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2013年10月

2013年10月31日 (木)

二十一世紀の世界と仏教の役割(8 )

   山川草木悉皆成仏の真理―環境破壊にたいして



  第一の危機よりもっと重大な問題は第二の危機です。環境問題の恐ろ

しさは、人類の生存を脅かす現象がつぎつぎと発見されることです。 

  さまざまな公害および汚染、地球の砂漠化、酸性雨、地球の温暖化、

オゾン層破壊、この二十年の間にじつにいろいろな問題が指摘されまし

たが、そのどれ一つをとっても、人類の生存を十分脅かすにたる深刻な

問題です。

 

  こういう問題が新しく発見されたということは、まだ発見されていない

問題がたくさんあるということです。 

  一つ一つのこのような問題について、人類は叡知を結集してその解決

にあたる必要がありましょう。



  しかし、それは科学的対応も必要ですが、それだけでは根本的な解決に

なりません。 

 根本的解決にはやはり、この問題がどこからきているのかということを

深く考え、もしも過去の人類の文明が自然を征服し、自然を破壊すると

いう考えのもとに立っているとしたならば、その文明そのものを批判し、

文明の性格を根本的に変える必要がありましょう。

 

  私は、現在、人類は一つの岐路に立っていると思います。このままの

文明をつづけて、二十一世紀には滅びへの一歩を踏みだすか、あるいは

別の道を切り拓くか、現在そういう大きな岐路に立っていると思います。

 

  この環境破壊ということはごく最近、起こったことでもなければ、また

産業革命の結果としてあらわれてきたことでもない。それは、一万年前

から起こっていることです。

 

  農耕牧畜文明による自然征服の結果、環境破壊がすでに起こっていた

のですが、それは地球全体からみれば部分的であり、人類全体の生存を

脅かすほどではなかったので、それが人類の危機というふうに考えられ

なかったにすぎないのです。 

  農耕牧畜文明は人類にじつに豊かな富をもたらしました。そこからおそ

らく文明いうものが始まったのでしょう。

 

  しかし、その人類に豊富な富をもたらし、輝かしい文明をつくった農耕

牧畜文明が、その内面に深く自然破壊の罪を宿していたのです。 

  おそらく農耕牧畜文明が成立する以前は、全地球は一部の砂漠地帯

を除いて青々とした森林に覆われていたのでしょう。

                           Photo_4

  しかし、農耕牧畜文明が始まって約一万年の間に、平地に存在する

森林はほとんど伐りとられてしまいました。 

  そして、農耕牧畜文明を基礎にしてできあがった都市文明が、この森林

の破壊をいっそう促進した。

                     Photo_5

                    Photo_7


  この自然破壊が、産業革命によって機械が発明され、自然征服が従来

よりはるかに容易になって加速度的に促進されて、現在のような地球環

境の危機を見るにいたったわけです。

   こういう人類史の大きな流れのなかで、あらゆる思想も考えなおさなく

てはならないのです。

 

  世界の四聖といわれる人、ソクラテス(*下の写真)、イエス=キリスト、

釈迦、孔子は、イエスを除いてほぼ五世紀頃の人です。 

  ヤスパースは、イエスの先駆者というべき第二イザヤ(*その下の

絵 )が、紀元前五世紀の人であるので、この四人の聖人をほぼ同じ

時代に属する思想家と考えるのですが、その見解は正しいでしょう。 

  私は、この四人の思想家は、それぞれ四つの偉大なる文明をその背に

背負っていると思います。

                    Photo_8

            Photo_9


  ソクラテスはギリシア文明を、イエス=キリストはエジプト文明を、釈迦は

インダス文明を、孔子は黄河文明を、それぞれ四つの巨大文明をその背

に負っているのです。 

  この巨大文明は農耕牧畜文明の上に成り立っているのですが、四人の

思想家はそれぞれの文明の過去を背負いつつ、強く人間の尊厳を主張

した。

 

  そして、それぞれじつに尊敬すべき思想を説いたのですが、それが農耕

牧畜文明の上に立つかぎり、それはやはり人間の自然支配を是認し、 

そのうえで人間の尊厳を説こうとした思想であったにちがいありません。 

 

  私は、この四人の思想家の思想について、ここで論ずるひまはありません。 

しかし、この四人の思想家の思想において共通なのは、人間というものが

その思想の前面に出ていることです。

 

  それは程度のちがいがありますが、人間の自然支配を是認することに

なります。 

 農耕牧畜文明の上に立った思想は、当然人間の自然支配を是認する

いう傾向をもちます。 

  そこから、人間は万物の長であり、すべての動物を支配する権利をもっ

ているという思想が出てきます。

 

  そしてそれが一歩進むと、人間は他のすべての動物がもたないような神

の理性をもち、そして人間が、他の動植物を含んだ自然を支配するのは

当然であり、それこそ文明であるという思想が出てきます。

 

  こういう考え方がとくに強くなったのはヨーロッパですが、そういう考え方

の延長上にデカルトの二元論があるのです。 

  一方に自我としての人間をおき、一方に物質としての自然をおき、その

人間が科学的に認識すればするほど自然を支配でき、その自然支配こ

そ文明の方向あるという考え方が出てきます。 

  これは近代の歴史家、バックルやギゾー(*下の肖像画:1787~1874)

の文明史の考え方でありますが、福沢諭吉(*その下の写真:1835~

1901)は、こういう考え方をとり入れて近代日本の基礎をつくった

です。 【つづく】


               

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2013年10月29日 (火)

不正選挙―20代女性を、不当逮捕!

  【皆さんへ】

 

 皆さん、お早うございます。 

お変わりありませんか?

 ところで、最近の日本は、何だか変だと思われませ

んか?

 美しい川も、上流が濁れば、下流も汚れ、濁ります。

 
人間の世界も、全く同様です。

 
  今日の安倍政権は、限りなく危険で、売国的な政権

です。

 そのため、その影響下にある裁判所、検察、警察、

マス・メディアも、本来の使命を完全に喪失している感

があります。

  本日、皆さんに是非ご高覧いただきたいのは、

警察による、良心的な一市民に対する、不当な逮捕

・拘留の現実です。

  このような不法・不当な暴力が看過されてはなりま

せん。


 しかし、このような許されざる傾向は、今後、益々高

まるのではないでしょうか。

  そうさせないためにも、われわれは、このような現実

から目をそむけてはいけないと思います。

  そんなことへの警鐘の意味を込めて、今回のYou

Tube  を、ご高覧いただきたいと存じます。

 

 今日のテレビから発せられる愚にもつかない情報や、

軽薄な笑いより、このような“情報”こそ、われわれが

真に視聴すべき“情報”だと思うのです。

  今回のYou  Tubeは、次の通りです。


             http://youtu.be/m-xRivBJb8o

2013年10月28日 (月)

二十一世紀の世界と仏教の役割(7)

  多神教の可能性―核戦争について

 

  以上のように、核戦争の危機、環境破壊の危機、精神破壊の危機が、

二十一世紀の人類社会の最も大きな危機であるとすれば、この危機に

仏教、とくに東アジアに定着した大乗仏教がどのような予防薬、あるいは

治療薬を提供することができるかどうかが問われねばなりません。

 

  まず第一の危機、核戦争の危機について大乗仏教はどう対応するのか。

これはたいへんむずかしい問題です。大乗仏教は、この核戦争の危機に

何ら積極的な対応策をもっていないようにみえます。

 

  日本は世界で唯一の原爆の被害を受けた国です。したがって、平和問

題について、日本は積極的に発言する権利をもっているはずです。 

  しかし、日本の仏教徒が平和問題に積極的な発言をした例ははなはだ

少ないのです。

                     Photo_4
 

 これは、日本において平和の問題は、政治権力に利用され、核戦争を

醸成している一方の政治権力の代弁者として平和が唱えられたからです。 

  戦後の日本の平和運動はイデオロギーの運動であり、社会主義の運動

でありました。こういう状況のなかで日本の仏教徒が、平和問題について

ほとんど発言しなかったのは賢明なことであるともいえます。

                  
                    Photo_5



  たしかに大乗仏教は、この核戦争の脅威に対抗する何らの積極的な

活動もしていませんが、消極的にはそれは核戦争の脅威を和らげる意味

をもっているのです。

 

  なぜなら、現在の核戦争の危機の状況をつくっているのは一神論的世

界観の対立だからです。 

  イギリスの歴史家アーノルド・トインビー(*下の写真:1889~1975)は、

マルクス主義はユダヤ教的な一神論を俗世に移したものであるといいま

す。ユダヤ教的一神論は、キリスト教の一神論よりはるかに戦闘的です。

 

          Photo_6


  唯一絶対のエホバの神を信じ、その神を信じない異教徒はすべて悪魔

であり、その神を信じるユダヤ教徒は神の徒である。 

  こういうユダヤ教的一神論の性格は、キリスト教においては、愛とか

寛容が強調されることによって弱められますが、マルクス主義において

は、そのユダヤ教的一神論の性格が、過酷なまでに徹底されるのです。

 

  そこには信仰を共有する者への同志愛はありますが、信仰の異なる者、

マルクス主義に反対する者にたいしては愛も寛容もなく、ただ憎悪のみが

あるだけです。 (*下の絵は、旧ソ連の指導者、レーニン)

                      Photo_10


  このような一神論が戦後世界の対立を高め、核戦争の脅威を助長して

きたのです。 

  そして、このようなユダヤ教的一神論に対立するものがキリスト教的

一神論であったとすれば、まさに一神論が世界の対立を醸成し、核戦争

の危機をつくっていたといわねばなりません。 

  一神論は多神論よりはるかに戦闘的です。一つの神の絶対的正義を

信じ、その神の正義を妨げるものをすべて悪魔と考えることによって、

人間は強い戦闘力をもつのです。

 

  一神論が発生したのは銅の時代が鉄の時代に移るころ、約三千年前

であると思われますが、その後一神論が優勢になったのは、その戦闘的

精神によるところが大きいと私は考えます。 

  今日、インドを訪れる人は、そこに驚くほど無残な一神論の破壊のあとを

見るでありましょう。 

  さきにインドへ入ってきた一神論、回教(=イスラム教)は、仏教やヒンズ

ー教の多神論ががまんできないかのように、仏教やヒンズー教の遺跡を

破壊しつくしました。

 

  首が斬られたり、鼻がもがれたり、手足が取られたりしている仏教やヒン

ズー教の神像を見ることは、真に痛々しいのです。 

  おそらく、このような仏像や神像にたいする残酷な行為は生きた人間の

上にも加えられ、多数の人間が首を斬られたり、鼻をもがれたり、手足を

取られたのでしょう。 

  さすがにもう一つの一神教、キリスト教のほうは、回教徒のような残虐な

行為を仏像や神殿にたいして加えようとはしませんでした。

 

  しかし彼らは、考えようによっては回教徒よりもっと残虐なことをしたの

です。それは、信仰の対象として存在していた仏像や神像を一つの文化財

として、ごっそりそのまま母国の博物館に運んだのです。(*下の写真は、

大英博物館内の展示物)

            Photo_7

  多神教は一神教よりはるかに戦闘的精神において劣ります。自分が

信じている神以外にも多くの神があり、その神はそれぞれ存在の意味を

もっているとしたら、何を好んで他の神を否定する必要がありましょうか。

 

  多神教は一神教より戦闘的精神においてはるかに劣りますが、平和愛

好の精神においてはるかに勝っているように思われます。 

  一神教が他の宗教にたいしてはっきりと否といい、それに対立し、それ

を絶滅させようとするのにたいし、多神教は他の宗教と対立するときに、

それらを自己のなかにとり入れようとします。

 

  このようにして、仏教は多くのヒンズー教の神を自己のなかにとり入れ

たし、またそれが東アジアに定着するときに、東アジア世界にすでに存在

した多くの神々を、それ自身のなかにとり入れ、古い神々の宗教行事を

仏教行事のなかにとり入れたのです。



  今や、交通網、情報網の発展によって世界はあまりにも狭くなりました。

地球はあまりにも小さくなり、そこに住む人々はもちろん利害の対立はあ

るものの、共通の人間としての連帯感がますます必要になってきた。

 

  このような情勢のなかで、一神教も変化を被らざるをえません。ローマ

カトリックは、従来のようなキリスト教絶対主義を捨てて他の宗教にたいし

て理解を深め、異教との共存をはかろうとしているように見えます。

 

  十五世紀、カトリック教会において、矛盾の一致を説いたドイツの哲学者、

ニコラウス・クザーヌス(*下の肖像画:1401~1464 )が、あらためて評価

されようとしているのも、そういう動きと関係があるのでしょう。

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  もしも西欧世界が、従来のように西欧世界の非西欧世界への支配という

形で世界の平和を考えるのではなく、西欧世界と多くの他の世界との共存

という形で世界の平和を考えるとしたならば、キリスト教とならんで回教や

仏教やヒンズー教や原始宗教といわれる宗教にも、平等にその価値を認

めねばならないということになりますが、こういう平等の価値を認めるとき、

一神教は多神教的にならざるをえないのです。

 

  私は、かつての文明の方向が多神教から一神教への方向であったよう

に、今後の文明の方向は、一神教から多神教への方向であるべきだと思 

います。 

  狭い地球のなかで諸民族が共存していくには、一神教より多神教のほ

うがはるかによいのです。

 

  その点において、私は、仏教は、ヒンズー教やアニミズムなどどともに

人類の究極的な平和に貢献し、間接的に核戦争の危機を和らげることに

貢献すると思います。

 

  おそらく今後、仏教はもっと行動力を高め、間接的に核戦争の危機を

和らげるという役割から、多くの宗教との共存を図り、核兵器を全廃し、

核戦争の不安を人類からなくそうという積極的な役割に変えるという自己

変革をしなければならないでしょう。  【つづく】

 

 

2013年10月26日 (土)

二十一世紀の世界と仏教の役割(6)

 大乗仏教の展開と変容

  それから、大乗仏教の発展の過程において重大な思想的変化が起こっ

たということがあります。 それは、仏教は最初から歴史的人格である

釈迦の教えを中心とした、はなはだ倫理的な教説を説く宗教でありました。

 

  やがて釈迦それ自体が神格化され、釈迦の前世の姿が考えられ、釈迦は

超歴史的な仏となりました。

           Photo


  そして、その超歴史的な仏になる過程で、釈迦の神性そのものが独立し

て、それ自身、独立した仏となった。かくてさまざまな仏が出現しました。

 

  真に悟りを開いた如来と、悟りを開いているがまだ民衆のなかにとどまっ

ている菩薩や、その如来や菩薩を守護する明王や、ヒンズーの神々が仏教

にとり入れられた天部と四種類の仏像がつくられるようになったのです。

 

