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2013年5月18日 (土)

内村鑑三(9 )

 新しい夢

 

  アマスト大学を卒業した鑑三は、シーリーの勧めで、同大学の級友

ストラザースらとともに、ハートフォード神学校に進んだ。 

  『余は如何にして基督信徒となりし乎』によると、この神学校時代には、

あまりよい思い出は語られていない。

 

  ところが後年、同じ神学校に学んだ安部磯雄(*下の写真)によると、

鑑三が同校には日本人学生として、たいへん好ましい印象を残してくれて

いたので、大助かりであったことが記されている(『社会主義者となるまで』)。  

 Photo

 鑑三は、そこでも、あい変らず勤勉な学生であったにちがいない。
   

ただ、不眠症がしだいに昂じたことにより、中途でこれを断念し、帰国しな  

ければならなくなった。



  米国で過ごした何年間かをかえりみると、鑑三には、いわゆる文化ショッ
  

クは、当時としては少ない方であった。  

  言葉の不自由は、まったくないといってよかった。衣食住の一切が洋式  

でまかなわれた札幌農学校生活があったからである。  

 

  ショックのはなはだしかったのは、キリスト教国米国の与えた宗教ショック  

(これも文化ショックの一つであるが)である。

  故国日本を出るとき抱いていた心の「空白」を、鑑三は、キリスト教の
  

聖地である米国において癒そうと期待して来た。その期待は、米国のキリ  

スト教の現実に接して微塵にうち砕かれた。  

 

  しかし、その大きな闇の支配する米国にも、故国にはみられない強い光  

のあること、その光の一端にふれることにより、鑑三は回心の体験を得ら  

れたのだった。
                     
                           
Photo_2
  

  鑑三の心の「空白」は、これがために充たされ、はるばるキリスト教国に  

来ただけの収穫はあったのだ。   

  キリスト教はよいが、アメリカのキリスト教は駄目だ、

というのが、宗教ショックを味わった鑑三の結論である。  

 

 キリスト教文明が、もはや頂点をすぎ、腐臭さえ漂わせている間に、鑑三  

の新しい夢は、これからまだ造形を待つ素材のような日本に注がれた。

  長い間、日本社会にあって、邪宗門とされ、異国の教えとされたキリスト
  

教に入信することは、その信者にとり、どこか、日本に対し背信行為を犯  

したような、うしろめたい心理を生じさせるものである。   

 

  そこにキリスト教国米国の幻滅が加われば、キリスト教と愛国との結合 

(ふたつのJ  ) はいっそう促進される。  

  鑑三が、アマスト時代、その墓碑銘のためとして、愛用の聖書に書きと  

めた、あの有名な英文の言葉を掲げよう。  

  I  for  Japan;  自分は日本の為に   

  Japan  for  the  World;  日本は世界の為に   

  The World for  Christ;  世界はキリストの為に

  And All  for  God.   凡ては神の為に
   
   
 

     (1886年、アマスト大学在学中、聖書の見返りに記した自分の墓碑銘・・・

                    鈴木範久氏記)

 

Photo_4

 

   日本にキリストによって与えられた新しい人間観を広めること、この戦場に  

おもむく武士の思いで、帰国した鑑三は、故国での第一歩を踏みしめた。





   二   独り立つ



   北越学館



   新潟へ



  三年半ぶりに故国の土を踏んだ鑑三は、新潟の北越学館に教頭として
  

赴任する話がまとまり、一八八八(明治二一)年六月六日、北越学館館主 

加藤勝弥と約定書をとりかわした。  

 

  このような約定書を交換すること自体が珍しい時代のためか、この約定  

書は『基督教新聞』(二五六号、六月二十日)に全文掲載されている。 

  それによると、年俸、任期(一年)のほかに、伝道にたずさわらないこと  

と信仰箇条とが定められている。  

 

  信仰箇条では唯一神の信仰とキリストにおける救済を認める以外、  

他はすべて「余一己の見解に任すべき事」との言葉を入れている。 

  ここに、北越学館に赴任していっても、なんら特定の教派により信仰上  

の束縛を受けないという鑑三の気概があらわされている。

  北越学館は、その前年に阿部欽二郎、成瀬仁蔵、加藤勝弥らによって
  

設立されたばかりの学校である。阿部欽二郎の創設した新潟英学校を  

母胎としたものである。  

 

