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2013年7月 4日 (木)

海老名弾正の「内村鑑三」観(前)

  武士的基督教

 

  上州の空風

  大正六年の夏、御殿場の東山荘(*下の写真)で、内村君も避暑してを

り、私も避暑してをつたことがあつた。 

              Photo

  そして親しく会うて、種々(いろいろ)音楽のレコードを聴かせられたこと

があつた。

 其の折に内村君が言うたことに、「内村と海老名とは切つても切れない

縁があるものと見える、内村の名の出てくる処にはきつと海老名の名が

ある、海老名の名の出て来る処にはきつと内村の名がある、いつでもど

つちか一方が書かれると必ず他の方も出て来る、まことに切つても切れ

ない縁がある」と(*下の写真は、若き日の海老名弾正)

                Photo_2

  それは何も彼も爾(さ)ういふ訳ではないけれども、如何に内村と海老名

とは一種の切り離されない関係があつたかを語つてゐる。 

  それは二人が特別に親しい訳合ひで同気相求め同情相牽くといふ様に

性質を同じうしてゐたからではない。 

  却つて反対な性格であつた為に、対照するに都合が好かつたものと

見える。



  其の各々の生れ故郷を考へて見れば、内村君は群馬県高崎の上州人

である。 

 こゝは一口に言へば山国である。高崎は北、南、悉く連山に囲まれてゐ

る、それも余り遠くない。 

  ただ東の一方が拡がり武蔵の原まで来る訳合ひだ。海は見ようと思つ

ても見ることは出来ない。

 

  山は悉く有名な嶮岨(けんそ)な山であつて、西に妙義山、北から東にか

けて榛名、赤城の山々である。 (*下の写真は、上が榛名山、下が

赤城山)

           Photo_3



          Photo_4


  南の方に御荷鉾(ミカボ)山がある、相当に高い山であるが見たところ然

(そ)う高くはない。 (*下の写真は、東西の御荷鉾山 )

                      Photo_5


 川も平地の川でなく、何れも急流である。その中最も大きいのは利根川。 

  内村君は利根川には少年の折に行つたか行かなかつたかは知らないが、

余り遠くない。あの辺は急流である。 

  直ぐ傍に流れてゐるのが碓氷峠から流れて来る碓氷川。これも忽ちにし

て水が出るといふ様な山の川であつたから、人が流されることもなかつた

ではない。川が悉く急流であつて、山は峨々たる岩山であつた。これは一体、

上州人の気風を表はしたものである。此の天然であるが、内村君も丁度

上州の山川の様な性格をもつてをられた。

 

  また風、天気なども、非常に静穏であるかと思ふと、急に風立つて来るこ

とがある。 

 或は赤城颪(おろし)、浅間颪、榛名から吹きまくる風。これを上州の

空風(からつかぜ)といふ。朝は静かでも午から急に風立つて来る。 

  夜中に雨が降り出してこれは明日は如何かと思ふと朝になるとすつかり

霽(は)れてゐるといふ様な急激な変化をする。 

   斯ういふ中に育つた内村君は上州人の気分を最も多く持つてをつた所

の人であつた。 

 

  私は、海老名は、平地に生れ平地に育つた。有明湾に沿うた柳川(*

下の写真。二枚のうち下の方は、「柳川さげもん祭り:デジタル写真館」

より拝借)に育つた。 

                       Photo_6
         Photo_7


 山は遠方に大きな山を望むことが出来た。西には肥前の多良山、南に

は島原の温泉街、此の二つが最も大いなる山であつて朝に夕に興味をも

つて遥かに此の山々を見たものである。 

  遠方から見たのであるから岩や樹は分らない。曖々たる姿を見るだけで

ある。

 

 東北は山であつたが悉く遠く、一番近い処が二里位、遠い処は七里も

八里もある。 

 たゞ北の方に一つの大きな土堤を築いてゐる様に見えるくらゐである。

冬に、それを北山といつて、雪が積るのを見て寒さを知つた。 

  いつたい坂がない。十まで坂を登つたことがない。一番高い処は橋で

あつた。老人は橋を越えることを怖れた。

 

  有明湾(*下の写真)は広いが静かである。大風の時に波をあげ何処

其処の土堤を壊つたなどといふ話をきかせられた位のものであつた。 

  其の湾から南、温泉岳の南に広い海があることはきかせられてゐたが、

有明湾の静かな水を見て育つたに過ぎない。            

Photo_8


  私は平地に育ち比較的に静かな海に接したをつたのであつた。また

気候からいふと中々雨が多かつた。春雨が長かつた。 

  梅雨は一箇月も降り続いた。雨の降る前には二日も三日も降る催ほし

がある。 

 今日降るか今日降るかと思つても降らずに、五日も続くことがある。降り

出すと一日では済まぬ。これが上州とは非常な相違。 

  風は冬に西風が吹く。一年か二年に一回、大風が吹く。これは上州に

はない。私は此の気分と気質を多少受けてをつただろうと思ふ所がある。 

 

  内村君が海老名は決して腹を立てないと言つた。其の怒らないのが善い

ことにも悪いことにも言つた様であるが、内村君は怒り易い。それが上州の

空みたいなものである。私は有明湾の様である。

 

  内村君はガンガンと来る、併し直ぐ霽(は)れる。まことに淡白である。 

所が私は然うは行かぬ。怒れば長引く。直ぐ忘れることが出来ぬことが

ある。これが対照するには宜かつたかも知れぬ。

  学問の仕方も違つてゐた。内村君は科学者で科学もナチュラルサイエ

ンス(自然科学)の方をやつたが、科学には明らかに自分に自負心もあ

つた。そして頭脳(あたま)は簡単で明瞭であつた。


  私の方は神学をやつた者である。そして其れと近い哲学思想があつた。

或は歴史の方に考が及ぶ。内村君とは考へ方が違つた。

  爾(さ)ういふ処があるので、内村君と私とはウマが合ふといふとか何と

かいふのではない。あらゆる事に於て違つてゐた。どうも二人の議論を

対照しても、気象を比べても違つてゐた。

  対照する者から見て之は面白かつたであろう。丁度山水の様なもので

ある。内村君の山も富士山でなく赤城山位であつたろう。私の海も太平洋

でなく有明湾位なもの。併し兎に角、山と海との対照が描き出されたもの

である。 【つづく】
 

 

 

 

 

 

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