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2014年10月 6日 (月)

『内気な天使たち』(21)

 運動会・一週間前


 運動会を一週間前に控え、紙の万国旗が運動場にはためいている。 

小学部の女生徒の一人が、ブルマー姿で登校した。 

  それを見た女教諭・福山先生(仮名)曰く。「あれ、一週間違っているん

じゃなーい?」と。一瞬、周りの先生方の間で笑顔の花が咲く。 

  中学二年生の生徒たちが一人ひとり、堀部先生(仮名)の所へ行き、

先生の胸元に頭をつけて挨拶の仕草をする。 

  それを見た江藤先生、「わあ、堀部先生、スゴーイ!」と。すると堀部

先生は、“生徒に金を配っていますから”といった格好をなさりながら、

照れ笑いをされた。どことなく温かい登校風景である。



  今日は、校庭で運動会の練習だ。九時四十分に、中学部の全員が

一隅に集合し、平均台その他の運動用具を体育館から運び出し始めた。 

  だが中には、ブランコに興じたままの生徒もいて、なかなか個性的

(?)だ。 

 仁(ひとし)も、ジャングルジムに登っているところを、加藤先生に見つ

かってしまった。そして、「ヒトシ、何してるんだ! 早く降りて来い!」と、

先生に一喝されていた。

            Photo


  運動場を三周ほど走り廻った後、障害物競走の練習だ。それは、

「孫悟空チーム」と「ゲゲゲの鬼太郎チーム」の対抗試合である。

両チームをAとBに分ける。 

  先ず、Aチームの生徒が平均台を渡り、マット上で前転し、麻袋に

下半身を入れ兎飛びをする。そして、Bチームにつなぐ。 

  Bチームの生徒は、高く積まれた障害物(ゴム製の箱)を乗り越えて

いく。その先に、先程のAチームの生徒が待っていて、二人でフラフープ

の中に入り、一緒に歩いて行く。 

  そして、「孫悟空」と「ゲゲゲの鬼太郎」の分割された絵を両者の

大看板の所へ持って行き、それを張り合わせて終わりである。

            Photo_2


  中沢先生の指導で、みんなそれなりによくやっていた。だが、中には、

この競技に関心を持てず、ブランコに乗ろうとする生徒もいる。 

  その他、競技内容をなかなか理解できない生徒、まだ眠っている

生徒(勿論、立ったままで)急に違った方向へ走り出す生徒など、

実にまちまちだ。 

  後一週間だけど大丈夫かな?と、思ってしまう。生徒の指導という

のは本当に難しいなと感じる。

 

  運動会のような競技は、この子たちにとって、一体どのように映る

のだろうか? 

 われわれの頃は、人よりも早く走って格好いいところを見せたいなど

という、ささやかな野心(?)があった。 

  でも、彼らにとっては、無理に走らされ、無理に競技や演技をさせら

れている、といった気分なのだろうか? 

  生徒にとって、ものごとの認識や理解がどうなのかという問題と

同時に、集団行動において、彼らをどう指導し、どう関わるべきなのか、

まさに、障害児教育自体の困難さを垣間見る思いだった。

 

 

 

  運動会・二日前

 

 

  早いもので、十月もすでに一週間が過ぎてしまった。明後日は、

本校の運動会である。今朝も、先生方と一緒に、生徒たちの登校

を待つ。 

  スクールバスの中に、晴男の顔が見える。彼は、降りると直ぐ私の

所に来てくれた。 

 お互いに抱擁し合って、額を軽くゴツン!とやる。 だが、今日は、

少し驚くことがあった。

 

  晴男は、私に「挨拶」をしてくれた後、田中先生に、ちょこんと頭を

下げながら、「オハヨウ・ゴザイマス」と、立派な挨拶をしたのである。

私は、彼の明瞭な挨拶言葉を初めて聞いた。 

  「晴男は、先生によって、使い分けているみたいですね」と、田中先生

がにこやかに仰る。私も、本当にその通りだと思った。 

  家で時折、家内と話すのだが、私は、晴男たち生徒にとって、先生

ではなく、「仲間」なのかも知れない。でも、それはそれでいいと思った。

 

  今日は、A公園内のコースで、徒競走とバトンタッチの練習である。

小山先生の指導で準備体操をする間、A組ののぞみが何か言葉を

発している。それは、 「キャトウ、チェンチェイ」と聞こえる。 

つまり、彼女は、「加藤先生」と言っているのである。


          Photo_3


 それを直ぐ側で聞かれた加藤先生、「のぞみ、加藤先生がどうした?

加藤先生が大好きなんだろう?」と、からかうように仰る。

そのやりとりが、何とも可笑しい。 

  普段、のぞみは、「パピプペポー」的な意味不明の破裂音しか発しない。 

それだけに、私は、彼女が意味のある人名を発音するのを初めて聞いた。 

ささやかなこととはいえ、それは、一つの驚きだった。 



  徒競走で、私は、江藤先生と一緒にテープを持って、ゴール地点で

みんなを待った。みんなの運動能力や体の具合に合わせて、走る距離

が異なる。 

  ”競走”という意味が飲み込めていないというか、そんな考えがまったく

ないのか、みんな思い思いのペースで走る。 

  だが、私は、二年生の翔太の走る姿を見て、驚いてしまった。あの

マラソン練習で歩くのさえ嫌がった翔太が一番前を走っている。彼は、

嬉々として走っているのだ。 

 私は、彼は走れないものと思っていただけに、それは、何とも言えない

驚きだった。

           Photo_4


  このような生徒たちの姿を見ながら、私は、あることを反省した。

つまり、私は、様々な障害を背負った子供たちを見て、いつの間にか、

「この子は、言葉を発することができない」「この子は、走れない」「この子

は、ものごとを理解できない」と決めつけていたのだ。 

  でも、事実は、そんな単純なものではなかった。私などが考えるより

もはるかに大きな力を、彼らは持っているのである。 

  少し頭を切り替えなければならない、と心から思った。   【つづく】

 

 

 

 

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