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2014年9月

2014年9月30日 (火)

『内気な天使たち』(17 )

    夏の日のマラソン



  午前中の陽射しを暑いと感じ始めた初夏の頃、本校では、まだマラソン

練習が続いていた。生徒の体力づくりのためには是非とも必要な時間

なのだろう。 

  マラソンは秋、冬のスポーツと思い込んでいた私にとって、日中の暑い

陽射しの下でのマラソンは、些か奇異なものに感じられた。だが、先生や

生徒たちは真剣である。みんな、それぞれのペースに合わせて懸命に走

っている。

 

  中には、足の不自由な生徒もおり、走るというよりは歩くかたちとなる。

それでも、木下ジュン君などは、決して止まろうとはせず、懸命に歩き続け

ている。

  駿足な生徒たちは、A公園の周りを四周か五周は走る。これは、なかな

かの運動量だ。A組のアキラ、学、それにB組のマコトや仁(ひとし)が、

この先頭集団を走っている。 

  一年生の野田君なども、彼らと一緒だ。小山先生や田中先生が、彼らの

伴走をなさる。先生方のTシャツは、汗びっしょりである。小山先生の鍛え

抜かれた逆三角形の上半身が、時折、汗で透けて見える。

 

            Photo



         
        Photo_2



  私は大体、愛ちゃんと一緒に歩くことになる。たまに、二年生の沢口君

や軽部君の伴走した時は、久し振りに走ったという思いだった。 

  嬉しさの余り、後ろ向きになって、彼らに気をとられながら走っていたら、

突然、植木工事で停車中の軽トラックに激突してしまった。暑さのせいで

はなく、私の喜びと興奮から生じたミスだった。



  その日も、三周目を終わろうとしていた時、ゴールの七、八十メートル

手前で、勇太が膝を地面につけて、しゃがみ込んでいる。よく見ると、

鼻血を出している。 

  彼は、足が不自由で、思うように走れない。時には、歩くことさえしんど

いと思うことがあるみたいだ。 

  本田先生が、後方から「中山(勇太)、走れ!」と呼ばれる。その声には、

鬼気迫るものがあった。

 

  その大きな叫び声が、公園の樹々の間に響く。勇太は辛そうだったが、

おもむろに起き上がり歩き出した。その足取りは、決して軽やかなもので

はなかったが、一歩一歩歩いて行く。 

  本田先生が、彼の手をとって「イチ、ニ!、イチ、ニ!」と掛け声を掛けな

がら同行なさる。そこには、甘い妥協を許さない、本田先生の教育者とし

ての毅然とした厳しさがあった。二人は、まさに一丸となってゴールに到着

した。



  後日、本田先生がお休みをとられた時、マラソン練習の時間、勇太が

黙々と一人で歩いている姿が印象的だった。これは、普段、本田先生が

毅然とした態度で接していらっしゃる賜物だったのではないだろうか。 

  初夏の暑い陽射しの中、ひたすら前を見て走る勇太の姿に、真の教育

の一端を見る思いだった。

 

 

  源 ゆりさん 

 

  ゆりは、四月に初めて会った頃は、人見知りして、手も握らせてくれなか

ったけれど、最近は、彼女の方から手を差し伸べてくれるようになった。

 紙工の作業で一緒にやっているせいか、校内でも会うと、ハッ!と笑顔

見せてくれる。

  或る日、廊下で、彼女が中村先生と歩いているところと出会った。すると、

彼女は私に気づいてくれ、思わず笑顔を見せてくれた。彼女の一瞬の表情

の変化を察知された中村先生が、「あら、ゆりは、中年のおじさまが好きな

のね」と、茶目っ気たっぷりに仰る。



  確かに、中年には違いないけれど(*とりわけ、当時)その中村先生

の明るい言葉と、ゆりの、予想もしなかった笑顔が、たいへん嬉しかった。 

  というのも、私を見て、思わず明るい表情になる女の子や女性など、

他にいないのだから。それに、そんなことは、私にとって、生まれて初めて

の体験だったからである。

 

  彼女とは、紙工班で、紙をちぎる作業と、紙の素材をミキサーにかける

仕事を一緒にする。彼女は、すべてを、積極的・意欲的にやるというわけ

ではない。だがそれでも、少しずつ作業に慣れてきたようだ。
          Photo_3
  彼女には、今のところ、ミキサーのスイッチを入れる力がないので、一緒

に押す。 

 ミキサーが廻っている間、紙をちぎるのだけれども、私がある程度破った

上で、ちぎってもらう。 

  ちぎるのを、突然思い出すかのようにやってくれるのが、とても不思議な

感じである。 

 概して、従順に作業してくれるので、指導そのものが大変だということは

ない。

 

  ミキサーから、紙素材の入った水溶液を、四角いポリ容器に入れる。

その際、洗い場の鏡で、ゆりの顔や姿が映る。 

  すると彼女は、映った自分の姿を見て、ニコリとし、自分を指差す仕草

をする。 

 お母さんとスーパーマーケットに行った時も、まったく同じようだ。鏡に映

った自分の姿を指差しながら、「ゆり、ゆり」と言うとのことだ。 

  後片付けや雑巾がけなど、もう少し自発的、かつ滑らかにできたらいい

なと思うが、そのためには、もう少し時間が必要なようだ。

 

  雑巾を与えて、拭くように促しても、それを持ったまま、棒立ちの状態で

ある。何分でも、ストップ・モーションのままなのである。 

  まるで、田舎の案山子のような感じだ。時間が止まったような雰囲気で

さえある。 

  やっと、雑巾がけをする体勢に移るが、なかなか前に進まない。そんな

時、石橋先生の「ゆりさん、どうしたの。早く行きなさい」との声が飛ぶ。 

  毅然とした教育者の声である。ゆりは、少しずつ前へと進んだ。ほぼ止

まったような状態で雑巾がけをするゆりの後姿を見て、人間の意識や

行動も、実に様々なものがあると、私は妙に感心してしまった。 

                                       
【つづく

2014年9月29日 (月)

『内気な天使たち』(16 )

     晴男君(2)




 最近、晴男の家族は引越しをした。晴男は、新しい環境に入るのは難し

い子だ。「引越し」が、言葉や状況では判断できない。彼は、凄く戸惑った

に違いなかった。 

  だが、彼は荒れるとか、態度が外向きに出る子ではなかったという。 

母親は、その「戸惑い」が体に出るのではないかと心配した。 

  案の定、しばらくすると、パンツやトイレに血がつくようになった。痔であ

る。早速、病院へ連れて行った。痔には良いと聞いていた病院である。
 

           Photo_5

       

  だが、担当医は、ちょっと診ただけで「奥は診れない」と言う。彼女が

「どうしてですか?」と問うと、「(彼が)協力しない」という答えが返って

きた。

   彼女が「大人しい子で、大丈夫ですよ」と言うと、医者は、「さっき、お尻

を引っ込めたでしょう」と言う。 

  「協力って、子供自身が何かしなければいけないんですか? やって

みるだけ、やってみませんか」と彼女が言うと、医者は、やっと渋々診て

くれた。彼女は、無性に腹が立った。

 

  痔の薬を貰って帰ったが、帰宅後、彼女は落ち込んだ。時間が経って、

やっと立場や感覚の違いでは仕方のないことだと思うようになった。 

  先日、彼女はある人に、「晴男を育てるのに、片意地張って暮らしている

から大変よ」と言った。すると、「片意地張らなければハードルを越えられ

ないんでしょ」という言葉が返って来た。彼女は、その通りだと思った。 

  彼女自身、無理なく自然に、肩に力を入れず、人にぶつかることなく

平穏に暮らせたらと思う。

  だが、片意地を張っているからこそ、晴男のことで、親切な行為や思い

やりを受けた時、彼女は、とても嬉しく涙が出てくることがある。

  最近、車椅子の方のお供で、彼女は晴男と一緒にお習字の展示会に

行った。とても落着いた会場で、二人は、お茶とお菓子を出してもらった。 

  たいへん温かい持て成しと落着いた雰囲気の中で、彼女は、ふと肩の

力がとれたのか、つい涙が出てしまったという。 

  そんな彼女を見て、会員の一人が、彼女に色紙をくれた。それには、

「天にも地にもひとりなる 尊き我に 目覚めよ」とあった。彼女は、

阿弥陀様の言葉だと聞いた。

         Photo_2


  今、晴男を含めた彼の家族は、皆が寄り添いながら、色々な人の力を

借りて、一生懸命に生きている。 

  晴男の優しさや純な心を、最もよく理解してくれているのは、彼の両親

であり、兄姉たちなのである。 

  私が本校で一番親しくできたのは、彼だったように思う。最初の日に、

荒川の土手から手を繋いで帰って以来、彼は、私を見ると、必ず

”ゴッツンの挨拶”をしてくれた。 

  時には、”キツーイ一発”もあった。彼は、それを知ってか知らでか、

エヘヘと笑っていた。でも、まったく悪意は感じられなかった。 

  むしろ、陽介のよだれを拭き取ってあげる仕草などを見ていると、彼は、

とても優しい心の持主だと思う。 

  私は、晴男のお蔭で、障害児に対する偏見の目を摘み取られたような

気がするのだ。

 

 

   七夕かざり 

 

  今日(七月四日)、中学部は、集会の時間、体育館で「七夕かざり」をし

た。館内には、大きな竹が二本、準備されていた。 

  田中先生始め、有志の先生方が用意されたものだ。小学部と中学部の

ものである。

               Photo_3



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  進行係は加藤先生である。生徒たちは、学年別に並んでいる。マイクを

通して、加藤先生の声が館内によく響く。「さあ、今日は、竹が二本用意

してあります。何故だか分かりますか? 分かる人?」と、先生がみんな

に問いかけられる。

 

  すると、一年生の勇太が、さっと手を挙げる。先生が彼を指されると、

勇太は、「笹の葉・・・・」と、少しあての外れた答えを出す。すばやく

加藤先生曰く。「中山には、余り期待はしていなかったけれど、そうでは

ありませんね。誰か他の人?」と。 

  すると今度は、三年生の愛ちゃんが、「七夕・・・・」と、小声で答える。 

「そう、七夕かざりをするためのものですね。七夕って、どんなことか分

かりますね。これから、井田先生に七夕の講談をやってもらいます。

 

  日野先生と江藤先生にも御協力いただきます。みんな、よく観ていま

しょう」と言って、加藤先生は、マイクを井田先生に渡された。 

  さて、井田先生の講談と、日野先生と江藤両先生による人形劇である。

題は、「たなばた」―。 

  ただ、彦星が「木村拓也」に、織女が「児島愛(*愛ちゃんの仮名)

替わり、現代風にアレンジされていた。 

  久し振りに観た人形劇だ。井田先生の語りも面白く、日野・江藤両先生

の人形の扱いもなかなかのものだった。 

  中には観てない子もいたけれど、愛ちゃんなどは、目を皿のようにして

見入っていた。

 

  人形劇が終わった後、段差のある平均台が館内の中央に置かれた。

ゲーム形式の飾りつけである。学年に分かれての競走だ。 

  高い平均台の上を恐る恐る歩く者、低い平均台でも、つい落ちてしまう

子など、様々である。 

  飾りつけに、体育的な要素や一種の「遊び」を採り入れるところなど、

とても養護学校らしいと思った。たいへん楽しいひとときだった。

 

  三年生の書いた短冊には、それぞれの思いが込められていた。

「もうすこしやせますように」「いいおにいさんになります」「けーきやさん

になりたい(*これは、愛ちゃんである」「ともだちやせんせいと、なか

よくあそべますように」「笑顔の素敵な人になってほしい(*一人のお母

さんより」「おまんじゅう(*これは、晴男の短冊ある)」「たなばた」

・・・・・・様々な願い中に、みんなの純な心がこもっていた。 

                                     【つづく】

 

2014年9月27日 (土)

『内気な天使たち』(15 )

  晴男君(1)


 朝の挨拶の際、殆どの生徒につれなく無視されるのであるが、晴男君

だけは違う。彼は、私を見ると両手を広げ、肩に手を掛けてくれる。

そして、互いにハグをする。それから、額と額を軽くゴッツンとやる。

今、私にとって、一番楽しい瞬間だ。 

  その晴男のお母さんが、T第三中学校で、生徒を対象に講演をした。

障害児を持つ母親として、より多くの生徒に障害児を理解してもらいたい

という試みである。



  それによると、晴男が生まれた時、彼女は二十七歳だった。彼が生ま

れた時、産院では、彼がダウン症児であることを告知しなかった。 

  彼が生まれて一ヶ月後、彼が風邪のため連れて行かれた小児科の

病院でも、何も言わなかったという。 

  ある夜、彼の呼吸が弱く心配していると、彼は突然チアノーゼを起こした。

両親はびっくりして救急車を呼んだ。その時初めて、彼らは、晴男がダウ

ン症だと宣告されたのである。


         Photo


          Photo_2


  その後、一年間は、病院を出たり入ったりの繰り返しだった、彼が三歳

の時、N区に引っ越して来て、心身障害者福祉センターと民間の幼児

教室に通うようになる。 

  そして彼女は、晴男に言語教育を受けさせたいと思い、療育センター

で心理判定を受けた。

 

