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2013年4月 2日 (火)

日蓮上人(3 )

  第十二世紀の終わり近く、長い間の内乱がようやく終わって、国内に

平和が甦ると、宗教思想の新しい活動が始まった。 

  源頼朝(*下の肖像画)は、僧侶の俗的権力を奪いはしたが、人民の

精神的指導者としての僧侶には、それ相応の敬意を表したので、学徳

すぐれた大教師が続々として起こるに至った。

                        Photo

  頼朝の後を継いだ北条氏は、一族の多くが忠実な仏教徒であったが、

当時行なわれていた宗派の、虚飾と浮華とに飽きた彼らは、仏教の瞑想

派である「禅宗」を、シナから導入して、京都や鎌倉や越前に、壮大な寺

院を多く建て、この新しい礼拝様式を、この国に永存させようと計った。

  西暦千二百年のことである(*下は、臨済宗の栄西と曹洞宗の道元)

                         Photo_2

                           Photo_3


  新しい宗派「禅宗」の神秘性と、無限の抽象性とは、旧来の諸宗派の

外面的儀式と著しい対照をなし、こうして禅は、上流知識階級の特愛の

宗派となった。 

    ― その一方、禅哲学の高い知性や、旧来の諸宗派の近づき難い荘厳

無縁の大衆は、別個の信仰を求めていたが、それを彼らに与えたのは、

源空(法然上人:下の肖像画)という僧侶であった。

                       Photo_4

 

  西暦一二○七年ごろ、源空は、それ以後「浄土宗」と呼ばれるようにな

った宗派を民衆の間に伝えたのである。 

  この宗派は、仏の名を唱えることによってのみ、極楽浄土へ行くことが

できると教えるものであった。それゆえ、これを一名「念仏宗」とも言う。 

  会衆が、手に手に振る鈴の音に合わせて、哀愁を帯びた単調な声音で、

「南無阿彌陀仏」(わが身を、あなたにおまかせ申します。阿弥陀仏様)と

いう念仏を唱え、時に身振り手振りをも交える、この宗派の礼拝様式は、

それまでの各派の、尊厳極まる信仰様式とは、がらりと変わる目新しいも

のであった。

 

  浄土宗の一分派である「浄土真宗」も、ほとんど同じころ、範宴(親鸞

上人:下の肖像画)という僧によって創始されたが、この宗派の影響力が

国民の大部分に及ぶに至って、他の各派は、ことごとく光を失った。

                         Photo_5

  浄土真宗の、他と著しく異なるところは、僧侶にそれまで科せられていた

純潔の誓約(=肉食妻帯を禁じる戒律)を免除し、彼らもまた人生普通の

楽しみを味わうことができるようにした点である。 

  仏教はこうして通俗化され、たちまち庶民の間に浸透して行った。 

もはや皇室の力で普及を促すまでもなく、民衆の間に力を張り始めたの

あって―これは、後に続く時代に著しい影響を及ぼすこととなった。

  「念仏宗」のもう一つの分枝を「時宗」という(*下の写真は、時宗の

開祖、一遍上人)

                  Photo_6

  浄土宗、浄土真宗、時宗の三宗派がそろうことによって、日本における

大衆的仏教の開発は完成した。 

  そして、神秘的な禅宗が当時の教養社会に入り込むのに対し、これらの

三派は、ほとんど時を同じくして大衆の間に受け入れられて行ったので

ある。 

  時宗が完成した直後、この国には、さらにもう一つの宗派が加わった。

これで、合計十二である。 

  それゆえ、十三世紀は、日本仏教の最後にして最大の”形成期”であった

と言うことができよう。

 

  というよりも、実は、この時期は、ヒンズーの宗教の、日本における“再

形成の時代”であった。この時期に見たような光は、もはや再び現われ

ない。 

  今世紀に生きるわれわれは、時代の信念を籠めて発せられた当時の

言葉のかずかずに依りすがっているのである。

 

  他の諸国におけると同じく、この国でも、宗教的熱狂は、迷信とともに

消えてしまった。 

 現代のわれわれは、非科学的であることを恐れて、臆病な人間となり、

目に見えるものに頼って行動することしか、できない。 

  そして、人々が、現代人のような知識がなくても誠実であった時代、また

雑事に心を煩わされず勇敢に生きた時代の、かすかな名残りというべき

ものを、行動の頼りとしている。

 

  そこで、われわれは、ここに一人の英雄を呼び起こそう。それは、天と地

とが、われわれに、より高貴な行為と、より大きな犠牲とを求めている今の

世に、教義を鼻にかけ安逸を楽しむことしかしないわれわれを恥じ入らせ

るためである。   【つづく】

 

 

 

 

 

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