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2013年6月25日 (火)

岩波茂雄の「内村鑑三」観(前)

  内村鑑三は、1861年(万延2年)の生まれです。それで、一昨年(2011年)、

彼の生誕150周年を記念して、優れた研究書『内村鑑三』(藤原書店:下の

写真)が出版されました。

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 その内容は、ひじょうに示唆と含蓄に富んでいます。本日は、その中か

ら、岩波茂雄氏(岩波書店の創立者:下の写真:1881~1946)の「内村鑑

三」論について掲載させて頂きたいと存じます。

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  岩波茂雄氏の他、様々な人々の回顧の中に、きっと内村鑑三の人柄が

偲ばれると思うのです。(*今回は、旧字体のまま、転載いたします。)




    真に国を憂う「非国民」




  伊東から熱海までの随行



 私は中学を終つた明治三十三年の夏を郷国信州の小諸(*下の写真は、

今日の小諸)の伊藤長七氏の寓居で過した事があったが、内村先生の講

演があるといふので小諸から上田まで出かけて行つて聴衆の一人となった。

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  何の話をされたか覚えてゐないが、先生の謦咳に接したのはこの時が

始めてであつたと思ふ。

  それからその年の暮伊豆の伊東(*下の写真は、今日の伊東市と温泉

旅館やまだや)に静養して居つた時に先生が来られ、温泉旅館山田屋で

講演されたのを聴きに行つた事がある。

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  その時は深い感動を受けたとみえ、教育上に関する事柄で今なほ記憶

に残つてゐるものがある。 

  翌朝先生は徒歩で熱海に行かれるといふので私は熱海まで荷物を持つ

てお送りした。其の時佐藤武雄氏も随行者として一緒であつた。 

  天気のよい日で途中峠の茶屋で休んだ時茶代に銅銭を出して老婆に

やつた事や、北海道の自然は大陸的であるといふようなお話の出た事を

忘れない。
 

  丁度熱海に着いたのが昼頃でその辺の宿屋の二階で牛肉をいたゞいた。

私が非常に恐縮し御馳走を遠慮したのに対し先生は人足を頼んで来たと

すれば云々と言はれた。 

  先生が私を気の毒がらせまいとして言はれたに相違ない此の言葉に、

驕慢なる青年であつた当時の私は虫がをさまらなかつた。
 

  自分が先生に随つてきたのは先生を敬慕する余りの純情そのものであ

つて、伊東より熱海までの間先生に親炙(しんしゃ)して来たといふその事

に絶大の光栄と喜びを感じてゐたから、御馳走になるその事は勿体ない

やうな気がして遠慮してゐたのに、先生の御言葉は当方の心持を一向汲

まず人足扱ひされたと誤解したのである。 

  それで後から先生に手紙を差上げ憤慨の心持を率直に訴へ、今後先生

に師事しないと言つてやつた。


  ところが先生から懇切なる手紙が来て更に先生とお会ひする事となり、

感情問題はこゝに解消して私はそこで先生の日曜講演に出席する特権を

与へられたのである。 

  これを機会として毎日曜先生の所へ通ふやうになつた。 

その頃集つた人々の中で記憶に残つてゐる者は、小山内、倉橋、中村、

畔上、若林、田中、志賀、黒木等の諸氏である。

  当時のお宅は角筈の今の浄水場の側の櫟(くぬぎ)林の中にあつた。

今の内村博士(*下の写真)祐さんと言うてほんの子供であつた。


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  集つた者にそれぞれ先生は聖書の中の愛誦の句を言はせたこともある。

自分は旧約にある「義しき者になやみなし」などと言つた覚えがある。

 この頃の志賀直哉氏などの流暢でない祈りも思ひ出される。

  どの位の期間行つたかは覚えてゐないが、行かなくなつた後も『聖書之

研究』だけは毎月読むことを楽しみとし最後の巻まで怠らなかつた。

  研究誌は三十一号から購読し始めたことを覚えてゐるが一号より三十

号迄は先輩の木山熊次郎氏のものを借りて通読し、又先生の著書も一通

りは読んだ。

  此の木山氏は先生の尊敬者で私に先生の偉いことを説き、其の著書を

読むことをすすめた人である。

  今生きて居るとすれば相当社会になくてはならぬ人となつたと思はれる

人で早くなくなられたのは惜しい事をした。木山氏の如く個人的に先生に

会はない方で先生の理解者である人は限りなくあると信ずる。

  私は定つた聖書の講義などよりも先生の感想などに興味を持ちその中

には暗記したものも多くあつた。

  自分が本屋をやるようになつてからも卑俗なる雑誌などは売れるといつ

ても店に陳列することをさけ、『聖書之研究』は毎月出来毎にその看板を

立てる事にして居つた。又先生の著書は纏めて陳列した事もあつた。

先生も稀に店に見えられた(*下の写真は、創業時の岩波書店

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 或時一時先生を柏木にお訪ねしたが、先生は神田の基督青年会にて

講演を承諾しないのに自分が講演をする如く宣伝され迷惑せられる事を

訴へられたので、私がこれを御引受けして当事者に談判し、即時に講演

の立札にある先生の名をぬりつぶさせ、なほ「小生今夕青年会館に於て

演説すべしとの約束を為さず    内村鑑三」と書いて店の前に立看板を出

した事もあつた。

  その先生自筆の下書は今なほ手許に保存して居る。先生は藤井武君に

この事について、岩波は勇敢な男であると云はれた、と同君が笑つて語

られたことがある。 【つづく】

 

 




 

 

 

 

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