  その時彼女は、心理の先生に、まだ母子関係ができていないので、

「母子分離」は早いと言われた。母子分離とは、親子を離して指導を

受けるということである。 

  まだ親子でどう関わるのかといった指導の方が大切だということだった。

彼女には、納得がいった。



  だが、身障センターも幼児教室も「母子分離」の指導だった。そこで

彼女は、母子一緒での指導を頼んでみた。身障センターでは駄目だっ

たが、幼児教室は、どうにか聞いてくれた。そして幼児教室では、

皆の中で、彼女と晴男二人だけの世界だった。 

  晴男は、なかなか他人に目を向けようとはしない。ただ、二人の間の

「母子関係」は形成された。

 

  彼が四歳になった時、障害児として保育園に入れる年となった。心理

の先生は反対したが、彼女は余裕が欲しかった。 

  晴男には、五歳違いの兄と三歳違いの姉がいる。余裕が持てた時、

彼女は、晴男の兄姉にやっと目がいった。だが、晴男だけに明け暮れて

いた間、この兄と姉の様子が変な状態になっていた。


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  兄は落ち着きがなく、意思の伝達が言葉で上手く表現できず、行動が

先に出てしまうというトラブルがあったという。 

  或る時、彼女は、娘の小学校の担任に「夏休み、どこか行きましたか?」

と問われ、ハッとする。姉は、外ではしっかり者だったが、家では、必要

以上に母親にまとわりついていた(*下の写真は、イメージ)

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  母親も、できる限り娘を受け入れようと努力したが、長男の方は、母親

に求めることはなかったという。彼女は、長男に気を遣うのだが、結局、

何もしてやれなかった。

  晴男がいることで、彼の兄は、学校でよく虐められたようだ。或る日、

彼は、学校帰りに泣き叫びながら、必死に同級生を叩いていた。  叩かれ

ている子は、懸命に謝っている。

 

  この場面を、彼女は偶然ベランダから見てしまった。彼女は、この場面

を見ながら、よほど悔しい思いをしたのだと思った。 だが同時に、親が

口出しできないものを感じ、彼女は、何も言わなかった。 

  後で、学校であったPTAの催しの際、彼女は、息子に叩かれていた

生徒に会い、話をした。やはり晴男のことでからかったらしく、その子も

その事に関して反省もし、叩いた兄をどうこう思っていない様子だった。



  姉も小五か小六の時、「しんちゃん」「しんちゃん」と虐められるように

なり、悔しくて泣いていた。「しんちゃん」というのは、身体障害の「しん

ちゃん」という事だそうだ。 

  晴男の母は、担任の先生にクラスで話し合ってほしいと頼んだ。

その時、先生は「もう一人、お子さんと同じ境遇の子がいます。その子は、

話し合いに耐えられないでしょう」と言う。 

  晴男の母は、担任の言葉が、よく理解できた。先生に任せることで、

帰宅した。担任は、当事者だけを集めて話し合ってくれた。その後、

虐めは、次第に終息したという。

  この兄姉とも、晴男には、とても優しいようだ。母親は、晴男のことで

は悩んだ。彼に一番合っているのではないかとT養護学校に入学した。 

  ただ親として普通の子との触れ合いが欲しいということがあり、二年生

から学童に入れてもらった。普通の子供と遊べるような段階ではなかっ

たので、ほとんど皆の遊んでいる姿を見ているだけだったようだ。

彼女は、それでもいいと思った。

 

  学童で親子のレクリエーションがあった。その時、彼女は、学童の先生

に「参加の仕方について、どうしましょう?」と聞かれた。彼女は、「お任

せします」と答えた。 

  当日、オリエンテーリングの組み合わせの紙が配られたが、その紙に

は、晴男の名前はなかった。彼女は、ショックだった。晴男が普通の子供

ではないだけに、余計に感じたと言う。 

  彼女は、先生に「どうしてないのか?」と詰問した。そして、「他の子と組

めなくても、何もできなくても、名前だけは載せて欲しかった」とつけ加えた。 

  その時、先生は「任せる、とお母さんは言いました」と答えた。

 

  晴男の母は、「工夫して参加させて下さると思い、参加のさせ方につい

てお任せしますと言ったんです」と反論したが、先生にとっては、参加を

含めての「どうしましょう?」だったのだ。彼女は、とても切なかった。

先生は、親が、こんな思いをするとは考えつかなかったのだろう。

 

  三年生になり、学童の先生も替わった。新しい先生は、晴男を子供たち

の中に入れる工夫をいろいろと考えてくれた。三年が終わった後も、

「遊びにおいで」と言ってくれ、晴男も、たまに遊びに行った。 【つづく】               

2014年9月26日 (金)

『内気な天使たち』(14 )

    陽介君と避難訓練


  今川陽介君(仮名)は、重度の脳性マヒである。常時オムツをしており、

殆ど赤ちゃんと変わらない。

   彼は、言葉を発することもなく、手を取ると、“拍手をして!”といった

仕草をする。手を合わせた時のパチンという音が、彼に聞こえているの

かどうか定かではない。 

  唯、そうして上げると、陽介は、顔を左右に振りながら、嬉しそうに微笑

む。腰と首が安定していないが、決して歩けないわけではない。


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  しかし、彼は「凶器」(?)を持っている。それは勿論、ナイフなどでは

ない。爪で ある。 陽介は、握力が異常に強い。それで、ギュッ!と握ら

れると、いつの間にか、彼の爪痕が残り、そこから鮮血が滲み出ること

がある。 

  だが陽介自身には、きつく握っているという感覚はないと思う。しかし、

五ヵ所ほどやられた時(それも、指の間の柔らかい部分を)は、かなり痛み

を覚えた。用心のため、保健室の遠藤先生に消毒してもらった。


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  “陽介は、まるで天使のような顔をしながら、実はサタンの爪だ”などと、

少年時代の「月光仮面」の仇役の名前を心の中で思い出しながら、私は、

思わず苦笑してしまった。 

  多くの先生方が、同じような体験をなさっているようだ。 

以来、他の先生方と同様、彼の手首を握ることで、一応の「緊急避難」とし

ている。

 

  今日(四月二十五日)は、避難訓練の日だ。事前に連絡がしてあったの

で、「避難開始」の放送が入るやいなや、みんなは教室の机の下に身を

かがめた。 

  私は、その時、三年C組の陽介と一緒にいた。よだれ拭きをつけた彼は、

しゃがみ込んだまま、全く動こうとしない。 

  「さぁ、陽介、机の下に隠れるんだよ」と言っても、一向に理解してくれな

い。目を左右にやりながら、手を叩く仕草をする。 

  B組のみんなは、石橋先生と一緒に、机の下に頭を突っ込み、お尻を突

き出した形で避難している。それなのに、陽介は、全くワアワアといった

感じで、はしゃぎまくっている。まったく避難訓練どころではない。

                           (*下の写真は、イメージ)


            Photo_3


  私は、中学や高校、それにハワイのコミュニティ・スクールでも避難訓練

を経験したが、避難できない避難訓練を体験したのは、これが初めてだっ

た。 

  「避難終了」の放送が流れるのを聞きながら、「わあ、陽介と先生、もしか

したら死んでたね」と彼に言った。 

  陽介は、それを理解したかどうか分からないが、ただ大きな目を左右へ

動かし続けていた。

 

  実際、陽介が、大災害に遭遇したら、彼は、一体どうなるのだろうか。

そのまま苦しみを感じることなく死んでいくのだろうか。 

  いつも頭を振っている彼を見ながら、私は、とても複雑な気分になった。

 

 

  すみこちゃんとのマラソン練習 

 

  今日(四月二十五日)は、離任式があった関係で、マラソンの練習は、

屋上で行われた。 

  私の今日の相手は、C組のすみこちゃんである。彼女は、常時、指の

おしゃぶりをしている。みんなが屋上に行くので、私も彼女の手をとって、

後について行った。

 

  だが、何を思ったのか、彼女は屋上に上がろうとはせず、階段を下りて

帰るような仕草をする。 

  すると、その様子に目を止められた小山先生が、「すみこ、どうした?

屋上だよ」と、彼女の手を強く引っ張って、上がって行かれた。 

  彼女は、仕方なさそうに、それでいてちょっとふてくされ気味に、小山

先生について行った。やはり、生徒には、毅然とした対応が必要なのだ

と思った。



  小山先生のリードで準備体操だ。愛ちゃんが、中央に立ち、「イチ・ニー・

サン・シー」と数を数える。みんなは、腕立て伏せの格好(ブリッジ)で、

じっと耐えている。 

  だが、ジュン君には、この姿勢はできない。彼は、立ったままだ。 

ワタルは、“僕は、こんなことやんないよ”と、独立自尊で棒立ちになって

いる。陽介は、立って外の景色を見ながら、殆どストップ・モーションの

状態だ(*下の写真は、イメージ)

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  体操終了後、みんなは駆け足を始めた。私の相手は、先程のすみこ

ちゃんである。 

 だが、彼女は、走るのが苦手で、嫌みたいだ。上体が前に傾くのでは

なく、後ろにのけぞってしまう。それで勢い、彼女の腰の後ろに手をやっ

て、体を支えながら走ることになる。

 

  「イチ・ニー・サン・シー」を掛け声をかける。だが彼女にとっては、無理

に走らせられているという思いなのだろう。次第に息遣いが荒くなり、

少し頭を振る様な格好になる。 

  二周目にさしかかった時、小山先生が、「あれ、すみこ、発作かな?」

と仰る。 

 だが、私は、発作の際の処理など全く知らない。どうしたものかと戸惑っ

ていた時、石橋先生が、後方で声を掛けられる。「すみこ、(渡邉)先生に

甘えているのよ!」と。 

  それを聞いて、内心ほっとした。心の中で、”すみこちゃん、後生だから、

発作のような素振りで、私に甘えないでおくれ”と願った。

 

  すみこにとって、走るということは、赤ちゃんが眠りを覚まされてむずが

るような思いなのかも知れないな、と思った。きっと、すみこにとっては、

“走ること”は、異常なことなのだ。 

  だが、その「異常なこと」をマスターしなければ、全く植物のようにじっと

したままの人間になってしまうよ、と私は心の中で、すみこに語った。 

  しかし明らかに、すみこには、私たちと違う「世界」が存在する。

それは同時に、われわれの知らない世界でもあるのだ。   【つづく】                  

 

 

 

2014年9月25日 (木)

『内気な天使たち』(13)

   陶芸(粘土)の時間

 

 今日(四月二十二日)は、中一担任の本田先生のピンチヒッターで、

陶芸コースのお手伝いをした。担当は、加藤先生と井田先生である。 

  加藤先生が初心者の御世話、井田先生が、ある程度できる生徒たちの

指導をしておられる。生徒のリーダーは、三年A組の木下ジュン君である。

彼が、「起立!」、「礼!」と号令をかける。なかなか立派である。

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  私は、中一の中山勇太君と藤山清美ちゃんの間に座って、一緒に粘土

をこねることになった。 

  勇太は、両手の指が、普通には動かない。思うようにならないもどかしさ

からかどうか分からないが、粘土を口に入れて食べるような所作をする。

それが、決して冗談ではないので、一瞬ギョッ!とする。



  彼が余りにも落ち着きがないものだから、向かいに座っていた加藤先生

が、「勇太、こっちに来て座れ。はい、吉野と交代」と、彼の席を替えた。 

  中山君は、どうも私の手に負えないようだ。 

  代わりに座った吉野光君(仮名)は、席に着くなり、「わあ、すごーい!」と

同じ言葉を口走りながら、粘土をこね始めた。家でお母さんに言われてい

る言葉を、オウム返しに言っているのだろうか。

 

  私の左隣りの清美ちゃんは、私の方を向いてニコニコしているが、全然

手が動いていない。ここで何をすべきなのか全く認識できていない様子だ。

よく見ると、左の手が小刻みに震えていた。 

  「はい、清美ちゃん、こうやってこねるんだよ」と言っても、彼女は、私の

眼鏡を、ニコニコしながら見ているだけだ。それでも、一緒にこねていると、

どうにか幾つかの灰皿が出来た(*下の写真は、イメージ)


