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2013年4月 9日 (火)

日蓮上人(7 )

   4.宣言




 「予言者は、おのが故郷において尊まるることなし」という。それにもかか

わらず、予言者が常にその公生涯を、その故郷で始めるというのは、痛ま

しい事実である。

 

  この世に枕する所のないのを、おのが運命と知りつつも、なお故郷に引か

れ、そこで、どのように扱われるかを知り尽くしながらも、鹿が谷川を慕いあ

えぐように、そこに行き、そこで、拒絶され、石で打たれ、追い出される。

―それが、予言者の運命である。連長の場合もまた例外ではなかった。 

 

  彼の故郷、小湊の、ささやかな生家では、彼の父母が息子の帰りを待ち

わびていた。 

  そして彼はここで、生涯の試練の中の最初にして最大のものと戦わねば

ならなかった。

 

  ここには、青年時代の彼を、はぐくんだ寺があり、その寺の住職としてお

さまる息子の姿を見たいという、両親の無理からぬ願いに、彼はそむいた

からである。彼は、名を日蓮と改めた。

 

  すなわち、彼に生を与えた神「日輪」と、彼が、これから広めようとする

「妙法蓮華経」、この二つを意味する名前である。

  建長五年(一二五三年)四月二十八日、紅の太陽が東方海上に半ば姿

を現わした時、日蓮は、広い太平洋に面した断崖の上に立ち、前なる海と、

後ろの山と、さらにこの山とを通して全宇宙へ向かって、彼自身が定めた

祈祷の言葉、南無妙法蓮華経を繰り返した。

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  この言葉こそは、すべて他の人の口を封じ、彼の弟子たちを地の果てま

でも導き、永遠に弟子たちの合言葉とするようにと定められたものであって、

―実に仏教の真髄、ならびに人間と宇宙との大理を現わしたものである。 

  「南無妙法蓮華経」、その意味は、「私は心から妙法蓮華経に帰依いたし

ます」である。

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  朝、大自然へ語りかけた彼は、午後は、村人に語りかけようとした。彼の

名声は、すでに近隣に隠れもない。鎌倉、叡山、奈良で十五年の研学を積

んだこの僧は、新奇で、深遠で、有益な何事かを教えてくれるに違いないと

信じた村人は、老いも若きも、男も女も、群れをなして彼のもとに集まった。

  ある者は、真言宗の”ハラハリタヤ”を、また、ある者は、浄土宗の〝南無

阿弥陀仏”を唱えながら―。

 

  堂に人があふれ、香が四隅に立ちこめたとき、日蓮は、太鼓の音とともに

壇上に現われた。 

  当時まさに男盛りの日蓮、連日の徹夜の後は顔に残るが、両眼は熱心に

燃え、予言者の威風堂々として、満堂の注目を一身に集め、会衆は息を潜

めて彼の発言を待ち受けた。 

  彼は、経典である「法華経」を取り上げて、第六巻の一部を読み、顔色お

だやかに、声張り上げて、次のように語り始めた。 

 

   私は長年にわたり、あらゆる経典の勉学に努め、諸宗の主義、主張につ

いてことごとく究めました。 

  一説によれば、「仏の入寂以後、五百年間は、多くの人は、努力なしに

成仏することを得、次の五百年間は、勤勉と黙想とによって成仏することを 

得るだろう」とのことであります。これを正法の千年と言います。  

 

  次いで来るのが、読経の五百年、その次が造塔の五百年であって、

この二つを合わせて、像法の千年と言います。 

  それに続いて、「純粋な法が覆い隠される五百年」が始まりますが、ここ

で仏の御利益は尽き果て、人類成仏の道はすべて閉ざされるとのことで 

あります。

 

  これが、末法の始めであって、これが一万年続きましょう。・・・・ 

  今日は、末法の世に入ってより二百年という末の世でありまして、仏が、

この世に御教えを垂れたもうたのは、遠い昔のこととなりました。

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  今のわれわれにとり、成仏を得る道とては、たった一つしか残されており

ません。これぞ、妙、法、蓮、華、経の五字であります。 

  しかるに、浄土宗は、この貴き経文を閉じて、これに耳を傾けるなと教え、

真言宗は、これを、彼らの経典である大日経の足下にも及ばぬものだと、 

ののしるのです。

 

  かかる者については、法華経の第二巻、『比喩品』の中に、「かかる人々

は、仏陀の教えの根絶者であり、その終わりは無間地獄である」と、記され

ております。

 

  聞く耳を持ち、見る眼を備えた人は、この理をわきまえ、虚偽と真実を

区別なされよ。 

 浄土は地獄に落ちる道、禅は悪魔の教え、真言は国を滅ぼす邪法、律は

国賊でありまするぞ。これを言うのは、この日蓮ではありませぬ。

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  日蓮が、法華経の中で読んだことであります。雲上の、ほととぎすの声を

聞かれよほととぎすは正しい時を知り、今は田植えの時だと教えておりま

す。 

  それゆえに、みな様は、今、田に下りて植え、刈り入れの時に至って悔い

ることのないようにせねばなりませぬ。 

  今こそは、法華経を広めるべき時であり、私は、この目的のために遣わ

された御仏の使いであります。

 

   彼が語り終わるや否や、猛り立った聴衆から怒りの叫びがあがった。 

ある者は、「彼は気違いだ。そう思えば、腹も立たぬ」と言ったが、他の者は、 

「彼の不敬は極刑に値する」と、いきまいた。

 

  そこに出席していた地頭は、この不敵な僧が、この寺の境内から一歩で

も足を踏み出したが最後、直ちに彼を殺そうとした。 

  しかし、彼の老師は親切だった。この弟子が、やがて悔い改めて、正道

に立ち返り、悪夢から覚めるであろうと思って、二人の弟子に命じ、夕闇

にまぎれて、地頭の目の届かぬ裏道から、日蓮を連れ出させたのである。

  【つづく】

 

 

 

 

 

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