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2013年10月 7日 (月)

”森の思想”が人類を救う(2 )

    世界に誇るべき日本の森林


  さて、ここに集まった皆さんは何らかの形で、日本に大きな関心をもた

れていますが、日本において最も誇るべきものは何という問いに、

どう答えられるでしょうか。

 

  こういう問いを日本人自身に投げかけたとしても、かなり多くの日本人

はいささか答えに困るのではないかと思います。 

  戦前の日本の誇りは万世一系の皇統でありました。それは日本では

同じ血統の天皇が、戦前の日本人の信念によれば二千六百年以上、

客観的な歴史的事実としても千三百年以上つづいているということです。 

  それは、日本が外国からの侵略をほとんど被らず、平和であったことの

しるしであり、たしかに誇るべきことですが、世界にはさまざまな政治形

態があります。

 

  共和制の国や、社会主義の国もあります。そういう国にたいして、なが

い間つづいた君主制としての天皇制の誇りを押しつけることは、けっして

よいことであるとは思いません。

                    Photo

         Photo_2


  また、今(*1990年当時)の日本の経済発展を誇りとする気持ちも、

多くの日本人の心に潜在していますが、それはちょうど成金が金をもっ

ていることを誇るようなものであり、みっともないことです。 

  金があるということは、それ自身けっして価値のあることではないと思

います。その金を何に使うかによって、その金持ちの国の価値が決まる

のでしょう。

 

  以上のように天皇制や経済発展が日本の誇りではないとしたら、日本は

いったい何を誇りとすべきでしょうか。 

  いささか意外に思われる方も多いと思いますが、その問いにたいして、

私は日本のであると答えたい。

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         Photo_4



  日本においては全国土の67%が森林であり、しかもその森の54%は

天然林です。 

 先進国にしてこれだけの森を保有している国はありません。この森の

一番巨大なものが富士山麓です。その意味でも、富士山は日本の誇り

であるといえるのです。

        Photo_5

  どうして日本にこのように多くの森が残されたのでしょうか。日本に森が

残された原因は二つあると思います。 

  それは日本に農業が輸入されたのが遅かったこと、もう一つは、日本

に輸入された農業が養豚以外の牧畜を伴わない稲作農業であったこと

です。

 

  最近の地質学的研究によれば、日本列島ができたのは比較的新しく、

日本列島が東アジア大陸から独立したのは約一万年前であるといわれ

ます。 

  氷河期が終わって氷が解け、海水面が上昇し、その結果、日本海がで

きて、今のような日本列島が形成されたのだといわれます。

 

  ところが、ちょうど日本列島ができるころ、つまり今から一万二千年くら

い前にまでさかのぼる土器が、日本列島から出土するのです。(*下の

写真は、「縄文土器」)

                     Photo_6
 

  もちろんそのころ、世界の人々はすべて狩猟採集生活を営んでいた

わけですが、日本列島をはじめとする東北アジアに、人類最初の土器が

出現したわけです。 

  この土器の発明は、金属器の発明のように生産と直接、関係せず、また

武器に用いられることもありませんでした。

 

  おそらく、周囲を海に囲まれた日本列島は、狩猟採集というより漁撈

採集文化のメッカであり、巨大な落葉樹の実は食糧になり、その葉が

落ちて積った腐植土は格好の土器の材料になったにちがいありません。 

  土器を伴う日本の漁撈採集文化を縄文文化と名づけますが、このよう

な縄文文化が日本ではじつに一万年もの間繁栄し、日本の基層文化を

形成したのです。

 

  紀元前三世紀ごろ、日本に稲作農業がもたらされました。これはたん

なる稲作農業技術の渡来ではなく、稲作農業をもった人間の渡来であ

ったことが、自然人類学などの研究によって明らかになっています。 

  紀元前三世紀ごろというと、中国においては秦の始皇帝による国家

統一が行われるときにあたりますから、おそらく揚子江流域にいたどこ

かの国の遺民が日本列島に逃亡し、稲作農業を伝えたと思われるの

です。

            Photo_8


  この稲作農業は、高温にして、多湿の日本ではたいへん成功して、

弥生時代といわれる紀元前三世紀から紀元後三世紀までの約六百年

の間に、東北地方や南西諸島を除いて、日本は農業国家に生まれ変

わったのです。 

  そしてそれ以後、古墳時代、つまり四世紀から六世紀までに、日本に

大和朝廷を支配者とする統一政権ができ、七、八世紀になって、当時

の隋・唐国家にならって律令国家をつくりました。 

  律令国家はその国の経済の基礎をすべて農業においていますから、

弥生時代の延長と考えてさしつかえありません。 

  その後いろいろな変貌をとげましたが、このような律令国家は名目と

して明治時代まで、つまり日本人が工業をその基礎とする西洋文明を

とり入れるまでつづいたのであります。



  巨視的にみますと、紀元前三世紀、米をもったどこかの国の遺民が、

この日本列島にやって来て、稲作農業を始めるまで、日本のほぼ全域は

森であったわけです。 

  それから二千数百年の間に、日本の森の約三分の一は開拓され水田

化された。しかし、三分の二の山は、ほぼそのまま森として残された。 

  その理由の一つには稲作農業をとり入れたということもありますが、

もう一つの理由は日本の地形そのものにも関係があります。

 

  日本の稲作農業は養豚以外に牧畜を伴わず、しかも水を必要とする

ために、水の引きやすい平地にかぎられます。 

  それゆえ、日本人の営々たる努力にもかかわらず、田の面積を一定

以上に拡げることは困難でありました。 

  また牧畜を伴わないため、森林が伐採されて牧草地になるということも、

日本ではほとんどありませんでした。

 

  それに日本の山の多くは急峻で、植生が喬木、灌木、草、苔の四層

からなり、喬木を伐ったとしてもすぐに牧草地になりにくいのです。

 こういうことから、日本の山はほとんど森のまま残されたわけです。 

  このことは世界の他の文明国と比べてみて、日本の大きな特徴である

といわざるをえません。

 

  メソポタミア地方において、約一万年前に始まった農耕牧畜文明は、

やがては都市文明いわゆる巨大文明を生みますが、この最初の都市

文明の伝説的な創造者がギルガメシュ(*下の写真)です。

         Photo_7


  ギルガメシュが最初にやったことは、森の神、フンババの殺害であった。

これは、文明というものが森の神を殺害することによって発展するもの

であることを象徴的に示していますが、小麦生産を中心に牧畜を伴う

文明は、森の神の殺害という点において稲作農業の文明よりもはるか

に厳しかったといわねばなりません。

 

  現在、巨大文明の発生地といわれるメソポタミア、エジプト、インド、

中国において森を見ることは困難です。 

  現代発展している国々、たとえば北ヨーロッパ諸国および北アメリカ

諸国、それに日本と韓国などが、豊かな森をもっている国であることは、

けっして偶然であるとは思えません。 【つづく】

 

 

 

 

 

 

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