           Photo_2
 

  ジュン君たちは、井田先生と一緒に、大物に挑戦している。とても真剣な

まなざしだ。 

 初心者は、先ず粘土に慣れ、それをこねて、基礎的なもの(灰皿や小さ

な置物、それに文鎮など)を作る。

             Photo_3


  今日は、加藤先生と、大学時代に習ったデビッド・リースマンの話などを

して過ごした。「わあ、リースマンなんて、何十年ぶりだろう」と、加藤先生

は、白い歯を見せて快活に笑われた。私も、たいへん懐かしい思いだった。


  後片付けは、みんな一緒だ。椅子を机を載せる時、私が少々ふざけ

がら、ちょっと一回転させると、清美ちゃんは、よほど面白く感じたのか、

キャツ、キャツと笑い出した。可愛い一年生だ。彼女は、私の姪と同い年

なのだ。 

  みんなと一緒に雑巾がけをする。それこそ何十年振りかの雑巾がけが、

なぜか楽しい。殆ど手足を使うだけの仕事なのだが、この快い感じは、

一体どこから来るのだろう。


 

  離任式

 

   今日(四月二十五日)は、本校を離れる先生方の「離任式」の日だ。

陽光の射す明るい体育館には、すでに小一から中三までの生徒達が腰

をおろしている。

   離任なさる八名の先生方が入場される。それを、みんが拍手で迎える。

先生方が、用意された椅子に着席なさると、司会の先生が、式の始まりを

知らせ、先ず校長先生の挨拶があった。その後、離任される先生方が、

T養護での教員生活の長い香山先生(仮名)から、御一人おひとり、みん

なの前に立って、お別れの挨拶をされた。 

 

  K高等養護学校に転任された香山先生は、十一年間、本校で過された

とのこと。ということは、全生徒のことをご存知なのだ。 

  この式でも、中一の吉野光君を呼ばれ、二人で絵本の朗読をなさった。

擬音の多い絵本だった。吉野君は、心なしか恥ずかしそうだったが、そこ

には、型通りの離任式にはない温かさがあった。

 

  先生方の中には、N島の養護学校に転任なさった池田先生(仮名)も

おられた。 

 先生が、「N島には、みんなの好きな電車やバス、それに地下鉄はあり

ません」と仰ると、生徒ではなく先生方やご父兄が爆笑なさった。

          Photo_4

 

  池田先生は続けられた。「だけどね、海の水は綺麗だよ」と。何気ない

言葉の奥に、生徒たちに噛んで含めるように語られる先生の思いやりを

感じた。

  その他、都内の各養護学校に転任された先生、それに普通中学に移ら

れた先生もおられた。 

  養護学校の先生方は、概して話が上手いと思った。それに、何とも味の

ある先生が多いと感じた。 

  やはり、普通の学校とは違い、ハンディを背負う生徒たちと接するうちに、

何かしら人の痛みのようなものを感じられるからだろうか。先生方に感じる、

あの深みと味わいは、一体何なのだろうか?

 

  転任される先生方に、生徒の代表から花束が贈呈された。三年生は、

のぞみちゃんと愛ちゃんが、その渡し役となった。

  その後、みんなで校歌を歌った。「そらはかがやき  とりはうたい 

 みどりのおかにとつづくなみき  なかよくげんきに  まっすぐすすもう」。 

  シンプルだけど、とてもいい校歌だった。 この歌詞の意味を理解できる子

は、殆どいないかも知れない。いても、数える程だろう。 

  でも、この校歌は、みんなが元気に生きていってほしいという応援歌な

のだ。

 

  先生方が退場なさる時、生徒や先生方、それにお母さん達が、花道をつ

くり、両側から思い思いに声を掛けられた。 

  そこには、何とも言えない温かみと明るさがあった。彼らに応える先生方

の後姿にも、晴れ晴れとしたさわやかさが漂っていた。      【つづく】  




 

 

2014年9月22日 (月)

『内気な天使たち』(12)

   清水恒(わたる)君

 

  清水恒君(仮名)は、T養護の中では、異色の生徒である。知能程度は、

群を抜いて高い。他の生徒に比べると、はるかに利発だし、運動神経も

いい。 なぜ、この子が本校にいるのだろうという思いになる時がある。

 

  だが、加藤先生の言では、清水君の家庭環境は複雑なようだ。父親が

アル中で、母親にも、軽度の精神疾患があるとのことだ。それらが、ワタル

にも、少なからぬ影響を与えている。心身障害(あるいは知的障害)の

範囲は広い。彼にはまた、喘息の持病がある。

 

  家庭環境が厳しいだけに、ワタルは、登校するのが誰よりも楽しいらし

い。スクールバスから降りる時は、さも待ち遠しそうで、必ず先頭になって

降りて来る。その姿が、とてもいじらしい。



  ワタルの欲求不満の解消法は、二つある。一つは、廊下で大声を上げ

て叫びまくること。二つ目は、レーシングカーのプラモデルを作って、それ

をサーキットで走らせることである。サーキットは、段ボールを解いて、

上手に作ってある。

               Photo



  廊下での叫びには、鬼気迫るものがある。「先生たちって、役立たずで、

駄目じゃないか!」とか、「酒ばかり飲んで、仕様がないなあ」とか「こんな

の授業じゃないよ」など、なかなか手厳しい。先生方も、時々苦笑している。

 

  その他、日頃、お母さんなどから言われているようなことを叫ぶことがあ

る。結び言葉が、時折、「~なのよね」と女性言葉になっているのも可愛い。 

  廊下や階段での大声も、授業中でもない限り、彼の言いたいままにさせ

ておく。大声を上げることで、「不満」を解消しているのも事実だからだ。




  この頃、ワタルは、ドラゴンボールの主人公・孫悟空になりきっている。

彼の多重人格的な独り言には、鬼気迫る迫力と魅力がある。 

  二学期になると、「レッツ君」と「ゴー君」の二人が、彼の口を通して対話

することになる。まさに”レッツ、ゴー”なのだ。

 

         Photo_2


  レーシングカーの製作も、なかなか見事だ。彼は、余程好きなのだろう。

時々、電池を入れて、サーキットを走らせている。このサーキットは、

小山先生と田中先生の御指導で作ったのだろうか。とてもよく出来ている。

 

  今朝も、ワタルは、ジェットコースターのようなループを組み合わせた

サーキットで、レーシングカーを走らせていた。車が逆様になって一回転

し、そのまま態勢を整えて走って行く。“成功だ!” 

  それを近くで見ていた私は、思わず拍手をした。ワタルも、心なしか嬉し

そうだった。

 

  実は、本校での初日、荒川土手の散歩で、私が最初に話し込んだ生徒

は、ワタルだった。喘息の治療で、毎週通院しているとのことだった。 

  彼は、重い知的障害はなくても、身体に障害を持ち、この学園に通って

いる。私は、彼ともっと親しくなるべきだと思った。

 

 

 

  雨の日のトレーニング




  今日(四月二十二日)は、朝から雨。マラソン練習は、プレイルーム

(*下の写真は、イメージ)と廊下でやることになった。 

  中学生全員が、二つのグループに分かれる。元気に走り廻れる生徒は、

三階の廊下を駆け回る。その他の生徒(障害度の高い生徒)は、プレイ

ルームで準備体操をした後、二階の廊下の一部を使って手足の運動を

する。

            Photo_3

  プレイルームで、女教諭の中沢先生が号令をかける。「並んで!」。

すると誰かが、「イヤ!」と言って、先生の側に立とうとする。「あんたは、

こっち」と、中沢先生によって、列に戻される。

 

  全員、名前を呼ばれる。自分と違う名前なのに、思わず挙手をする生徒

がいる。 

 返事のできない子もいるので、担任の先生が代わって返事をされる。

立ったまま目を閉じて眠っている子もいる。

 

  準備体操が済めば、次に二階の廊下で、往復の駆け足だ。その他、

後ろ向きに走ったり、雑巾がけのような格好で走る。それぞれの障害の

程度に合わせて運動が要求される。 

  決して無理はさせないが、同時に甘やかすこともない。全体的に、

腕の筋肉のトレーニングが重視される。慣れないせいか、途中で泣き

出す生徒もいる。

 

  難聴児の西山守君(中一・仮名)は、大きな体にも似合わず、廊下の

隅にへたり込んで、ポロポロと涙を流していた。 

  「どうした、マモル君?」と尋ねても、泣きじゃくるだけで返事がない。

彼にとって、今日のトレーニングは、初めてのことだったのかも知れない。

 

  悲しみの涙というより、「驚き」から自然に流れた涙だったのかも知れ

ない。赤ちゃんにとっては、泣くのも運動とのことだが、本校の生徒たち

にとっても、泣いたりわめいたりするのも運動なのだと思う。泣きたい時

は、存分に泣けばいいと思った。



  廊下での運動を終えると、もう一度プレイルームに戻った。整理運動に

ストレッチをする。手足がなかなか曲がらない生徒もいる。腰を曲げられ

ない子、座れない子と、様々だ。

 

  今日は、三年C組のすみこちゃんも、心なしか興奮気味だった。「今日

は、朝から、すみこ、何か変だよ」と、加藤先生。 

  彼女は、頭を振ったり、上体を小刻みに震わせている。息遣いも荒い。 

私は正直、彼女の形相を見ながら、”悪い霊でもとりついているのじゃな

いか”と、思ってしまった。

 

  重度の癲癇症の子は、このような表情をするのだろうか。その痙攣す

る子の顔と体を、私は初めて見た。 

  整理運動も終了し、みんなは、次の時間の作業へと移って行った。

                                        【つづく】

 

 

 

 

 

2014年9月20日 (土)

『内気な天使たち』(11)

   愛ちゃんとのマラソン練習




  今日は、中学全学年合同でのマラソン練習だ。全学年四○名といった

ところだ。 

 様々な生徒がいる。待ち時間、ちょっと退屈したのか、木の葉をむしり取

り、むしゃむしゃと食べている子、ニヤニヤしながら辺りを徘徊する子、

それに急に泣き出す子などである。

 

  泣き出した一年生野田治君(仮名)の担任、本田先生(仮名)に、その

理由を尋ねると、たぶん自分の予定になかったことをやらされるので、

抗議の意味もあるのではないか、ということだった。

 

  一年生のマラソン練習は、いつも屋上で行われる。ところが、今日は

合同で、A公園で走るものだから、それが不満だったらしい。 

  確かに、彼らの中には、新しい変化を極端に嫌がる子がいる。極度の

ストレスを感じるのだろうか。

 

  準備体操をする。生徒の中には、腰が曲がらない子もいる。前や横に手

を振る際にも、ただ上にだけ手を挙げてしまう子もいる。結構、個性的な

準備体操である。

 

  運動能力別に伴走する先生が振り分けられる。私は、三年生の児島

愛ちゃん(仮名)の伴走をすることになった。 

  愛ちゃんは、進行性の癲癇で、用心のため、頭にプロテクターをはめ、

顎の下に、ガーゼのハンカチを付けている。よだれをカバーするための

ものだ。

 

  それを、担任の石橋先生(仮名)が、必要に応じて取り換えられる。

愛ちゃんは、右の手足が不自由で、思うように走れない。 

  私は、彼女の完全には開かない右手を支えるように持ち、一緒に歩い

た。途中、女の子らしく、色々と話しかけてくれる。

 

  テレビの番組では、「ゲゲゲの鬼太郎」と「セーラー・ムーン」が好きだっ

たとのこと。弟が一人いること、家では、オカメインコを飼っていること、

お父さんは鳥好きで、鳥たちの名前をよく知っていることなどを語って

くれた。          



 
  公園内を見渡すと、そこには、のどかな風景があった。犬がプリスビー

を追っかけていたり、保育園児が小山の上を走り廻っていたり、幼稚園

児が鳩を追っかけ廻したりしている。 いかにも楽しそうだ。 

  私たちの直ぐ後ろを走っていた山本さんが、突然、アメリカタンポポを

見つめながら、クスクスと笑い出した。彼女には、タンポポが一体どのよ

うに見えたのだろうか。

       
                    Photo


   愛ちゃんが言った。「あっ! ハトが三匹いる」と。そこで私は、「愛ちゃん、

ハトを数える時は、三羽と言うんだよ」と言うと、「三羽ね」と答えてくれた。

素直だ。 

  確かに、三匹でも三羽でも問題はないのかも知れない。でも、何事も

「基本的なこと」を疎かにはできないと思った。

                           

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ゴールに達した時、日野先生(仮名)から言われた。「愛ちゃん、今日は、

いつもより 長い時間がかかったわね」と。―  少しお喋りし過ぎたみたい

だ。 

  生徒各自が、自分の体に合わせて頑張っている。私たちも、次回は、

もう少し走る(あるいは歩く)ことに専念しよう!

