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2013年10月 4日 (金)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(完 )

    我々日本人が継承すべきもの


  仏教の奥義を究めた最初の日本人、それが聖徳太子である。 

  太子(厩戸皇子:574~622:下の肖像画)は、日本仏教の開祖とも言

える。だが彼は、極めて冷静、かつ謙遜な人であった。

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  徳永真一郎氏によれば、太子の偉大さは「聖なるもの」を卑近直截

に社会人のものにしていることである。 

  とりわけ太子は、法華経の精神を「万善同帰」というように受け取って

いる。 (*下は、同経の中の「如来寿量品第十六)

 「万善」とは、あらゆる存在がそれ自身のあり方において、自らの場所

を得、持ち前の面目(性能)を遺憾なく発揮するということである。

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  しかも、桜は桜、菊は菊といった具合に、本来の性能を生かして競い

咲き、決して相克したり相殺することなく、共にもたれもたれつつ「対揚」

して、いやがうえにも高度の「善」を発揮し合う、これが太子の説く「同帰」

の意味であった。これは、石橋湛山が説いた「一天四海皆帰妙法」の精神

にも通じよう。
                      

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  徳永氏によると、太子は「万善同帰」をさらに一字に約して「和(やわら

ぎ)」といった。 

  法華経はこうして「和(やわらぎ)の経典」として日本に生命を得、和の

国是を荘厳(モディファイ)し、長く文化的な要素となって、文化の花を咲

かせるに至ったのである。

 

  太子が憲法第一条の冒頭で「和(やわらぎ)を以て貴(たっと)しとなし、

忤(さから)うことなきを以て宗(むね)とす」といっているのも、万善同帰」

の聖理を掲げ、わが国が「和」をもって国是とすることを中外に宣布した

わけである(徳永著『聖徳太子』)。 

  ただ、この憲法制定においても、太子は決して高みから凡夫である国民

を導き、範を垂れるという驕慢な態度ではなく、むしろ自らも“同じ凡夫であ

る”という認識で、十七条憲法を制定したと言える。


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  その点では、寺尾勇氏の言にもあるように、十七条憲法は、仮借なき

人間凝視を通した、人間悪への絶望の書であるとも言える。 

  確かに、寺尾氏の説のごとく、この憲法は、裏返せば太子自身の限界

につまづき倒れた“凡夫としての自覚”であり、わけても政治改革の空しさ

から滲み出た深傷(ふかで)からの呻吟であり、告白でさえある。 

 

  言うなれば太子は、その絶望の彼方に、当時の勢力家・蘇我馬子の

機先を制する形で、大国・隋と対等関係を築こうとしたり、外国で学んだ

留学生たちに後事を託したのである。 

  つまり彼は、馬子の専横という困難な状況の中にいても、単なる絶望の

人ではなかった。

 

  ところで、太子の辞世の言葉は「世間虚仮、唯仏是真」世間は虚仮

〔こけ〕なり、ただ仏のみ是れ真〔まこと〕なり=この世の営みは皆、仮の

はかないものであり、仏の悟りに達することだけが真実だ)というものだ

った。           Photo_14

  識者の言によれば、当時の人びとが「安住世間」を願って、現世利益を

仏教に求めていた時、太子は、この世の中は空しくはかないものである

として、あらゆる心の執着を断ち切ろうとした。そして彼はある時、仏の悟

りに達し、より高い“真実の生き方”を求めた。

 

  つまり、彼にとって仏道とは、すべての世俗的な欲望や執着を一切断ち、

謙遜・無私に悟り(=開悟)を求めることだった。 

  その精神性の高さと深みを以て、祖国・日本を心から愛した「聖徳太子

の精神」こそ、後世の我々が継承すべきものであると思う。 

 

 「諸法実相の世界」への信頼

 

  聖徳太子を敬慕する日本人は多い。有名な「太子信仰」というものが

ある。歴史上でも、伝教大師最澄や彼の弟子円仁(えんにん:慈覚大師)

は言うに及ばず、親鸞や一遍、それに日蓮などの鎌倉仏教の祖師たちも、

心から聖徳太子を敬愛していた。 

  その他、源頼朝・源実朝・足利尊氏・楠木正成・足利義満・徳川家康、

それに織田信長までも太子を尊崇していた。

 

  天皇家の廃絶さえも考えた信長でさえ、聖徳太子を崇敬する思いは

強かった。彼が足利義昭の失政を責めて、室町幕府を滅ぼした時は、

十七箇条の意見書を義昭に突きつけた。当然、聖徳太子の十七条憲法

を意識しての行為である。

 

  ここでは、聖徳太子と『法華経』との関係で、特に日蓮上人(*下の

肖像画:1222~82 )について述べてみたい。 

  「父母の恩は山よりも高く、海よりも深い」という言葉がある。日蓮上人

の言葉である。 

  「我不愛身命、但惜無上道(我は身命を愛〔お〕しまず、ただ無上道を

惜しむ)」言って、果敢に『法華経』による国難の打開を幕府に迫り、

それがために筆舌に尽くしがたい迫害と苦難を経験した彼ではあるが、

心は極めて濃(こま)やかで情味深い人だった。

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  権力に抗する強靭さとは裏腹に、社会の底辺に生活する弱き者、貧し

き人びとへの慈愛深さは、まさに日蓮上人の真骨頂であった。その意味

で彼は“報恩・愛徳”人だった。 

  周知のように、『法華経』には、さまざまな苦難を乗り越えてこの経典を

広め、菩薩行を実践する功徳が説かれている。日蓮は自らを、この経典

における上行菩薩に引き比べて、迫害の中を突き進んで行った。 

 この過程での彼の勝利は、まさに内村鑑三の言う「心が肉体に対し、

精神が暴力に対して得たる勝利であった。」(内村著『代表的日本人』)。

 

  内村は、日蓮について語る。つまり、「然らば諸君は、その骨髄まで真実

なる一個の霊魂、人間として最も正直なる人間、日本人として最も勇敢な

る日本人を有するのである」と。 

  『法華経』の広宣流布によって、この娑婆(苦悩の絶えない世界)を寂光

土(煩悩の穢れのない知恵の輝く世界)に変えることこそ、日蓮の理想で

あった。

 

  だが内村は、日蓮が主張した教義そのものよりも、むしろ日蓮の勇敢な

る行為に注目する。 

  しかし、考えてみれば、あらゆる迫害を恐れない日蓮の勇敢さは、見え

ざる世界(=諸法実相の世界)からの導きや支援を絶対的に信頼する、

その純真無雑さ(=「正直さ」)にあったと言えよう。



  私は、ガンディーやケネディには、また吉田松陰や石橋湛山にも、この

ような“絶対的なるもの”への信仰と信頼があったと思う。 

  今の日本には、この種の信仰心や信頼が欠落しているのではあるまいか。 

「清明心」「赤き(=明き)心」が身近だった古代や中世の日本には、この

ような“絶対的なるもの”への信仰や畏敬が十二分にあったと思うのだ。

 

  本来、この種の信仰心や畏敬心を豊かに持っている日本人は、とくに

第二次世界大戦後、さまざまな物質的誘惑の中で、この貴重な“精神的

遺産”に目を向ける機会が少なくなったように思われる。その意味で、

現代日本人は、精神的に「無知・無明」の状態である。

 

  今一度、「日本文明」の原点に返ることこそ、我々日本人に求められるも

のだと思う。 

 そのために、聖徳太子や日蓮上人の生涯が、我々の生きる道程を照ら

す明かりとなろう。 【了】

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