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2013年6月20日 (木)

内村鑑三(32)

   ロマ書の講演


   民族自決



  再臨信仰により、人類は年とともに進歩するとの観念をくつがえし「人道

の事においては人類はたしかに年と共に退歩しつつある」(「基督再臨を

信ずるより来りし余の思想上の変化」)、とまでみるようになった鑑三である。

 

  第一次世界大戦が終わり、国際連盟が成立しても、それによる平和の

維持には懐疑的な感想をもたらすのみだった。 

  「国際連盟まさに成らんとす。然れども成るも成らざるが如し。これに由 

て世界の平和は来らない。戦争は止まない。死と罪とは依然として存し、 

この世は依然として涙の谷、死の蔭、非哀(かなしみ)の里である。のみな 

らず暗黒は滅することなくしていよいよ増しつつあるように見える。  

  縦(よ)し国家的戦争は止むとするも、階級的戦争は始まり、而して後者 

の残忍なる、到底前者の比ではない。

 

  中欧同盟は斃れて拉典(らてん)同盟は起こらんとし、民族自決主義は 

愛蘭(アイルランド)に、埃及(エジプト)に、印度(インド)に騒擾(そうじょう) 

を生んで止まず。  

  世界戦争に由て解決せられし問題よりも優(はるか)に多く、戦争後の 

世界は戦争前のそれよりも遥かに危険である(「連盟と暗黒」)。

  (*下の写真は、国際連盟本部と、その議場)

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  第一次世界大戦は終わっても、戦争が残したものは、戦前よりもはるか

に危険な世界とみる。ことに、階級的戦争と民族自決主義のはらむ二つの

大きな緊張をあげているのは、なかなか鋭い史観である。

 

  鑑三は、日本国はもとより、個人個人の独立についても日ごろから力説

していたが、他民族の独立にも同じような関心をはらっていた。なかでも隣

の朝鮮民族の心情には深い理解を寄せていたといってよい。

 

   朝鮮

  日清戦争で「義戦」を唱えたのも、朝鮮に対する義侠心より出たもので 

あったが、 一八九五(明治二八)」年に閔妃(びんぴ

(*下の写真)が暗殺されたときには、これを朝鮮に

における日本人の大失敗とみて、ただちに筆をとっ

て「時勢の観察」を書いている(発表は翌年)。


                      Photo

 
   『万朝報』の英文欄主筆時代には、台湾で罪なき人々の血が流されて

いることを摘発する一方、朝鮮の幸福と独立とを第一としなかった日清戦争

の終結が、朝鮮を結果的に別の隷属に追い込んだことを追及している。

 

  このあと在日東京朝鮮キリスト教青年会総務として一九○六年に来日した

金貞植とは、とくに親交を結び、朝鮮に対する認識を深めた。

  この年の夏に千葉県鳴浜で開かれた夏期懇話会で、日本人が朝鮮にし

ていることを罪悪とみ、次のように語った。 

  「朝鮮の為に一滴の涙をそそぐ新聞記者は日本には一人もいない。国民

にも多くはあるまい。日本人の無情を証して余りある(『内村鑑三談話』)

 

  一九一○年の日韓併合にあたっては、国を取って喜ぶ日本とは反対に、

国を失って悲しむ民に思いを寄せ、日本が結局は領土を増大して霊魂を

失ったことを嘆いている(「領土と霊魂」)。

 

  その翌年起こった一○五人事件(いわゆる寺内総督暗殺陰謀事件)では、

朝鮮にいた金貞植の紹介で鑑三を訪ねてきた林鐘純の口から実状を知

った。 

  このことを鑑三が『コーベ・クロニクル』のR・ヤングに伝えた結果、同紙

には事件が精力的に報道されることになる。



  東京の朝鮮キリスト教青年会の青年たちを対象にして、少なくとも一九

一五年五月、一九一七年四月、一九二二年三月の三度の講演をおこなっ

ている。 

  前二回の講演では外面的合同と異なる真の合同につき語ったが、後の

講演後の日記では朝鮮人には信仰問題より独立問題の方が関心がある

らしいとの言葉を洩らしている。

 

  朝鮮人留学生のなかから、鑑三の聖書研究会に出席する青年たちも

少なくなかった。東京高等師範学校に学んでいた金教臣(*下の写真)

や咸錫憲たちである。

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  鑑三の教えをもっともよく解しているのは朝鮮人学生であること、日本人

は朝鮮人に学ぶことが多くあること、鑑三のもとに九年間学び、感謝して

帰国する朝鮮人学生を見送って、このことだけでも聖書研究会をしてきた

かいがあること、などが、鑑三の日記のあちこちに書きとめられている。

 

  鑑三の朝鮮および朝鮮人観は、この時代のなかでは、卓越したものだ

った。それにもかかわらず、いくらか日本人としてのナショナリズムに色づ

けられていたことも否めない。鑑三のもとに集まった朝鮮人学生たちは、

その愛国的信仰心からも影響を与えられたのだった。

 

  金教臣、咸錫憲、宋斗用らの青年たちは、帰国したのち、一九二七年に

雑誌『聖書朝鮮(*下の写真)を創刊して、朝鮮での無教会主義キリスト

教の集会を開始した。


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   ロマ書



  金教臣が、鑑三の聖書研究会にはじめて出席したのは、一九二一(大正

一○)年一月一六日のことであるが、ちょうどこの日から、聖書研究会では

ロマ書の講義が開講された。

  ロマ書の講義は、一九二二年十月二二日までの全六十回つづけられた。

講演としては、もっとも長期にわたる大連続講演となり、のちに分厚い単行

本『羅馬書の研究(一九二四年:下の写真)として刊行された。

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  再臨運動のあと、鑑三が、聖書研究会で語ってきたのは、旧約聖書の

モーセの十戒、ダニエル書、ヨブ記であった。これらはいずれも神の義を

語ったものである(*下は、預言者ダニエルとヨブ)

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  神に背を向け、人間のみの自足的な文明にはしる近代人に対して、

神によらない文明の末路を描き、同時に、人間が神によるとはどういうこ

とかを述べたものであるといえよう。

  これについで開始されたのが、新約聖書のパウロの書簡であるロマ書

であった。

 ロマ書の中心は「義人は信仰に由りて生くべし(一章一七節)とある

ように、人の救済は善行によるのでなく、ただ信仰のみによるとの信仰

義認の思想にあった。

  これは、あのアマスト大学時代にシーリー総長の導きによって見出され

た古い、古い信仰である。

  再臨運動にたずさわって、鑑三にわかったのは、自分のことを棚に

あげて、やみくもに再臨運動を高唱する信者のあまりにも多いことだった。

  そこには、再臨運動自体が一つの善行と化す危険がみられた。そのた

め、鑑三には、あたかも楕円形の二つの中心のように、キリスト教の二大

教義として、十字架のキリストを仰ぎ見る信仰と再臨信仰とを、一体として

あわせ説く必要が生じたのだ。  【つづく】



 

 

 

 

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