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2013年11月 5日 (火)

インドの思想と日本の文化(2 )

     四つの徳―日本人の理想像

  たしかに、大乗仏教、とくに日本の大乗仏教は、厳しい愛欲の否定と

いう理想をおろしました。そのかわり新しい理想を大きく掲げたのです。 

  それは菩薩道の理想であり、菩薩道とは「自利利他」の行を行ずること

です。もちろん「自利」ということも仏教の理想として必要なのです。

 

  自らが救われなかったら、他人を救うことはできません「自利利他」

とは、自らが冷静な悟りの境地をえるとともに、他人を苦しみから救うこ

とです。 

  大乗仏教では「利他」の行が強調されます。有名な「餓虎捨身」という

話がありますが、釈迦は前世において「雪山童子」という人でありました

が、「雪山童子」は高い崖の上から身を投げて、飢えた虎にその身を食

べさせたというわけです。 (*下の絵は、「捨身飼虎」図)

  自分の身を犠牲にしても他人を救済する、これが大乗仏教の精神です。



             Photo_8


  日本は大乗仏教を受け容れましたが、それは大乗仏教の菩薩道の

理想が日本のすぐれた僧たちの心を深く打ったからです。 

  さきにのべたように九世紀の僧最澄は、戒律についてはなはだ寛容な

態度をとりましたが、菩薩行の実践については、はなはだ厳しい規定を

もうけました。

 

  僧たるものは己の利益は考えず、もっぱら世のため国のために努力

すべきであるというのが彼の信念であった。 

  彼らは、宗教者たるものは、よくいって、よく学問ができて、よく行い、

実行力をもっていなければならないというのです。学問があって、しかも

実行力をもった人間国の宝であるという。

 

  そして逆に、よくいって、よく行わない者、つまり学問だけあって、実行力

のない人間は学者として有用であり、よくいわずよく行う者は、実行力は

あるが、学問のない人間で、国に有用な人間である。 

  しかし、よくいわず、よく行わない者、つまり学問も実行力もない者は国

の賊である、国を損なう者だといっています。

 

  このように、学問もあり、実行力もある人間こそ、国が求めるべき人材で、

こういう人国の宝であるというわけです。 

  大乗仏教の説く行には、「六波羅蜜」ということがあります。それは、

布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定(ぜんじょう)・知恵(般若)の行

です。

 

  布施は、人に施しを与えるということ。布施には二種類あり、金銭や

財物を与える財施と、教えを施す法施とに大別されます。前者は在家者が、

後者は出家者が行う実践行です。 

  持戒とは、戒を受持し守ってゆくことであり、忍辱とは、他人から悪口を

いわれたり、危害を加えられてもじっと耐えることです。

 

  精進とは、たじろがぬ決意をもって善を修し、悪を断ずるために努力

すること。 

 禅定とは、心を一つの対象にとどめて、真理を見きわめる智慧を磨くこ

とで、般若とは、あらゆる存在の本質を無常・苦・空・無我であると見定

めることです。 

  このなかで禅定と般若は少し専門的な行になりますが、布施、持戒、

忍辱、精進の四つはだれにも可能な行です。



  私には、この四つの徳は日本人の理想に深く浸透しているように思わ

れます。 

 日本人にとってもっとも尊敬される人間は、このような四つの徳をそな

えた人間であるといってもよいと思います。 

  物惜しみせずに財物や知恵を人に与え、固く己の身を持し、慎み深く、

どんなに人に悪口をいわれようとけっして怒らず、自己の信念にしたがっ

て勇猛に精進する人間、そういう人間が日本人の理想像です。

 

  新しい宗派を開いた日本の高僧たち、またその宗派のなかでさまざま

なすぐれた仕事をした高僧たちは、すべてこの大乗仏教の「自利利他」

の精神、「六波羅蜜」の行の実践者であった。 

  この「自利利他」の菩薩行に関する解釈はいろいろちがいます。 

どちらかといえば、「自利」を強調する真言や禅にたいして、「利他」の行

をより強調する天台や日蓮の仏教があります。 

  しかしそれらはすべて大乗仏教の「自利利他」の精神を根本にもち、

「六波羅蜜」の行を重視する点では共通です。

 

  さきにのべましたように、日本は中国や韓国より、より深く仏教の影響

を受け、日本人のほとんどすべてが仏教信者になりました。 

  おそらくインド本国より日本人は仏教にたいしてより熱心な国だといっ

てよいかもしれません。 こうして仏教は日本の隅々まで広がりました。

 

  菩薩の理想は、すべての日本人の心のどこかに隠れています。その

日本人の心に隠れている菩薩道の理想を引き出し、あらためて日本人

の目の前に見せた文学者があります。それは宮沢賢治です。

                          Photo_3


  宮沢賢治は一八九六年、日本の辺境ともいうべき岩手県に生まれ

ました。 

 一九三三年、結核で死ぬまで、ほとんど彼はこの岩手県の地を離れ

せんでした。 

  そこで彼は教師をしたり、農民運動をしたりしましたが、一生無名のま

まであった。

                     Photo_4

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 彼が死んでからおびただしい詩や童話が書き残されているのが発見

されました。彼は、大乗仏教の教義を広めるために詩や童話を書いた

わけです。 

  それゆえ、彼の童話は、けっして子供のためにのみ書かれたものでは

ありません。

                             Photo_6

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 むしろ、これはおとなに大乗仏教の教義をやさしく語るために書かれた

のです。 

 童話という形をとったのは、彼は、生きとし生けるものすべてに仏性

あると考えたからです。

 

  「悉有(しつう)仏性」というのは、大乗仏教の経典である「涅槃経」に語

られる思想ですが、賢治は、すべての動物ばかりか、すべての植物さえ、

人間のごとき心をもっていると考える。 

  彼の童話は、動物や植物、すべての生きとし生けるものは心をもって、

互いに争い、互いに愛し合う話です。

 

  彼はこういう思想に基づいて多くの美しい童話を書きましたが、彼の最

も強い思想は、苦しむ衆生のために自分の身を捧げるという菩薩の

「犠牲死」という思想でした。その思想を彼はさまざまな童話のなかで表現

します。

 

  私は、賢治はやはり菩薩であったと思います。むしろすべての人が欲望

に仕えるこの近代資本主義社会に、彼は、日本人の心にひそかに存在す

る菩薩道の理想を人々に示すためにあらわれた一人の菩薩だと私には

思われます。

          Photo


  そして彼は他人のために働き、過労のために死にました。彼は、念願

通り菩薩行のをとげたわけです。  【つづく】

 

 

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