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2013年7月 1日 (月)

長與善郎の「内村鑑三」観(前)

  内村先生と神を信じない私

   兄に連れられて


  内村さんについては、今でも尊敬してゐるし、あれだけの人も滅多に

出るものではないとも思つてゐる。 

  そのくせ、その内村さんについてのぼくの追憶は決して豊かでなく、朧で、

しかもそれは既に再三書いてしまつたので、もう殆んど種切れである。

 

  今までに記さなかつたことゝいへば、過日渡米の折、アマースト大学を

訪れ、そこの若い総長であるコール氏が、この春、僕とすれちがひに日本

に来訪した折、日本で内村鑑三の名がかくもあまねく、それに反して新島

襄はそれ程ポピュラーでないことに一驚した。

 

  といふのはこの二人の基督教伝道者はともにそのアーマスト大学の卒

業生であり、在学の時代は一寸ちがふが、先輩の新島襄は多分日本最

初のミッション・スクールである同志社大学(*下の写真は、今日の同志社

大学)の創設者であつたといふので、その写真が幾人かの何か功労者の

写真に混つて、講堂にかゝつてゐる。

                       Photo

  そんなわけでか新島襄の名はアメリカに割合よく知られてゐるのに、

内村さんの名を知る者はそれ程多くないらしいからである。 

  もつとも内村さんには有名な「余は如何にして基督信徒となりし乎」の

英文著書もあることであるから、総長コール氏自身はその名くらゐは知

つてゐたかも知れないが、ぼくなども新島さんといふ名は疾うから聞いて

ゐたし、その大らかな温容にも写真では親しんでゐる。

 

  が、それ位のことにすぎないといふ理由はいふまでもなく、内村さんに

は多くの著書があるのに、新島さんには著書といふものがあるのか、

ないのか、もしあるとしても到底その点では内村さんの足許にも及ぶまい。 

  説教はいくらしてもその影響はそのとき聴いた者だけの範囲に止まるが、

筆の力といふものは、そう思へば大きい。

                           Photo_7


  ぼくが清沢満之(*下の写真:1863~1903)とか、綱島粱川(*1873~

1907:その下の写真)とかいふ人の著書と併せて、内村さんのものを読み、

強い刺激をうけたのは、何でもたしか学校では一級下の上田操といふ友

だちからすゝめられたか、何かしたのが、キッカケではなかつたかと記憶

する。

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  上田は学習院では秀才の方で、後年西田幾多郎(*下の写真:1870~

1945の女婿となり、永く判事を勤めた男で、今でもつき合つてゐるが、

内村さんとは一寸方角ちがひの美術の方で、ドイツ新理想画派とよばれ

たアルノルド・ベックリン(*下の肖像画:1827~1901)の画集に初めて僕

が接し、驚嘆、興奮して、これ又芸術の方へ導かれる一つの大きなショック

となつたのも、上田から借りたその画集(キュンストラース・モノグラフィエン

一冊)に負ふ所が少くない。

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  何か精神的な求道心といふものはあつたとしても、もともとクリスチャン

になれる柄でなく、内村さんの忠実なお弟子になれよう筈もなかつたに

拘はらず、その門をくゞつたのは、たしか二十一くらゐのときだつたが、

それは僕が最初読むことをすゝめたすぐ上の兄の岩永裕吉が、たまたま

一高での同僚に、新渡戸門下である内村信者のグループがゐたことから、

忽ちその一人として内村さんのお弟子となり、今度は僕がその兄から、

まあ会つてみろ、君のことはもう先生に話してある、といはれて、つれて 

行かれたこと。

 

  僕はお弟子入りのつもりはなく、たゞ尊敬する人だから、会へば何か得

る所はあろうといふ位の気持で行つて見た所、先生の方では兄と同様入

門しに来たものときめてとつてしまはれたのに、当惑した。 

  それでも内村さんの人の感じは他の者とはまるでちがふ甚だ好いもの

だつたし、自分がクリスチャンでないことにも別に確たる自信はなく、信者

になれるたちとは思はないながらも、もし内村さんと深く接し続けてゐる

中に自然にさういふ気持になり、又それが明かに自分のためにいいこと

であるなら信者になつていゝといつた、或る意味で利を愉しむやうな気持

で毎日曜柏木へ通いつゞけた。 【つづく】 (*下の写真は、長與善郎:

1888~1961)

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