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2013年10月21日 (月)

二十一世紀の世界と仏教の役割(3)

     二十一世紀の三つの危機

  私は、二十一世紀における人類の危機として三つのことが存在すると

思うのです。 

 一つは核戦争の危機もう一つは環境破壊の危機もう一つは精神崩

壊の危機です。  

 

   この三つの危機は相互に関係していますが、まさに二十世紀になって

はっきり人類の前に出現した危機であります。 

  十九世紀においては、ニーチェのような先駆的な予言者的思想家を除い

て、これらの危機はまだ人類に予測すらされませんでした。

 

  しかし二十世紀になって、その危機ははっきり人類の前に姿をあらわし、

とくに今世紀の末になって、その恐ろしさがはじめてふつうの人間の心の

なかに実感されるようになってまいりました。もちろんまだそういう危機を

感じていない人も多くあります。 

  ヨーロッパの近代社会の原理が今もなお健在であり、その原理は永久に

正しいと考えている人も多いのです。

 

 私の見るところ、まだアメリカやヨーロッパに、とくに経済的繁栄と我を失

っている日本には、近代的原理が永久につづき、危機などというものも、

一時の迷いだと思っている人が少なくありません。

 

  戦後、たとえば哲学者ヤスパース(*下の写真:1883~1969)が声を大

にして叫んだのは、主として第一の危機でありますが、今は米ソの対立

の緩和によって第一の危機はいちおう背後に退き、第二の危機が表面に

立っているように思われます。

             Photo_2


  ドイツの哲学者・児童文学者ミヒャエル・エンデ(*下の写真:1929

~1995)などは、しきりにこの第二の危機を強調しているのです。


                Photo_5

 

  しかし、この第一の危機もけっして解決されているわけではありません。

第二の危機とならんで第三の危機もまた重要な問題であると思います。 

  この三つの危機について少し考察を加えてみましょう。


 

 

  核戦争の危機




   人類は有史以前から戦争によってその運命を決定してきました。

一つの社会ともう一つの社会、一つの国ともう一つの国のトラブルを解決

するものは、結局戦争でありました。

 

  そして、戦争の勝敗に決定的な影響を与えるものはやはり武器の善し

悪しです。 

 それゆえ人類は武器を発展させ、その武器の発展がまた科学の発展を

促進した。 

  そして、武器の発展の極限において人類は恐るべき兵器をつくり出した

のです。それは核兵器の発明であります。

 

  われわれ日本人は広島と長崎において、この新しく発明された武器が、

従来のいかなる武器ともまったく比較にならない強力な武器であることを、

身をもって体験せざるをえませんでした。 

  日本の降伏はこの巨大な殺戮力をもった武器の発明のおかげといえま

しょう(ママ)。

 

 そして戦後、すでにそれ自身恐るべき殺戮力をもった武器である原子

爆弾が改良され、まさに人類ばかりか地球上の全生物の命を抹殺する力

をもつかのような、水素爆弾(*下の写真)という武器が発明されました。

                        
                            Photo_8


  すでにこの原子爆弾の製作を指導した物理学者、オッペンハイマー

(*下の写真:1904~1967)は、その殺人兵器が使われるであろう人類

の未来を予告して、そういう殺人兵器の製造に関与すべきではなかった

という道徳的反省をもたらしたのです。

                           Photo_7


  オッペンハイマーの予言どおり、この殺人兵器はますます発展し、水爆

の発明となり、戦後世界を支配した二つの強国、アメリカとソ連は原水爆

の保有に狂奔したのです。

 

  それが戦後の核兵器の均衡による平和という時代です。それはまさに

人類の叡智からみれば狂気の業ですが、この狂気の業が、悲しいこと

ですが、戦後の平和の実態だったのです。

 

  しかし、このかぎりない核兵器の保有という、軍拡競争が米ソ相互の

経済の破綻という結果を生んで、米ソ両国は核兵器の縮小廃止に乗り

出しました。

 

  これは真に結構なことでありますが、それはけっして道徳的な動機から

ではなく、自国の苦しい経済をたてなおすためのやむをえぬ措置であっ

たところにも、核戦争の危機がけっして終わっていないことが示されて

いるのでしょう。 

 

  今日、何らかの事情で、今まで核兵器の均衡ということによって平和を

保ってきた米ソ両大国の間で、核兵器の不均衡という現象が起こり、一方

の核兵器を豊富に所有している国が、核兵器においてはるかに差をつけ

られた他国にたいして核戦争をしかけることがはたしてないでしょうか。

 

  あるいは、政治的、経済的に追いつめられた国が自国の威信を回復さ

せるために、絶望的な核戦争を相手方にしかけることがまったくないと

いえましょうか。

 

  また、核兵器を保有する国が多くなり、何らかの国が核兵器を所有し、

その政治的、経済的に追いつめられた状況の打開策として、脅迫の手段

として核兵器を使い、脅迫がついに現実となるようなことが、まったく起こ

りえないといえるでしょうか。 

 また今日、核兵器は、核兵器をもった軍事的強大国の、核兵器をもた

ない軍事的弱小国への脅迫の手段としてやはり有効であるように思わ

れます。

 

  たとえば、日本や韓国のような経済的には発展しているが核兵器をもた

ない国が、強大な核兵器をもっている国とはたして対等な外交ができる

かどうかは疑問です。 

  弱小国はどこかで相手の強大な軍事力、とくに核兵器を意識せねばな

らないはずです。

 

 そして、強大国のなかに、はっきりとは言明しないものの、核兵器をも

つ自国に対する誇りがあり、それが相手国への無言の圧迫となり、対等

な政治交渉を不可能にしているということがはたしてないでありましょうか。

 

  二十一世紀中に以上のようなことがまったく起こりえないと仮定するほど、

私には人類の性(さが)が善なるものであるとは思われないのです。 

  核戦争の危機は、今日もなお人類の一つの危機であり、核兵器の問題 

を考えることなしに、人類の未来を考えることはできないと思うのです。 

  【つづく】

 

 

 

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