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2013年10月15日 (火)

”森の思想”が人類を救う(7 )

   二十一世紀の危機―環境破壊(前)


  戦後日本においても、近代文明の原理である自然征服を、無条件に善

とする思想はあまねく広がり、その著しく発展した工業生産の代償として、

自然破壊が日本のいたるところで進んでいる。 

  もちろん、日本における工業汚染は、世界一厳しい規制によって、ある

程度解決されたわけですが、しかし金儲け一辺倒にこり固まった日本人は、

あるいはゴルフ場(*下の写真)の拡大に、あるいはリゾート施設(*その

下の写真)の建設に夢中であり、私などのような反時代的な学者の意見を

聞くこともなく、ますます自然破壊は進んでいる。

             Photo_3

          

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  また日本経済の繁栄は木材や紙の浪費をもたらし、熱帯雨林の破壊に

一役買っていることも否定できません。 

  私は、二十一世紀における人類の最大の問題は、この環境破壊

あると思っているのです。酸性雨、オゾン層の破壊、地球の砂漠化

(*下の写真)、熱帯雨林の破壊、森の死滅(*その下の写真)、どれ

とってみても、人類の生存を脅かす現象ばかりです。 

  こういう現象が無限に複合化して、まさに人類社会の基礎そのものを

覆そうとしているのです。 

                  Photo_7

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   この危機から人類を救い出すためには、当面の対策も必要ですが、

まずその哲学を変えねばなりません。 

  近代文明を指導したデカルトやベーコンの考え方は、人間と自然を

峻別し、自然を客観的に研究する自然科学の知識によって、自然を征服

する技術をもとうとする思想です。

 

  かくて、自然科学は客観的に発展し、人類は、自然について三百年前

にもっていた知識とは、比較できないほどの精密な知識をもつようになっ

た。 

  そしてそれとともに自然征服の技術は飛躍的に進み、人間は自然から、

それまでの人間にはとうてい考えられないような豊かな富を生産すること

ができるようになった。

 

  そしてその代償に、地球環境の破壊という、まさに人間は、自分の生き

ている土台を根本から崩壊させるような危機に直面したわけです。 

  この危機は人類全体が直面する危機であり、かつて人類社会が直面し

たどんな危機よりも、ずっと深い危機ではないかと私には思われるのです。

 

  かつての危機というのは、人類の一つの文明の崩壊の危機でありまし

たが、今やそれは人類の文明全体の崩壊の危機なのです。 

  しかもこの危機の淵源するところは実に古く、たんなる産業革命以後

あるいは近代以後ではありません。

 

  人類が農耕文明を発明し、都市文明(*下の写真)を形成していらい、

人類の文明が潜在的にはらんできた危機です。つまり人類は森を食い

潰して文明をつくってきたのです。

                     
                         Photo_12

                  Photo_13



  そして一つの文明が崩壊したあとに、つぎにまだ森の残る他の地域に

おいて文明を興し、そしてまた森を食い潰してきた。 

  農耕牧畜社会の段階では、森の破壊は局部的でありましたが、工業

文明ができていらい、文明は飛躍的に豊かな富を生産し、その反面、

森を急激な速度で破壊してきました。

 

  日本において比較的、森が残されたのは、農業文明や工業文明の輸入

が遅れたことにもよりますが、このまま放っておいたら、国土の六七パー

セントの森は、たちまちにして消失するかもしれません。

 

  まさに森の破壊は、農耕牧畜文明が成立していらいの、とくに近代工業

文明が成立していらいの人類の運命でありますが、この運命を現在とい

う時点において大きく転換しなければ、人類は一直線に地獄への道をた

どることは火を見るより明らかです。 

  われわれは文明の原理を、人間の自然支配を善とする思想から、人間

と自然との共存をはかる思想に転換しなければなりません。

 

  私は、もう一度人類は、この狩猟採集時代の世界観にたちもどり、個人

ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想

とりもどさなければならないと思うのです。

 

  こういう思想は、古代ギリシアの思想に、あるいはヒンズーの思想に、

あるいは中国の老荘思想(*下の写真)にも見られるものですが、

それはおそらく狩猟採集時代における人類の共通の原理の残存である

と思われます。 

             Photo_14

  このような原理が日本文化の伝統のなかにもある点に、私は今後の

日本文化の可能性を認めたいと思っているのです。

 

  このような考え方は日本文化のみならず、ギリシア思想のなかにも、

ケルト思想のなかにも、あるいはアメリカ・インディアンの思想のなかにも、

あるいはアボリジニ(*下の写真)思想のなかにも見いだすことができ

るかもしれません。

                         Photo_16

  私は、近代という時代がその合理的な自然征服を貫徹するために、

排除していった多くの思想に注目する必要があると思うのです。

【つづく】

 

 

 

 

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