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2013年10月10日 (木)

”森の思想”が人類を救う(4 )

   日本社会を貫く平等と和の原理

   以上のように、この森の文明、この日本の基層文化を形成する縄文

文化、狩猟採集文化の精神的特徴が、生命体の本来的同一性、つまり

平等の原理その永遠の循環運動ということにあるとすれば、そのことは、

その後の日本文化にどのような影響を与えているのでしょうか。

 

  縄文時代以降の日本社会について一望しますと、さきにのべたように、

日本国家は、稲作農業をもって日本に渡来した弥生人によってつくられた。

弥生人が土着の狩猟採集の民、縄文人を征服して国家をつくった。

  (*下の絵は、「縄文人」と「弥生人」)

         Photo_11


  八世紀にできた『古事記』や『日本書紀』の神話は、日本人はアマテラス

(*下の肖像画)の子孫で、渡来してきた農耕民と、スサノオ(*その下の

肖像画)の子孫である土着の狩猟採集民から成り立っていて、後者すな

わち国つ神の子孫は、前者すなわち天つ神の子孫に服従すべきものだ

と決めつけています。

            Photo_3

            Photo_4



  この神話の具体的なあらわれが、氏姓制度であって、古墳時代の人間

は氏・姓によって、身分も職業も規定されていました。 

  このカースト制度ともいうべき日本の身分制を壊したのは、一つには

仏教の影響あります。

                         Photo_5

  七、八世紀の日本は中国にならって律令社会をつくろうとしたのですが、

その律令社会の創始者である聖徳太子は、仏教を日本の律令社会の

根本原理にしようとした。

 

  仏教の一つの中心理念は平等ということです。八世紀の末、まさにこの

仏教の平等主義によって律令社会が崩れようとしたことがあったわけで

すが、その後約四世紀、律令社会は生きつづけます。この律令社会に

大きな衝撃を与えたのは武士の勃興でした。

  日本の武士というものは、もともと狩猟民であり、縄文の民の末裔である

と考えてさしつかえないと思います。

                            Photo_9

  この武士の台頭と仏教の浸透によって、身分社会はだんだん崩れ、

そして下剋上が時代の潮流となりました。 

  こうして徳川時代になって再び身分社会が復活したようにみえましたが、

徳川時代の権力者である大名はほとんど成り上がり者で、とても貴族とい

うものではなかった。 

  明治時代になって徳川幕府の体制は崩れ、西洋のデモクラシー思想の

影響も受けて、日本は、名目的には四民平等の社会になった。 

  そして戦後、日本にまだ残っていた貴族社会は崩壊し、日本は名実とも

に四民平等の社会になったのです。

 

  私が所長をしている国際日本文化研究センター教授、飯田経夫氏は、

戦後の日本の著しい経済発展の原因を、ほぼ同質化された一億二千

万人の人間と、その強い平等志向に求めています。 

  さきにいいましたように、日本人はじつは根本的に異なる二つの種族、

弥生人と縄文人から成り立っていますが、弥生人が日本に渡来したのは、

紀元前三世紀から紀元前一世紀にいたる間です。

 

  そしてその後、七世紀くらいまでの間に断続的にアジア大陸、とくに朝鮮

半島から多くの人々がこの日本に渡来した。 

  そのなかにはもちろん政治的亡命者も、また日本という新天地に自らの

活躍の舞台を求めてきた遺民もありました。 

  しかしこの傾向はほぼ七世紀で終わり、それ以降は外国から移り住んだ

人の数は少なかった。それで日本は周囲から隔絶された島国として文化

の同質化ということが著しくすすみました。 

  とくに十七世紀以後の鎖国された徳川幕藩体制は、この日本人の同質

化ということにははなはだ貢献しました。

 

  日本の社会、とくに戦後の日本の社会は階級の流動性の強い社会です。

戦後の日本を象徴する、もっとも力と人気のあった総理大臣、田中角栄

(*下の写真)、および実業家、松下幸之助氏(*その下の写真)は、

ともに庶民階級から身を起こした人物です。

                    Photo_8

                           Photo_10

 

  それはただ田中角栄氏や松下幸之助氏が例外であるというわけでは

ありません。 

 日本の総理大臣のほとんどは庶民階級の出身である、その顔もはな

はだ庶民的です。 

  日本では、あまり貴族的な顔をしていると総理大臣になれないという説

さえあります。

 

 この日本社会の平等性ということは、私は、デモクラシーの影響によっ

て、戦後あるいは明治以後にできたものであるとは考えられません。 

  その傾向は遠くさかのぼり、日本文化の基層をなしている縄文文化に、

すでにそのような平等化への強い傾向があり、それがさらに仏教の思想

の影響により、あるいはデモクラシー思想の影響によってさらに助長され

たと考えざるをえないのです。

 

 そしてそのことが、日本の身分社会を壊していったと考えねばならない

です。

  この平等化の原理は、現代の日本においてはひじょうにプラスに働き、

日本の経済的発展の一つになっていることは否定できません。そして、

この平等化の思想の根底となるものが、和の原理です。 

  七世紀における日本の律令社会の主導的な政治家であった聖徳太子

は、彼のつくった十七条憲法の第三条に「和を以て貴しそ為す」という言

葉を入れた。

 

  これはさきにのべたように、千年にわたる土着の縄文人と渡来の弥生

人の、血を血で洗う闘争に懲りた日本人の経験の結果、生み出された

知恵であると思いますが、この和の原理こそが、日本社会を構成する

原理であると考えてさしつかえありません。 

  明治以降、とくに戦後の日本を発展させたのも、この和の原理であり

ます。成功した政治家や実業家などが揮毫(きごう)を求められたときに、

いちばん多く書くのは「和」であり「忍」であるという。 【つづく】

             
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