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2013年7月30日 (火)

徳冨蘆花の『謀反論』(3 )

  諸君、僕は幸徳君(*幸徳秋水:下の写真)らと多少立場を異にする

者である。

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  僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽(ことごと)く真剣

に大逆を行(や)る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。

 

  彼らの一人大石誠之助君(*下の写真)がいったというごとく、今度の

ことは嘘から出た真(まこと)で、はずみにのせられ、足もとを見る暇

(いとま)もなく陥穽(おとしあな)に落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。 


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  舌は縛られる、筆は折られる、手も足も出ぬ苦しまぎれに死物狂い

になって、天皇陛下と無理心中を企てたのか、否か、僕は知らぬ。 

  冷静なる法の目から見て、死刑になった十二名ことごとく死刑の

価値があったか、なかったか。僕は知らぬ。

 

  「一無辜(いちむこ)を殺して天下を取るも為さず」で、その原因事情は

いずれにもせよ、大審院(*下の写真)の判決通りに真に大逆の企

(くわだて)があったとすれば、僕ははなはだ残念に思うものである。

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  暴力は感心ができぬ。自ら犠牲となるとも、他を犠牲にはしたくない。 

しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を

喜ぶと同時に、彼ら十二名も殺したくはなかった。生かしておきたかった。

 

  彼らは乱臣賊子の名をうけても、ただの賊ではない、志士である。ただ

の賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為の志士である。 

  自由平等の新天新地を夢み、身を捧げて人類のために尽さんとする

志士である。 

 その行為はたとえ狂(きょう)に近いとも、その志は憐(あわれ)むべき

ではないか。

 

  彼らはもと社会主義者であった。富の分配の不平等に社会の欠陥を

見て、生産機関の公有を主張した、社会主義の何が恐い?  世界のどこ

にでもある。

 

  しかるに狭量神経質の政府は、ひどく気にさえし出して、ことに社会

主義者が日露戦争に非戦論を唱うるとにわかに圧迫を強くし、足尾

騒動から赤旗事件となって、官権と社会主義者はとうとう犬猿の間に

なってしまった。

 

  諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。

最上の政府は存在を忘れらるる様な政府である。 

  帽子は上にいるつもりであまり頭を押しつけてはいけぬ。我らの政府

は重いか軽いか分らぬが、幸徳君らの頭にひどく重く感ぜられて、とう

とう彼らは無政府主義者になってしもうた。無政府主義の何が恐い?

 

  それほど無政府主義が恐いなら、事のいまだ大ならぬ内に、下僚で

はいけぬ、総理大臣なり内務大臣なり自ら幸徳と会見して、膝詰(ひざ

づめ)の懇談をすればいいではないか。 

  しかし当局者はそのような不識庵流(ふしきあんりゅう)をやるにはあ

まりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。

 

  得意の章魚(たこ)のように長い手足で、じいとからんで彼らをしめつ

ける。 

 彼らは今や堪えかねて鼠は虎に変じた。彼らの或者はもはや最後の

手段に訴える外はないと覚悟して、幽霊のような企(くわだて)がふら

ふらと浮いて来た。 

  短気はわるかった。ヤケがいけなかった。今一足の辛抱が足らなか

った。 

 しかし誰が彼らをヤケにならしめたか。法律の眼から何と見ても、

天の眼からは彼らは乱心でもない。賊子でもない、志士である。 

  皇天その志を憐んで、彼らの企はいまだ熟せざるに失敗した。彼らが

企の成功は、素志の蹉跌(さてつ)を意味したであろう。



  皇天皇室を憐み、また彼らを憐んで、その企を失敗せしめた。企は

失敗して、彼らは擒(とら)えられ、さばかれ、十二名は政略のために

死一等を減ぜられ、重立(おもだち)たる余の十二名は天の恩寵に

よって立派に絞台の露と消えた。 

  十二名―諸君、今一人、土佐で亡くなった多分自殺した幸徳の母あ

るを忘れてはならぬ。

 

  かくのごとくして彼らは死んだ。死は彼らの成功である。パラドックス

のようであるが、人事の法則、負くるが勝ちである、死ぬるが生きるの

である。彼らはたしかにその自信があった。死の宣告を受けて法廷を

出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠で

ある。彼らはかくして笑(えみ)を含んで死んだ。

 

  悪僧といわるる内山愚童の死顔は平和であった。かくして十二名の

無政府主義者は死んだ。数えがたき無政府主義者の種子(たね)は

蒔かれた。 

  彼らは立派に犠牲の死を遂げた。しかしながら犠牲を造れるものは、

実に禍(わざわい)なるかな。



  諸君、我々の脈管には自然に勤皇の血が流れている。僕は天皇

陛下(*下の写真)が大好きである。天皇陛下は剛健質実(ママ)、

実に日本男児の標本たる御方である。 

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  「とこしえに民安かれと祈るなる我代(わがよ)を守れ伊勢の大神

(おおかみ)」。その誠は天に逼(せま)るというべきもの。 

  「取る棹(さお)の心長くも漕ぎ寄せん蘆間小舟(あしまこぶね)さはり

ありとも」。国家の元首として、堅実の向上心は、三十一文字に看守

される。 

 「浅緑り澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」。

実に立派な御心(おんこころ)がけである。

 

  諸君、我らはこの天皇陛下を有(も)っていながら、たとえ親殺しの

非望を企てた鬼子(きし)にもせよ、何故にその十二名だけ宥(ゆる)

されて、余の十二名を殺してしまわなければならなかったのか。 

  陛下に仁慈の御心がなかったのか。御愛憎があったか。断じて然

そう)ではない―たしかに輔弼の責めである。

 

  もし陛下の御身近く忠義の臣があって、陛下の赤子(せきし)に差異

はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し

下されて、反省改悟の機会を御与え下されかしと、身を以て懇願する

者があったならば、陛下も御頷(おんうなず)きになって、我らは十二名

の革命家の墓を建てずに済んだであろう。 【つづく】

 

 

 

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