  成瀬仁蔵は新潟第一キリスト教会牧師であり、館主となる加藤勝弥は  

キリスト教信者の県会議員であった。   

 また新潟在住の米国伝道会社所属の宣教師たちに教育上の協力を

仰いでいた。
 

Photo_5

 
 (北越学館〔左手〕の建物を移築した新潟の葛塚小学校旧校舎

     ・・・・ 鈴木氏記 )

 

 米国伝道会社も新潟第一キリスト教会も、同志社とは密接な関係をもつ

教派であり、同校へ鑑三を斡旋したのは新島襄(*下の写真)である。

                 Photo_6

  鑑三を北越学館へ招聘する話は、すでに米国滞在中、米国伝道会社の

宣教師D・スカッダーを通じて交渉があったが、そのときは、いったん断わ

っている。 

  帰国後、新島襄との接触を通じて、ふたたび、この話がもちあがり、

契約の運びにいたった。 しかし、そのまま、すんなりと赴任の日を迎えた

わけではない。



  それは、鑑三が、北越学館の、キリスト教主義のみにもとづく教育と、

外国の伝道会社からの独立につき、大きな危惧を感じたからである。 

  新島襄の六月二三日の日記によると、契約書のとりかわされた直後に

もかかわらず、鑑三が、その強い独立心により、新潟行きに難色を示して

いることが、次のように記されている。

 

  「内村氏来る。新潟将来のことを話し、加藤に書を送り、古屋野氏に書を

遣ることに決す。同氏はコンヴィクションあり、これを屈する能わず。故を

以て我が党と共に運動する能わず。いずれの所か他人の未だ甫(はじ)

めざる地に行き、伝道なり教育なり、自治孤立の主義を以て試みたき由

申されたり」(「新島日記『新島研究』五十号)

 

  さすがの新島も、鑑三の異常なまでの独立心に手を焼いたようで、鑑三

は後年、このとき新島が「君は我国基督教界の伯夷叔斉(はくいしゅくせい)

なり」と歎じたと回顧している(一九二一年九月二七日の日記)。





    対立



  このころの鑑三のモットーは「キリスト愛国(Christ  national )」であった。
 

この立場から、第一に、北越学館のキリスト教にもとづく教育には、なんら

反対するものではなかったが、それがために、東洋や日本の聖賢たちの

教えを排し、キリスト教のみを教える教育には賛成でなかった。

  第二に、外国伝道会社の宣教師の援助を得ることによって、自主独立

が大きく損なわれることを憂えたのである。

 

  この危惧が残ったため、鑑三は、正教頭としてではなく仮教頭として赴任

することにし、さらに「北越学館略則」の一部をも改めさせている。 

  「本校は正則英語を以て高等普通科を教授かつ漢文学の一科を加え

専ら作文を修習せしむ」となっていたのを、鑑三は、次のように変更させた。

 

  「本館の設立並に維持は、単に有志者の寄附金に由る。その目的は

高尚なる徳義と愛国国民主義を以て有為の生徒を要請するにあり」

  このような条件をつけても、なお鑑三はその望むような独立が、実現する

かどうかに不安を抱きながら、九月の始業に臨んだのだった。

 

  北越学館には、当時、百数十人の生徒が在籍していた。これらの生徒

に対し、鑑三は、授業のほか週五回旧約聖書のエレミア記を教えている。 

  エレミア記は古代イスラエルの愛国の預言者エレミアのことを述べたもの

である。 (*下の絵は、預言者エレミア)

                       Photo_7

 毎土曜日には、公開講演も開き、町の人たちにルーテル伝などの連続

講義をおこなったことも知られている。 

  日蓮宗僧侶による講演を企画し、宣教師たちの反対に出会ったことも

あったようだ(「同情の秘訣」)。

 

 「キリスト愛国」主義者鑑三が予感していた外国人宣教師との対立は、

早くも始業後一か月もたたぬ間に訪れた。 

  鑑三は、北越学館の発起人らに「意見書」を送付し、そのなかで外国人

宣教師による教育が無給でなされていることは、結局外国伝道会社の

援助を受けていることになり、それは北越学館設立の精神に反するとの

見解を表明した。 

  これに対し、外国人宣教師らも、このような教頭のもとではもはや勤務を

継続することはできないと辞職を通告、対立は激化した。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

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