 

 

   新入生歓迎会




  今日(四月十八日)は、屋上で、新入生歓迎会があった。十一名の

新入生だが、二人欠席して九名の新一年生が、弧状に並べられた椅子

に腰をおろした。 

  指先を鼻に突っ込んでいる子、じっと下をうつむいている子、先生に抱き

かかえられる様な状態の子と、様々である。

 

  三年A組の木下純君が、加藤先生の指導で、司会をした。

  一年生一人ひとりが自己紹介をする。唯、マイクを持って何をするかが

分からず、じっとしている子が多かった。中には、マイクを口に入れる子

や、それをなめる子、それに自分の名前を言い終えた後、急に「ぞうさん」

の唄を歌い出す子もいた。 

  家でも、よく歌っているのだろうか。初め、何事かと思ったが、本人は、

とても楽しそうである。余程、好きな歌なのだろう。

 

  一通り挨拶が済むと、二年生の山本さんが、在校生を代表して「み・ん

・な・い・っ・し・ょ・に・が・ば・り・ま・し・ょ・う」と言い、彼女が右手を挙げた

かと思うと、みんなで、「エイ・エイ・オー」の掛け声を挙げた。何か独特

の雰囲気がある。 

  その後、ニ、三年生の有志が、これぞと思う新入生に握手を求めに行っ

た。いい意味でのスキンシップが、そこにはあった。

 

  それから、学年別対抗のリレー競走になった。これが、歓迎会の中に

組み込まれていたのである。 私にとっては、初めての体験だった。 

  だが、リレー競走とは言っても、みんな余り競走慣れしていないせいか、

先生からバトンを渡され、走るように促されても、なかなか走り出そうと

しない。 

  安達君は、「よーい、どん!」の合図が鳴っても、出発点で、ピョンピョ

ン跳ねている。 

  彼は、加藤先生にお尻を軽く叩かれながら、「さあ、安達走るんだよ!」

と言われるまで殆どその状態で、なかなか走ろうとはしなかった。 

  自分が今何をすべきかという認識も定かではないが、同時に、”競走

する”という観念が元々ないのかも知れない。

 

               Photo_3

  私は、三年の先生方のお手伝いをしている関係で、つい三年生を応援

してしまう。だが、今日の対抗リレーは、二年生が一番早かった。 

  しかし、右足が不自由で、マラソンの練習でも殆ど歩いていたB組の

愛ちゃんが懸命に走った時には、私は、思わず伴走してしまった。

彼女も、心なしか楽しそうだった。

 

  三人選抜の対抗リレーでの三年生アンカー清水君の走りは、実に見事

だった。全くの韋駄天である。伴走しても、追いつかなかった。 

  新入生歓迎会でのリレーというのは、本当に珍しいが、やはり、屋外

(たとえ屋上でも)で走り廻るのは気持ちのいいものだ。 

  このところ、デスクワークの多い私は、この快感を忘れていた。今日の

歓迎会は、この喜びを私に教えてくれた。心から感謝―。  【つづく】              

 

 

 


 

 

 

2014年9月19日 (金)

『内気な天使たち』(10)

  更衣室にて

 T養護では、校舎の奥まった所に、生徒の更衣室がある。日課にマラソン

や作業が含まれていると、標準服(制服)を運動着に着替える。服を一人

で脱いだり着たりできない子がいる。

 

  障害のためもあれば、他者への甘えの場合もある。服の前後や裏表を

反対に着たりする子も多い。そのため、前の方にボタンを付けてもらって

印にしている生徒もいる。だが、それでも、間違えることがある。 

  その他、ボタンがなかなか掛からなかったり、Tシャツでさえ、思うように

着れない生徒もいる。



  ジュン君は片手が不自由なので、ズボンのホックを外すことができない。

それで、それを外して上げると、彼は自分一人で懸命に着替える。時には、

歯まで使って着替える。彼は、とても素直で大人しい生徒だ。

 

  だが、周りを見渡すと、色んな生徒がいる。他の子の着替えにちょっかい

を出して、先生に叱られる子、奇声を上げて、殆ど遊んでいるような子、

自分の胸の乳首を触って、「オッパイ!」と言い、「何、可愛い事している

の?!」と、先生に怒られる子、果ては、室内で「大きな方」のオモラシを

してしまう子まで、実に様々だ。

 

  今日(四月十六日)、中学一年生の担任の本田先生が、更衣室に入るな

り仰る。「うーん?  何か臭う!」と。

 すると、加藤先生曰く、「翔太(仮名)が、大きいのやっちゃった」と。 

  私はふと、小学校に入学時、級友の一人(男子生徒)が、お別れの挨拶の

際、大きいのをお漏らししたことを思い出した。

 

  T養護の中学生も、中にはツヨシ君のような百キロに及ぶ巨漢もいるが、 

精神面では、保育園児や幼稚園児と、ほとんど変わらない。 あるいは、

極論を言うと、殆ど赤ちゃんと同じような子もいる。 

  部屋の隅では、深水博行君(仮名)が、オムツだけの姿で立ちつくしてい

る。上半身は裸だ。彼は、堀部先生の入室を待っているのだ。



  更衣中、一年生の中山勇太(仮名)が、加藤先生に「オハヨウ」と言った。

すると加藤先生、すかさず、「オハヨウじゃなく、お早うございますだよ」と

強く諭された。これも、基本的な言葉の躾なのだ。

 

  ダウン症の晴男が、一人で何か唸り声を上げながら着替えていた。

すると、同じダウン症で二年生の軽部君が入室して着替えを始めた。 

  とても気が合うのだろうか。二人は、挨拶代わりに、キスをした。

私は、男同士のキスを見たことなど初めてで、ハッ!としたが、彼ら独特

の親愛の情を示す表現らしい。 

  だが、社会教育上の問題もあり、このような行為は、小学生低学年の

時期ならまだしも、中学生なら、将来のことも考えて規制すべきだと意見

も多いようだ。ふと考えさせられるものがあった。

 

 

 

  良寛さんの心 

 

  われわれ日本人が愛する良寛さんは、慈愛の人だ。特に、子供を心から 

愛せる人だった。彼は地元(新潟・出雲崎)の子供たちとよく遊んだ。 

  そして、その中の女の子たちが年頃となり、遊里へと売られてゆく現実を、

彼は心から悲しんだ。いや憎んでさえいただろう。

 
良寛さんの心、それは、子供を常に守ろうとする心、子供と共に生きよう

とする心だ。

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 彼が子供たちにした話しの中で最も好んだ寓話は、次のようなものだっ

たという。

 

  或る時、一人の旅人が山中に迷い込んだ。彼は、飢えと寒さのために

難渋した。

 

 すると、山の動物たち、猿も狐も狸も、それに熊さえも、それぞれが、

たきぎや果物、穀物など、様々な物を持って来て、その旅人を助けてあげ

た。

 

  だが、兎だけは、何も上げる物がなく、その旅人に言った。「私は、あなた

に何も差し上げることができません。どうか、この私の体を召し上がってくだ

さいませ」と。

 

 そう言うが早いか、兎は、旅人が煮物をしていた大きな鍋の中に身を投じ

てしまった。

 

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  実は、その旅人というのは、観音菩薩だった。菩薩は言う。「兎よ、そなた

の心は、本当に立派だ。誰もが、そなたの心を忘れぬよう、私は、お前を月

に上げてあげよう」と。

 それ以来、日本では、月には兎が住んでいると言われるようになったと

いう。

           Photo_3


            Photo_5

 

  事の次第は定かではない。だが、あの良寛さんなら、このような話をなさ

ったかも知れない。しかし思うに、この兎の心こそ、良寛さん自身の心だっ

たのではないだろうか。 

  私は、子供たちに接するT養護の先生方の中に、この「良寛さんの心」を

垣間見るのである。それは、献身、自己犠牲、そして愛である。これらは、

仏教の根本精神でもある。

 

  無論、仏教で言う「愛」は、欲望の一つである。それは、ものごとに執着す

ること(=渇愛)を意味する。その点で、本来は否定的なものである。 

  だが、「愛」なしには、真の養護教育は語れない。養護教育は、まさに

「愛と忍耐」によって成り立っている。

 

  聖徳太子の講話の中に、「仏教」に関する、たいへん興味深いお話があ

る。 

 或る日、人間が断崖絶壁の前にたたずんでいると、谷間に、母トラと

子トラがお腹を空かせてあえいでいた。そこで、人間は何を思ったか、

断崖から身を投げて、親子のトラに食われてしまった。 

  本来の仏教とは、この人間のように、自らを”放擲すること”を意味する。

そこでは、慈悲心に基づく献身や自己犠牲が要求される。


  この仏教の精神こそが、「良寛さんの心」なのではなかろうか。 

そして、この心は、本校の先生方の心でもあるのだ。先生方は、子供たち

と共に遊び、彼らのために働き、彼らと共に生きる。 

  私も、彼ら同様、「良寛さんの心」を少しでも持てたら、どんなに素晴ら

しいことだろう。                            【つづく】                                            

2014年9月18日 (木)

『内気な天使たち』(9)

   紙工作業の時間

 学校の日課に、必ず作業の時間がある。作業内容は、紙工、木工、手工、

陶芸の四つである。生徒が、それぞれに分かれて作業をする。生徒の手に

「技術」を付けさせようという学校の配慮からである。

 

  私は、紙工のコーティングの手伝いをした。ここでのコーティングとは、

綺麗に切断され、水につけられた牛乳パックの表紙(油性紙)を剥がし、

中の和紙の部分を取り出す作業だ。  私は、牛乳パックは、全部が油膜を

張った油紙だと思っていたので、こんなことができるとは思わなかった。

だが、やってみると、なかなか面白い。

                      Photo


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  今日(四月二十一日)は、二年生の山本さんと一緒に作業をした。

彼女は、ダウン症の女の子だ。度の強そうな眼鏡をかけている。 

  ところで、パックの紙は、裏表が油紙で、中の和紙をサンドイッチにした

形になっている。それで、その薄い油紙を剥がすと、再生可能な「紙」の

部分が出てくる。

 

  作業内容は、四隅のどれかを摘んで、剥がれ易いようにしてやり、

山本さんに、それを渡すことだ。すると彼女は、それを全部剥がす。

そして、ゴミになった油紙と和紙の部分を分ける。彼女は最初、その分別

作業の意味が掴めなかったみたいだが、段々慣れてきた。

 

  他の生徒は、パック用紙をハサミで切っている子、プラスティックの四角

い桶に水を張って、紙すき作業を始めている子、ミキサーで紙を撹乱し、

紙すきの準備をしている子など、グループ別に作業をする。 

  今日は、一年生のみんなが、その作業を見学に来た。紙工の作業を仕

切っていたのは、A組の清水君(仮名)だ。彼は、とてもいい指導者振りだ

った。

 

  一学期は、カレンダー作りをするという。次は、封筒や葉書だ。私も、

手作りの封筒や葉書で、おたよりが出来ればいいな、と思った。(年度末

に、私はカレンダーを記念に戴いた。とても嬉しかった。) 

  作業が、各々慣れてきた頃、「ハイ、では、そろそろ片づけ!」と、堀部

先生(仮名)の言葉が飛ぶ。すると、みんな、使った物を、元の所へと戻し、

後は、箒と雑巾がけだ。 

  それぞれ、かいがいしく動き廻る。でも中には、片付けと遊びの見境の

つかない子もいる(*下の写真は、イメージ)


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  その日も、二年生の三橋君(仮名)が洗い場で手を洗っていると、同年

の沢口君(仮名)が、三橋君のトレーナーのズボンを、急に下に引っ張った。

すると、三橋君のお尻の割れ目が、はっきりと見える程にずり落ちてしまっ

た。

 

