だった。一年、二年と体重

測定が済み、三年生が保健室に行く。 

  すると、マコトがまた、保健室に入るのを嫌がりだした。「マコト、何をし

てる!今日は体重測定だから、大丈夫だ」と加藤先生。 

  マコトは、歯の検診が大の苦手なのだが、つい保健室への入室そのもの

恐れてしまう。 

  今日は、体脂肪の測定もあった。そのために体を固定させなければなら

ないのだが、なかなか固定できない。先生方が、それぞれに生徒を支え

て計測する形となった。体重測定も、それなりにたいへんな仕事だ。

 

  今日は、卒業製作で彫金をやった後、調理室で、みんなで焼イモを食べ

た。のぞみが、「キャトウチェンチェイ!」と言う。 

  それを聞いた加藤先生、「のぞみ、ワタナベセンセイって、言ってみろ! 

それができないと、おイモを食べさせないぞ」と仰る。

        Photo_4


  のぞみは一生懸命に「ワタナベ」と発音しようとするが、なかなか思うよ

うに言葉が出ない。 

  だが、最後に、私の方に向かって「ワタナベチェンチェイ」と言ってくれた。

その声は決して明瞭ではなかったけれど、私には、確かにそのように聞こ

えた。 

  今まで、多くの生徒や学生に、そう呼ばれたが、今までで一番嬉しい呼

び声だったように思う。 

  なぜなら、のぞみが懸命に発音を繰り返しながら呼んでくれた名前だっ

たからだ。無口だと思っていた天使たち、晴男、ゆり、仁(ひとし)、学、

のぞみ、それぞれが、それなりの「言葉」を持っていたのだ。 【つづく】                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年10月10日 (金)

『内気な天使たち』(24)

  女心と秋の空(?)

 

  今日(十一月七日)、昇降口前でスクールバスを待っていると、通用口

の所の小さな坂を登るジュン君の姿が見えた。私は、思わず手を振った。 

  すると、それに気づいたのか、彼も微笑みながら手を振ってくれた。

彼の挨拶言葉、それは、いつもの「汗、カイタ」である。



  更衣室では、加藤先生がマコトの着替えを見ておられる。マコトは、辺り

をキョロキョロしながら着替えている。加藤先生曰く。 

  「マコトは、今日も“指示待ち症候群”ですね。自分で、次に何をすべき

かは分かっているんです。でも、こちらが、それを命令しないと、まったく

やらない」と。 

  事実、加藤先生が、「マコト!」と強く仰ると、彼は、シャツのボタンに手を

かけて脱ぎ始めた。 

  今朝は、仁(ひとし)がご機嫌だった。兎のような歯を出して、何かしら

微笑んでいる。 

  私は、彼がこんなに笑っている表情を見たのは初めてだった。すでに、

半年以上が経つというのに、日々、新しい発見である。


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  どうにか着替えの介助を済ませ、A組みに入ると、今日は、のぞみの

様子がおかしい。 

  私の入室を認めると、頭を振り、髪を振り乱し始めた。そして、私の手を

取って、隣りの教室へと入った。 

  ”あなたは、A組にいないでほしい”という意思表示なのである。

 

  加藤先生が、「眼鏡をかけている渡邉先生を、他の人と異なるゆえに

拒否するだけかも知れませんね」と言って慰めて下さる。 

  廊下でうろうろしていた私を認められた石橋先生は、強くのぞみを一喝

された。 

 「のぞみ、渡邉先生は、あなたの先生なのよ。追い出したりなんかした

駄目だからね」と。のぞみも私も、些かパニックになってしまった。 

  土屋先生も、「拒否するということは、逆に先生を認めているということ

なんですよ。だから、状況が変われば、態度もきっと変わると思います」と、

極めて哲学的なお言葉を下さった。 

  妙に納得した気分でA組に入り直すと、ちょうど朝の会が始まるところ

だった。のぞみも、少し落ち着いた様子だ。上体を、心持ち前にして、座っ

ていた。

 

  今日の集会は、卒業製作で彫金である。私は、ゆりを手伝った。彼女

は、力が無いので、金槌をなかなか振り下ろせない。それで、私は、彼女

をサポートしながら、トンカントンカンとやっていた。*下の写真は、

イメージ)

            Photo_2


  われらの直ぐ側にA組ののぞみがいた。そして、何を思ったか、彼女は、

私の手を握り、“一緒にやってくれ”という素振りをする。

  ”あれ、のぞみは、先生が嫌いじゃなかったの?”と思いつつ、彼女と

一緒に金槌を振り下ろした。内心、不思議な思いだった。 

  まさに、〝女心と秋の空”である。外には、際限のない秋の青空が広

がっていた。

                       Photo_4


 

  

  交通安全指導

  

  今日は十一月五日、出勤途中に見たA公園の銀杏並木が、だいぶ

黄葉していた。 

 特に、日当たりのい樹々は、黄色く色づいている。早いもので、今年も

後二ヶ月足らずだ。


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  いつものように、昇降口で、スクールバスの到着を待つ。今朝は、B組

