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2013年5月24日 (金)

内村鑑三(13 )

      著作活動

    処女作

   熊本英学校教師を予定どおり七月まで勤めた鑑三は、同地を去って

京都に住んだ。 

  京都に移る途中、須磨で開かれたキリスト教青年会の第五回夏期学校

に講師として出席している。

 

  鑑三の演題は「学生と新聞紙」であったが、内容のおもしろいことでは

同じく講師として出席していた横井時雄と双壁だった。 

  鑑三は、日本のキリスト教会には二大禁物がある、それは「横井時雄君

の新神学と内村鑑三の日本教会論なり」(『基督教新聞』五二二号、七月

二八日)と語り、一同を笑わせた。



  鑑三が、自ら認める危険な「日本教会論」は、この年二月に刊行された

著書『基督信徒の慰』(警醒社書店)に記されている。 

  同書に先だち、前年十月には小冊子『未来観念の現世に於ける事業に

及ぼす勢力』(同)が出されているが、これは一度『基督教新聞』に発表さ

れた論文から成っているので、実質的な単行本のかたちの処女作は、この

『基督信徒の慰(*下の写真:「北海道デジタル図鑑」より拝借)とみてよい。

                         Photo_9


  一八九三(明治二六)年には、『基督信徒の慰』に続き、同じ二月に『記

念論文  コロムブス功績』(警醒社書店)、八月『求安録』 (同)、一二月

『貞操美談 路得記』(福音社)。 

  一八九四年に入ると二月『伝道之精神』(警醒社書店)、五月『地理学考』

(同)十一月”Japan  and  the  Japanese”(民友社)、一八九五年には五月

”How  I   Became  a  Christian ”(警醒社書店)、一八九六年には一二月に

『警世雑音』(民友社)が、あいついで刊行される。

  驚くほど多産であるとともに、今日にも残る名著の書かれた時期である。
 

それらのなかから、主な著書を簡単に紹介しよう。

 

  基督信徒の慰 

 

『基督信徒の慰』は、次の六章より成っている。 

    第一章    愛するものゝ失せし時 

  第二章    国人に捨てられし時 

  第三章    基督教会に捨てられし時 

   第四章    事業に失敗せし時 

    第五章     貧に迫りし時 

    第六章     不治の病に罹りし時

 

  序文のなかで、鑑三は「著者の自伝にあらず」とことわっているものの、

いずれも「不敬事件」によってもたらされた、著者自身の惨憺たる生活体

験から発した声といえよう。 

  「愛するものゝ失せし時」は、二年前に味わったばかりの妻かずの死に

もとづいている。ここには、のちに鑑三が繰り返し説く「聴かれざる祈祷」

の思想が顔をのぞかせている。

 

  世間には、人のおちいる不幸や災難に対し、それを信仰や祈祷の不足

に帰し、罪とみる見方がある。 

  ところが著者は、愛する者の死により、はじめて聴かれない祈祷のある

のを知り、不幸や災難を、人の行為の不足から生じた罪とみる思想を打

ち破っている。 

  これは、不幸な人々を見る目に大きな転換を与えるものである。



  「国人に捨てられし時」は、「不敬事件」により、日本国に枕するところの

なくなった体験による。

  キリスト信徒になった以上、鑑三も、この世の国とは異なる天の国のあ

ることは頭ではおぼろげに知っていた。しかし、それが心の中に実在する

までには到っていなかった。

 

  ところが、この世の国に捨てられてはじめて、天の国が明らかに見え、

自己がその国の住人となることができた。 

  鑑三のこの後の思想活動をみるとき、この天の国の発見の意義は、

はかり知れない。

 

  「基督教会に捨てられし時」では「無教会」という言葉の最初の使用が

られる。 

  教会に通っていた信徒が神と聖書以外に、外国の儀式制度や、神との

関係で聖職者、教職者の取り次ぎを認めないため、教会から嫌われて

捨てられる。

 

  しかし、かえってそのために、神の教会が白壁と赤瓦のうちにあるもの

でなく、大空のもと、自然のうちにあることを知る。 

  ここには鑑三が、外国の援助で支えられている教会の独立を主張した

ことにより、教会から遠ざけられた体験がある。

 

  それに加えて、鑑三自身が、伝道者を志しながら、結局正式の教師資

格をもたなかったため、教会内での活動に限界を知らされたことが作用

してはいないか。 

  このほか「不治の病に罹りし時」では、病者の存在理由を、この世に愛

せられる者のあるためだと言っている。

 

  このように『基督信徒の慰』は、「不敬事件」後におちいった自分自身の

にがい体験をもとに、鑑三の実らせた宗教思想の結晶である。 

  この書において、鑑三のキリスト教的な世界観、人間観は、ほぼ確立を

みせたといっても過言ではない。

 

  この書を紙の破れるまで愛読したという若き日の正宗白鳥(*下の写真)

は、これを当時の文学における最高の「私小説」とみている。それは、本書

のもつ無類の迫真力によるものだろう。

                        Photo_10



   

   
 求安録




 
『求安録』は、鑑三によれば、熊本市外詫摩ヶ原(たくまがはら)の、 

槙の樹(*下は、槙の木)のもとにある流寓で、古い支邦鞄を台にして 

書かれた。 

 Photo

  今日、その住んだあたりには、丈の高い槙の樹こそまだ残っているが、 

住家はとり払われている。

  本書の中扉に英文で引用されているのは「平安(peace)」を求めて
 

修道院を訪ねたダンテ(*下の絵)の話である。 

 Photo_2

 

  それが題名となっている本書の内容は、ダンテと同じく平安を求めて 

魂の遍歴を重ねてきた鑑三自身の精神の軌跡である。
 
  罪からの脱却を目指し、脱罪術と忘罪術とをいろいろ試みたあげく、
 

罪は神からの背反であり、贖罪のキリストの信仰によってのみ、救済 

のあることが見出されている。いわば全篇、鑑三の信仰告白の書である。 

  しかし、その末尾において「余は平安を得る途(みち)を知れり、然れ 

ども、途を知るは必ずしも途に入るにあらず」と述べているように、迷い 

や悩みはまだ残っていた。 

  次のようなテニソン(*下の写真)の”In  Memoriam ”の一節を引用して 

終わっているあたりも、ありきたりの神学書と違うところだ。 

 Photo_3

 然らば我は何なるか 

  夜暗くして泣く赤児(あかご)  

  光ほしさに泣く赤児(あかご) 

  泣くよりほかに言語(ことば)なし 

     【つづく】

 

 

 

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