日蓮上人(9 )
6.剣難と追放
『立正安国論』の発表後十五年間の日蓮の生涯は、世の権力と権威
とに対する戦いに終始した。彼は最初、伊豆に流された。そして、そこに
三年間、とどまるうちに、多くの改宗者を得た。
許されて鎌倉に帰った彼に、弟子たちは、この上は仏敵との戦いをや
めて、自分らの指導に専念していただきたいと懇願したが、彼は決然とし
て次のように答えた。
今は末世の始めである。多くの誤りが世に害毒を流しているこのとき、
法戦は、瀕死の病人に対する薬のように必要だ。
一見、無慈悲のように見えて、これこそは、まことの慈悲であるのだぞ。
そして、頭上に迫る破滅をものともしないで、この度しがたい僧は、直ち
に以前の攻撃的態度に立ち返った。
そのころのある晩、彼が数人の弟子とともに伝道旅行をしていると、突然、
刀を持った一団の暴徒に襲われた。
彼らの首領こそは、日蓮が新しい教義の宣言をした四年前の日、この
大胆不敵な改革者を殺そうと計った、あの地頭であったのだ。
日蓮の弟子の内、僧一人と俗人二人の三人が、師の命を救おうとして殺
された。こうして、法華経は、日本における最初の殉教者を出したのである。
この三人の名は、今日なお、この教えを信ずる多くの人々に記憶され、
尊ばれている。日蓮は、ひたいに傷を受けたが、危うく逃れ、その傷は、
この教えに対する彼の忠信のしるしとなった。
だが、真の危機がおとずれたのは、一二七一年の秋だった。彼がそれ
まで無事に過ごせたのは、ひとえに当時の法律が、僧籍にある者の死刑
を禁じていたからである。
彼の不謹慎な態度は目に余ったが、その剃髪と袈裟とが強力な隠れ蓑
となって、法の励行を妨げていた。
しかし、彼の毒舌がますます激しくなって、国内の諸宗派のみか、政治、
宗教両面の権威者にまで、攻撃が及ぶに至るや、北条氏はついに例外
的非常手段として、彼を死刑吏の手に渡すこととしたのである。いわゆる
「龍の口の御法難」というのは、日本宗教史上、最も有名な出来事である。
(*下は、「龍の口」の場所と、その刑場跡)
この事件の歴史的真実性が、近ごろ疑われているが、後世の信徒が
この事件に付け加えた奇跡の衣を取り去った「危機」そのものは、疑う
余地なく存在したと思われる。通説による事件のあらましは次のような
ものだ。
―刑吏が、まさに刀を振り下ろそうとした瞬間、日蓮が法華経の経文*
を繰り返すと、突然、天から烈風が吹き起こり、周囲の人々があわてふた
めくうちに、刀身は三つに砕け、刑吏の手はしびれて、もはや二の太刀を
下ろすことはできなかった。
かくするうちに、鎌倉から、赦免状を携えた使者が駆け付けて、法華経
の道は救われたのである。―
しかし、この事件を、奇跡の力を借りることなしに説明すれば、当時、
聖職にある者を死に至らしめようとする刑吏の心が、迷信から生ずる恐怖
におののいたのは実に当然であった。
それゆえ、読経しながら自若として死の一撃を待ち受けている僧の威厳
に満ちたさまを見た、あわれな刑吏が、この無辜の血を流したならば、どの
ような天罰が下るであろうかと、恐怖に駆られたのは、もっともなことである。
一方、この先例のない処刑を決意した北条氏自身も、それと同様の恐怖
に襲われたであろうことは確かだ。
そこで、彼は直ちに使者を飛ばして、日蓮に対し、死刑に代わる流刑の
判決を申し渡したという次第である。
まさに危機一髪ではあるが、しかし、きわめて自然の成り行きであった。
*処刑台上に命を終えんとして
観音の力を念ずれば
刀身、片々と砕かれなん (「観音経」より)
死刑に代わる流刑は、きびしいものであった。
日蓮は、今度は佐渡(*下の写真)に流されることになった。日本海の
孤島、佐渡に渡る旅は、当時は困難をきわめ、それゆえ、ここは、重罪
犯人の流刑地として最適の場所であった。
彼がここに、五年間、流人として生き抜いたことは、まさに奇跡である。
ある厳しい冬などは、その心の糧である法華経よりほかに、ほとんど糧も
なしに過ごした。
彼の糧は、ここで再び獲得した、肉に対する心の、また力に対する精神
の勝利であった。
それのみか、彼は、その流人生活が終わりに近づく頃には、その霊的
領土に、さらに一つの地域を加えたのである。
この時以来、佐渡と、その隣国で人口の多い越後とは、彼の宗旨に
熱烈な忠信を誓って今日に至っている。
彼の、このような不屈の闘志と忍耐とを見て、鎌倉の権威者は、彼に
対し、恐怖と賞讃との念を抱くに至った。
のみならず、彼が予言した外国からの侵略が、現に蒙古襲来となって
迫って来たので、鎌倉幕府は、一二七四年、日蓮の鎌倉帰還を許すこと
とした。
そして、鎌倉に帰った日蓮に対し、その宗旨を国内にひろめてもよいと
いう免許状を与えた。精神は、ついに最後の勝利を得たのである。
これ以後、七百年の間、彼の宗旨は、この国内の一大勢力となるので
ある。 【つづく】
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