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2013年6月18日 (火)

内村鑑三(31)

   再臨運動

 

  前々から再臨信仰を説いている東洋宣教会ホーリネス教会の中田重治

(じゅうじ:下の写真)、日本組合キリスト教会の木村清松と語り合い、

鑑三は三人で新年よりキリスト再臨運動を起こすことにした。


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  いよいよ一九一八(大正七)年一月六日、鑑三たちは、聖書の預言的研

究演説会を神田の東京キリスト教青年会館で開催し、再臨運動の幕は

切って落とされた。

 

  この日鑑三が語ったのは「聖書研究者の立場より見たる基督の再来」で

ある。 

 鑑三は話のなかで、教会をはじめとする平和主義者や社会主義者の

努力によっては、地上に平和のこないことがわかり、その事業を完成する

のはキリストであること、まさにこれが聖書の中心的真理である。

  再臨の希望の書として聖書を読むとき、聖書の一句一句がみな躍動し

くると説いた。

 再臨信仰にいたったことは、鑑三の信仰の生涯を三段階に分けてふりか

えらせた。 

  第一段階は、札幌農学校における入信であり、それはキリストのもとへ

の招きであった。 

  第二段階は、アマスト大学での回心であり、それはキリストによる贖罪を

信ずることにより、罪から解放されることであった。 

  第三段階が、再臨の信仰である。これにより、罪から解放はされたが、

この世では、その栄光は訪れず、それが再臨の世において与えられるこ

との希望を持つことである(「信仰の三段階」)。



  この意味で再臨運動は二重の性格をあわせもっている。第一は、文字

どおり、キリストの再臨を待望するという希望の信仰である。 

  信仰と愛のみでなく、信、望、愛の言葉が語るように、キリスト者にとり

もう一つの重要なものである希望が強調されていることである。 

  第二は、現世を人間の行為によって究極的に改めることができるという

思想を、まったく断ち切ったことである。 

  ここにいたって、はじめて、鑑三の心のなかに、かすかながら残されて

いた行為主義の要素が払拭されたといってよい。

 

 

  再臨の世

 

  ここで、しばしば問われるのは、それでは現世での事業とか伝道とかの

行為は、どれも空しいことなのかということである。鑑三は言っている。 

もしも再臨による新しい世界の訪れがないなら、その方が空しい。再臨 

とともにはじまる新しい世界で、現世での仕事が神によって完成されると 

思えば、ずっとはりあいが出るのだ

 

  それまでの鑑三の思想との相違は、次のようにまとめられるかもしれない。 

  鑑三は、それまでも神に導かれない人間の行為により、現世が改めら

れ、平和がもたらされるとは、もちろん考えなかった。 

  従来は、神に導かれた人間により、もしかすると、現世が改められ、平和

がもたらされるという、栄光を見ることができるのではないかと思っていた

のだ。 

  ここで神の栄光をあらわす人間は、たとえ神の器として働いたにすぎな

くても、その人に栄光のあらわれたことは認める立場だ。



  ところが、再臨の思想では、いかなる人間でも、現世では神の栄光を、

結局はあらわすことのできる存在とはみなされない。 

  したがって人間は、どれほど信仰の厚い人でも一片の栄光すらあらわ

すものでなくなる。鑑三の達した第三の段階とはこの段階である。

 (*下の写真:再臨運動を共にした中田重治、内村

鑑三、木村清松  〔左より〕)

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  この段階のもたらした思想こそ、人間を、それが現世的行為はいうまで

もなく、信仰的な行為であっても、その多寡によって価値をつけない思想

である。行為主義の否定の徹底である。 

  鑑三の再臨信仰は、聖書の見方や、講演の内容、運動の進め方に、

やや批判される余地もあるにはあったが、行為主義を徹底的に否定した

人間観のうえでは、その生涯でもっとも高くて深いところに達したものとい

えよう。

 

 

