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2013年5月14日 (火)

内村鑑三(7 )

     ニューイングランド生活

 

  渡米

 
  米国のペンシルヴァニア精神薄弱児養護院の看護人として、一八八五年

一月一日より、鑑三は新しい生活を始めた。 

  養護院の建物は、静かな丘の上に緑の樹々に囲まれるようにして立っ

ている。 

 前年の十一月二四日にサンフランシスコに到着してから、またたく間に

一か月余りの日数がたっていた(*下の写真は、今日のニューイング

ランド)

                  Photo

                  Photo_2


  鑑三は、米国に来た目的を、「慈善事業」を学ぶためであったと述べて

いるが、はたして、それが、渡米の真の理由であったかとなると疑わしい。 

  同じころ、札幌農学校を卒業するにあたり、二つのJに捧げることを共に

誓った友のうち、太田(新渡戸)は渡米し、宮部は母校の教師として赴任し

ていた。 

  鑑三ひとりが、不本意ながら農商務省の役人生活をさせられていた。 

 

  この職業上の迷いがあったところに、タケとの結婚の破局が加わり、

鑑三の心に大きな「空白」が生じた。 

  心内に大きな口を開けた「空白」とは、今の言葉でいえば、生きがいとか

アイデンティティの喪失ともいわれるものである。 

  その「空白」を充たすものを求めた旅こそ、渡米最大の理由であったと

みたい。何のためというより、何かを求めた旅立だった。

  渡米と書いたが、出国の直前、タケの母に記した手紙では「今日アメリカ

国を経てイギリス国へ出立仕候」(一一月五日浅田ヨネ宛書簡)と書いて

いる。 最後の目的地はイギリスにおかれていた。



  鑑三は、在京中、米国大使館通訳のW・N・ホイットニーより生理学の

指導を受けていた。ホイットニーは、フィラデルフィアのペンシルヴァニア

大学の出身である(*下の写真は、今日のペンシルヴァニア大学)

                    Photo_3

  彼の紹介でフィラデルフィアに行き、同大学の奨学金をえて、そこの

医学部で学ぶ計画も持っていた。 

  ホイットニーは、キリスト教のフレンド派に属し、その妻メリーは、ロンドン

のやはりフレンド派に属するブレスウェイト家の出身で、同家とは結婚

(一八八五年)前から大変親しかった。

 

  鑑三は、とりあえず米国に渡るが、そこで、もし計画どおり事がはかどら

なかったときには、このロンドンにあるブレスウェイト家を頼って渡英する

ことを考えていたのではなかろうか。

  ホイットニーの紹介により、フィラデルフィアで最初に訪れたのが、

やはりフレンド派の実業家W・モリスである。

 

  モリスが、鑑三をはじめ日本人学生たちの面倒を実によくみた人である

ことは、「ウィスター・モリス氏に関する余の回顧」でも語られている。 

  鑑三は、モリスに会ったが、あいにく不景気のため、当座の仕事をすぐ

見つけることは、なかなか困難であることがわかった。



  一方、札幌で鑑三たちに洗礼を授けたM・C・ハリスの夫人も、米国に

来た鑑三に種々の便宜をはかり、フィラデルフィアから約二十キロの地

ミデヤに住む、その伯父の家を紹介した。 

  エルウィンのフィラデルフィア精神薄弱児養護院は、このミデヤの近くに

あったのである。養護院を訪ねた鑑三は、院長カーリンの親切なはから

いで、同院に年内の滞在を許されたうえ、新年からは、そこでしばらく働く

ことになった。

 

 

 子供たち

 

  鑑三は、この年一月から七月までの約半年間を、同院の看護人として

働いて過ごした。 

 このエルウィンでの生活は、鑑三の一生に、はかりしれない貴重な体験

を与えた。 

  それは、この後につづくアマスト大学での回心の体験とくらべて、決して

劣らないものだ。



  昨日まで、日本の農商務省のお役人であった人間が、一夜明けたら

異国の施設の児童たちに「ジャップ、ジャップ」と呼ばれながら、そのお尻

を清める仕事に従っているのである。 

  看護人の仕事を開始した直後の鑑三が、その感慨を屈辱のように故国

の父に報じているのも無理はない。

 

  鑑三は、はじめ、この苦難を、神によって自己に課せられた試練とみ

たが、試練とみているうちは、その施設の児童に対する見方の変革は

かったであろう。 

  それが、四月に入ってからまもなくのこと、鑑三は、同養護院の創立者

であるJ・B・リチャーズの話を直接聞く機会を得た。

 

