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2013年6月21日 (金)

内村鑑三(33 )

  信仰義認


 ロマ書第一講で鑑三は述べている。 

「十字架のキリストを仰ぎ瞻(み)る事に由て義とせられ、復活せるキリスト 

を仰ぎ瞻る事に由て聖(きよ)められ、再臨すべき彼を仰ぎ瞻る事に由て 

栄化せられる。

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一として自己の功、行、積善、努力に由て達成せらるるものはない。 

  凡(すべ)て凡て彼を信ずる信仰に由り、彼の遂げ給いし功に由り、ただ  

偏(ひと)えに彼を信受し、彼に信頼し、彼を仰ぎ瞻る事に由りて我等は義 

とせられ、また聖められ、又栄化せしめらる」

 

  このことを伝えるのがロマ書の目的であると言っている。前に述べたよ

うに、鑑三が再臨信仰を唱えたのは、人間の行為主義を徹底的に否定す

ることでもあった。 

  それには、当然、自己の功や、行や、積善や、努力によって義人と認めら

れるのではなく、信仰によってそれの認められる思想が前提となる。

  この前提となる信仰義認の思想を学ぶため、最適の書簡が、ロマ書

あったのだ。



  信仰義認という思想が、人類の思想史に与えた大きな福音の一つは、

差別観の打破であった。 

  鑑三は、ロマ書三章二二節に関して述べる。 

  「国籍の区別なくして人は信仰だけを以て―如何なる良き民族の人にて

も悪き民族の人にても―義とせらると主張するのである。 

  そして国籍の区別に止まらない。老若男女の区別もなく、学者無学者の

区別もなく、智者愚者の区別もなく、富者貧者の区別もない。更に進んで 

義人と罪人の区別もなく、善人と悪人の区別もないのである」

 

  こういう見方が、律法主義、行為主義に対し福音主義、信仰主義と呼ば

れるものである。 

  壮大な建築物にたとえたロマ書の、鑑三による連続講演が、ひとつの

クライマックスに達するのは、八章二二節にある「万の受造物(よろずの

つくられしもの)は今に至るまで共に歎(なげ)き共に労苦(くるし)むこと

あるを我等は知る」のところである。



  鑑三は、神を知る手がかりとして、若いときから聖書と歴史と天然の

三者を数えていた。 

  その天然は、北海道の大自然(*下の写真)のように、腐敗した人間

世界とは対照的に、美しく讃えられる存在として想われてきた。ところが、

しだいに、天然もまた人間と同じく腐敗した存在とみなされる。

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  「実に人類の堕落は地の堕落を惹き起こした」と言うように、人間の好戦

心、利慾心、企業心が、石炭や石油などの地下資源の濫用となり、地の

堕落をさそったのは明瞭だとみる。

 

  救済を求めているのは人類だけでなく天然も同じであり、宇宙にある万

物がこぞって、苦悶のうめき声を発しているのだ。しかし、それは、産みの

苦のうめき声であり、新しい宇宙の完成を迎えようとする希望の苦である

ともいう。




 有島武郎



  一九二三年に入ると、鑑三の終末的世界観をかきたてるような事件が 

二つ起こった。

 一つはかつての愛弟子有島武郎の心中自殺であり、もう一つは関東大

震災である。

 

  有島武郎(*下の写真)は、この年六月九日、人妻の波多野秋子と軽

井沢で心中をとげ、その遺体は七月七日に発見された。 

  これを聞いた鑑三は、さっそく『万朝報』に「背教者としての有島武郎氏」

を掲げた。

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 鑑三の文章は、一時は自分の後継者とまで思っていた有島が、背教後

も、いつかたち返る日のあるのを常に待ち望んでいたことを切々と述べ、

その死の原因を、心中深いところの空虚より生じた「コスミックソロー(宇宙

の苦悶)」とみるものだった。

 

  旧師としての情愛に溢れる一文であるが、同時に、自殺したこと、しかも

夫ある女性との死のかたちをとったことにつき、烈しい怒りを表白したもの

だ。 

  背教によって神を馬鹿にした者は神から馬鹿にされる。有島の死に、

そんな「近代人」の悲劇を見出している。



  有島の死の報せが届けられて、一週間後の七月一五日、柏木の聖書講

義で鑑三は「神は侮るべからず」と題した講演をおこなった。 

  そのなかで鑑三は、神は忍耐深くて、そう簡単には怒らないが、ときに

は神に背いて得意でいる者に、手痛いさばきを下すと語った。

 

  その予言を的中させるかのように関東大震災が起こったのは、それから

まもなかった。 

 震災直後の九月十日付で発行された『聖書の研究』に、鑑三は「神は侮

るべからず」の講演を載せ、それが、有島事件の後で、大震災の前に語

られたものであることを、わざわざことわっている。

 

 

  関東大震災



  関東大震災が起こった九月一日、鑑三は、長野県沓掛に滞在中だった。
 

強震を感じ、東南方面に火炎のあがるのを見た。東京に大激震のあった

ことを夜になって知らされて家族のことが案じられ、翌二日帰京した。 

  柏木の聖書講堂も家屋も、さいわい被害は軽少であったが、過去四年

の間聖書講演をおこなってきた大手町の大日本私立衛生会館は、倒壊

のうえ消失した。

 

  関東大震災を経験した鑑三の最初の感想は、『主婦之友』の十月号に

「天災と天罰及び天恵」として掲げられた。 

  これを読んで気づくのは、鑑三が、この大地震を、短絡的に神によって

惹き起こされたものとはみていないことである。 

  地震そのものには正義も道徳もなく、たとえ東京に一人の悪人がいな

くても地震は起きるべき時に起こったに相違ないと、まず言う。




  すなわち鑑三は、関東大震災を、有島事件とその讃美という、世間の

堕落した風潮と結びつけはするが、両者の直接の結合はしていない。

意外にさめている。

 

  「無道徳の天然の出来事はこれに遇う人に由て、恩恵にもなり、また

刑罰にもなるのでありますとの言葉で示されるように、そこに、神の語ら

んとする意味をくみとらんとしているのだ。

 

  関東大震災は、東京市民の堕落に対して下された刑罰であると断定す

るのでなく、刑罰にあたるものと鑑三は意味づけるのである。 

  当然、関東大震災は終末ではなく、終末の「模型」である。もちろん

「模型」によって、人は終末にそなえることを学ばなければならない

(「末日の模型」)。



  この関東大震災を、そのまま天罰とみるか、それとも天災にすぎない

が、そこに意味を認めるか、ということは、よほど鑑三を悩ませたらしく、

くり返しとりあげている。 

  若き日に一度は科学者になることを志した鑑三には無理からぬ問い

である。 

 再臨運動を非科学的と評した反対者に向かい「蛙一匹解剖したこと

のないものにはわからない」と広言したこともあった。

 

  他方、いわゆる「再臨狂」からは一線を引いていたので、大震災を即座

に天罰とみることは許されなかった。

  病気を例にして鑑三はたくみに説明する。病気を治すのは生理学的方

法によるが、それだけでは人生は足りない。人間は病気にかかった摂理

上の意味を求めようとする。

 

  そこになんらかの警告を読みとり、同一の病気の別の原因の除去をは

かる。そうすると、そのことが生理学的な病気にも好結果をもたらすことが

ある(「理学と信仰」)。 

  この病気を震災に置きかえれば、ほぼにたことがあてはまると考えたの

だった。  【つづく】

 

 

 

 

 

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