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2013年11月 1日 (金)

二十一世紀の世界と仏教の役割(完)

   山川草木悉皆成仏の真理―環境破壊にたいして

                           (つづき)

 私は今、こういう考え方を全面的に批判しなければならないと考えている

のです。 

 そのためには、農耕牧畜文明の成立と同時に生じた人間中心の考え方、

それを根本的に批判しないかぎり、文明の再生はありえないと考えている

のです。

 

  自然の一員でありながら自分を特別なものと思い込み、やがて自分を世

界の中心において、自然征服を始め、自然環境を破壊し、ついに自分が

生きていく世界を失おうとしているこの愚かな人間について、徹底的な批

判が必要であると思っているのです。

  こういう点から仏教をみますと、私は、大乗仏教のほうが釈迦仏教よりす

ぐれていると思うのです。

 

  釈迦仏教はやはり紀元前五世紀という啓蒙の時代を反映して、人間中

心的な宗教であることをまぬがれませんでした。 

  しかし大乗仏教は、この人間中心的仏教をもう一度世界の方向で、ある

いは宇宙の方向で再構成しようとするものであります。 

  この極限において、華厳仏教でいう毘盧遮那や、密教でいう摩訶毘盧

遮那、大日如来が出現したわけです。

 

  もはやここでは仏はたんなる人間ではなく、太陽に象徴される宇宙の

中心にあって、万物をそれによって生ぜしめるものになるわけです。 

  日本の仏教の合言葉になった「山川草木悉皆成仏」ということが、まさに

この自然中心の宗教となった仏教のあり方を示しているのです。 

  人間だけが仏になるのではありません。生きとし生けるもの、動物も

植物もあらゆるものが仏になれるのです。

 

  現代において真に注目すべき自然科学の発見は三つあるといいます。

一つは相対性原理、一つは量子力学、もう一つが遺伝子の発見です。 

  この遺伝子はDNA(*下の写真)という形で存在し、このDNAは人間

だけにあるのではなく、あらゆる動物、植物に遍在するのです。

           Dna1
 

  あるキリスト教徒の科学者は、人間は神によって他の動物とは別なもの

としてつくられている、と聖書に書いてあるので、人間にはDNAではなく

別の遺伝子があるのではないかと一所懸命それを探したが、そんなもの

はなかったという、笑うに笑えぬ話がありますが、まさにこのDNAの発見

こそ、私は「山川草木悉皆成仏」いう大乗仏教の真理の正しさを証明し

たものではないかと思います。

 

  根底にこのような宇宙観を含んでいる仏教はさらに発展して、そこから

二十一世紀以後の世界の人類の規範になるような宇宙観を構成すること

ができます。 

  そして仏教徒は、今日、この自然破壊の文明にたいして強い怒りをもち、

環境保護運動(*下の写真は、その運動の一環)の先頭に立たねばなら

ないのではないかと私には思われるのです。 

            Photo

           Photo_2

 

   空の思想による再生ー精神の崩壊にたいして 

 

  最後に第三の危機についてですが、この危機は第二の危機に劣らず

深刻な問題です。この問題は、近代文明の根本に存在している問題で

ある。 

  近代ヨーロッパは、宗教を棚上げにして科学技術文明を基礎にして新

しい文明をつくり、巨大な生産力と軍事力をもつ文明をつくりだしました。 

  非西欧文化圏にある国も、この文明をとり入れないかぎり、高い軍事力

や生産力をもつ国になることはできませんでした。

 

  そして西欧の、あるいは非西欧の近代国家ができたのですが、その

近代国家は、共通の前提として宗教からの自由をもっていたのです。 

  一定の宗教からの自由ということはたいへんよいことですが、一定の

宗教からの自由ということは、やがて宗教からの自由ということになり、

宗教への無関心ということになったわけです。

 

  ニーチェのいう「神は死んだ」というのはまさしくそういうことですが、

「神が死ぬ」ことによって道徳が衰え、人間の精神的な力も失われると

いうのは当然な運命であります。

 

  このような状況のなかで、私は宗教のもつ役割を重視するものですが、

大乗仏教は、このような状況のなかで、二つの点で有意義であると思い

ます。 

  一つは、大乗仏教は空の思想をその思想の根底におきます。空の思想

を説くのは般若経典ですが、この般若経典の説くところは結局、人間を

欲望の執着から解放することだと思います。

 

  有にもとらわれず、無にもとらわれず、肯定にもとらわれず、否定にも

とらわれないということは、人間を欲望のとらわれから解放し、そしてその

欲望を越えた自由人として積極的に世間で活動させるという意味をもって

いるのです(*下の写真は、「空の思想」の、一つの例)

        Photo_3

                       Photo_5




  大乗仏教の空の思想は、自利利他の行になってあらわれると申します。 

自利と利他の調和を説くところに、大乗仏教のすぐれた現実性がありま

すが、ある場合には利他が自利を上回ることがあり、そういう場合には、

菩薩は身を殺しても利他を図らなければならないというわけです。この

利他行の重視こそ、大乗仏教が最も重視している精神です。

                   Photo_6


   
  現代文明はまさに人間を宗教や道徳の束縛から解放し、人間の欲望を

最大限に満足させようとするものでありましょうが、その欲望を空の思想

によって反省させ、人間を欲望人としてではなく精神人として再生させ、

人間に利他の徳を教えることは、現代文明にとって真に重要なことである

と思います。 

  以上の三つの人類の危機に関して、私は、仏教というものはその予防

薬あるいは治療薬として、大きな役目をはたすものと信じています。 【了】

 

(*後記: すでに、拙稿の冒頭でも記しましたように、本稿は、1990年 

4月、ソウルで開催された、韓国仏教放送局記念講演での、梅原猛先生 

のご講演の記録をもとに、作成されたものです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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