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2013年10月 8日 (火)

”森の思想”が人類を救う(3 )

   森の文明の考え方

 

  このように考えると、森の文明ともいうべき縄文文化の基層を形成して

いることは疑いえないと思いますが、この文化はどのような文化で、どう

いう精神的特徴をもっていて、それがその後の日本の文化にどういう影響

を与えたのか。

 

  この文化を知るには、ただ考古学的遺物によってのみではなく、自然

人類学、文化人類学、民俗学、歴史学、宗教学などのあらゆる学問を

総合しなければならない。

 

  その場合、とくにこのような漁撈採集文化をつい最近までもちつづけ

ていたアイヌ、沖縄、あるいは日本列島の山間や島に住む狩猟民や

漁民たちの宗教や習俗がその助けとなります(*次の上2枚は、アイヌ、

下2枚は、沖縄のサバニ)

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  私は長い間、この問題についていろいろ考えてきましたが、その文化の

精神的特徴を二つの点に集約できるのではないかと思います。一つは

その平等志向です。 

  たとえば日本の山間部で伝統的な狩猟法を守るマタギ(*下の写真)

の社会では、熊狩りに行くときには熊狩りのいちばん得意な人をリーダー

とし、猪狩りに行くときには猪狩りのいちばん得意な人をリーダーとし、

その狩りの期間はリーダーの命令に従いますが、獲物は狩りに参加でき

ない老人や寡婦の家庭にも平等に配分されます。

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  縄文時代の住居跡(*下の写真)を見ると、真ん中の広場のまわりに

同じ大きさの竪穴住居が並んでいます。 

  狩猟採集生活においては食物の貯蔵ができず、生活は二十人から五十

人単位で行われているので平等の原則がそこに貫かれているのは当然

です。

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  この平等ということは、人間のみならず、人間と動物や植物の間にも

存在していわけです。 

  森の住民の一人である人間は、自分たちの周辺にいる動物や植物を

けっして自分と異なるものとは思っていないです。

 

  動物も植物も、あるいは山や川ですら、人間と同じ霊をもっていると考

えています。彼らは本来、人間と同なのですが、この世ではたまたま

動物や植物、あるいは山や川の姿であらわれているにすぎないのです。 

  とくに人間においしい肉を与え、暖かい毛皮を提供する熊や、食糧の

中心であるどんぐり(*下の写真)を実らせ、家や船の材料になる樹木は、

熊や、樹木の姿になって人間のもとにみやげをもって訪れた客人(まれび

と)と考えられています。

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  ですから、人間はその客人の意志に従っておいしい肉や、暖かい毛布

や、どんぐりや、材木をありがたくいただきますが、その霊はていちょうに

あの世へ送るのです。 

  彼らの考えでは、あの世は、死んだ人間ばかりか、死んだ熊や木も

この世と同じような生活を営むところなのです。 

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  そしてこの世でていちょうに葬られた熊や木の霊は、あの世で仲間たち

に、この世で人間から受けた手厚いもてなしを語ることによって、仲間の

熊や木はそれでは早くこの世にいこうと思い、また翌年には熊がどっさり

と獲れ、樹木はいっそう豊かな実をつけることになるわけです。



  熊や樹木と同じように、人間もまた手厚く葬られます。この世に深い恨み

残して死んだ人や、水死とか何か特別な死に方をした人は、とくに手厚

く葬られて無事あの世へ送らねばならない。無事あの世へ送られないと、

またこの世に帰ってこられないからです。

 

  アイヌの社会では、すべての生は再生であると考えられている。

 たとえば、A家の男とB家の女が結婚して子供Cができますと、あの世

にいるA家の代表者とB家の代表者が、今度はだれを帰そうかと相談し、

その結果Cが選ばれて、Cの魂は遠いあの世からはるばるとその母の

胎内に入り、月満ちて生まれてくるのだと考えられています。 

  かつて日本人は生まれてきた子を見て、ああこの子は亡くなったおじい

ちゃんにそっくりだ、おじいちゃんの生まれ変わりにちがいないといって、

その子におじいちゃんと同じ名をつけたものでした。

  

  このように考えると、この森の文明のもっている一つの思想が、明確に

浮き彫りされてきたように思います。 

  それは、人間は、自然界のなかでは何らの特別な権利ももっていない

一員であり、人間も動物も植物もすべて、あの世とこの世の間の絶えざる

循環をくり返すもの、とみる見方です。

 

  この見方は一見非科学的ですが、じつは生物というものの本質をはな

はだ的確にとらえているといわねばなりません。 

  なぜならば、生命体の本質は、死と再生のくりかえしであるからです

人間も熊も樹木もすべての生物は、個体としては死ぬけれど、しかし

その生命は子孫となって再生する。

 

 
  つまり種は死・再生をくり返して永続するのです。現代の言葉でいえば、

個々の生命は死ぬけれど、種の遺伝子(*下の写真)不死であるとい

えるのかもしれません。  【つづく】

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