フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 本日の痛快ブログ(13 ) | トップページ | 徳冨蘆花の『謀叛論』(完) »

2013年8月 5日 (月)

徳冨蘆花の『謀叛論』(4 )

     【訂正】

    お早うございます。

   皆さん、お元気ですか?

   一昨日、皆さんへのご挨拶の中で、「お変わり

 ありませんか?」と書くべきところを、「お変わりあい

 ませんか?」と間違って書いてしまいました。

   些か、猛暑の影響を受けたようです(?)。

 いや、実は、当方の単なる不注意に由るものでした。

 謹んで、訂正いたします。

   尚、徳冨蘆花の『謀叛論』の続きは、次の通りです。


 もし、かような時にせめて山岡鉄舟(*下の写真と彼の書)がいた

ならば――鉄舟は忠勇無双の男、陛下が御若い時英気にまかせ

やたらに臣下を投げ飛ばしたり遊ばすのを憂えて、ある時イヤという

ほど陛下を投げつけ手剛(てごわ)い意見を申し上げたこともあった。

         Photo

            Photo


  もし木戸松菊がいたらば――明治の初年木戸は陛下の御前、三条、

岩倉以下卿相(けいしょう)列座の中で、面を正して陛下に向い、今後

の日本は従来の日本と同じからず、すでに外国には君主を廃して共和

政治を布(し)きたる国も候、よくよく御注意遊ばざるべくと凛然(りんぜん)

として言上(ごんじょう)し、陛下も悚然として御容(おんかたち)をあらた

め、列座の卿相皆色を失ったということである。

 

  せめて元田宮中顧問官(*下の写真)でも生きていたらばと思う。元田

は真に陛下を敬愛し、君を堯舜(ぎょうしゅん)に致すを畢生(ひっせい)

の精神としていた。

               Photo_3

  せめて伊藤さんでも生きていたら。 

――否、もし皇太子殿下が皇后陛下(*昭憲皇太后:下の写真)の御

実子であったなら、陛下は御考(おかんがえ)があったかも知れぬ。

  皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ

川水の心や民の心なるらむ」。 陛下の御歌は実に為政者の金誡である。

「浅しとてせけばあふるゝ」せけばあふるる、実にその通りである。


              Photo_4



  もし当局者が無暗に堰(せ)かなかったならば、数年前の日比谷焼打

事件はなかったであろう。 

  もし政府が神経質で依怙地(えこじ)になって社会主義者を堰かなかっ

たならば、今度の事件も無かったであろう。

 

  しかしながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つ

べき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢(なら)べている

連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する

忠臣もなく、あたら君徳を補佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇の

大切なる機会を見す見す看過し、国家百年の大計からいえば眼前

十二名の無政府主義者を殺して将来永く無数の無政府主義者を生むベ 

き種を播いてしもうた。

 

  忠義立(ちゅうぎだて)として謀叛人十二名を殺した閣臣こそ真に不忠

不義の臣で、不臣の罪で殺された十二名はかえって死を以て我皇室

に前途を警告し奉った真忠臣となってしもうた。

 

  忠君忠義――忠義顔する者は夥(おびただ)しいが、進退伺を出して

恐懼恐懼(きょうくきょうく)と米つきばったの真似をする者はあるが、

御歌所に干渉して朝鮮人に愛想をふりまく悧口者はあるが、どこに

陛下の人格を敬愛してますます徳に進ませ玉うように希(こいねが)う

真の忠臣があるか。 

  どこに不忠の嫌疑を冒しても陛下を諌め奉り陛下をして敵を愛し不孝

の者を宥(ゆる)し玉う仁君となし奉らねば已(や)まぬ忠臣があるか。

 

  諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。 

孔子は孝について何といったか。色難(いろかたし)。 

  有事弟子服其労(ことあればていしそのろうにふくし)、 

有酒食先生饌(しゅしあればせんせいにせんす)、會以是為孝乎(すな

わちこれをもってこうとなさんや)。行儀の好いのが孝ではない。 

 また曰(い)うた、今之孝者是謂能養(いまのこうはこれよくやしのうを

いう)、至犬馬皆能有養(けんばにいたるまでみなよくやしのうあり)、

不敬何以別乎(けいせざればなにをもってかわかたん)。

 

  体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。 

玉体ばかり大切にする者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一

の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはならぬ。 

  今度の事のごときこそ真忠臣が禍(わざわい)を転じて福となすべき

千金の機会である。

 

  日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、

日本で寛仁大度(かんじんたいど)の皇帝陛下がことごとく罪を宥(ゆる)

して反省の機会を与えられた――といえば、いささか面目が立つではな

いか。

 

  皇室を民の心腹に打込むのも、かような機会はまたと得られぬ。 

しかるに彼ら閣臣の輩(やから)は事前にその企を萌(きざ)すに由(よし)

なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる

機智親切もなく、いわば自身で下立てた不孝の子二十四名を荒れ出す

が最後得たりや応と引括(ひっくく)って、二進の一十(にっちんのいん

じゅう)、二進の一十、二進の一十で綺麗に二等分して――もし二十五人

であったら十二人半宛(ずつ)にしたかも知れぬ、――二等分して、格別

物になりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬(てご

わ)い頭だけ絞殺して地下に追いやり、あっぱれ恩威並(ならび)行われ

て侯と陛下を小楯(こだて)に五千万の見物に向って気どった見得(みえ)

は、何という醜態であるか。



  啻(ただ)に政府ばかりでない、議会をはじめ誰も彼も皆大逆の名に恐

れをなして一人として聖明のために弊事(へいじ)を除かんとする者もない。 

  出家僧侶、宗教家などには、一人位は逆徒の命乞いする者があって

宜(よ)いではないか。 

  しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽で破門したり

僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたもの

がないとは、何という情ないことか。

 

  幸徳らの死に関しては、我々五千万人斉(ひと)しくその責(せめ)を負

わねばならぬ。しかしもっとも責むべきは当局者である。 

  総じて幸徳らに対する政府の遣口(やりくち)は、最初から蛇の蛙を狙う

様で、随分陰険冷酷を極めたものである。

  網を張っておいて、鳥を追立て、引(ひっ)かかるが最期網をしめる、

陥穽(おとしあな)を掘っておいて、その方にじりじり追いやって、落ちる

とすぐ蓋(ふた)をする。 

  彼らは国家のためにするつもりかも知れぬが、天の眼からはまさしく

謀殺――謀殺だ。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

« 本日の痛快ブログ(13 ) | トップページ | 徳冨蘆花の『謀叛論』(完) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links