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2014年9月19日 (金)

『内気な天使たち』(10)

  更衣室にて

 T養護では、校舎の奥まった所に、生徒の更衣室がある。日課にマラソン

や作業が含まれていると、標準服(制服)を運動着に着替える。服を一人

で脱いだり着たりできない子がいる。

 

  障害のためもあれば、他者への甘えの場合もある。服の前後や裏表を

反対に着たりする子も多い。そのため、前の方にボタンを付けてもらって

印にしている生徒もいる。だが、それでも、間違えることがある。 

  その他、ボタンがなかなか掛からなかったり、Tシャツでさえ、思うように

着れない生徒もいる。



  ジュン君は片手が不自由なので、ズボンのホックを外すことができない。

それで、それを外して上げると、彼は自分一人で懸命に着替える。時には、

歯まで使って着替える。彼は、とても素直で大人しい生徒だ。

 

  だが、周りを見渡すと、色んな生徒がいる。他の子の着替えにちょっかい

を出して、先生に叱られる子、奇声を上げて、殆ど遊んでいるような子、

自分の胸の乳首を触って、「オッパイ!」と言い、「何、可愛い事している

の?!」と、先生に怒られる子、果ては、室内で「大きな方」のオモラシを

してしまう子まで、実に様々だ。

 

  今日(四月十六日)、中学一年生の担任の本田先生が、更衣室に入るな

り仰る。「うーん?  何か臭う!」と。

 すると、加藤先生曰く、「翔太(仮名)が、大きいのやっちゃった」と。 

  私はふと、小学校に入学時、級友の一人(男子生徒)が、お別れの挨拶の

際、大きいのをお漏らししたことを思い出した。

 

  T養護の中学生も、中にはツヨシ君のような百キロに及ぶ巨漢もいるが、 

精神面では、保育園児や幼稚園児と、ほとんど変わらない。 あるいは、

極論を言うと、殆ど赤ちゃんと同じような子もいる。 

  部屋の隅では、深水博行君(仮名)が、オムツだけの姿で立ちつくしてい

る。上半身は裸だ。彼は、堀部先生の入室を待っているのだ。



  更衣中、一年生の中山勇太(仮名)が、加藤先生に「オハヨウ」と言った。

すると加藤先生、すかさず、「オハヨウじゃなく、お早うございますだよ」と

強く諭された。これも、基本的な言葉の躾なのだ。

 

  ダウン症の晴男が、一人で何か唸り声を上げながら着替えていた。

すると、同じダウン症で二年生の軽部君が入室して着替えを始めた。 

  とても気が合うのだろうか。二人は、挨拶代わりに、キスをした。

私は、男同士のキスを見たことなど初めてで、ハッ!としたが、彼ら独特

の親愛の情を示す表現らしい。 

  だが、社会教育上の問題もあり、このような行為は、小学生低学年の

時期ならまだしも、中学生なら、将来のことも考えて規制すべきだと意見

も多いようだ。ふと考えさせられるものがあった。

 

 

 

  良寛さんの心 

 

  われわれ日本人が愛する良寛さんは、慈愛の人だ。特に、子供を心から 

愛せる人だった。彼は地元(新潟・出雲崎)の子供たちとよく遊んだ。 

  そして、その中の女の子たちが年頃となり、遊里へと売られてゆく現実を、

彼は心から悲しんだ。いや憎んでさえいただろう。

 
良寛さんの心、それは、子供を常に守ろうとする心、子供と共に生きよう

とする心だ。

Photo

 彼が子供たちにした話しの中で最も好んだ寓話は、次のようなものだっ

たという。

 

  或る時、一人の旅人が山中に迷い込んだ。彼は、飢えと寒さのために

難渋した。

 

 すると、山の動物たち、猿も狐も狸も、それに熊さえも、それぞれが、

たきぎや果物、穀物など、様々な物を持って来て、その旅人を助けてあげ

た。

 

  だが、兎だけは、何も上げる物がなく、その旅人に言った。「私は、あなた

に何も差し上げることができません。どうか、この私の体を召し上がってくだ

さいませ」と。

 

 そう言うが早いか、兎は、旅人が煮物をしていた大きな鍋の中に身を投じ

てしまった。

 

Photo_2

 

  実は、その旅人というのは、観音菩薩だった。菩薩は言う。「兎よ、そなた

の心は、本当に立派だ。誰もが、そなたの心を忘れぬよう、私は、お前を月

に上げてあげよう」と。

 それ以来、日本では、月には兎が住んでいると言われるようになったと

いう。

           Photo_3


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  事の次第は定かではない。だが、あの良寛さんなら、このような話をなさ

ったかも知れない。しかし思うに、この兎の心こそ、良寛さん自身の心だっ

たのではないだろうか。 

  私は、子供たちに接するT養護の先生方の中に、この「良寛さんの心」を

垣間見るのである。それは、献身、自己犠牲、そして愛である。これらは、

仏教の根本精神でもある。

 

  無論、仏教で言う「愛」は、欲望の一つである。それは、ものごとに執着す

ること(=渇愛)を意味する。その点で、本来は否定的なものである。 

  だが、「愛」なしには、真の養護教育は語れない。養護教育は、まさに

「愛と忍耐」によって成り立っている。

 

  聖徳太子の講話の中に、「仏教」に関する、たいへん興味深いお話があ

る。 

 或る日、人間が断崖絶壁の前にたたずんでいると、谷間に、母トラと

子トラがお腹を空かせてあえいでいた。そこで、人間は何を思ったか、

断崖から身を投げて、親子のトラに食われてしまった。 

  本来の仏教とは、この人間のように、自らを”放擲すること”を意味する。

そこでは、慈悲心に基づく献身や自己犠牲が要求される。


  この仏教の精神こそが、「良寛さんの心」なのではなかろうか。 

そして、この心は、本校の先生方の心でもあるのだ。先生方は、子供たち

と共に遊び、彼らのために働き、彼らと共に生きる。 

  私も、彼ら同様、「良寛さんの心」を少しでも持てたら、どんなに素晴ら

しいことだろう。                            【つづく】                                            

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