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2013年10月 3日 (木)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(8 )

   徳冨蘇峰に見る「祖国愛」

 世界に与えた影響力の点では、ケネディ兄弟(*下の写真)やダレス

兄弟(*その下の写真上 兄のジョン・フォスター・ダレス、下  弟の

アレン ・ ダレス)には遠く及ばなかったものの、近代日本の言論界に

多大な影響を与えたことで群を抜いているのは、徳冨蘇峰・蘆花兄弟

である。

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   とくに蘇峰は、松陰や小楠の思想をよく理解していた。だが、兄・蘇峰だ

けが偉大だったのではない。弟・蘆花も歴史に名を残すほどの優れた文人、

かつ思想家だった。 

  それに、ダレス兄弟が結局、ロックフェラーの〝操り人形”に過ぎなか

ったことに比べれば、徳冨兄弟は、人間的には、ダレスたちよりも、遥か

偉大だった思う。 

  なぜなら徳冨兄弟は、生涯”独立不羈の精神”を持った、祖国

愛に満ちた人びとだったからである。



   徳冨蘇峰(*下の写真)は、私たち日本人に、『近世日本国民史(*

その下の写真)いう100巻に及ぶ国家的財産を残している。彼は、

この浩瀚な全集を、34年の歳月をかけて作成した。


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  井上智重氏(熊本日日新聞社)によれば、蘇峰は、「私は歴史をつくる

人間になりたいと思っていたのに、歴史を書く人間に終わってしまった

人生の失敗者です」と語っている。だが彼は、本心からそう思っていたの

だろうか?  私は、甚だ疑問である。 

  むしろ彼は、かつて桂太郎内閣と親密になったり、戦時中も皇国日本

の正当性を強く主張したりして「書くこと」を通して、日本近代史の一角

つくった人であった。

 

  それに、「人生の失敗者」というには、戦後でさえ、彼はあまりにも

雄弁で、かつ影響力の大きい思想家だった。その意味で、蘇峰が近代

日本の言論界において巨星だったことは間違いない。

  勝海舟を「師父」と仰ぎ、海舟の”精神的息子”でもあった蘇峰は生涯、

「皇国日本」を心から愛した人だった。 

  それに海舟が江戸幕府の歴史を丹念に書き残したことに習って、彼は

「国民」視点から、明治・大正・昭和の歴史を冷静、かつ公正に書き

留めた。

 

  米原謙氏は、その著『徳冨蘇峰―日本ナショナリズムの軌跡―』中公

新書:下の写真)によって、蘇峰の思想と行動を、たいへん的確に分析

している。彼は言う。

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  「幾多の屈折を経験した蘇峰の言論の軌跡を、単なる転向の歴史とみる

ことは到底できない。蘇峰の軌跡は、自身で近代日本国家の自立・挫折・

再生の物語を体現している。
 
  このナショナリズムの物語にどの程度共感するかは、人によって異なる

だろうが、それを黙殺することは誰にもできないはずだ」と。 

  まったく同感である。また別の箇所で、米原氏は、次のように述べる。

  「だが、蘇峰は転向したのではない。(戦後の)かれは戦中と同じく

『大東亜戦争』は正当だと考え、中国を裏から支えているのはソ連であり、

ソ連こそ最大の敵だと信じている。

 

  蘇峰の考えでは、日本が列強に追いつこうとして焦ったために、米国

から嫉妬され行き違いが生じたのであり、日米提携が両国の伝統的政策

なのである」と。 

  しかし、米原氏によれば、戦後の日本人は、かつて日清戦争後(とくに、

「三国干渉」後)に持っていたような「臥薪嘗胆」の気概が無いと見た。

 

  そこで、我々が学ぶべき先人として、蘇峰は「源頼朝」(*下の

肖像画)を挙げる。彼は、頼朝を“客観的状況を熟慮して実行に移す、

慎重な精神を体現した指導者”とみなした。 

  つまり蘇峰は、隠忍自重の「保守的政治家」を称揚することで、その

生涯を閉じようとしていた、と米原氏は分析するのである。 


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 今、学ぶべき「聖徳太子の精神」 

 