の愛ちゃんが、いつもより早く降りて来た。駆け寄って行くと、嬉しそうに

笑ってくれる。 

  二人で、昇降口まで行くと、ちょうどジュン君が登校したばかりだった。

彼は、椅子に腰をおろして靴を取り替えている。 

  私は、先週のマラソン練習の際、愛ちゃんが欠席したことで、ジュン君

が「つまんないや」と言ったことを思い出した。 

それで、そのことに触れると、ジュン君は、「そう! つまんなかった」と言う。 

 それに対して、愛ちゃんは、「先週は、風邪を引いていたんだもの」と弁解

していた。 

 二人は中三なのに、まるで、幼児の会話のようで、それが、とても微笑ま

しかった。



  更衣室でジュン君の着替えを済ませると、勇太が入ってきた。介添えを

すると、パンツがオシッコで濡れている。新しいパンツをはかせ、どうにか

着替えを終了した。 

 その後、C組の教室にいると、ゆりの担任の中村先生が、「渡邉先生、

聞いてて」と仰る。何事だろうと思っていると、先生は、ゆりの方を向いて

「源 ゆりさん」と言われる。 

  すると、ゆりがうつむき加減に、小声で「ハーイ」と答える。それは、

初めて耳にしたゆりの明瞭な声だった。か細い声ではあったが、確かに

聞こえた。 

  あの紙工室で耳にした天使の声(?)同様、半年目にやっと耳にした

ゆりの声だった。

 

  今日は、交通安全指導が、体育館内と運動場で行われた。体育館内

には、映写機がセットされ、みんなで「鉄腕アトムの交通安全指導」と

いうタイトルのアニメを観た。 

  道路への飛び出しをしないこと、信号機の無い横断歩道では、左右の

確認だけではなく、耳で車の音を聴き、来ていないことを確認した上で

横切ることなどを教わった。 

  運動場では、その実地練習である。中三の生徒から順々に、手を高く

挙げながら、特設の横断歩道を歩く。中には、横断歩道以外の所を歩き

出す生徒もいる。 

  架空のものとはいえ、「横断歩道」と認識することが、かなり困難な

ようだ。生徒たちは、多分、一体何をしているんだろう?という思いなの

かも知れない。 

  今日は、田中先生と小学部の福永先生(仮名)が、進行係を兼ねて

全体指導をなさった。それは、とても有益なひと時だった。 【つづく】               

 

 

 

 

2014年10月 9日 (木)

『内気な天使たち』(23)

  秋の日のマラソン練習

  今日(十月二十二日)は、残暑の厳しい一日だった。今日も、スクール

バスを迎える。清水君が一番乗りだ。

「清水君(=ワタル)、お早う!」と言っても、全く無視されてしまった。 

  「太郎、今日もジョーロ持って来たの? もう畑も無いのに!」と言う本田

先生の大きな声が、みんなの笑いを呼ぶ。 

  確かに、太郎は、ジョーロでの水撒きを指示されて以来、雨の日でも、

ジョーロを持って飛び出していた。 

  しかし、今日は、すでに畑が無いのを知らなかったのだろうか。そこに

は、不思議な障害児の世界がある。


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  今日のマラソン練習は、久し振りに、愛ちゃんと走る(厳密には、歩く)

ことになった。 

 出発前、晴男が私を認め、近寄って来た。そして、恒例の抱擁とおでこ

をゴッツンの挨拶をする。 

  すると、何を思ったか、愛ちゃんまで近づいて来て、プロテクターの

ついた頭を寄せて来た。相手が女の子なので、私は思わずハッ!とし

たが、気楽な挨拶のつもりで、軽くゴツンとやった。

 

  さあ、出発だ。この前は、コウジと一緒だったので、先頭集団を走った

が、今日は、後ろから二番目になった。われわれの後ろを勇太が歩い

ている。

  愛ちゃんとジュン君が仲良く語り合いながら歩く。「ジュン君は、左が

マヒで、私は、右がマヒなのよね」と愛ちゃん。 

  「ねえ先生、マヒって、どんなこと?」と、彼女は、予想もしない質問を

する。 

 「マヒって、体がうまく動かないことだよね」と、答える私。そう答えなが

ら、答えること自体、何だか変な気分だった。 

  愛ちゃんの質問は続く。「アタシは、いぬ年。ジュン君は、何年?」と。 

するとジュン君、「あれ、ボク、何年だったかなー?」と。 

  助け船のつもりで、私が「先生は、丑年だよ」と言うと、愛ちゃん、

「あー、丑年か、牛って、メエーだっけ?」と言う。 

  私が「メエーは、羊だよね」と言うと、「あー、そうか」と愛ちゃん。

 

  こんな話をしている間に、ジュン君は、少しピッチを上げ出した。そして、 

彼との間が、だんだんと長くなっていった。 

  愛ちゃんは、よだれをこぼし出した。立ち止まって、ティッシュで、それを 

拭き取る。 

  すると彼女、遠くを指差しながら、「ああー、あそこにオトコとオンナが

いる」と言う。よく見ると、それは、ひと番いの鳩だった。 

  「愛ちゃん、あれはオスとメスと言うんだよ」と私。「ふーん、オスとメス

か」と彼女。

            Photo_2


  そんなことを話しながら歩いていると、校長先生が走ってこられ、「児島

さん、頑張れ!」と声をかけて下さった。先生のトレーナー(上着)は、汗

でびっしょりである。 

  そうだ、今日はマラソン練習なのだ。秋の陽射しの中、走るみんなの

顔が紅潮していた。さて、ゴールまで、後ひと息だ。 

  日野先生の「児島さん、頑張れ!」の声が、最後の励ましとなった。 

          Photo_3

 

 

  天使の声(?)

