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2013年6月 8日 (土)

内村鑑三(24 )

  絶対的非戦


  聖書の言葉との出会いは、「平和の福音(絶対的非戦主義)」の冒頭

に掲げた次の二つの聖句でも知られる。 

  「平和を求むる者は福(さいわい)なり。その人は神の子と称(とな)えら

るべければなり」馬太〔マタイ〕伝五章九節) 

  「イエス彼に曰いけるは、爾(なんじ)の剣を故処(もと)に収めよ、凡て剣 

を取る者は剣にて亡ぶべし(同二六章五二節)

 

 Photo_6


  「余が非戦主義者となりし由来」のなかでは、鑑三は、非戦主義者とな

った四つの理由をあげている(*既述)

 

  第一にあげているのが聖書の研究である。とくに新約聖書を全体の

精神からくみとるとき、戦争はいかなる意味においても肯定することは

できなくなったと言っている。 

  第二にあげているのが数年前、ある人たちの攻撃にあったとき、我慢し

て無抵抗主義を押しとおし、それがよい成果をもたらしたという「生涯の

実験」による。

 

  この「攻撃」とは、もちろん、東京独立雑誌社社員によるものである。

  鑑三の「実験」をさらにさかのぼると、徳富蘇峰の就官を「変節」と非難

したとき、街頭で山路愛山(*下の写真)から殴打されたことも含まれる

であろう。

            Photo_7

  鑑三が別の文で「もし他人が余を殴った時に、余が彼を殴りかえした

ならば、余はその時すでに彼に負けたのである」(「君子国の外交」)と

述べているのは、おそらくそのときの体験が、念頭にあったにちがいない。 

  こうした鑑三の態度は、同じ一九○三年に山路愛山との和解という効験

をもたらしていたのだった。



  第三は、ここ十年間の歴史の動である。日清戦争は、うたった目的に

反してかえって朝鮮の独立を危うくし、日本人の道徳には腐敗をもたらした。

 世界に目を転ずると、米西戦争は、自由であった米国を圧制国に変えて

いる。戦争は世界を悪くしているのだ。

 

  第四の理由となっているのは、米国発行の新聞『スプリングフィールド

・リパブリカン』 を愛読していたことだ。 

  この平和主義的な新聞をとおして、鑑三は、世界の平和主義者たちの

「名論卓説」にふれることができた。 

  鑑三が一連の非戦論のなかで引用しているトルストイ(*下の写真)

いうまでもなく、スペンサーや公法学者グロチウス(*その下の写真)など

の説に接したのも、同紙を通じたことによるのではないか。

                   Photo_8

            Photo_9

   
  ここでは、鑑三はフレンド派のことを「私は永の間、米国に在るクエー

カル派の友人の言にさからいて可戦論を維持してきました。 

  然るにこの二、三年前頃より、ついに降参を申し込まねばならなくなり

ました」と言っているにすぎないが、その教派のキリスト教の影響は小さ

くない。

 

 同派の友人ウィスター・モリスが、鑑三の非戦論に与えた大きな作用に

ついては、「モリス氏記念講演」や書簡を通じて、たびたび語られること

になる。

 

 

  戦争廃止論

 

 

  日本とロシアとの間の緊張が高まるにしたがい、国内の世論にも開戦

非開戦をめぐる議論は熟してきた。 

  優勢な開戦論を背景に東京帝国大学の戸水寛人(ひろんど)以下七人

の教授たちが、満州問題につき開戦を唱える建議書を政府に提出、それ

の公表されたのは六月二四日のことである。

  鑑三が『万朝報』に「戦争廃止論」を書いたのは、六月三○日だ。このこ

とは「七博士」の建言を見て、決然として筆をとったことをあらわしている。

 

  絶対的非戦論を鮮明に述べた本論の全文をかかげよう。 

「余は日露非開戦論者であるばかりでない。戦争絶対的廃止論者である。

戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうし

て大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない。



  世には戦争の利益を説く者がある。然り、余も一時はかかる愚を唱えた

者である。しかしながら今に至ってその愚の極なりしを表白する。 

  戦争の利益は、その害毒を贖うに足りない。戦争の利益は強盗の利益

である。

 

