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2013年10月11日 (金)

”森の思想”が人類を救う(5 )

    二十一世紀に必要な羅漢の和



  たしかに和の原理は、聖徳太子いらいの日本の社会を形成する原理

であり、それが日本社会を発展させた原理であることは間違いありませ

んが、私は、二十一世紀の日本ではこの和の原理だけでは不十分だと

思います。

 和の原理集団の価値が優先する原理であり、とかく個人の価値は

第二次的になりがちです。

 

  日本人は一人一人はたいして傑出した人間はいないが、集団となれば、

じつに強い力を発揮する民族であるといわれます。たしかにその通りで

しょう。 

  たとえばノーベル賞受賞者にしても、日本の人口の多さからみて、また

日本人の平均的知的水準の高さに比べると、かなり少ない。 

  また、たとえば現代の世界に新しい戦慄をもたらすような芸術家も、

黒沢明や三島由起夫などを例外にすれば、はなはだ乏しいといわねば

なりません。

 

  今、日本で最も活躍している映画監督、伊丹十三氏(*下の写真)が、

最近「あげまん(*その下の写真)という映画をつくりました。


         Photo_13

             Photo_17


  伊丹氏によれば、この「あげまん」は、(1)孤独に耐えられない、

(2)自分で判断できない、(3)自分で責任がとれない、という日本人の

一般的な男性の姿を描いたということですが、それを私の言葉でいえば、

日本的な和の社会のなかの人間描いているということになります。

 

  和の社会のなかの人間は、自分の属している社会との調和を第一の

原理としているので、(1)孤独に耐えられず、(2)したがって他人の顔色

見て、容易に決断することができず、(3)そして自ら責任をとることをし

ない、ということになります。 

  こういう和の社会が、強烈な個性をもった人間を育てず、したがって日本

において傑出した個人が出現することを妨げている。

 

  私自身は、顔も姿もすこぶる日本人的ですが、なぜか若いときから日本

人的な生き方と反対の生き方をしてきました。それは、孤独に耐え、ひとり

で決断し、ひとり責任をもつ生き方です。私は学問において多くの仮説を

提出してきました。

            Photo_19

                              

  たとえば、法隆寺は聖徳太子の鎮魂の寺(*下の写真は、この時、
        

話題となった著書)であるとか、柿本人麿(*その下の絵)は流刑になり、 

ついには死刑になった詩人であるとか、アイヌ語と日本語はけっして別の 

言語ではなく、かなり近い親戚関係にある言語であるという、日本の学界 

の常識に真正面から挑戦する、いくつかの仮説を提出してきました。

             Photo_18

 

            Photo_19


          

  それは、日本の伝統的権威あるいは外国の学問的権威の説を紹介し、

研究することをおもな仕事としている日本の人文学界にとっては、たいへ

んな衝撃でありました。 

  当然、賞讃の批評もありましたが、それ以上に中傷、罵倒のとても批評

とはいえない批判が相次ぎました。

 

  しかし、それらの中傷、罵倒にたいして私は例外を除いて相手にしませ

んでした。 

 なぜなら、一つの仮説を提案すると、私はまだその奥にあるものが知り

たくて、つねに新しい仮説の形成に熱中していたからです。



  私は現在、国際日本文化研究センター(*下の写真)の所長をしています

が、それは日本文化を総合的に、かつ国際的に研究する機関の必要性を

痛感し、私たち京都の学者が中心になって三年前に設立したものです。

              Photo_21

  日本の経済的発展も一つの要因だと思いますが、世界の日本研究者

の数は年ごとに増えているにもかかわらず、外国における日本研究者と

日本国内の日本研究者との交流の機関が、日本には一つもありません

でした。 

  当センターの役割は、そういう日本人と外国人とが共同研究する場を

提供するということですが、今や日本人よりむしろ外国人によって、新しい

日本研究の視野が拓かれているのです。

 

  こういう新しい視野をもった外国の日本研究者が当センターを訪れ、

あるいは共同研究に参加し、あるいは当センターの教授たちと学問的

な対話をすることによって、新しい日本研究が育っていくことを望むもの

であります。



  私は当センターの研究員採用の条件として、さきほどの伊丹十三氏が

指摘した日本人の一般的特性である三つの原理と、反対の原理を採用

した。 

  それは(1)孤独に耐え、(2)自分で決断することができ、(3)そして自分 

で責任をとることのできる人間です。

 

  そういう人間を日本の学界で探し、全国の大学から採用して、共同研

究を主催してもらっています。しかし、そうはいっても、センターが和を

欠くということはありません。

 

  私は、これからの日本人のあり方として、羅漢の和ということを考え

いる。 

 みなさんご存知のように、禅宗の寺院へ行くと、羅漢(*下の写真)

像が並んでいます。

            Photo_22


  羅漢というのは禅宗の理想とする自由人です。禅は仏教のなかで最も

自由を強調する仏教です。 

  何ものにもとらわれない完全な自由人となって、いかなる状況にも

対応できる人間、それが禅の理想とする羅漢です。

 

  羅漢はそれぞれ個性的な風貌をしています。それは、一人一人は

まったく自由人で、それぞれはかなり異なった人間です。こういう羅漢の

和の社会こそ、これからの日本社会の理想だと思われるのです。



  ちょうど近代ヨーロッパ国家が経済的な力をつけるとともに、すぐれた

個人、たとえばイタリアのダ・ヴィンチ、イギリスのシェークスピア(*下の

肖像画、フランスのデカルト、ドイツのゲーテ(*その下の肖像画)のよ

うな、強い個性をもった天才を生み出したように、これからの日本もこう

いう強い個性をもった人間を生み出さねばなりません。

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   もしも強い経済力をもちながら、こうした巨人を生み出せないとしたな

らば、日本はいたずらに経済力のみを所有している精神の低い国とみ

られても仕方ありません。   【つづく】

 

 

          

 

 

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