  こうして仏教は大乗仏教となって、多神教の性格を強めてくるのです。

東アジアに伝わったのはこのような多神論としての仏教です。 

  釈迦ばかりか薬師、阿弥陀、大日、観音、地蔵、不動、毘沙門(*下の

写真)、弁天(*その下の写真)などが日本で最も人気がある仏さまです

が、仏教はこういう多神論の体系として、土着の神道とも容易に融合して

神仏習合の思想を生みます。

           Photo_2


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  この多神論の方向を強める傾向とともに、大乗仏教にはきわめて注目

すべき変化があらわれる。釈迦の仏教は人間中心の仏教から超人間的

仏教への方向を最も端的に示すものが、韓国においても日本においても、

かつて流行した華厳仏教でありましょう。

 

  華厳仏教が崇拝する仏は毘盧遮那(びるしゃな:下の写真)は世界の

統一者なのです。太陽のようにそれは世界の中心にあり、さまざまな仏を

限定的なあらわれとしてもっているのです。


         
             Photo_4


  こういう仏教は、いわば律令国家の権威づけの教説として利用され、

日本および統一新羅がつくられるころ、もっとも隆盛を誇りました。 

  たしかに華厳仏教(*下は、その経典)はそういう性質をもっていますが、

しかし、その仏教は人間中心の仏教から超人間的な仏教、やがては自然

中心の仏教に発展する過程にある仏教、と考えねばならないでしょう。

 華厳は宇宙論的な仏教です。

           Photo_5


  そこから九世紀初期に出現した空海によって日本にもたらされ、日本で

大いに発展した密教が出てきたわけです。 

  密教の中心仏は大日如来ですが、大日如来は摩訶毘盧遮那、すなわち

大毘盧遮那といって、毘盧遮那仏から発展したものにすぎません。仏教は、

密教にまでいたって完全に自然中心の仏教になります。

 

  東アジアに定着した仏教である大乗仏教は、以上のような特徴をもつも

のですが、ここで、仏教は東アジアにやってきて、土着の思想と結びつい

たことを考えねばなりません。

 

  ここで土着の思想というのは、中国では道教、韓国ではシャーマニズム、

日本では神道であると考えられますが、この道教といい、シャーマニズム

といい、神道というものはたいして変わったものではありません。

 

  もちろん、日本の神道は、八世紀と二十世紀の二度にわたって著しく

国家主義化して、とくに二十世紀に国家主義化した神道は日本の侵略の

イデオロギーになりましたが、そのもとをなす思想は、自然崇拝のアニミ

ズムであるといわねばなりません。 

  道教もまたそのアニミズムを発展させたものであり、韓国のシャーマニ

ズムといっても、アニミズムとほぼ同じものであるといえます。

 

  日本仏教の合言葉として「山川草木悉皆成仏」という言葉がありますが、

これは中国の天台仏教ですでにいわれている言葉です。 

  この言葉は、仏性は人間だけにあるのではなく、すべての生きとし生け

るものばかりか、ふつうは無機物と考えられる山や川にもあり、すべての

生きとし生けるもの、山や川すら仏になれるとする考え方です。

 

  このような考え方は、私はまさにアニミズムといわれる思想ではないか

と思います。 

 韓国仏教にもこのような考え方が存在すると思われますが、私が韓国

の寺院を訪れて感じるのは、韓国の寺院は森に囲まれているということ

です。

          Photo_6

  そして、それぞれの寺院は独特の樹木を寺の神木として保有している

ということです。


 これは日本の寺院でも同じことですが、それはアニミズム思想の仏教に

たいする影響であり、そういう影響によって仏教は東アジアの地に定着し

たといえましょう。  【つづく】

 

 

2013年10月25日 (金)

二十一世紀の世界と仏教の役割(5)

  釈迦仏教から大乗仏教へ

  さて、以上の三つの危機が二十一世紀の人類社会を襲う危機であると

すれば、二十一世紀の思想は、このような三つの危機にたいして、予防

薬あるいは治療薬としての意味をもたねばならないでありましょう。

 

  はたしてここでおもに論じられるべき仏教は、そのような治療薬あるいは

予防薬としての意味をもちうるでありましょうか。これが、私が問おうとする

問題です。

 

  この問題を明らかにするために、われわれは仏教とは何であるかという

ことを説明しなければならないでしょう。 

  ここでわれわれは、仏教をその原初的な形、すなわち釈迦が説いた形

で考えるのではなく、それが東アジアの世界において定着した形で考える

ことにしましょう。

 

  ここで東アジアというのは、主として中国、韓国、日本をさします。この

三つの国の仏教はそれぞれよく似ていますが、多少のちがいがあります。 

  日本に仏教が輸入されたのは六世紀半ば、欽明十三年、西暦五五二年

のことですが、日本に仏教をもたらしたのは百済の聖明王です。

 (*下の写真は、「仏教伝来の地」の碑)

                    Photo


  聖明王のもたらした仏教は、南朝の仏教、粱の仏教でしたが、その後の

日本の仏教は韓国仏教(*下の写真)の影響が強いのです。

                    Photo_3

                              Photo_4



  七、八世紀の日本で流行した仏教は三論、法相、そしてあとに華厳です

が、いずれもそれは三韓の仏教の影響を受けています。

  日本が韓国仏教の影響をいちおう脱却し、中国から直接仏教を受け入

れるようになったのは、九世紀になってからであり、最澄による日本天台

宗、空海による日本真言宗の樹立以後でありましょう。

 

  日本仏教はもちろん、韓国仏教の影響を受けているのですが、中国では

皇帝による破仏の影響があり、仏教は南北朝から唐時代以降は衰退の

運命をたどらざるをえませんでした。
                           


  しかし、韓国や日本においてはそういうことは少なく、仏教はその後も

ずっと隆盛を誇りました。しかし韓国においては、李朝時代になると儒教

の影響が強く、仏教はむしろ庶民の信仰として生きつづけたように思われ

ます。

        Photo_10


  しかし、日本においては儒教の影響は少なく、江戸時代、十七世紀に

なって徳川幕府は儒学すなわち朱子学を国教としましたが、民衆はもち

ろん、知識人たちもなお仏教の信仰をやめようとはしませんでした。 

  こういう状況のちがいはありますが、東アジア世界に広く根をおろした

仏教には共通の特徴があります。つまり東アジアに定着した仏教は大乗

仏教です。

 

  大乗仏教は紀元後一世紀頃に興った仏教の新しい宗教であるといえ

ます。紀元前五世紀の人であるゴータマ・シッダールタ、すなわち釈迦牟

尼は、四諦十二因縁の説を説いたといわれます。

                        
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  四諦というのは、苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦をいいます。苦諦と

いうのは、人生は苦であるという認識であり、集諦というのは、苦の原因

は愛欲であるという苦の認識であり、滅諦というのは、苦を滅ぼす認識

であり、道諦というのは、苦を滅ぼす方法に関する認識、つまり戒定慧

の生活。 

  戒、すなわち戒律を守り、定、すなわち瞑想をすることであり、慧、すな

わち知恵を磨くことによって人間が苦から逃れるという認識です。

 

  この四つの認識を身につけ、それを実践することによって人間は苦の

原因である愛欲のもとを絶ち、苦からまぬがれることができるというので

あります。

 

  この苦をまぬがれる状態に入ることを涅槃に入るといいますが、人が

完全に涅槃に入ることができるのは死によってです。

                        Photo_6


  生前にも涅槃に入ることはできますが、それは有余(うよ)涅槃といって、

死後に入るべき完全な涅槃、無余涅槃から区別されます。

 

  仏教では、生きとし生けるものは、六道、六つの世界に生まれ変わり、

苦を味わうものと考えられていますが、涅槃に入った人間は、この世に

生まれ変わる因縁を絶ち、もはや苦を経験することはないわけです。



  こういう教説を釈迦は説いたわけですが、それはドイツの仏教学者、

オルデンベルクが驚嘆したように真に理性的な教えです。

 (*下は、彼の著書『仏陀 その生涯、教理、教団』)

                   Photo_7


  釈迦の弟子たちはこういう釈迦の教えを守り、多く山野に住んで、清浄

な生活を守っていました。 

  しかしこのような社会から隔絶し、清浄な生活を守る釈迦弟子たちを

手厳しく批判する教義をもつ宗派が、仏教のなかから興ったのです。

それが大乗仏教です。

  大乗仏教は、ひとり山野にこもり、清浄な生活をして、そして涅槃に入る

という、そういう釈迦の忠実な弟子たちのあり方を批判しました。 

  そういうふうに山野にこもっていたら一般の民衆は救えない。民衆の

なかにおりてきて、菩薩の道を説く宗教であり、それ以前の釈迦の弟子

たちの仏教を声聞・縁覚の仏教として、それはひとり己の悟りを楽しむ

仏教であり、積極性に欠けると批判するのです。

 

  そして大乗仏教は、そのような声聞・縁覚の仏教を小乗、すなわち小さ

な乗り物の仏教と名づけ、自分たちの仏教を大乗、すなわち大きな乗り物

の仏教と名づけた。

 

  この大乗仏教が育てた最も思想が空の思想でありましょう。空とは、

有にも無にもとらわれない、肯定にも否定にもとらわれないことであり、

それは有無にとらわれず、肯定にも否定にもとらわれないので、中とも

名づけられます。

 

  この空の思想、中の思想を最もはっきり説いたのが般若経典ですが、

大乗仏教は共通に般若経典を最も重要な経典の一つとするのです。

 

  四世紀後半から五世紀はじめに活躍した鳩摩羅什(くまらじゅう)(*下の

絵)大々的な大乗経典の翻訳いらい、まさに東アジアの国々はこの大乗

仏教一辺倒になったのです。

             Photo_8

   この大乗仏教において最も重要な思想は菩薩(*下の写真)の思想で

あると思います。菩薩は自利利他を行とする人間であります。

 

             Photo_9

  大乗仏教の宗派によって、あるいは利他をより強調する思想的ちがいは

ありますが、この自利利他の実践行こそまさに大乗仏教の核心です。

 

  われわれは、大乗仏教の影響を受けた韓国および日本の仏教を展望

するとき、まず注意すべきはこの自利利他の菩薩行の思想なのです。 

【つづく】



 

2013年10月24日 (木)

二十一世紀の世界と仏教の役割(4)

   環境破壊の危機



  核戦争の危機以上に最近問題になっているのが、環境破壊の危機です。 

この危機は、私の考えではすでに一万年前に始まっています。 

  人類が、それまでの狩猟採集文明にかわって新たに農耕牧畜文明を

発明したときいらい、人類は自然を征服し、人間が住むべき環境を破壊し

てきました(*下の写真は、そのイメージ)

         Photo


  そして、その農耕牧畜文明をもとにして都市文明が建設されるや、自然

破壊、環境破壊はさらにすすみ、そして約三百年前に発明された工業文

明はそのような自然破壊、環境破壊を飛躍的にすすめたのです。



  狩猟採集文明では、人間は自然界の一員として、他の植物や動物さら

に自然現象とも相離れたものではありませんでした。人間は自然のなか

に組み込まれて、自然の一員として生活し、他の生物とも共存していま

した。

  しかし、農耕牧畜文明が生まれると人間の自然征服が始まり、人間は、

他の生物とちがった何か特別な能力を神によって付与されているという

思想が生まれました。そして、その思想がいっそう自然征服を促進した

のです。

 

  今から五千年前に、人類はじめての都市文明をつくったシュメールの

ギルガメシュ王の伝説によれば、都市文明をつくったギルガメシュ王が

まず第一にしたことは森の神の殺戮でありました。

 

  こうして農耕牧畜文明の成立、そしてその上にたった都市文明の発展

を通じて、まさに青々とした巨大な森は伐りとられ、農耕地、牧畜地となり、

その木材は、巨大な宮殿建設や寺院建築や、さらに銅や鉄の精錬のため

の燃料に用いられた。 

  こうして、四大文明といわれる都市文明の栄えた土地は、現在ほとん

ど森を失い、砂漠に近い状態になっています。

                       Photo_2


  ギリシアのエンタシス(*下の写真)という柱は石柱ですが、それはや

はり木の形をまねてつくられている。それは、樹木がすでにギリシアに

おいてえがたいものになっていたことを示すものでありましょう。

             Photo_3


  こういう文明の発展とともに人間は世界の中心に立ち、世界を支配す

べき者となりますが、近代ヨーロッパ文明は永遠で変わらない、思惟する

自我というものを、その哲学の根底におくのです。それはまさに人間の

自然支配の完成です。

  そして産業革命によって機械が発明され、人間はその機械を自然征服

の道具を使い、自然を自分の意のままに支配した。

  これはまさに十八世紀から二十世紀にいたる人類の最大のできごとで

すが、こうして征服された自然はまさに致命的に破壊され、人間は、

豊かな物質生活の代償として自ら生きる環境を喪失するにいたったの

です。

  このような問題が意識されるにいたったのは二十世紀のはじめであり、

深刻さを実感するようになったのは二十世紀の終わり、つい最近のこと

である。




   精神崩壊の危機

  第二の危機も深刻ですが、第三の危機はさらに深刻であるように私に

は思われます。

  これは、とくにニーチェが予言した危機ですが、西洋の近代世界という

ものは、すでにそういう危機を萌芽として含んでいるのです。

  西洋近代文明はキリスト教のなかから生まれたのですが、それは神の

問題をいちおうかっこのなかに入れたのです。

  キリスト教の信仰のなかには多くの不都合な話がある。理性を信ずる

近代人はそのような不合理な話を信ずるわけにはいかない。

  それで、近代人になるべく宗教のことは問題にしないですまそうと思った

のです(*下の絵は、ガリラヤ湖上を歩くイエス・キリスト)

         Photo_8

 宗教より理性を信ずる、それが近代哲学の出発点であり、デカルトの

哲学はまさにそういう原理の上にたっていたのです。


  しかし、宗教を棚上げして、宗教なしに人は生きていけるのか、カント

(*下の肖像画:1724~1804)は道徳的理性を理論的理性より上位に

おいて、道徳をして宗教にかわらせようとしましたが、時代の大勢は、

宗教の束縛から人間を解放するとともに、道徳の束縛からも人間を解放

しようとする方向にすすみました。

                       Photo_7

  しかし、宗教からも道徳からも解放された人間はいったいいかなる人間

になるのか。それは無限の欲望の満足をひたすら希求する人間です。

  現代人は宗教と道徳から解放され、日一日、純粋な欲望人になりはて

ていくのです。

 これが高度に発展した資本主義社会の人間の運命ですが、人間が純粋

な欲望人なりはてるとしたら、それは人間の精神の崩壊を示すもので

あります。

  そして、とくに若者の精神の崩壊ということが、資本主義のもっとも発達

した先進工業国に起こっているのです。   【つづく】

 

 

 

2013年10月22日 (火)

「不正選挙」裁判

    【皆さんへ】


   皆さん、お早うございます。 

お元気でしょうか?