  アッ!と思った瞬間、堀部先生の手が、沢口君のお尻をピシャッ!と

やった。間髪入れずといった感じだった。これこそ、「躾」なのだ。“悪いこと

は悪い!”と、行動で示す。 私は、これが、養護学校の教育の原点なの

だと思った。 

  そして、その教育の基本は、何よりも「躾」なのである。今の教育にない、

また家庭や普通の学校が蔑ろにしている「躾」なのだ。堀部先生にお尻を

ぶたれた沢口君は、むしろ幸せな生徒なのかも知れない。 

  この光景を見て、私は自分が恥ずかしくなった。なぜなら、たとえ一瞬の

こととはいえ、その生まれて初めて見た光景に度肝を抜かれ、内心“何と

無邪気な他愛ないことをするんだろう”というぐらいに軽く考えていたから

だ。



  だが、その行為は、決して無邪気さから出たものではなかった。そこには、

明らかに「邪気」があった。 

  人のズボンを後ろから脱いだら、さぞ面白かろうぐらいの邪気はあった

のだ。堀部先生は、それを見逃さなかった。許さなかった。 

  ああ、教育とはこうあるべきなのだと思った。一瞬一瞬が真剣勝負なの

だ。

 そこで、先生が逃げてしまったり、いい加減に事を済ませようとすると、

生徒は、それでいいのだと思って、つい頭に乗ってしまう。 

  それでは、相手にとっても自分にとってもいけないことなのだ。そうした

場合、時には、お互いの精神を「殺す」ことにさえなるのだ。 ちょっとした

行動の背後に、先生と生徒との間の確執、いや“戦い”がある。



  紙工作業は十一時半には終了する。後片付けの時間だ。それぞれに

使った物を、元の位置に戻す。 

  だが、生徒たちは、重いものを持ったり掃除をしたりすることが余りない

のではなかろうか。そのため、一緒に箒で掃いたり雑巾がけをしたりして、

やり方を教えることになる。

 

  床はフローリングなので、拭き掃除は簡単だが、なかなか前に進まない

子もいる。真っ直ぐ前進せずに、対角線上に拭く子もいる。 

  だが、私にとって何十年振りかの雑巾がけも、子供たちとやれば、なか

なか面白い。それは、運動と遊びを兼ねたようなものだ。 

  その時、清水君と一緒に紙すき水を張った桶を運んでいた山下太郎

君(仮名)が、手を外してしまった。すると、水の一部が床にこぼれた。

石橋先生(仮名)が山下君に雑巾を渡して言った。「拭きなさい」と。

すると、彼は、何を思ったか、雑巾で自分の顔を拭き出した。

 

  掃除中、木工の部屋から、橋本利夫君(仮名)が飛び込んできた。

本田先生(仮名)に追いかけられてである。理由はと言えば、釘が怖くて、

作業をしたくないという。 

  「釘が怖い」・・・・・・。 

  確かに、「尖端恐怖症」というのは、聞いたことがある。だが、それは、

単に言葉の上のことであって、実際にそういう人なり生徒を見たことは

なかった。 

  だが現実に、彼は、釘を怖がって、逃げ廻っているのだ。人間、あるい

は人間の恐怖心って一体何だろう?と思った。         【つづく】                 

2014年9月16日 (火)

『内気な天使たち』(8)

    木製の時計

 

  T養護の生徒には、「時間の観念」はないように思える。「時間」だけで

なく、「空間」の観念さえないのではなかろうか。大袈裟に言えば、むしろ

彼らは、時空を超越している。

 

  例えば、今、何時とか、何時から何々をするとかいう思いはないようだ。 

A組の教卓に、木製の時計が置いてある。だが、時計といっても、実際に

時を告げる時計ではない。あくまでも教材で、「時刻の読み方」を教えるも

のだ。

 

  小山先生の言では、「一時半を指してごらん」と指示しても、彼らは、

一時十五分を指したりするとのこと。 

  確かに、或る日も、小山先生が富田君(仮名)に「一時半(=下校時刻)

を指してごらん」と言われた。だが、彼は、何と十時半を指したのだ。 

 

  われわれも、小学二年生の頃だったか、大きな時計の模型を使って、

「時刻」の読み方を教わった記憶がある。 

  初めは結構難しいと思ったが、どうにかこうにか「時刻」を読めるように

なったことを思い出す。

 

  だが、本校の生徒たちは、時間など、どうでもいいのかも知れない。

私たちこそ、余りにも「時間」に囚われ過ぎているのではないだろうか。

まさに、時間の奴隷である。 

  森での生活を愛したJ・J・ルソーは、敢えて時計を使わなかったという

けれど、彼らは、「ルソー」そのものなのだ。 

  あるいは、その「自然性」と〝雑念の無さ”において、ルソーをはるかに

超えているのかも知れない。

 

  ルソーと言えば、彼の名著『エミール』を思い出す。若い頃、感動しつつ

読んだ記憶がある。だが、カントの人間観に多大な影響を与えたルソー

でさえ、「教育」の対象に知的障害児を考えることはできなかった。 

  彼の教育の対象は、あくまで或る程度の知的水準や生活レベルを合わ

せ持つ若者たちに限られていた。

 

  多分、ルソーには、障害児教育は無理だっただろう。彼の代表的な革命

理論は、ある種のエリート理論でもあるからだ。 

  ルソーよりも、マリア・モンテッソーリ(*下の写真)やルドルフ・シュタ

ナー(*下の写真)の方が、はるかに障害児教育に理解を示すのでは

なかろうか。

 彼らの方が、ルソーより遥かに幼児に親しみ、時空を超えた自由な発想

ができたからだ。       

 

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 障害児教育には、何より自由な発想が必要だと思う。杓子定規にことを

運ぼうと しても、そこには自ずと限界があるのではなかろうか。

 つまり、障害児自身が「時空」を超えた自由な自然児であるからだ。

そこは、思わぬハプニングの連続なのである。

 

  だが、これは、日本の教育全般に言えることではないだろうか。われわれ

は、余りにも伝統や規則といったものに拘束され、「時間」に囚われ、真の

「自由」を見失っているように思える。 

  A組の木製の時計を見やりながら、私は、ついそのようなことを考えて

いた。

 

 

   給食

 

 

  A組では、明(あきら・仮名)が、黒板に給食のメニューを、絵に描くのが

日課だ。

 小山先生が、「はい、今日は、サンドイッチにポテトのシチュー、それに

牛乳」と指示を与えられると、明は、それらしい絵を黒板に描く。彼は、

なかなかの画家ぶりだ。

 箸やスプーンを描くのも忘れない。 ナポリタンなどの絵は、唯、ぐるぐる

円を描く感じだが、いつの間にかそれに似た形になる。

 給食は、みんなの楽しみだ。定刻には、小六の生徒と中学のみんなが

食堂に集う。他の学年は、教室で食べる。



  午前中の授業が終わった頃、給食室の方から、お昼のおかずの匂いが

漂ってくる。今日は、カレーうどんだ。

  生徒が一人ひとり、牛乳や小皿に盛られた大学芋、それに漬物やカレー

うどんをトレーに載せてテーブルへと運ぶ。

  中には、エプロンを掛けている生徒もいる。両手を使って食べられない

生徒もいる。

 女の子でも、口の周りををくわんくわんにしている子も多い。まるで

赤ちゃんの様な感じだ。

             

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  先生が、調理用のハサミで、うどんや漬物を、生徒が食べいいように

切って下さる。最初、それを見た時、何事か!と思った。

  ひと並びのテーブルに一人、「イタダキマス」と号令をかける生徒がいて、

それと同時に食べ始める。

  安達君が同じ物だけを無心に食べている。すると「他の物も一緒に食べ

ないと駄目じゃないか!」と、加藤先生の叱責が飛ぶ。言葉はきついが、

どこか愛情を感じる。



  他の生徒の中にも、老人のように歯の噛み合わせが悪く、殆ど飲み込む

感じの子がいたり、両手を使わず、片手だけで食べようとする子がいたりと、

実に様々だ。

 晴男なども、唯、うどんをズルズルと飲み込むような感じで、殆ど噛んで

いないようだった。

  ゆりとすみこも、なかなか食が進まない。中村先生が、小さく刻んで彼女

たちの口に運ばれる。ゆりは、水さえ一気に飲むことができない。

  牛乳も消化できないので、殆ど手つかずの状態だ。彼女たちは、栄養分

をどうやって確保しているのだろう?  と些か心配になる。

  人間にとって、「食べる」ということは、本当に大切なことだ。彼らを見て

いると、それをつくづく感じてしまう。



  エプロンをつけている陽介君(仮名)には、土屋先生が付きっきりで食べ

させておられた。私はかつて、死の床に伏していた祖父や義母、それに

入院中の妻の口許に食べ物を持っていったことはあるが、中三の生徒が

エプロンをしている口許に、先生が食物を運ばれる姿を見たのは、今回が

初めてだった。

  それは、明らかにショックだった。だが、こういった子たちが、実際いるの

だということを深く認識できて、本当によかったと思う。     【つづく】                    

                    (*明日・水曜日は、お休みします。)

 

 

 

 

2014年9月13日 (土)

『内気な天使たち』(7)

   安達仁(ひとし)君

  B組の安達仁(ひとし・仮名)君は、一人で、校内のトイレで用が足せない。 

閉所恐怖症とのことだ。 

  加藤先生が、入口まで同行し、指示を与える。彼は、トイレット・ペーパー

を使う時、どこで切っていいのか分からない。 

  固く握り締め、折り曲げてしまうので、適当な長さに切ることが出来ない

のだ。自宅のトイレでも、つい使い過ぎてしまい、どうしたらよいか分から

ないと、お母さんも困り果てていた。

 

  彼は、自閉症児である。朝、こちらから「お早う」と言っても、先ず返事は

返ってこない。だからといって、彼が冷たいとか、薄情ということではない。 

  多分、彼の認識するものや「世界」が、われわれのそれと全く異なってい

るということだと思う。



  着替え室の中で、彼は、担任の加藤先生がおられないと、全く着替えが

進まない。学生服を脱いだかと思うと、その後じっと立ったままで、外を見

つめたりしている。 

  或る時、加藤先生は、「こういうのを、『指示待ち症候群』というのです」と

言われたことがある。 

  確かに、仁(ひとし)は、自分から何かしようとか、これをしたら面白いだろ

うという気は起こらないようだ。

 

  だが、彼にも好きなものはある。それは、トラックである。彼は、教室から

見える高速道路を走るトラックを見ると、顔をくずして喜ぶ。時折、ビーバ

ーのような歯を見せながら、キャッキャッとはしゃぐ。その突然の笑顔は、

普段の彼の顔とは異なるけれど、それだけに、見ると不思議と幸せな気分

になる。


          Photo


  写真で見ると中一の頃の幼かった顔が、中三ではっきりと変わった筆頭

は、仁だった。外見的に際立った変化を遂げた彼が、内面的(あるいは

精神的)に、どれほど成長したのだろうか、と思う。 

  だが、「りんご、バナナ、オレンジ」といった単語は、明らかな形で発音し

ていた。その彼の〝言葉”を初めて聞いた時の驚きと喜びは、この上ない

ものだった。



  仁には、生来の優しさがあるような気がする。彼は、人と競争(あるい

は競走)するということが出来ない。 

  或る時、屋上で学年対抗のリレー競走をした時も、彼は三年生代表の

第一走者だったにも拘わらず、号砲の合図の直後、走り出すさずに、何と

自分のところでピョンピョンと跳ねていた。それは、まるで競争するという

意識がないみたいだった。彼には、人を出し抜こうとか、ひとをやっつけ

ようという気もないようだ。

 

  確かに、自閉症の仁には、自分の「世界」しかないのかも知れない。

だが、それが決して利己的でなく、むしろ無垢な感じを受けるというのは、

たいへん興味深いことだ。 


 

  ゆりちゃん

 

  源ゆりちゃんは、すみこちゃん同様、重度の知的障害児で、癲癇の持病

を持っている。彼女は、普通の食事ができない。無理やり食べさせても、

直ぐ吐いてしまう。 

 体の動きも緩慢だ。階段も思うように昇れない。手摺につかまりながら、

ゆっくりゆっくりと昇ってゆく。降りるのもたいへん。つい前につんのめり

そうになるので、女教諭の中村先生が介添えしながら、リズムをとりなが

ら、一緒に降りて行かれる。

 

  最初の日、多摩川沿いの散歩の帰り道、つい手を伸ばして、彼女の手を

握ろうとしたが、すげなく拒否された。ゆりちゃんは、中村先生や石橋先生

のような女の先生の方がよいのだ。 

  男性の手では駄目なのである。これも、女の子としての羞恥心なのだろ

うか。女の子の扱いは、なかなか難しいと思う。

 

  そのゆりも、少しずつ私を認めてくれ、慣れてくれた。彼女の方から、

手を差し出すようにもなってくれた。スクールバスから降りて来た彼女を、

中村先生が指導される。

           Photo_2

 

 上履きに履き替えた彼女には、毎日の日課があった。それは、みんなの

保健記録(カルテ)を保健室前まで取りに行き、それを教室まで運ぶので

ある。

 

  健常者には何でもないことが、彼女にとっては、たいへんな勤めとなる。

私は、ゆりの動きを見ながら、時々、人間の行動をスローモーションで見

ているような気分になった。 彼女が手摺りを頼らずに階段を昇り降りする

ことにさえ、感動を覚えるようになった。

              Photo_3

 