   伝道旅行



 聖書の預言的研究演説会は、第一次が一月から三月まで東京キリスト

教青年会館、第二次が日本基督教希望団の名で、四月から五月まで

三崎町のバプチスト会館でおこなわれた。

   この間、大阪、京都、神戸へ、二度にわたり再臨運動の講演旅行に出

かけている。 

 六月から七月の約一か月間は北海道に再臨信仰をひっさげて伝道旅行、

このほか秋にかけて、福島県、宮城県、山形県、岡山県へと目まぐるしく

東奔西走の伝道旅行がくり拡げられた。

 

  柏木の聖書研究会では、そのなかにつくられていた教友会、エマオ会

(柏会の後身)、白雨会などが、鑑三の再臨運動に協力するため、合同し

て柏木教友団を結成した。 

  秋からの聖書講演会も場所を東京キリスト教青年会館に移しておこな

われることになった。

 

  鑑三は、ムラの隠者から、一躍、マチの預言者へと変貌したのだ。この

講演会には数百人の人々が参集し、『聖書之研究』は発行部数を五、

六千部に増大した。  確かな手応えが充分あったとみてよい。



  手応えが大きかったことは、それだけ強い反発も招いた。とくにキリスト

教界は、これを冷淡視した。その結果、これまで鑑三が聖書講演会の

会場としていたキリスト教青年会館を、同青年会の役員小崎弘道(*

下の写真)らの圧力で追われることになって、会場を丸の内の大日本

私立衛生会講堂に変えなければならなくなる。

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  会場を追われたのにもかかわらず、かえって鑑三の気勢は上がった。

「福音丸の内に入る」と称し、キリスト教が皇居と直面する日本の中央部

で語られるようになったのを喜んだ。 

  日本のキリスト教会のなかでもっとも多数の聴衆を集めていることに、

若き日の夢が大きく実現した感慨にひたっている。



  ただし、このころからしだいに、熱狂的な再臨信仰の人たちとの協同

運動からは手を引くようになった。 

  また弥次馬のような群衆が、講演中に出入りしてやまない、騒々しい

集会のやり方を改めた。





 
  再臨信者

 

  脱皮をはかったかいがあって、鑑三の聖書講演会は、多勢集まりながら

実に静粛な集会となった。 

  当時の会員の思い出によると、会場の最前列には、何十台ものベッド

が並べられる。身体障害のある人たちが、そこに臥して講演を聞くため

である。

 

  鑑三の講演が終わり最後の祈りが済むと、人々は黙って席を立つ。

外に出ても、しばらく沈黙がつづいたままである。それは、あまりにも感動

が強く、声が出なかったことによるという。

 

  再臨運動そのものは、事実上、会場の大手町移転をもって終了したと

みられるが、再臨信仰は、最後まで持ちつづけた。 

  鑑三の日記から拾うと、一九二五年三月二四日には、A・シュバイ

ツァー*下の写真)の『基督教と世界の諸宗教』を読み、「再臨信者は

アルベルトシュバイツェルを味方として有して、強力な援軍を感なき能わ

ずである」と言っている。

                               Photo_2

  同年五月二十日にはカール・バルト(*下の写真)のキリスト教観を

述べた評論に接し、「批評家はこれを“危機の神学”と称するも、これを

“再臨神学”と称してよかろう」と考えた。

                          Photo_3


  一九二九年十一月一日の日記には、「世界最大の科学的哲学者なる

ニュートンと仏国のパスカルのキリスト再臨の信仰について読み大いに

この事に関する自分の信仰を強められた」と記している。

 

  シュバイツァアーも、バルトも、ニュートンも、パスカルも、いづれも再臨

信者とされている(*下の肖像画は、ニュートンとパスカル)


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  没後刊行された『聖書之研究』の最終号には、その前年(一九二九年)

に執筆された「再臨提唱の必要」という一文が収められている。 

  再臨運動は止めても、再臨信仰は終生抱きつづけられたのだった。

【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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