 

   率爾ですが、本日は、いつもの梅原猛先生の

ご講演から、少し離れます。 

  そして、今日の緊急課題の一つ「不正選挙」裁判

について、皆さんに、是非、ご一考、ご高覧いただき

たいと存じます。 

  それで、急遽、掲載内容を差し替えました。 

 

  今の日本は、凶悪な犯罪者たちによってハイジャック

された旅客機のようなものです。 

  彼らによって、乗客である日本国民は、まさに奈落の

底に突き落されようとしています。

 「原発問題」、「TPP」、消費税増税」、それに「特定

秘密保護法」の制定や「憲法改悪」など、様々です。

 

  政府にも、裁判所にも、国会にも、もはや正義はあり

ません。 

  むしろ、それらは、売国奴的な犯罪者たちによって

支配れています。

 

  ところで、皆さんは、ヤクザについて、どう思われ

ますか? 好きか、嫌いかでいえば、私は、嫌いです。 

  でも、今の政府も、裁判所も、検察も、警察も、そして

国会議員も、まるでヤクザのようなものです。 

  しかし、彼らを仕切る親分ヤクザ(=ウォール街の

国際金融資本)の存在を忘れてはなりません。

 

  強欲なユダヤ・アメリカの資本家たちに牛耳られて

彼らは、単にヤクザであるばかりでなく、犯罪者で

り、売国奴でもあります。 

  堅気(かたぎ)の国民が、真に人間らしく、かつ国民

らしく生きようと欲するならば、そのような”ヤクザ”、

犯罪者、売国奴たちと、真正面から戦わなければなり

ません。

 

  このようなヤクザ(=売国奴)たちと戦う真の勇者の

一人に、リチャード・コシミズ氏(輿水正氏)がいます。 

  本日「不正選挙」を巡る同氏、ならびに独立党党員

諸氏の戦いの一部を、下に、貼り付けさせて頂きました。

是非、皆さんにご高覧いただきたいと思うのです。 

       http://youtu.be/waQ8gGnjJyw

 

 

 

2013年10月21日 (月)

二十一世紀の世界と仏教の役割(3)

     二十一世紀の三つの危機

  私は、二十一世紀における人類の危機として三つのことが存在すると

思うのです。 

 一つは核戦争の危機もう一つは環境破壊の危機もう一つは精神崩

壊の危機です。  

 

   この三つの危機は相互に関係していますが、まさに二十世紀になって

はっきり人類の前に出現した危機であります。 

  十九世紀においては、ニーチェのような先駆的な予言者的思想家を除い

て、これらの危機はまだ人類に予測すらされませんでした。

 

  しかし二十世紀になって、その危機ははっきり人類の前に姿をあらわし、

とくに今世紀の末になって、その恐ろしさがはじめてふつうの人間の心の

なかに実感されるようになってまいりました。もちろんまだそういう危機を

感じていない人も多くあります。 

  ヨーロッパの近代社会の原理が今もなお健在であり、その原理は永久に

正しいと考えている人も多いのです。

 

 私の見るところ、まだアメリカやヨーロッパに、とくに経済的繁栄と我を失

っている日本には、近代的原理が永久につづき、危機などというものも、

一時の迷いだと思っている人が少なくありません。

 

  戦後、たとえば哲学者ヤスパース(*下の写真:1883~1969)が声を大

にして叫んだのは、主として第一の危機でありますが、今は米ソの対立

の緩和によって第一の危機はいちおう背後に退き、第二の危機が表面に

立っているように思われます。

             Photo_2


  ドイツの哲学者・児童文学者ミヒャエル・エンデ(*下の写真:1929

~1995)などは、しきりにこの第二の危機を強調しているのです。


                Photo_5

 

  しかし、この第一の危機もけっして解決されているわけではありません。

第二の危機とならんで第三の危機もまた重要な問題であると思います。 

  この三つの危機について少し考察を加えてみましょう。


 

 

  核戦争の危機




   人類は有史以前から戦争によってその運命を決定してきました。

一つの社会ともう一つの社会、一つの国ともう一つの国のトラブルを解決

するものは、結局戦争でありました。

 

  そして、戦争の勝敗に決定的な影響を与えるものはやはり武器の善し

悪しです。 

 それゆえ人類は武器を発展させ、その武器の発展がまた科学の発展を

促進した。 

  そして、武器の発展の極限において人類は恐るべき兵器をつくり出した

のです。それは核兵器の発明であります。

 

  われわれ日本人は広島と長崎において、この新しく発明された武器が、

従来のいかなる武器ともまったく比較にならない強力な武器であることを、

身をもって体験せざるをえませんでした。 

  日本の降伏はこの巨大な殺戮力をもった武器の発明のおかげといえま

しょう(ママ)。

 

 そして戦後、すでにそれ自身恐るべき殺戮力をもった武器である原子

爆弾が改良され、まさに人類ばかりか地球上の全生物の命を抹殺する力

をもつかのような、水素爆弾(*下の写真)という武器が発明されました。

                        
                            Photo_8


  すでにこの原子爆弾の製作を指導した物理学者、オッペンハイマー

(*下の写真:1904~1967)は、その殺人兵器が使われるであろう人類

の未来を予告して、そういう殺人兵器の製造に関与すべきではなかった

という道徳的反省をもたらしたのです。

                           Photo_7


  オッペンハイマーの予言どおり、この殺人兵器はますます発展し、水爆

の発明となり、戦後世界を支配した二つの強国、アメリカとソ連は原水爆

の保有に狂奔したのです。

 

  それが戦後の核兵器の均衡による平和という時代です。それはまさに

人類の叡智からみれば狂気の業ですが、この狂気の業が、悲しいこと

ですが、戦後の平和の実態だったのです。

 

  しかし、このかぎりない核兵器の保有という、軍拡競争が米ソ相互の

経済の破綻という結果を生んで、米ソ両国は核兵器の縮小廃止に乗り

出しました。

 

  これは真に結構なことでありますが、それはけっして道徳的な動機から

ではなく、自国の苦しい経済をたてなおすためのやむをえぬ措置であっ

たところにも、核戦争の危機がけっして終わっていないことが示されて

いるのでしょう。 

 

  今日、何らかの事情で、今まで核兵器の均衡ということによって平和を

保ってきた米ソ両大国の間で、核兵器の不均衡という現象が起こり、一方

の核兵器を豊富に所有している国が、核兵器においてはるかに差をつけ

られた他国にたいして核戦争をしかけることがはたしてないでしょうか。

 

  あるいは、政治的、経済的に追いつめられた国が自国の威信を回復さ

せるために、絶望的な核戦争を相手方にしかけることがまったくないと

いえましょうか。

 

  また、核兵器を保有する国が多くなり、何らかの国が核兵器を所有し、

その政治的、経済的に追いつめられた状況の打開策として、脅迫の手段

として核兵器を使い、脅迫がついに現実となるようなことが、まったく起こ

りえないといえるでしょうか。 

 また今日、核兵器は、核兵器をもった軍事的強大国の、核兵器をもた

ない軍事的弱小国への脅迫の手段としてやはり有効であるように思わ

れます。

 

  たとえば、日本や韓国のような経済的には発展しているが核兵器をもた

ない国が、強大な核兵器をもっている国とはたして対等な外交ができる

かどうかは疑問です。 

  弱小国はどこかで相手の強大な軍事力、とくに核兵器を意識せねばな

らないはずです。

 

 そして、強大国のなかに、はっきりとは言明しないものの、核兵器をも

つ自国に対する誇りがあり、それが相手国への無言の圧迫となり、対等

な政治交渉を不可能にしているということがはたしてないでありましょうか。

 

  二十一世紀中に以上のようなことがまったく起こりえないと仮定するほど、

私には人類の性(さが)が善なるものであるとは思われないのです。 

  核戦争の危機は、今日もなお人類の一つの危機であり、核兵器の問題 

を考えることなしに、人類の未来を考えることはできないと思うのです。 

  【つづく】

 

 

 

2013年10月19日 (土)

二十一世紀の世界と仏教の役割(2)

  近代の終焉を予言したニーチェ


  私は、マルクスについてきびしい批判をしてきましたけれど、マルクスは

十九世紀のヨーロッパを代表する偉大な、とくに影響力が大であるという

ことを偉大の条件とするならば、最も偉大な哲学者であります。二十世紀

はマルクスの世紀であったといえます。

 

  二十世紀前半はマルクス主義の輝かしき発展の年であり、二十世紀後

半はマルクス主義の失敗とその崩壊の年であるといえるでしょう。 

  その意味で二十世紀はマルクスの世紀であるといえますが、もう一人、

ヨーロッパの思想家で、マルクスとならんで影響力の大きい思想家がおり

ます。それはフリードリッヒ・ニーチェ(*下の写真)です。

         Photo

   ニーチェの思想的影響は、ヒトラー(*下の写真)がムッソリーニ

(*その下の写真)にニーチェ全集(*また、その下は、その日本語版

全集)を贈り物にしたというエピソードに示されるように、ナチズムやファ

シズムにも見られますが、ナチズムやファシズムはニーチェの思想の

一面だけを過大に解釈したものであり、とうていニーチェの正しい解釈で

あるとは思えません。

           Photo_2

             Photo_3

            Photo_4



  ニーチェの思想的影響はむしろ、ナチズムに最も大きな被害を受けたと

思われるフランスにおいて戦後認められるのです。 

  フランスの構造主義者はニーチェの思想の解釈を通じて近代の終焉

語り、ポスト・モダンの思想を論ずるのです。

 

  ニーチェは、マルクスよりも根本的な近代ヨーロッパ社会の批判者です。 

マルクスの批判したのは近代ヨーロッパのブルジョア社会ですが、ニーチ

ェは近代ヨーロッパ社会の原理そのものが間違っているというのです

 

  近代ヨーロッパ社会は、古代ギリシア社会のような、強い肉体と高い

精神に誇りをもつ高貴な人間の理想を失っているというのです。 

  そういう理想像をもたないヨーロッパ社会は中心を失っている社会であ

り、やがて虚無のなかに転落するにちがいない、とニーチェは警告するの

です(*下の絵は、ラファエロ作「アテネの学堂」)

                     Photo_11

               

  マルクスが資本主義社会の崩壊を予言したのにたいし、ニーチェは、

近代ヨーロッパ文明を形成する民主主義社会は世俗化されたキリスト教

社会であり、そこに何らの高い人間の理想はないゆえに、その社会は遠

からず崩壊するにちがいないと予言するのです。

 

  ニーチェの予言は、社会主義社会が崩壊した今日においてなお、いや

今日においていっそうその意味を強くもつのです。 

  現代ヨーロッパ社会のもっているさまざまな価値、その価値が現に今、

強く問われているわけです。ニーチェ哲学は、マルクス哲学がほとんど

意味を失った今日においてこそ切実な意味をもってくるのです。

 

  私は、二十一世紀について語るべきはずなのに、マルクスとニーチェ

について語りすぎたかもしれません。 

  しかし、私がここでいいたかったのは、哲学というものは、しばしば社会

科学などより、歴史の未来を予言することができるということです。

 

  ニーチェはもちろん、マルクスも、科学的社会主義を唱えつつも、一面

予言者でもありました。 

  しかし、マルクスの予言はあたりませんでした。それは現実の歴史が

証明しているのです。

 

  一方、もう一人の謎に満ちた風貌の詩人・哲学者ニーチェの予言(*下

の写真は、若き日のニーチェと後年の彼)は、近代ヨーロッパ世界の価値

がもはやそのまま通用しないという点においては、たしかに的を射ている

ように思われるのです。 

  ニーチェのいうように、ヨーロッパの近代社会の崩壊が社会主義社会

の崩壊のように劇的に訪れるか、それはだれにも予言できないことであ

ります。


            Photo_7


            Photo_8



  ニーチェやマルクスの時代から一世紀以上が過ぎました。この一世紀

の間にいろいろなことが起こりました。 

  社会主義社会の成立と崩壊、ヨーロッパの植民地からの多くの国の

独立、人類をたちどころに絶滅させるような核兵器の発明、そして情報網

の急速な普及による地球の矮小化など、どれをとってもたいへんな問題

であり、マルクスもニーチェもけっして予測できなかった問題です。

  こういう二十一世紀について論じなければならない私は、二十一世紀の

人間が直面する人類の危機を考え、そこからあらかじめ危機を予防する

ものとしての思想の意味を考えたいと思うのです。

 

  今、仏教をわれわれが問題とするものであるかぎり、仏教がこの危機に

たいして、いかなる予防薬あるいは治療薬になりうるかを問わねばならな

いと私は思うのです。 

                             Photo_10


  それは純粋に思想的な問いでありますが、さきに私がマルクス主義に

ついての話で示したように、思想的に正しいとすれば、それは現実にそう

ならざるをえない必然性をもっているのであります。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月18日 (金)

二十一世紀の世界と仏教の役割(1)

    【皆さんへ】

 

  皆さん、お早うございます。

お元気でしょうか? 

