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2013年9月30日 (月)

「日本よ、核兵器を持つなかれ!」(6 )

   日本人に求められる「羅漢の和」の精神

  プラザ合意が取り決められた1985年は、日本にとって“運命の年”

だったような気がする。アメリカ再生のための、一方的な「取り決め」を

きっかけとして、日本では、バブル景気が起こった。 

  だが6年後には、そのバブルが崩壊し、多額の不良債権に苦しむ金融

機関の倒産が相次いだ。いわゆる「失われた10年」となった。 

  そして“日本漂流”の歳月が続き、小泉改革の5年間を迎えた。それも

9月で終了するが、未だ〝閉塞した“状態だ。 

 

  ところで、あの1985年の8月12日、御巣鷹山中腹への日航機墜落事故

起こっている。それは、世界航空史上2蕃目の大惨事だった。 

  昨年、NHKのドキュメンタリーで、ボイスレコーダーが解析され、乗組員

たちのベストを尽くした必死の対応が報じられた。 

  そこでは、実際に操縦桿を握っていた佐々木裕(ゆたか)副操縦士と彼

に指示を与えていた高濱機長との真剣、かつ切迫したやりとりが、克明に

記録されていた。 

  実は同日のフライトは、佐々木操縦士の機長昇格試験を伴ったものだ

った。 

 だが同機は、尾翼が吹き飛び、ミサイルのような形態になっていた。

いかに熟達したパイロットでも、操縦は実質上不可能だった。

  ( *下の写真は、事故機のJA8119と「昇魂の碑」)

         Photo_4


          Photo_5




  実は、佐々木裕氏は、私より3歳年長で、彼は、私の小学校の先輩で

ある。家も100メートルと離れておらず、彼はとても温和、かつ眉目秀麗な

方で、私の憧れの先輩だった。佐々木家と我が家との縁も深かった。 

  それだけに、あの大事故は、決してひとごとではなかった。




  ところで、機上から日本の陸地を見下ろすと、わが国は「山国」である

と感じる。確かに、陸地の4分の3は、山である。この山には、広大な森が

広がっている。 

  梅原猛氏(*下の写真:1925~)は、「日本において最も誇るべきもの

は何か?」と自問しつつ、「私は、日本の森であると答えたい」と語る。 

いわゆる、先述した「森の文明」である。

                  Photo_9


  梅原氏の言にもあるように、日本の全国土の67%が森林であり、その

うち54%が天然林である。この森の一番巨大なものが富士山麓である。

  その意味でも、富士山は日本の誇りであるといえる。そして、「森の文明」

ともいえる縄文文化が日本文化の基層を形成している(梅原著『森の思想

が人類を救う』より)。

                          Photo_11

                    Photo_12



  梅原氏によれば、その文化の精神的特徴は、なにより「平等志向」である。

この平等は、人間の間のみならず、人間と動物や植物の間にも存在して

いる。 

  そして、この平等化の根底にあるのが「和」の原理である(同前)。 




  確かに、縄文と弥生の両文化は、互いに争い合った時期があった。

だが終局的には、相互交流し、和合しあっている。 

  これが、略奪・破壊の欧米文明や中国文明とは、本質的に異なる点だ。

無論、和合するには時間もかかろうが、これは決して不可能なことでは

ない。

 

  本来「和」の精神を重んじる日本人にとって、大事な点が三つある。 

これを梅原氏は、①孤独に耐え、②自分で決断することができ、③最後

に自分で責任を取ることだ、と説く。 

  実はこれこそ、「独立不羈の指導者」だったケネディやガンディー、それ

に吉田松陰や石橋湛山にあったものである。

 

  梅原氏は、この三点を有することを「羅漢の和」と表現する。私は、

この“自主・独立性”こそ、日本の指導者や国民に求められるものだと

思う。

 

    再認識すべき「孝」の精神

 

  私は孝」の精神こそ、人倫(=人の道・道徳)の基本であると思う。 

現代の日本に最も欠けているのは、この「孝」の精神ではないだろうか。 

  先述した「姥捨山」物語の主題も、明らかに「孝」の精神である。 

私は、この“精神”を、真心文明の中心に据えたい。

 

  「孝」の精神を強調する日本の代表的思想家は、周知のごとく、中江藤樹 

(1608~48)である。彼は、私の敬愛する日本の思想家であり、私の理想と

する日本人でもある。 

  私事だが、彼のことを、すでに中学校一年生の頃から知っていた。無論、 

詳しく知っていたわけではない。 

  だが、とにかく”エライ人”だという感じはあった。実は、中学校に入学した 

記念に父が、私に浩瀚な百科事典を買ってくれた。 

  その裏表紙に、聖徳太子や源頼朝と共に、中江藤樹の肖像画が載って

いた。それが、とても印象深かった。

                             Photo_14


  解説によると、藤樹は最初、朱子学を学んだ。だが、それが武士中心で

あり、身分秩序を重んずる形式主義に陥っていると考え、彼は、『孝経』

(孔子が、門弟の會子に「孝」を説いたとされる書)に基づき「孝」を道徳

の根源とする考えを展開した。 

  つまり彼は、朱子学があまりにも外面的な形式(礼儀)を重んじ過ぎてい

るのに不満を感じ、「身を離れて孝なく、孝を離れて身なし」と述べ、内面

的な「孝」を、すべての道徳の根本であるとした。

 

  しかし、藤樹の「孝」は、単に父母に対する孝養を意味するだけではない。 

それは、君臣・夫婦・兄弟・友人など、すべての人間関係において「愛敬

(あいけい:愛し敬うこと)」の実践を意味した。 

                    Photo_17


  また藤樹は晩年、その「孝」の奥に、人が生まれながらに持つ、”生き生き

とした知の働き”としての「良知」の存在を認めた。 

  それゆえ彼は、人が自らの心を正して、この生得的な“善なるもの”を、

実践によって発揮しなければならないとした。

                      


  内村鑑三は中江藤樹、とりわけ彼の「儒者」観に関して、次のように書い

ている。 

  「彼の教へに非常に特異なる一事があつた。彼は、弟子に於て、徳と人格

極めて尊重し、學問と学識を甚だ軽視した。 

  左に掲ぐるは、彼が眞の學者を如何なるものと考へてゐるかを示すもの

である、―『儒者の名は、徳にあつて藝にあらず、文學は藝なれば、もの

覺えよく生れ付きたる人は、誰もなりがたき事にあらず。 

  たとへ文學に長じたる人にても、仁義の德なきは儒者にあらず、たゞ文學

長じたる凡夫なり。一文(いちもん)不通の人なりとも、仁義の徳明らか

なる人は、凡夫にあらず、文學なき儒者なり』」(『代表的日本人』)

 

  この「儒者」とは、現代における「学者」である。だが、広い意味でこれは、 

藤樹の「人間論」でもある。この藤樹が、地元の近江で多くの子どもや貧し

百姓たちに伝えたのが、「人生の目的は利得ではない。正直である、

正義である、人の道である」という理念であった。

 

  我々日本人は今、この「正直さ」「人の道」を、ひどく軽んじてはいない

だろうか。親子間の「孝」だけでなく、あらゆる人間間での「愛敬(あいけい)

の精神」が希薄になっているように思う。 

  それだけに、単に金目当てで人を騙したり、安直に人を殺したりするよう

残酷な事件が多発している。 

  それゆえ私は、藤樹の「孝」の精神こそ、今に生きる我々が、最も再認識

すべき精神だと思うのである。  【つづく】

 

 

 

 

 

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