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2014年10月23日 (木)

『内気な天使たち』(33)

  学習発表会




 今日(二月八日)は、学習発表会の日だ。私は、午後から出席した。

会場は体育館。そこに至る渡り廊下に、たくさんの赤、黄、ピンクのリボン

が下がっている。 

  私は、それを初めて見て驚いた。とても可愛いと思った。養護学校らし

い、温かい飾りつけだ。

 

  午後の部は、小六の「スターをめざして」、中一の「ももたろう」、中二

の「イスタンブール夢一話」、中三の「たつこひめ伝説」などの劇が演じら

れた。 

  この両学年では、先生が「ももたろう」に扮したり、盗賊に扮したりして、

生徒と行動を共にされた。 

  中三の劇では、生徒が台詞をしゃべることに重点を置かれたためか、

「黒衣」に徹する先生が多かった。

 

  「たつこ姫伝説」は、彼らが修学旅行で行った田沢湖(*下の写真:たつ

こ姫の像)因んだ物語だった。それは、次の通りだ。

          Photo


  江戸時代、のどかな村に、突如、悪代官が就任して来た。彼は村人に

命令し、田沢湖の埋め立てを強要する。 

  村人は、懸命に働くが、その使役には際限がなかった。この村人の窮状

を見かねた庄屋の娘たつこは、代官の屋敷に行き、苦役の減免を求める。

  だが代官は、彼女の願いを撥ねのける。悲観したたつこは、神に、自分

の命を捨てる代わりに村人を助けてくれるよう哀願する。そして、単身、

田沢湖に身を投げる。

 

  その後、田沢湖の水が溢れ出し、代官屋敷を押し流し、その激流の中で、

代官は死んでしまうという物語だ。 

  竜になったたつこは、その後、八郎潟(*下の写真)の八郎と恋仲に

なり、「二人」は、年に一度会うことになった。それが竜神踊りとなって、

後世に伝えられたという。

             Photo_2


           Photo_3

  このストーリーを、「たつこ」役ののぞみ、彼女の「母親」役の愛ちゃん、

「神様」役のジュン君、そして「悪代官」役のワタルと、それぞれが、懸命

に演じた。 

  無論、先生方が黒衣として、彼らの台詞を補助された。だが、ワタルな

どは、殆ど覚えていて、なかなか憎々しい悪代官役を好演していた。 

  確かにワタルは、この劇の要だった。剣を振り回して村人を脅しつける

ところや激流に流されるところなどは、たいへんサマになっていた。

 

  みんなの写真を撮ることに専念していた私は、劇そのものに、それほど

感情移入をすることはできなかったが、入水したたつこを母親が探し回る

場面や、たつこがもはや人間に戻れないことを母親に告げる場面などは、

なかなかの圧巻だった。 

  生徒と先生が一丸となった、実にいい劇だった。最後、赤と緑の竜の

神輿を、みんなで担ぎ廻り、フィナーレとなった。みんなの顔が、それぞれ

に輝いていた。



 

   親が死んでも平気?




  二月十八日、男子更衣室に入ると、翔太が、ランニングシャツを前後

反対に着ている。本田先生が、「あれ、翔太、シャツが反対だよ」と仰る。 

  翔太が脱ぎ始める。すると、でっぷりした大きなお腹が、顔をのぞかせる。 

「おい、翔太、布袋様のお腹みたいだな」とは、側にいた堀部先生の言。 

確かに、それは中年のお腹だった。

           Photo_4



  室内のいつもの場所で、仁(ひとし)が、ズボンを脱いだまま立ちつくして

いる。加藤先生の顔が見えない。ひとしは、先生を待っている風情で、

アンダーシャツとブリーフの恰好で、立ち続けたままである。 

  彼は、外の景色に見とれている。しばらくして、加藤先生が入室なさり、

その指示と共に、ひとしは、着替えを済ませた。 

  室内では、先日、晴男とひとしが、それぞれ間違って相手のズボンを履

き、下校したことが、話題になった。色々なことがあるものだと思った。

 

  しばらくして、A組の教室に入ると、加藤先生が、鉢植えのパンジーに、

水をかけておられた。室内の清水ワタル君に目を止められた先生、曰く。 

   「清水君、パンジーに、水やってくれる?」と。 

すると、清水君が言う。「いや! そんなために学校に来たんじゃねぇ。

このメロメロジジイー」と、かなり興奮気味に答える。 

  これに対して、加藤先生、「花、綺麗だと思わない?」と冷静に対応な

さる。 「思わねぇ。汚れるし、きたねぇー」と、ワタル。 

  「卒業するまでに、一回ぐらいやってほしいなぁ」と、加藤先生。 

それに対して、ワタルは、すげなく言い放った、「いや!」と。


             Photo_5


  この後、C組に行き、陽介の相手をしていると、土屋先生が、しみじみと

仰る。 

 「この子たちの行動基準は、『快』か『不快』かなんだよね」と。そして、

続けられる。 

  「それが、十五歳頃までに、固定化するわけ。それに、この子たちには、

自分の世界しかないから、他者を認識できない。今のわれわれだって、

そんなことがあるけどね。 

  例えば、三歳以下の知能程度しかない脳性マヒ自閉症児の場合、親が

死んでも、平気なわけ。第一、その『現実』を認識できないんだもの」と。 

  正直言って、この言葉は、ショックだった。それまで(あるいは、今でも)、

「親の死を悲しむのは、人間の当然の心情」と考えていた私は、そういっ

た場面に遭遇した知的障害児の“現実”にまで、思い至らなかった。

 

  しかし、「親が死んでも平気(「認識できない」という意味で)」という現実

は、知的障害児の場合、決して誇張ではないようだ。 

  日頃、“天使のようだ”と思っている知的障害児たちの「深層」を垣間見

る思いだった。                             【つづく】                                     

 

 

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