    このところ、梅原猛先生のご講演を掲載させて頂い

ております。 

  実は、これからも、全く同様です。

 

    次の内容は、1990年4月、韓国のソウルで開催され

た、韓国仏教放送局開局記念講演の記録をもとに、

作成されたものです。 

  それは、次の通りです。


   三つの危機をむかえて― 二十一世紀の世界と

仏教の役割




    マルクス哲学の限界


  二十一世紀には人類はどうなるのかということは、たいへんむずかしい

問題です。 

 現在、人類は二十世紀の最後の十年間に入ろうとしていますが、二十一

世紀までにはまだ十年近くあります。 

  その二十一世紀の人類の社会を考えることはとてもむずかしいことで

ある。

 

 しかも、私は本来哲学者であって、政治や経済の動向に疎いのです。

そういう政治や経済の動向に疎い私が、二十一世紀の人類の社会につい

て正しい予測をすることは、とても不可能であると考えられます。

 

  しかし、現実の政治や経済の動向に詳しい社会科学者より哲学者のほう

が、的確に未来を予言することもしばしばあるのです。なぜなら、哲学者は

思想そのものを問題にします。 

  間違った人間理解をもとにした思想に基づいてつくられた社会が、そう

ながい間つづくはずはない、と哲学者は考えます。

 

  社会科学者たちは、少なくとも当分は、うまくいっているこのような社会を

見て、その社会は正しい社会であり、はなはだ豊かな未来をもつ社会だと

考えるかもしれませんが、哲学者は、そのような社会を構成している原理

が間違っているからには、そのような社会は誤りで、やがて未来のいつか

―それは十年後なのか百年後なのかはわかりませんが―崩壊をむかえる

にちがいないと考えるのです。

 

  昨年、東欧で起こった社会主義社会の崩壊(*下の写真は、東欧革命)

ということにたいして、多くの社会科学者、とくにマルクス主義の影響の強

い日本の社会科学者たちは大いに驚いたものです。 

                 Photo


  現在、そういう日本の社会科学者は途方にくれている状態で、良心的な

学者は自己の思想を再検討しているのですが、そうでない学者は、古い

マルクス主義のイデオロギーを隠しつつ、人を批判するときはマルクス

主義の視点を捨て切れないという、隠れマルキストの形をとっています。

 

  しかし昨年、東欧で起こった政治的変動について、私は何の驚きも感じ

ませんでした。 

 なぜなら、私はほぼ三十年前から今回のことを予言し、多くの著作で語

ってきたからです。

 

  ただし少し意外だったのは、社会主義社会の崩壊が意外に早くやってき

たことであります。私は、その崩壊は二十一世紀のはじめに起こるのでは

ないかと思っていましたが、それはまさに二十世紀の終わりに起こりました。

歴史の速度は意外に速いのです。 

  (*下の写真は、「ベルリンの壁の崩壊」〔ブログ「ザ!世界仰天・最新情

報SP!」より拝借〕

          Photo_2

  私がなぜ社会主義社会の崩壊を予測できたかというと、社会主義社会

つくりだしたカール・マルクス(*下の写真)哲学の、人間に対する理解

あまりにも歪んでいて、それはながい期間、人類の社会を構成する原理

して不十分であると思ったからです。

            Photo_3


  マルクス哲学の根底には、深い人間に対する憎悪があります。この人間

にたいする憎悪は、自己にたいする憎悪の変形かもしれません。その憎悪

が、唯物弁証法というマルクスのつくった哲学の根底に厳然として存在し

ているのです。 

  私の知り合いの作家にもそのような人がいて、彼は高名な小説家です

が、悪の感情を捨て切れず、たえずだれかを仮想敵としなければ仕事

情熱が燃えあがらないのです。

                    Photo_4


  もし彼が自己の憎悪を克服することができたなら、彼はすばらしい作家

になると思うのですが、それは終生、彼にとって不可能なことであると思

われます。マルクスについてもそれと同じことがいえます。

 

  人類社会をながい間支配した思想、仏教でも、キリスト教でも、儒教でも、

ギリシア哲学でも、やはり教祖にあたる人は自己のなかにある憎悪を克服

した人(*下の写真は、そのイメージの一つ)です。

          Photo_7


  マルクスは、そのような自己のなかにある憎悪を十分克服していないの

です。それで彼の人間観が歪められるのです。彼は、ある人間をあまりに

道徳的な考え、ある人間をあまりに不道徳的に考えました。

 

  つまり、彼はプロレタリアート、とくにマルクス主義を信ずるプロレタリア

ートを、神のように無私な人間と考え、そして逆に、ブルジョアジーを極悪

非道な人間と考えました。しかし、それはまったく無理な人間解釈です。

 

  人間の世界にはマルクスが考えたように、純粋に無私な人間も少ないし、

純粋に極悪非道な人間も少ないのです。 

  多くの人間は善と悪の中間にあり、状況次第で善にも悪にもなるのです。

 

  マルクスのように、人間を両極端に二つのタイプに分けるのは間違いで

るといわざるをえませんが、こういった間違った人間観をもとにした哲学

つくりださねばならなかったのは、やはり彼が終生捨てることのできなか

た人間にたいする憎悪の感情のためではないかと私は思うのです。

 

  私も、マルクス主義を唯一の良心的な思想と考えていた、戦後の日本の

思想界の潮流に育ったわけですから、マルクス主義にたいする関心という

より傾倒がなかったわけではありません。

               Photo_5


  しかし、何年かのマルクス主義の研究の末に、私はマルクス主義の人間

観はまったく間違っていると考えざるをえなくなりました。 

  そして、そういうことをいろいろ書いたために、私は、マルクス主義の影

響の強い日本の論壇から、保守反動の人間のようにいわれました。

 

  私は戦前の日本の国家主義思想に、はなはだ批判的なのですが、マル

クス主義の陣営からみれば、マルクス主義を批判するかぎり必然的に保守

反動であり、国家主義者であるということになるのです。 

  ながい間私はその批判に耐えてきましたが、昨年末の世界で起こったこ

とを見ると、私の批判が正しかったと思わざるをえないのです。

 

  それゆえ、現実の政治や経済の状況に疎い私が、そういう政治や経済

に疎くないはずの社会科学者より、とくにマルクス主義を金科玉条とする

社会科学者より、はるかに的確に未来の社会を予言し、歴史の将来を見

ていたことになります。
 

  こういうことを私は自慢をするためにいっているのではありません。ただ

純粋に思想というものを考察する哲学者は、かえって社会科学者より的

確に未来を予測することもありうるということをいったまでです。 【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月17日 (木)

”森の思想”が人類を救う(完 )

   二十一世紀最大の危機―環境破壊(後)

  カナダは世界有数の森林国です。おそらくカナダの森(*下の写真)は、

カナダ一国のためのみではなく、全世界のために末ながく保全されるべ

きものだと思います。

Photo


  このバンクーバー(*下の写真)の地においても、尊敬すべき自然保護

の試みがあり、あるいは「カムバック・サーモン」運動によって、川にサケ

が帰ってきたということを聞きました。こういう運動は、今後も二十一世紀

の人類のために大いに進めていかなくてはならない運動であると思います。 

            
                Photo_3

  私は、日本の伝統文化について語ってきたつもりですが、二十一世紀

の日本の文明についても知らず知らずのうちに少しは語りました。 

  しかしまだ語らないことがあります。それは、日本は二十一世紀の国際

社会において、どのような役割をはたしていくべきかという問題です。

それについて、私のはなはだ個人的な意見をのべたいと思います。
 

  日本には平和憲法(*=下の写真は、「日本国憲法」)というものが

あります。それは軍隊をもつことを禁じている憲法です。それは戦後ア

メリカによって一方的に与えられたという人もありますが、戦後の日本

人はきわめて容易に受け入れたということもあります。それは、日本人

戦争にこりごりだったからです。とくにあの広島・長崎の経験は衝撃的

でした。

      Photo_4


  ああいうことがなかったならば、日本の軍国主義的権力をして絶望的

な戦争をやめさることはできなかったのかもしれませんが、唯一の原爆

被災国として、日本人は、戦争というものはもうたくさんだという気持ちを

もっている。 

  ですから平和憲法は現在においても、なお大多数の日本人の心のより

どころになっています。
 

  それゆえ、自衛隊以外の軍隊をもたない日本は、アメリカのように海外

に軍隊を派遣して、世界の秩序を守るというような役割を演ずることは

できない。 

  そういう役割を、日本はアメリカやソ連に任せておくより仕方がないの

ですが、そういう巨大な軍事力をもった国家は、一方では非常な危険性を

もつということも否定できません。


  それゆえ、軍事力をもたない日本は、結局いろいろな国家の理解者

あり、媒介者になるしか道はないと思うのです。 

  東洋人でありながら、西洋の近代文明の受容に成功した日本は、そう

いう東洋と西洋との媒介者の役割をはたすことができるはずです。

 

  いろいろなトラブルの調停者として、私は今後の日本の経済力が活用

できるとするならば、それは一つの日本の生きる道になるのではないか

と思うのです。

  縄文時代において最も崇敬された神でありながら、弥生時代以後、圧迫

された日本の神があります。それは(*下の写真)の神です。火の神

縄文時代において最も尊敬されました。

            Photo_5

  それは人間の近くにいて人間の願いを聞き、その願いを神々に伝えると

いう役割を担っていました。 

  火は人間と神々の媒介者であり、また神々相互の媒介者でもあった。

日本は今でも、仏さまを拝むときには仏壇に灯明をつけ、また祖先の霊

を迎えるお盆には迎え火、送り火ををたきますが、それは火がこの世と

あの世の媒介者であった、昔の信仰の名残りです。


  ところが、この火の神、カグツチは、八世紀にできた日本の神話的

歴史書『古事記』(*下の写真)では、まさに日本の国生み(*その下

の絵)を行った女神イザナミノミコトを死にいたらしめた神として、その夫

イザナギノミコトに惨殺されるのです。 

                   Photo_13               

                        Photo_14


  火の神にかわって日本の神の王座を占めたのは太陽の神でし

た。                                 
         

  そして日本の天皇は太陽の神、アマテラスの子孫であるということにな

っています。 

 この太陽の神の崇拝が国旗、日の丸になり、また日本という国号となっ

たわけです。

                    Photo_10


  太平洋戦争における日本の国粋主義の思想の基礎となったのは、この

日本人が太陽の選民であるという思想でありました。 

  私は、この選民思想はいたずらに日本のナショナリズムを鼓吹し、世界

的に日本を孤立せしめる危険な思想であると思います。
 

  私の個人的好みからいえば、太陽の神より火の神を崇拝したほうがよ

いように思います。 

  つまり、日本国は、太陽神のように唯一絶対の世界を指導するような

国になるべきではなく、火の神のような文明と文明、国と国を媒介し、あの 

世とこの世を媒介する国になるべきであると思います。
 

  ただ何度も申しましたように、これは、私のきわめて個人的な考え方で

あり、私と同じような考え方の日本人は少ないかもしれません。 【了】

 

   ( *本稿は一九九十年八月、カナダのブリッティシュ・コロンビア大学

創立七十五周年およびアジアセンター設立十周年を記念して、バンク

ーバーで行われた講演記録をもとに作成されたものです。)

 

 

 

 

 

 

2013年10月15日 (火)

”森の思想”が人類を救う(7 )

   二十一世紀の危機―環境破壊(前)


  戦後日本においても、近代文明の原理である自然征服を、無条件に善

とする思想はあまねく広がり、その著しく発展した工業生産の代償として、

自然破壊が日本のいたるところで進んでいる。 

  もちろん、日本における工業汚染は、世界一厳しい規制によって、ある

程度解決されたわけですが、しかし金儲け一辺倒にこり固まった日本人は、

あるいはゴルフ場(*下の写真)の拡大に、あるいはリゾート施設(*その

下の写真)の建設に夢中であり、私などのような反時代的な学者の意見を

聞くこともなく、ますます自然破壊は進んでいる。

             Photo_3

          

          Photo_4

  また日本経済の繁栄は木材や紙の浪費をもたらし、熱帯雨林の破壊に

一役買っていることも否定できません。 

  私は、二十一世紀における人類の最大の問題は、この環境破壊

あると思っているのです。酸性雨、オゾン層の破壊、地球の砂漠化

(*下の写真)、熱帯雨林の破壊、森の死滅(*その下の写真)、どれ

とってみても、人類の生存を脅かす現象ばかりです。 

  こういう現象が無限に複合化して、まさに人類社会の基礎そのものを

覆そうとしているのです。 

                  Photo_7

                    Photo_8



   この危機から人類を救い出すためには、当面の対策も必要ですが、

まずその哲学を変えねばなりません。 

  近代文明を指導したデカルトやベーコンの考え方は、人間と自然を

峻別し、自然を客観的に研究する自然科学の知識によって、自然を征服

する技術をもとうとする思想です。

 

  かくて、自然科学は客観的に発展し、人類は、自然について三百年前

にもっていた知識とは、比較できないほどの精密な知識をもつようになっ

た。 

  そしてそれとともに自然征服の技術は飛躍的に進み、人間は自然から、

それまでの人間にはとうてい考えられないような豊かな富を生産すること

ができるようになった。

 

  そしてその代償に、地球環境の破壊という、まさに人間は、自分の生き

ている土台を根本から崩壊させるような危機に直面したわけです。 

  この危機は人類全体が直面する危機であり、かつて人類社会が直面し

たどんな危機よりも、ずっと深い危機ではないかと私には思われるのです。

 

  かつての危機というのは、人類の一つの文明の崩壊の危機でありまし

たが、今やそれは人類の文明全体の崩壊の危機なのです。 

  しかもこの危機の淵源するところは実に古く、たんなる産業革命以後

あるいは近代以後ではありません。

 

  人類が農耕文明を発明し、都市文明(*下の写真)を形成していらい、

人類の文明が潜在的にはらんできた危機です。つまり人類は森を食い

潰して文明をつくってきたのです。

                     
                         Photo_12

                  Photo_13



  そして一つの文明が崩壊したあとに、つぎにまだ森の残る他の地域に

おいて文明を興し、そしてまた森を食い潰してきた。 

  農耕牧畜社会の段階では、森の破壊は局部的でありましたが、工業

文明ができていらい、文明は飛躍的に豊かな富を生産し、その反面、

森を急激な速度で破壊してきました。

 

  日本において比較的、森が残されたのは、農業文明や工業文明の輸入

が遅れたことにもよりますが、このまま放っておいたら、国土の六七パー

セントの森は、たちまちにして消失するかもしれません。

 

  まさに森の破壊は、農耕牧畜文明が成立していらいの、とくに近代工業

文明が成立していらいの人類の運命でありますが、この運命を現在とい

う時点において大きく転換しなければ、人類は一直線に地獄への道をた

どることは火を見るより明らかです。 

  われわれは文明の原理を、人間の自然支配を善とする思想から、人間

と自然との共存をはかる思想に転換しなければなりません。

 

  私は、もう一度人類は、この狩猟採集時代の世界観にたちもどり、個人

ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想

とりもどさなければならないと思うのです。

 

  こういう思想は、古代ギリシアの思想に、あるいはヒンズーの思想に、

あるいは中国の老荘思想(*下の写真)にも見られるものですが、

それはおそらく狩猟採集時代における人類の共通の原理の残存である

と思われます。 

             Photo_14

  このような原理が日本文化の伝統のなかにもある点に、私は今後の

日本文化の可能性を認めたいと思っているのです。

 

  このような考え方は日本文化のみならず、ギリシア思想のなかにも、

ケルト思想のなかにも、あるいはアメリカ・インディアンの思想のなかにも、

あるいはアボリジニ(*下の写真)思想のなかにも見いだすことができ

るかもしれません。

                         Photo_16

  私は、近代という時代がその合理的な自然征服を貫徹するために、

排除していった多くの思想に注目する必要があると思うのです。

【つづく】

 