 

  十月末日の今日、学校に着くと、立花さん(仮名)が、事務室から「お早う 

ございます」と、明るく声を掛けて下さった。思いがけず、こちらも同じ言葉

で応じた。 

  事務室の山岡氏が、「先生、よかったらお茶を飲んでいらっしゃいませ

んか」と、中国の健康茶を勧めて下さった。

  それを戴きながら、壁に目をやると。そこには、「気 心 腹 口 命」と書

かれた細長い紙が貼ってあった。 

  読み仮名として、「きはながく、心はまるく、はらたてず、くちつつしめば、

いのちながかれ」と書いてあった。 

  成程、とてもいい言葉だなと、感心しながら読んだ。こんな思いで毎日が

過ごせたらいいな、と思った。

 

  今日の授業は、集会と作業である。集会の前に、屋上で準備体操をし

て、十分ほど走った。久し振りに走ったので、たいへん気持ちよかった。 

  今日は、B組の愛ちゃんはお休み、ジュン君は加藤先生の介助で、筋肉

強化のトレーニングをしていた。 

  ゆりちゃんには、中村先生がついておられる。普通のペースで走ってい

ると、A組ののぞみがついて来た。彼女も走るのが楽しそうである。

時々、目を閉じて、気持ち良さそうに風を切っている。

 

  整理体操をして、思い思いに体育館に行く。そこには、映写機がセットさ

れていた。各学年ごとに並ぶ。すると、のぞみが突然、明瞭な声で「カトウ

チェンチェイ」と言う。 

  加藤先生は、間髪いれず「ハイ、ハイ。でも遠足の電車の中では、呼ば

ないでおくれ」と仰る。その掛け合いが何とも微笑ましい。 

  みんなが腰を下ろし、来週木曜日に遠足で行く多摩動物公園の様子を

観る。 

 じっと画面を見つけている子、よそ見をしている子、はしゃいでいる子

など、様々である。

        Photo_4


  私は、陽介の相手をしたが、帰って彼を興奮させてしまった。中村先生

から、「先生、構わない方がいい。その方が大人しくしていますから」と言

われ、離れると、はるかに静かになった。 

  ”やはり、経験の差だなぁ”と、心の中で思った。常に生徒の相手をすれ

ばいい、というものではないようだ。構うことと構わないことの兼ね合いが

問題だ。ひとつ勉強したと思った。



  集会が済み、紙工作業に行く。そこには、すでにゆりがいた。いつもの

ようにミキサーを用意し、撹拌作業に入る。そして、それを洗い場まで戻し

に行く。 

  丁度、その時である。ゆりが、何か囁いた。それは、全く意味を理解でき

かったが、はっきりと耳に届いた。 

  まるで妖精か何かがしゃべったような、か細い声だった。だが、全く言葉

発しないと諦めていたゆりの声を初めて耳にしたのだ。 

  それは、今まで聞いたこともない囁くような、まるで蚊の鳴くような、

まさに「天使の声」(?)だった。                   【つづく】

            Photo_5


 

2014年10月 7日 (火)

『内気な天使たち』(22)

 

 運動会


  今日(十月十日)は、本校の運動会である。「体育の日」(当時)には

珍しく曇り空だったが、時折薄日が射し、まずまずの天気だった。 

  九時十分、全員が入場口に集合し、行進の合図を待っている。赤組の

旗手は、清水君ではなく、青山学(仮名)だった。彼は、袴を着ている。 

  行進は全員一糸乱れずといったわけではなかったけれど、自然で

気取りがなく、たいへん良かった。整列した後、聖火の入場を待つ。

 

  ジュン君が多少緊張気味にトーチをかざして歩いて来る。『炎のラン

ナー』の音楽が、とてもよくマッチしている。すべてが手作りといった感じ

で、何とも言えない温もりを感じた。

  競技に入る前の応援合戦では、大太鼓が用意され、勇太がなかなか

の腕前を披露する。一部の生徒が法被姿で彩りを添える。軽部君も、

太鼓のリズムに合わせて踊り出している。それが、何ともサマになって

いる。

                       Photo

 

 
  

 最初の演目は、小学生低学年の徒競走。― 

まるで水泳のように手を回転させながら走ってくる子、途中、校長先生

の所へ行き、立ち止まってしまう子、ゴール寸前で急に立ち止まり、どう

したものか?と考えるような素振りを見せる子など、実にバラエティに富ん

でいる。 

  まとめて言えば、”競走”とか“人を出し抜く”という思いが、殆ど皆無だ。 

  中学部の徒競走でも、この思いは、それ程変わらない。仁もマコトも、

「ヨーイ、ドン」の合図を受けても棒立ちになったままで、口を開けながら

歩き始めた。 

 競走ということを認識できないのではなく、元々そういった思いが無いの

かも知れない(*下の写真は、イメージ)


         Photo_2



  だが、中には、精一杯走り出す子もいる。普段余り走るところを見せな

いツヨシが、百キロの巨体を震わせて走ってきた。彼は一位だった。 

  勇太も頑張ったが、彼は勢い余って倒れてしまった。大きな体で手足

が不自由なため、なかなか起き上がれない。 

  本田先生が介助なさったが、勇太はやる気をなくしてしまい、起き上が

り走ろうとはしない。 

  その内に、次のグループが走り出した。ほぼ全員が走り終えた頃、勇

太が本田先生に抱きかかえられるようにして走ってきた。 

  二人がゴールに入ると同時に、ゴールの辺りにいた人々が一斉に拍手

をした。それは、普通の学校ではなかなか見られない光景だった。

 

  その他、小学部の生徒によるピラミッドや色々の障害物競走など

があった。 

 先生方が、それぞれの役割分担の中で懸命に仕事をこなしておられた。 

  ボランティアの中学生たちも清々しかった。それに、保護者(実際は、

お母さん方)の連帯感が強いという印象を持った。 

  私は、養護学校の運動会を生まれて初めて見たが、それは、心の中

になんとも言えない温かさを感じる心地よい体験だった。

 

