フォト
2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 岩波茂雄の「内村鑑三」論(後) | トップページ | 徳富蘇峰の「内村鑑三」観(後) »

2013年6月28日 (金)

徳富蘇峰の「内村鑑三」観(前 )

  必ず後に伝わる人

  不思議な縁

 私は内村先生とは、不思議な縁があってね。同じ学校にいたのだ。 

これは先生の晩年、先生にいわれてはじめてわかった。 

  何でも「私の所に君がクラスのビリだった書きつけがある」という話だった。 

「それでは今度見せてください」といったままで、とうとう見ずしまいに終わっ

てしまった。私がその東京英語学校にいたのは、明治九年の秋だ。



  私と内村さんとの関係はいろいろといわれるけれど、内村さんの私に対

する考え方が変ったので(=のに対して)、私の内村さんに対する考え方

は終始一貫して来たつもりだ。

 

  内村さんを始めて知ったのは新島先生(*下の写真)を通じてであり、

新島さんは内村の学識、人物、気骨に惚れこんで、何とか同志社に呼び

たかったらしい。

                                 Photo_11

  だが内村さんはガンとして応じなかった。その頃から内村さんという人を

私は記憶していた(*下の写真は、若き日と後年の徳富蘇峰)。

                            Photo_12
            
            Photo

  私は文久三年生れ。内村さんは五つくらい上だと思っていたよ、そうか

ね一つ上かね。すこぶる俊才だったわけだね。 

  内村さんは吾々の歩まない世界をあるいて来た人だ。動物とか植物と

の専門で、それをやり通せば世界に名をあげるだろうという話を聞いていた。 

  それに強烈なクリスチャンで己の主張を徹底して、一歩も譲らない人だと

いうことも聞いていた。その頃、内村さんと膝を交えて話したことはない。



  内村さんは天才だと思った。大したものだと思った。心ひそかに尊敬して

いた。ただ私どもから見れば自分が世界を一人でこしらえて、その中で物を

云っている男で、一口に云えばカーライル(*下の肖像画)のような男だと思

った。 

            Photo_16

  私は内村さんと立場も違ったが、云い方は悪いが、内村さんを一生保護

したといおうかね。いや保護したものだよ。

 

  だから私の書いたもので内村さんの悪口を云ったものは一つもないつも

りだ。そうだろう。私は心で本当に尊敬していた。 

  私は天才でなくて天才の風をしたり、国を愛する心がなくて愛国者のよう

な顔をしたり、そういう「偽」というものが嫌いだった。

 

  内村さんにはそういう「偽」という所は少しもなかったね。そりゃ内村さん

はしたい放題のことをしたり、いいたい放題のことを云ったりしていた。 

  それで友人、親戚にずいぶん迷惑をかけたらしいが、私のみたところに

よると、最も多く自分自身に迷惑をかけたんじゃないかな。

  私は自分では天才だと思っていないが、内村さんはたしかに天才だった

と思う。



   一番私と内村さんと心があったのは明治二十七、八年の日清戦争の頃

だった。 

  日清戦争を内村さんがギリシャとペルシャの戦争にたとえた文章を書か

れたが、これは内村の一世一代の風雲を動かしたものだ。 

  何といっても内村さんは非常な天才だね。クリスチャンであってニーチェ

(*下の写真)のような所があった。


                                Photo_13


  お子さんは精神病のお医者さんだそうだが、内村さんにはまあ、息子さん

病院に入れなければならないようなところがあったね。 

  内村という人は、クリスチャンを以ってはじまり、クリスチャンをもって終っ

た人で、クリスチャンとして一貫した脊椎骨をもっていた人だ。

 

  私などと内村さんとのちがいは、まあクリストに対する態度がちがうわけ

で、内村さんのクリストに対する態度は高山彦九郎(*下の写真:1747~

1793:江戸後期の勤皇思想家、吉田松陰をはじめ幕末の志士と呼ばれる

人々に多くの影響を与えた。二宮尊徳や楠木正成と並んで、戦前の修身

教育で取り上げられた人物)の天皇さんに対するようなものじゃないかな。

           Photo_14

 クリストを本当に見たものは内村一人といっても差支えないのじゃないか。
 

新渡戸稲造(*下の写真)という男があるが、これも内村さんに比べればあ

る程度、いい意味の俗物だといっても差支えない、これも一種優れたものを

もっていたにはいたね。 【つづく】

            Photo_15



 

« 岩波茂雄の「内村鑑三」論(後) | トップページ | 徳富蘇峰の「内村鑑三」観(後) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links