 

 

 

2013年10月12日 (土)

”森の思想”が人類を救う(6 )

    日本の芸術にあらわれた自然観


  もう一つ、日本社会の原理である、生きとし生けるものの同一性の認識

と、生から死への永劫の循環という思想についてですが、この思想が

日本文化を強く貫いている原理です。 

  たとえば、中国を手本に律令国家をつくろうとした八世紀に、日本人は、

日本独自の和歌というものをつくり出した。その和歌の歌集が『万葉集』

(*下の写真)です。

            Photo

  『万葉集』には長歌、短歌、旋頭歌という三つの形式の歌がありますが、

おもなものは短歌であり、短歌が十七世紀における俳句の出現まで、

日本の韻文の主流を占めました。 この短歌はもちろん、中国の詩の影響

によってつくられたものですが、中国の詩は、同時に政治家でもある詩人

の社会的述懐をのべたものです。

 

  それゆえ、中国の詩の主流は、政治詩あるいは社会詩にあるといえます

が、中国の詩をまねたはずの日本最初の歌集『万葉集』において、社会的

述懐の詩は柿本人麿や山上憶良(*下の絵)に見られるものの、その

主流は自然の歌と恋の歌です。



             Photo_2

                           Photo_5


  十世紀はじめにできたわが国最初の勅撰和歌集である『古今集』に

おいては、この傾向はいっそう強くなり、『古今集』二十巻のうち、四季の

歌が六巻、恋の歌が五巻である。自然の微妙な移りゆきを歌いながら、

そこへ恋人への思いを託すような抒情詩が日本の詩歌の中心であると

いえます。

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  十八世紀、中興期の俳句はこの傾向をいっそう強めます。俳句には

季語が必要です。つまり、自然をいかに鋭くとらえるか、それは五・七・五

という世界一短い詩型のなかで、作者がはたさねばならない課題です。 

  この俳諧文学の頂点に立つ芭蕉(*下の肖像画)おくのほそ道』で、

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり」といいました。


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 これは、さきに私がのべました、あらゆる生きとし生けるものの生から

死への永劫の循環運動をいっているのです。 

  太陽も、古代日本人にとっては古代エジプト人と同じように、夕方、西の

空に沈んでいったん死に、明け方、東の空に再生するものです。

 

  つまり太陽も、毎日、生死をくり返すものであり、われわれも、太陽の

生死のリズムにしたがって夜は眠り、朝に目覚める。つまり眠りは生の

なかに侵入した死であると考えられる。 

  こうして人間は、太陽や月やあらゆる生きとし生けるものと同じように、

永遠に生死の旅をつづけるというのが芭蕉の世界観です。

 

  また日本の庭は、西洋の庭のように自然を征服する意志を示す庭では

なく、自然を象徴的に表現しています。 

  日本の庭は、きわめて自然に見せながら、しかし繊細な人工の手が入っ

ている。 

            Photo_10

 それは世界そのものの象徴的表現であり、そこには山があり、海があり、

神の世界があり、人間の世界があり、生があり、死があるのです。 

  そういう世界全体が象徴的に一つの庭のなかに表現されているわけ

です。 

 

    宗教にあらわれた森の思想




   日本の芸術ばかりでなく宗教も、こうした文明の原理と深い関係をもっ

ています。 

 神道は、七~八世紀と十九~二十世紀において、国家主義化しましたが、

そのもとをたどれば結局、自然崇拝にすぎないのです。

 

  日本の神社には森があり、森のない寺院はあっても森のない神社は

考えられません。神社には神殿がありますが、もともと日本の神道には

神殿はなかった。 

  それは森そのものがであり、あるいは森の高い木に神そのものがおり

てくる考えられていたからです。

                         Photo_12

 

  また日本の神社には、神の使いであるという動物、たとえば稲荷神社

には狐、三輪神社には蛇、天神社には牛などがいますが、それはもともと

は動物そのものが神であったことの名残りです。

 

  アイヌの社会に伝わる歌謡、ユーカ㋶(*㋶は、本文では小文字)には、

カムイユーカ㋶とアイヌユーカ㋶の二つがありますが、このカムイユーカ㋶

の主人公はほとんど動物です。 

  そして動物は、自分がどういうふうに人間とかかわりをもち、人間にとっ

てどんなに自分がたいせつであるかを語るものであります。

 

  私は、日本の能はどこかでこのカムイユーカ㋶とつながるところがあると

思うのです。 

 能の主人公は、たいていの場合は、この世とあの世の間をさまよって

いる亡霊です。 

  その亡霊はこの世に恨みが深いので、あの世に成仏することができない。

                  Photo_13


  それで思いの残るこの世にあらわれる能の主人公シテは、だいたい

旅の僧であるワキ、すなわち副主人公と出会い、ワキの問いに応じて

過去の恨みを語る。

 

  そして語ることによって過去の恨みは解消され、その霊は無事、あの世

にいくわけです。能は、いわば死にながらなかなかあの世へいけない霊

を無事あの世へ送る、古くからの日本の宗教的儀式と関係する演劇であ

るといえます。



  日本の仏教もまた、そのような原理の上に立っています。日本の仏教は

天台本覚論という独自の思想をつくり出しますが、それは「山川草木悉皆

成仏」という思想であり、生命の本来的同一性を主張する日本の基層文

化の原理が、仏教を大きく変容させたものといわねばなりません。 

  そこにきて、もともと人間中心主義の宗教である仏教が、自然中心主義

に大きく変更された。

 

  そして、この永遠の生命の循環という考え方は、たとえば日本において

もっとも人気のある宗教家、親鸞(*下の肖像画)の宗教のなかに色濃く

投影されている。親鸞は二種廻向という教説を説きます。

                               Photo_14

  二種廻向は往相廻向(おうそうえこう)と還相廻向(げんそうえこう)から

成り立ちます。往相廻向というのは、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、人は

すべて極楽浄土へいけるという考え方ですが、それだけでは十分である

とは考えない。

 

  なぜならば、人間が極楽浄土へいったとしても、なおこの世には多くの

苦しんでいる人たちがいる。 

  そこで、極楽浄土へいった人間はしばらくそこにいて、またこの世に帰っ

てくるのです。これが大乗仏教の菩薩道の必然であるというわけです。 

  つまり、菩薩は自利利他の行者であり、利他の行を徹底するからには、

いつまでも極楽浄土で安穏としていられないというわけです。

 

  そしてこの世とあの世の間を絶えず往復し、人間救済に努力するのが、

弥勒等しい菩薩の位にすでに立っている念仏行者のあり方だという。

          
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  このように、生きとし生けるものの同一性、およびこの世とあの世の間

絶えざる循環の思想は、日本の芸術や宗教を貫く思想なのです。

 

  日本において、森の面積が国土の六七パーセントを占めているという

状況は、この思想の一つのあらわれでしょう。 

  われわれはこの点において、すぐれた文明の伝統をもっているといわ

ねばなりません。 

 しかし現代の日本人は、この文明の伝統を意識しているとは思えません。

  【つづく】



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月11日 (金)

”森の思想”が人類を救う(5 )

    二十一世紀に必要な羅漢の和



  たしかに和の原理は、聖徳太子いらいの日本の社会を形成する原理

であり、それが日本社会を発展させた原理であることは間違いありませ

んが、私は、二十一世紀の日本ではこの和の原理だけでは不十分だと

思います。

 和の原理集団の価値が優先する原理であり、とかく個人の価値は

第二次的になりがちです。

 

  日本人は一人一人はたいして傑出した人間はいないが、集団となれば、

じつに強い力を発揮する民族であるといわれます。たしかにその通りで

しょう。 

  たとえばノーベル賞受賞者にしても、日本の人口の多さからみて、また

日本人の平均的知的水準の高さに比べると、かなり少ない。 

  また、たとえば現代の世界に新しい戦慄をもたらすような芸術家も、

黒沢明や三島由起夫などを例外にすれば、はなはだ乏しいといわねば

なりません。

 

  今、日本で最も活躍している映画監督、伊丹十三氏(*下の写真)が、

最近「あげまん(*その下の写真)という映画をつくりました。


         Photo_13

             Photo_17


  伊丹氏によれば、この「あげまん」は、(1)孤独に耐えられない、

(2)自分で判断できない、(3)自分で責任がとれない、という日本人の

一般的な男性の姿を描いたということですが、それを私の言葉でいえば、

日本的な和の社会のなかの人間描いているということになります。

 

  和の社会のなかの人間は、自分の属している社会との調和を第一の

原理としているので、(1)孤独に耐えられず、(2)したがって他人の顔色

見て、容易に決断することができず、(3)そして自ら責任をとることをし

ない、ということになります。 

  こういう和の社会が、強烈な個性をもった人間を育てず、したがって日本

において傑出した個人が出現することを妨げている。

 

  私自身は、顔も姿もすこぶる日本人的ですが、なぜか若いときから日本

人的な生き方と反対の生き方をしてきました。それは、孤独に耐え、ひとり

で決断し、ひとり責任をもつ生き方です。私は学問において多くの仮説を

提出してきました。

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  たとえば、法隆寺は聖徳太子の鎮魂の寺(*下の写真は、この時、
        

話題となった著書)であるとか、柿本人麿(*その下の絵)は流刑になり、 

ついには死刑になった詩人であるとか、アイヌ語と日本語はけっして別の 

言語ではなく、かなり近い親戚関係にある言語であるという、日本の学界 

の常識に真正面から挑戦する、いくつかの仮説を提出してきました。

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            Photo_19


          

  それは、日本の伝統的権威あるいは外国の学問的権威の説を紹介し、

研究することをおもな仕事としている日本の人文学界にとっては、たいへ

んな衝撃でありました。 

  当然、賞讃の批評もありましたが、それ以上に中傷、罵倒のとても批評

とはいえない批判が相次ぎました。

 

  しかし、それらの中傷、罵倒にたいして私は例外を除いて相手にしませ

んでした。 

 なぜなら、一つの仮説を提案すると、私はまだその奥にあるものが知り

たくて、つねに新しい仮説の形成に熱中していたからです。



  私は現在、国際日本文化研究センター(*下の写真)の所長をしています

が、それは日本文化を総合的に、かつ国際的に研究する機関の必要性を

痛感し、私たち京都の学者が中心になって三年前に設立したものです。

              Photo_21

  日本の経済的発展も一つの要因だと思いますが、世界の日本研究者

の数は年ごとに増えているにもかかわらず、外国における日本研究者と

日本国内の日本研究者との交流の機関が、日本には一つもありません

でした。 

  当センターの役割は、そういう日本人と外国人とが共同研究する場を

提供するということですが、今や日本人よりむしろ外国人によって、新しい

日本研究の視野が拓かれているのです。

 

  こういう新しい視野をもった外国の日本研究者が当センターを訪れ、

あるいは共同研究に参加し、あるいは当センターの教授たちと学問的

な対話をすることによって、新しい日本研究が育っていくことを望むもの

であります。



  私は当センターの研究員採用の条件として、さきほどの伊丹十三氏が

指摘した日本人の一般的特性である三つの原理と、反対の原理を採用

した。 

  それは(1)孤独に耐え、(2)自分で決断することができ、(3)そして自分 

で責任をとることのできる人間です。

 

  そういう人間を日本の学界で探し、全国の大学から採用して、共同研

究を主催してもらっています。しかし、そうはいっても、センターが和を

欠くということはありません。

 

  私は、これからの日本人のあり方として、羅漢の和ということを考え

いる。 

 みなさんご存知のように、禅宗の寺院へ行くと、羅漢(*下の写真)

像が並んでいます。

            Photo_22


  羅漢というのは禅宗の理想とする自由人です。禅は仏教のなかで最も

自由を強調する仏教です。 

  何ものにもとらわれない完全な自由人となって、いかなる状況にも

対応できる人間、それが禅の理想とする羅漢です。

 

  羅漢はそれぞれ個性的な風貌をしています。それは、一人一人は

まったく自由人で、それぞれはかなり異なった人間です。こういう羅漢の

和の社会こそ、これからの日本社会の理想だと思われるのです。



  ちょうど近代ヨーロッパ国家が経済的な力をつけるとともに、すぐれた

個人、たとえばイタリアのダ・ヴィンチ、イギリスのシェークスピア(*下の

肖像画、フランスのデカルト、ドイツのゲーテ(*その下の肖像画)のよ

うな、強い個性をもった天才を生み出したように、これからの日本もこう

いう強い個性をもった人間を生み出さねばなりません。

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             Photo_24



   もしも強い経済力をもちながら、こうした巨人を生み出せないとしたな

らば、日本はいたずらに経済力のみを所有している精神の低い国とみ

られても仕方ありません。   【つづく】

 

 

          

 

 

2013年10月10日 (木)

”森の思想”が人類を救う(4 )

   日本社会を貫く平等と和の原理

   以上のように、この森の文明、この日本の基層文化を形成する縄文

文化、狩猟採集文化の精神的特徴が、生命体の本来的同一性、つまり

平等の原理その永遠の循環運動ということにあるとすれば、そのことは、

その後の日本文化にどのような影響を与えているのでしょうか。

 

  縄文時代以降の日本社会について一望しますと、さきにのべたように、

日本国家は、稲作農業をもって日本に渡来した弥生人によってつくられた。

弥生人が土着の狩猟採集の民、縄文人を征服して国家をつくった。

  (*下の絵は、「縄文人」と「弥生人」)

         Photo_11


  八世紀にできた『古事記』や『日本書紀』の神話は、日本人はアマテラス

(*下の肖像画)の子孫で、渡来してきた農耕民と、スサノオ(*その下の

肖像画)の子孫である土着の狩猟採集民から成り立っていて、後者すな

わち国つ神の子孫は、前者すなわち天つ神の子孫に服従すべきものだ

と決めつけています。

            Photo_3

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  この神話の具体的なあらわれが、氏姓制度であって、古墳時代の人間

は氏・姓によって、身分も職業も規定されていました。 

  このカースト制度ともいうべき日本の身分制を壊したのは、一つには

仏教の影響あります。

                         Photo_5

  七、八世紀の日本は中国にならって律令社会をつくろうとしたのですが、

その律令社会の創始者である聖徳太子は、仏教を日本の律令社会の

根本原理にしようとした。

 

