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2013年11月 7日 (木)

インドの思想と日本の文化(3 )

    「四姓平等」の実現

  この菩薩道の理想は、現代の日本においてもやはり生きていて、日本人

もっともよい道徳を形成しています。現代の日本においてもさまざまな

菩薩います。 

  もっぱら会社のために身を粉にして働いて、ほとんど私利を図らない、

そういう人がたしかに日本にはいます。 

  どんな悪口をいわれても黙って自分の信ずる道を進み、一つのことを成

しとげる、そういう日本人もたしかに日本にいます。

 

  日本人の最もすぐれた人間の道徳が大乗仏教の菩薩行に淵源すること

は、私は否定できないことだと思います。

  その点で、大乗仏教の理想はまだ日本に生きていて、それが日本の道徳

となり、そして日本の経済的発展を支えているともいえるのです。 

  その点、日本はインドに思想的にたいへん恩恵を受けているわけです。

 

  第二は、仏教の理想として「四姓平等」ということがあります。釈迦の活躍

した紀元前五世紀という時代は、都市文明が発展して、階級秩序が乱れた

時代だといわれます。 

  それにしても「四姓平等」という理想は、当時においてはやはり思いきった

主張であったにちがいないのです。 

  バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラの「四姓」に属する人はみな

平等で、人は生まれによって差別されないというわけです。

  (*下の図は、インドのカースト制度)

                 Photo


  この「四姓平等」の理想は、大乗仏教になってもいっこうに変わりません。

というよりは大乗仏教になって、いっそうはっきり「四姓平等」の理想は

実現されたといってよいかと思います。 

  仏教が日本に入ってきたとき、日本はやはり氏姓(うじかばね)制度の国で

あった。

 

 氏姓制度は一種のカースト制度であり、それは土着していた縄文人を

渡来した弥生人が征服することによってできた制度です。そして、生まれに

よって身分も職業も定められていた。 

  この日本のカーストを「姓」といいますが、「姓」は二十種類にもおよんで

いた。

 

 仏教を律令国家建設の基礎におこうとした聖徳太子は、ほとんど「姓」を

無視するかのようでした。 

  たとえば、「造(みやつこ)」という姓、すなわち御奴(みやつこ)の身分で

あった秦河勝(*下の写真)という帰化人を、彼は重く登用し、大蔵大臣

のような地位につかせています。こういうことは、その後の日本にもあまり

例がないのです。

              Photo_2


  また八世紀半ばの孝謙帝(*下の絵)という女帝はあつく仏教を崇拝し、

あまり出自のはっきりしない僧、道鏡(*その下の絵)を自分にかわって

天皇にしようとした。 

            Photo_3

 

             Photo_4


                         Photo_7



  この願望は容れられませんでしたが、そういうことが日本の身分制の

崩壊に役に立ったことは間違いありません。

 

  もしもこのとき日本が儒教を国教にしていたならば、こういうことが起こっ

たとは思えません。 

  人間の平等を主張する仏教をとり入れたことによって、日本においては

このカースト制にも似た氏姓制はほとんど崩壊したわけです。 

  もちろん、それによって日本は完全な平等社会になったわけではありま

せんが、聖徳太子の時代から三世紀たった十世紀の日本では、氏姓制

の呪力からほとんどまぬがれえた。

 

  この平等への要求は、日本では時代が下がるにつれて、ますます熾烈

になったといわざるをえない。 

  十四世紀を日本では室町時代と呼びますが、それは「下剋上の時代」と

もいわれます。これは身分が下の人間が、身分の上の人間に勝つという

ことを意味します。 

  こうした社会変動は、それにつぐ戦国時代(*下の絵)、十五世紀になる

とますますひどくなります。

                   
Photo_8


 

   日本国中は乱れ、力ある人間が、出身のいかんを問わずその地方を

支配する大名になったのです。 

  こうして、この戦国時代の最終的な勝利者が徳川氏であり、徳川氏は、

自己の権力体制を維持するために「士農工商」という身分秩序をつくりま

した。 

                              Photo_9


  しかし、それはけっして歴史的由来に基づくものではなく、徳川体制が

崩壊するや、またもとの「四姓平等」の世界に復しました。 

  もちろん、日本は十九世紀の末から、ヨーロッパのデモクラシー思想を

とり入れたのですが、それはもともと日本社会には、平等への欲求が強か

ったからです。

 

  今日、日本ははなはだデモクラティックな国です。日本における階層移動

は、ヨーロッパのいずれの国よりもはげしいと指摘されている。 

  戦後の日本の総理大臣、最高の権力者はほとんど庶民階級の出身者で

すし、日本における最も成功した経営者の一人である松下幸之助氏も

庶民階級の出身で、最も高いかつ最も尊敬される地位を得たわけです。

 

  日本では今日もなお、庶民階級から立身出世をして、最も高い地位に

つき、最も高い尊敬を得ることが可能です。 

  そしてこの平等ということが、日本の経済的繁栄を支えているにちがい

ない。 

 そして、この平等ということは、けっして十九世紀の後半以後に日本が

西洋から学んだことではありません。それはやはり、仏教が日本人に与え

なのです。 

  このように考えると、日本の今日の繁栄をあらしめた平等の徳を仏教か

ら学んだことを、日本人は深くインドという国に感謝せねばならないと思

います。

 

  平等ということは、これからますます重要になってくる人類共通の理想

です。すべての人類が平等に共存していくことが、今後の人類の理想と

してまず重要になります。 

  その意味において、釈迦の理想は不滅であり、あるいは、今日ほど釈迦

の理想が重要な意味をもつ時代はないように思われます。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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