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2014年9月13日 (土)

『内気な天使たち』(7)

   安達仁(ひとし)君

  B組の安達仁(ひとし・仮名)君は、一人で、校内のトイレで用が足せない。 

閉所恐怖症とのことだ。 

  加藤先生が、入口まで同行し、指示を与える。彼は、トイレット・ペーパー

を使う時、どこで切っていいのか分からない。 

  固く握り締め、折り曲げてしまうので、適当な長さに切ることが出来ない

のだ。自宅のトイレでも、つい使い過ぎてしまい、どうしたらよいか分から

ないと、お母さんも困り果てていた。

 

  彼は、自閉症児である。朝、こちらから「お早う」と言っても、先ず返事は

返ってこない。だからといって、彼が冷たいとか、薄情ということではない。 

  多分、彼の認識するものや「世界」が、われわれのそれと全く異なってい

るということだと思う。



  着替え室の中で、彼は、担任の加藤先生がおられないと、全く着替えが

進まない。学生服を脱いだかと思うと、その後じっと立ったままで、外を見

つめたりしている。 

  或る時、加藤先生は、「こういうのを、『指示待ち症候群』というのです」と

言われたことがある。 

  確かに、仁(ひとし)は、自分から何かしようとか、これをしたら面白いだろ

うという気は起こらないようだ。

 

  だが、彼にも好きなものはある。それは、トラックである。彼は、教室から

見える高速道路を走るトラックを見ると、顔をくずして喜ぶ。時折、ビーバ

ーのような歯を見せながら、キャッキャッとはしゃぐ。その突然の笑顔は、

普段の彼の顔とは異なるけれど、それだけに、見ると不思議と幸せな気分

になる。


          Photo


  写真で見ると中一の頃の幼かった顔が、中三ではっきりと変わった筆頭

は、仁だった。外見的に際立った変化を遂げた彼が、内面的(あるいは

精神的)に、どれほど成長したのだろうか、と思う。 

  だが、「りんご、バナナ、オレンジ」といった単語は、明らかな形で発音し

ていた。その彼の〝言葉”を初めて聞いた時の驚きと喜びは、この上ない

ものだった。



  仁には、生来の優しさがあるような気がする。彼は、人と競争(あるい

は競走)するということが出来ない。 

  或る時、屋上で学年対抗のリレー競走をした時も、彼は三年生代表の

第一走者だったにも拘わらず、号砲の合図の直後、走り出すさずに、何と

自分のところでピョンピョンと跳ねていた。それは、まるで競争するという

意識がないみたいだった。彼には、人を出し抜こうとか、ひとをやっつけ

ようという気もないようだ。

 

  確かに、自閉症の仁には、自分の「世界」しかないのかも知れない。

だが、それが決して利己的でなく、むしろ無垢な感じを受けるというのは、

たいへん興味深いことだ。 


 

  ゆりちゃん

 

  源ゆりちゃんは、すみこちゃん同様、重度の知的障害児で、癲癇の持病

を持っている。彼女は、普通の食事ができない。無理やり食べさせても、

直ぐ吐いてしまう。 

 体の動きも緩慢だ。階段も思うように昇れない。手摺につかまりながら、

ゆっくりゆっくりと昇ってゆく。降りるのもたいへん。つい前につんのめり

そうになるので、女教諭の中村先生が介添えしながら、リズムをとりなが

ら、一緒に降りて行かれる。

 

  最初の日、多摩川沿いの散歩の帰り道、つい手を伸ばして、彼女の手を

握ろうとしたが、すげなく拒否された。ゆりちゃんは、中村先生や石橋先生

のような女の先生の方がよいのだ。 

  男性の手では駄目なのである。これも、女の子としての羞恥心なのだろ

うか。女の子の扱いは、なかなか難しいと思う。

 

  そのゆりも、少しずつ私を認めてくれ、慣れてくれた。彼女の方から、

手を差し出すようにもなってくれた。スクールバスから降りて来た彼女を、

中村先生が指導される。

           Photo_2

 

 上履きに履き替えた彼女には、毎日の日課があった。それは、みんなの

保健記録(カルテ)を保健室前まで取りに行き、それを教室まで運ぶので

ある。

 

  健常者には何でもないことが、彼女にとっては、たいへんな勤めとなる。

私は、ゆりの動きを見ながら、時々、人間の行動をスローモーションで見

ているような気分になった。 彼女が手摺りを頼らずに階段を昇り降りする

ことにさえ、感動を覚えるようになった。

              Photo_3

 

  普段、できて当たり前と思っていたことが、決してそんなものではなく、

とても貴(とうと)いことのように思えてきた。 

  彼女を見ることによって、自分を見つめ直し、ひいては人間そのものに

ついて考えを新たにすることができた。

 

  ゆりは、食べることも飲むことも、普通の人のようにはできない。水でさ

えも、少しずつ少しずつ口に入れてもらう。中村先生が、それを周到に

こなされる。 

  ゆりは、生まれてこの方、ご飯をお腹いっぱい食べるとか、水を好きな

だけ飲み干すといった体験をしていないと思う。 

  どちらかと言えば、彼女の胃袋の中には、食物よりも薬の方が多く入っ

ているのではないかとさえ思う。 

 ほぼ健康なわれわれには、そういった生活は考えられないのではなか

ろうか。でもゆりは、そういった厳しい境遇をひたすら耐えているとも言え

る。

 

  まるでお人形でもあるかのようなゆり、外見は、決して魅力的などという

形容はできないけれど、われわれに見えない内面には、きっと素晴らしい

“宝物”を持っているような気がする、 

  障害児と接していて「本当に美しいものは見えるものではなく、感じる

ものである」というヘレン・ケラーの言葉が、少し理解できるような気がした。

                                          【つづく】

 

 

 

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