  仏教の一つの中心理念は平等ということです。八世紀の末、まさにこの

仏教の平等主義によって律令社会が崩れようとしたことがあったわけで

すが、その後約四世紀、律令社会は生きつづけます。この律令社会に

大きな衝撃を与えたのは武士の勃興でした。

  日本の武士というものは、もともと狩猟民であり、縄文の民の末裔である

と考えてさしつかえないと思います。

                            Photo_9

  この武士の台頭と仏教の浸透によって、身分社会はだんだん崩れ、

そして下剋上が時代の潮流となりました。 

  こうして徳川時代になって再び身分社会が復活したようにみえましたが、

徳川時代の権力者である大名はほとんど成り上がり者で、とても貴族とい

うものではなかった。 

  明治時代になって徳川幕府の体制は崩れ、西洋のデモクラシー思想の

影響も受けて、日本は、名目的には四民平等の社会になった。 

  そして戦後、日本にまだ残っていた貴族社会は崩壊し、日本は名実とも

に四民平等の社会になったのです。

 

  私が所長をしている国際日本文化研究センター教授、飯田経夫氏は、

戦後の日本の著しい経済発展の原因を、ほぼ同質化された一億二千

万人の人間と、その強い平等志向に求めています。 

  さきにいいましたように、日本人はじつは根本的に異なる二つの種族、

弥生人と縄文人から成り立っていますが、弥生人が日本に渡来したのは、

紀元前三世紀から紀元前一世紀にいたる間です。

 

  そしてその後、七世紀くらいまでの間に断続的にアジア大陸、とくに朝鮮

半島から多くの人々がこの日本に渡来した。 

  そのなかにはもちろん政治的亡命者も、また日本という新天地に自らの

活躍の舞台を求めてきた遺民もありました。 

  しかしこの傾向はほぼ七世紀で終わり、それ以降は外国から移り住んだ

人の数は少なかった。それで日本は周囲から隔絶された島国として文化

の同質化ということが著しくすすみました。 

  とくに十七世紀以後の鎖国された徳川幕藩体制は、この日本人の同質

化ということにははなはだ貢献しました。

 

  日本の社会、とくに戦後の日本の社会は階級の流動性の強い社会です。

戦後の日本を象徴する、もっとも力と人気のあった総理大臣、田中角栄

(*下の写真)、および実業家、松下幸之助氏(*その下の写真)は、

ともに庶民階級から身を起こした人物です。

                    Photo_8

                           Photo_10

 

  それはただ田中角栄氏や松下幸之助氏が例外であるというわけでは

ありません。 

 日本の総理大臣のほとんどは庶民階級の出身である、その顔もはな

はだ庶民的です。 

  日本では、あまり貴族的な顔をしていると総理大臣になれないという説

さえあります。

 

 この日本社会の平等性ということは、私は、デモクラシーの影響によっ

て、戦後あるいは明治以後にできたものであるとは考えられません。 

  その傾向は遠くさかのぼり、日本文化の基層をなしている縄文文化に、

すでにそのような平等化への強い傾向があり、それがさらに仏教の思想

の影響により、あるいはデモクラシー思想の影響によってさらに助長され

たと考えざるをえないのです。

 

 そしてそのことが、日本の身分社会を壊していったと考えねばならない

です。

  この平等化の原理は、現代の日本においてはひじょうにプラスに働き、

日本の経済的発展の一つになっていることは否定できません。そして、

この平等化の思想の根底となるものが、和の原理です。 

  七世紀における日本の律令社会の主導的な政治家であった聖徳太子

は、彼のつくった十七条憲法の第三条に「和を以て貴しそ為す」という言

葉を入れた。

 

  これはさきにのべたように、千年にわたる土着の縄文人と渡来の弥生

人の、血を血で洗う闘争に懲りた日本人の経験の結果、生み出された

知恵であると思いますが、この和の原理こそが、日本社会を構成する

原理であると考えてさしつかえありません。 

  明治以降、とくに戦後の日本を発展させたのも、この和の原理であり

ます。成功した政治家や実業家などが揮毫(きごう)を求められたときに、

いちばん多く書くのは「和」であり「忍」であるという。 【つづく】

             
             Photo_12

 

 

2013年10月 8日 (火)

”森の思想”が人類を救う(3 )

   森の文明の考え方

 

  このように考えると、森の文明ともいうべき縄文文化の基層を形成して

いることは疑いえないと思いますが、この文化はどのような文化で、どう

いう精神的特徴をもっていて、それがその後の日本の文化にどういう影響

を与えたのか。

 

  この文化を知るには、ただ考古学的遺物によってのみではなく、自然

人類学、文化人類学、民俗学、歴史学、宗教学などのあらゆる学問を

総合しなければならない。

 

  その場合、とくにこのような漁撈採集文化をつい最近までもちつづけ

ていたアイヌ、沖縄、あるいは日本列島の山間や島に住む狩猟民や

漁民たちの宗教や習俗がその助けとなります(*次の上2枚は、アイヌ、

下2枚は、沖縄のサバニ)

           Photo

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            Photo_3

             Photo_4



  私は長い間、この問題についていろいろ考えてきましたが、その文化の

精神的特徴を二つの点に集約できるのではないかと思います。一つは

その平等志向です。 

  たとえば日本の山間部で伝統的な狩猟法を守るマタギ(*下の写真)

の社会では、熊狩りに行くときには熊狩りのいちばん得意な人をリーダー

とし、猪狩りに行くときには猪狩りのいちばん得意な人をリーダーとし、

その狩りの期間はリーダーの命令に従いますが、獲物は狩りに参加でき

ない老人や寡婦の家庭にも平等に配分されます。

                               Photo_5

  縄文時代の住居跡(*下の写真)を見ると、真ん中の広場のまわりに

同じ大きさの竪穴住居が並んでいます。 

  狩猟採集生活においては食物の貯蔵ができず、生活は二十人から五十

人単位で行われているので平等の原則がそこに貫かれているのは当然

です。

           Photo_6


  この平等ということは、人間のみならず、人間と動物や植物の間にも

存在していわけです。 

  森の住民の一人である人間は、自分たちの周辺にいる動物や植物を

けっして自分と異なるものとは思っていないです。

 

  動物も植物も、あるいは山や川ですら、人間と同じ霊をもっていると考

えています。彼らは本来、人間と同なのですが、この世ではたまたま

動物や植物、あるいは山や川の姿であらわれているにすぎないのです。 

  とくに人間においしい肉を与え、暖かい毛皮を提供する熊や、食糧の

中心であるどんぐり(*下の写真)を実らせ、家や船の材料になる樹木は、

熊や、樹木の姿になって人間のもとにみやげをもって訪れた客人(まれび

と)と考えられています。

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  ですから、人間はその客人の意志に従っておいしい肉や、暖かい毛布

や、どんぐりや、材木をありがたくいただきますが、その霊はていちょうに

あの世へ送るのです。 

  彼らの考えでは、あの世は、死んだ人間ばかりか、死んだ熊や木も

この世と同じような生活を営むところなのです。 

        Photo_10


  そしてこの世でていちょうに葬られた熊や木の霊は、あの世で仲間たち

に、この世で人間から受けた手厚いもてなしを語ることによって、仲間の

熊や木はそれでは早くこの世にいこうと思い、また翌年には熊がどっさり

と獲れ、樹木はいっそう豊かな実をつけることになるわけです。



  熊や樹木と同じように、人間もまた手厚く葬られます。この世に深い恨み

残して死んだ人や、水死とか何か特別な死に方をした人は、とくに手厚

く葬られて無事あの世へ送らねばならない。無事あの世へ送られないと、

またこの世に帰ってこられないからです。

 

  アイヌの社会では、すべての生は再生であると考えられている。

 たとえば、A家の男とB家の女が結婚して子供Cができますと、あの世

にいるA家の代表者とB家の代表者が、今度はだれを帰そうかと相談し、

その結果Cが選ばれて、Cの魂は遠いあの世からはるばるとその母の

胎内に入り、月満ちて生まれてくるのだと考えられています。 

  かつて日本人は生まれてきた子を見て、ああこの子は亡くなったおじい

ちゃんにそっくりだ、おじいちゃんの生まれ変わりにちがいないといって、

その子におじいちゃんと同じ名をつけたものでした。

  

  このように考えると、この森の文明のもっている一つの思想が、明確に

浮き彫りされてきたように思います。 

  それは、人間は、自然界のなかでは何らの特別な権利ももっていない

一員であり、人間も動物も植物もすべて、あの世とこの世の間の絶えざる

循環をくり返すもの、とみる見方です。

 

  この見方は一見非科学的ですが、じつは生物というものの本質をはな

はだ的確にとらえているといわねばなりません。 

  なぜならば、生命体の本質は、死と再生のくりかえしであるからです

人間も熊も樹木もすべての生物は、個体としては死ぬけれど、しかし

その生命は子孫となって再生する。

 

 
  つまり種は死・再生をくり返して永続するのです。現代の言葉でいえば、

個々の生命は死ぬけれど、種の遺伝子(*下の写真)不死であるとい

えるのかもしれません。  【つづく】

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2013年10月 7日 (月)

”森の思想”が人類を救う(2 )

    世界に誇るべき日本の森林


  さて、ここに集まった皆さんは何らかの形で、日本に大きな関心をもた

れていますが、日本において最も誇るべきものは何という問いに、

どう答えられるでしょうか。

 

  こういう問いを日本人自身に投げかけたとしても、かなり多くの日本人

はいささか答えに困るのではないかと思います。 

  戦前の日本の誇りは万世一系の皇統でありました。それは日本では

同じ血統の天皇が、戦前の日本人の信念によれば二千六百年以上、

客観的な歴史的事実としても千三百年以上つづいているということです。 

  それは、日本が外国からの侵略をほとんど被らず、平和であったことの

しるしであり、たしかに誇るべきことですが、世界にはさまざまな政治形

態があります。

 

  共和制の国や、社会主義の国もあります。そういう国にたいして、なが

い間つづいた君主制としての天皇制の誇りを押しつけることは、けっして

よいことであるとは思いません。

                    Photo

         Photo_2


  また、今(*1990年当時)の日本の経済発展を誇りとする気持ちも、

多くの日本人の心に潜在していますが、それはちょうど成金が金をもっ

ていることを誇るようなものであり、みっともないことです。 

  金があるということは、それ自身けっして価値のあることではないと思

います。その金を何に使うかによって、その金持ちの国の価値が決まる

のでしょう。

 

  以上のように天皇制や経済発展が日本の誇りではないとしたら、日本は

いったい何を誇りとすべきでしょうか。 

  いささか意外に思われる方も多いと思いますが、その問いにたいして、

私は日本のであると答えたい。

                       Photo_3

         Photo_4



  日本においては全国土の67%が森林であり、しかもその森の54%は

天然林です。 

 先進国にしてこれだけの森を保有している国はありません。この森の

一番巨大なものが富士山麓です。その意味でも、富士山は日本の誇り

であるといえるのです。

        Photo_5

  どうして日本にこのように多くの森が残されたのでしょうか。日本に森が

残された原因は二つあると思います。 

  それは日本に農業が輸入されたのが遅かったこと、もう一つは、日本

に輸入された農業が養豚以外の牧畜を伴わない稲作農業であったこと

です。

 

  最近の地質学的研究によれば、日本列島ができたのは比較的新しく、

日本列島が東アジア大陸から独立したのは約一万年前であるといわれ

ます。 

  氷河期が終わって氷が解け、海水面が上昇し、その結果、日本海がで

きて、今のような日本列島が形成されたのだといわれます。

 

  ところが、ちょうど日本列島ができるころ、つまり今から一万二千年くら

い前にまでさかのぼる土器が、日本列島から出土するのです。(*下の

写真は、「縄文土器」)

                     Photo_6
 

  もちろんそのころ、世界の人々はすべて狩猟採集生活を営んでいた

わけですが、日本列島をはじめとする東北アジアに、人類最初の土器が

出現したわけです。 

  この土器の発明は、金属器の発明のように生産と直接、関係せず、また

武器に用いられることもありませんでした。

 

  おそらく、周囲を海に囲まれた日本列島は、狩猟採集というより漁撈

採集文化のメッカであり、巨大な落葉樹の実は食糧になり、その葉が

落ちて積った腐植土は格好の土器の材料になったにちがいありません。 

  土器を伴う日本の漁撈採集文化を縄文文化と名づけますが、このよう

な縄文文化が日本ではじつに一万年もの間繁栄し、日本の基層文化を

形成したのです。

 

  紀元前三世紀ごろ、日本に稲作農業がもたらされました。これはたん

なる稲作農業技術の渡来ではなく、稲作農業をもった人間の渡来であ

ったことが、自然人類学などの研究によって明らかになっています。 

  紀元前三世紀ごろというと、中国においては秦の始皇帝による国家

統一が行われるときにあたりますから、おそらく揚子江流域にいたどこ

かの国の遺民が日本列島に逃亡し、稲作農業を伝えたと思われるの

です。

            Photo_8


  この稲作農業は、高温にして、多湿の日本ではたいへん成功して、

弥生時代といわれる紀元前三世紀から紀元後三世紀までの約六百年

の間に、東北地方や南西諸島を除いて、日本は農業国家に生まれ変

わったのです。 

  そしてそれ以後、古墳時代、つまり四世紀から六世紀までに、日本に

大和朝廷を支配者とする統一政権ができ、七、八世紀になって、当時

の隋・唐国家にならって律令国家をつくりました。 

  律令国家はその国の経済の基礎をすべて農業においていますから、

弥生時代の延長と考えてさしつかえありません。 

  その後いろいろな変貌をとげましたが、このような律令国家は名目と

して明治時代まで、つまり日本人が工業をその基礎とする西洋文明を

とり入れるまでつづいたのであります。



  巨視的にみますと、紀元前三世紀、米をもったどこかの国の遺民が、

この日本列島にやって来て、稲作農業を始めるまで、日本のほぼ全域は

森であったわけです。 

  それから二千数百年の間に、日本の森の約三分の一は開拓され水田

化された。しかし、三分の二の山は、ほぼそのまま森として残された。 

  その理由の一つには稲作農業をとり入れたということもありますが、

もう一つの理由は日本の地形そのものにも関係があります。

 

  日本の稲作農業は養豚以外に牧畜を伴わず、しかも水を必要とする

ために、水の引きやすい平地にかぎられます。 

  それゆえ、日本人の営々たる努力にもかかわらず、田の面積を一定

以上に拡げることは困難でありました。 

  また牧畜を伴わないため、森林が伐採されて牧草地になるということも、

日本ではほとんどありませんでした。

 

  それに日本の山の多くは急峻で、植生が喬木、灌木、草、苔の四層

からなり、喬木を伐ったとしてもすぐに牧草地になりにくいのです。

 こういうことから、日本の山はほとんど森のまま残されたわけです。 

  このことは世界の他の文明国と比べてみて、日本の大きな特徴である

といわざるをえません。

 

  メソポタミア地方において、約一万年前に始まった農耕牧畜文明は、

やがては都市文明いわゆる巨大文明を生みますが、この最初の都市

文明の伝説的な創造者がギルガメシュ(*下の写真)です。

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  ギルガメシュが最初にやったことは、森の神、フンババの殺害であった。

これは、文明というものが森の神を殺害することによって発展するもの

であることを象徴的に示していますが、小麦生産を中心に牧畜を伴う

文明は、森の神の殺害という点において稲作農業の文明よりもはるか

に厳しかったといわねばなりません。

 

  現在、巨大文明の発生地といわれるメソポタミア、エジプト、インド、

中国において森を見ることは困難です。 

  現代発展している国々、たとえば北ヨーロッパ諸国および北アメリカ

諸国、それに日本と韓国などが、豊かな森をもっている国であることは、

けっして偶然であるとは思えません。 【つづく】

 

 

 

 

 

 

2013年10月 5日 (土)

”森の思想”が人類を救う(1)

   【皆さんへ】

  皆さん、お早うございます。 

  お元気でしょうか?
 