 これは、盗みし者の一時の利益であって(もしこれをしも利益と称するを

得ば)、彼と盗まれし者との永久の不利益である。 

  盗みし者の道徳はこれが為に堕落し、その結果として彼はついに彼が

剣を抜いて盗み得しものよりも数層倍のものを以て彼の罪悪を償わざる

を得ざるに至る。

 

  もし世に大愚の極と称すべきものがあれば、それは剣を以て国運の進

歩を計らんとすることである。

近くはその実例を(明治)二十七、八年の日清戦争において見ることが

できる。 

 二億の富と一万の生命を消費して日本国がこの戦争より得しものは何

であるか。

 

  僅少の名誉と伊藤博文伯が侯となりて彼の妻妾の数を増したることの

ほかに日本国はこの戦争より何の利益を得たか。 

  その目的たりし朝鮮の独立はこれがために強められずしてかえって弱

められ、支邦分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、 

その道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆(きたい)の地位にまで持ち

来ったではないか。 

  この大害毒大消耗を目前に視ながらなおも開戦論を主張するが如きは

正気の沙汰とはとても思われない。



  もちろんサーベルが政権を握る今日の日本において余の戦争廃止論が

ただちに行われようとは余といえども望まない。 

  しかしながら戦争廃止論は今や文明国の識者の輿論となりつつある。 

そうして戦争廃止論の声の揚がらない国は未開国である。然り、野蛮国

である。

 

  余は不肖なりといえども今のときにあたってこの声をあげて、一人なりと

も多くの賛成者をこの大慈善主義のために得たく慾(おも)う。 

  世の正義と人道と国家とを愛する者よ、来(きたっ)て大胆にこの主義

に賛成せよ」

 

 
  短い文章ながら、意をつくした格調の高い一文となっている。それでい

て決して高踏的でもない。 

  とにかく宗教家の非戦論というと、いたずらに自己の信条のみをふり

かざした観念的なものになりがちであるが、鑑三の論には、そのくさみが

薄い。

 

  損得勘定
 

 

  たとえば、戦争の利益を説く開戦論者の議論を逆手にとり、同じ利益の

次元で戦争廃止を訴えようとしている。 

  戦争は強盗の利益のようなもので、一時的には利益を得たと思って

も、長い目でみると不利益となる。それは、日清戦争の結果、東洋の緊張

かえって増大し、そのために日本の軍事負担は増加され、道徳的にも

堕落という不利益を招いたことを説く。 

  この行間には『万朝報』の読者を相手に、時々刻々と開戦に向かいつ

つある世論の方向を、必死になって転じようとする鑑三のなまの声が聞

こえるようである。 

 

  鑑三の同じ論法は他の文章にもみられる。軍人を使って日清戦争に勝

った日本国民は、これとは裏腹に軍人たちにより苦しめられることになり、

「その富のほとんど全部を捧げて軍人保育の料」に費やしているのではな

いか(「殺す者は殺される」)。

 

  日露戦争に、かりに勝利を収めたとしても「九段坂上、招魂社内の遊

就館において、分捕品の少々と血だらけの軍服ぐらいとが陳列さるるの

ほか、国民を永久に益するものは何もあるまい」(「平和の実益」)と述べ、

平民である読者の損得勘定に働きかけている。
 
  読者の損得勘定に訴える書き方を、鑑三がとっているとはいえ、ただ

日本の利益になればそれでよいと決して言っているのではないことは

自明である。

  満州問題の解決は「如何(どう)するのが満州ならびに満州人のために

最も利益であるか」(「満州問題解決の精神」)をはかるべきであり、ロシア

も日本も、自国の利益のことを考えてはならないと断言している。

                         Photo_10

  ロシアも日本も、その利益のためだけ考えているから「名は日露の衝突

であれ、実は両国の帝国主義者の衝突である」(「衝突の真義」)と述べ、

戦争というものが、帝国主義の所産であることを鋭くついている。

  【つづく】

 

 



 

 

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