 

 

  コウジ君とのマラソン練習

 

  運動かも無事終了し、T養護には、今までと同じ生活のリズムが戻っ

ていた。 

 みんなのバスを出迎えに昇降口に降りた時、すでにジュン君が腰を

下ろして、靴を履き替えていた。「汗、カイタ」と彼は言う。 

  彼は、一人黙々と歩いて登校する。「そう、汗かいてるね、リョウ君」と、 

私は、彼の足元に膝まづきながら、彼の靴の脱ぎ具合を見る。

 

  その後、私は、いつものように彼の着替えを手伝った。すると、田中

先生が入って来られ、「ジュン、チャレンジ!」と仰る。 

  何だろう?と思うと、ジュン君は、汗で濡れたシャツを、室内に張った

針金に掛ける仕草をする。 

  それは、“自分で出来ることは自分でしなさい”という教育的配慮だっ

た。その二人のやりとりを、私は、とても微笑ましく思って眺めていた。 

  さて、今日は、久し振りにマラソン練習と作業である。



  いつも、愛ちゃんの伴走をするのだが、今日、彼女は欠席。―
 

初めてのことだったが、二年生の本橋幸司君(仮名)と一緒に走ること

になった。 

  本橋君とは、陶器の作業の時間や着替えの時に会っていたが、

とても素直でもの分かりのいい生徒だった。走ることも、決して苦手では

なさそうだ。 

  唯、癲癇の発作があるから、決して無理はできない。「どうか、彼の

ペースで走ってみて下さい」と、堀部先生からご忠告を受けた。

           
          Photo_3

 

   今日は、このコウジ君と一緒に四周を走る。でも、最近は、四キロの

道程を走ってはいなかった。 

  今日からみんなと一緒に走られる校長先生も、やる気十分である。

みんな、一斉に駆け出す。 

  私にとって、それは久し振りの解放感だった。”ヤッホー!”といった

思いである。

  私たちは、いつの間にか先頭集団になっていた。マナブが前を走って

いる。二番手のマコトと仁(ヒトシ)を抜いたり抜かれたりといった状態になっ

た。

         Photo_4


  コウジは、私の後ろを、ちゃんとキープしている。なかなかの意志力と

持久力を持った子だと思った。それは、伴走というよりも、先導する形と

なった。 

  少しペースが速くなって、彼と離れ過ぎたと思ったら、少し足踏みをしな

がら、彼が追いつくのを待った。 

  コウジは、少し喘ぎながらも、よくついて来てくれた。思わずペースが速く 

なって彼と離れると、小山先生から、「本橋と一緒に走って下さい!」と、

ご忠告を受けた。確かに、その通りだった。これでは、伴走の意味がない。

 

  だが私は、コウジは走り込めば、きっといい結果が出せるのではないか

と思い、敢えて突き放すような感じで、彼の前を走った。 

  だんだん汗がにじみ出てくる。彼も、少し歩く時があったが、最後まで、

ペースを落とすことなく走った。ゴール前では、彼のペースの方が私より

はるかに軽快だった。 

  今日は、本当に久し振りにいい汗をかいた。これも、コウジと本校の

お蔭である。心より感謝!                    【つづく】                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年10月 6日 (月)

『内気な天使たち』(21)

 運動会・一週間前


 運動会を一週間前に控え、紙の万国旗が運動場にはためいている。 

小学部の女生徒の一人が、ブルマー姿で登校した。 

  それを見た女教諭・福山先生(仮名)曰く。「あれ、一週間違っているん

じゃなーい?」と。一瞬、周りの先生方の間で笑顔の花が咲く。 

  中学二年生の生徒たちが一人ひとり、堀部先生(仮名)の所へ行き、

先生の胸元に頭をつけて挨拶の仕草をする。 

  それを見た江藤先生、「わあ、堀部先生、スゴーイ!」と。すると堀部

先生は、“生徒に金を配っていますから”といった格好をなさりながら、

照れ笑いをされた。どことなく温かい登校風景である。



  今日は、校庭で運動会の練習だ。九時四十分に、中学部の全員が

一隅に集合し、平均台その他の運動用具を体育館から運び出し始めた。 

  だが中には、ブランコに興じたままの生徒もいて、なかなか個性的

(?)だ。 

 仁(ひとし)も、ジャングルジムに登っているところを、加藤先生に見つ

かってしまった。そして、「ヒトシ、何してるんだ! 早く降りて来い!」と、

先生に一喝されていた。

            Photo


  運動場を三周ほど走り廻った後、障害物競走の練習だ。それは、

「孫悟空チーム」と「ゲゲゲの鬼太郎チーム」の対抗試合である。

両チームをAとBに分ける。 

  先ず、Aチームの生徒が平均台を渡り、マット上で前転し、麻袋に

下半身を入れ兎飛びをする。そして、Bチームにつなぐ。 

  Bチームの生徒は、高く積まれた障害物(ゴム製の箱)を乗り越えて

いく。その先に、先程のAチームの生徒が待っていて、二人でフラフープ

の中に入り、一緒に歩いて行く。 

  そして、「孫悟空」と「ゲゲゲの鬼太郎」の分割された絵を両者の

大看板の所へ持って行き、それを張り合わせて終わりである。

            Photo_2


  中沢先生の指導で、みんなそれなりによくやっていた。だが、中には、

この競技に関心を持てず、ブランコに乗ろうとする生徒もいる。 

  その他、競技内容をなかなか理解できない生徒、まだ眠っている

生徒(勿論、立ったままで)急に違った方向へ走り出す生徒など、

実にまちまちだ。 

  後一週間だけど大丈夫かな?と、思ってしまう。生徒の指導という

のは本当に難しいなと感じる。

 

  運動会のような競技は、この子たちにとって、一体どのように映る

のだろうか? 