   目下、日本は、福島原発の汚染水問題、消費税

増税、それにTPP問題など、まさに、風雲急を告げる

昨今です。 

  そんな深刻な諸問題の中、あえて、少し異なる視点

から、拙ブログを展開したいと思います。

 

  その点で、今回、採り上げました内容は、梅原猛先生

のご講演に基づくものです。 

 それも、すでに23年も前のものです。これは、拙著で

も触れたものでもあります。

 

  しかし、それでも、今後の日本や日本人の在り方を

考える場合、たいへん有益だと感じます。それを、

以下に記します。


  ”森の思想”が人類を救う(1)

   哲学者の任務


  さて、私に与えられた演題は「二十一世紀における日本文明の役割」

であります。 

  私はもともと哲学者ですが、ここ二十年間はもっぱら日本の古代のこと

を研究してきました(*下の写真は、法隆寺と名著『隠された十字架』)

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  私の学問は、ふつう日本では梅原日本学あるいは梅原古代学と呼ば

れています。そして私は日本の古代について多くの本を書いてきました。 

  そういう私ですから、日本の古代のことを語るのは、たいへん得意とす

るところですが、未来のことを語るのは苦手です。

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  だから、きょう与えられた「二十一世紀における日本文明の役割」とい

うようなテーマは、古代学者である私にとっては、自分の認識の範囲を

超えている問題であり、解決困難な問題であるといわざるをえません。

 

  しかし、私はこのような問題について、少しは答えなければならない

義務を背負っているのです。 

  それは、私が海部俊樹(元)首相(*下の写真)の私的懇談会である

「二十一世紀へ向けて目指すべき社会を考える懇談会」(以下、二十一

世紀懇)の座長をしているからです。

         
             Photo_3



    この懇談会は、日本では珍しく女性四人を含めた、二十代から六十代

までの、職業集団の利益を代弁しない十一人のメンバーで構成され、

昨年(1989年)11月から本年5月まで、毎月、二回ほど海部首相と朝食

をともにし、自由な議論を重ねてきました。 

  私がこの座長を引き受けたのは、私は、海部首相の高等学校の先輩

であったからです。 

 私は、日本の学者のつねとしてあまり政治にかかわることを好みませ

んが、昔からの友人であり、後輩である首相の頼みを拒否できなかった

のです。

 

  世間には私のことを海部首相のブレーンという噂もありますが、私は

政策について海部首相から何らの相談も受けたことはありません。 

  ただ一度だけ、不退転の決意という、政治家の決断を示すよい言葉

はないかという相談を受けただけです。 

  それに対して私は「ルビコンを渡る」とか「賽は投げられた」というよう

な言葉を進言しましたが、首相は採用しませんでした。

 

  もし私がブレーンであるとすれば、まったく無能力なブレーンであると

いうことになりますが、しかし二十一世紀懇がまったく無駄であったとは、

私は思わないのです。

  二十一世紀懇の第一の提言は、環境問題についてですが、この問題

については、海部首相を交えて再三話し合いました。

 

  先日のヒューストンでのサミット(*下の写真:サッチャー首相に話しか

ける海部首相首相が百年間の地球再生計画について意見をのべ

ました。日本の首相がサミットではっきり意見をのべるということは従来

あまりなかったことであり、画期的なことであります。

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  首相がサミットで地球再生計画をのべたのは、二十一世紀懇でしば

しば環境問題を議論したことが、そのきっかけの一つになっていると

思います。 

  このように、二十一世紀懇の座長をしているということが、きょうの困難

なテーマについて講演を引き受けた理由でありますが、それだけでは

ありません。

 

  私は前に申しましたように哲学者ですが、哲学者というものは、けっし

て過去の哲学について研究するのみにとどまるべきではなく、やはり本来、

現代の人間についてどう生きたらよいかを提言すべき立場にあります。 

  しかし、そういう問題はあまりに困難なので、私はいささか過去の研究

に深入りし、現在および未来の問題について発言することをさけてきました。

 

  そして三十年間、日本研究、古代研究に没頭したおかげで、日本文明の、

ひいては人類文明の姿がおぼろげながら見えてきたのです。 

  それに私は現在六十五歳です。もうそんなに私の人生は残っていません。 

もし私が本来的に哲学者であるとすれば、もう一度、日本学あるいは古代

学から、普遍学あるいは哲学にもどらなければならないのです。

 

  たいへんおぼろげですが、やっと見えはじめた日本全体の姿のなか

から、日本の未来について、ひいては人類の未来について考えてみなけ

ればならないのです。 

  ですから、私がここでお話しすることは、若いときに西洋の哲学者、

プラトンやデカルト(*下の肖像画)やニーチェの書物を耽溺し、中年に

なって日本の宗教や芸術や歴史や文学について、たくさんの本を書いた

一人の哲学者の、はなはだ個人的な意見であり、けっして日本を代表す

るような意見ではありません。 【つづく】 

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2013年10月 4日 (金)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(完 )

    我々日本人が継承すべきもの


  仏教の奥義を究めた最初の日本人、それが聖徳太子である。 

  太子(厩戸皇子:574~622:下の肖像画)は、日本仏教の開祖とも言

える。だが彼は、極めて冷静、かつ謙遜な人であった。

         Photo_4


  徳永真一郎氏によれば、太子の偉大さは「聖なるもの」を卑近直截

に社会人のものにしていることである。 

  とりわけ太子は、法華経の精神を「万善同帰」というように受け取って

いる。 (*下は、同経の中の「如来寿量品第十六)

 「万善」とは、あらゆる存在がそれ自身のあり方において、自らの場所

を得、持ち前の面目(性能)を遺憾なく発揮するということである。

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           Photo_6

  しかも、桜は桜、菊は菊といった具合に、本来の性能を生かして競い

咲き、決して相克したり相殺することなく、共にもたれもたれつつ「対揚」

して、いやがうえにも高度の「善」を発揮し合う、これが太子の説く「同帰」

の意味であった。これは、石橋湛山が説いた「一天四海皆帰妙法」の精神

にも通じよう。
                      

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  徳永氏によると、太子は「万善同帰」をさらに一字に約して「和(やわら

ぎ)」といった。 

  法華経はこうして「和(やわらぎ)の経典」として日本に生命を得、和の

国是を荘厳(モディファイ)し、長く文化的な要素となって、文化の花を咲

かせるに至ったのである。

 

  太子が憲法第一条の冒頭で「和(やわらぎ)を以て貴(たっと)しとなし、

忤(さから)うことなきを以て宗(むね)とす」といっているのも、万善同帰」

の聖理を掲げ、わが国が「和」をもって国是とすることを中外に宣布した

わけである(徳永著『聖徳太子』)。 

  ただ、この憲法制定においても、太子は決して高みから凡夫である国民

を導き、範を垂れるという驕慢な態度ではなく、むしろ自らも“同じ凡夫であ

る”という認識で、十七条憲法を制定したと言える。


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  その点では、寺尾勇氏の言にもあるように、十七条憲法は、仮借なき

人間凝視を通した、人間悪への絶望の書であるとも言える。 

  確かに、寺尾氏の説のごとく、この憲法は、裏返せば太子自身の限界

につまづき倒れた“凡夫としての自覚”であり、わけても政治改革の空しさ

から滲み出た深傷(ふかで)からの呻吟であり、告白でさえある。 

 

  言うなれば太子は、その絶望の彼方に、当時の勢力家・蘇我馬子の

機先を制する形で、大国・隋と対等関係を築こうとしたり、外国で学んだ

留学生たちに後事を託したのである。 

  つまり彼は、馬子の専横という困難な状況の中にいても、単なる絶望の

人ではなかった。

 

  ところで、太子の辞世の言葉は「世間虚仮、唯仏是真」世間は虚仮

〔こけ〕なり、ただ仏のみ是れ真〔まこと〕なり=この世の営みは皆、仮の

はかないものであり、仏の悟りに達することだけが真実だ)というものだ

った。           Photo_14

  識者の言によれば、当時の人びとが「安住世間」を願って、現世利益を

仏教に求めていた時、太子は、この世の中は空しくはかないものである

として、あらゆる心の執着を断ち切ろうとした。そして彼はある時、仏の悟

りに達し、より高い“真実の生き方”を求めた。

 

  つまり、彼にとって仏道とは、すべての世俗的な欲望や執着を一切断ち、

謙遜・無私に悟り(=開悟)を求めることだった。 

  その精神性の高さと深みを以て、祖国・日本を心から愛した「聖徳太子

の精神」こそ、後世の我々が継承すべきものであると思う。 

 

 「諸法実相の世界」への信頼

 

  聖徳太子を敬慕する日本人は多い。有名な「太子信仰」というものが

ある。歴史上でも、伝教大師最澄や彼の弟子円仁(えんにん:慈覚大師)

は言うに及ばず、親鸞や一遍、それに日蓮などの鎌倉仏教の祖師たちも、

心から聖徳太子を敬愛していた。 

  その他、源頼朝・源実朝・足利尊氏・楠木正成・足利義満・徳川家康、

それに織田信長までも太子を尊崇していた。

 

  天皇家の廃絶さえも考えた信長でさえ、聖徳太子を崇敬する思いは

強かった。彼が足利義昭の失政を責めて、室町幕府を滅ぼした時は、

十七箇条の意見書を義昭に突きつけた。当然、聖徳太子の十七条憲法

を意識しての行為である。

 

  ここでは、聖徳太子と『法華経』との関係で、特に日蓮上人(*下の

肖像画:1222~82 )について述べてみたい。 

  「父母の恩は山よりも高く、海よりも深い」という言葉がある。日蓮上人

の言葉である。 

  「我不愛身命、但惜無上道(我は身命を愛〔お〕しまず、ただ無上道を

惜しむ)」言って、果敢に『法華経』による国難の打開を幕府に迫り、

それがために筆舌に尽くしがたい迫害と苦難を経験した彼ではあるが、

心は極めて濃(こま)やかで情味深い人だった。

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  権力に抗する強靭さとは裏腹に、社会の底辺に生活する弱き者、貧し

き人びとへの慈愛深さは、まさに日蓮上人の真骨頂であった。その意味

で彼は“報恩・愛徳”人だった。 

  周知のように、『法華経』には、さまざまな苦難を乗り越えてこの経典を

広め、菩薩行を実践する功徳が説かれている。日蓮は自らを、この経典

における上行菩薩に引き比べて、迫害の中を突き進んで行った。 

 この過程での彼の勝利は、まさに内村鑑三の言う「心が肉体に対し、

精神が暴力に対して得たる勝利であった。」(内村著『代表的日本人』)。

 

  内村は、日蓮について語る。つまり、「然らば諸君は、その骨髄まで真実

なる一個の霊魂、人間として最も正直なる人間、日本人として最も勇敢な

る日本人を有するのである」と。 

  『法華経』の広宣流布によって、この娑婆(苦悩の絶えない世界)を寂光

土(煩悩の穢れのない知恵の輝く世界)に変えることこそ、日蓮の理想で

あった。

 

  だが内村は、日蓮が主張した教義そのものよりも、むしろ日蓮の勇敢な

る行為に注目する。 

  しかし、考えてみれば、あらゆる迫害を恐れない日蓮の勇敢さは、見え

ざる世界(=諸法実相の世界)からの導きや支援を絶対的に信頼する、

その純真無雑さ(=「正直さ」)にあったと言えよう。



  私は、ガンディーやケネディには、また吉田松陰や石橋湛山にも、この

ような“絶対的なるもの”への信仰と信頼があったと思う。 

  今の日本には、この種の信仰心や信頼が欠落しているのではあるまいか。 

「清明心」「赤き(=明き)心」が身近だった古代や中世の日本には、この

ような“絶対的なるもの”への信仰や畏敬が十二分にあったと思うのだ。

 

  本来、この種の信仰心や畏敬心を豊かに持っている日本人は、とくに

第二次世界大戦後、さまざまな物質的誘惑の中で、この貴重な“精神的

遺産”に目を向ける機会が少なくなったように思われる。その意味で、

現代日本人は、精神的に「無知・無明」の状態である。

 

  今一度、「日本文明」の原点に返ることこそ、我々日本人に求められるも

のだと思う。 

 そのために、聖徳太子や日蓮上人の生涯が、我々の生きる道程を照ら

す明かりとなろう。 【了】

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2013年10月 3日 (木)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(8 )

   徳冨蘇峰に見る「祖国愛」

 世界に与えた影響力の点では、ケネディ兄弟(*下の写真)やダレス

兄弟(*その下の写真上 兄のジョン・フォスター・ダレス、下  弟の

アレン ・ ダレス)には遠く及ばなかったものの、近代日本の言論界に

多大な影響を与えたことで群を抜いているのは、徳冨蘇峰・蘆花兄弟

である。

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   とくに蘇峰は、松陰や小楠の思想をよく理解していた。だが、兄・蘇峰だ

けが偉大だったのではない。弟・蘆花も歴史に名を残すほどの優れた文人、

かつ思想家だった。 

  それに、ダレス兄弟が結局、ロックフェラーの〝操り人形”に過ぎなか

ったことに比べれば、徳冨兄弟は、人間的には、ダレスたちよりも、遥か

偉大だった思う。 

  なぜなら徳冨兄弟は、生涯”独立不羈の精神”を持った、祖国

愛に満ちた人びとだったからである。



   徳冨蘇峰(*下の写真)は、私たち日本人に、『近世日本国民史(*

その下の写真)いう100巻に及ぶ国家的財産を残している。彼は、

この浩瀚な全集を、34年の歳月をかけて作成した。


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  井上智重氏(熊本日日新聞社)によれば、蘇峰は、「私は歴史をつくる