  それによって、鑑三の従っている仕事が、ただの憐愍(れんびん)事業

ではなく、子供たちの心霊の開発という、天の父の与えた聖なる仕事の

一つであり、それがまた可能であることを教えられたのだ。

  このことは、子供たち一人一人の内部に秘められた心霊のあることを

認めることでもある。

 

  一般社会にあっては、さげすまれがちな児童に対し、神の与えた同一の

心霊の存在を認めたことは、鑑三の人間観に大きな変革を与えたといって

よい。 

  この意味で、鑑三のエルウィン生活は、鑑三の一生にとり、従来考えら

れた以上にはるかに重いといえる。

 

  養護院での仕事は、その日以後、苦難ではなくなり、屈辱でもなくなった。

高い宗教的目的をもった神聖な職務として、喜んでたずさわることができた。

  鑑三と少年ダニーとの間の心暖まる話も、このころのことである。
 

ダニーは手を焼く子供であったが、少年を罰する代わりに、鑑三は自分が

一食断食をした。 

  その話が児童たちとダニー本人の耳にも伝わった結果、ダニーは、それ

までの行ないを反省し、鑑三との仲は、以前とはうってかわって親しさを

ました。



  私が、エルウィンの養護院を訪ねたのは、一九八十年夏のことである。
 

養護院の院長から、その前年、やはり鑑三のことで、韓国から一人の

白髪の老人が、同院を訪ねてきたことを聞かされた。

 

  後日、その人が咸錫憲(ハンソクホン)氏(*下の写真は、後年の同氏)

であることが判明した。咸錫憲氏(1901~1989:1924年に、内村鑑三と出

会い、多大な影響を受ける。「韓国のガンディー」と呼ばれる)は、五山学

校に在学中の青年時代、柳永模校長より、このエルウィンにおける鑑三と

ダニーとの話を聞き感銘、はじめて内村鑑三の名前を知った。

                               Photo_4
 

  いつまでもこの話を忘れることができなかった。それが、一九七九年、

米国に行ったとき、わざわざ足を、このエルウィンにまで延ばして養護院

を訪問した動機だった。

 

    懊悩 

 

  院長のカーリンは、鑑三の心身両面にわたって気を配り、六月には、

ワシントンで開催される全米慈善矯正会議に出席のため、鑑三を同行し

た。 

  鑑三は同会議に出席して、大和魂につき短い演説をした。このワシントン

滞在中、鑑三は、カーリンに連れられてクリーヴランド大統領(*下の写真)

にも会っている。 

                            Photo_5

  鑑三が、終生の友人となる実業家のD・C・ベルと会ったのも、このワシ

ントン滞在中のことだ。

  カーリンだけでなく、前述のモリスも、鑑三たち日本人学生の世話をよく

して、毎月第一土曜日には、その家で夕食会を開いたりもしていた。 

  鑑三は、米国滞在中の太田稲造、佐伯理一郎らと度々その席につら

なった。

 

 六月二十日には、フレンド派のフィラデルフィア婦人外国伝道協会の

会合に、鑑三は太田稲造とともに招かれて出席し、日本の状況について

話を求められた。 

  これが契機となり、フレンド派は、同年暮、J・コサンド夫妻をはじめて

日本に派遣することになる。

 

  カーリンやモリスなどのこのような親身の配慮にもかかわらず、鑑三が

日本を出る前から抱えていた内部の懊悩は、容易には解消されなかった。 

  別居したタケからは、復縁を迫る手紙を何度も受けとっていた。 

タケの手紙のなかには妊娠の訴えも書かれていたが、鑑三は、それを、

復縁実現のための方便とみなして、まともに受けとらなかった。

 

  ところが四月十五日、タケは、女児(ノブ)を出産した。 

この通知を五月に受けた鑑三は、子供については両親の家に引き取る

ことを申し出る反面、タケとは離縁の決意をきっぱりと表明した。 

  折から訪米中の新島襄とも、鑑三は、このころ会っている。新島はタケ

に安中教会で洗礼を授けた師であり、タケからすれば新島に鑑三との

関係修復の期待があったようだ。



  タケとのトラブルが鑑三にもたらした最大の悩みは、そのトラブル自体

ではなかった。そんな女性を一時的にせよ夢中になって愛した自己の心

の呵責であった。 

  愛慾のため目をくらませ、他をかえりみなかったこと、つまり、キリストも

日本も親も、ともにうち捨てた自己中心性が、鑑三のなかに、しだいに深刻

罪意識形成した。  【つづく】

 

 

 

 

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