  かつて(とくに、戦前)否定的に取り扱われていた歴史上の人物、例え

ば徳川家康や足利尊氏が戦後、国民に再評価され、かつもてはやされた。 

  その点から言えば、蘇峰が源頼朝に行き着くのも、容易に理解できる。 

だが私の記憶では、戦後において「頼朝」は、それほど(少なくとも、山岡

荘八の『徳川家康』ほどには)もてはやされていないように思う。

 

  米原氏の言では、蘇峰にとって頼朝は、「勝てば官軍、負ければ賊」と

いう語とはまったく無縁であり、常に官軍であることを忘れてはいなかっ

た。しかも彼(頼朝)は、政治の基本が民衆にあることを熟知していた。



  頼朝が実際に、蘇峰の言う通りに「民のことを考えていたか」というこ

とについては甚だ疑問である。
 
  だが米原氏によれば、この蘇峰の言葉に託されたメッセージは明瞭だ

った。 

 つまり、この言葉は戦後、自暴自棄になった国民に対する「臥薪嘗胆」

の呼びかである。

 

  それと共に、「世界のいかなる英雄とも互角に相撲の取れる」人物を

指し示すこと”国民的自負心”を回復しようとしたものである。 

  その意味で、蘇峰は、性急に功を急ぐ「進歩的政治家」ではなく、

むしろ慎重に事を運ぶ「保守的政治家」を描き出すことで“隠忍自重”

訴えたのである。

 

  それは、「彼を知らず己を知らず」の自己陶酔で、不用意な戦争に踏み

切った戦前の政治家に対する批判であり、幾分かは彼自身の反省を

意味したはずだ、と米原氏は冷静に分析する。



  この蘇峰の「頼朝」評価は、今日の政治状況でも意味があるかも知れ

ない。頼朝の冷静さ、深い洞察力、それに統率力を含めたリーダーシップ

など、彼は実に得がたい存在だ。

 

  だが、敢えて蘇峰の見解について論ずれば、頼朝の「政治」は、平清盛

が日宋貿易を求めたような「外向き」のものではなく、本質的に外国を知ら

ない「内向き政治」ある。 

  それゆえ、彼は現代、あるいは日本の将来には、それほど参考になら

ないのではないだろうか。

 

  むしろ私は、現代の我々が頼朝以上に参考にすべきは「聖徳太子」 

(*下の肖像画)であると思う。 

 太子の真面目は、当時の強大な隋帝国に対して決してひるむことなく、

小なりといえども、あくまで対等に国交を結ぼうとしたことである。 

  国家の大小に捉われない政治家としての誇りや矜持こそ、最も大切なも

のである。 

 そのことを、太子は充分理解していた。なぜなら彼は、仏教(とくに、

法華経)に基づく徹底した「平等思想」を堅持していたからである。
 

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  私は、今の日本人に必要なものは、いい意味での「宗教性」だと思う。

われわれ日本人は潜在的に”宗教心”を持っている。それは、極めて

貴重なものだ。 

  それに基づき、我々は改めて「聖徳太子の精神」を学ぶべきではない

だろうか。 

 まさに、最澄・日蓮が「法華経」を通して、また親鸞が六角堂内での夢告

を通じて「太子の精神」を学んだように。―

 

  この「聖徳太子の精神」こそ、先述した石橋湛山の思想に通じるもの

であり、日本文明の「精華」とも言えるものである。 

  そして将来、ますます意味を持つと思われる法華経と「普遍性」を持つ

日本神道を結ぶ存在こそ、聖徳太子だと思う。 

  彼は、我々日本人にとって、決して過去の人ではない。彼の精神は、

今学ぶべき“未来に生きる”精神 なのである。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

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