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2013年4月23日 (火)

非戦論の原理〔1〕(内村鑑三)

  毎年夏期は、講談会を開くを例とす。然るに、今年は之を為さず。

空しく夏を過ごさんことを恐れ、ここに机に対しながら数千の聴衆の

我目前にいるを瞑想し、此演説文を章す。


    学者の態度

 私は、今日は、非戦論の原理について申し上げたく思います。 

しかし、本論に入るに先立ちて、私は一言諸君に申し上げておかなけ

ればならないことがあります。 

  即ち、私が非戦主義を懐くのは、私が悉く其真理なるを証明し尽くした

からではないという事、其事であります。

 

  世の中の大抵の人は自己の奉ずる主義信仰と言えば、之に一点の

懐疑、一点の批難の加うべきものの無いものであるように思います。 

  しかし、是れ、真理を愛する学者の持つべき心の態度ではありません。 

学者は、懐疑を許します。批難を歓迎します。而して、主張と批難とを

較べてみまして、二者何れか真理の多い方を採ります。故に、彼の提供

する説は、完全な真理ではありません。かかる真理を提供し得る者は、

人間の中に一人も無いはずであります。

 

  我が奉持する真理は完全な真理なりと称する者は、神にあらざれば

狂人であります。 

 我等人間は、より大なる真理を供するまでであります。 而して他人の

批評を俟(ま)って、更に大なる真理に達するまでであります。 

  私は今は非戦主義を懐きます。私は、非戦論は道理として最も正しく、

道徳として最も高く、政略として最も慧(かしこ)き主義であると思います。

 

  しかし、かく思いますればとて、非戦論に多くの批難すべき点が無いと

は言いません。其反対の主戦論にもまた多くの採るべき所があります。 

  少なくとも同情を寄すべき点があります。私は、非戦論を証明し尽くした

とは言いません。

 

  之を宇宙進化の理から考えてみましても、また実際に之を行なう点から

考えてみましても、之に多くの批難すべき点のあることを認めます。 

  私は、より大なる真理として非戦論を採るのであります。絶対の真理と

して、之を懐くのではありません。

 

  而して、若し諸君の中に、かかる信念は是れ半信半疑の信念であって

聞くに足らずと言わるる方がありますならば、其方は、公平を愛する学者

の精神を有(も)たない方と認めますから、私の講演中は、今より直に

此場を退かれんことを願います。





   戦争の悪事なること
 

 

  さて、戦争の悪い事であることは誰でも承知しております。如何に戦争

好きの人でも戦争は善い事であると言い得る人は一人もありません。 

  戦争に対する普通の弁護は、「戦争は戦争を止めることである」との事で

あります。漢字の「武」は、戈(ほこ)を止めるの意であるとの事であります。 

  平和のための戦争であって戦争のための戦争でない、とは誰でも言う

ことであります。故に、私はここに戦争の悪い事を述べる必要はありません。

 

  其事は、世界一般に知られております。しかも、買淫制度の悪い事が

一般に知られていると同然であります。 

  誰も、貸座敷は善いものであると言う者はありません。唯、悪いけれど

も止むを得ないと言うまでであります。

 

  人類一般が其悪事なるを認める一点に於いては、戦争は売淫と少し

も異なりません。 

 故に、道徳の立場から見て、私は勿論戦争を悪(にく)みます。しかし、

ドレ丈悪むか、其れが問題であるのであります。 

  憎悪(にくみ)にも、強いのと弱いのとがあります。悪んでも恕して置く

憎悪(にくみ)があります。之を排除せざれば止まない憎悪があります。

 

  貸座敷は悪いものであるけれども、存(のこ)しておいて左程害がない

という憎悪(にくみ)と、貸座敷を存しておけば、我家庭も社会も、

ついには国家までも滅びてしまうという激烈な憎悪とがあります。 

  而して、戦争に対する私の憎悪は、前のぬるい憎悪ではなくて、後の

熱い憎悪であります。 私は、私の全心全性を傾けて、これを嫌います。

 

  しかも、故ビクトリア女王(*下の肖像画)が、之を嫌い給いしように

之を嫌います。 

                             Photo

 伝え聞く所に由りますれば、彼女は老年に進むに従い、戦争を嫌い給

うこと益々甚だしく、「朕は、朕の在世中、再び戦争の宣告に署名せざる

べし」とまで言い給うたこともあるそうであります。

 

  しかるに、英国の憲法に由り、民の欲する所は皇帝もまた之を可とせ

ざるべからざる所より、止むを得ず、かの最も不幸なる戦争、南阿戦争の

宣告に署名し給ひしより、彼女の心、常に安からず、終に彼女の崩御を

数年早めたとの事であります。

 