 われわれの頃は、人よりも早く走って格好いいところを見せたいなど

という、ささやかな野心(?)があった。 

  でも、彼らにとっては、無理に走らされ、無理に競技や演技をさせら

れている、といった気分なのだろうか? 

  生徒にとって、ものごとの認識や理解がどうなのかという問題と

同時に、集団行動において、彼らをどう指導し、どう関わるべきなのか、

まさに、障害児教育自体の困難さを垣間見る思いだった。

 

 

 

  運動会・二日前

 

 

  早いもので、十月もすでに一週間が過ぎてしまった。明後日は、

本校の運動会である。今朝も、先生方と一緒に、生徒たちの登校

を待つ。 

  スクールバスの中に、晴男の顔が見える。彼は、降りると直ぐ私の

所に来てくれた。 

 お互いに抱擁し合って、額を軽くゴツン!とやる。 だが、今日は、

少し驚くことがあった。

 

  晴男は、私に「挨拶」をしてくれた後、田中先生に、ちょこんと頭を

下げながら、「オハヨウ・ゴザイマス」と、立派な挨拶をしたのである。

私は、彼の明瞭な挨拶言葉を初めて聞いた。 

  「晴男は、先生によって、使い分けているみたいですね」と、田中先生

がにこやかに仰る。私も、本当にその通りだと思った。 

  家で時折、家内と話すのだが、私は、晴男たち生徒にとって、先生

ではなく、「仲間」なのかも知れない。でも、それはそれでいいと思った。

 

  今日は、A公園内のコースで、徒競走とバトンタッチの練習である。

小山先生の指導で準備体操をする間、A組ののぞみが何か言葉を

発している。それは、 「キャトウ、チェンチェイ」と聞こえる。 

つまり、彼女は、「加藤先生」と言っているのである。


          Photo_3


 それを直ぐ側で聞かれた加藤先生、「のぞみ、加藤先生がどうした?

加藤先生が大好きなんだろう?」と、からかうように仰る。

そのやりとりが、何とも可笑しい。 

  普段、のぞみは、「パピプペポー」的な意味不明の破裂音しか発しない。 

それだけに、私は、彼女が意味のある人名を発音するのを初めて聞いた。 

ささやかなこととはいえ、それは、一つの驚きだった。 



  徒競走で、私は、江藤先生と一緒にテープを持って、ゴール地点で

みんなを待った。みんなの運動能力や体の具合に合わせて、走る距離

が異なる。 

  ”競走”という意味が飲み込めていないというか、そんな考えがまったく

ないのか、みんな思い思いのペースで走る。 

  だが、私は、二年生の翔太の走る姿を見て、驚いてしまった。あの

マラソン練習で歩くのさえ嫌がった翔太が一番前を走っている。彼は、

嬉々として走っているのだ。 

 私は、彼は走れないものと思っていただけに、それは、何とも言えない

驚きだった。

           Photo_4


  このような生徒たちの姿を見ながら、私は、あることを反省した。

つまり、私は、様々な障害を背負った子供たちを見て、いつの間にか、

「この子は、言葉を発することができない」「この子は、走れない」「この子

は、ものごとを理解できない」と決めつけていたのだ。 

  でも、事実は、そんな単純なものではなかった。私などが考えるより

もはるかに大きな力を、彼らは持っているのである。 

  少し頭を切り替えなければならない、と心から思った。   【つづく】

 

 

 

 

2014年10月 4日 (土)

『内気な天使たち』(20 )

 
 運動会の全体練習


  今日(九月二四日)は、昨日の雨も止み、時折、晴れ間の見える天気と

なった。みんなの登校日、昇降口は、小中学生でごった返していた。 

  A組の晴男が私を認め、お互いにハグして、おでこをゴッツンとやる。

それを見ておられた江藤先生が、「わあ、人類愛!」と、明るい声で仰る。

何気ない行為を、このように言っていただくのも、本校らしい。

 

  今日は、運動会の全体練習があった。小中学生が一緒にやる仕事は、

私も初めてだった。 

  九時四○分に、全員、運動会の一隅に集合する。今日は、とりわけ

入・退場行進の練習と、玉入れゲームやフォークダンスの練習だ。

 全生徒が、赤組と白組とに分かれる。中学部は、三年生が赤組で、

一、二年生が白組だ。

 

  行進の際の旗手は、赤組が清水君、白組が橋本利夫君である。

三年生の清水君は、堂々とした旗手ぶりだったが、一年生の利夫君は、

まだ馴れていない感じで、おぼつかない足取りだった。

おまけに、進む方向を間違えそうになった。それで、本田先生に、

「こっちの方だよ」と指示を受けていた。

 

  司令台に向かって並んだ際、今日は、B組の仁(ひとし)が落ち着き

がなく、奇声を上げていた。加藤先生が、「安達、静かにしろ」と頭を軽く

ゴツンとやられると、彼は急に静かになった。 

  中沢先生の指導で準備体操をやった。他の全員は、どうにか体を動か

していたが、C組のゆりやすみこは、じっと立ちつくしたままである。 

  ワタルも、いつものように、”こんなの、俺、やってられないよ”といった

感じで、みんなの動きをじっと見ていた。

 

  聖火の入場練習もあった。田中先生と土屋先生が、懸命にその準備

をなさる。白い煙が立ち、木下ジュン君が、聖火を持って入場する。 

  彼は左足が不自由だが、一生懸命にトーチを持って走る。

映画『炎のランナー(*下の写真)主題曲が流れる。とてもマッチして

いて感動的だった。来年は、誰が持って走るのだろう?