  普段、できて当たり前と思っていたことが、決してそんなものではなく、

とても貴(とうと)いことのように思えてきた。 

  彼女を見ることによって、自分を見つめ直し、ひいては人間そのものに

ついて考えを新たにすることができた。

 

  ゆりは、食べることも飲むことも、普通の人のようにはできない。水でさ

えも、少しずつ少しずつ口に入れてもらう。中村先生が、それを周到に

こなされる。 

  ゆりは、生まれてこの方、ご飯をお腹いっぱい食べるとか、水を好きな

だけ飲み干すといった体験をしていないと思う。 

  どちらかと言えば、彼女の胃袋の中には、食物よりも薬の方が多く入っ

ているのではないかとさえ思う。 

 ほぼ健康なわれわれには、そういった生活は考えられないのではなか

ろうか。でもゆりは、そういった厳しい境遇をひたすら耐えているとも言え

る。

 

  まるでお人形でもあるかのようなゆり、外見は、決して魅力的などという

形容はできないけれど、われわれに見えない内面には、きっと素晴らしい

“宝物”を持っているような気がする、 

  障害児と接していて「本当に美しいものは見えるものではなく、感じる

ものである」というヘレン・ケラーの言葉が、少し理解できるような気がした。

                                          【つづく】

 

 

 

2014年9月12日 (金)

『内気な天使たち』(6)

  すみこちゃん

C組の担任・土屋先生(仮名)の話しでは、中島すみこちゃん(仮名)は、

六ヶ月の知能だという。 正直言って、私は、そのような子が、この世に存

在することすら知らなかった。 

 彼女には、癲癇の持病がある。彼女は生後六ヶ月の頃、大ショック

(重い癲癇症状)で、30分程ひきつったままでいた。 

  その時、脳細胞がかなり死滅したそうだ。その時の後遺症が今も続いて

いる。

 

  すみこちゃんの年齢は十四歳、だが、彼女を初めて見た時の印象は、

おかっぱの幼女だった。まるで、日本人形のような感じだった。 

  時折、彼女は、指のおしゃぶりをする。玩具(ガラガラ)を舐めたり、それ

を抱きながら、まるで赤ちゃんでもあやすような仕草をする。

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  彼女は、不眠症でもある。そのため、毎日、精神安定剤を服用している。

普通の睡眠リズムが無いので、真夜中でも起きていたり、日中でもまどろ

んだりする。 

   校外学習(散歩)中、歩きながら眠り込むこともあるという。「今日は、

眠らなかったね」と、土屋先生の言。 

  確かに、椅子に腰を下ろした途端、彼女は、うとうととしてしまう。そこ

には、外界と隔絶された”自分だけの世界”がある。



  後日、ある寒い朝、すみこがストーブの前に体を寄せて、まるでそれを

抱くかのような姿で、しゃがみ込んでいた。 

  すると、それを見たB組の加藤先生曰く「ほら、見て御覧なさい。まるで

炬燵の中の猫みたいなもんでしょう」と。 

  「まあ、この子たちを動物扱いしちゃ、保護者も怒るでしょうが、形態だけ

見ると、まるで犬や猫と同じなんです」と、続けられた。 

  傍目に聞けば、かなり残酷に聞こえるが、この言葉は、重度の障害児の

本質を衝いていた。

 

  すみこや陽介(仮名)、それにゆり(仮名)といった重度の障害児にとって、 

「生きる」とは、一体なのだろう? 彼らにとって、“生きがい”とは、一体何

なのだろうか? 何か、凄く考えさせられるものがあった。 

  すみこは、時々癲癇の発作を起こす。そんな時は、急に頭を振ったり、

手足をわなわなと震わせたりする。急に笑い出したかと思うと、突然泣き

出すこともある。すべては、脳内の問題から来ているのかも知れない。

 

  辺り構わず横になったり、顔面が紫色になる、いわゆるチアノーゼ状態

になったりもする。 

  私は、このようなすみこを見ながら、自分の「無力」を感じざるを得なか

った。それは、養護に携わる者としての「知識不足」というだけでなく、

一人の人間としても、彼女のために何の力にもなれないという本質的な

「無力感」だった。

 

 

 

  晴男君

 

 

  晴男君(仮名)は、ダウン症児だ。T養護の最初の日、荒川土手散策の

帰り道、私は、彼と手を繋いで帰った。ダウン症児の手を握ったのは、

生まれて初めてのことだった。あの時の彼の手の温もりを、今も思い出す。

  彼は、歩きながら、「アー」「ウー」「アー」「ウー」と、しきりに唸り声を上げ

ている。すると、こちらが、調子をとって、「ハーイ」と言えば、「ハーイ」と応

える。「ウーン」と言えば、「ウーン」と応える。こちらと全く同じ声と調子で応

じてくれるのだ。 

  何気ないことだが、私は、不思議な喜びを感じた。単なる人真似、もの

真似と言えば、それまでだが、晴男君の心には、とても「純な感性」が横た

わっていると思った。

 

  朝の会(教室内での朝礼)の前、3年A組の教室では、各生徒は、思い

思いの行動をとる。晴男君のそれは、教室の中ほどにマットレスを敷き、

その上で、座ったり横になったりする。 

  座っている時は、何か呻きながら、三十センチの物差しで顎の部分を

パタパタとやる。痛くないのかと少し気になるが、本人は平気そうだ。 

  また、顎の下の方を、洗濯バサミで挟んだりもする。この時には、内出

血を起こしてしまったので、担任の小山先生から止められていた。 

  横になる時は、下腹部をマットレスに擦りつけ、気持ち良さそうにして

いる。

 

  或る日、彼のマットレスが、恒(ワタル:仮名)たちが作ったレーシング

カーのコースに触れて、それを壊しそうになった。 

  すると、怒ったワタルが、晴男の背中をしたたかに叩いた。晴男は、突然

のことで驚き、急にワーツと泣き崩れた。 

  私は、思わず晴男を抱きかかえた。晴男は、私の腕の中で泣き続けて

いる。それは、まるで、二、三歳児の様だった。 

  彼の流す涙が、私のトレーナー(ズボン)を濡らす、まるで、私がオシッコ

を漏らしたような感じになった。 

  その時以来、晴男は、挨拶の際、私に抱きついてくれたり、オデコを

ゴッツンとやってくれるようになった。

              Photo_2



  朝礼を前に、机の前に腰をおろした時、彼は、「はるお」という字のなぞり

書きをしていた。時々、字がはみ出してしまうこともあったが、彼は、そんな

ことに頓着することなく、呻き声を上げながら、唯ひたすら書き続けていた。

 

  彼は、お菓子をすべて「おまんじゅう」と言う。彼にとっては、ケーキも

菓子も「おまんじゅう」なのである。だが、それも可愛いと思う。 

          Photo_3

 

   晴男は、殊の他、音楽が好きなようだ。音楽の授業中の彼を見たことは

ないが、その後、マイクを握る機会があると、彼は必ず歌おうとした。 

  歌うことや、リズムに合わせて体を動かすことが、根っから好きみたい

だ。彼は、体全体で自分を表現しようとする。

  現代の中・高校生の多くが目立つことを避け、自己表現を余り積極的に

しようとしないのに比べて、彼は、ひじょうに活動的、かつ主体的である。 

  むしろ、彼の持つ積極性こそ、今の日本の若者たちに必要なものなの

ではないだろうか。私は晴男を見ながら、ついそんなことを考えていた。   

                                        【つづく】

2014年9月11日 (木)

『内気な天使たち』(5)

  のぞみちゃん


  今朝の挨拶は、向井のぞみちゃん(仮名)の番だ。彼女も自閉症で、

殆ど言葉を発しない。「アー」とか「ウー」とか、軽い唸り声は上げるが、

殆ど”言葉”にならない。 

  「パピプペポー」的な言葉を発するが、それ自体に意味は感じられな

い。それゆえ、「起立」「礼」というのも、彼女にとっては大変なことだ。

小山先生(仮名)が、「『起立』と、号令をかけて!」とのぞみちゃんに仰る。

 

  彼女も、先生が求めておられることは理解できる感じなのだが、思うよう

に言葉が出ない。それで、その代わりに、左手の人差し指を真っ直ぐに

伸ばし、天を指して左手を挙げた。 

  一瞬、「何だろう?」と思っていたが、これが、彼女流の「起立」の合図

だったのだ。 

  先生は、即座に理解され、「ハイ、起立!」と、彼女の「言葉」を”通訳”な

さった。その言葉を合図に、みんなはおもむろに立ち上がった。  

 

   彼女の言う「オ・ハ・ヨ・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」という挨拶にも、健常者の

挨拶に無い重みと価値を感じた。実際は、決して明確な発音ではない。 

  時々、頭を振りながら、口をもぐもぐやるが、何を言っているのか、さっ

ぱり解らない。健常者の感覚で、意味を掴もうとしたが、B組担任の加藤

先生(仮名)の話では、言葉自体に意味は無いとのことだった。

 

  後で、彼女がよく口にする言葉を覚えた。それは、「ハニー、ハニー、クッ

チ、クッチ」という言葉だが、「ハニー」といっても、決して「いとしいあなた」

いう甘い意味は無さそうだ。唯、彼女にとっては、この言葉が、たいへん

心地よいのだろう。 

  それと、もう一つ、後で私は、彼女の「キャトウチェンチェイ!」という言葉

を知ることになる。これは、「加藤先生!」という呼びかけなのだ。つまり、

彼女は、加藤先生の熱烈なファンであることが、後で判明する。だが当時

は、そんなことを知るよしもなかった。 

 

  彼女はまた、教室の机の前に坐りながら、一生懸命に、不要になった

パンフレットや広告紙(チラシ)をハサミで切り刻んでいた。 

  これは、手や指の運動を兼ねて、卒業式の日に在校生が使う紙吹雪だ

った。その遠大な意味を理解するのは、卒業式当日を待たねばならなか

った。

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              Photo_2


  その日、体重測定に行く前、何を思ったのか、のぞみちゃんが突然、

私の目の前に、右手の人差し指を出した。だが、言葉が無い。 

  何だろう?と思っていると、彼女は、ちょっと顔をしかめた。よく見ると、

右手の人差し指の先に、棘が刺さっていた。 

  女教諭の石橋先生(仮名)が、私たちを見て、「どうしましたか?」と尋ね

てくださったので、「のぞみちゃんの指に棘が刺さっています」と、申し上げ

た。 

  その後、直ぐに、石橋教諭は、のぞみちゃんの手をとって、保健室に向

かって、歩いて行った。 

 

 

  身体測定

 

 

 今日は、身体測定の日だ。身長、座高、それに体重測定があった。保健

遠藤先生(仮名)が、一人ひとりの名前を呼ぶ。 

  ここでも、自分一人では脱げない生徒がいる。脳性マヒと小児マヒの後遺

症を持つジュン君だ。私は、彼の靴下を脱いだり履いたりする手伝いをした。 

  中には、担任の先生に「靴下を脱げ」と言われたのに、何を思ったか、

パンツを脱ぎだす生徒もいた。言葉そのものが十全に理解されないことも

多い。 

 

  座高計に座るのを怖がり、なかなか座ろうとしない生徒もいる。 

”座高計に食べられるわけでもあるまいし、それを怖がるなんて、嘘でしょ

う!”と、われわれは思う。 

  だが、一部の障害児にとっては、決してそうではないのである。彼らは、

新しい「体験」には、拒否反応を示す。特に、B組の葉山誠(仮名)は、

大の「保健室嫌い」である。それも、小一の頃から九年間変わらないので

あるから、決して半端ではない。

 

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  先ず彼は、保健室に入ることを警戒し、それを避けようとする。それで、

廊下の隅の方で、保健室内の様子をジーッと窺う。 

  それで、嫌いな”「歯科検診」ではないな”と思うと、少し安心したような

面持ちで、保健室へと入る。

 

  だが、やはり座高計だけは嫌いなのである。その他、保健室内で奇声

を発する生徒、身長計に充分立てない生徒、自分の計測が済んだので

退屈なのか、ちょろちょろと徘徊し出す生徒もいたりする。 

  単に身体測定とはいえ、実に個性的である。上半身裸になった途端、

両手を口元に持っていき、「ウフフ」と笑い出す生徒もいる。妙な快感を

覚えるのだろうか? 