人間になりたいと思っていたのに、歴史を書く人間に終わってしまった

人生の失敗者です」と語っている。だが彼は、本心からそう思っていたの

だろうか?  私は、甚だ疑問である。 

  むしろ彼は、かつて桂太郎内閣と親密になったり、戦時中も皇国日本

の正当性を強く主張したりして「書くこと」を通して、日本近代史の一角

つくった人であった。

 

  それに、「人生の失敗者」というには、戦後でさえ、彼はあまりにも

雄弁で、かつ影響力の大きい思想家だった。その意味で、蘇峰が近代

日本の言論界において巨星だったことは間違いない。

  勝海舟を「師父」と仰ぎ、海舟の”精神的息子”でもあった蘇峰は生涯、

「皇国日本」を心から愛した人だった。 

  それに海舟が江戸幕府の歴史を丹念に書き残したことに習って、彼は

「国民」視点から、明治・大正・昭和の歴史を冷静、かつ公正に書き

留めた。

 

  米原謙氏は、その著『徳冨蘇峰―日本ナショナリズムの軌跡―』中公

新書:下の写真)によって、蘇峰の思想と行動を、たいへん的確に分析

している。彼は言う。

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  「幾多の屈折を経験した蘇峰の言論の軌跡を、単なる転向の歴史とみる

ことは到底できない。蘇峰の軌跡は、自身で近代日本国家の自立・挫折・

再生の物語を体現している。
 
  このナショナリズムの物語にどの程度共感するかは、人によって異なる

だろうが、それを黙殺することは誰にもできないはずだ」と。 

  まったく同感である。また別の箇所で、米原氏は、次のように述べる。

  「だが、蘇峰は転向したのではない。(戦後の)かれは戦中と同じく

『大東亜戦争』は正当だと考え、中国を裏から支えているのはソ連であり、

ソ連こそ最大の敵だと信じている。

 

  蘇峰の考えでは、日本が列強に追いつこうとして焦ったために、米国

から嫉妬され行き違いが生じたのであり、日米提携が両国の伝統的政策

なのである」と。 

  しかし、米原氏によれば、戦後の日本人は、かつて日清戦争後(とくに、

「三国干渉」後)に持っていたような「臥薪嘗胆」の気概が無いと見た。

 

  そこで、我々が学ぶべき先人として、蘇峰は「源頼朝」(*下の

肖像画)を挙げる。彼は、頼朝を“客観的状況を熟慮して実行に移す、

慎重な精神を体現した指導者”とみなした。 

  つまり蘇峰は、隠忍自重の「保守的政治家」を称揚することで、その

生涯を閉じようとしていた、と米原氏は分析するのである。 


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 今、学ぶべき「聖徳太子の精神」 

 

  かつて(とくに、戦前)否定的に取り扱われていた歴史上の人物、例え

ば徳川家康や足利尊氏が戦後、国民に再評価され、かつもてはやされた。 

  その点から言えば、蘇峰が源頼朝に行き着くのも、容易に理解できる。 

だが私の記憶では、戦後において「頼朝」は、それほど(少なくとも、山岡

荘八の『徳川家康』ほどには)もてはやされていないように思う。

 

  米原氏の言では、蘇峰にとって頼朝は、「勝てば官軍、負ければ賊」と

いう語とはまったく無縁であり、常に官軍であることを忘れてはいなかっ

た。しかも彼(頼朝)は、政治の基本が民衆にあることを熟知していた。



  頼朝が実際に、蘇峰の言う通りに「民のことを考えていたか」というこ

とについては甚だ疑問である。
 
  だが米原氏によれば、この蘇峰の言葉に託されたメッセージは明瞭だ

った。 

 つまり、この言葉は戦後、自暴自棄になった国民に対する「臥薪嘗胆」

の呼びかである。

 

  それと共に、「世界のいかなる英雄とも互角に相撲の取れる」人物を

指し示すこと”国民的自負心”を回復しようとしたものである。 

  その意味で、蘇峰は、性急に功を急ぐ「進歩的政治家」ではなく、

むしろ慎重に事を運ぶ「保守的政治家」を描き出すことで“隠忍自重”

訴えたのである。

 

  それは、「彼を知らず己を知らず」の自己陶酔で、不用意な戦争に踏み

切った戦前の政治家に対する批判であり、幾分かは彼自身の反省を

意味したはずだ、と米原氏は冷静に分析する。



  この蘇峰の「頼朝」評価は、今日の政治状況でも意味があるかも知れ

ない。頼朝の冷静さ、深い洞察力、それに統率力を含めたリーダーシップ

など、彼は実に得がたい存在だ。

 

  だが、敢えて蘇峰の見解について論ずれば、頼朝の「政治」は、平清盛

が日宋貿易を求めたような「外向き」のものではなく、本質的に外国を知ら

ない「内向き政治」ある。 

  それゆえ、彼は現代、あるいは日本の将来には、それほど参考になら

ないのではないだろうか。

 

  むしろ私は、現代の我々が頼朝以上に参考にすべきは「聖徳太子」 

(*下の肖像画)であると思う。 

 太子の真面目は、当時の強大な隋帝国に対して決してひるむことなく、

小なりといえども、あくまで対等に国交を結ぼうとしたことである。 

  国家の大小に捉われない政治家としての誇りや矜持こそ、最も大切なも

のである。 

 そのことを、太子は充分理解していた。なぜなら彼は、仏教(とくに、

法華経)に基づく徹底した「平等思想」を堅持していたからである。
 

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  私は、今の日本人に必要なものは、いい意味での「宗教性」だと思う。

われわれ日本人は潜在的に”宗教心”を持っている。それは、極めて

貴重なものだ。 

  それに基づき、我々は改めて「聖徳太子の精神」を学ぶべきではない

だろうか。 

 まさに、最澄・日蓮が「法華経」を通して、また親鸞が六角堂内での夢告

を通じて「太子の精神」を学んだように。―

 

  この「聖徳太子の精神」こそ、先述した石橋湛山の思想に通じるもの

であり、日本文明の「精華」とも言えるものである。 

  そして将来、ますます意味を持つと思われる法華経と「普遍性」を持つ

日本神道を結ぶ存在こそ、聖徳太子だと思う。 

  彼は、我々日本人にとって、決して過去の人ではない。彼の精神は、

今学ぶべき“未来に生きる”精神 なのである。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

2013年10月 1日 (火)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(7 )

    西郷ドンは、半分、肥後・熊本人

  「地方の時代」と言われて久しい。だが今日、同じ九州でも、福岡や

鹿児島に比べ、熊本の停滞が叫ばれている。福岡や鹿児島が元気なの

に比べて、熊本には、なぜ元気が感じられないのだろうか?  

  まさに、福岡や鹿児島という、二つの「山」に挟まれた谷間(あい)の印象

である。 (*この頃は、まだ「クマモン」は登場していない。)

 だが「わが熊本よ、がんばろう!」われわれには、偉大な先達がいる

のだ。 (*下の写真は、熊本城 )

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  私は、横井小楠(*下の写真)という先達を得て思う。“本当に、熊本に生

まれてよかった”と。― 

  かつて肥後藩は、幕末期に、薩・長・土・肥(肥前・佐賀県)と行動を共に

することはできなかった。だが、肥後藩には、彼らにも決して引けを取らな

い人物群像があった。


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  例えば、吉田松陰が私淑・敬愛した横井小楠、明治天皇の侍講をし、

教育勅語を草案した元田永孚(ながさね)、伊藤博文のブレーンとして

明治憲法の立案に貢献した井上毅(こわし:*下の写真)内村鑑三を

世に送り出し、近代日本の言論界に多大な影響を与えた徳冨蘇峰、

『不如帰』や『自然と人生』等の名作で一世を風靡した徳富蘆花、孫文

を支援し中国の独立に貢献した宮崎滔天(とうてん)、近代医学の発展

に寄与した北里柴三郎(*その下の写真)それに女子教育の発展に

尽力た竹崎順子、矢島楫(かじ)子、横井玉子、嘉悦孝(たか)など、

錚々たる人びとがいる。

           Photo_8

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  加えて、西郷隆盛(*下の肖像画)も、半分は肥後(熊本)人である。

南日本新聞社編『西郷隆盛伝』によると、西郷隆盛は、川口雪蓬との

よもやま話の中で、「当家は、(肥後)菊池の子孫」と語り、朝廷からは、

先祖菊池氏の勤皇事績によって十六菊の紋章を下賜されている。 

  西郷自筆の系図は、元禄年間に肥後から下ったという6代前の「九兵衛」

から記されている。

                                 Photo_10

  しかし、その後、西郷従徳(西郷従道の嗣子)が、大正14年に沢田延音

という人に依頼した調査では、「肥後国菊池郡深川村に居住した藤原鎌足

の曾孫、菊池氏の初代則隆の長庶子、西郷太郎政隆の系統を帯びたも

の」と推察している。

 

  武光・武時は直系だから筋違いということになる。この調査は全国的に

実証したもので、信頼性は高いと見られる。

  太郎政隆の直系は肥後にあり、その嫡子は肥前国に居住して西郷純隆

と称し、諫早城主となっている。 政隆自身は肥前西郷村に転居した。

 

  実は、「隆盛」(西郷隆盛の先祖)の名前が出てくるのは二代目。その子

・隆定は加藤清正に従って朝鮮に渡り戦功を挙げている。 

  先の「九兵衛」は、政隆から数えて26代目。「仔細アッテ東肥西江ヲ去リ

テ薩州麑(けい)府ニ赴キ島津公ノ麾下(きか)ト成ル」とある。

 

  特に興味深いのは隆定の事績。「君(加藤清正)ノ他界ニ遭ッテ悲嘆限リ

ナシ。君侯ノ御墓二百日間参籠シ奉レリ」という。 

  後年、斉彬の死に殉じようとした西郷の心情と通じるものがあるように思

える(前掲『西郷隆盛伝』、参照)。

 

   だが、西郷は、あまり肥後人が好きではなかった。例えば海舟(*下

写真)によれば、「西郷は、肥後人が大嫌いでネ。肥後人は、利巧で、

八釜しく言うが、間ぎわにゆくと、フイとぬけてしまう」(『海舟座談』、

*下線、筆者)。 

  しかし、大久保利通に言わせると、当の西郷こそが、「大事な時にいなく

る(まるで、肥後人のごとき)奴」だった。

                  Photo_11


  西郷の庶子、奄美大島生まれの「菊次郎」「菊草(=菊子)」は、彼の

先祖「菊池家」から取ったと思われる。

  たとえ半分でも、西郷ドンを「肥後人」と思えることは、たいへん嬉しく、

かつ誇りに思えることである。 
 

 

  『大義を四海に布(し)かんのみ』




  これは、横井小楠の言葉である。この言葉こそ、現在でも、また将来に

おいても世界に訴えるべき、日本の採るべき「精神」(=政治理念)では

ないだろうか。 

  この言葉は、横井小楠が二人の甥、左平太と大平がアメリカへ密航する

際に書いた送別の辞の一部である。

 

  もともとは、「堯舜孔子の道を明らかにし  西洋機械の術を尽くさば   

なんぞ富国に止まらん   なんぞ強兵に止まらん   大義を四海に布かん

のみ」の最後の一節である。 

  横井小楠を真摯に研究する徳永洋(ひろし)氏によれば、この語には、

小楠の世界における日本のビジョンが述べられている。

 

  つまり、東洋の精神文明をもとに西洋の科学文明を取り入れて、富国

強兵に努め、民主的・平和的な道義国家となって、これを世界に広めよう

と言っている、と徳永氏は説く。

 常に地道な実証研究を心がける同氏の洞察は、まことに鋭い。



  徳永氏は、その著『横井小楠―維新の青写真を描いた男―』(新潮

新書:下の写真)の中で、横井の『遺表』(明治天皇への遺言)について

言及している。 

  これは、小楠が明治維新政府の参与を拝命した際、自分の肉体的限界

や”まさかの時(暗殺)”を予感していたのか、天皇への「遺言」を、はじめ

病床で弟子に口授したものだ。それが、後に文書の形で残ったものである。

              Photo_12


  徳永氏は、この『遺表』を直に分析しつつ、ひじょうに重要な指摘をして

いる。彼は言う。 

  「以上の四か条の『遺表』により、小楠は明治天皇(*下の肖像画)

西洋各国のように利害追求に走り、ただ富国強兵を目的とする覇道政治

でなく、人の良心に基づく王道政治を行ない、外交も利害に左右されない

自然の条理で対処するように要望している」と(同書、157頁)。

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  この精神が、まさに「大義を四海に布かんのみという言葉に収斂する

のである。

 明治時代は、よく「富国強兵」が国家目標であったと理解されている。 

  だが、この語句の生みの親でもある横井小楠の本意は、むしろ「富民

有徳」ではなかったかと思う。 

  彼の実学とは、まさに道徳と経済の融合、国民生活の質的向上にあった

と感じる。 

 その意味では、彼は上杉鷹山に共通する政治・経済思想を持っていたと

思うのだ。 

  その点で、小楠はまた、西郷隆盛の「道徳観」とも通底する理念を持って

いたと思える。

 

  勝海舟は、生涯で二人だけ、つまり小楠と西郷隆盛を、心底畏れたと

公言している。 

 だがそれは、第一に両者の持つ時代を超克した“革命性”だったと思うが、

それ以上に、大義や道理・道徳を重んじる二人の人間的“偉大さ”に敬服

していたからだとも思える。 

  その点では、海舟自身、小楠と西郷隆盛に心の深い所で共感できてい

たのではなかろうか。海舟は心から共感できたがゆえに、小楠と西郷隆

盛を心底から畏敬できたと思うのだ。

 

 「大義を四海に布かんのみ」これは単に小楠だけでなく、勝海舟や

西郷隆盛も、まったく同じ思いだったと思う。同時にそれは、明治天皇が、

終生求められた政治理想であったし、彼を生涯の手本と考えられた昭和

天皇が、生涯希求なさった政治理念だったと思える。

  私たちは、今一度、この政治理念に戻るべきではないだろうか。アメリカ

も中国も、さらにはロシアやヨーロッパ諸国が覇道政治を求める今日、

日本は、心を新たにして王道政治を求めるべきだと思うのだ。 

  そこにこそ、私は「日本国の真骨頂」があると確信する。  【つづく】

 

 

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