          
        Photo


 休み時間中、勇太は、本田先生の御指導で、行進の特訓を受けている。

勇太は、手だけでなく、足も幾分不自由である。 

  だがそこには、彼が少しでも馴れて普通に歩けるようにという、本田

先生の温かい配慮があった。

 

  後半の、紅白に分かれての玉入れ競争は、なかなか面白かった。

それは、高い籠に入れるものでこそなかったが、ワタルは機敏にいくつ

もの玉を何度も籠の中に入れ、赤組の勝利に多大の貢献をした。

 結果は、紅白、二勝二敗の引き分けだった。

 

  私も、生徒を手伝いながら、興奮気味に赤玉を入れた。このようなこと

をしたのは、小学校以来だから、実に三十五年振りだった。 

  あの幼い遠い日に帰ったような懐かしさと喜びが、そこにはあった。 

                              (*写真は、イメージ)

         Photo_2





  修学旅行の思い出―「学年だより」より―

 

 

  みんなが修学旅行から帰って、一週間が経った頃、「学年だより」が

発行された。 

 これは、田中先生がお書きになったもののような気がする。みんなへ

の温かい視線と教育愛が滲み出ている。それを、ほぼそのままの形で

記したい。

 

  ≪後生掛(ごしょうがけ)温泉≫  まさに山の中の湯治場という雰囲気。

ホールは、年配の方々が大相撲の観戦で、とても賑やかでした。 

  そんな訳で、お風呂の方は割と空いていました。源さんは、イオウの

香りと木造りの湯船に温泉気分を満喫できたようです。 

  暗い所と水が苦手な葉山君、露天風呂は大丈夫でした。一方、露天

風呂をプールと間違えた安達君、女風呂まで潜水して泳いでしまい、

先生方は大慌て!

 

         Photo_3



  ≪小岩井農場≫  とても几帳面な青山君は、肉を焼くのがとても上手。

焼け加減と肉の色で判断して、一人で食べていました。 

  一方、今川君は、聖山(*修学旅行前に登山した山)の頃が嘘のよう

な食欲。 

 バーベQも途中で食べたソフトクリームも、一人分をペロッと平らげま

した。 

  雨が降る中、「トロ馬車」に乗りました。児島さんは、馬車から羊の群れ

が見えたと大はしゃぎ!  乗れなかった先生たちにも手を振ってくれまし

た。


        Photo_4


  ≪八幡平ハイキング≫  心配された八幡平ハイキング。小雨の中を

出発しましたが、一生懸命に作った「てるてる坊主」のおかげか、すぐ雨

があがり、たまに薄日が射すこともありました。 

  湿原の中の木道を健脚組に入ってよく歩いた中島さん、でもそれ以上

によく食べましたね。ホテルの人もビックリしていました。 

  八幡沼を一周する木道の両側には大小の水たまりがあったり、紫色の

リンドウが咲いたりと、目を楽しませてくれました。 

  そんな中、脇目もふらず、先を急ぎ、ダッシュを繰り返すアキラ君、落ち

たりしないか心配しました。 

  八幡沼を見渡せる展望台で、デザートのリンゴを丸かじり、思わず芯

まで食べてしまった木下君。でも、おいしかったね。

        Photo_5


  ≪宴会≫  豪華な夕食の後の宴会は、カラオケで盛り上がりました。

余りの元気の良さにホテルの人もびっくりするほどです。 

  ステージ上で規則的なリズムで左右にステップをふんでた英樹君。 

山口百恵の「いい日旅立ち」にチャレンジした向井さんは、歌い出しの

ところは、雰囲気が出ていました。 

  マイクを握らせるとフラフラになるまで歌い、舞い続ける晴男君。

いい汗をかいていました。

 

  生徒一人ひとりに、優しい視線が注がれている。私は、生徒たちと行動

を共にすることはできなかったが、旅行中の様々なエピソードを、

この「学年だより」から知ることができて、本当に嬉しかった。

                                       【つづく】

 

 

 

 

 

 

2014年10月 3日 (金)

『内気な天使たち』(19 )

  翔太とのマラソン練習


  今日(九月十七日)、三年生は、東北への修学旅行だ。みんなの顔が

見えないのは、ちょっと淋しい気がする。 

  今日は、マラソンの練習と作業で、練習では、樋口翔太(仮名)と藤山

清美さんを見ることになった。 

  二人共、走ることは、なかなか難しい。それでも、藤山さんは自分で歩い

て行くので、さほど手はかからない。 

  だが、問題は翔太である。彼は、肥満体のダウン症児で、走るのが大の

苦手である。 

 彼はまた、今まで走ったことがないのではないかと思える程、走ることを

嫌がる。



  彼と一緒に走る(いや歩く)のは、今日で二回目である。先回は、公園

三周を四十一分で歩いた。多分、これは、本校の最低記録であろう。 

  今日は、四十分を切ろうと、私は心に決めていた。後は、翔太の心掛け

次第である。 

 彼のポッチャリした手を握ると、彼は私の毛深い手に目を止め、「アー、

チンゲ(?)」などと言う。 

  ”そうじゃないよ”と心の中で思いながら、言っている意味が分かってい

るのかと、いぶかしく思う。

        Photo




       Photo_2
 

  彼の手をとり、少し足早に歩こうとすると、「オーイ、コラ!」ときた。 

そして、公園の中央にあるトイレを指差しながら「うんこ」と言う。 

  私は、彼がかつておもらししたことを知っていたので、もしや?と思ったが、 

走ること(いや、歩くことさえ)を嫌がって甘えているのだろうと思い、無視し

歩き出した。 

  右手で藤山さんの手を握り、左手で翔太の手をとりながら歩くのは、

今日が初めてである。

 