  男の子が、そんな態度をとるのは、何だか不思議な気がする。まさに

普通学校ではまったく考えられない姿態である。 

 

  ダウン症の野中晴男(仮名)が体重計に載ったはいいが、手を広げ、

頭を前後左右に振り出した。計測できないので、土屋先生が、彼の頭を

ゴツンとやられた。 

  驚いた晴男は、目をひっくり返して、先生を睨みつけた。普段おとなしい

彼にしては、なかなかの迫力である。それは、“何で僕をブツの?”といっ

た目をしていた。 

  不快なことに対する反応は、かなり鋭いものがある。彼らにとっては、

すべてが「快・不快」で決まるのかも知れない。障害児の心や態度・行動

の原点を見る思いだった。 

 

  突然、遠藤先生が、「ヒェーツ!」と大きな声をあげて体重計を見入る。

「ツヨシ、三けた(100kg)になったよ」と、先生。 

  2年生のツヨシ君、少し照れたような仕草で、顔を自分の手で覆う。大柄

な体に似合わず、内気なようだ。 

  彼らは、肉体的には中学生なのだが、精神的(あるいは知能的)には、

三歳~五歳児なのではなかろうか。私は、その”ギャップ”に慣れるまで、

その後、少なくとも一年の歳月が必要だった。                【つづく】                              

 

 

 

 

2014年9月 9日 (火)

『内気な天使たち』(4)

   初めての出会い

 

  「ええ!  みんな、中学3年生?」―。  これが、彼らの教室に入った時の

私の正直な第一印象だった。 

  七人の生徒が、「コ」の字型に先生の机を囲むような形で椅子に腰掛け

ていた。机は、明らかに小学生用のものだ。座っている姿もまちまちだっ

た。

 

 クレパスでなぐり描きをしている生徒、自分の名前をなぞって書いている

女生徒、奇声をあげている生徒、何かぶつぶつと言っている生徒、押し黙

ったまま虚空を見つめている生徒、急に立ち上がって掃除機をいじり出す

生徒と、実に様々だ。

 初めて、彼らを見た瞬間、私の頭の中は、真っ白になった。

 

  朝の挨拶が始まる。今日は富田明君(仮名)が日直だ。先生の机の所

に進み出て、「起立」「礼」の号令をかける。 

  だが、富田君、もじもじとして、どうしたらいいのか分からない様子だ。

彼は自閉症児で、なかなか声を発するこができない。 

  小山先生(仮名)が、「富田、どうした?」と問われる。だが、反応がない。 

「さあ、起立と礼をするんだよ」と、先生。―

 富田君、ちょっとばつが悪そうに、ニヤニヤと照れ笑いを浮かべ、

先生の「起立、礼」の合図を真似ながら号令をかけた。 

  次は、「お早ようございます」の挨拶だ。富田君は、これまた先生の目を

窺うかのように、チラリと先生を見やりながら言った。

「オ・ハ・ヨ・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」と。

 

  私は、教室内を見渡した。教室には明るい日の光が射していたが、明ら

かに別世界だった。まるで幼稚園か保育園のお遊戯室のような感じだっ

た。 

  鉢植えのチューリップが五つほど並び、様々な遊具が置いてあった。

マットレスや、ダンボール箱を解いて作ったミニチュアのレーシングカーの

コースもあった。

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  私は、幼児期、共働きだった両親の留守を預かる祖父母によって育てら

れた。そのせいもあってか、幼稚園に行っていない。近くの神社の境内が、

絶好の遊び場だった。 

  当時、幼稚園という存在すら知らなかった。具体的に知ったのは、小学

六年生になってからだ。 

  それだけに、正直、「幼稚園」というものに、何か淡い憧憬のようなものを

感じていた。 

 養護学校に勤めだした初日こそ、実は私の「入園式」だったのではなか

ろうか。 五十歳近くなった今(当時)、私は、生まれて初めて「幼稚園児」

(?)になったのかも知れない。



  T養護学校は、私にとって、ワンダーランドであり、“宝の山”だった。何も、

自分が満たされなかった幼児期の欲求を満足させてくれたからだけでは

ない。 

  そこで見るもの、聞くものすべてが新鮮な驚きだったからだ。確かにそこ

には、「驚き」「喜び」「感動」といった宝石が、至る所にごろごろと転がって

いた。

 

 

   ジュン君とのマラソン練習 

 

  T養護の生徒たちは殆ど、スクールバスで登校する。だが、中には、

徒歩で通学する生徒もいる。これを、本校では「自主通学」と呼んでいる。 

 A組の木下純君(仮名)も、その一人だ。彼は、自宅から30分かけて登校

する。 

 激しい雨の日などは、お母さんが車で送られるが、多少の雨なら、雨カッ

パを着て登校だ。彼は「アセ、カキマシタ」と言って、ニコニコしている。

彼の笑顔は、最高だ。



  今日は、近くのA公園で、マラソンの練習だ。3周走る生徒と1周半走る

生徒に分けられる。前者は、比較的健康で体力のある生徒、後者は、

脚が不自由だったり、運動が苦手な子たちの組だ。ジュン君は、後者の

方だった。 

  彼は軽度の脳性マヒで、特に左半身が不自由ある。そのため、左足に

金具つきの特製靴を履いている。小学生時代には、殆ど歩けなかったと

いう。

 

  しかし、少しずつ歩行訓練を続け、大分歩けるようになった。毎日の

徒歩通学も、その結果であり、その積み重ねがまた、彼の健康と体力を

維持している。 

  ジュン君は、どことなくイチロー選手に似ている。もし健康体なら、きっと

野球かサッカーをしていたことだろう。

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  私は、ジュン君の伴走をした。伴走といっても、殆ど歩いている状態だ。

みんなと一緒にスタートしたのだが、いつの間にか、私たちはビリの方に

なっていた。 

  後ろには、ゆりちゃんとすみこちゃんがいる。ジュン君は、懸命に歩き出

した。 

  途中、私は、「オイッチ・ニー・サン・シー」と声をかけながら歩いた。すると、

ジュン君も、「オイッチュ・ニー・チャン・チー、オイッチュ・ニー・チャン・チー」

と、声を出しながら、歩いてくれた。

 

  それと同時に、金具付きの特製靴の音が響いた。次第にピッチがあがっ

ていく。途中、ジュン君は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。それは、

何とも表現しようのない晴れ晴れとした笑顔だった。彼の意識の中で、

“彼は走っていた”のだ。



  彼を知るオバサンであろう。お婆さんの車椅子を押していた彼女は、

私たちとすれ違いざま、ジュン君に声をかけた。「あら、ジュンちゃん、

嬉しそうね」と。  実際、ジュン君は、とてもいい顔をしていた。

 

  最後まで、彼のピッチは、落ちなかった。すでに、みんが、ゴールの所で

待っている。ジュン君は、ピッチを上げた。脚を動かすにつれ、彼の顔が、

だんだん紅潮してゆく。 

  一瞬、私は思った、”ジュン君は走っている”と。それは、彼の思いが私

に伝わった一瞬だった。確かに、彼は走ったのだ。― 

  彼の一途さと精神力の強さに、私は何か教えられる気がした。今日は、

ジュン君のお蔭で、とてもいい一日となった。          【つづく】

                  (*明日・水曜日は、お休みいたします。)

2014年9月 8日 (月)

『内気な天使たち』(3)

  エヴリワン・イズ・スペシャル(「みんなが、かけがえ

のない存在」)


  私事だが(また、すでに述べたことだが)、1993年8月から2年間、家内と

私は、ハワイ(ホノルル)に滞在した。 

  私は、ハワイ大学のマツナガ平和研究所の客員研究員として、「マハト

マ・ガンディー」の研究に専念した。 

  当地での2年間は、われわれにとって、まさに”黄金の時”だった。 

われわれは、様々な行事や催し物を見聞した。そして、いろいろな会合に

も出席した。来布後初めて見たアロハ・フェスティバルも、その一つである。

 

  私たちは、同フェスティバル最大のイベント、花のパレードを見た。 

午前9時半、アラモアナ公園をスタート。カラカウア大通り(ワイキキのメイ

ンストリート)をカピオラニ公園(ダイアモンドヘッドの近く)までパレードする。 

  そこでは、老若男女、人種、民族を問わず、各自が各々の持場で、思い思

いに自己を表現しながら行進する。全員参加のパレードだ。

 

  それに、マウイ島を始め、ハワイ島、カウアイ島など、オアフ島以外の

島々からも参加者があり、各島のクイーンやプリンセスと呼ばれる女性

たちが、レイを首に掛けた名馬に跨って前進する。 

  巨大なフロート(日本で言う山車)の上では、ポリネシアの若い女性たち

が愛嬌を振りまく。口々に「アロハ(こんにちは)」の挨拶を交わしながら。

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   ハワイでは、小学校の頃から、”エヴリワン・イズ・スペシャル(「みんな

が、かけがえのない存在」)として教育される。小さい頃から、色々な子供

と分け隔てなく触れ合う。 

  まさにハワイは「人種のるつぼ」、最近では「サラダ・ボウル」、そして

東西文化融合の地といった感がある。

 

  それに当地では、老若男女、貧富、健常者、障害者、人種、民族、宗教、

髪の毛や肌の色を問わず、みんなが平等に扱われる。そんな感じが、

パレードのあちこちに漲っている。 

  それぞれが、自らの民族、文化、そして生き方に誇りを抱いているという

感じだ。 

 花のパレードは、どのような状況にあれ、自分や自己の文化に誇りを持

つことが、如何に大事かということを看取できる、堂々としたパレードだ。



  ホノルルは、「レインボーの街」と呼ばれる。七色の虹は、それぞれに

平等に自らの色を競い合い、各々が互いになくてはならぬ存在だ。 

  教育も、このような平等観に裏打ちされたものであるべきではなかろ

うか。 

 また教育の原点は、このような平等な個々人の「誇り」を育むことなので

はないだろうか。

 

  しかし、今の日本の教育では、そういった平等観も「誇り」も生み出さない。 

むしろ差別や選別、それに人間としての「誇り」さえ奪いかねない現状だ。 

  改めて、「エヴリワン・イズ・スペシャル」の意義を強く感じてしまう。

 

   だが、ここT養護では、この「みんなが、かけがえのない存在」という意識

が、教職員一人ひとりの心の中に存在しているような気がする。 

  小一から中三まで、それこそ色んな「個性」を持った子供たちがいる。 

脳性マヒや癲癇質の子、身体的な障害を背負った子や言語障害の子、

自閉症並びにダウン症の子など、実に様々である。

 

  世に言う健常者や自ら「健康」だと自負するわれわれは、言葉を発したり、 

歩いたり走ったり、用便したり、考えたり、時には怒ったりすることなど、

当たり前のことだと思っている。 

  だが、そのような事が当たり前ではない生徒もいるのだ。一人でトイレに

行くことはおろか、自分一人で用が足せない子や、階段を昇ることやミキ

サーのスイッチを押すことさえできない生徒がいるのである。

 

  人間にとって基本的な「行住坐臥」という行為がままならない子供たちが

いるという事実は、私の教育観や人間観を根底から覆すのに十分だった。 

  この子供たちを前にして、私は、何も出来ない“無力な自分”を強く感じ

ないわけにはいかなかった。私には唯、彼らの側にいて、彼らの手を握っ

て上げることしかできなかった。

 

  「教育」とは、単に「教える」ことではなく、彼らを「育てる」ことでなければ

ばらない。実は、そうすることで、先生自ら人間的に「育つ」ことにも繋がる。 

  教育とは、キャッチボールであり、コミュニケーションでもある。単なる

一方的な情報の「伝達」は、決して教育とは言えないのではあるまいか。

 

  私は長い間、学校教育に関して、一つの変わらない”信念”があった。 

それは、「教育の主人公は、生徒や学生一人ひとりである」という思いだ。 

  だが、この言葉は、生徒や学生を甘やかしたり、彼らに迎合する気持ち

から言うのではない。 

  先生は、彼らの成長・発展を促す肥料のような存在だ。育つべき花や

樹々は、生徒や学生なのだ。先生は、肥料だから、時には「クサイコト」

も言う。そして、彼らの成長と共に、いつかは忘れられる。 

  この教育の「主人公」という思いこそ、「エヴリワン・イズ・スペシャル」で

言う“かけがえのない存在”ということではなかろうか。

          Photo_4

  T養護の先生方に感じる明るさと忍耐強さは、そういった子供たちへの

愛情なしには考えられない。教育は、まさに「愛と忍耐」によって成り立つ。

私は、本校の先生方ほど明るく忍耐強い先生方を知らない。

 

  普段、障害児教育は、普通教育よりも下に見られる。だが、そもそも

教育に「上下」は無い。むしろ障害児教育ほど難しく奥の深い教育は無い

のではなかろうか。 

  でも、或る言葉を心から理解すれば、その困難さは半減する。つまり、

その言葉こそ、「エヴリワン・イズ・スペシャル(みんなが、かけがえのな

い存在)」という言葉である。                    【つづく】                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年9月 6日 (土)

