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2013年10月31日 (木)

二十一世紀の世界と仏教の役割(8 )

   山川草木悉皆成仏の真理―環境破壊にたいして



  第一の危機よりもっと重大な問題は第二の危機です。環境問題の恐ろ

しさは、人類の生存を脅かす現象がつぎつぎと発見されることです。 

  さまざまな公害および汚染、地球の砂漠化、酸性雨、地球の温暖化、

オゾン層破壊、この二十年の間にじつにいろいろな問題が指摘されまし

たが、そのどれ一つをとっても、人類の生存を十分脅かすにたる深刻な

問題です。

 

  こういう問題が新しく発見されたということは、まだ発見されていない

問題がたくさんあるということです。 

  一つ一つのこのような問題について、人類は叡知を結集してその解決

にあたる必要がありましょう。



  しかし、それは科学的対応も必要ですが、それだけでは根本的な解決に

なりません。 

 根本的解決にはやはり、この問題がどこからきているのかということを

深く考え、もしも過去の人類の文明が自然を征服し、自然を破壊すると

いう考えのもとに立っているとしたならば、その文明そのものを批判し、

文明の性格を根本的に変える必要がありましょう。

 

  私は、現在、人類は一つの岐路に立っていると思います。このままの

文明をつづけて、二十一世紀には滅びへの一歩を踏みだすか、あるいは

別の道を切り拓くか、現在そういう大きな岐路に立っていると思います。

 

  この環境破壊ということはごく最近、起こったことでもなければ、また

産業革命の結果としてあらわれてきたことでもない。それは、一万年前

から起こっていることです。

 

  農耕牧畜文明による自然征服の結果、環境破壊がすでに起こっていた

のですが、それは地球全体からみれば部分的であり、人類全体の生存を

脅かすほどではなかったので、それが人類の危機というふうに考えられ

なかったにすぎないのです。 

  農耕牧畜文明は人類にじつに豊かな富をもたらしました。そこからおそ

らく文明いうものが始まったのでしょう。

 

  しかし、その人類に豊富な富をもたらし、輝かしい文明をつくった農耕

牧畜文明が、その内面に深く自然破壊の罪を宿していたのです。 

  おそらく農耕牧畜文明が成立する以前は、全地球は一部の砂漠地帯

を除いて青々とした森林に覆われていたのでしょう。

                           Photo_4

  しかし、農耕牧畜文明が始まって約一万年の間に、平地に存在する

森林はほとんど伐りとられてしまいました。 

  そして、農耕牧畜文明を基礎にしてできあがった都市文明が、この森林

の破壊をいっそう促進した。

                     Photo_5

                    Photo_7


  この自然破壊が、産業革命によって機械が発明され、自然征服が従来

よりはるかに容易になって加速度的に促進されて、現在のような地球環

境の危機を見るにいたったわけです。

   こういう人類史の大きな流れのなかで、あらゆる思想も考えなおさなく

てはならないのです。

 

  世界の四聖といわれる人、ソクラテス(*下の写真)、イエス=キリスト、

釈迦、孔子は、イエスを除いてほぼ五世紀頃の人です。 

  ヤスパースは、イエスの先駆者というべき第二イザヤ(*その下の

絵 )が、紀元前五世紀の人であるので、この四人の聖人をほぼ同じ

時代に属する思想家と考えるのですが、その見解は正しいでしょう。 

  私は、この四人の思想家は、それぞれ四つの偉大なる文明をその背に

背負っていると思います。

                    Photo_8

            Photo_9


  ソクラテスはギリシア文明を、イエス=キリストはエジプト文明を、釈迦は

インダス文明を、孔子は黄河文明を、それぞれ四つの巨大文明をその背

に負っているのです。 

  この巨大文明は農耕牧畜文明の上に成り立っているのですが、四人の

思想家はそれぞれの文明の過去を背負いつつ、強く人間の尊厳を主張

した。

 

  そして、それぞれじつに尊敬すべき思想を説いたのですが、それが農耕

牧畜文明の上に立つかぎり、それはやはり人間の自然支配を是認し、 

そのうえで人間の尊厳を説こうとした思想であったにちがいありません。 

 

  私は、この四人の思想家の思想について、ここで論ずるひまはありません。 

しかし、この四人の思想家の思想において共通なのは、人間というものが

その思想の前面に出ていることです。

 

  それは程度のちがいがありますが、人間の自然支配を是認することに

なります。 

 農耕牧畜文明の上に立った思想は、当然人間の自然支配を是認する

いう傾向をもちます。 

  そこから、人間は万物の長であり、すべての動物を支配する権利をもっ

ているという思想が出てきます。

 

  そしてそれが一歩進むと、人間は他のすべての動物がもたないような神

の理性をもち、そして人間が、他の動植物を含んだ自然を支配するのは

当然であり、それこそ文明であるという思想が出てきます。

 

  こういう考え方がとくに強くなったのはヨーロッパですが、そういう考え方

の延長上にデカルトの二元論があるのです。 

  一方に自我としての人間をおき、一方に物質としての自然をおき、その

人間が科学的に認識すればするほど自然を支配でき、その自然支配こ

そ文明の方向あるという考え方が出てきます。 

  これは近代の歴史家、バックルやギゾー(*下の肖像画:1787~1874)

の文明史の考え方でありますが、福沢諭吉(*その下の写真:1835~

1901)は、こういう考え方をとり入れて近代日本の基礎をつくった

です。 【つづく】


               

Photo_10

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