  憎悪は勿論感情でありまして、道理を以て量(はか)るべきものでは

ありません。 

 しかしながら、感情にも高いのと低いのと、鋭いのと鈍いのとがあります。 

深い道徳は、鋭い感情を作ります。

 

 女王陛下の戦争に対する憎悪はヒステリー的とばかりは言えません。

彼女は、最も常識に富み給う婦人でありました。彼女の戦争を嫌い給い

しは、彼女と同時代同国の人なりし哲学者スペンサー(*下の肖像画)

非常に之を嫌いしと同一の原因に基づくのであると思います。

                     Photo_2
 

  道理の問題は別にしまして、小さき私も今は、非常に戦争を嫌います。

私は今は、英国非戦主義第一等の政治家なりしジョン・ブライト(*下の

肖像画)と共に言います「人類の罪悪一括せしもの、是れ戦争なり」と。

 

                                Photo_3




    戦争と天然

 

   しかし、人は言います。戦争は広く天然に行わるる所、戦争は天然の

法則であって、また進化の理である、と。 成程、戦争は、広く天然に行な

われます。優勝劣敗の理は、天然界至る所に行なわれます。

 

  私は、天然界に於ける戦争の実在と、また或る点から言えば、其利益を

認めます。

  しかし、一つ注意しておくべき事があります。それは、天然の法則は、

戦争のみに限らないことであります。

 

  天然界には、戦争と共に協同一致も行われます。愛憐犠牲も行われます。 

万物が進化して今日に至ったのは戦争のみに由りません。 

  優勝劣敗を戦争のみに限るは、極く浅薄なる天然観であります。 

獅子は成程、鹿や兎を食います。獅子と鹿と相対すれば、勝利は勿論

獅子に帰します。

                          Photo_4 

  されど、鹿には獅子に無いものがあります。群居の性があります。 

従って、多少、和合一致、相互共済の性があります。 

  故に、戦争に於いては、鹿は獅子に負けますが、繁殖に於いては、

獅子は鹿に負けます。

                          Photo_5

  故に、印度阿弗利加の地方に於いて、獅子が絶えても鹿の絶えない

所が沢山あります。 

  獅子は、其牙と爪が鋭いために鹿に勝ちますが、其猛烈なる呑噬

(*どんせい・・・本来は、「飲むことと噛むこと」の意。転じて、他者を襲う

攻撃性の意か)の性を有つために、終には弱い鹿に負けます。 

  天然界を修羅の街(ちまた)と見るは、大なる間違いであります。

天然界は、修羅の街ではありません。やはり、愛と正義が最後の勝利を

占める家庭の一種です。

 

  広く天然界を、其大体に就いて観察して御覧なさい。その中で、最も

高い、最も貴い、最も麗しい物は、強い、猛々しい、厖大なる物では

ありません。 

 若し力の一点より言えば、最も強い者は王蛇(おうじゃ)と鱷魚(がくぎょ)

であります。 

 しかし、誰が、王蛇と鱷魚が此世界の主人公であると言いますか。

 

  詩人ワーズワース(*下の肖像画)が歌った牝鹿は弱く、かつ脆いです

が、しかし、遥かに王蛇、鱷魚以上の動物であります。

                    Photo_6
  鷲は一番強い鳥でありますが、鳥類の王は、鷲ではありません。

木陰涼しき所に五色の錦繍(にしき)を水面に映す翡翠(かわせみ:下の

写真)は、遥かに鷲以上の鳥であります。

           Photo_7 

  若し力の一点から言いまするならば、原始の人はゴリラ、チンパンジー

等の猿猴類に遥かに劣った動物でありました。

  しかるに、此弱い人類が、終に世界の主人公と成ったのであります。

若し戦闘的な優勝劣敗が天然界を支配する唯一最大の勢力であります

ならば、此世界は今や全く王蛇、鱷魚、鷲、ゴリラ等に属して居ったで

ありましょう。

  しかるに、そうではなくして、獅子や虎は絶えるも其餌物となりし鹿や

兎は繁殖し、鷲は山深き巌(いわ)高き所に其巣を作るに代えて、翡翠は

里に下りて水辺を翔(かげ)り、ゴリラ、チンパンジーは、僅かに熱帯地方

の深林に其種族を保存するに代えて、人は全世界を蔽いて至る所に文明

を進めつつあるのを見て、天然界は決して強者必盛、弱者必滅の世界で

ないことが最も明白に分かります。

  主戦論は、之を天然界の事実に訴えて其説を維持することはできません。

天然を深く学んで其、戦争の奨励者でなくして、反って平和の宣伝者であ

ることが明らかに分かります。 【つづく】

 

 

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