『内気な天使たち』(2 )

  職員室にて


 T養護学校の先生方は、なぜか私には輝いて見える。それぞれが明る

いのだ。 

 小学部・中学部のどちらも、御一人おひとりが“本当に子供が好きなん

だなぁ”と思う。

 

 初仕事当日、私は、先生方への挨拶のため、校長先生と教頭先生に

伴われて職員室に入った。その瞬間、私は、そこが今まで目にしてきた

職員室と余りにも違うので、内心パニックに陥った。

 第一印象は、先生方がとても若いということだった。 

  それに、女の先生が多く、とても華やいだ雰囲気だった。一瞬、お花畑

に迷い込んだような思いだった。それは、私にとって未知の「別世界(ある

いは新世界)」だった。


  校長先生や教頭先生の御紹介の後、私は挨拶のため立った。そして、

養護学校での仕事が全く初めてのこと、親戚の子が、故郷・熊本の養護

学校で成長したこと、後は型通り「どうか宜しく御指導ください」と続け、

先生方がわざわざ耳を傾けて下さったことに感謝し、「御静聴ありがとうご

ざいました」と結んだ。 

  話し終えた途端、心なしか”ウォーッ!”という軽いどよめきが起こった。

 

  随分変わった奴が入って来たなと思われたかも知れない。だが、その

一瞬の波ようなどよめきには、何か温かい趣があった。新参者でも

快く包み込むような優しい雰囲気があった。

 私は、ふと「養護学校の先生たちって、普通学校の先生と違って、本当

に心の優しい人たちなんじゃない」という、妻の何気ない言葉を思い出し

ていた。 

 

  教職員の打ち合わせは、てきぱきとして無駄がない。だが同時に、何か

明るく温かいものを感じる。屈託のない笑顔といい、優しい物腰といい、

現代の私たち日本人が忘れかけているものが、そこかしこに見られる。 

  確かに、先生方の中にも色々な方がいよう。中には、仕事の内容や

職場の人間関係に不満を持つ方がいるかも知れない。自分の仕事を

不本意だと思いつつ働いている方も、中にはいるだろう。

 

  だが、T養護の先生方には、体ごと生徒にぶつかっているという張り合い

と自信のようなものが感じられる。やはり人間は、頭だけではなく、体全体

使うということが、健全な精神を育む上で不可欠なことのようだ。

 そのよな心身の健康やバランスの良さ、そして子供たちへの愛情が、

先生たちの表情を明るくし、輝かせているのかも知れない。 

  私は職員室で、先生方の打ち合わせを端で拝見しながら、ついそのよう

なことを考えていた。

 

   朝の挨拶と微笑み

 

 T養護学校の朝は、気持ちのいい挨拶で始まる。教職員の皆さんが、

口々にはっきりとした声で「お早うございます」と言われる。 その気取りの

ない挨拶に、ほっと心が和む。

 

  私たち日本人は、いつの間にか、こんな気持ちのいい挨拶をすること

を忘れてしまった。だが、ここには、その美風がまだ残っている。日本中

が、こんな気持ちのいい挨拶ができたら、どんなに幸せだろう。




  私はいつの間にか、二年間過ごしたホノルルでの生活を思い出してい

た。ハワイの人々は、快く挨拶をし合う。 

  ”グッド・モーニング(お早うございます)”という言葉は、語源的には

「いい朝でありますように」という祈りの意味を含んでいる。 

   ”グッ、バーイ(さようなら)”には、「神が共にいらっしゃいますように」

という意味が込められている。 

  ”ハブ・ア・ナイス・デー”という言葉には、「いい一日をお過して下さい」

と同時に「いい一日でありますように、念じています」という意味もある。
 

   Photo


  T養護学校での挨拶には、このようなハワイでの挨拶を彷彿とさせるよ

うな明るさと温かさがある。一日の生活は、挨拶に始まる。私たちは、もっ

と挨拶を大切にすべきではなかろうか。

 朝の挨拶を交わしながら、ついそのように感じた。

 

  この挨拶と同時に、T養護で感じるのは、皆さんの自然なスマイル

(笑顔)である。私は、マザー・テレサの言葉を思い出した。

 マザーは言う「お互いに微笑み合いましょう。奥さんに対して。御主人 

に対して。子供さんたちに対して。  

  その相手は、どなたでも構いません。微笑みは、お互いの愛を育む上 

で、あなたの助け手となりましょう」と。

            Photo_2


   挨拶と微笑みは、生活の潤滑油である。今の日本社会は、この潤滑油

が極度に不足して、互いの人間関係がギスギスしている。「油不足」で、

ギシギシと軋む音が聞こえるようだ。

 

  みんなが、まるで怒ったような顔をしている。とても不機嫌な顔をしている。

今、日本人は、世界で一番人相の悪い国民ではないだろうか。 

  それは、浅薄なお化粧や人工的な日焼けなどで糊塗できるものではない。 

やはり、内面から溢れ出るような明るさやエネルギーが必要なのだ。

 

  本校で接する挨拶とスマイルは、そのような明るさやエネルギーを自然

に感じさせるものである。その明るさを遺憾なく発揮しているのは、実は、

ここの先生方や生徒たち一人ひとりなのではなかろうか。    【つづく】               

 

 

2014年9月 5日 (金)

『内気な天使たち』(1 )

  沖縄在住の慈愛深い教育者

  K先生に捧ぐ

  今から17年前、私は、東京都内の養護学校(最近の

言葉では、「特別支援学校」)の中学部で1年間、現場の

先生方のお手伝いをさせて戴きました。

  この度の拙稿『内気な天使たち』(*原稿の内容は、

ほぼ当時のまま)は、その時感じた思いを記したもの

です。どうか、よろしくご高覧ください。


 はじめに


 すでに半世紀ほど前のことになるが、明日から中学3年生になるという

夜、私は、なかなか寝付けなかった。「受験生」という言葉の重みに、

過度に興奮し、かつ緊張していたせいである。私は、まさに生徒数が極端

に多い「団塊の世代」の一人だった。

 

  私には、中学3年生になる甥がいる。彼は、バスケットをこよなく愛する

スポーツ少年(最早、青年かな?)だ。身長は、1メートル80ほどだ。 

  学業成績も程々で、級友たち(特に、女生徒たち)に、かなり人気がある。

とはいえ、彼は、どちらかと言えば寡黙な方で、彼女たちの思慕や情熱に、

余り関心を持とうとはしない。それがまた、彼のいい所なのかも知れない。



  「十五の春」という言葉が言われて、すでに久しい。中3で卒業するまでの

熾烈な受験戦争の激化を表現した言葉だ。そこでの人間性の喪失や希薄

化を象徴した表現でもある。偏差値教育や内申書による受験競争の歪みで、

いじめや校内暴力などの問題が極めて深刻化している。同時に家庭教育、

特に「父親」による教育不在も問題視されている。 

  神戸での陰惨な小六殺害事件(*世に言う「酒鬼薔薇聖斗事件」)の犯人

も、中学3年生だった。何が彼をそうさせたのか?  識者の見解もまちまち

で、未だ納得のゆく見解は無い状態だ。

 

  その他、集団で一人の社会人を殺害した中3や、ニュースになるだろうと、

グループで学校の兎たちを殺した中3、一人暮らしの老人を殺害した中3の

女生徒たち、さらには、自分の父親を、友達と共謀して殺した中3など、何か

が狂っているとしか思えない事件が続出している。

 

  無論、中3だけが問題なのではない。それは、もはや学年を問わない。

中1生の、ナイフによる女教諭殺傷事件、中2生による同級生殺害事件な

どもあった。少年犯罪は、益々低年齢化し、かつ凶悪化している。 

 

   江戸時代の「十五」といえば元服で、一人前の大人として扱われた。

だが、今の15歳は、身体は大人でも、精神的に未熟なイメージがつきまとう。 

  勿論、様々な15歳の青春があり、十把一からげにはできない。中には

精神的に成熟した中3もいるだろうし、純粋さを保持した15歳もいよう。

 

  ここに、同じ「中学3年生」がいる。東京都内にあるT養護学校の生徒たち

だ。彼らは、様々な知的障害児たちである。 例えば、脳性マヒ、自閉症、

癲癇症、ダウン症など、色々な生徒たちがいる。

 

  本稿は、彼らと身近に接してまとめたエッセイである。これを、彼らと

彼らの御父兄、それに彼らを指導された先生方御一人御一人に献呈し

たい。 

  とりわけ、沖縄在住の慈愛深い教育者K先生に、心からの尊敬と感謝を

込めて、本稿を捧げたい。

 

 

   第一章  エヴリワン・イズ・スペシャル 

        (「みんなが、かけがえのない存在」) 

     初めての体験ー希望と驚きー(一学期)

 

 

   幼い手のぬくもり 

 

  朝8時45分、生徒たちが、学校から手配されたスクールバスで登校する。 

手足の不自由な子、頭にプロテクターを付けている子、一人でバスに乗っ

たり降りたいできない子など、様々な生徒が集う。

 

  初めてのことでびっくりしていると、誰かが、そっと私の手を握ってくれた。

そこには、柔らかい幼児の手があった。 

  余りの人混みなので、男の子なのか女の子なのか、それさえ判らなかっ

た。子供のいない私には、殆ど初めてのことで、思わずハッとした。慌ただ

しい雑踏の中で、私の手をそっと握ってくれた幼い手が、何かしら、これか

らの学園での、温かく血の通った経験を予感させてくれた。

    Photo


  初日の驚きや感動以来、私も先生方に交じって生徒達を出迎えた。

生徒達は、各々四つのコースから登校する。生徒は、小学1年生から

中学3年生までの生徒たちである。大体リュック姿の子が多い。

 

  バスが到着して、一人ひとり降りてくるが、素早く動く子や緩慢な動きの

子など、様々である。 

  こちらから、「お早うございます」と挨拶するが、半分以上は無視される。

無視というより、挨拶として認識していない感じだ。 

  中には、「キー!」と、まるでお猿のような声(というより音)を出す子も

いる。他には、入口で横になって、むずがっている子もいる。まるで

”「高崎山」ではないか!”、と思うことさえある。だが、挨拶を無視されるこ

など、気に懸けてはいられない。 

 

  今日(4月18日)は、ダウン症の軽部次夫君(2年生・仮名)に、「お早う

ございます」と言うと、彼は、何と貴族の令嬢が、舞踏会に出席した時の

ようなポーズをとった。 

”ひじょうに不思議な世界だな”と思った。彼らには、われわれが、一体

どのように映っているのだろうか?「学校」という意識はあるのだろうか?

 

  私には時々、生徒の一人ひとりが、何か途方もない役者のように思える

時がある。 

 そのような場合、われわれは、単なる観客や傍観者でいいのだろうか。

それとも、彼らと共演する、もう一人の役者になるべきなのだろうか。



  だが実際は、彼らは、何も演じてはいない。あくまで、自然に、自分の欲

するままに振舞っているのだ。その意味では、彼らは「自然児」だ。その彼

らの心を少しでも理解するために、われわれは、偏見や固定観念を捨て

なければならない。そして、出来る限り「子供の心」にならなければならな

いと思う。 

  初日に、私の手をそっと握りしめてくれた幼い手のぬくもりは、その「初心」

忘れてはいけないことを、私にそっと教えてくれたような気がする。

                                         【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年9月 4日 (木)

【皆さんへーブログ再開のお知らせ―】

 【皆さんへ】


  皆さん、お早うございます。

お元気ですか? 

 たいへんご無沙汰いたしました。 

 

  私事ですが、昨年の12月12日に、 

熊本大学医学部付属病院にて、心臓の手術をいたし

ました。 

  「カテーテル・アブレーション」というものです。 

普通は、4~5時間で済むようですが、 

私の場合は難航し、8時間を要しました。 

それも、局所麻酔でしたので、少し長く感じました。 

  手術を担当された先生方も、たいへんお疲れになった

ようです。

 

  手術後1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月と、厳密な術後検診を

受けました。 

 幸い発作(=心房細動、及び心房粗動)も無く、安定

した毎日を送れるようになりました。

  大学の先生方、並びに看護師さん達、医療スタッフに、

本当にお世話になりました。

  また、一部の読者の方々から、温かいお見舞いの

メールを頂戴しました。

 心より感謝申し上げます。


  また、少しずつですが、私なりのブログを再開したい

と存じます。

日本は今、政治的・経済的に、かなり厳しい状況です。

  でも、今回は、それから少し離れて、随分昔に綴りま

した雑文を、公開させて頂きたいと思います。

  (*下の写真は、熊本城と阿蘇山です。)

    Photo_4

 

Photo_5

      Photo_6

 

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