  途中、翔太が「アー、アト、アト」と言うので、何だろう?と見ると、数羽の

ハトが、エサを探し回っていた。自分では「ハト」と言っているつもりなのだ

ろうか。

        Photo_3


  また、「アー、クークーシャ」と言うのが、目をやると、それは救急車なら

消防車だった。

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  ゴール前五十メートル辺りの所に、女教諭の日野先生(仮名)が立って

おられたので、「翔太が、『うんこ』と言っていますが」と申し上げると、

「それじゃ、トイレまでお願いできます?」とのこと。 

  藤山さんを独り歩かせ、翔太の手を引いてトイレに入ろうとすると、彼は

急に「ナイ、ナイ」と手を横に振る。どうやら、便意はないようだ。 

  「翔太は、先生をだましたなぁー」と、からかいざまに言うと、彼は照れる

ように顔を手で覆った。

 

  コースに戻ると、野田治君(仮名)や橋本利夫君(仮名)たちが懸命に

走っている。すると、翔太が急に走り出した。 後ろのハトを見て、「アト

(ハト)が怖い!」と言いながら。・・・・・

「あれ、翔太は走れるじゃないか!」と、私は思わず叫んだ。 

  今日は、二度も翔太に騙されてしまった。だが、翔太は、妙に憎

めない。同じダウン症の晴男や軽部君とはまた違った意味で可愛い

生徒である。

 

 

 

  祈りの力(?)

 

  今日(九月十九日)は、台風二十号の余波もあって、出勤時刻頃、

激しい雨に見舞われた。靴下が濡れてしまい、裸足での仕事となった。

三年生は、今日帰京する。 

  一年生の勇太は、着替えの際、おもらししていなかった。いつもは、

よくパンツをオシッコで漏らしている。 

  彼は、三年のジュン君が、いつも座る椅子に腰を下ろして、片手で

着替えを始めた。 

 ほぼ終わって教室に行くかと思ったが、小六の教室に入って、先生に

摘み出された後、プレイルームへと駆け込んだ。

 

  そこには、軽部君と三橋君が先に来て、思い思いに遊んでいた。

軽部君は、小さな車に乗り、紐を振り回しながらロデオの格好。三橋君は、

バルーンで戯れていた。 

  勇太もへたり込んだまま、立ち上がろうとしない。「勇太、朝の会がある

から、教室に入ろう」と何度言っても、全く知らん顔。 

  ”これが、本田先生に対してだったら違うだろうに”と思いながら、「じゃ、

勇太はここに居なさい。先生は、もう教室に帰るから」と言っても何ら反応

なし。

 

  私は、プレイルームを出た。私がわざと遠回りして教室へ入ろうとすると、

向こうから、勇太が走ってくるではないか。 

  「勇太、先生とは来なかったくせに。このー!」と言って追い駆け廻すと、

キャッ、キャッと言いながら逃げ廻る。それは、まるで幼児の姿だった。

 

  今日は、野田治君(仮名)が、三十分遅れの登校となった。今日の集会

は、プレイルームでだった。

 運動会の準備で、応援とバトンタッチの練習である。準備体操の際、

治君だけは、丸めたハンカチをくわえて、室内をうろつき廻る。

 時々、判別不能な奇声を上げる。山田先生が彼を制止なさる。

一端は大人しくなる。

 

  バトンタッチの練習で廊下を走り廻る際、治はまた単独行動をとり始

めた。私は、彼の後を追う。彼は、「ミズ、ミズ」と言い、教室の蛇口に

カップを持って行き、飲み始めた。 

  「治君、みんなの所へ行こう」と言っても、「ナヌー、イヤ、イヤ!」と

言ってむずがる。 

 そして制止する私の手を払いのけようとする。一年生とはいえ、それは、

かなりの力だ。



  私は急に「ロザリオの祈り」を唱え始めた。それは、聖母マリアへの祈り

である。

 「めでたし、聖寵満ち満てるマリア、主、御身と共にまします。・・・・」

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  すると、治君が、急に大人しくなった。“自分以上に変な奴がいる”と

でも思ったのだろうか? 

  彼が静かになったのが祈り始めるのと同時だったので、ひじょうに

不思議な気がした。以来、治君は、比較的大人しくなってくれた。 

  集会、作業が済み、給食のため食堂に行こうとしていた治は、三階の

廊下で私を認めると、急に抱きついてきた。その理由は分からない。 

  本校での生徒との触れ合いは、心のスキンシップみたいなところが

ある。治君の突然の変化も、あるいは祈りの力かな?

                                      【つづく】

2014年10月 2日 (木)

『内気な天使たち』(18 )

     第二章  天使たちと行動を共にして 

 

   様々な行事の中で―感動と喜び― (二学期)


  葉山 誠



  二学期、最初の仕事で、T養護学校の通用門を入ると、そこは一面の

朝顔だった。 

 青紫色の、時に見事な朝顔だった。それぞれが、「お早う、元気だっ

た?」と、微笑みかけてくれているかのようだった。

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  みんなの登校時刻、八時四十五分。  ”顔を覚えてくれているかな?”

と少し不安だったが、晴男との再会で、その懸念は氷解した。 

  彼は、笑いながら近寄ってきて、私に両手を差し伸べた。お互いにハグ

しながら、朝の挨拶だ。互いに、おでこを、ゴツンとやる。

 

  今日は、身体測定の日だ。みんな保健室の前に座って、二年生が終わ

るのを待つ。私もみんなと一緒に座っていた。 

  すると、B組のマコトが、保健室に入るのを怖がるような素振りで、みん

なと離れ、廊下の隅で、周りの様子を窺っていた。 

  田中先生が、「マコト、どうしたの?」と、問われる。彼は、保健室が苦手

なのである。体重計や身長測定器を、異常なほど、怖がる。

 

  私は、ふと一学期の歯の検診の日のことを思い出していた。彼は、検診

を受ける際、急に逃げ出そうとした。 

  それを、担任の加藤先生が、後ろ手に押さえつけられた。すると、土屋

先生が、まるでいつもの段取りでもあるかのように、長椅子を持って来ら

れる。

 

  そして、彼を仰向けにされると、先生方が、彼の手足や胸、腰の辺りを

それぞれに押さえつけられる。 

  それでも彼はもがき、抵抗しようとする。その一瞬のスキを狙って、歯科

医は、彼の虫歯の数やその状態を調べられる。 

  私は、このような歯科検診があろうなどとは、夢にも思わなかった。

これは、マコトが小学一年生の時からの「年中行事」(?)だとのことだっ

た。

 

  「今年は、神妙に腰かけたんで大丈夫かな、と思ったんだけど、やっぱ

り駄目だったね」と、加藤先生。

  だが、今日の身体測定は、マコトにも多少の緊張は感じられたものの、

比較的穏やかなものだった。 

  マコトも、いつものように、「アウー、アウー」と言いながら、着替えをし、

先生方の介添えで、大人しく計測器の上に載った。

 

  マコトは、自閉症児である。彼は、新しい課題や食物など、今まで経験

していないことを極度に警戒し、嫌がる。どんなに美味しそうな食物でも、

決して進んで食べようとはしない。かなり用心深い。 

  でも、考えてみれば、われわれも、新しい経験や試みには二の足を踏む

のだから、決して彼のことを笑えないのかも知れない。

 

  むしろ、われわれに共通する性格を、彼は極めて密度の濃い形で保持

しているだけなのかも知れない。 

  そう思えば、彼の態度や行動も、まんざら理解できないことではない。

その意味で、知的障害児の一人ひとりが、自分および人間の在り方を

振り返るいいチャンスを与えてくれている気がする。


  中山勇太 

 

  勇太が、トイレの男子用便器の前で小用を足していた。肥満体の彼は、

むっちりしたお尻を出したままである。彼は、両手が不自由である。 

  すると、彼の前にカラのし尿瓶が横たわっていた。何を思ったか、彼は、

その差し口を口許に持ってゆく。 

  余りの思いがけなさに、「勇太、それ、何か知っている?」と問うと、

「うん!」と言う。 

 だが実際は、普通のグラスや瓶と思っているようだ。彼には、物の認識

が、なかなか難しいと思われる。



  勇太は、中学一年生である。だが、体つきは大きく、中三といってもおか

しくはない。 

  小学部時代の彼は、指導困難な部類に属していた。端的に言えば、

問題児だった。彼は、軽度の脳性マヒである。 

  先生方の声を掛ける時、決まって「オジちゃん!」と言う。だが、この

言葉に邪気は感じられない。

 

  勇太は、出産時に、手の指がくっついて生まれてきたので、それを本来

の指形に切開する手術を経験している。 

  手の指は中指だけが、妙に突出した印象を与える。実は、足の指も似

たような状態で、そのため足を少し引きずるような形で歩く。

 

  彼は、走ることができない。走る意志がないからというより、足の裏が

普通のように地面につかないのである。 

  そのため、歩くことはともかく、走ることは、彼にとってたいへんな苦行

となる。



 運動会で、一度だけ彼の走る姿を見たが、その時は、足がもつれ、もん

どりうって倒れてしまった。 

  肥満体の彼が仰向けに倒れたものだから、ちょうど亀が甲羅を下にし

て倒れた形となり、なかなか起き上がることができなかった。彼は、泣き

ながらもがいた。それが、とても痛々しかった。 

  その時、担任の本田先生は、彼が自力で起き上がるのを、じっくりと待

った。そして、二人で、二人三脚でもあるかのように、「オイッチ、ニー!

オイッチ、ニー!」と言いながらゴールした。その姿は、たいへん感動的

だった。

 

  だが、勇太がヒーローになる時がある。それは、彼が、太鼓を叩いてい

る時だ。この時の彼は、文句なしにカッコイイ!  とにかく、音感がいい

のだ。

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  ”彼は、ドラマーか音楽家の生まれ変わりではないだろうか”と、何度

思ったか知れない。 

  太鼓を叩く時の彼は、それを叩くというより、”太鼓と一体化する”とい

った感じだ。それは、ひじょうな感動を、われわれに与えてくれる。 

  第一、その時の彼はとても楽しそうだ。ひじょうに生き生きしている。

どんな生徒や人でも、必ず一つか二つ、得意なものがあるのではない

だろうか。 勇太の場合、それは明らかに太鼓である。

 

  確かに、彼は時には、靴箱の扉やごみ箱まで叩いて怒られることも

あるが、太鼓や、それから生じる「音」が、彼の友達なのかも知れない。

このような自分の世界を持てる勇太は、幸せだと思う。 

  手足がどんなに不自由でも、神様は必ず、何かいいものを一つか

ふたつ与えて下さるものなのだ。勇太を見ながら、つくづくそう思う。

                                    【つづく】

 

 

 

 

 

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